[234]紀伊国屋書店の「村上春樹本買い切り」は、アマゾンへの対抗策ではなく、取次を中抜きする既存流通の破壊 印刷
2015年 8月 29日(土曜日) 04:47

紀伊国屋書店が先日、「村上春樹氏の著書の初版10万冊の9割を出版社(スイッチ・パブリッシング)から直接買い取り、自社で販売するほか、他の書店にも限定して供給する」とした発表したことが業界で波紋を呼んでいる。

 「アマゾンへの対抗策」「独禁法違反ではないか」など、その後、さまざまな報道がなされた。しかし、こうした見方は間違っているのではなかろうか?

 紀伊國屋がしようとしていることは、「アマゾンへの対抗策」ではなく、また「独禁法違反」でもない。既存の書籍流通の破壊行為、つまり取次を中抜きした「直販」であり、「再販制度」「委託販売制度」への挑戦だと考えられる。

 とすれば、むしろアマゾンからは歓迎されるだろう。

 

 なぜなら、もしこれが成功して、紀伊國屋方式に追随する社が出れば、既存の出版流通は崩壊過程に入るのは確実となるからだ。そうなれば、アマゾンは取次を通さずに、書籍をどんどん仕入れられるようになる。

 紀伊國屋がどの程度本気なのかはわからない。なぜなら、選んだ書籍はほぼ売れるのが確実な村上本で、出版社も大手はではないからだ。しかも、紀伊国屋のバッグには印刷最大手の第大日本印刷(DNP)がついているのだから、業界内部から大きな批判は起きようがない。

 ただ、この措置が成功すれば、これを機に、書籍は「買切り・直仕入」に移行する可能性が高くなる。そうなると、再販制による「定価」も崩壊し、本の価格は自由化されるかもしれない。

 

 日経新聞の821日付の記事の最後に、次のような記述があった。

《紀伊国屋書店は4月に大日本印刷と設立した共同出資会社でも、出版社と直接取引や買い取りの拡大などに取り組む考え。10月にも10社超の出版社と買い取りの実証実験を始める。アマゾン側も6月に一部の書籍を値引き販売した。業界で主流の定価販売を揺さぶる戦略を取っている。》

 

 どうやら紀伊国屋は本気らしい。10月の実証実験の結果次第では、本当に既存の書籍流通が崩壊する可能性も出てきた。ただし問題は、事前に売り上げが計算でき、「買切り・直仕入」でのリスクが少ない本がどれだけあるかだ。

「買切り・直仕入」では、売れなければ在庫を抱えることになり、紀伊国屋にとっても、紀伊国屋から仕入れた他の書店もリスクが大きすぎる。

 

 通常、書籍販売に対する、書店側の取り分は1割〜2割とされている。関係者によると、「今回、版元は取次に降ろすのと同じ、65%くらいで紀伊国屋に卸しているはずです。すると紀伊国屋の利幅は35%として、通常の2倍以上になる」という。村上春樹本だけに売れるのは間違いないだろうが、ほかの本でもこれができるかは疑問だ。

 売れるか売れないかわからない本を、リスクを取ってまで直に仕入れるところがどれほどあるだろうか? また、市場が縮小しているなかで、こうした既存の流通破壊が進めば、なにが起こるだろうか?

 売れそうもない本、つまり少部数しか見込めない専門書、良質だが読者が少ない文芸作品などはどんどん出なくなり、それによって出版の持つ文化的な側面は後退するという見方が強い。

 

 というのは、再販制度には次のようなメリットがあるされ、それにより本は定価販売に守られてきたからだ。

1、定価販売により、地域の格差をなくし、全国どこでも同じ価格で本を購入できるため、読者が出版物に接する機会の均等化を図ることができる

2、出版社の自由な出版活動が守られ、多種多様な出版物が供給される

 しかし、これが本当にそうなのかは、私もよくわからない。

 

「再販制・委託販売」がなくなれば、本もまたほかの商品と同じように自由競争にさらされる。そうなれば、出版社も書店も売るためにはいま以上に真剣にならざるを得なくなる。その結果、いまのように、安易に大量の類似本が生産されることはなくなり、専門性の高い本や少部数の本、良質な文芸作品をあえて出す出版社、それを地道に売る書店も出現するかもしれない。

 ただし、自由競争はギャンブルでもあるから、いま以上に淘汰が進むのは間違いない。ビジネスのリスクが大きくなるので、それに耐えられない中小出版社や中小書店は、市場から退場するしかなくなるだろう。

 

 いずれにせよ、また好むと好まざるにかかわらず、紀伊国屋書店が行おうとしていることは、時代の流れに即している。アマゾンへの対抗策とは言えないが、アマゾンが出現しなかったから行われることはなかったからだ。また、電子書籍ができなかったから、こんなことは起こらなかっただろう。その意味で、この業界に身を置く一人として、今後の動きを注目していかざるをえなくなった。