[031]歴史は変るのだろうか? 2009年の夏を振り返る 印刷

2009年9月13日、14日、16日

9月になってから、急に涼しくなった。8月31日に台風が来てから、すべてがガラッと変ってしまった気がする。台風一過の9月1日、駅のホームから見上げた空はどこまでも青く、空気は澄みわたっていた。電車に乗ると、夏休み明けの子供たちの元気な姿があった。そして、この2週間、暑さはついに戻ってこなかった。
 今年は、残暑もなく、夏が本当にあったのかさえ疑わしい。

 テレビも新聞も、この2週間は、民主党政権誕生へ向けての大報道が続いている。思えば、2カ月前、麻生首相が衆議院解散を発表してから今日まで、日本も私自身も、大きな変化のなかで過ごしてきた。
 このブログを書く時間がなかなか見つけられず、書きとめておかなければと思うことは山ほどあったが、結局、ほかのことに忙殺されて、ほぼなにも書かないできた。

 書かないでいると、すべては過去のものになっていく。ものごとは、いったん過去に組み込まれてしまうと、輝きを失う。それでもまだ心に残り、輝きを失っていないことがある。
 それを、今日から、まとめて書いておくことにする。


衆議院解散発表の日、外国人記者クラブで


 7月13日(月)、有楽町の日本外国特派員協会で、帰国中のハドソン研究所の主席研究員・磯村順二郎氏とランチをしていると、磯村氏の携帯電話が鳴った。「総理が解散を発表しましたね」と磯村氏。予想されたことだったので、私は「やはりそうですか」と答え、「で、選挙はいつに?」と聞いた。
「8月30日ということらしいですね」
「そうですか。かなり先ですね」
 このときは、たしかにそう思った。解散から1カ月以上もあるのだから、たしかに長い選挙戦である。しかし、いま思うとあっという間にすぎなかった。
 しかも、最初から結果はわかっていた。


 この日、磯村氏にお会いしたのは、前々から本を出そうと言いながら、なかなか約束が果たせず、もう1年も経ってしまったからだった。磯村氏はかって自民党の首相の秘書も務めた方で、その見識の高さには驚く。この日、磯村氏が帰国していたのは、翌々日にモンゴルのバヤル首相が来日するからだった。
 モンゴルは世界第2位のウラン産出国であり、ウランを中心とする大規模な資源開発基地の計画が進んでいる。これには、世界の主要国が投資するという。当然、日本もこの計画に参加する意向で、バヤル首相は麻生首相に協力を要請するために来日することになっていた。
 しかし、解散が決まり、次期首相に麻生首相が選ばれる確率はほとんどなくなったのだから、骨折り損と言うべきだったろう。

 モンゴルにウランを中心とする鉱物資源開発基地をつくるというのは、じつに壮大な計画である。現在、それに関わっている磯村氏は、こんなことを言った。
「ウランバートルから北京まで、初めて列車で旅をしました。モンゴルの大草原を抜け、中国に入って行くと、どんどん景色が中国に変化して行く。これが不思議に楽しかったですね」

 そうした話を聞きながらも、この日、磯村氏が言われたことで、強く印象に残ったのは、「日本の官僚は優秀ですよ。実務能力は素晴らしい。だから、国家的なプロジェクトを進めるには官僚の力が絶対必要です。足りないのは、そうしたものを構想する力。使命感を与えれば官僚は力を発揮する。日本がダメなのは、政治家に尽きます。彼らにまったく能力がないからですよ」ということだった。
 民主党政権になって、官僚は叩かれ、これからは政治主導になるのは間違いなくなった。しかし、民主党が、日本のあるべき方向、将来設計図を持っているだろうか?


テレビの経済討論会に出て不評を買う


 ペーパーバックスの休刊が決まり、最後の本の編集と引き継ぎで忙しいなか、「チャンネル桜」が、5月刊の『永久国債の研究』と6月刊の『オバマの仮面を剥ぐ』を取り上げてくれることになり、2回続けて経済討論会に出た。
 この2回とも「どうなる日本経済」というテーマで、浜田和幸氏、 藤井厳喜氏、西部邁氏、井尻千男氏などそうそうたる出席者のなかで話させてもらったが、視聴者にはかなり嫌われたようだ。

 私は学者でもエコノミストでもないから、自分が見聞したありのままのアメリカと中国の話を、米中両国の大学で学んだ娘のエピソード、映画『Sex and the City』の舞台裏エピソードなどを交えて披露し、アメリカ人と中国人は、こと経済、ビジネスにおいては相性がいいというような話をした。 
 そのうえで、結論として、いまは米中急接近・蜜月の時代だから、このままだと日本はこの2国にいいように翻弄されると、懸念を表明した。しかし、このチャンネルの視聴者の多くは、日本が素晴らしい国であるというナショナリズムの信奉者だから、私のような感覚は毛嫌いされるようだ。

 世界を見聞して歩けば、いまの日本が世界の主流からはかなり遅れ、しかも、経済規模にそぐわない、規制だらけで、貧しく、不自由な国家であるのは明白だ。この事実を受け入れなければ、なにも解決しないのだが、それを受け入れるのがイヤな人々は多い。年輩者の多くは、そんなことは聞きたくもないらしく、「中国はひどい国家だ。信用してはいけない」「アメリカは日本を食い物にしている」という話が大好きだ。
 
 私の出演場面は、ユーチューブに映像がアップされていて、そこへの投稿を見ると、私に対する嫌悪感があふれている。ただ、そのなかの1つに、英語で「この人はアメリカを知っている」というのがあったので、救われた。
 私を慕ってくれるロンドン在住のジャーナリストの森昌利氏も見てくれて、「順さんの話はありのままだから面白い」と言ってくれたのも嬉しかった。
                                  

 http://www.youtube.com/watch?v=2CBjNWYRO-A                
                              

徳川家広氏と北京に赴任する近藤大介氏を送る

 ジャーナリストで講談社の『週刊現代』の副編集長の近藤大介氏が北京講談社に赴任することになり、7月の初め、送別の夕食会を翻訳家の徳川家広氏を交えて、近藤夫妻と私の家族でやった。
 近藤氏は北京大学の留学生であり、東アジア研究をライフワークとしている。韓国語、中国語が話せる有数の人材だ。彼とは中国の現地取材に同行したこともあるが、中国語は本当に堪能だ。

「80年代、会社に入ったばかりのころから、みんがスキーだとかで週末や休暇を楽しんでいるとき、韓国語や中国語の勉強ばかりしていました。韓国にはしょっちゅう行っていましたから、当時は仲間から変人だと思われていましたね」
 という彼の述懐を聞いたことがある。彼の奥さんは北京大学留学時代に知り合った中国人。北京は第二の故郷だけに、今回の赴任はみんなが喜んだ。世界金融危機以後、もっとも早く立ち直った中国には、いま、世界中の投資が戻ってきている。

「また世界はバブルになりますよ。間違いありません」
 と、この送別会の夜、徳川氏はまたもや熱弁した。これは彼の持論で、去年『ソロスは警告する』(講談社)を翻訳してからは、さらに過激になった。徳川家広氏は、いうまでもなく徳川家の19代目だが、ミシガンとコロンビアの両方で学位を取っているから、その博学ぶりと見識は私などはるかに超えている。

 彼と私の娘の英語の会話に、私はいつも入れない。そういうときは、自分の英語力のなさを本当に後悔する。ただ、私は、自分の見聞から「今後、世界は2番底(double dip)に向かう」と主張した。事実、9月に入ってから、アメリカも日本も失業率は上昇し、景気は底を打ったとはいえ予断を許せない状況が続いている。


世界金融危機は、西欧ヒューマニズムの終焉か?


 7月20日、休日の午後、イタリア人のファブリオ・グラッセリ氏(Fabrizio Grasselli、ダンテ・アリギエーリ協会日本支部長)とライターの水沢透氏と、以前から約束していたワイン・ブランチを楽しんだ。
 グラッセリ氏は以前から、イタリア人らしく、ルネッサンス以降のヒューマニズムの歴史を書きたいと言い、金融危機が起ったとき、「これは金融崩壊ではない。ルネッサンス以後続いてきた西洋のヒューマニズムの崩壊では?」と水を向けると、「そのとおりです」で見解が一致した。
「アメリカ人は強欲になりすぎて、西洋文化の基盤であるヒューマニズムを見失ってしまった」と、グラッセリ氏。

 以後、彼はその原稿を少しずつ、書きためている。
 グラッセリ氏の原稿を訳すのが、ライターの水沢氏の役目だが、水沢氏によると、原稿はまだ半分までいっていないという。
 リーマンショックから1年が過ぎようとしているが、アメリカの金融機関は規制強化に反対を続けている。とくに、業績による高額報酬を規制されると、「優秀な人材が国外に流出し、アメリカの世界の金融センターとしての機能は失われる。それは国益を損なう」と、主張している。


ツバキが結ぶ縁、友人が中国・南昌市へ出かける


 私の友人に大島でツバキ油の会社を経営している中村克朗という男がいる。彼とは、この夏何度も会って、中国経済、中国ビジネスに関して話し合った。

 中村克朗は、若いときに世界放浪して帰国後、2冊の本を書いた。その2冊の本『リゾート革命』『ユートピア産業論』は、1990年代の初めとしては画期的な本で、いまのリゾート産業のあり方を予見していた。
 彼は本を書いた後、伊豆大島に移り住み、そこでツバキと出会って、江戸時代から髪油として使われてきたツバキ油を一新させた。それは、伝統的な加熱製法を否定した非加熱製法によるツバキ油の生産だった。
 この非加熱製法によるツバキ油が、その後、中国と深い関わりを持つとは、10年前には想像がつかなかった。

 非加熱製法の効果を科学的に説明するのは面倒なので、ともかく、この製法だと加熱製法よりはるかにピュアで肌に浸透しやすい油ができるとだけ言っておきたい。なにしろ、彼のツバキ油で天ぷらをする(非常に贅沢だが)と、どんな食材でもさっぱりと揚がり、味は天下一品なのだから、驚く。

 この中村が、8月10日から、中国江西省の首都・南昌(ナンチャン)に出かけた。これには私も同行したかったが、時間が取れなかった。中村が南昌に出かけたのは、ツバキ油のシンポジウムに講演者として招かれたからである。
 じつは、ツバキ油は、日本国内の消費を賄えるだけの量を国内で生産できず、いまは中国から原料のツバキを輸入している。中国ではツバキを「山茶」と呼び、資生堂の「TUBAKI」も中国の山茶油が主原料だ。
 中村の会社(株・フォーシー)も大島産のツバキだけでは賄えず、数年前から中国産のツバキ(山茶)を輸入するようになった。山西省は、その山茶の大産地なのである。


中国のニュー・リッチの1人「ダック王」の来日

 
 中村が、非加熱製法に目をつけた南昌市の会社から、技術移転と提携を持ちかけられたのは、今年の初めのことだった。この話を持ちかけてきたのは、南昌市のF有限公司という会社(影響があるので仮名)で、ここの総経理のK氏は、今年の2月、江西省の役人に連れられ、日本にツバキ油の視察にやって来た。

 このとき、私も彼らに会い、かなり親しくなった。F有限公司は、南昌ダック(北京ダック、南京ダックと並ぶ中国の3大ダック)のチェーン店を2500店も展開している。聞けば、15年ほど前、屋台から始めたというから、K氏は中国のニュー・リッチの1人である。これを聞いてから、私と中村は、彼を「ダック王」と呼ぶようになった。

 中村の会社の提携話よりも、私としては、職業柄、K氏の成功ストリーに興味があり、酒を酌み交わしながら、彼の身の上話を聞いた。私に25歳の娘がいると言うと、彼は「私の次男は30で独身。カナダに留学して帰ってきた。英語が話せる。うちの息子の嫁にどうか?」というので、驚いた。
 私の娘は、ジョンズホプキンズ大学の高等国際研究大学院(SAIS)時代、江蘇省・南京市の米中文化研究所(南京大学内)にいた。それを言うと、「中国語も話せるのか。ならば、うちの息子にピッタリだ。1度、南昌に連れてこい」と言うので、さらに驚いた。

 F有限公司は、南昌ダックの事業を核に、油ビジネスに進出し、いま、南昌市郊外に大規模な山油茶の製造工場を建設中だ。

 ところで、中国人は、ビジネスをするとき、日本人のように細部から積み上げて交渉を繰り返すというようなやり方をしない。まず、相手と親しくなり、大枠を決めたがる。しかし、そのペースに乗せられると、相手の意図を読み違えたり、細部にひずみが出たりして、うまく行かないことが多い。
 それで、中村と私は、相手の意図について何度も確認、話し合った。


「隣国と仲睦まじく、隣国を安定させ、隣国を富ませる」


 南昌市に出かける前、中村に私は1冊の本を渡した。前記した近藤大介氏が書いた『日・中・韓「準同盟」時代』(光文社ペーパーバックス)である。
 この本は、中国・日本・韓国(朝鮮)の悠久の歴史から説き起こし、今後の東アジアのあるべき姿を提起した本である。このなかの中国の外交戦略を解説した部分を、中村はえらく気に入った。
「これだよ、これ。これが基本だ。オレのような日本人がそれを理解しているとわかれば、彼らもこちらを尊重する。これは使える」
 と、中村は、シンポジウムで発表するパワーポイントのプレゼン資料に、以下の語句を入れた。

      「与隣為善、以隣為伴」「睦隣、安隣、富隣」

 「与隣為善、以隣為伴」(ユイリンウェイシャン、イーリンウェイバン)は、日本語では「隣国と善を為し、隣国を伴侶と為す」と読む。「睦隣、安隣、富隣」(ムーリン アンリン フーリン)は、「隣国と仲睦まじく、隣国を安定させ、隣国を富ませる」という意味だ。
 つまり、周辺国家とは、なるべく穏当に平和的に共存していこうというのが、中国の数千年にわたる外交戦略で、このスローガンは、現政権の胡錦濤主席や温家宝首相も好んで使っている。これは、ビジネスにも共通する。

 南昌から帰った中村は、「大成功だった」と言った。プレゼンの最後に、この言葉を中国語で言うと、会場から拍手喝采が起こったという。


中国の環境問題を取材したワッツ記者の来日


 中村が中国に行っている間、北京から英国『オブザーバー』紙のジョナサン・ワッツ記者(Jonathan Watts)が、日本にやってきた。彼は、4年前まで東京特派員をしていたが、中国の時代になって、北京に移った。そして、この4年の間に中国各地を取材し、環境問題に関する記事を山ほど書いたという。
「それをまとめて本にし、出版したいので、日本語でも出せないか」と、打診があったのは6月のことだった。

 8月12日、外国人記者クラブで再会した彼は、あごひげが伸び、以前にまして精悍になり、記者というより学者のようになっていた。北京の空気が相変わらず悪い話や、経済の話をした後、原稿について聞くと、「もうサイモン・アンド・シュスターと契約を済ませた」という。
 中国の環境問題は、今後、ますます世界の注目を浴びるのは間違いない。今年の暮れにコペンハーゲンで開催されるCOP15で、中国はポスト京都に参加するのだろうか?
 
 民主党は、鳩山総裁が、なんと「CO2輩出量、1990年比25%削減」という信じがたい政策を打ち出した。それを本気で実現したいなら、中国を巻き込んだ排出権取引のアジア市場をつくり、中国から輩出枠をどんどん買うしかない。
 とはいえ、排出権取引市場では、日本は中国に遅れをとっている。中国では、すでに北京、天津に市場が設置されている。

 

「共産主義国家が民主主義国家になる」という皮肉

 

 その後、ジョン(ワッツ記者の愛称)と、有楽町のガード下の居酒屋『新・日の基』に場所を移した。そこには、『ガーディアン』東京特派員のジャスティン・マッカリー記者(Justin McCurry)と、『フィナンシャル・タイムズ』のミュア・ディッキ東京支局長(Mure Dickie)がいた。
 全員、イギリスメンバーである。
「ボクは天安門事件の前に、九寨溝に行ったことがある。その頃、中国には、まだ環境問題はなかった」
 と、ミュア。20年も前から東アジアに来ていた彼は、イギリス人(正確にはスコットランド人)きっての東アジア通だ。

 彼らの関心は、やはり総選挙。「民主党は本当に勝つのか? 自民党と民主党のどっちがいいと思う?」とミュアが聞くので、「どっちもよくない。ただ、自民党は本当によくない。民主党はよくない。それだけの差だよ」と答えた。すると、彼は「民主党が勝つなら、最後に残った共産主義国家が民主主義国家になるのだから歓迎すべきだ」と言うので、本当にイギリス人は皮肉がきついと思った。まだ、北朝鮮があるではないか。

 8月30日、民主党が事前の世論調査どおり圧勝して、政権交代が起こった。308議席というのは、文句なしの圧勝だが、有権者は自民党がとことん嫌いになったということにすぎないのではないかと思う。
 有権者は、民主党を支持したのでなく、自民党にバツを与えたということだ。この辺は、海外メディアも承知していて、だいたいがそのような見解だった。

 ただ、アメリカのメディアは、鳩山総裁(首相)には、かなり厳しい論調を展開した。『ニューヨーク・タイムズ』も『ウォールストリート・ジャーナル』も、鳩山論文をそのまま受け取り、「反アメリカ」「反グローバリゼーション」「反市場経済」の姿勢を批判した。
 しかし、あれほど皮肉がきついイギリスメディアは、民主党政権を好意的に捉えていた。ただ、さすがに『フィナンシャル・タイムズ』は経済紙だから、「民主党政権は来年7月の参院選挙で逆風に遭い、債券市場は不安定化(bond markets could wobble)する」という指摘をしていた。

                             (ここまで13~14日記。ここでいったんストップ。続きはまた書く)

 

思えば、今年の夏は、中国、中国で過ぎた

 

  今日は9月16日、ほぼ1日空いてしまったが、前回の続きを書く。民主党政権は、昨夜やっと閣僚名簿が決定し、今日、新内閣が発足する。「歴史が変わった」とされる選挙からまるまる2週間、メディアは大騒ぎを続けてきたが、まだなにも変わってはいない。

 今後の日本がどうなるかは、ともかく新政権が動きだしてみなければわからない。

 さて、それにしても、なぜ、この夏は中国、中国となってしまったのだろうか? 前回書いたことを読み返してみて、つくづく中国関係が多いことに自分ながら驚いた。数年前まで、私も家族もアメリカ志向だった。それが、娘が大学2年生の「study abroad」で中国に行ってからは、ガラリと変わった。

  もちろん、中国の成長が猛スピードで、低成長の日本よりはるかに刺激が多いこともあるだろうが、それ以上に、自分がアジア人であることのほうが大きいと思う。欧米の街を歩いて感じないデジャブーの感覚が、中国の街を歩くと、突然湧き上がってくることがある。以前、自分がこの光景のなかにいた。いや、確かにいたに違いないと思うことが、何度かあった。ほとんどの日本人のルーツが大陸なのは疑いようがない。

 

金融危機以後も、ヘッジファンドは健在だ

 

  こうした中国とアジアの台頭に、私などよりはるか以前に気がつき、「これからはアジアの時代」と、仕事と生活のベースを香港に移してしまったのが、ファンドマネージャーの渡辺雅子さんだ。

 彼女のことは、このブログの[013]にも書いたが、なんと、渡辺さんが香港に移り住んだのは、1994年のことである。

  その渡辺さんは、毎月のように日本に来ているが、7月29日の夜、食事に誘われ、麻布十番の『ピアット・スズキ』に行った。ここは、イタリアンの人気店で、わずか18席しかないので予約が大変。グルメの渡辺さんは、香港からこの店を予約してくれていた。

  リーマンショック以後、世界金融は激変したが、ヘッジファンドは一部をのぞいて健在である。「この前は、オーストリアまで行ってきました」と、渡辺さん。「いまは世界中に、パフォーマンスがいいファンドがいっぱいありまして、そうしたファンドを見つけると、そのマネージャーに直接会いに行っているんですよ」と、続けた。

 オーストリアのような東欧諸国にも、優良なヘッジファンドがあるとは驚きである。つくづく世界は狭くなったと思った。渡辺さんは欧州暮らしが長かったから、欧州各国に友人がいて、オーストリアではウィーン郊外でアグロツーリズモ・ステイを楽しんだという。

  今月の24、25日に、ピッツバーグで、G20の首脳会合(金融サミット)が開かれる。ここでの焦点は、金融規制と金融機関の幹部に対する報酬制限だ。これがどうなるかでヘッジファンドの世界も変わるが、もし、規制を強めれば、資金は欧米からアジアに向かうだろう。

 ニューヨーク、ロンドンの規制が強まれば、それに代わって、香港、シンガポール、ドゥバイが、世界の金融センターとしてますます発展することになる。まさに、アジアの時代だ。もちろん、いまの東京はカヤの外である。

 

投資家たちの投資意欲は衰えていない

 

  アジアの時代を見越して、ほぼ日本を捨ててしまった投資家・上条誌郎氏が帰国するというので、会いに行った。7月27日の午後、例年なら暑くて汗がふき出すはずだが、この日は曇っていて涼しかった。それで、海浜幕張駅からアパホテル&リゾート[東京ベイ幕張]まで歩いた。

 ホテルでは、「成功の7つのステップ」で有名なジェームス・スキナー氏のイベントが行われており、その合間に、上条氏とランチをした。

  彼のことは、連載ブログ「ニュー・リッチの未来」の1回目に書いたとおりだが、金融危機以後も元気である。「かえってこういうときこそ、投資意欲が旺盛になる」と、何度も聞かされた。二番底が来るとしても、それが悪いこととは限らないのが投資の世界だ。投資家は、経済がよかろうと悪かろうと、どんなコンディションでも投資からリターンを得られるような仕組みが、いまの世界ではでき上がっている。

「今度はいつ戻る?」と聞くと、「まだよくわかりません。いまは、ベトナムに集中していますから」と、上条氏。彼は、いまベトナムで大規模な投資をしている。

  上条氏は、いわゆるパーマネント・トラベラーである。日本には、年間の半分もいない。パーマネント・トラベラーになれば、定住するという概念はなくなり、ビジネスをする国、家族が生活をする国、納税をする国、バカンスを楽しむ国を使い分けることができる。こうした生き方を発明したのは、ヨーロッパ人たちだが、最近では、中国人、韓国人もやっている。

 ただし、日本人はほとんどいない。

 

高城剛・著『サバイバル時代の海外旅行術』が発売

 

  高城剛氏の『サバイバル時代の海外旅行術』(光文社新書)が発売されたのは、8月半ばのことだった。いま、アマゾンのレビューを読んでも、評判がよく、「読みやすく面白く、ためになる本」という声が多いのが、私としては素直にうれしい。

 じつは、この本のきっかけを多少なりともつくったのは、この私かもしれないからだ。

 『GO!IBIZA楽園ガイド』の打ち合わせで、彼の話を聞ききながらいつも思ったのは、なぜ、日本の若者が彼のように自由に旅をしないかということだった。

 i-PhoneやPCでネットから情報を得て、LCCを利用すれば、格安で世界中を飛び回れる。高城氏は、いつもそうしてトレンドセッターとして生きてきた。富裕層がするラグジュアリーな旅の世界も、パック旅行の世界も旅は旅だが、彼の旅は、まさに現代だから可能な最新の旅である。そのことが、この本にはギッシリ詰まっている。そうして、最新の旅をしないと、いまの世界のリアルな姿は見えてこない。

  打ち合わせの席で、日本のガイドブックが使えない、時代に合っていないという話になったとき、かつての若者のバイブル的ガイドブック『地球の歩き方』が、いまや購買年齢層も40代が中心になり、なんのメッセージもないカタログ・ガイドになってしまったことを、私も高城氏も嘆いた。

「あれは地球の歩き方ではない。地球の迷い方だよ」と私が言うと、彼は笑いながらうなずいてくれた。

 高城氏は私より、一世代下だが、「ボクのバイブルは『Whole Earth Catalog』です」と言ったので、なぜかすべてが納得がいった。

  スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチは、いまでも記憶にあざやかだ。そのスピーチの最後の言葉、“Stay hungry. Stay foolish.”は、『Whole Earth Catalog 』の最終版 『Whole Earth Epilog 』の裏表紙にあった言葉である。

 

いま必要なのは、世界のトレンドを知る人間

 

  いまの日本には、彼のような、世界のトレンドの最先端を身を持って知っている人間が必要だ。ハイパーメディアクリエーターという肩書から、旧世代の年輩の方々は「得体のしれないヤツ」と胡散臭がるが、とんでもない間違いだ。ファッション、音楽、映画、ITなどのトレンドを支えているのは、最新の経済・金融であり、最新のテクノロジーである。そして、ローカルにしてグローバルな伝統文化、生活様式も、それに含まれる。高城氏は、それを理解している。

  永田町や霞が関に出入りし、政治家や官僚の「日本改革論」をこれまで何度も聞いてきた。しかし、彼らの話より、よほど高城氏の話のほうが的を射ていて面白いし、建設的だ。

 民主党の若手政治家のなかには、かなりの論客がいる。若手官僚のなかにもかなりの論客がいる。しかし、彼らが得意なのは、机上のデータの駆使、学者の論説の受け売り、経済理論・公共政策論などのこねくり回しで、なんでも本当によくは知っているが、聞いていて眠たくなる。

  民主党議員のなかで、いま誰がi-PhoneやSmart phoneを使っているだろうか。PCは使っている。ただ、それで自身のBlogも書いているといっても、ほとんどが他人に任せてアップしているだけだ。自民党はもっとひどいから、書くまでもないが……。

 そして、誰が世界を見聞して歩き、グローバルなネッワークのなかで生きているだろうか? オバマ大統領は『Blackberry』の愛用者である。

 民主党は、本当にこの日本を改革できるのだろうか?

 

残念ながら、五輪誘致で東京はリオに敗れるだろう

 

  高城氏が本のあとがきに、私への感謝を書いてくれたので、そのお礼のメールを出したら、しばらくして返事がきた。

 その冒頭に、「この三週間で、バルセロナ→サンセバスチャン→マドリッド→バルセロナ→アムステルダム→東京→アムステルダム→ロンドン→ナイロビ→マサイマラ→ナイロビ→ロンドン→バルセロナ→ロンドン→東京→ロンドン→バルセロナ→フランクフルト→リンツ→フランクフルト→バルセロナ→ロンドン、そしていま東京に向かっています」とあった。

 彼はいま、「東京オリンピック2016招致」の総合演出をしている。

 五輪開催地を決めるIOCの総会は、10月2日に迫っている。さすがの高城演出でも、東京になるのはほぼ無理だろう。シカゴとリオデジャネイロの一騎打ちに持ち込まれ、南米初のリオデジャネイロ・オリンピックが実現する可能性が高い。

  私には、なぜ、いま五輪誘致をしなければならいのか、その理由がわからない。かつて大阪が同じことをやり、北京に敗れたことが、まったく教訓になっていない。

 

JAL(日本航空)の再建問題の的外れ

 

  この2、3日、JALの再建策がメディアを賑わせている。デルタかアメリカンか、どちらかの外資導入を計る案が出た後、6000人削減と路線2割カットという大幅なリストラ案が提示された。

 しかし、もはやJALは事実上、破綻している。破綻した航空会社にさらに資金(すでに政策投資銀行を通して税金が入っている)をつぎ込むより、やるべきことはある。

 それは、成田や関空を24時間空港にすること。羽田の国際空港化をもっと強化すること。さらに、一刻も早くオープンスカイに参加することだ。成田や関空は、いまやアジアのローカル空港と化している。こんな状態で、かつてのフラッグキャリアを復活させることなどできるわけがない。

 

酒井法子と押尾学の覚せい剤事件で思い出すこと

 

 話は変わるが、この夏の話題を独占したのは、酒井法子と押尾学の覚せい剤事件だった。今日は、酒井法子容疑者が保釈されるというので、湾岸署に200人以上の報道陣が集まっている光景を、テレビで見た。

 こういう光景を見ると、昔、女性週刊誌で芸能担当だったころ、自分もあのなかにいた記憶がよみがえってくる。

  その記憶が、9月14日に、57歳という若さで膵臓癌により死亡したパトリック・スウェイジと結びついた。

 私が芸能記事を担当していたのは、1990年代の初めまで。最後は、松田聖子の当時の不倫相手ジェフ・ニコルスの告白記事だったが、このときは、ジェフをニューヨークでインタビューした。その経緯は省くが、このジェフが松田聖子と知り合ったのが、当時、パトリック・スウェイジが63丁目の3rd. アヴェニューで経営していたマホラード・カフェだった。

  1991年にピープル誌の「最もセクシーな男」に選ばれたパトリック・スウェイジの人気は絶頂で、マホラード・カフェには多くのセレブが集まっていた。そうした客たちのなかに、松田聖子がいて、このカフェでウエイターをしていたジェフに声をかけたのが、2人の交際の始まりだった。

 当時、CBSレコーズを買収したソニーは、アメリカで松田聖子を売ることを真剣に考えていた。

 

エセックスハウスがJALの旗艦ホテルだった時代

 

 1990年代の初め、クリントン政権になってからのアメリカは、もっとも輝く時代を迎えようとしていた。冷戦が終了して、アメリカは文字通りスーパーパワーとなり、クリントンの「It’s economy」の掛け声で、経済は復活した。

 1980年代に麻薬と犯罪で汚染されたニューヨークの街も、浄化が進んでいった。ジェイ・マキナニーが描いた『Bright Lights, Big City』は過去のものとなりつつあった。『Bright Lights, Big City』は、コカイン漬けの編集者の80年代の日常を描いていたが、コカインなどまったくトレンドではなくなっていた。

  いまの日本の麻薬汚染を見ていると、経済低迷と社会の閉塞感が大きく影響していると、つくづく思う。

  1990年代の初めごろまでは、日本も輝いていた。アメリカの知人に「なんの取材に来たんだ?」と聞かれ、「マツダセイコ」と答えると、「そうか、車と時計か」と言われた。車の「マツダ」と時計の「セイコー」だと思われたのだ。

 これは冗談ではない、本当の話だ。

 そういえば、このとき、突然、芸能レポーターの梨元勝さんから電話が入り、「エセックスハウスにいるのですぐ会いたい」と言われた。「えっ!、梨さん、なんでニューヨークにいるんですか?」と、私が驚いて聞き返すと、「じつは、奥さんから聞いたんです。1週間も連絡が取れないから、ピンときて、これはなにかを追いかけているなと、飛んで来ましたよ」と言うので、さらに驚いた。

 このエセックスハウスは、当時はJALが経営していた。ニッコーホテルズの海外の旗艦ホテルであり、当時のJALは、正真正銘のナショナル・キャリアだった。

 現在、エセックスハウスは、アラブ首長国連邦の「ジュメイラ・インターナショナル」が経営し、「ジュメイラ・エセックスハウス」となっている。

 

小泉改革がなんだったのか?なぜ誰も本質を言わない

 

 本当に、時代は変わった。思えば、あのころから、日本はふたたび鎖国国家になった。そして、もう15年以上「鎖国」を続けている。鳩山新首相は、「東アジア共同体」を目指す姿勢を打ち出している。

 しかし、その反面、EUやアメリカとのFTA交渉を積極的に進める気配はない。

  また、民主党政権の一部の方々は、小泉改革を否定している。「小泉改革が日本を悪くした」と言い、時計の針を逆に戻そうとしている。しかし、小泉改革が悪かったのは、エセ改革であり、本当の改革ではなかったことだ。

 改革するように見せかけて、本当はほぼなにもせず、「鎖国国家」を続けてきたことである。

 私は、いろんな人に聞いて歩きたい。「小泉改革は改革でしたか?」と。そして、「日本は鎖国していませんか?」と。

 はたして、民主党政権は開国することができるのか? 歴史が変わるというなら、いますべきことは、開国以外にないと思う。

 

すっかり「鎖国国家」の住民になってしまった

 

 いずれにせよ、あっという間にこの夏は過ぎてしまった。

 まだまだ、たくさんのことがあったが、書けないことも多い。中国からは、まだここに書けない多くの知り合いが東京にやって来た。アメリカからもやって来た。夏は、人がいちばん移動する季節だ。

  そういえば、長くカリフォルニアのパームデザートにいた藤原肇氏(国際ジャーナリスト)も私を訪ねてきて、「アメリカを引き払った。これからは台湾に居を移して、そこで暮らす」と言われたので、あらためて驚いた。やはり、アメリカの時代は終わり、アジアの時代が本格的に来るのだろうか?

  休みが取れず、国内に閉じこもって過ごしたのは、ここ10年以上なかったことだ。海外からは、友人知己がやって来るのに、すっかり「鎖国国家」の住民になってしまった気分である。

 毎年のように家族で行っていたハワイも、すっかり遠くなった。

  それでも、1回だけ、家族旅行をした。7月24、25、26日の金土日、大阪に行き、2泊して、そのうちの丸1日を、ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)で遊んだ。初めてUSJに行ったが、大人としてはデイズニーランドより楽しめた。

  うちの家族は食べていれば機嫌がいいので、夜は、「食い倒れ」に徹し、北新地のたこ焼き屋を7軒ハシゴした。最後は、自分焼きで有名なマルビルの地下の「蛸之徹」に行き、苦しくなったお腹を抱えてホテルに帰った。

 「一晩で7軒? ありえない」と言われたが、やはり大阪、同じたこ焼きでも店によって味はそれぞれ違う。

 ただ、もうたこ焼きは当分、食べたくない。