[153] 大学入試に「TOEFL」導入で「英語がしゃべれる馬鹿が増える」のはいけないことなのか? 印刷
2013年 3月 28日(木曜日) 05:23

自民党の教育再生実行本部が、大学入試に「TOEFL」を導入する方針を決めたことが報道されてから、教育界が騒がしい。教育界ばかりか、今後、受験年齢になる子を持つ親世代も、子供たちも騒然としている。

  この方針は、夏の参院選の政権公約に盛り込まれるというから、いずれ実行されるだろう。

  これまで、何十回、何百回、「英語は必要か不要か」論争が繰り返されてきた。その結果、2年前、やっと小学校5年生からの英語教育が始まった。そして、今度は大学入試にTOEFLである。この経緯を見ると、もう「英語は必要か不要か」などという次元を超えて、日本は追い詰められてしまったということだろう。

   

  これまで、いくたびか「英語必要論」が唱えられた。国際化、グローバル化している世界を見れば、これは当然だ。しかし、そのたびに反対が強く、「話せる英語教育」導入は見送られるか、骨抜きにされてきた。

  英文和訳、穴埋め問題ができるだけで、先生も生徒も話せないという「信じ難い英語教育」が放置されてきた。中学、高校、大学と毎日のように英語の授業があるというのに、誰も話せない。つまり、英語の授業でないものを「英語の授業」と言い張って、この国は続けてきたのである。

  これは、膨大な税金のムダであり、将来をになう子供たちをわざわざ英語嫌いにしてしまうとう愚かな行為だ。

 

■「英語がしゃべるようになっても馬鹿は馬鹿なまま」

 

  しかし、もう限界。中韓に大きく差をつけられ、このまま世界でも最低の英語力国家を続けたら、日本は沈没してしまう。だから、ユニクロも楽天も社内言語を英語にした。これを特異のことと考える人がいるが、すでにビジネス言語は英語に統一されている。

  ドイツでもフランスでもロシアでも、そして中韓でもそうなのだから、日本企業だけが例外でいれるわけがない。そして、企業がそうなれば、大学もそうならざるをえない。つまり、試験も授業も英語でやるしかないのだ。

  それなのに、今回のニュースに対してNHKの「ニュースWEB 」でコメンテーターの古市憲寿氏は、「英語がしゃべるようになっても馬鹿は馬鹿なまま。結局、英語がしゃべれる馬鹿が増えるだけではないですか」と言った。

  私は、耳を疑った。なぜ彼のような20代後半の若い世代、しかも気鋭の社会学者がこんな考え方をしているのだろうか?

 

■「馬鹿に英語をしゃべられたら困る」人々がいる

 

  こうした発言を、これまで私は何度も聞いた。これは、エリート層特有な考え方で、発言の深層心理に「馬鹿に英語をしゃべられたら困る」ということが隠されている。つまり、馬鹿に英語をしゃべられると、自分たちの地位がおびやかされる。それが本能的にわかるので、こうした言葉が飛び出すのだ。

  日本では、教養のある人間、地位の高い人間ほど、「英語は必要でない。日本という国は日本語でこと足りる国だ」「英語より美しい日本語を教えるほうが大事だ」ということをしきりに言う。しかし、これは、国民全体が英語のバイリンガルになると、自分たち自身が困るからである。なぜなら、英語がわかれば、ハリウッド映画でも海外ニュースでもそのまま理解できる。彼らの解説を聞かなくともよくなる。それが怖いのだ。

  私は、「英語ができても馬鹿は馬鹿」には、そのとおりだから反論しない。しかし、馬鹿ならなおさら英語を話せるようにしてあげたらいいと思う。そのほうが、英語を話せない利口より、いまは、たぶん就職できるし、日本以外でも活躍できる可能性が広がる。

  なぜ、馬鹿が英語をしゃべっていけないのか? なぜ、英語がしゃべれる馬鹿が増えたらいけないのか? 教えてほしいものだ。

 

■英語を話せるようになったほうがより日本人になる

 

  なにも、英語を話せるようになったからといって、日本語がおろそかになったり、日本人というアイデンティティを失ったりするわけではない。外国語を習うことは異文化理解を深めることだから、かえって、日本をより愛する心が育つ。つまり、英語を話せるようになったほうが、より日本人らしくなり、日本のことを深く考えるようになる。

  このことを私は、娘が受けたインターナショナルスクールでの教育をとおして知った。だから、いま、その経験を「東洋経済オンライン」に連載しているが、この連載に対しては、いわゆるネトウヨと呼ばれる人間たちの反発が強い。

  「あなたの娘なんか日本人ではない」というような内容の匿名メールが、何通も届く。

 彼らの頭では、英語とのバイリンガル日本人は日本人ではなく、売国奴に近いようだ。本当をいうと、彼らこそ英語を話し、それで中韓の英語を話す世代と堂々と渡り合うべきだろうと、私は思う。日本の国益、アイデンティティを守りたいなら、日本国内で仲間うちだけで日本語で主張し合っていてもムダだ。彼らの目的は、中韓にナメられない日本と日本人になることだと思う。

 だとしたら、私は彼らが「英語不要論」に同調することが信じられない。とんでもない自己矛盾だからだ。

 

■秋田国際教養大学の大躍進は英語とグローバル教育

 

  ところで、最近、秋田国際教養大学が注目されている。

  なんと、東大との偏差値の差が僅差になったからだ。代々木ゼミナールによれば、東大(教養学部)の偏差値69に対し、秋田国際教養大は66である。設立わずか8年でこれだから驚異的だ。

  この偏差値上昇の理由は、英語によるグローバル教育の徹底という。秋田国際教養大では、すべての科目を英語で教えるうえ、1年間の海外留学も必須となっている。その結果、1期生から就職率はほぼ100%を維持し、志願者が増え続けたため、ついに東大に肉薄するまでになったという。

  その東大は、せっかく打ち出した9月入学をなぜか取りやめようとしている。また、教養学部での英語での授業も始まったが、たった2コースだけ。つい先日、推薦入試を導入すると発表したが、それもなんと3年も先の話である。

  東大にかぎらず日本の大学は、教員の研究業績を重視し、人材教育を二の次にしてきた。だから、今後、大きなツケを払うことになると思う。つまり、グローバル人材が育たない、日本人なのにユニクロにも入社できないというツケで、改革に乗り遅れたところから、学生を失うだろう。

 

■「ハーバード白熱教室」をオンラインで日本で受講できる

 

  いまやアメリカの一流大学では、オンラインで授業を公開している。ハーバード大学、MIT、スタンフォード大学などは、全世界の若者に向けてトップレベルの授業を無料で流している。「ハーバード白熱教室」も、「スタンフォード白熱教室」も日本で受講できるのだ。

  こうなると、わざわざ、東大に行く理由もなくなるかもしれない。

  オンライン授業の目的は、開発途上国にいる若者や大学に行くことができない貧しい若者に、高等教育を提供することとされている。しかし、これは表向きの理由だ。

  というのは、オンライン授業で宿題や課題を出し、それを集めれば、全世界にいる優秀な学生を選別できるからだ。そうして、彼らに奨学金を出したりして入学させれば、世界中からトップの人材を集められるからである。

  また、こうしたオンライン授業は、非英語圏にある大学の価値を暴落させる。たとえばスタンフォード大学の「Udacity」では、コースを完了すると証明書がもらえる。これは本来の修了証明書ではないし、大学の卒業証明書ではないが、履歴書には書ける。とすると、そうした修了証をいくつか持てば、それに見合った就職先に就職できる可能性が大きくなる。

  世界の大学がランキング化され、こうしたオンライン授業も一般化すると、日本で日本語だけで講義をしていると、留学生はもとより、日本人学生も集まらなくなる可能性がある。

 

■TOEFLスコアが足切りに使われるとしたらどうなるか?

 

 ここまで、世界の状況が切迫していることを思うと、今回の大学入試に「TOEFL」は遅すぎたと思う。しかも、教育現場に混乱を招くので5年後に実施というのは、最悪だ。決めたらすぐに実行しないと、受験英語はまだ続き、「英文和訳」とか「穴埋め問題」は生き残る。

  その結果、英語が話せない若者はまだ増え続けるということになる。

 また、入試に導入する際、TOEFLスコアが足切りに使われるとしたら、そのスコアをどう決めるのだろうか? たとえば、アメリカのアイビーリーグでは「TOEFL iBT」(フルマーク120点)で最低100点は要求される。ならば、東大や京大でもこのスコアでいくとしたら、いまの日本の高校までの英語教育からいって、落ちる学生が続出するだろう。

 かといって、70点なんてことにしたら、大学のレベルが国際的に問われることになる。

 

■結局、TOEFLもこれまでの受験英語式の勉強になる?

 

 もう一つ大きな懸念がある。

  TOEFL導入が正式に決まれば、中学、高校段階からの英語教育も変わらざるをえなくなる。となると、いまの英語を話せないのに英語を教えている英語教師はどうするのか? 彼らをそのままにして、これまでのような受験英語方式で、授業で日本語を使い、問題を解くのを解説する。そうした対策授業をやってしまう可能性がある。おそらく、そうなる可能性が強い。

  TOEFLの試験は「Reading」「Listening」「Writing」「Speaking」の4科目で、日本人が苦手なのが、「Writing」と「Speaking」だ。しかし、「Writing」でエッセイを書くことになっても、日本の受験英語方式で臨むなら、パターン丸暗記で克服できる。エッセイののパターンは約200とされているから、これをすべて暗記してしまえば対応できるのだ。とすれば、そうした勉強法をとる学校と教師が必ず現れるだろう。

  ただ、そこまでやるのは時間のムダだし、本来の英語力はつかないのだから、実際のTOEFLスコアはあまり伸びないと思う。となると、大学側もスコアを低く設定せざるをえない。すると、国際的な日本の大学の価値は暴落してしまうだろう。

 

■英語レベルが低い早稲田大学国際教養学部

 

  たとえば、早稲田大学国際教養学部はほとんどの授業を英語でやっている。しかし、学生のレベルは、ICU(国際キリスト教大学)や上智より低いというし、英語力は落ちる。学生確保のために急造したただけの学部ということもあるだろうが、インター卒業生や帰国子女に言わせると、その理由は「教員の英語力が低い。中国人留学生にも馬鹿にされている始末」「SATスコアがICUや上智より低いから仕方ない」ということになる。

  SATは「米大学進学適性試験」でアメリカの大学に進学する場合、TOFEL以上に重要だ。ICUや上智なら1600点以上は必要とされるが、早稲田国際は1500点以下でも大丈夫という。SATのスコアが低いということは、当然、TOEFLスコアも低いということになる。また、中国からの留学生も、2番手、3番手の学生ばかりで、もっとも優秀な層はアメリカに行ってしまい、日本には来ない。

  TOEFL導入の先にあるのは、英語での授業、グローバル教育の徹底である。ところが、現在の日本の大学に、そんなことができる人材は少ない。そうなると、早稲田の国際教養よりレベルが落ちる大学が続出することになる。

 

■国家公務員のキャリア(官僚)採用試験にも導入

 

  さて、TOEFLは大学入試に導入されるばかりか、国家公務員のキャリア(官僚)採用試験にも導入される。これは、さる3月15日に行われた政府の産業競争力会議で提言され、2015年度の採用試験を目途に検討されることになった。

  2015年といえば2年後だから、大学入試より早い。

  しかし、考えてみれば、こちらも遅すぎた。キャリア官僚は、国家のエリートである。それが、英語を話せないというのは、いまや日本ぐらいだ。ネトウヨは中韓を敵視するが、中韓のキャリア官僚はいまではほぼ英語を話せるから、日本の官僚を馬鹿にしている。

  また、キャリア官僚は20代後半になると、選抜で主に海外の大学院修士課程に留学する。これはアメリカの一流大学が多い。しかし、いまやハーバードをはじめアメリカの一流大学の留学生は、韓国人、中国人が圧倒的に多く、みなTOEFLスコアは高く、モチベーションも高い。つまり、日本人の英語力のなさは、ここでも馬鹿にされているのだ。

 

■結局、英語ができないツケは私たち自身が払う

 

 さて、最後に書いておきたいのは、私自身のぼやきだ。

 TOEFLの受験を全受験生に義務づけるとすると、その数は現役だけで約50万人になる。TOEFLの全世界の受験者数は100万人とされ、日本ではピーク時の1990年代後半は年間10万人が受験していた。

  それが、今回のことで5年後に一気に激増することになる。TOEFLを実施しているのはアメリカのNPO団体の「Educational Testing Service」(ETS)。TOEFLは何度でも受けられる。そこで、50万人の受験生が5回試験を受け、毎回約2万円の受験料を払うと、なんと毎年500億円も日本からETSに行くことになる。これは、本当に情けないことだ。

 しかも、そのお金は受験生の親が払うのだ。

  英語ができないから、学生は日本企業にも就職できない。英語教育ができていないから、日本の大学は、世界的にランキングを落とす。英語ができないから、日本の若者は同じアジア人の韓国人、中国人にも馬鹿にされる。英語ができないから、日本企業は世界で競争力を落とし続けている。英語ができないから、日本の官僚は世界相手にコミュニケーションできない。

  このようなツケがたまりにたまってしまった。しかも、このツケを払うのは、私たち自身である

  もっと早くから英語教育の重要性に目覚め、国内で独自のテストをつくり、初等教育からきちんと英語をやっていれば、こんな高いツケを払う必要はなかったのだ。