[NEWS]新著『なぜ日本人は世界での存在感を失っているのか』紹介 |
『なぜ日本人は世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書 864円) 中国と韓国による「反日キャンペーン」が世界中で激化し、日本の国際的地位は著しく貶められ、私たち日本人の世界での存在感が希薄になりつつあります。 国内ではアベノミクスが進展し,日本経済は復活するようなムードがありますが、一歩外に出ると、状況がまったく違っているのに愕然とします。 この危機的状況に際して、改めて、私たちの世界での立ち位置を確認してみたのが、本書です。一人当たりGDP、IMD国際競争力ランキング、世界の技術革新ランキングなど、経済の主要ランキングが示すのは、日本の限りない衰退です。この日本の衰退を食い止め、国際的なプレゼンスを上げ、日本復活のためになにをなすべきか? それを本書にもとに考えていただければ幸いです。
以下、本書の目次を掲載し、その後、「はじめに」全文を掲載します。(*担当編集の依田弘作さん、カバーに推薦を戴いた谷本真由美さん、どうもありがとうございました) ■これが、目次です
【はじめに】 日本はなぜ世界での存在感を低下させ続けているのか 第1章 このままでは中韓の"思う壷" 第2章 世界で存在感を失う日本 第3章 低下する一方のランキング 第4章 激変する国のかたち 第5章 老人国家と若者国家 第6章 本当にクールジャパンなのか? 第7章 歪められた愛国心と歴史教育 第8章 なぜ英語を話せるようにしなかったのか? 第9章 グローバル人材とMOOC革命 第10章 日本人の本当の国民性 第11章 国際都市としてのトーキョー 【おわりに】 日本のエアコンとウオッシュレットがアジアに奇跡を起こす 【巻末付録】 「誇れる日本」ランキング
■「はじめに」全文掲載
中国と韓国による「反日キャンペーン」が世界中で激化している。これにより、日本の国際的地位は著しく貶められ、私たち日本人の世界での存在感が希薄になりつつある。先人たちの努力により、これまで築かれてきた日本に対する尊敬の念は、このままいくと、大きく失われるかもしれない。 ただでさえ日本は、長引く経済の低迷によって、世界での存在感を失ってきた。そこにつけ込むように始まった中・韓の反日キャンペーン。 いったい、私たちはどうすればいいのだろうか? 本書は、そんな危機感のもとに、私たちの立ち位置を再確認しようというものだ。
国が衰退すると、ナショナリズムが台頭するという。最近の日本を見ていると、欧米の識者やメディアが指摘するように、右傾化が進んでいる。自分たち自身のことを冷静に分析・考察するのをやめ、無条件で「日本はすごい国」と言う人間が増えている。 しかし、それは私に言わせると、単なる思い込みにすぎない。「日本は恵まれた国に違いない」という思い込みが強すぎて、私たちは冷静に自分自身を見つめることができなくなっているのではないだろうか? こうしたナショナリズムは、不健全なナショナリズムであり、最終的に自分たちのためにならない。
日本のナショナリズムの台頭が国家の衰退から来ているとすれば、中・韓のそれは、まったく逆である。彼らは経済的に強くなり、ようやく自分たちの国に誇りを持てるところまで来た。その結果、「自分たちは外国に負けない」と、ナショナリズムを盛り上げているからだ。 しかし、これもまた不健全なナショナリズムである。 歴史的に見て、国家は盛衰を繰り返すものだ。それがわかっていれば、自分たちが力をつけたからといって、他国を誹謗・中傷してまで、力を誇示するのは成熟した国家がやることではない。
時計の針を20数年ほど前に戻せば、当時の日本は間違いなく世界有数の成功国家だった。世界第2位の経済力を誇り、「メイドインジャパン」の製品は世界市場を席巻していた。改革解放が始まったとはいえ、中国は3流国家で、見るべきものなどほとんどなかった。ソニーは世界の憧れのエクセレントカンパニーで、サムスンは2流の電気メーカーにすぎなかった。
では、いまの日本はどうだろう? いま、私たち日本人が世界に誇れることが、どれだけあるだろうか? 現在の日本は、世界最速で先進国から転落しようとしているようにしか見えない。国内にいると気がつかないが、一歩外に出れば、この明白な事実に気がついて愕然とする。
もう10年以上も前から、私には、一つの大きな疑問がある。大きな謎と言い換えてもいい。これが解ければ、どんなにすっきりするだろうか?というくらい、この疑問はいまだに答が見つけられない。 それは、「なぜ日本は自滅しようとしているのか?」ということだ。 バブルが崩壊して以来、じわじわと、そして確実に日本の国力は衰えており、21世紀に入ってからは、衰退は加速している。この衰退をなんとか止めて、日本が再び世界に誇れる国になることはできるのだろうか?
日本の衰退を意識したとき、思い出す言葉がある。それは、ポール•ゴーギャンが終生の大作とされる絵に付けたタイトルである。この絵は、1897から1898年にかけてタヒチで描いたもので、人が生まれてから老人になるまでの一生が右から左にかけて描かれている。 「私たちはどこから来たのか、私たちは何者なのか、私たちはどこに行くのか」 これは、誰もが一度はする自分自身に対する根源的な問いかけだ。この問いかけは、国家とそこに暮らす国民にも、そのまま適用できる。
現在の日本人は、この問いかけに対する答えを見失っているのではないだろうか? 自分たちが何者かわかれば、この先どうすればいいかも自ずと見えてくる。 ゴーギャンの絵は、現在、アメリカのボストン美術館に展示されている。ボストン美術館には、世界屈指の浮世絵コレクションがあり、私はそこでゴーギャンの絵とともに、 初めて葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を見た。私がボストン美術館に行ったのは20年ほど前。当時の日本は間違いなく、世界に誇れる国だった。 |