[231]ギリシャ危機、上海株暴落、安保法制、そして突然の猛暑 印刷
2015年 7月 14日(火曜日) 22:38

しばらくブログを書いていないうちに2カ月が過ぎ、この2日間、気温30度を超える真夏日がやってきた。空には雲一つなく、朝からの日差しは、まるで熱帯にいるように肌を刺す。

 

 5月末から病院通いが続いている。水腎症と診断され、腎臓と膀胱をつなぐ尿管にステントを入れる手術を受けた。クレアチニンの数値が3.0を超えていたからだ。「このままでは腎不全になってしないます」と言われた。水腎症の原因は、腎臓の下にあるモヤモヤ(CT検査で写っていた)で、これが尿管を圧迫していた。

「悪性リンパ腫の可能性があります」とのこと。リンパのガンだ。

 

 ただし、クレアチニンの数値が高いので、造影剤を入れたCT検査、生検ができず、数値が下がるまで確定診断を待つことになった。そのため、下腹部エコーや血液検査に通った。ステントを入れたため、それまで続いていた吐き気や気持ち悪さは治り、日常生活は以前より快適になった。


 そこで、7月になって1週間、家内とグアムに行った。もう何十年も、1年のうちの何週間かをハワイなどの南の島で過ごしてきたから、南に行かないと気分がすぐれない。グアムのホテルのプールサイドにPCを持って行って原稿を書いていた。7月5日、グアムは台風9号(台風チャンホン)が直撃し、暴風雨に見舞われた。この台風はその後、沖縄の東を通過し、いま、東シナ海から韓半島を横切ろうとしている。

 そのため、日本は梅雨が消えて、今日のような猛暑に見舞われている。

 

 この間、ギリシャの債務不履行・EU離脱問題、上海株の暴落などで、相場は大荒れになった。日経平均は一時的に2万円を割った。また、国会では不毛な安保法制をめぐる議論が続いてきた。

 しかし、長い目で見れば、どれもこれもメディアが大騒ぎするようなことではない。たとえば、安保法案はなにがあろうと国会を通過し、暮れになれば、みんな忘れているだろう。憲法改正という大問題が永遠に解決できないのだから、解釈論でいくしかない。

 そうでなければ、アメリカの属国としての日本の安全保障は保てない。反対している野党や左の人々は、自分たちが現実的には茶番を演じていることを自覚していない。

 

 上海株の暴落を見ても、中国経済は完全に失速し、中国自体が衰退期に入ったことは間違いない。日本から20年遅れて、とうとう中国も衰退していく。しかし、だからこそ安全保障上、中国の脅威が増しているので、安保法案で議論になっているホルムズ海峡などはピント外れもはなはだしい。

 

 上海株の暴落を北京がなりふりかまずに止めたことで「こんなのは市場経済ではない。信頼できない」と、日本のメディアは批判した。しかし、自国の株式市場も完全な官製相場なのだから、他国のことは言えない。また、ギリシャに対しても「借金を払わない。緊縮をしないとは虫がよすぎる」と批判しても、自分たちの財政のほうがギリシャ以上に借金まみれなのだから、こちらも他国のことは言えない。まだギリシャは、外から強制的されたとはいえ財政再建を行ってきた。しかし、日本はプライマリーバンラスの達成さえ先送りして、「経済成長すれば解決する」という絵空事で政治が行われている。

 

 アベノミクスは始まってから3年になろうとしている。しかし、なんの成果も上がっていない。メディアは上がっているような数値を並べ立てるが、悪い数値は無視し続け、さらにいいとこ取りをしているだけだから、国民は錯覚する。

 

 というわけで、最近はどんなニュースもバカバカしくなり、ただぼんやり眺めているだけになった。安保法制をめぐる議論など、いくら聞いても意味がない。「国民の理解が得られない」などと言っているが、こんな現実離れした議論を理解できる人間などいるわけがない。

 

 今後、世界や日本でなにが起こるかはわからない。たとえば今年の暮れに、株価や円ドルレートがどうなっているかはわからない。しかし、5年後、10年後の未来は確実にわかる。

 日本の生産年齢人口は1995年の8726万人をピークに減少に転じ、その後も毎年減っている。総人口も2008年からは減少に転じている。いまや日本の総人口は毎年20〜30万人減り続け、生産年齢人口は毎年100万人以上減り続けている。これが5年、10年続けば、経済の規模は確実に縮小してGDPも減る。経済成長率もじりじりと低下していく。

 

 もう一つはっきりしているのは、日本国の借金が増えることはあっても減ることがないことだ。国と地方の債務の合計は、現在、1200兆円に迫ろうとしている。

 人口減による経済衰退とGDP比で3倍になろうとしている債務残高によって、私たちの選択は年を追うごとに狭められていく。これが、確実な未来だ。

 しかし、人間はみな近視眼的に生きているので、未来がどうなろうと現在の快楽と利益を追求する。2020年のオリンピックはゴールではない。通過点だ。それまでなんとか持ちこたえれば、あとは知ったことではないのだろう。誰が聞いても呆然自失、常軌を逸した新国立競技場が建設されようとしている。