[203]集団的自衛権の問題を「日本の近・現代史」から考える:日本人は国家とはなにかがわかっていない! 印刷
2014年 6月 02日(月曜日) 20:54

集団的自衛権をめぐる論争が迷走している。「戦争ができる国にしていいのか」という幼児的な反対論も広がり、政府内部も、自民党と公明党の間でグレーゾーンをめぐって話がこじれている。いったいなぜ、こんなことになってしまうのか?

 この問題の本質を、歴史をさかのぼって考えてみた。

 まず、私の立場をはっきりさせておくと、これはじつに簡単で、集団的自衛権を行使できるようにすることには賛成だ。なぜなら、集団的自衛権は主権国家が持つ「固有の権利」だし、その権利を世界の中で日本だけが行使できないことなどあってはならないからだ。

 ところが、これまでの日本政府は集団的自衛権を「保有しているが行使できない」と解釈してきた。この解釈自体が間違っている。で、なぜこんな訳のわからない解釈になったのかというと、日本国憲法の呪縛があるからだ。

 すなわち、憲法第9条では、第1項で「戦争の放棄」、第2項前段で「戦力の不保持」、第2項後段で「交戦権の否認」を謳っている。要するに、日本はフォース(軍)を持っていないことになっているので、個別だろうが集団的だろうが、すべてがこじつけにしかならないのだ。日本国憲法は、ひと言で言えば「リーガル・フィクション」(法的偽装)である。

 

■賛成論者も反対するほかないというジレンマ

 

 つまり、私たちが本当にやるべきことは、憲法改正である。憲法の法的偽装をなくすことである。集団的自衛権を行使できるようにするためには、憲法自体を国民合意のもとに改正するほかに方法がないのだ。

 ところが、安倍内閣はこうしたまっとうな方法をとらず、解釈変更でやろうとしている。あまりに姑息である。姑息というか、国家と国民を舐めている。

 だから、まったく無意味な「戦争をできる国にしていいのか」という反対論が起こり、「グレーゾーンとはなんなのか」となって、その例を何通りも挙げるというような、ありえない事態になっているのだ。

 もし解釈だけで、なんでもできるなら、この国は立憲国家ではなくなってしまう。こちらのほうが危険で、国民主権がないがしろにされる。

 つまり、いまの状態では、絶対的平和主義者(「領土を取られようと侵略されようと私たちは抵抗しません」と言っているのと同じなのに、それに気がついていない愚かな人々)と同じく、賛成論者も反対するしかない。

 

■日本が独立国家だったのはたった42年間

 

 では、なぜこのようなジレンマに陥ってしまうのか?

 それは、憲法の呪縛以上に、日本国民のほとんどが、自国の近・現代史、現在、置かれた状態について、まったく誤解しているか、あるいは知らないからだ。私は、そう思っている。

 では、なにを誤解しているのか? あるいは知らないのか? その最大のポイントは、日本が独立国家ではないということである。

 私たちは、近代国家としての日本は明治に始まると思っている。明治政府ができて、日本が近代国家、もっと言えば近代的な独立国家となったと思っている。まず、この点が間違いだ。次に、日本が戦争で敗れて一時アメリカに占領された。しかし、1951年のサンフランシスコ平和条約によって、再び独立国家になったと思っている。この点も間違いである。

 日本はいまだに半独立国家であり、日本が独立国家であったのは、1902年〜1945年のたった42年間だけだからだ。

 これが、私の基本的な歴史認識である。これは、私だけの認識ではなく、外からこの国の歴史を見れば、そう見るのが自然なはずだ。違った例で言えば、韓国は歴史上独立国家であったことなど1度もない。いまだにそうだ。

 では、なんでこんな近・現代史になるのだろうか?

 

■学校で習った歴史は完全にズレている

 

 学校で日本の歴史を勉強すると、一般的に、日本の近・現代史は、明治•大正・昭和(戦前・戦後)・平成という時代区分で記憶される。しかし、この時代区分は、日本以外ではまったく意味をなさない。世界の一般の人たちが、日本の年号を知っていたなんてことは、私の経験上ない。

  また、以下に示す幕末からの主な出来事も、近代国家として日本の歴史を考えると、大きな抜け穴がある。

 ペリー来航(260年間続いた鎖国から開国へ)

 幕末の動乱(尊王攘夷から倒幕へ)

 明治維新(明治政府の成立、近代国家としてスタート)

 日清戦争(清国を破り台湾など初の海外領土獲得)

 日露戦争(ロシアを破り列強の仲間入り)

 満州事変(満州国建国、国際連盟脱退)

 日華事変(日中戦争の開始)

 太平洋戦争(三国同盟から対米英開戦へ)

 敗戦(原爆投下、無条件降伏)

 アメリカ占領時代(GHQによる戦後の民主改革)

 サンフランシスコ平和条約(日本再独立)

 

■不平等条約を持つ国が国家であるわけがない

 

 では、順を追って説明したい。

 日本が独立した近代国家になったのは、1902年の日英同盟の成立からである。明治維新は欧米列強、とくに英国による日本改造で、ここで初めて西洋式の政治体制の基盤がつくられただけである。なぜなら、当時、欧米列強は日本を、自分たちと同じような国とは考えていなかったからだ。

 東洋の端に位置するこの島国は、長い間、欧米列強にとっては取るに足らない存在だった。それが、19世紀の半ば、

中国へのゲートウエイとして、欧米列強にとって初めて重要な戦略拠点になった。それで、欧州がクリミア戦争にかまけている間に、米国からペリー提督が黒船を率いて来航した。

 ペリーは、門戸解放、通商の自由を求め、自由競争と自由経済、それを可能にする近代法などの概念を日本に押し付けてきた。その圧力に屈して、日本は開国し、通商条約を結んだ。

 ところが条約というのは、不平等条約だった。

 不平等条約というのは、簡単に言うと
2つの不平等から成っている。1つ目は、関税自主権がないということ。2つ目は、治外法権である。

 関税自主権がないということは、例えば日本が外国からモノを輸入すると、100円のモノならそのまま100円となり、税金をかけられない。ところが、日本が同じ100円でモノを輸出すると、向こうが100%の関税をかければ200円になってしまう。となると、誰もそんなモノは買わないから、日本は圧倒的に不利になる。どんな国も国家なら関税自主権を持っている。そうでないと、自国産業は壊滅してしまう。つまり、この時点で日本は国家扱いされていないのだ。

 現在のTPP交渉を見ればわかるように、関税自主権は国家基盤の根幹をなすものである。

 2つ目の治外法権は、外国人が日本で犯罪を犯しても日本の法律で裁けないということ。つまり、ここにおいても当時の日本は国家ではなく、世界の中の1つのリージョン(地域)に過ぎない。これがほぼ解消されるのが、1902年の日英同盟の締結である。

 

■明治維新は日本の近代国家の成立ではない

 

 近代において、国家(主権国家)とは、ほかの国に承認されなければ国家たりえない。では、国家として承認されるためには、どんな条件が必要だろうか?

 時代が下って1934年に発効した「国家の権利及び義務に関する条約(モンテビデオ条約)」では、第1条で「国家の要件」を以下のように定めている。

 (1)永久的な住民がいること(2)明確な領域を持つこと (3)領域を統治する政府があること(4)他国と関係を取り結ぶ能力があること

 このうちの(4)が、当時の日本には決定的に欠けていた。ただし、これは後からの定義だから、19世紀半ばの考えでは、次の2つが重要だ。まず国内を治めるための「国内統治権」と、そして他国から国家として認められ対等に扱ってもらう「対外主権」である。

  そこで、これに照らしてみると、不平等条約を解消できなかった時代の日本は、やはり国家ではない。なぜなら、治外法権により自国領土を自身の法で統治できないし、関税自主権がないので対外的に対等な条約も結べないからだ。

 よって、明治維新は日本の近代国家の成立ではない。

 

■「攘夷」から「倒幕」に変わった2つの事件

 

 関税自主権がないうえ治外法権を受け入れた開国は、丸腰で世界市場に放り出されることを意味した。だから、攘夷運動が起こった。

 そうして、日本人にとって重要な出来事が、明治新政府の成立までの間に起こっている。

 その1つは、リチャードソン・アクト(生麦事件)に怒った英国艦隊による薩摩藩への砲撃である。これを、日本の歴史教科書は「薩英戦争」と呼んでいるが、実際の戦闘はたった2日だけだった。ただ、結果的に英国艦隊は予想外の損害を受け、日本人の高い防衛意識と戦闘能力を知る結果になった。また、逆に日本側は、欧米列強は逆らうと力で押してきて、これを打ち破るのは不可能だということを悟った。

 続いてが、同じく「下関戦争」と呼ばれる英仏米欄の連合艦隊による長州藩への砲撃事件だ。このとき長州藩は、薩摩藩より手痛い打撃を被り、日本は欧米列強の手強さを思い知らされた。

 この2つの事件後、薩長両藩は方針転換し、欧米列強の支配を受け入れ、その保護の下に新国家の建設を目指すことになった。これを主に指導したのが、英国であるのは言うまでない。攘夷は倒幕に変わったのだ。

  

(左)薩英戦争:鹿児島湾に侵入した英国艦隊(右)下関戦争:連合艦隊兵士に占領された前田御茶屋台場(壇ノ浦台場)

 

■授業料を払って欧米の先生の指導を受ける

 

 このような歴史認識は、日本の歴史の教科書を読むより、例えばヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』を読めば明確に認識できる。日本は欧米を教師として、その生徒になることで、近代国家になる道を選んだのだ。

 ただし、近代国家になるためには、高い授業料を払わなければならなかった。明治新政府は、欧米列強に高額な報酬を払って「お雇い外国人」を招き、その指導の下で改革を行った。これは、欧米列強にとっては一石二鳥の旨い話だった。

 というのは、彼らの本来の目的は中国の権益を分ち合うことで、そのためのチェスの駒として日本を使えたからだ。

 したがって、日本の授業料は、血の代償も伴った。それが日清戦争である。これは、いわば近代国家になるための最初の卒業試験だった。しかし、この試験に見事に日本は合格した。もちろん、この時期、ロシアとグレートゲームを繰り広げていた英国のサポートがあったからだが、それでも見事な出来映えだった。

 

■世界は「ロジック・オブ・イベンツ」(事実の論理)で動く

 

 ここまで、日本がやれば、英国をはじめとする欧米列強も、忠実な生徒、つまり日本人という半植民地人に高校卒業程度の認定証を与えざるを得ない。

 こうして1899年、治外法権は解消された。そして、英国は1902年、日本との間に同盟を結び、日本を初めて国家として承認したのである。

 前記したように、国家は他国に国家として承認され、「対外主権」を持たない限り、国家ではない。したがって、ここを日本の独立としなければ、歴史認識を誤る。

 ただし、日英同盟は、日本をチェスの駒としてロシアにぶつけるという英国の意図を内包していた。つまり、日本はもう1度、今度は大学卒業試験に合格しなければならなかった。それが日露戦争であり、ここでも日本は優秀な成績で合格した。こうして、1911年、日本は関税自主権を獲得し、不平等条約はすべてが解消されたのである。

 ただし、この一連の過程で私たち日本人が学んだのは、欧米列強が、その主張の正当性とは違う行動様式を持っているということだった。彼らは、平和主義を唱え、通商の自由や自由競争、条約尊守を標榜するものの、実際はパワーゲームをして互いに争っているということである。

 つまり、これは現実が理想に優先するという「ロジック・オブ・イベンツ」(事実の論理)であり、これもまた一種の「リーガル・フィクション」である。

   

 日英同盟締結:Emperors of the two countries of the Anglo-Japanese Alliance shaking hands

 

■学んだことを実行してみたら戦争に負けた

 

 いずれにせよ、こうして独立国家となった日本は、その後、欧米列強から習ったことを忠実に実行し、自身も近代帝国主義国家としての歴史を歩む。とくに、1921年、アメリカの圧力で日英同盟が解消されてからの日本の行動は、かつて欧米列強の生徒であったときとは違う、教師がいない孤独な戦いだった。

 戦後史観では、満州事変、日華事変以後の日本の戦いは「侵略戦争」だったということになっているが、そんなことがあるわけがない。なぜなら、アジアには日本以外に国家などなかったからだ。

 あったのは、欧米列強の半植民地国家か植民地だけだ。

 しかし、ここを獲りにいったため、日本は欧米列強から手痛い反撃にあった。そして、列強の中の独伊と同盟したことが裏目に出て、太平洋戦争でアメリカの懲罰を受けた。

 そして、1945年の敗戦によって、再び国家ではなくなったのだ。アメリカの占領政策は、日本が2度と国家して機能できなくすることであり、そのため、憲法に「戦力の不保持」が盛り込まれた。

 それなのに、私たちは現在、日本を国家だと勘違いしている。敗戦から6年後、サンフランシスコ平和条約によって再独立したと教科書に書かれているから、そうだと思っている。しかし、それならば、なぜ、戦力を持たない国が集団的自衛権を行使できるのか?

 じつは、サンフランシスコ平和条約も、日本の再独立を認めたものではない。

 

■歴史教育の間違いで国家観を喪失

 

 このように私たちが歩んできた歴史は、近代国家になるための苦悩の歴史である。このことを認識しない限り、未来は開けない。そこで、ここでもう1度、サンフランシスコ平和条約までの道のりをまとめてみると、次のようになる。ともかく、日本の近・現代史の歴史区分が、明治、大正,昭和、平成などとされているのは、どう考えてもありえない。

 日本の近・現代史の歴史区分は、私が考えるに、次のとおりである。

 

 1、近代国家成立以前(江戸幕府の統治が揺らぐ1953年のペリー来航まで)

 2、欧米列強の半植民地時代(ペリー来航から1902年の日英同盟成立まで)

 3、近代国家として独立、帝国主義時代(1902年から1945年の第二次世界大戦敗戦まで)

 4、米国占領時代(1945年から1951年のサンフランシスコ平和条約まで)

 5、米国従属国家時代(1951年から現代まで)

 

 敗戦:(左)降伏文書調印式 (右)Japan's copy of the Instrument of Surrender, September 2, 1945

 

■サンフランシスコ平和条約で独立はウソ

 

 前述したように近代国家が国家たりえるのは、「国内統治権」と「対外主権」の2つが絶対必要である。これが、いわゆる主権=「ソブランティsovereignty」というものだ。

 日本は、第二次大戦で連合国に無条件降伏したのだから、この2つとも失った。この消滅のうえに成り立ったのが、日本国憲法である。では、サンフランシスコ平和条約で、この2つを回復できたのだろうか?

 その答は、どう考えてもノーである。サンフランシスコ平和条約では、「国内統治権」は認めている。もちろん、その主権は日本国憲法が規定するように、国民にあるのであって、国家機関にはないという近代民主主義の理念に基づいている。

 ただし、条約の第2条以降は、どう読んでも、「対外主権」を強く制限している。解釈論になるかもしれないが、ここに示されている概念は、主権ではなく「自治権」である。アメリカ流に言えば、連邦政府に対して州が持つ「自治権」である。

 日本は国というより、アメリカの一州、あるいは自治領のように扱われている。まさかと思うなら、サンフランシスコ平和条約の英文をよく読んでほしい。

 つまり、日本の教科書の記述「再独立」は間違いである。サンフランシスコ平和条約は、明治期の日本が苦しんだのと同じような「不平等条約」なのである。日本は独立などしていない。いまだにアメリカの従属国であり、国家ではないのである。

 

■日本はアメリカ以外の国と同盟できない

 

 このサンフランシスコ平和条約の規定は、日米安保条約とリンクしている。日米安全保障条約が片務条約であることは広く知られているが、この片務的状況とサンフランシスコ平和条約は整合している。同じく、日本国憲法も整合性を持っている。

 ところが、日本人は日米安保を、「アメリカが日本を守ってくれるための条約」と解釈して、平和ボケに陥ってしまった。とくに左翼は口では反米を唱えながら、この状況に安住して、これまで寝言ばかり言ってきた。また、右翼も威勢はいいが、この根本問題に言及せず、偏狭なナショナリズムばかり煽ってきた。

 サンフランシスコ平和条約も日米安保も、そして日本国憲法も、リーガル・フィクションである。とくに、日米安保は不平等条約の典型だ。

 このように見てくれば、現在までの日本は、アメリカの従属国である。その証拠に、日本はアメリカ以外の国との同盟はできないことになっている。また、日米地位協定では、米軍基地については日本は国家主権を行使できないことになっている。治外法権が生きている。

 それなのに、「憲法改正絶対反対」「アメリカは出て行け。基地を撤去しろ」と言う人たちがいる。本当にそうしたいなら、まず憲法改正を主張しなければ筋が通らないのに、この人たちはその矛盾に気づかないか、気づかないふりをしている。

  

(左)サンフランシスコ平和条約調印(Treaty of Peace with Japan, J. R. Eyerman - Time Life Pictures - Getty Images)(右)平和条約調印記念の切手

 

■核を持たないと独立国家とは言えない

 

 さて、現在の世界において、独立国家(主権を維持できる国家)の条件として、前記した2点以外にもう1つある。それは、核を保有するということだ。

 核兵器ができて戦争の概念が変わった。それまでは、先手必勝という考え方が成立したが、核による「相互確証破壊」が前提になると、互いに先制攻撃しないことが合理的な選択になったからだ。

 とすれば、安全保障は、核がないと成立せず、また、核を持たないと「対外主権」も持ち得ない。つまり、他国と対等な同盟関係は築けない。

 ところが、核を保有していたとしても、やはり最強国の傘下に入らなければ、究極には安全保障は成り立たない。例えば、イギリスやフランスは核を保有しているが、NATO(北大西洋条約機構)に加盟している。 

 NATOは欧州諸国の同盟というより、むしろ世界覇権国家アメリカに、欧州が助けてもらうための機構だ。そのため、NATO加盟国が持つ核兵器の最終使用決定権は、基本的にアメリカ軍に委ねられている。

 日本は非核国だが、日米安保によってアメリカの傘の下に入っていることで、かろうじて安全保障が保たれている。しかし、この状態は、独立国家でないのは言うまでもない。

   

■明らかに中国を標的とした解釈変更

 

 というわけで、集団的自衛権の話に戻るが、憲法解釈を変えて、これを行使できるようにするという自民党の考え方は、日本という国家を舐めた行為、つまり、日本国民を舐め切った行為である。

 もっと言えば、日本の安全保障を真剣に考えた行為とは思えないし、墓穴を掘る可能性がある。

 というのは、今回の解釈論が成立するなら、戦争放棄の憲法を持ちながら、それを無視することになるからだ。つまり、日本は法を守らない信用できない国となる。中国は、そうした点を必ず突いてくる。

 解釈変更が決まれば、「軍国主義の復活」と大キャンペーンを張るだろう。

 集団的自衛権論議は、グレーゾーンを持ち出しているので、明らかに中国をターゲットにしている。ならば、本当に中国と事を構えたときを想定するなら、堂々と憲法を改正すべきだろう。

 そうして、アメリカと片務的でない「日米同盟」を結び直すのが、私たちのやるべきことだろう。

 

■オバマ大統領の「尖閣発言」は不十分

 

 ともかく、日本が半独立国家である、アメリカの従属国であるという前提で、集団的自衛権の議論を進めなければ、本質的にはなにも解決しない。現行憲法を改正しないままでは、日本のリーガル・フィクションはますます深まる。

 そう思うと、先の日米会談で、オバマ大統領が「尖閣諸島を含む日本の施政下にあるすべての地域に日米安全保障条約第5条が適用される」と言ったことは、日本の安全保障に関して、まったく役立っていない。

 これを「満額回答」なんて言った方々がいたが、正気だろうか? 本来なら、「尖閣が日本の領土であることをアメリカは認める」と言ってもらわなければならない。つまり、尖閣で紛争が発生したら、アメリカは日米同盟にのっとって軍事行動を起こすという確約だ。

 

■中国はなぜ「力の論理」しか信じないのか?

 

 中国は、近・現代史において、1度も戦争に勝ったことがないのに、独立国家になったという不思議な国である。

だから、彼らはいまも国際法や国際条約はリーガル・フィクションであり、力こそが正義だと信じ込んでいる。彼らにとって大事なのは、帝国主義時代の国家の行動様式である「ロジック・オブ・イベンツ」(事実の論理)だけだ。

 中国人は「孫氏の兵法」に捉われ過ぎではないかと思う。孫子の時代には核兵器はなく、「相互確証破壊」などいう戦争概念はなかった。

 これがある限り、現代においては、国際法や国際条約のほうが重要だ。もう、リーガル・フィクションが許される時代ではない。しかし、中国はこの事実を無視している。

 

■いまが日本が独立国家になる最後のチャンス

 

 憲法を改正し、日米同盟を結び直す。そうして、アメリカと同盟を結んでいる国々とも同盟を結んでこそ、初めて日本の安全は保たれる。いまのまま憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使できるようにしても、アメリカ以外のどんな国とも同盟関係は構築できない。

 また、アメリカが果たして日米安保で日本を本当に守るかについても、疑問がある。かつてヘンリー・キッシンジャー国務長官は、「同盟国に対する核の傘を保証するため自殺行為をするわけはない」と語っている。この発言は、現代にも通じる。つまり、もし中国が日本に核ミサイルを撃ち込んでも、 アメリカが中国に対して核攻撃をかけるはずがないということだ。

 集団的自衛権は、アメリカが日本に要求していると消息筋は伝えている。ならば、憲法改正まで踏み込んだ話し合いをするのが、日本の取るべき選択肢ではないのか。

 ここのところ、中国は力を過信しすぎて、戦略的に誤ったことばかり繰り返している。この国は、じきに日本と同じように人口減と高齢化から、国力が衰えるのは間違いない。 

 だとすれば、衰退を続ける日本にとって、いまが独立国家になる最後のチャンスではなかろうか?