[076]映画『ソーシャル・ネットワーク』がゴールデングローブ賞で4冠獲得。「Facebook」の本質とは? 印刷
2011年 1月 19日(水曜日) 23:58
 アカデミー賞の前哨戦となるゴールデングローブ賞(ハリウッド外国人記者協会主催)で、『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network)が予想通りドラマ映画部門作品賞など4冠に輝いた。『ソーシャル・ネットワーク』は、「Facebook」の誕生秘話を描いた映画で、昨年秋にアメリカで封切られると大ヒット。日本ではこの15日に封切られたが、出足はいいようだ。今年は昨年の「電子書籍元年」に続いて「ソーシャルメディア元年」と言われ出しているから、アメリカと同じようにヒットするかもしれない。

   私はこの映画を、昨年、オーストラリアに向かう飛行機のなかで見て、結局、眠るつもりが眠れなかった。それは、「Facebook」誕生の頃のハーバードとボストンの学生たちの熱気が画面からあふれ出し、当時をまざまざと思い出してしまったからだ。

   

   映画は、2003年秋、当時ハーバードのソフォモアだった創業者のマーク・ザッカーバーグが、BU(ボストン大学)の恋人エリカから振られるところから始まる。エリカに「あんたは性格がサイテー」と言われて頭にきたマークは、その夜、ブログに彼女の悪口を書きたてる。それでも気持ちが治まらず、ハーバードのサイトに侵入して女子学生の写真を集め、親友のエドアルドといっしょに女子学生の顔の格付けサイト「フェイスマッシュ」を立ち上げた。これが、後の「Facebook」の原型となるわけだが、アメリカの若者なら、このエピソードは誰もが知っている。

 ちょうど同じ時期に娘もアメリカに留学していたため、私もおぼろげに知っていたが、映画で見ると、なるほどこうだったのかと改めて納得した。

 「フェイスマッシュ」はあっという間に広まり、マークは大学側から呼び出しを受け、サイトは閉鎖されてしまう。しかし、彼のアイデアと才能に目をつけた上級生のすすめもあり、マークはハーバード大学の学生専用の女子学生との出会いサイトを立ち上げ、これがやがて「Facebook」に発展していった。当初、アメリカではSNSサイトとしては「Myspace」のほうが先行していたが、やはりハーバードのブランド(harvard.edu)は強い。全米の学生たちの間に瞬く間に広まり、いまでは全世界で5億人のユーザーを獲得するまでになった。

 日本では「Facebook」が広まらないのは、アメリカのように実名でこれを利用する文化がない。日本のネットは匿名が主流だからという意見があるが、そうではない。日本の大学のカルチャーが世界とはまったく異質で、とくにアメリカのようなキャンパスライフが日本の大学にはないからだ。それと、もうひとつは言語が英語だからである。いくら日本語になっていようと、英語ができなければ、「Facebook」のなかでは、本当のソーシャルネットワークは広がらない。

 娘は毎日のように「Facebook」にアクセスして、世界中の友人たちの動向をチェックして、彼らとコミュニケーションを取っている。しかし、私は「Facebook」を今日までやらないできた。その理由は極めて単純。英語が苦手だからだ。英語でコミュニケーションを取るのは、いまでも本当に面倒だし、難しい。

 「Facebook」の根底にあるのは、アメリカの大学で青春を過ごした全世界の若者たちのソーシャルグラフである。これがいま世界のトレンドをつくり、やがて彼らが各国の社会で第一線に立ったとき、世界全体を動かす基盤になっていくだろう。これはすごいことで、このことに気がついている人間は日本では少ない。

 ソ―シャルメディア論が盛んだが、マーケティングなどの面が強調されるだけで、文化的な側面を語る人間が少ない。それは、日本の専門家と称する人々が、一部を除いて、じつはアメリカの大学のカルチャーを知らないからだ。

 「Facebook」は、日本のような辺境文化国から見ると、恐ろしい文化である。それは、大元のソーシャルグラフがハーバードのような超エリート集団から始まっているからだ。これは、彼らが世界をコントロールできる武器になりかねないということを意味している。