[027] ハナレイ・ムーン、この世の天国への道 印刷

2009年6月14日

 今回は、これまでのこのブログと全然違ったことを書く。
 いま、正直言って、私はすごく悩んでいる。なんで、こんなに先の見えない時代に生きているのか、どうしても納得がいかない。日夜、今後どうなるのかと思うと、夜もぐっすり眠れない。
 そんななか、ハワイアンの『ハナレイ・ムーン』を聞いた。すると、気分がすごく楽になって、悩んでいることが急にバカバカしく思えるようになった。
 で、今回は、その『ハナレイ・ムーン』について書くことにした。


 昨年の11月から、家内がハワイアンダンス、つまり「フラ」の教室に通い始めた。『ハナレイ・ムーン』は、最近、家内が習い始めた「フラ」の名曲である。
 甘い調べ、シンプルな歌詞。聞けば聞くほど、うっとりする。頭の中に、ハワイの光景が広がり、すべてを忘れさせてくれる。
 おそらく、以前にも聞いたことがあるはずだが、そのときといまとは心の状態が違っていた。だから、今回はすんなりと心に入ってきたのだと思う。

 ハナレイは、もちろん地名だ。ハワイ諸島のひとつ、カウアイ島の北部にある美しいビーチが、ハナレイ・ビーチである。
 最初、タイトルを聞いたときは、オアフ島のハナウマと勘違いした。家内が「ハナウマでなくハナレイよ」というので調べたら、なんとカウアイ島だったので、驚いた。

 カウアイには以前1度だけ行ったことがある。娘が11年生のとき、ハワイの新聞に格安のアイランド・クルーズの広告が載っていたので、思わず申し込んだ。
 申し込んだのは夏。娘が行っていたサマーセッションが終わった頃のこと。娘と家内は、毎年、夏の2カ月間をハワイで暮らしていて、娘のサマーセッションが終わる頃に、私は休暇を取ってハワイに行くのが習慣になっていた。
 が、その年は娘がもう11年生だったこともあり、これで、家族でハワイに来るのは最後になるかもしれないと思っていた。そんなおりに、たまたま、その新聞広告を見つけたのだった。

 ところが、クルーズは12月だった。だから、格安なのだ。なんだ、そうかと思ったが、私は迷わずすぐに申し込んでしまった。そして、帰国してからお金を貯め、その年のクリスマス前に休暇を取ってハワイに行った。
 ホノルルのアロハタワー脇のポートから、家族で大型のクルーズ・シップに乗り込み、その冬、はじめてオアフ島以外のハワイの島々を旅した。

 カウアイは1泊だけだった。だから、ビーチリゾートのポイプやオールド・プランテーョンタウンのコロアなどの南部の観光スポットを巡り、さらに東に進んで、ワイメア・キャニオンまでは行った。
 しかし、北部のプリンスヴィル・エリアには行かなかった。天国のビーチと言われるハナレイ湾は、このカウアイ島の北部プリンスヴィル・エリアにある。

 これは、今回、調べて初めて知った。
 また、ハナレイ湾がミュージカル映画『南太平洋』で伝説の楽園・バリハイとして描かれたことも、あのエルビス・プレスリー主演の映画『ブルーハワイ』のロケ地だったことも、私は今回初めて知った。

   

  ハナレイビーチ(http://jp.kauaidiscovery.com/area/princeville.htmより)

 ハワイはたしかに楽園だ。成田発の夕刻便に乗ると、朝、ホノルル空港に着く。空港の税関を抜け、外に出た瞬間、いつも思うのは「やっと戻ってきた」ということ。そして、思い切り南国の空気を吸い込むと、体の中に、東京ではけっして味わえない感覚が広がっていく。
 この感覚は、ハワイにいる限り続く。

 私は、これまでハワイに最長3週間しかいたことがない。だから、長期滞在している人に言わせると、「本当に不幸だね」ということになる。
 というのは、1週間ではまだ東京が気になり、残してきた仕事のことを考える。2週間になると少しは考えなくなるが、まだ気になる。ただし、3週間を過ぎると、もうどうでもよくなる。
 このどうでもよくなってからのハワイが、本当のハワイ、本当の天国だというのだ。
 金融危機でウォール街が崩壊するまで、NYの金融マンたちは猛烈に働いていた。東京でも、外資金融のサラリーマンを筆頭に、日本人サラリーマンはみな猛烈に働いていた。
 だから、NYでは、有名なジョークが生まれた。

 ある日、NYの金融エリートがコンベンションでカリブの島にやってきた。コンベンションの合間に、ビーチに出て一息ついていると、原住民の男がやってきて、こう聞いた。
「あなたの夢はなんですか?」
 そこで、彼はこう答えた。
「実績をあげて早くマネージングディレクターになることさ」
「なぜ?」
「なぜって、そうなるとボーナスもたくさんもらえるし、お金持ちになれるからね」
「なら、そのお金でなにをしたいの?」
「そうだね。ここに別荘を建てて、ビーチでゆっくりしたいね」
 これを聞いて、原住民の男は、驚いてこう言った。
「それなら、私は生まれたときからずっとしているけど……」
 
 大不況になったうえ、活字メディアの崩壊という時を迎え、いままで自分はなんのために仕事をしてきたのだろうか?と、日々考える。先日、旅行誌の『TRNSIT』で、本当にサラリーマンをやめ、太平洋の孤島でたった一人で暮らしている男の記事を読んだ。
 
 『ハナレイ・ムーン』の歌詞は、次のとおり。
 
   Hanalei Moon

When you see Hanalei by moonlight
You will be in Heaven by the sea

Every breeze, every wave will whisper
You are mine don’t ever go away

Hui:
Hanalei, Hanalei moon
Is lighting beloved Kaua`i

Hanalei, Hanalei moon
Aloha nô wau iâ `oe

(訳)
ハナレイの美しい月を見れば 
海辺の天国にいると思うでしょう

そよ風や波のささやきは 貴方は私のもの、
永遠にどこへも行かないで…

ハナレイ、ハナレイ・ムーン 
美しいカウアイ島で光り輝いている

ハナレイ、ハナレイ・ムーン
すごく愛しているの

 この訳はネットから拾ったが、誤訳である。何種類か訳があるようで、いくつか見たが、誤訳が多いのには驚いた。まず、「When you see Hanalei by moonlight」を、「ハナレイの美しい月を見れば」としているところから違う。というのは、見ているのは月でなく、月の光の下のハナレイ湾だからだ。 

 そこで、自分なりに、以下のように訳してみた。

  ハナレイ・ムーン

月明かりの下のハナレイを見るとき 
あなたは海辺の天国にいる

そよぐ風、寄せる波のすべてがささやく
貴方は私のものよと、
だから永遠にどこへも行かないで…

ハナレイ、ハナレイ・ムーン 
いま月の光に輝く 最愛のカウアイよ

ハナレイ、ハナレイ・ムーン
私は貴方を愛している

 高校生の頃まで、詩人になりたいと思っていた。父親は作家だったが、人生経験がない若い自分にはストリーなど書けないと思った。それで、詩なら書けるだろうと、作詞帳をつくり、毎日、詩を書いていた。
 当時の私が憧れたのは、24歳で逝った天才詩人、立原道造だった。彼の「のちのおもいに」は、いまでも暗唱できる。
 そのなかの一節、「——そして私は 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……」に磁石のように惹かれた。
 こんなふうにして、一生、見たものを語り続けられたら、どんなに幸せだろうと思った。

 『ハナレイ・ムーン』を聞いて、なぜか、立原道造の詩をいくつか思い出した。とくに、「のちのおもいに」のこの一節が、ハナレイ・ビーチのように思えてきた。
 いつか、ハナレイ・ビーチに行きたい。そして、そこに最低3週間は滞在し、毎夜、月明かりの下でビーチを歩いてみたい。すでに、青春ははるかに過ぎたが、まだ私の中に、過ぎし日に確かに持っていた「ポエジー」があるかどうかを確認したい。



    のちのおもひに
            立原道造

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
——そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう