[152]「iBookstore」日本版のオープンで、今後の電子出版市場はどうなるのか? 印刷
2013年 3月 10日(日曜日) 06:57

アップルが3月5日夜、とうとう「iBookstore」日本版をオープンした。このオープンは突然だったが、その後6日には正式発表があり、電子書籍アプリ「iBooks」のアップデート版「iBooks 3.1」のリリースとともに、「iBookstore」日本版は順調にスタートした。

  これで、日本での電子書籍のプレーヤーはほぼ出そろったので、今後、どのように市場ができていくのか? どこの電子書店(プラットフォーム)がシェアを握るのか?が、現在、業界的な焦点になっている。

  とはいえ、もうすでにある程度の趨勢は決しているので、まずはそれを確認したうえで、「iBookstore」を取り巻く状況を考察し、今後を考えてみよう。

 

■アマゾンがリードするも、端末「Kindle」は売れず

 

  現在、日本には電子書店が10店以上もある。電子書籍専用端末も「Kindle」「Kobo」「Lideo」「Sony reader」など、やはり10種類近くある。どれもあり過ぎだから、次第に優劣がついてきて、電子書店ではアマゾンの「Kindle Store」が一歩抜け出した状況になっている。アマゾンの「Kindle Store」の日本オープンは昨秋だったのに、この半年で、日本勢をオーバードライブしてしまった。

  日本勢は、アマゾン上陸まで2年以上も猶予があったというのに、やはり歯が立たなかったのだ。

  ただし、「Kindle Store」がいいといっても、専用端末の「Kindle」はまったく売れていない。

  アメリカで売れたことと比較すると、完全に不振と言っていい。「Kindle」がこうだから、他の端末はさらにひどく、話にならない状況だ。

  日本では専用端末による電子書籍販売はもう期待できない(端末価格が2000円ぐらいになれば話は別かもしれないが)といっていいだろう。昨年、私が「日本は電子書籍専用端末の墓場」と言ったとおりの状況になっている。

 

■電子書籍をスマホで読むというスタイルが定着

 

  というわけで、現在の電子書籍ユーザーの多くが、スマホで電子書籍を読んでいる。これが、日本での電子書籍リーディングの主流スタイルになったといっていい。つまり、この状況で、電子書籍は紙の本とは違うものと認識すべきだ。ゲームなどと同じウェブ上のアプリなのである。

  スマホで電子書籍を読むことになったことで、この1年の間に、大きな変化が起こった。それは、これまで電子書籍の主流だったガラケーのエロ漫画(BL, TL)の売上の急落だ。この変化は急激で、これまでケータイ配信の漫画で潤っていた制作会社は、いま岐路に立っている。

  ただ、スマホによる一般漫画、一般書の売上は上がっている。また、コンテンツ数も増えたこともあり、電子出版市場は全体では売上は漸増している。

  ただし、アンドロイドに関しては、まだまだ売上と呼べるまでの状況に達していない。かろうじて、売上が立っていたのは、「iPhone」「iPad」での「App Store」の単体電子書籍アプリ販売だ。

  ただ、この市場は、「エロ系」「セックス系」「成功系」「情報商材系」「自己啓発系」というコンテンツばかりで、しかも価格は85円が主流。電子書籍というより、単なるエンタメアプリで、読者は紙の読者とはまったく違っていた。

  以上が、「iBookstore」日本版オープンまでの日本の電子出版市場の概要だ。

 

■電子書籍の売上は出版売上全体の5%にも達しない

 

  さてでは、この日本の電子出版市場は、紙の出版市場と比較してみると、どのくらいの規模なのだろうか?

  大雑把にいうと、昨年(2012年)の出版市場の総売上は1兆7300億円。これに対して電子出版市場の総売上は713億円(インプレス調べ)なので、紙の約4%の規模といったところになる。

  これは、電子書籍をやっている出版社なら、だいたい同じだ。中堅出版社で電子化に積極的なところでも5%である。漫画が強いところでも10%はいっていないはずで、大手もほぼ同じだ。

  たとえば、この2月22日に発表された講談社の決算を見ると、電子書籍の年間売上高は約27億円だった。デジタル化にもっとも積極的な講談社ですら、売上はこれだけである。講談社の総売上は約1179億円なので、電子書籍売上の比率は5%にも達していない。

  しかも、電子書籍は紙書籍を制作しているからできるので、電子だけではビジネスたりえないのだ。

 

■2015年度には2000億円になるわけがない電子出版市場

 

  もう一つ、ここで再確認しておかなければならないのが、日本の電子出版市場は約8割が漫画コンテンツであるということ。紙の書籍の売上も3~4割が漫画で、日本の出版市場は漫画を中核として成り立っているということだ。

  しかも、前記したように電子出版市場となると約8割が漫画だから、漫画なしでは成り立たない。ということは、電子出版市場がさらに進展するには、漫画コンテンツがさらに大量に供給され、それが売れなければならないということになる。

  前記したように、2012年度の電子書籍市場は713億円とされ、2015年度には2000億円に急伸するとされている。インプレスにしてもそのほかの市場調査にしても、同じ予測が出ている。

 

  しかし、この2000億円という売上は、現在の紙のコミックの売上に匹敵する。コミックの新刊は毎年約1万2000点出ている。つまり、電子で2000億円を達成するには、このコミックの新刊点数と売上が、紙から電子にそっくり移行しなければならない。それも、紙と電子と同じ値付けをしたうえでだ。そうでなければ、現在100億円にも達していない一般書の電子版が少なくとも1000億円以上の売上にならなくてはならない。

  こんなことは、どう考えても無理だ。少なくとも、私はそう思う。

  こんななかに、最後発でオープンしたのが、「iBookstore」である。すでに「App Store」における単体の電子書籍アプリでは実績を残してきているアップルだが、、「iBookstore」ははたして成功するのだろうか?

 

■日本のスマホ市場の6割以上を「iPhone」が占めている

 

  まず、確実に言えるのが、「iPhone」の出荷台数が1700万台、「iPad」が380万台(2012年9月末現在、MM総研調べ)ということから見て、今後「iBookstore」は間違いなく大きなシェアを獲得するということだ。なにしろ、日本のスマホ市場の6割以上を「iPhone」が占めているのだから、これは当然だ。

 

  アマゾンの「Kindle Store」、あるいはほかの電子書店の場合、専用端末なら即販売できるが、スマホだとユーザーにストアアプリをインストールしてもらわないと販売できない。

  しかし、「iPhone」なら、「iBookstore」はインストールはするものの、付いているのと同様だ。しかも決済は簡単。音楽配信サービスなどと同じ「Apple ID」でOKである。

  つまり、スマホで電子書籍を読むことが定着した以上、iPhoneユーザーなら、間違いなく「iBookstore」を使う。すでに、「App Store」で単体アプリ書籍に親しんでいるユーザーなら、問題なく移行する。

 また、「iBookstore」から購入した本は、「iCloud」を経由して、本そのものや途中まで読んだブックマークなどを複数の端末で同期できる。つまり、通勤では「iPhone」で読み、自宅では「iPad」で読む、といったことも手軽にできる。

 

■「iBookstore」と「Kindle Store」の併存時代になる

 

  これまで「Kindle Store」が後発なのに伸びてきたのは、スマホのユーザーの多くが「Kindle」アプリをインストールして使ってきたからだ。紙の本をアマゾンの通販で買っているユーザーはもとより、スマホで電子書籍を買おうとするユーザーはたいてい「Kindle」アプリをインストールしてきた。

  品ぞろえ、価格にもよるが、いくつもの電子書店アプリをインストールして使いこなすのは、けっこう面倒である。電子書店の品ぞろえ、点数が同じ程度なら、ユーザーはいちばん便利なところにしかいかない。それが「Kindle Store」であり、今後、iPhoneユーザーには「iBookstore」が加わったということだ。

 電子書籍のキーラーコンテンツである漫画で実績を残してきた「eBookJapan」「パピレス」などは残るかもしれないが、ほかの国内電子書店は、今後苦しくなるだろう。

 こうしたことは、出版社のデジタル担当者なら、みな予測している。

  「現在、全方位外交で、すべての電子書店に配信していますが、非常に面倒。10社以上から売上が上がってきて、それをいちいち著作者別に分けて配分したりする作業は手間がかかりすぎます。ですので、今後は、売上を見て付き合わないところも出るかもしれません」と言う。

 

■「iBookstore」の特徴は、漫画コンテンツの充実

 

  それでは「iBookstore」には、どんなコンテンツがあるのか?見ておきたい。

  現時点で、講談社、集英社、小学館、角川書店、文藝春秋、学研、幻冬舎などの大手・中堅はみな参加し、ノンフィクションから文芸まで、新刊、旧刊をそろえてきている。

  そんななか、目立つのが、『ONE PIECE』(尾田栄一郎)、『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ)、『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)といった人気漫画、『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川流)などのライトノベルだ。これらは、電子ではもっとも売れることが期待できるコンテンツである。

  そのせいか、『ジョジョの奇妙な冒険』など一部のマンガにはカラー版をわざわざ用意している。また、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』は、なんと全183巻がそろっている。

 

漫画を読むなら「iPhone」だとやや画面が小さいと思うが、「kindle」よりは読みやすい。もちろん、「iPad」なら問題ない。アップルは、自分たちの端末に適したコンテンツを知っており、それをそろえたと言えるだろう。

 アップルは、取り扱いタイトル数を公表しなかった。ただ、「数万点」とは言っている。また、毎週水曜日に更新し、今後もラインアップを拡充していくという。

 

■電子書籍の特性を活かしたリッチコンテンツ

 

  「iBookstore」がほかの電子書店と大きく異なっている点がある。

  それは、2年前の「iPad」発売時点で話題になった「リッチコンテンツ」が数多くあるということだ。電子書籍が単に紙の書籍を電子化したものではないことは、すでに書いたとおりだ。

  実際、今回の「iBookstore」では、作家の村上龍氏が、自身の制作会社「村上龍電子本製作所」を立ち上げて、またもやこれに挑戦している。電子オリジナル作品の『心はあなたのもとに』で、小説中に出てくるメールの文面が、まるで本当にメールをやりとりしているかのようなビジュアル効果で、各章に現れる演出がなされている。村上氏はかつて『歌うクジラ』でも、映像・画像・音楽などを組み合わせたリッチコンテンツを制作している。

  村上作品以外でもリッチコンテンツは多い。たとえば、『ぴよちゃんのおはなしずかん おてがみきたよ』という絵本は音声付きだ。

  このように、動画や音楽が入ったリッチコンテンツを充実させていくのが、「iBookstore」のもう一つの特徴だ。

 

■動く絵本「インタラクティブ・ピクチャーブック」

 

  アップルは、昨年から「App Store」で「iBooks Author」という電子書籍制作アプリケーション無料提供している。これを使うと、リッチコンテンツが制作できる。

  前記したが、電子書籍は紙の書籍とは別の物と考えるほうが自然だ。もちろん、紙の書籍を電子化しただけの電子書籍もあっていい。しかし、アップルのようなIT側から捉えた書籍は、あくまで電子コンテンツであり、それはハナから紙の書籍とは違うものだ。

  つまり、「iBookstore」は、リッチコンテンツを前提につくられており、将来の電子書籍の方向をアップルは提示していると言っていい。

  たとえば、「インタラクティブ・ピクチャーブック」がそれだ。この動く絵本では、画面上にある文をタッチすると、文を音声で読み上げてくれる。画面上の絵をタッチすると、絵が動物ならその名前が表示されたり、鳴き声が流れたりする。

  「iBookstore」では、今後こうしたリッチコンテンツがどんどん増加していくと思われる。その意味で、これまでの日本の電子書店とはまったく違うものになるだろう。

 

■紙の書籍ではできない数々の試みが

 

  電子書籍が、紙の書籍とは違う点をふまえ、「iBookstore」では、リッチコンテンツ以外の新しい試みも行われている。

  たとえば、株式会社オールアバウトは、総合情報サイト「All About」のガイドが執筆した記事をテーマごとにパッケージ化した「まとめコンテンツ」を250円、新たに書き下ろしたものを250~350円で販売し始めた。 これは、元になる紙がなく、ウェブ上での情報の形を変えた進化である。なんと、こうしたコンテンツを3月6日時点で3315冊用意しているというから、驚く。

  また、角川では電子書籍向けに書き下ろした作品『Amazonの3.11』(星政明 )を100円で刊行した。この激安価格は紙では実行できないが、電子ではできる。角川としては、この激安価格に読者がどう食いつくを試したというわけだ。同じように、文藝春秋は重松清氏の作品『コーヒーもう一杯』を100円で販売し、ランキング1位を獲得している。

 さらに、幻冬舎は小路幸也氏が電子書籍向けに書き下ろした長編小説『旅者の歌』を5回に分けて配信する手法を初めて採用した。1回目は無料、2回目以降は315円にし、3月末までに配信を終えるという。これは、最初はタダで、あとからその分を回収するというフリーミアム戦略だ。紙では体裁でページに制限がいるが、電子なら自由なページ数に分割して販売できる。

 

電子書籍の売上が最大化する価格帯は3、4ドル付近

 

 このように、さまざまな試みが始まった「iBooksotore」だが、市場を伸長させる最大のターボエンジンは、電子書籍の価格である。

 日本では、電子書籍が紙の書籍の売上を食う(カニバリゼーション)と信じられているので、これまで大胆な値付けは行われてこなかった。 

 そこで、アメリカのケースを見てみると、値付けに関してはある程度のデータが出ている。簡単に言うと、紙より安いこと。とくに紙の既刊本の場合、かなり安くしないと売れないという結果が出ている。

  電子書籍専門のウェブメディア『Digital Book World』によれば、電子書籍のベストセラーチャートで、デビー・マッコマーの1984年の小説 『Heartsong』 (Random House,$2.99) が10位、サンドラ・ブラウンの1990年の作品『に Mirror Image』 (Hachette, $1.99)が12位に入っている。トップ25位では、2.99ドル以下の廉価本はこれを含めて7点。10ドル以上は6点、8~9.99は7点、3~7.99は5点となっていて、新刊は高くとも、既刊本は激安価格になっている。

  『Digital Book World』http://www.digitalbookworld.com/

  もちろん、価格決定にはいろいろな点が加味されるが、電子書籍は紙より安いものというのがユーザーには浸透してしまっている。以下のグラフは、価格と売上の関係の想定グラフ。売上が最大化する価格帯は3、4ドル付近になっている。

 

 

■「iBooks」は「Kindle」と違って閉じられたサービス

 

 このように見てくると、「iBookstore」は将来有望な市場と思われるが、大きな難点もある。それは、「Kindle」などのほかの電子書店と「iBookstore」で同じタイトルを相互に行き来できないということだ。「iBookstore」で買った本は、アップルの端末とPCでなければ読めない。

 「Kindle」の場合、スマホではAndroid版とiOS版の両方に対応している。そのため、「My Kindle」から電子書籍を送る端末を選ぶだけでAndroid端末、iOS端末の区別なく読むことができる。 

  しかし、「iBooksstore」では、それができないのだ。

  アップルの垂直統合モデルは、あくまで自社製品ファンのみへのサービスで、空間として閉じられているのである。これは、大きな可能性を秘めた電子書籍を、鳥かごのなかに押し込めているのと同じだ。

  紙の書籍は、こんな閉じられた空間を形成していない。紙の出版自体はオープンな世界である。アップルの電子書籍は、世界標準規格の「EPUB3」を採用している。それなのに、このように閉鎖的なのは、なぜなのだろうか?

 

■「App Store」での単体アプリの電子書籍はどうなる?

 

  さて、次の問題は、アップルの問題ではなく、あくまで制作サイドの問題だ。

 これまで「iPhne」「iPad」では、「App Store」による単体アプリの電子書籍に、大きな市場があった。前記したように、ここは、日本ではエロ系コンテンツが中心に、紙の本とは違う独特の電子書籍市場を形成してきた。

 ところが、今回の「iBookstore」のオープンで、この単体アプリがアップルの審査を通らなくなった。3月4日以降、現在まで1本もニューリリースはない。

  「App Store」のカテゴリーの「ブック」よる単体アプリは経過的な処置で、これからは「iBookstore」に統一されてしまうのか? それとも、なんらかのかたちで残るのか? 現時点ではわからない。ただ、かつて、いわゆる『Alice for the iPad』のようなインタラクティブな電子書籍(リッチコンテンツ)は単体アプリとしても審査は通し、単純な文字や図版だけの電子書籍アプリは審査を通さなかったことがあるので、関係者はアップルの動きを注視している。

 「App Store」の単体アプリ電子書籍がダメなら、 Android端末で「iPhone」の「App Store」に当たる「Google Play」で売ればいいではないか?という声もある。しかし、iOSのアプリ売上高はAndroidの4倍以上もあるので、「App Store」で単体アプリ電子書籍が販売できないとなると、制作会社にとってのダメージははかりしれないものがある。

 

デジタル化が 完了した「第二段階」で出版界で何が起こるのか?

 

  さて、最後に、先月ボイジャーから出版された『マニフェスト 本の未来 』(ヒュー・マクガイア, ブライアン・オレアリ 編ボイジャー)という本を紹介して終わりたい。

 この本を読むと、電子書籍先進国アメリカの電子書籍の担い手たちが、どのように考え、どのような未来を想定しているのかがよくわかる。

 電子書籍が、紙の書籍とはまったく違うもので、その未来も違うということが、徹底して書かれている。私は出版、つまり紙の出身だから、ウェブ側からは電子書籍を捉えられない。ところが、この本ではウェブ側から電子書籍が論じられている。

 この本の紹介文は次のように書かれている。

 《書籍のデジタル化は「第一段階」にすぎません。デジタルへの移行はフォーマットの問題だけではなく、出版界の抜本的再編成を意味しています。デジタル化が 完了した「第二段階」で出版界で何が起こるのか? 書籍が全て電子化され、ネットワークに接続され、ユビキタスな存在になると何が起こるのか?》