[081]高城剛氏の出版パーティに出席。改めて彼の生き方、考え方を考える 印刷
2011年 3月 02日(水曜日) 21:38

昨夜(3月1日)、高城剛氏の出版記念パーティに妻と出かけた。会場は、六本木ロアビルのクラブ「Vanity Lounge」。招待客300人ほどが詰めかけて盛況だった。

 このパーティの前、高城氏は、前日の妻・沢尻エリカの会見を受けて、ミニ会見を開いた。そこで、注目の離婚問題について語った。その内容は、芸能ニュースが報じているので、ここで書く必要もないと思うのでカット。かつて女性誌で芸能デスクをしていたころなら別だが、いま、私が彼に興味を持っているのは、そんなことではない。彼の生き方そのものと、彼の頭のなかになにがあるのかである。

 ここ数年、彼は定住生活をやめ、日本にはほとんどいないで、世界中を「スーパーノマド」として飛び回っている。それが、21世紀型のクリエーターの生き方だと信じ、それを実行している。

 したがって、今度の本のタイトルも「私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。」(マガジンハウス刊)だ。

 

  彼がなぜハイパーノマド生活を続けているのか? その理由を理解している人はほぼいないと思う。また、理解したとしても、それを認めたくないと思っている人がほとんどではなかろうか。

 なぜなら、誰もが自分にはそんなことはけっしてできないと信じ込んでいるからだ。だから、彼を異端扱いする。いつの時代も、社会は保守的であり、その枠組みから飛び出して生きる人間を、できるなら排除しようとする。

 しかし、社会を変革するのは、枠組みの内側にいる人間ではなく、外側にいる人間だけだ。

 その意味で、彼が今回の本のなかに書いたことで、私が共感したのは、次のようなメッセージだった。

 

■21世紀の社会とは?

 

 「僕は過去20年にわたり、携帯電話が小さくなって耳に入るようになると、テレフォンのゴールはテレパシーになる、と言っているように、人々の意識が本当に「つながる」と思います。

 それはツイッターのフォロワーや巷でいう「つながっている」などという安い発想とは大きく異なります。本当に、意識的に世界全員がつながることになると、それは、一切の隠しごとができず、悪いことができなくなる方向に向かっていることを意味します。

 それが本当に「オープン」な情報システムなのであり、今後100年かけて起こる二十一世紀最大の「チェンジ」となるでしょう。

 二十世紀が、テレビ、コンピュータ、デザインといった網膜の時代、目に見える時代だとすれば、これからの100年は神経の時代、目に見えないけど感じる時代、となります。科学技術的に道徳的に精神的に、今後100年かけて、自分と相手のすべてがわかってしまう時代が来るのです」

「もし隣の人のことが100%わかるとしたら、どうしますか?同じように、自分のことが100%隣人にわかられているとしたらどうしますか?」

「いまは、インターネットによって5%ぐらいでしょう。それがツイッターやSNSといわれるものの正体です。これが映像化されることによって5%が20%に跳ね上がります。」

——たしかに、いまのネットの進展状況を見れば、こういうように人間が本当につながる時代が来るのかもしれない。もはや、個人情報保護法も無意味だし、国家機密も簡単に漏れる時代になった。個人の行動はオンラインで記録されているかぎり、生まれたときから死ぬときまですべて追跡可能だ。また、会社や国がいくら不祥事を隠蔽しようとしてもすぐ暴かれるほど、ネット社会は進んできた。その先にあるものを、彼はこのように表現している。

 

■アイデアとクリエーション

 

「ずっと言っていますが、アイデアと移動距離は比例します」

「お金や欲望はアイデアの天敵」

——常に変化すること。それがアイデアを生むなら、定住などできない。生活はできるだけコンパクトにし、そして絶えず移動して自分の目で世界のトレンドを見て確かめる。考えてみれば、マルコ・ポーロも芭蕉もこれをやっていた。

 

■情報社会

 

 「本物の情報を見分けるには、当たり前ですが実際に見た者に聞くのがいいと思います。彼らは、この混沌とした時代に、真実を目で見て肌で感じています。

 すなわち、二十一世紀的高城式だと、移動距離と真実を見る目は比例するのです。そして同じように移動距離と誠実さも実は比例するのです。なにしろ、本物を見て感じたわけですから嘘を言う必要がなくなります」

——東京にいて、テレビ局のワイドショーで当たり障りのない発言を繰り返すコメンテーターの言葉に、私はいつも納得がいかないものを感じてきた。いまの日本は、知識はあってもそれを裏付ける体験がない人間が、そのときの状況、気分で意見を言っているだけだ。それが、はたして意見だろうか?

 

■インターネット、ソーシャルメディア

 

 高城氏はツイッターはもとよりSNS全般をいまのところやっていない。それはネットが「ソフトな監視社会」と考えているからだ。誰かが誰かを見張っている。それがネット社会だと、彼は感じているという。

 「SNS全般ですが、一見いろいろな情報を発信したりして共有して仲のいいコミュニティを形成しているようだけど、その裏で、相手がなにをしているのか、どんなことを知っているのか、探り合っている。その結果、仲良しコミュニティに入っていないと村八分にされるような状況になっていますね。結果、小さな共同幻想が出来上がって、そこから逃げられなくなります」

——今年は「ソーシャルメディア元年」とも「スマートフォン元年」とも言われている。しかし、その本当の意味をどれだけの人間が考えているだろうか?とくに、ツイッターやフェイスブックは、人と人をつなげ、コミュニティを形成するツールではなく、じつは部外者を排除するツールではないかと、私は最近思い始めている。

 

 高城氏のパーティは、司会が入るわけでもなく、アトラクションがあるわけでもなく、ただ彼と会って歓談するだけで終わった。仲間が集まって飲んで話す、もっともシンプルな欧米式スタイルだ。

 ただ、外国人の姿がほとんどないので、やはり、ここは日本だとつくづく思った。文化的な辺境国家になりつつあるいまの日本を、はたしてどれだけの参加者が肌で感じているだろうか? 

 3月になったのに、この夜、東京の気温は低く、冷たい雨が夜半まで降っていた。