[030]女性誌『PINKY』休刊で思う「紙メディアの崩壊」以後 印刷

2009年9月11日

  集英社発行の女性ファッション誌『PINKY』《ピンキー》の休刊が、9月9日に発表された。12月22日発売予定の 2010年2月号で、約5年間の幕を閉じる。『PINKY』は2004年8月に、「ギャルは卒業、でもコンサバじゃつまらない」というキャッチコピーで創刊された。

《景気低迷で出版業界が厳しい環境に置かれるなか、「中長期的な展望」(広報室)に基づいて休刊を決めたという。創刊当時の発行部数は約30万部だったが、ここ1年間は平均19万部まで落ち込んでいた。定価は600円。》

 と、新聞紙上では報道されたが、実際の部数はさらに落ち込み、10万部割れに追い込まれていた。この分野、10代後半~20代前半の女性向けファッション誌の部数減は、ほかの世代向けのファッション誌より激しい。いわゆる赤文字系は、ついこの前までトップだった『CanCam』(小学館)が凋落し、いまは『ViVi』(講談社)がNo.1だが、それでも30万部前後という。

       

   休刊が決まった『PINKY』       いまNo.1の『ViVi』         N0.1だった『JJ』

 

中長期的な展望にたてば続けられないのは当然


 10代後半~20代前半向けのファッション誌が維持できないのは、不況による広告収入の落ち込みばかりが原因ではない。部数低下を招いているのは、明らかに、この世代が紙離れしているからだ。もはや、この世代の女性たちは、情報を紙から得るようなライフスタイルを持っていない。だから、『PINKY』がいくら彼女たちに人気の佐々木希、木下優樹菜などを生み出しても、読者は増えなかった。
 その意味で、「中長期的な展望」に基づいて休刊を決めたというのは、正しい判断だろう。なぜなら、あと5年後に、この世代に上がってくる子供たちは、デジタルネイティブ世代だから、生まれたときから紙とはほぼ無縁。そんな世代に、「紙」にプリントされた静止情報が売れるわけがない。

 集英社からは、現在、隔週刊の『non-no』を月刊に変更するという話が聞こえてくる。これも、「中長期的な展望」にたてば、当然のことかもしれない。
 あと5年後、若い女性たちがファッション誌を開いてワイワイ言い合っている姿を想像できるだろうか? 私は、まったく想像できない。

 ちなみに、今年度上半期の広告代理店の売上高を見ると、広告会社大手9社の雑誌売り上げは前年比69.1%である。約30%のダウン。リーマンショック以後の広告不況が、女性ファッション誌を確実に死に追いやっているのは事実だが、本当の原因は、デジタルネイティブ世代の登場にある。


続けざまに伝えられる「紙」メディアの崩壊


 じつは、この話は[メディアNEWS]の欄に少し書いて終わりにしたかった。ところが、このところ立て続きに「紙」メディアの崩壊のニュースが続くので、この[時事ブログ]欄に持ってきた。

 私の最初の驚きは、日本経済新聞社が9月1 日に発表した2009年1月~6月期連結決算が、8億5000万円の赤字というニュースだった。広告不況の直撃で、日本の新聞は軒並み赤字だが、日経だけはそこまで影響を受けていないだろうと思っていたのが、違ったからだ。

 そして、9月7日には、倒産が噂されていたゴマブックスが、東京地裁へ民事再生法の適用を申請、同日、保全命令を受けた。ゴマに関しては、取り次ぎも書店もすでに見放すようになっていたので、驚きではないが、それでも実際に倒産となるとショックだ。
今年の初めごろから、ゴマで仕事をした執筆者やライターから、「原稿料をもらえない」「印税支払いを引き延ばされている」という話を聞いていた。
 彼らは、結局、もらえないまま、泣き寝入りだ。


『サンノゼ・マーキュリーニューズ』の凋落に思うこと


 今週の『Newsweek』 日本版は、「新聞・テレビ絶滅危機」という特集を組んで、何本かの記事を掲載している。そのなかで、アメリカの新聞の悲惨な状況を一覧したマップが載っているが、これを見るとめまいがする。
 『サンノゼ・マーキュリーニューズ』の欄には「発行部数227,119」とあり、「06年8月、マクラッチーが売却。編集部は01年の420人に比べて3分の1に縮小」とある。


   『Newsweek』(2009年9月16日号)  

 1990年代の後半、シリコンバレーに行くと、メディアを集めた発表会の場には、常に『サンノゼ・マーキュリーニューズ』(The San Jose Mercury News )の記者がいて、盛んに質問していた。この新聞は、いわばシリコンバレーの中心メディアで、これを読まずにシリコンバレーは語れないというほど、重要な新聞だった。

 だからだろう、『サンノゼ・マーキュリーニューズ』は、積極的に電子化も進めてきた。全米のどこの新聞より早く電子編集部の「サンノゼ・マーキュリー・センター・ニュース」を設け、1993年からは、パソコン通信のAOLで情報提供を開始し、1995年からは、インターネットでも情報発信を始めた。
『サンノゼ・マーキュリーニューズ』の親会社は、多くの地方紙を傘下に持つナイトライダー「Knight Ridder」。このナイトライダーの本社はサンノゼ市内にあり、市の中心部に古めかしいビルが建っていた。

 ところが、ナイトライダーは、2006年、マクラッチーに『サンノゼ・マーキュリーニューズ』を売却してしまった。その後の『サンノゼ・マーキュリーニューズ』は部数減が止まらず、紙面は削減される一方。当然、記事も削減され、その質も落ちた。去年は、購読料の割引キャンペーンをやり、「16週間の新聞代が$20。金土日だけなら$17」なんてことまでやっていた。

 ネットの世界の進展とイノベーションをもっとも積極的に取り上げていた新聞が、ここまで凋落するのだから、皮肉としか言いようがない。シリコンバレーで知り合ったスタンフォード出のインド人記者は、リストラに遭い、いまはインドに帰ってローカルペーパーで記事を書いている。


2、3年以内に、同じことが日本でも起こるだろう


 『COURRiER Japon』 (クーリエ ジャポン)も、最近は3号続けて「活字メディアの未来」という特集を組んで、危機を伝えている。最初の特集2009年 7月号 は、「サヨナラ、新聞」であり、今月号の特集は「雑誌が「消える」日」だ。この特集を全部読んだが、やはり気が滅入る。
 『COURRiER Japon』は編集長の感覚もよく、読者も若いが、この内容を紙で読む必要性はほとんどないと思う。最近は、「iPhone」による配信を始めたから、こちらに読者が移っている。「iPhone」なら、1号350円。それが「紙」の雑誌だと、680円。倍に近い。

          『C0URRiER Japon』は「活字メディアの危機」を毎号特集

     

 さて、ここで私が疑問なのが、こうした「紙」メディアの危機の記事を、同じ「紙」メディアが特集できるのだろうかということだ。もはや、これは他人事ではない、自分たちの問題だ。とても冷静に編集できるような話ではない。なぜなら、いまはなんとか凌げても明日は我が身だからだ。

 昨年、アメリカでは5900人の記者が日刊紙での仕事を失った。出版社の編集者もどんどん解雇されている。2、3年以内に、同じことが日本でも起こるだろう。これらジャーナリストの転職先は、ほぼ閉ざされている。


記者や編集者たちは言いようもない将来不安に苛まれている


 これまで、記者も編集者も「紙」メディアの企業に守られ、そこで十分な報酬を得て記事を書き、本や雑誌を出版してきた。しかし、もはや「紙」はそうした記者や編集者の生活を支えられない。となれば、ジャーナリズムはどうなるのか? デジタルシフトが悩ましいのは、そこでは従来「紙」で得られた収益の10分の1ほどの収益しか得られないことだ。

 私の周囲の編集者や記者は、定年が近いベテランが多いから「自分たちはいい時代を生きた」と言っている。あとは引退して、年金暮らしというわけだ。しかし、その年金でさえ、この国では崩壊途上にある。それでもベテランはまだいい方で、若い記者や編集者になると、もう悲惨な未来しか待っていない。
 やがてデスクになり、編集幹部になり、それに伴い給料も上がる。退職金は保証されているので、スクープや当たる企画だけを求めて毎日飛び回れたが、そんなことをしていたら、将来はどうなるかわからない。

 いまの若い新聞記者は、「サツ回り」や「夜討ち朝駆け」をしながら、言いようもない将来不安に苛まれている。出版編集者は、自分の担当する雑誌がいつまで持つのだろうかと思いながら、徹夜入稿を繰り返している。それでも「紙」メディア企業の給料が、一般大手企業と比べて高いからまだいい。しかし、そんなことはいまの情勢を見れば、これ以上続くわけがない。


業界を揺るがしている問題の多くは、一晩で起きたわけではない


 私事になるが、現在の私の年収は2年前に比べて300万円近く減った。これは勤務する光文社の業績がボロボロだから仕方ないとしても、腑に落ちないこともある。
 わずか3年前には、決算は黒字だったからだ。

 先の『Newsweek』の特集記事のなかで、リーハイ大学教授ジャック・ルーリーはこう言っている。
「新聞業界はすさまじい嵐に巻き込まれているが、船長が無能でなければ避けられた事態だ」
 それもそうだろう。ネットが登場して、メディアの機能が変わり、人々のメディアとの接し方が変わったのは、もう10年以上前のことだからだ。さらに、ルーリー教授はこう続ける。
「新聞業界を揺るがしている問題の多くは、一晩で起きたわけではない」
 これは、新聞に限らず、出版、テレビなど、すべての既成メディアに言えることだ。


むしろ運命だと思えば、これほど面白い時代はない


 さて、ここまで悲観的なことばかり書いてきたが、実際の私の気持ちは、そんなに悲観的ではない。まず、大きな問題として、ジャーナリズムは「紙」だけでやるものではないということがある。次に、ジャーナリストには定年などないということがある。
会社がどうなろうと、定年退職の年齢になろうと、ジャーナリズムをやりたければ続けていく方法はあるはずだと思っている。

 記者も編集者も、会社でそのポジションを与えられたからその仕事をしているわけではない。好きでそれを志した以上、好きでいられる限り続けていくのが当然だ。また、ジャーナリズムに社会的使命を感じているなら、なおさら続けるべきだろう。
 とすれば、私としては、あと最低10年は、メディアのなかで生きていきたいと考えている。

 ただし、これまでと同じようにはできない。それを続けられる収入も得られないだろう。つまり、いま私たちが問われているのは、「それでもやるのか?」「やるなら、どのようにしてそれをやるのか?」ということだ。
 そう考えると、いまのメディア激変の時代は、悲観なんてしていられない。たまたま、その時代にいることをむしろ運命だと思えば、これほど面白い時代はないのではないかと思う。