[024]最近ホントに考える。メディアの使命とはなんだろう? 印刷

2009年5月25日

『週刊新潮』手記ねつ造事件、ワイドショー化したテレビの「ニュース」


 最近、メディアの使命、役割とはなんだろう?と、あらためて考えさせられることが多い。
『週刊新潮』で、朝日新聞支局襲撃犯の「手記ねつ造事件」があったせいだろうか? あの手記は、本当に情けなかった。とっくにねつ造だとわかっていたはずなのに、なぜもっと早く認めなかったのだろうか? 
 自分も昔は週刊誌をやっていたから、ああいうことの危険性はよくわかる。相手の話をけっして鵜呑みにはできないし、まして、カネが絡むと、話はややこしくなる。

 週刊新潮事件があったせいなのか、最近は、なにか、すべての報道がいい加減で、底が浅く思えてきた。みんな、なんにも考えていないでのでは?と、疑いたくなっている。

 たとえば、テレビの夕方のニュースはひどい。ニュースなのは30分ほどで、残りはワイドショーネタばかりだ。なぜ、報道枠でダイエットやタレントショップの紹介をするのだろうか?


花畑牧場を「村起こし」の美談に仕立てあげたテレビ局


 とくに、タレントの田中義剛の「花畑牧場」なんていうのは、取り上げるべきではないだろう。あの「生キャラメル」がヒットしたのは、すべてテレビのおかげだ。それも、その取り上げ方が「村起こし」の成功例などという美談風で、いかにもニュースとして取り上げる価値のあるように見せかけているから、見るたびにあきれてきた。しかも、これをほとんどの局がやった。宣伝費にしたら、ものすごい額、そして量だ。あれだけやれば、どんなビジネスだって成功するに決まっている。

 しかし、この花畑牧場のインチキぶりを暴いたのは、皮肉なことに『週刊新潮』だった。だから、手記ねつ造は本当に残念だ。

 週刊新潮2009年2月5日号によると、花畑牧場周辺にはトラブルの山が築かれ、悪評の嵐が吹き荒れていたとのこと。「商品は手作りがモットー」というのに、じつは外の農家・業者が作っている。ジャガイモや枝豆、冷凍のコーンスープやカレーなどを花畑牧場ブランドで売りたいと持ちかけ、売れ行きが悪いと一方的に生産を中止。生キャラメルやホエー豚も他者のマネで、トラブルも続出だったいうのだ。
 題して、「花畑牧場・田中義剛“みなパクリ、欲と金のためなら平気で人を踏みつける”」だから、痛快だ。


イチロー選手の「日米通算最多安打」ってどんな記録?


 そんなことを思っていたら、今度は『週刊現代』の連載エッセイに(「今週の遺言 第28回」)大橋巨泉氏が、 “日本のスポーツ報道は「変なの」を通り越して「狂っている」と思う”と書いているので、読んでみたら、いちいち納得がいった。

 ここには、いろんな例が書かれていたが、とくに「そのとおり」と思ったのが、ゴルフの石川遼のスポーツ紙報道だ。人気者だから大きく取りあげるのはいいが、やれ「4連続バーディ」「好調発進」などと見出しがついているが、順位はいつも下。なんだ、それなら誰が上位で、誰が首位かと見ると、順位表しか載っていない。つまり、スポーツ紙は、ゴルフというスポーツをまったく報道していないと、大橋巨泉氏は言っていた。
 石川遼のおかげで、誰が勝ったのかもわからない。そんな記事づくりが、報道といえるだろうか?

 また、イチロー選手の、日米通算最多安打に騒ぐ気がしれないと、巨泉氏は批判している。3086本という記録は、MLBはもちろん日本でも認められない数字だからだ。「日本記録は張本勲の3085本」だし、MLB記録はピート・ローズの4256本だからだ。

《今やMLBには、ベネズエラ、プエルトリコ、メキシコ、ドミニカ、キューバ、豪州、韓国、台湾など、多くの国から選手が集まっている。このうち中米諸国は地理的な関係で、昔から多くのメジャー・リーガーが居るが、誰も出生国との「通算」などと報道する国はない。早い話、セシル・フィールダーの本塁打記録は319本で、阪神時代の38本を含めた記録なんて、この世に存在しないのだ。》


読者がいちばん知りたいこと。それは、真実!


 というわけで、本題に入る。メディアの役割りとはなんだろうか?

 この原点を忘れてしまっているから、こんないい加減な報道が続いているとしか思えない。もちろん、大上段から、いい加減にしろよ!という気はないが、少しは、本質的なことを考えないと、日本のメデイアは、ますますダメになり、受け手の信頼を失うだろう。

 自分のことをふり返ると、若かったころは、自分の仕事の意義をかなり真剣に考えていた。私は、新聞記者、あるいは雑誌の編集者か記者になるのが夢だったから、たとえ女性週刊誌でも、編集者になった以上、自分がつくる記事の意義を考えながら、仕事をしていた。
 読者のため、人々のため、自分が必要なことをしていると信じられなければ、メディアの仕事に誇りは持てない。読者がいちばん知りたいこととはなにか。それは、真実に決まっている。

 だから、それなりにがんばった。裏を取り、真実はなにかと、いつも考えて行動した。しかし、年を取るにつけ、「ものわかり」を被取材者からも、社内のなにごともコトを荒立てない上役などから要求され、この仕事は、真実を追求するのが目的ではないと知ってしまった。

 30代半ばまで、私はアメリカのジャーナリズムに憧れた。ケネディ暗殺の闇を追いかけたり、ウオーターゲート事件のようなスクープを取ったりするアメリカの記者たちをうらやましいと思った。
 あの頃、1980年代は、まだアメリカのメディアは健全だった。


日本になかった「意見広告」のメッセージに感動


 また、当時のアメリカには、日本にはなかった意見広告というものがあった。そのなかで、評判になったのが、1979年から10年間『ウォール・ストリート・ジャーナル』に月に1度掲載された「グレー・マター」Gray Matterという広告だった。
 広告主は、ユナイテッド・テクノロジーズ。その広告には、製品に関することは1行たりとも書かれておらず、毎回、社会に対するメッセージだけが、短い言葉で書かれていた。このメッセージに、読者から何十万通という手紙が寄せられたため、この意見広告は本にもなった。

 私は、この本を買って読んだ。アメリカの「天声人語」だと思い、英語の勉強にもなると思って、通勤電車のなかで読んだ。
 いまでも覚えているが、たとえば、「君のアイディアをボクの名刺の裏に書ききれなかったら、君には明確なアイディアがないということだ」とか、「女性社員を“うちの女の子”my girlと呼ぶのをやめよう。彼女にはちゃんとした名前がある」などという、本当にわかりやすいメッセージが、印象に残っている。


メディアの使命は「コモングッド」(公共善)の追求


 そんななかで、「そうか、こういうことなんだ」と思ったのが、「愛国心」というタイトルの意見広告だった。私は、このメッセージを読んで、民主主義の根本がやっと理解でき、メディアの仕事というのが、そのためにあることを確信した。だから、ノートに書き留めた。
 以下が、その「愛国心」というメッセージだ。

 On Patriotism 愛国心

True 本当の
Patriotism 愛国心とは
is more 通りすぎる
than getting 国旗を見て
a lump in 思わず
your throat 胸が熱くなるという
when the flag それ以上の
passes by. なにかである。
It involves 愛国心には
Determination アメリカを
on your part 自由の国のままにあらしめる
to see あなたの
that America 決断が
remains free. 含まれる。
It involves 愛国心には
your willingness 国家の利益を
to put the なにより
best interest 自分自身の利益より
of the nation 優先させる
ahead of your あなたの意志も
own self-interest. 含まれる。
Single interests 個人の利益も
may be important. 大切であろう。
But the art しかし
of democracy 民主主義の根本は
is ability 全体の利益を
to recognize 認識できる
the common good. 能力にある。
The ability to give, 与える能力
not just ただ受け取る
to take. だけではなく
231 million 2億3100万人の
people can pull 人々は
our nation apart この国をばらばらにすることも
or pull it またそれを
together. ひとつにすることもできる
Which way did 今日あなたは
you pull today? そのどちらをしたのだろうか?

 このなかの

「民主主義の根本は全体の利益を認識できる能力にある」

(The art of democracy is ability to recognize the common good.)

 という一節が、私がぐぐっときたところだ。
 この「common good」は、「公共善」などと訳されているが、「みんなに共通する価値や利益、モノのこと」だ。けっして偏ってはいけない、共通のなにか。それを追求するのが、民主主義であり、メディアの役割である。

 この考えは、いまも変らない。