[058]なにも期待できない管政権。政策バラバラ。政治家もメディアも、「すでに富裕層は日本を見捨て、この国は空洞化している」という現実をわかっていないのだろうか? 印刷
2010年 6月 26日(土曜日) 02:29

菅直人首相が誕生してはや3週間が過ぎた。民主党は一時的に支持率を回復させ、管首相は「第三の道」で、「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体化させて「最小不幸社会」をつくると言っている。参議院選挙は、7月11日に決まり、世の中は選挙モードに突入した。
 しかし、これからなにかが変わっていく。日本がよくなっていくという期待感はゼロ。選挙の争点もはっきりしないし、W杯で日本が予選を突破した熱狂が、現在の日本の深刻な危機を覆い隠してしまっている。民主党に限らず、どの政党の公約を見ても、日本がよくなるとは思えず、予想通りこのまま日本はどんどん悪くなっていくに違いない。

 6月17日に民主党の参議院選向けマニフェストが発表されたが、その席で首相自身が「今年度中に消費税の改革案をまとめる」「(税率は自民党案の)10%を参考にしたい」と述べたのには驚いたが、翌日発表の新成長戦略にはもっと驚いた。結局、この程度のことを考えているのかとがっかりし、さらに勘違いや、明らかな間違いがあるので、絶望的になった。
民主党ばかりではない、いまの日本は、政治家からメディアまで、結局、なにをどうすべきか完全に方向を見失っていると言っていいと思う。

 だから、「元気な日本を復活させる」などという空疎なポスターがつくられる。誰が、こんな言葉を信じるだろうか? それにしても、どの政党も「日本を復活させよう」としているわりには、ほとんど知恵がないのはどうしてなのだろう。「たちあがれ」が政党名になってしまうことに違和感を覚えないとしたら、どうかしている。


       

         管政権誕生を伝える毎日新聞と、民主党のポスター  

絵空事に過ぎない民主党の新成長戦略に唖然

 民主党の新成長戦略によると、2020年度までの平均で名目3%・実質2%を上回る経済成長が実現するという。しかし、子ども手当、農家への戸別補償などのバラマキをやりながら、法人税を引き下げ、その反面で消費税を引き上げるとなると、結局は経済成長などできるはずがない。財政再建もやる。福祉もやる。経済成長もするなんてことは、この世界一の借金財政を抱える国でできるわけがないのだ。暮らしをよくするには、いまより多く稼ぐか、支出を減らす(無駄を削る)か2通りしかない。そのどちらも中途半端にしながら、いま以上に生活(福祉)を充実させられるわけがない。

 それにしても、メディアはなぜ、いまの日本が置かれている本当の状況を報道しないで、このような絵空事政治につきあっているのだろうか? 本当に不思議だ。もはや日本は危険水域に入っていて、このままでは破綻するのは確実だ。巷間言われているように、国債発行による借金が個人資産総額以上になったときは、市場が破綻の引き金を引く。そうさせないためには、民主主義を捨て、国を完全に閉じ、独裁政治をするしかない。

 官僚独裁政治で、すべての経済活動、金融活動をコントロールしなければ、市場の反乱は間違いなく起こる。それまで、あと数年。たった数年しかない。
 だいたい、国債の買い手がいなくなるなかで、いまと同じような歳入を国債(借金)頼りの予算が組めるはずがない。


日本の底力はもうじき尽きようとしている


 政治家もメディアも本当のことを言わない(あるいは知らない)から、世論にも危機感がない。だいたい、一般庶民は、国家予算の中身も知らず、また国と地方の借金が1000兆円以上もあるといっても、そんな大きな額の数字は自分の生活とはまったく関係ないと思っている。

 たとえば、先日、朝日新聞社が実施した「日本のいまとこれから」をテーマにした全国世論調査の結果に、私は驚いた。「いまの日本は自信を失っている」とみる人が74%に達し、9割以上の人がこれからの日本に不安を感じているというのは、調査するまでもなくその通りだから、驚くようなことではない。しかし、その一方で、日本には回復する底力があるとみる人が半数以上いるというのには、空いた口がふさがらなかった。

 なぜなら、日本にはそんな底力などないからだ。その証拠に、この数年間で、富裕層といわれる人々は続々と日本を脱出してしまっている。国が傾くときは、まず、お金持ちから国を見捨てる。これは、歴史的に幾度となく世界中で起こったことである。
 そして、いまや、企業すら日本を見捨てようとしている。これが、メディアが伝えない日本の現状であり、実際のところ、いまの日本国内にはおカネが回っていない。人口も経済も縮小する一方で、世論調査の声にあるような「自信を失っている」からうまくいかないのではなく、底力が本当に底をつきつつあるからうまくいかないのだ。


「豊かさはさほどでないが格差の小さい国」とは旧ソ連のこと?

 それなのに、朝日の世論調査では、日本の将来のあり方として、 経済的豊かさよりも「格差が小さい国」を求める意見が7割を占めている。これは、「経済的に豊かだが格差が大きい国」と「豊かさはさほどでないが格差の小さい国」のどちらを目指すかを聞いた結果で、なんと「格差が小さい国」が73%で、「豊かな国」の17%を圧倒してしまった。
 これには、絶望するしかないくらい驚いた。この意識のままだと、格差は確かに縮まるだろうが、この先日本は間違いなく貧乏国になってしまうだろう。そして、ますます官僚による統制は強まり、最終的に官僚独裁国家が出現する。日本は旧ソ連のような国家になるだろう。

 「豊かさはさほどでないが格差の小さい国」の「豊かさはさほどでない」というのがどの程度のことを指すのか不明だ。しかい、それがもし現状程度のことを言っているとしたら、もはや救いがたい。なぜなら、日本の現状はそんなものではないからだ。現状は、世界から孤立したジモティ国家で、そこそこに豊かかもしれないが、この状態はもはや維持できないところに来ているからだ。


ゆうちょ銀行の金庫はカラッポ、現金なし

 国の借金はいくらあってもかまわない。国は借金を返さなくていいという、特別なルールでもあるというのだろうか? ギリシア問題で明らかなように、国債価格は国家財政の信用で成り立っている。たとえ国といえども、借金が返せないと見られたら、国債は売り浴びせられる。「でも、日本国債の買い手は国内の機関投資家。外国が持っているわけではないから大丈夫」と言うのはウソである。

 国債の買い手である国内の金融機関には株主がいる。彼らは国債が少しでも価値が下がれば、経営陣に売ることを要求する。経営陣もそうせざるを得ない。というのは、しなければ当の金融機関自身が経営破綻してしまうからだ。
 現在、ゆうちょ銀行をはじめ、国内の主だった金融機関に預けられた国民のおカネは、ほとんどが国債に替えられて国に差し出されている。だから、ある日、何万人かがいっせいに自分の預金を降ろしに金融機関に駆けつけたら、金融機関はおカネを払えない。

 とくに、預金の8割を国債で運営しているゆうちょ銀行には、現金がない。金庫はカラッポだ。しかし、そうだとはメディアは伝えない。
 結局、子ども手当にしても、農家の戸別補償にしても、国債を通して吸い上げられた国民のおカネがバラまかれているだけだ。こういうことに、とくに富裕層は嫌気が差している。なぜなら、庶民と比べて何十倍、何百倍ものおカネを金融機関に預け、税金もケタ違いに払っているにもかかわらず、そのおカネ自体が、金融機関にはないからだ。したがって、賢い人間ほど、日本の金融機関におカネを預けない。


日本は旧ソ連のような国家を目指すのか?

 管首相は、財務省にやり込められて消費税アップを言い出したとは思えない。正直、このままでは財政が持たないと、ナイーブに思ってしまったのだろう。しかし、日本の現状は、国債発行額(将来の増税)から試算すれば、すでに消費税が20%以上になっているのと同じである。

 政府税調も財務省も、菅首相の発言を絶好のタイミングとみて、消費税を社会全体で必要な費用を国民全体で支え合う観点から、増税の重要税目に位置づけた。そして、 消費税率を引き上げた場合の低所得者層への実質的な負担増も考慮して、所得税は、現在40%の最高税率(給与などの収入から各控除を差し引いた課税対象となる所得が1800万円超)の引き上げを狙っているという。さらに、相続税の税率引き上げや資産税などを視野に入れているという。
 「豊かな人たちに税金をより多く負担してもらい、低所得者向けの手当やサービスに回すことで格差を是正し、社会的な富の再分配機能を強化する」と、新聞は書いている。

 本気なのだろうか? こんなことをしたら、本当に日本は沈没するだろう。格差は是正されるが、できあがるのは、前記したように、自由のない旧ソ連のような国家だ。

 郵貯の再国営化も、あまりにひどい。菅政権は、郵便貯金の預入限度額を現行の1000万円から2000万円に、簡易保険の加入限度額を1300万円から2500万円にそれぞれ引き上げる郵政改革法案を改めて参院選後の臨時国会に提出する方針という。これで、さらに国民のおカネを巻き上げ、国債を消化させる算段だ。



格差なんていくら開いてもかまわない


 

 それにしてもなぜ、日本人は格差を嫌うのだろうか?
 私としては、格差などいくら開いてもいいではないかと言いたい。格差がない社会など歴史上存在しなかったし、格差がなければ人間は努力しない。したがって、経済も成長しない。要するに、問題は格差にあるのではなく、いかに流動性、チャンスがあるかだ。格差を階段にたとえるなら、それが何百段あろうと、下から上まで行けるのなら問題はない。今日は貧乏でも明日お金持ちになれるなら、格差などどうでもいい。

 しかし、いまの政策の方向を見ていると、格差の階段をなくすのが目的化している。これだと、政府組織以外の民間人はみな貧しくなる。そういう、まったくつまらない、息が詰まりそうな社会をつくってどうするのだろうか?
 誰もが同じような暮らしをする。「最小不幸社会」など、気味が悪くて仕方がない。


1990年代までの1億総中流社会は単なる幸運


 いまのメディアのアンケートの仕方にも問題がある。たとえば、「格差がひらくことはいいことだと思いますか?」と質問すれば、誰もが「よくない」と答えるに決まっている。格差とは「貧富の差」、つまり、金持ちと貧乏人の差のことであり、誰だって貧乏人にはなりたくないから、「格差はよくない」と答えるのは当たり前だからである。

 ところが、よく考えれば、それは20世紀に共産主義が大失敗した考え方である。共産主義社会では、富は公平に再分配され、国民の所得格差はなくなることになっていていた。しかし、実際にはそんなことは起こらず、ソ連では「赤い貴族」(共産党幹部)が国民を支配し、一般国民は貧しい暮らしを強いられただけだった。つまり、ソ連というのは、一見すると格差なき平等社会のように見えても、その実態は「不平等社会」だったのである。 
 日本がソ連と違ったのは、戦後、経済成長の機会に恵まれ、国民全員がその恩恵にあずかれたからにすぎない。つまり、1990年代までの1億総中流社会は、単なる幸運にすぎなかったのだ。

 人間の心理と認識には、そもそもギャップがある。これを「パーセプション・ギャップ」と言う。つまり、私たちはいま、「現実」というものを「現実そのもの」として認識しているのではなく、私たち自身が持つさまざまな価値観をとおして見ているのだ。
 つまり、格差是正の「最小不幸社会」がいいという価値観で現実を見ると、現在の格差が許容できなくなる。管首相はそういう認識であり、多くの国民もまたそうなのだろう。



1億円以上持っている人間は日本の銀行に預けない



 私は、この数年、富裕層の取材をかなり多くやってきた。「ニューリッチの世界」などの本を編集し、自らも記事や本を書くなかで、この時代のお金持ちの考え方と行動を調べてきた。
 それで言えるのは、すでに資産100億以上の富裕層の多くは日本を見捨てていること。また、資産数億のプチ富裕層、さらに比較的豊かな中流層まで、いまや日本を見捨て始めたということだ。ここ1カ月あまり、フリーランスの身になったので、比較的自由に各界のいろいろな人間に会っているが、この深刻な現実を認識している人はかなりいることがわかった。ただ、一般はほとんど知らない。

 金融関係者のなかには、「そうだよね。1億円以上金融資産がある人間で、日本の銀行に丸ごと預けているなんて人間は少ないね。いまの日本の銀行にあるのは庶民のおカネと国内で商売している企業のおカネだけ。じつは、日本の銀行にほとんどおカネはないね」という人間もいる。

 日本の金融機関には国内の機関投資家のおカネが、たいていの場合、預金、国内株、国内債券、海外株、海外債券と分散されて投資されているが、国内で運用されている限り、「失われた20年」でまったく増えなかった。だから、最近では機関投資家まで、国内を捨てようとしている。当然ながら、個人でおカネを持っている富裕層は、そのほとんどを海外に持ち出している。


富裕層の不満は日本が金融鎖国をしていること



 日本から富裕層が逃げ出すようになったのは、「失われた10年」後、さらに「失われる10年」が始まったころからだった。「日本は生まれ育った国だから、見捨てるなどという気はありませんが、いまのままでは不安で仕方がない」と、私の出会ったほとんどの富裕層の方は口をそろえた。たとえば、上場していない企業でトップと言われるある工作メーカーの社長は、香港、ベトナム、タイ、アメリカに資産を分散し、オフショアの香港に資産管理のSPCを設立していた。香港に限らず、カリブのケイマンなどにSPCを設立している富裕層の方もいた。

 日本の法律では、国内に住民票がない非居住者からは税金が取れないことになっている。だから、多くの富裕層の人々は、オフショアに資産を移したり、投資で居住ビザがもらえる国に資産や住居を移したりして、1年のうち半分以上を日本を離れて暮らしている。
 そういう人々が口々に言うのは、日本は「金融鎖国をしている」ということだ。

 たとえば、日本では海外で当たり前に売られている金融商品が買えない。投資信託などは、手数料も高いうえに、ハイリスクの商品ばかりで、海外の商品のように安定した投資効率のものはほとんどない。
 海外ということで言えば、日本で加入できる保険と同じものを海外で加入すると、月々の支払いは3分の1ぐらいになるが、日本の保険業法186条は、日本の居住者は日本で認可されている保険商品以外は買ってはいけないと規定している。これに違反すると、50万円までの罰金を科せられることになっている。


単利でしか利子がつかない日本の銀行預金


  単純な話、日本では銀行におカネを預けてもほとんど殖えない。また、日本の銀行金利はすべて単利である。しかし、海外の、とくにオフショアででは銀行金利は複利が当たり前だ。

 単利では、金利2%で100万円預けたら、1年後には2万円の利息がついて102万円になる。そして2年目の利息も2万円だから、2年後の初年度からの元本と利息の合計は104万円となる。しかし、複利では毎年元本とそれに付いた利息も含めた金額に利息がつく。
 そこで、両方を比較すると、金利2%で単利なら、1年後102万円、2年後104万円、3年後106万円となるが、複利だと1年後102万円、2年後104.04万円、3年後106.12万円となる。
 ただ、こうした低金利で、期間も短ければそれほど差はないと思うかもしれないが、これが、金利10%で何十年ともなれば、ものすごい違いになる。
 たとえば、金利10%で100万円を30年運用したとすると、単利では400万円にしかならないが、複利では1745万円にもなり、その差はなんと1345万円だ。

 日本が「失われた20年」をやっている間、先進国、アジアの新興国などでは給料がどんどん上がった。それこそ、3倍4倍になったところもある。いま、香港でマネージメント幹部の給料は、日本で同じ仕事をしている幹部と比べたら、話にならないほど高い。日本は豊かでなくなったのだ。


ヘッジファンドこそが安全で確実な投資


 日本人が誤解しているのは、ヘッジファンドのような金融先端商品がハイリスクで危険だということ。これは、マスコミが新自由主義経済の批判を繰り返し、欧米のようなカネがカネを呼ぶ資本主義を敵視してきた結果だ。
 しかし、お金持ちから庶民まで、欧米の金銭感覚では、ヘッジファンドがもっともリスクが少なく賢い投資法である。なぜなら、株や債券などの相場とまったく関連しないからだ。ただ、ヘッジファンドの多くが最低投資額10万ドルからだから、富裕層以外手を出せない。

 このヘッジファンドのような優良な投資商品には、日本からはアクセスできない。日本では、証券会社、銀行、あるいは金融商社が、日本の外にあるいい金融商品を見つけてきて売っているものがほとんどである。だから、BRICs投資だとなどといっても、直接海外投資しているわけではない。
 ファンドの世界では、これらを「フィーダーファンド」と言い、見つけてきた金融商品に販売手数料を上乗せして売っているだけ。しかも、その手数料がすごく高い。毎月配当がある海外の投資信託などに庶民のなけなしのおカネが吸収されているが、儲かるのは金融機関だけだ。

 このように金融鎖国をしている国で、今後、増税をしようというのだから、ますます富裕層は逃げ出すだろう。ここ2年間ほど、香港の優秀なファンドマネージャーの方の本をプロヂュースしたので、香港の事情に詳しくなったが、多くの日本人富裕層のおカネが、たとえばHSBCの口座に移され、そこから世界中に投資されている。
 HSBCでは、かつては日本からネットにアクセスして書類を郵送することで、口座が開けたが、ここ数年でやめてしまった。また、窓口でも英語ができない日本人の口座開設も受けつけなくなった、一説に、あまりに日本人のお金持ちが口座を開きに殺到したからだという。

 前にも書いたが、人民元口座を開くお金持ちも多い。人民元口座は、中国居住者でなくとも、北京でも上海でも簡単に開くことができる。


2000年代になってから加速化したキャピタル・フライト



 富裕層のおカネの持ち出しが顕著になったのは、2000年代になってからである。そして、2008年リーマンショック以後は、さらに加速化した。
 たとえば、2005年10月13日の『朝日新聞』の朝刊一面には、こんな見出しの記事がある。「海外不動産投資 節税か税逃れか」。 以下、その内容を一部省略しながら引用すると、こうなる。

《外資系証券会社があっせんした海外不動産リース事業をめぐり、全国の投資家二十数人が、国税当局から03年分までの3年間で三十数億円の申告漏れを指摘されていたことが分かった。
■外資系証券「投資家対象として魅力的で節税効果もある」
 東京都内の会社社長は00年ごろ、外資系のコメルツ証券東京支店(6月末に閉鎖)の社員に勧められた。米国での中古アパート賃貸事業への投資話で、約2500万円を出資。事業の「赤字」額を他の所得から引いて申告すると、03年分までの3年間で2200万円分税金が減った。
ところが、昨秋に税務署員が来た。今春に3年間で約6千万円の申告漏れを指摘され、逆に2千数百万円を追徴された。
■投資信託?
 関係者によると、投資家らは00年から同支店のあっせんで1人約2500万~約2億5千万円を出資。この資金や借入金で、米国に設立された不動産賃貸業を営むリミテッドパートナーシップ(LPS)という事業体が、カリフォルニア州やフロリダ州に計約10棟(約900戸)の木造中古アパートを購入した。
 リース事業では最初の数年間、物件の資産価値の目減りにあたる減価償却費や借入金の利息などがリース料収入を上回り、多額の赤字となる。この赤字を給与所得などの黒字から差し引くことで節税になるという。
 だが国税当局は、投資家の資金がルクセンブルクの銀行に開いた個人口座に送金され、銀行がこれをまとめてLPSに出費して資産運用していたと判断。投質家は不動産を買ったのではなく、銀行に金を預けて運用利益を得る「投資信託」にあたると指摘し、LPSも「設立登記がなされ、賃貸契約の当事者でもある」と「法人」と認定した。
 投資信託や法人の場合税法上投資家が得られるのは利益の配当だけで、事業の赤字を個人所得に反映できない。このため、国税当局は投資家の赤字計上を認めなかった。》

 これだけでは、一般の人には何のことかよくわからないかもしれない。しかし、ここでは詳しいことを知る必要はなく、このように、日本のお金持ちの多くが、海外で資産をまわしているということだ。もちろん、こんな事件は氷山の一角で、こういうお金持ちたちの行動は、水面下には山ほどある。
 この事件は、日本にある外資を窓口にしたために、税務署が来たが、じつはこれ以上のスケールのことをやっている富裕層はもっとたくさんいる。

 日本からおカネが出ていく。いわゆる「キャピタル・フライト」は、いったん起こり出すと歯止めがきかない。もう数年こんな状態が続いているのだから、日本にはおカネがないと言っても過言ではないのだ。


よほどお人好しでない限り、日本にいる理由はない


 メリルリンチ(Merrill Lynch)が調査したところによると、日本では100万ドル以上の金融資産を持つ人(つまり「ミリオネアーmillionaire」)は、約134万人ということになっている。このなかにはさらに巨額の資産を持つ人も含まれるが、これらの富裕層は、とっくに日本を見限っている。
 そして、現在、ようやく気がつきはじめた小資産家small riches、つまり前記の新聞記事に登場する人々が、「自分たちもなんとかしたい」と、続々資産を海外に持ち出している。

 なぜこんなことになったかと言えば、これまで書いてきたように、日本の財政が危機的状況にあり、国家破綻も視野に入り出したからだ。そこで、この状況を単純に考えてみると、国家の巨額の借金をこさえたのは国(公共部門)であり、そのカネを貸したのは国民(民間部門)ということになる。つまり、国が借り手で、国民が貸し手だ。
 とすれば、普通は貸し手のほうが強いのだから、力関係からいって、借り手が増税したり、国民から集めたおカネを勝手にバラまいたりするのは、とんでもないことである。普通なら借り手は、経費を削減したり、人員をカットしたり、資産を売却したりして、少しでも借金を減らすのが筋である。そのうえで、増税と福祉カットがやもうえないなら、貸し手も涙を飲むだろう。しかし、管政権は、それをやる気はないようだ。
 みんなの党だけが、この当たり前のことを主張し、官僚国家を解体せよと言っている。

 現在、日本の一般国民は、こうした現実を認識できない状況に置かれ、国家と「抱き合い心中」させられようとしている。国家(官僚)は返済を永遠に引き伸ばそうと画策し、すべてのツケを先送りしようとしている。財政再建などと言っているが、増税は解決策ではなく、返済先延ばし計画に過ぎない。  
 ただ、これをやり続けると、そのツケは結局、次の世代、いや、まだ生まれていない世代にまで及んでしまう。

 だから、賢い人間、富裕層から国を見捨てる。資産があるということは、自由な行動をとれるということだから、よほどお人好しでない限り、このグローバル化の時代に、日本にいる理由はない。

 この地球上で、1つの国家の下に暮らすほど愚かなことはない。欧米の上流の人々や大金持ちは、昔からずっとこう考えてきた。そして、PTというライフスタイルを編み出した。PTとは、“Permanent Traveler”あるいは“Perpetual Traveler”といい、“PT”と略す。要するに「永遠のトラベラー」だ。
 このライフスタイルに私はずっと憧れてきた。高城剛氏や投資家の上条詩朗氏など話すたびに、この地球の狭さを実感し、彼らのライフスタイルを注視してきた。フランスの思想家アタリは、PTというより、この21世紀は「スーパーノマド」(高等遊牧民)の時代だと言っている。


なぜ、地方を救うのか? なぜゴーストタウンができていけないのか?



 それにしても、日本を復活させる方法はいくらでもある。
 徹底的な開国政策を取り、外資から外国人まで、世界を丸ごと受け入れてしまうことである。なぜ、国内だけの格差を是正し、国内だけで最小不幸社会をつくらなければならないのか? さっぱりわからない。
 いま日本にやってくる中国の富裕層のいちばんの不満は、ケイタイが使えず中国の免許では日本で車を運転できないことだ。しかし、やがて、日本にはいま以上の中国人がやってきて、おカネを落とし、日本の道路をレンタカーを借りて走り回るようになるだろう。

 そんな未来を見据えれば、たとえば、沖縄を香港と同じようなオフショアにしてしまえば、中国人富裕層のおカネはどっと流れ込む。企業もどんどん移転する。カジノを解禁すれば、リゾートと併せて海外から観光客はどっとやってくる。そこに、米軍基地がいくらあっても問題なしだ。かえって米軍にはいてもらわないと困る。

 国内で高速道路や新幹線をまだつくりたいなら、そんな国内にこだわる小さなことより、たとえば日韓トンネンルをつくってしまえば、いい。この大プロジェクトは、昔も計画されたことがあるという。ならば、技術的には可能だろう。こうすれば、日本は大陸と直接つながる。やがて北朝鮮が崩壊すれば、東京から北京までノンストップで行ける。

 ただ、こんなことより重要なのは、いまや時代がクラウドコンピューティングによる情報革命の第2段階に突入していることだ。もはや公共投資はコンクリートなどに向けてはいけない。今後、情報がグーグルやマイクロソフトなどのアメリカ勢にすべて握られ、全産業と人類がその情報インフラなしでは暮らせなくなる社会が出現しようとしているのだから、日本はIT安全保障を考え、官民一体のクラウド・サービスができるインフラを整えるべきだろう。

 私が格差是正とともに本当におかしいと思うのは、地方経済を救えという主張だ。このままでは地方はどんどん貧しくなる。それがいけないというのだ。しかし、産業や競争力がなくなったところはさびれるのは当然で、それを維持しようとすればするほどおカネがかかる。限界集落など、どんどんつぶしてしまえばいいではないか。そんな不便なところに住んで、ほかと同じような暮らしをさせてくれという主張する人は切り捨てるべきだ。さっさと引っ越せばいいだろう。

 クラウドコンピィーティングの時代に、村の郵便局を維持させることがいかに滑稽か考えてほしい。インターネットによるネットワークが発達したこの時代に、なぜ、紙の郵便が必要なのか。また、山奥の村までなぜ公共交通網を維持しなければならないのか、私には本当にわからない。

 同じく、この国では成り立たない零細農業をなぜ救わなければならないのか? 戸別補償がなぜ必要なのか? 農家がどんどんつぶれれば、農地は自然に帰り、森や里山が復活する。これこそ究極のエコではないか。現在、農家の働き手の平均年齢は60歳である。ならば、さっさと引退させ、零細農家は統合して、若者たちに大規模農業に参入させたほうがよほど効率がいい。
 
 アメリカ西部に行けば、昔は栄えたがいまはゴーストタウンになっているところなどいくらでもある。人口も減り、産業も衰退するこの国で、ゴーストタウンがなぜできていけないのか、教えてほしい。


失われた20年間の逆をやれば復活する?



 それにしても、いまの日本に住んで毎日働いているということは、それだけで大きなリスクだ。鎖国を続けるこの国では、どんなに働いても資産形成などできない。税金は高いし、国債乱発で目に見えない税金まで加えれば、将来豊かになれる希望などほとんどない。
 それなのに、多くの日本人は、自分たちがまだ世界でもいいほうだと信じ込まされ、いずれ景気はよくなると頑張り続けている。

 ところで、最近つくづく思うのは、やはり日本はすごい国だということだ。これほど政治が混乱し、失われた20年の間ですべての政策は失敗したというのに、まだ、世界で2番目の経済大国でいられるからだ。こんな国は世界でもありえないと言っていい。もちろん、これは皮肉だが……。
 ただ、それも今年ぐらいまでかもしれない。これまではデフレが続いていてきたから、所得が増えなくても生活レベルが落ちずにすんだ。だから、まだまだこの状態でいられると、人々は勘違いしている。しかし、実際はもうそろそろ底力が尽きるところに来ていいて、日本はここ数年でとんでもなく落ちていく可能性が強い。
 それがイヤなら、この20年間にやってきたこととまったく逆のこと、それをやれば、日本が復活する可能性はまだいくらかはあるだろう。