[230]シャープ、一時凌ぎ再建案に見る「撤退戦」の難しさ 印刷
2015年 5月 15日(金曜日) 23:14

『シャープ液晶敗戦の教訓』(中田行彦・著、実務教育出版)をプロデュースしたこともあり、シャープの動向を常に気にしてきた。しかし、514日に発表された「再建案」には本当にがっかりした。おそらく、これでシャープの再建は不可能となり、いずれ解体もあるのではないかと思った。 

 会見で高橋興三社長も言っていたが、「液晶がなくなったらシャープではない」が、再建の最大テーマだ。なにしろ、シャープの売り上げの6割は液晶であり、シャープにはまだ「IGZO」という独創技術が残っているのだから、これをどうするかがポイントだ。しかし、それが会見ではまったく見えてこなかった。

 

 今回の再建策(中期経営計画)は、負債を負った企業としては当たり前とも言える「国内で約3500人のリストラ(世界全体で5000人)」「大阪本社の売却」「現在1218億円ある資本金を5億円に減資しての累積損失を一掃する」「主力取引行のみずほ銀行と三菱東京UFJ銀行から2000億円、投資ファンドから250億円の出資をそれぞれ優先株発行で引き受ける」などから成っている。

 しかし、これらは財政基盤の手当てであり、肝心の事業のほうは「液晶や家電など5つの主要事業を社内で分社化。カンパニー制を採用して収益改善を目指す」だけだった。

 これでは、再建の道筋すら見えてこない。

 

 シャープには、返済期限が1年以内の短期借入金が8400億円も残っている。さらに、銀行団による協調融資3600億円の返済期限も20163月に迫っている。

 つまり、今回の措置は、単なる一時凌ぎにすぎない。この一時凌ぎの間に、主力事業で収益回復が不可欠となる。しかし、それが5カンパニー制にしただけで達成できるのだろうか?

 一部では、テレビの栃木・矢板工場、電子部品の広島・三原工場、福山工場の閉鎖、また薄膜太陽電池の生産停止など、不採算事業からの撤退・縮小策が伝えられていた。しかし、これを高橋社長は否定した。どの事業も維持すると言った。

 

 『シャープ液晶敗戦の教訓』の著者・中田行彦氏(立命館アジア太平洋大学院教授)は、シャープの元技術者で「技術経営」の研究者である。その「技術経営」の視点から言えば、シャープが再建するためには、液晶事業を台湾のホンハイと合体させる道がベストと思える。中田氏も、常々そう言ってきた。 

 しかし、シャープはプライドが高すぎて、ホンハイからの出資を断ってきた。今回の再建策でもホンハイの名前が挙がってはいたが、それだけだったようだ。シャープは、ホンハイよりも日本の官民ファンドの産業革新機構からカネを引き出そうとしてきた。しかし、過半数の株式を持ったままでは、官産業革新機構でさえうんとは言わなかったようだ。

 結局、これでは銀行団も支援に応じたとはいえ、やがて見放す可能性が高い。というよりも、すでにシャープの復活を見込んでいないから、こんな再建策を発表させたのではないだろうか。つまり、5カンパニーを今後次々に売り払ってしまうのでは思う。

 これは、サンヨーがたどった道だ。サンヨーは消滅した。いずれ、シャープもそうなるだろう。

 

 それにしても、「撤退」ほど、難しいことはない。日本人はこれが大の苦手だ。あの戦争においても、的確に撤退できた戦いはない。撤退を恥として転進などと言い換え、ずるずると決断できなかったため多くの兵士が命を落とした。

 「退く戦いは攻める戦いより難しい」という意味のことを、あの「孫子」も言っている。撤退は捲土重来を期して行うのだから、そのタイミングと潔さがなにより大事だ。捨てるものは、きれいさっぱり捨て去れなければ、復活はない。

「兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきをみざるなり」と孫子は言っている。これは、これは長期戦を戒めるもので、孫子の理想は短期戦だ。撤退戦も同じで「拙速」でなければならない。

 残念ながら、シャープの再建案にはこの先のイメージが見えない。見えないものはないのと同じだ。パナソニック、ソニーに続いて、日本の独創的な家電メーカーだったシャープは、「家電づくり」という表舞台から姿を消すことになるのだろうか。