[084]東京に戻って考える「日本の史上最大の危機の10日間」 印刷
2011年 3月 24日(木曜日) 11:36
3月21日の最終便で宮崎から羽田に戻った。3月14日に東京を脱出したときと同じように、羽田空港内は照明を落として薄暗かった。この薄暗さは、電力供給が少なくとも半年は回復しないので、今年の夏以降まで続くことになる。となれば、いくら国際化で拡張したとはいえ、こんな陰気な国際空港は外国人にも嫌われるだけだ。

 少なくとも国際空港は日本の表玄関だから、いくら節電とはいえ、照明を落としてはいけないと思う。こういう場所だけは明るくしなければ、人間の心まで暗くなる。

  なぜ、首都圏に戻ったのか?

 脱出を進めた友人は「まだ早い」と言ったが、総合的に見ると、制御不能だった原発は、ようやくコントロールできる兆しが見えてきたことがひとつ。もうひとつは、菅政権と官邸のドタバタは続いているが、自衛隊や消防などの組織、そして現場の人間たちが、上を無視して動くようになったからだ。

 上のパフォーマンスや思いつきに従っていたら、危機はまだ続いていただろう。日本は、下で本当に働く人々がつくっている国だ。それが動き出した。

 いちはやく東京を脱出したので、その後の私は非難轟々だった。まるで敵前逃亡したかのように言う人間もいた。まだあの時点では、誰もが地震災害に目を奪われ、本当の危機が原発のメルトダウンに移ったことを認識していなかったから、無理もないと思う。「東京脱出?疎開?いったいなにを考えているんだ」という反応ばかりだった。

 しかし、原発への通電が復旧するまでのこの10日間、日本は間違いなく史上最大の危機のなかにあった。

 

「なんでも政治主導。全部私が仕切ってみせる」首相

 

 その危機をつくったのは、民主党政権、首相官邸である。地震発生時に、日給9000円の現場作業員をほったらかしにして逃げた東電社員、そして、認識が甘かった東電幹部、原子力保安院も責められるべきだが、「なんでも政治主導。全部私が仕切ってみせる」という支持率20%以下男が、最大の責任を負わなければいけない。地震が起こったとき「菅はついている」と言ったとされ、途中から笑顔で官邸に復帰したチーム仙石も同じだ。

 しかも、この人間たちは、責任逃れのために、いまだに「直接的な害はない」と言いながら、福島産などの野菜を出荷停止にして、自分たちで風評被害をつくり出している。そのあげくに、わずかな数値におびえて、東京都では乳幼児家庭にペットボトルを配るという愚かなことを始めた。そのうち、ペットボトル水からも放射能が検出されたらどうするのだろうか?

 

情報を垂れ流すだけになった政府 、官邸

 

 政府の姿勢が明らかに変化したのは、16日に天皇の被災者へのメッセージが放映され、翌17日に自衛隊のヘリコプター作戦が失敗してからだった。これは、世界から対応遅れを批判され、株価が急落したことを受けての菅首相主導のパフォーマンスだったとされる。初めから効果は期待薄だったが、それでもやらせてみて、さらに物笑いになって、やっとわかったのだろう。

 以後、政府は、上がってきた報告をただ垂れ流すようになった。これは、当初、情報を取捨選択してスピンしていたことに比べればまだいいが、パニックをあおりかねない。自主的に判断できる人間にとってはいいことだが、そうできない人間はどうしたらいいかわからないはずだ。

    どちらのメッセージが日本人を本当に動かすだろうか?

 

アメリカとアメリカ軍の動きと比べたら?

 

 現在、第7艦隊は原発から160海里離れた三陸沖にいる。原発被害を考慮して、日本海側を北上した揚陸艦エセックスなどの艦隊も太平洋側に入った。

 アメリカは、いちはやく原子力規制委員会から11人の専門家を派遣したが、彼らは足止めされたまま、本国には「日本政府は大混乱している」と報告している。東京にはCIAなどの情報関係者もいっぱいいる。ロシアも中国も情報活動している。彼らはみな本国に「日本政府は最悪の状況には対処できない」と報告しただろう。

 米国大使館 は3月17日には、50マイル(80キロ)圏内を設定し、圏内から米国人の退去を勧告した。いまや福島にはアメリカ人は1人もいない。日本は30キロ圏内だが、その根拠がどこにあるのかも一般にはわからない。31キロの人はどうしたらいいのか、誰も教えない。

 米軍関係者とその家族は原発事故発生後から、「沖縄のキャンプハンセンから海兵隊の特殊部隊が行くから心配ない。ロナルド・レーガン(空母)はもう行っている」と言っていた。しかし、海兵隊の第31海兵遠征部隊(31MEU)は、一時は秋田沖の揚陸艦3隻で日本政府の「指示待ち」状態となって動けなかったのだから、あきれてしまう。

 

中国ではすでに日本産品が破棄され出した

 

 18日夜、菅首相は国民に対してメッセージを送ったが、要約すれば「戦後最大の危機にくじけているわけにはいかない。一緒に頑張ろう」というだけ。これほど空虚な言葉を私はいままで聞いたことがない。

 私の友人のベンチャー企業の社長は、取引先の中国から帰るとき、ビニール製のカッパを100着買って帰った。今後、雨が降る度に着たら脱ぎ捨てるのだという。また、会社ではガイガーカウンターを購入して常に測り、製品の安全、社員の安全を測っている。

 中国の知人は、先週の段階で、上海では、それまで売れていた日本製の高級米やリンゴがスーパーから撤去されたと言ってきた。そのうち、日本のハイテク製品も売れなくなるかもしれない。

 

原発問題は長期戦、今後最低10年は続く

 

 では、今後、原発はどうなるのだろうか?

 専門家から聞いたところでは、核燃料の崩壊熱を冷却できるようにすることが第一段階。いま、私たちは、この途上にいる。しかし、その間にも放射能物質が出る恐れがあるので、原発自体をシールドで覆うようなことをしなければならない。そして、落ち着いたところ(3〜5年かかるという)で使用済みの核燃料棒を貯蔵プールから取り出して、再処理施設に送り、長期保管する。この長期保管期間は、なんと最低で10年、場合によって50年必要だという。

 日本では青森県六ヶ所村に六ヶ所村核燃料再処理施設があるが、これはまだ建設中だ。つまり、今後は、信じられないほどの長期戦になる。

 また、当然だが、30キロ圏内に住民が戻るなどとうことは、ありえないだろう。しかし、このような長期戦になることに対してのアナウンスはない。

 史上最大の危機の10日間は去ったと思われる。いずれ、この10日間の検証は徹底して行われるだろう。そしていま、今後の復興を思うと、これ以上の人災だけは避けなければならない。菅首相は「最小不幸社会」を提唱したが、このままでは「最大不幸社会」になってしまう。