[130]大津いじめ事件は日本人全体の象徴。「見て見ないふり病」は日本人の伝統的な病気なのか? 印刷
2012年 7月 17日(火曜日) 02:42

大津いじめ事件の報道をずっと見てきたが、これはいまの日本の問題の象徴的な出来事だと思うようになった。教育委員会や校長の会見での発言を聞くたびに、この人たちの考え方と、政治家、財界人、そして一般の人間の考え方が同じだと気がついた。

 いじめを放置した教師や教育委員会の人間を世論は許しがたいと思っているが、じつは、彼らはわれわれそのものなのだ。いまの日本人は、みな同じ病気にかかっている。政治空白、原発問題、財政破綻、尖閣問題、あらゆる問題が、すべて同じ病気から発生している。

 その病気とは、なにか?

  それは「見て見ないふり病」だ。「知らなかった病」と言い換えてもいい。

 

問題は解決されず、永遠に先送りされ、最終的に深刻化

 

 なにか問題が起こったとき、それを見なかったことにする。あるいは知らなかったことにする。そうすれば、その問題はなかったことになる。そんなはずはないのだが、そう思い込んでしまうのが、この病気だ。意図的にこの病気にかかることもあれば、気がつかないうちにかかっていることもある。ともかく、いまの日本に蔓延しているのが、この病気だ。

 大津の事件を例にとると、いじめは間違いなく起こっていた。担任教師も校長も知らなかったはずはない。それなのに、アンケート調査で証言が出ようと、問題が指摘されようと、見てみぬふり。「認識はなかった」と言い張るのだから、病状は重い。

 「見て見ないふり病」「知らなかった病」にかかると、問題は解決されない。永遠に先送りされる。そればかりか、さらに問題は大きくなり、最終的に手に負えなくなる。いじめの場合、発生時点で対処していれば、最終的にいじめられた生徒が自殺するという最悪の結果は起きなかっただろう。

 

現実を無視して、100%の安全と暮らしの現状維持 などできるわけがない

 

 いまの世論は、どうやら、「消費税は上げるな」「原発は稼働させるな」にあるようだ。脱原発デモの勢いも日毎に増している。しかし、原発を稼働させず、消費税を上げないで済むなら、こんないいことはない。そんなことをしたら財政破綻は早まるし、電力供給の不安定と高料金から企業はますます国外に出て行き、日本経済は衰退するだろう。つまり、国民の暮らしは、いまより貧しくなるのは確実だ。

 しかし、世論はそれをわかっているとは思えない。つまり、現実を無視して、100%の安全と暮らしの現状維持を求めている。

 

脱原発をしてもいいが、その場合、産業構造の転換が必要

 

  どこからどう見ても、いまの日本はこの先続かない。いずれ高齢者が人口の半分を占めるようになるなかで、現状の社会保障の枠組みを維持していけば、財政破綻は目に見えている。だから、増税はやもうえないとしても、それにも限界がある。そこで、なんとか経済成長させようというのだが、いまの先進国にその方法はないし、実際、その方法を唱えている政治家、専門家を見たことがない。日本再生を口にしていても、具体策はなく、願望にすぎないものばかりだ。

  エネルギー政策も、完全に迷走している。原発を廃絶して、ソフトエネルギーに代替させるなら、日本の産業構造を変えなければならない。いまのようなエネルギー多消費産業が今後も日本で生産を続けてくれる。そうして、貿易黒字を稼いでくれるなんて、夢物語だ。

  アメリカでいちばん電気代が高いのはハワイだが、それは日本と同じ島国で化石燃料を外から運んでこなければならないからだ。しかし、ハワイには観光資源がある。脱原発で日本を観光立国するなどということが、できるとでも言うのだろうか?

 

日本の生活保護費の高さは世界から見て異常

 

 先ごろ、生活保護の不正受給が問題になったが、月に12、3万円もらえるという話を海外の人間にすると、みな驚く。「ありえない」と言う。いま、ミャンマーでビジネスをしている投資家の上条詩郎氏と先日会ったが、「ミャンマー人にその話をしたらひっくり返るだろうね」とのこと。ミャンマーの国民一人当たりの年間総所得は876ドル。「月給1万円で、英語も話せて日本人より優秀な人間をいくらでも雇える」という。

  年金で約100兆円、医療費で約40兆円、生活保護費で約3兆円。これを、税収ではまかなえない。なのに、国債を発行して借金でまかなっている。年金も医療費もかたちを変えた税金とすれば、最後は日銀にお金を刷らせるしかなくなり、国家は破綻する。

 

福島原発事故の放射能汚染もなかったことにしようとしている

 

  ここ何年、いや何十年、日本人は問題から目をそらすことを繰り返してきた。財政問題に限らない、少子化、高齢化、格差、貧困化、学校崩壊、医療崩壊など、問題とされることはすべて放置してきた。その間、政治家の資質は低下し、官僚は批判されたがいまややりたい放題になった。

  尖閣諸島という領土問題も見て見ぬふりだ。「領土問題はない」と言っているだけでなにもしないから、どんどん侵犯がひどくなっている。福島原発のメルトダウンにしても、最初はないものとされた。こうして、見て見ぬふりは、いまや最高潮に達し、国土の一部は完全に放射能で汚染されているのに、そんなことはなかったことにしようとしている。

 

見て見ぬふり、先送り主義はに本人の伝統的な思考法なのか?

 

 問題を見ないことにする。そして、知らなかったことにする。あるいは、なかったことにする。そうすると、本当になくなったかのように錯覚する。しかし、これは先送りしたにすぎないから、もう一度、その問題が降りかかってきたときには、以前より深刻化している。

 楽観主義と言ってしまえばそれまでだが、これは私たちが昔から持っている民族的な伝統なのだろうか?もしそうだとするなら、こうした考え方は、いったいいつ生まれ、どのように受け継がれてきたのか?

  見て見ないから、議論もかみ合わない。論争も成立しない。検証などありえない。この病気はいったいどうしたら治せるのだろうか?もしかしたら、行くところまで行かないと治らないのだろうか?

  もう誰が見ても、いまの日本は、あらゆることを先送りしてきたツケが払えないところにまで到達しつつある。財政で言えば、国の借金が国民金融資産を食いつぶすのが目前に迫っている。このままでは、それは数年以内だ。