G1予想[168]第60回有馬記念(2015年12月27日) |
2015年 12月 23日(水曜日) 17:41 |
ホーチミンからリアファルに「そのまんま」を叫ぶ!
私はいまベトナムのホーチミン市に滞在中で、帰国は来週。そのため、有馬記念を見られない。それでも予想はしたいが、今日はなんと32度もあってものすごく暑く、いつもの年とはまったく勝手が違う。 有馬記念というのは、やはり、日本の暮れ、それも冬の寒さの中で予想してこそ意義があるレースで、こんな熱帯でしても意義がないと思う。いくらグローバル化が進んでも、競馬はやはりその土地、地域の気候風土や文化や伝統の中で行われるものだからだ。 それに、有馬記念は日本独特のG1である。
さて、学生時代に競馬を始めてから40数年、有馬記念を買わなかったことは1度もない。ほかのG1レースは忙しかったりして買わなかったこともあるが、有馬記念だけは必ず買った。自分で買えなかったときは、友人、知人に頼んで買ってもらった。昔は電話投票もネット投票もなく、競馬場か場外に行かなければ馬券は買えなかったのに、それでも買い続けた。海外にいたときも、日本の友人に連絡を取って必ず買った。
なぜ、有馬記念だけはなにがあっても買い続けたのだろうか? それは、有馬記念が「今年の総決算」「ドリームレース」とされてきただからだろう。本当にそうかどうかはわからないが、そのように私は思い込まされてきた。有馬記念を的中させることが、ほかのどんなレースを的中させることより意義がある。そう信じさせらてきたのだ。 だから、有馬記念が近づくと、胸が高鳴った。どうしても的中させたいと、出走馬の動向をくまなくチェックし、早くから狙いを定めた。
30代の頃は、競馬マスコミに関わっていたこともあったから、実際に取材もしたし、関係者の話を聞き回ったこともある。そうして、当日となれば、有馬記念のこと以外には頭が回らなくなった。暮れで忙しいというのに、ほかの取材をしていても、記事を書いていても、有馬記念のことが頭から離れなかった。 これは、もう中毒と言っていい。だから、有馬記念が終わって、とくに馬券を外したあとは、寒風が身にしみた。その「虚しさ」がたまらなかった。
これまで有馬では、さまざまなドラマが起こった。古くは、ニットウチドリ、ストロングエイトの行ったきりの決着。終わったはずのオグリキャップのラストラン勝ち、トウカイテイオーの1年ぶりの復活、あっと驚いたダイユウサクの強襲など、思い出せばきりがない。そのほとんどで、私は負け続け、言い難い「虚しさ」を味わった。
この経験から私は、有馬記念がなにか特別のレース、ほかのレースとはまったく違うレースと、ますます思うようになった。 だから、今年もまたドラマを期待している自分がいる。なにか予想外のことが起こることを、心のどこかで期待している。勝ったことより、負けたことのほうが多いのだから、これは当然だ。このような私の期待を裏切って、じつは、最強馬が最強馬らしく勝つことのほうが多いのが有馬記念である。
では、今年ははたしてどちらだろうか? もし、なんのドラマも起こらないとすれば、1番人気になると思われるラブリーデイが勝つだろう。なんと言っても、この馬は2015年の重賞、G1で圧倒的な成績を残してきた馬で、ここを勝って「年度代表馬」になるのにふさわしい馬だ。それに、ほとんど死角がないときている。ジャパンカップは先に抜け出して負けたとはいえ、差はわずか。中山に替われば、十分に勝機はある。 ここで引退するゴールドシップも、やはり勝機はある。この馬のファンはいくらやられてもまた買うという「自虐的なファン」なので、それがどれほどいるのか注目したい。もしかしたら、この馬が1番人気かもしれない。 続くのは、ジャパンカップ馬となった牝馬のショウナンパンドラ。伏兵も、アルゼンチン共和国杯を勝ったゴールドアクター、菊花賞馬キタサンブラック、ジャパンカップ2着馬ラストインパクト、エリザベス女王杯馬マリアライト、オークス2着馬ルージュバックなど、多種多彩だ。
では、どの馬を買うか? まず言えるのは、ここまで書いてきたように、私はラブリーデイもゴールドシップも買えないということ。なぜなら、有馬記念は馬を買うのではなく、これまで競馬に関わってきた自分の「人生観」(馬券観)を買うからだ。人生(競馬)は思い通りにはけっしてならない、常にどんなドラマが待っているかわからないという「人生観」(馬券観)を持っている私が、こうした馬を買う理由はない。 だから、結局、馬券は取れないで終わるはずだが、この年になると、それでいいと思うようになった。
長くなったが、私が買うのは、リアファルである。当然だが、逃げ切りだ。残念ながら、私は日本にいないから、「そのまんま」を叫べない。馬場にいたら、間違いなく叫べる「そのまんま」を叫べない。だから、買う気になった。 昔、馬場に行ったときは、よく逃げ馬を買って、4コーナーを回ったときから、「そのまんま」を叫び続けた。私と同じように「そのまんま」を叫ぶファンは多かった。有馬でも何度かこれをやった。
しかし、たいていの場合、「そのまんまコール」はゴール前で終わりになる。なにかが差してきて、あっけなく終わる。この虚しさは、競馬における最高の虚しさであり、これを有馬記念でやらないと年は暮れない。世界どこにいてもそうだ。というわけで、今年は、ホーチミンから「そのまんま」を叫ぶ。 有馬記念は「虚しさ」を買うレース。いまは本当にそう思うようになった。
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