[089] NHKの電子書籍特集と電子書籍アワードから見えてくる「電子書籍市場」の今後 印刷
2011年 5月 04日(水曜日) 02:38

昨夜、NHKの番組『追跡!A to Z』で、「電子書籍革命の作家たち 私たちに何ができるのか」という企画が放映されたので、食い入るように見た。しかし、正直言って、現場をレポートしただけでまとまりがなく終わっていて、がっかりした。

  この番組は、NHK解説委員の鎌田靖氏が時代を読み解いていくというつくりになっていて、テーマによっては、これまで本当に感心したものもあった。しかし、今回だけは残念ながら見応えがなかった。

  その理由は、番組の取材中に東日本大震災が起こったことが大きい。番組構成にもそれが現われていて、まとめるのに相当苦労した跡が見受けられた。なにしろ、鎌田氏が作家・村上龍氏の電子書籍制作の現場に取材に行った当日に、東日本大震災が起こった。それにより、村上氏の電子書籍制作の内容は大きく変わり、「被災者に対して、今後の日本に対して、作家は電子書籍をとおして何ができるか?」ということに関心が移ってしまったからだ。

  つまり、本来なら、電子書籍の可能性をもっと探るはずだったと思うが、それができないままに終わっていた。

 

村上龍氏、瀬戸内寂聴さんの目指すものはなにか?


  村上氏は昨年、自ら電子書籍出版社を設立し、IT企業と組んで「紙の本ではできない独創的な作品」づくりを開始した。村上氏が目指したのは、単なる文字だけの作品ではなく、音楽や映像を組み込んだデジタル時代にふさわしいコンテンツづくり、つまりリッチコンテンツだった。これに、業界はずっと注目し続けてきたが、まだなんの答えも見い出せていない。

  今後、電子書籍がビジネスとして確立できるのか? 紙から電子にデバイスが代わり、書籍がどうなっていくのか? という問題は、現状ではなんの答えもない。

  村上氏の電子出版社に、瀬戸内寂聴さんも参加して、自らの作品を電子化し始めた。ただ、瀬戸内さんは、「私の世代の作家はみんな死んでしまった。だから、電子書籍を知らないので、私はこれを持って(あの世に)行きたい」というようなことをインタビューで語っただけ。瀬戸内さんと私の父・津田信は昭和30年代の初め、ほぼ同時に文壇にデビューしている。父が死んでもう27年も経った。

 

「ダ・ヴィンチ電子書籍アワード2011」の結果

 

 NHKの電子書籍番組を見終わって、あらためて、電子出版について考えた。そこで、思い出したのが、つい最近行われた「ダ・ヴィンチ電子書籍アワード2011」という電子書籍の賞である。この賞は、メディアファクトリーの主催で、4月27日に、審査結果の発表と受賞式が行われた。

  候補作品の対象になったのは、2010年1月1日~12月31日の期間にスマートフォンやタブレット端末向けに配信されていた電子書籍で、賞には「文芸」「書籍」「コミック・絵本」などの部門が設けられたが、大賞を獲得したのは、『ヌカカの結婚/テロメアの帽子/カルシノの贈り物』(著者:森川幸人 制作:ムームー)という作品だった。

  この作品は、2010年4月に「見て聴く絵本」3部作として配信が開始されたもので、ひと言で言えば、「大人向けのやさしい科学絵本」だ。

 

電子化の機能を盛り込んだだけでは「解」にならない

 

  では、なぜ、この作品が「電子書籍大賞」を獲得したのだろうか?

  審査員の市川真人氏(早稲田文学主幹)は、「電子書籍だからといって、紙ではできなかったインタラクティブな機能をむやみやたらに盛り込もうとする動きは確かに目を引くが、それらは局所的には最適解であるように見えても、本という存在の最適解ではないかもしれない」と、この作品を高く評価した。

  つまり、『ヌカカの結婚/テロメアの帽子/カルシノの贈り物』は、電子化で可能になったデジタル機能を追求したものではなく、あくまで活字、絵という表現手段をベースに、電子書籍としてのバランスがうまく追求されている作品だった。

  著者の森川氏自身も、「せっかく紙と違うからといって、あれこれと盛り込みたくなる衝動に駆られるかもしれないが、それが結果的にムービークリップのようなものに なってしまったら、本の持つよいところがなくなってしまう」と述べ、一方で、「電子書籍については、まだ誰も正解を見つけていない」と続けた。

 


はたしてリッチコンテンツづくりは必要なのか?

 

  昨年は「電子出版元年」と言われ、作品としてもっとも注目を集めたのは、村上龍氏の『歌うクジラ』だった。この作品は、この日の電子書籍アワードの文芸賞には選出されたが、大賞候補にはならなかった。村上氏の挑戦は、新しい時代を切り開くためには欠かせないが、はたしてこの方向が実を結ぶかは疑わしい。

  私としては、このようなリッチコンテンツは電子書籍の今後を考えると、間違った方向かもしれないと思っている。なぜなら、そこまでするなら、その時点でもう書籍とは呼べないからである。そこまで、作家がする必要があるだろうか? また、それをビジネスにするとしたら、相当な投資が必要だし、なにより人気作家以外手が出せない。

 

なぜ大賞作品『適当日記』は売れたのだろうか?

 

  いずれにせよ、電子書籍の最適な「解」は市場、ユーザーが決める。単純に言えば、売れるか売れないかによって、この市場の性格が決まる。そこで、いまの時点で「解」があるとすれば、それはやはり、「BL」「TL」などのエロ系コンテンツに尽きる。まだまだ日本では、先行するアメリカのような一般書の電子書籍市場はできていない。

  ただ、この電子書籍アワードで特別賞を獲得した『適当日記』(著者:高田純次 制作:ダイヤモンド社)には、現在の市場の「解」がある。それは、電子書籍の中身(企画)ではなく、価格の解だ。この作品は、「App Store」のランキングがゲームなどの娯楽アプリで占められるなかで、電子書籍(単体アプリ)として長期間ランキング上位にランクインし続けたからだ。

  つまり、よく売れたわけで、その理由を突き詰めると、iPhone版での価格が350円と安価だったことにある。さらに、セールを実施し、価格を115円に値下げするとさらに売れたので、結局、電子書籍は100円程度でないと市場はできないと考えたほうがいいだろう。

 

新刊の電子書籍を100円台で出せるのか?

 

  アメリカでもアマゾン「Kindle」でよく売れている作品は、いずれも2.99ドルか99セントだ。これは、有名作家の作品でも中堅以下の作家の作品でも同じである。しかし、現状で、日本の大手出版社が新刊の書籍を100円台で出すことは、不可能だろう。そんなことをしたら紙での売上げが吹き飛んで、自分の首を絞めるばかりか、再販制度まで崩壊してしまう。

  とはいえ、これに踏み切れなければ一般書の電子書籍市場はできないわけで、ここに大きなジレンマがある。

  このように堂々巡りするなかで、否応なくデジタル化は進んでいくが、現在のデジタル革命の焦点は、電子書籍化より、テレビとネットの融合に移っている。今年は「ネットテレビ元年」ともいうべき年で、今後、テレビの視聴スタイルが変われば、プリントメディアもその影響を大きく受けるだろう。そのような未来に関して、まだ正確な見通しを誰も述べていない。