[029]「破産」と「敗戦」でPBシリーズを終了 印刷

2009年8月16日

 この8月刊行の2冊をもって、2002年の創刊以来続けてきたペーパーバックス・シリーズを終了した。これは、6月の終わりに決定されたことで、この決定が成されてから、私は最後の本をなににするかで悩んだ。
 その時点で10本近くの企画と、数本のラフ原稿を持っていたから、かなり厳しい選択を迫られた。

 数日、悩んだ後、私が出した結論は、「やはりいまこの時期にもっともふさわしいものを出そう」ということだった。引き継げる企画は他部署に引き継ぎ、断るものは断って、残った2つは、『大阪破産 第2章 貧困都市への転落』(吉富有治・著)と『日本「半導体」敗戦』(湯之上隆・著)だった。


大阪破産は大阪だけの問題ではなく日本全体の問題


 『大阪破産 第2章 貧困都市への転落』は、2005年10月に出した『大阪破産』の続編である。 当時の大阪は府も市も財政は破綻状態にあり、このままいけば日本でも有数の大都市圏が崩壊してしまうのは時間の問題と思われていた。
 そこで、在阪ジャーナリストの吉富氏に、大阪の腐敗と放漫財政を告発してもらい、それをもって将来への警告とする本を書いてもらった。

 あれから4年、では大阪はどう変ったのだろうか? 破綻は回避されたのだろうか? かつては日本一の商都とされ、活気に満ち溢れた大阪に、その活気は戻ってきたのであろうか? という視点から書かれたのが、今回の「第2章」である。

 結論から言えば、大阪市長は、関淳一氏から平松邦夫氏に、大阪府知事は太田房江氏から橋下徹氏に代わり、大阪は日々改革されてきた。とくに、橋下知事にいたっては、「大阪府は破産会社と同じ」と断じて、これまでに大幅なコストカットを行ってきた。
 しかし、それは本来の改革ではない。したがって、大阪が抱える本質的な問題は、なんら解決されていないのだ。
 大阪の改革をたとえるなら、このままでは死んでしまう病人の出血を止めただけである。いまだ根本治療は成されていない。『大阪破産 第2章 貧困都市への転落』は、このことをこと細かに描いている。

 つまり、大阪は、いまの日本そのものの象徴である。財政赤字と世界不況でニッチもサッチもいかなくなり、日々貧しくなっていくこの国の縮図が大阪なのである。
 北海道・夕張市が2007年3月6日に「財政再建団体」に指定され、事実上財政破綻して以来、大阪は「第二の夕張になる」とずっと囁かれてきた。夕張市もまた、日本そのものの象徴であるのは言うまでもないと思う。
 だから、私は、この本を、PBの最後を飾る2冊のうちの1冊に選んで編集した。

 


“過剰技術・過剰品質”という病気に冒された半導体産業


 では、『日本「半導体」敗戦』を、なぜ、最後のもう1冊に選んだのだろうか?

 2009年6月30日、DRAM生産メーカーとして最後に残ったエルピーダメモリは、産業再生法の第1号認定を受け、公的資金300億円が注入されることが決まった。1980年代半ば、半導体は「産業のコメ」と言われ、日本の半導体産業は世界市場で5割以上のシェアを誇って、自動車産業と並ぶ日本の基幹産業だった。それが、20年ほどで、ほぼ壊滅してしまった。
 いったい、なぜこんなことになったのか?
 『日本「半導体」敗戦』は、その原因を徹底的に追求した本である。

 筆者の湯之上隆氏は、日本の半導体産業のピーク時に日立製作所に入り、以後、16年間、現場で技術開発を担当してきた。そして、半導体不況(日本だけ)でリストラされ、その後、社会学者に転じて、このテーマを仕上げた。
 湯之上氏の結論は、「日本半導体産業は深刻な病気に冒されている」「それは“過剰技術・過剰品質”という病気だ」というものだ。すなわち、最高の技術で最高の製品を作っても、それを買う買い手がいなければ産業は成り立たない。それで、日本の半導体は国際競争力を次々と失って、ついに、自力では生き残れないところまで追いつめられてしまった。


「技術立国」論「ものづくり国家」論のマヤカシ


 私は、数年前から、喧伝されてきた「技術立国」論「ものづくり国家」論に懐疑的だった。大手メディアと一部識者は、「日本には世界をリードする技術がある。日本はこの技術で“ものづくり国家”としてやっていける」と、大見栄を切り、実際、そのような本が数多く出されてきた。
 しかし、その技術でできた製品を誰も買ってくれなければ、“技術立国”も“ものづくり国家”も、絵に描いた餅にすぎないのではなかろうか?

 事実、いまや日本の高品質、高技術製品(おまけに高価格)を買ってくれる国はほとんどない。グローバル化が進み、新興市場が発展したが、中国人やインド人、ロシア人、ブラジル人などが求めているのは、そんな製品ではない。彼らは、たとえばヒュンダイなどが提供する安価な自動車、ノキアの使いやすいケイタイ、サムスンの安価なテレビを求めている。
 そこに、高品質、高技術、高価格は必要ない。

 たとえば、インドでは、タタモーターズが2000ドル(20万円)代のクルマを発売し、今年末には、なんと20ドル代のネットブックが発売されることになっている。つまり、いまの世界市場で求められているのは、売れる技術、売れる品質であって、高品質、高技術ではない。これに気がつかず、いや、無視した結果、日本の産業は「ガラパゴス現象」に陥り、日本でしか求められない製品を開発し続けて凋落したのである。

 半導体は最終製品ではないが、これもまた、ガラパゴス現象の1つだろう。台湾や韓国で1ドルでできるDRAMが日本でつくると3ドルになるのでは、いくら高品質、高技術でも、そんなデバイスは誰も買わない。
 つまり、半導体産業の凋落は半導体産業だけの問題に限らず、日本の産業すべてに言えることなのだ。日本の産業が、これまでやってきたのは、マーケット無視の技術競争、品質競争だった。

 「いいものをつくれば必ず売れる」というのは、ウソである。本当の技術力というのは、マーケットに受け入れられるものをつくる力のことだ。高度なもの、高品質なものをつくる力ではない。

 

「破産」と「敗戦」でシリーズを終える意味


  『大阪破産 第2章 貧困都市への転落』にしても『日本「半導体」敗戦』にしても、著者の吉富有治、湯之上隆と何度も打ち合わせして、こうした問題点を読者に警鐘する必要性を確認し合った。
ペーパーバックスのシリーズは、よく「悲観論に陥りすぎている」という指摘を受けたが、ジャーナリズムというものは、本来、楽観論を扱うものではない。その意味で、最後にこうした本を出せたことは意義があったと、私は思っている。

 余談だが、この2冊を編集しながら、私は、大阪と半導体業界を出版業界と重ねて考えることが多かった。現在の出版界の衰退は、前の記事にも書いたように加速化する一方だ。その原因を探っていくと、大阪や半導体業界と共通することが、山のようにあるからだ。

 「最後の2冊のタイトルを、1つは『破産』、もう1つを『敗戦』としたのは、なにか意味でもあるんですか?」
 と聞いてきた人がいる。その答えは、もちろん、イエスだ。「破産」と「敗戦」でシリーズを終えられて、私としては本当に幸せだと思っている。