[093]売上大幅ダウンのダービー後に回想する「日本経済の四半世紀」 印刷
2011年 5月 30日(月曜日) 17:35

2011年の雨中の日本ダービーが終わった。

  オルフェーブルは不良馬場をものともせず、直線で伸び切り、史上22頭目の2冠馬となった。東日本大震災から2カ月半がすぎたが、日本は今後どうなっていくのか? そんな思いを抱えながら、このダービーを見た人は多いと思う。

  そこで、気になったのが、当日JRAから発表された売上と、入場者数だ。日本ダービーの馬券売上は、前年比20%減の198億8450万3300円。入場人員は8万2240人で同65・4%。いくら大雨といえ、この落ち込みはひどすぎる。

  競馬の売上は、そのときどきの経済状況を反映するから、ここまで落ち込むということは、日本の現状と将来に、多くの人々が限りない不安を抱いているということになる。そこで、JRAのここ四半世紀の売上推移をあらためて見直してみることにした。

 

1997のピーク以後、一貫して下降を続ける売上

 

  JRAの売上は、1980年代半ばに1兆5000億円を超え、地方馬オグリキャップが中央デビューした1988年に初めて2兆円台(2 兆2067億)に乗り、そのオグリが引退した1990年には3兆円を突破した。まさに、日本経済がピークに達したバブル経済とともに、大きく膨らんだ。その後、バブルが弾けても売上は伸び続け、1997年にはなんと4兆円台に乗った。

  しかし、売上は1997年がピークであり、その後は下げ止まっていない。そして、2010年にはピーク時1997年(4兆6億円)の半分近くの2兆4275億にまでなってしまった。今年はこのままでいけば2兆円を割ることも考えられるから、バブル経済が始まった当時に戻ることになる。

      

  これを日本経済全体とのアナロジーで考えれば、日本はバブル期で蓄えた富をすべて使い果たし、そのうえ大借金を抱えたまま、1990年以来の「失われた20年」をへて、「さらに失われる10年」に突入していくことになる。

 そこで、以下に、1985年から2010年までの四半世紀の「JRA売上推移」に「その年の出来事、キーワード」を併せ、さらに、「ダービー馬、JC馬、有馬記念馬」を併記した表をつくってみた。こうしてみると、この四半世紀のことが、脳裏にあざやかに蘇ってくる。

 

   《JRA売り上げ推移と、その年の出来事、キーワード》 ( )内はダービー馬、JC馬、有馬記念馬

2011…○兆○○○○億円---東日本大震災、福島第一原子力発電所事故

    (オルフェーブル、○○○○、○○○○)   

2010…2兆4275億円----菅直人内閣発足、尖閣諸島中国漁船拿捕事件、日中経済逆転、AKB48、

        (エイシンフラッシュ、ローズキングダム、ヴィクトワールピサ)

2009…2兆5900億円----民主党政権発足、新型インフル、事業仕分け、脱官僚

       (ロジユニヴァース、ウオッカ、ドリームジャーニー)

2008…2兆7502億円----リーマンショック、北京五輪、消えた年金、派遣切り

        (ディープスカイ、スクリーンヒーロー、ダイワスカーレット)

2007…2兆7591億円----新潟県中越沖地震、福田康夫内閣、サブプライム、食品偽装

        (ウオッカ、アドマイヤムーン、マツリダゴッホ)

2006…2兆8233億円----ライブドアショック、耐震偽装事件、小泉引退安倍政権

        (メイショウサムスン、ディープインパクト、ディープインパクト)

2005…2兆8946億円----愛知万博、下流社会、郵政民営化解散

        (ディープインパクト、アルカセット、ハーツクライ)

2004…2兆9314億円----鳥インフル、年金未納問題、靖国問題

        (キングカメハメハ、ゼンノロブロイ、ゼンノロブロイ)

2003…3兆0103億円----不良債権、サーズ、イラク戦争

         (ネオユニヴァース、タップダンスシチー、シンボリクリスエス)

2002…3兆1334億円----小泉訪朝日朝会談、ハリポタ、W杯日韓大会、ユーロ流通開始

       (タニノギムレット、ファルブラブ、シンボリクリスエス)

2001…3兆2586億円----小泉政権発足、9.11同時多発テロ、京都議定書

         (ジャングルポケット、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ)

2000…3兆4347億円----雪印事件、小渕首相死去森内閣誕生、高橋尚子シドニー金

         (アグネスフライト、ティエムオペラオー、ティエムオペラオー

1999…3兆6572億円----生保・銀行破たん、宇多田ヒカル、ユーゴ崩壊、ミレニアム

         (アドマイヤベガ、スペシャルウィーク、グラスワンダー)

1998…3兆8012億円----長野五輪、毒物カレー、キレる、自殺者3万人越え、長銀、日債銀国有化、タイタニック

         (スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダー)

1997…4兆0006億円----JRA売上ピークの年、アジア通貨危機、山一、拓銀倒産、たまごっち、消費税3%→5%

        (サニーブライアン、ピルサドスキー、シルクジャスティス)

1996…3兆9862億円----住専処理、アムロブーム、子ギャル

          (フサイチコンコルド、シングスピール、サクラローレル)

1995…3兆7666億円----阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件、ウィンドウズ95、史上最高円高79円

     (タヤスツヨシ、ランド、マヤノトップガン)

1994…3兆8065億円----松本サリン事件、プレステ、村山内閣

    (ナリタブライアン、マーベラスクラウン、ナリタブラウン)

1993…3兆7454億円----細川政権、雅子妃ご成婚、Jリーグ開幕、インターネット

    (ウィニングトケット、レガシーワールド、トウカイテイオー)

1992…3兆6138億円----大学センター試験開始、佐川急便事件、クリントン米大統領、尾崎豊死亡

    (ミホノブルボン、トウカイテイオー、メジロパーマー)

1991…3兆4338億円----湾岸戦争、ソ連崩壊、東京ラブストーリー、平均株価2万円割れ

    (トウカイテイオー、ゴールデンフェザンド、ダイユウサク)

1990…3兆0904億円----バブル経済崩壊、湾岸危機、統一ドイツ誕生、ちびまる子、

    (アイネスフウジン、ベタールースンアップ、オグリキャップ)

1989…2兆5545億円----昭和終焉、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、美空ひばり死去、株価史上最高値

    (ウィナーズサークス、ホーリックス、イナリワン)

1988…2兆2067億円----リクルート事件、トトロ、千代の富士53連勝

    (サクラチヨノオー、ペイザバトラー、オグリキャップ)

1987…1兆9731億円----地価高騰、マドンナ、竹下内閣、石原裕次郎死去

    (メリーナイス、ルグロリュー、メジロデュレン)

1986…1兆8013億円----AIDS、チェルノブイリ原発事故、円高、ダイアナ妃来日

    (ダイナガリバー、ジュピターアイランド、ダイナガリバー)

1985…1兆6458億円----筑波万博、JAL123便墜落、プラザ合意、松田聖子結婚

        (シリウスシンボリ、シンボリルドルフ、シンボリルドルフ)

 

バブルのピークに登場したオグリキャップ

 

 日本経済が沸きに沸くバブルの到来を告げたのは、2頭の三冠馬、ミスターシービー(1983年)と、シンボリルドルフ(1984年)だった。この時代はJCが始まり、日本の競馬も大きく国際化に舵を切った。そして、ピークに達したときにオグリキャップが現われた。

  一介の地方競馬出身の馬が中央のエリートを下して、有馬記念を制覇する。それは、フツーの庶民までがバブルの恩恵で富を掴める時代の象徴ではなかったろうか?

 しかし、バブルが崩壊して1990年代に入ると、日本の経済システムは世界でじょじょに通用しなくなった。冷戦終結でグローバル化が進展するなかで、日本はひたすらバブル崩壊の後遺症に悩まされ、グローバル型の経済システムを導入できずに、経済は停滞した。

 ただ、競馬の売上はまったくの国内循環経済だから、バブル崩壊の影響は少なく、売上は1997年までは増え続けた。それを象徴するのが1994年の3冠馬ナリタブライアンだろう。ナリタブライアンはたしかに強かったが、3冠馬なのに短距離G1で走らされ、酷使されて引退した。

 

ディープインパクトは、おそらく日本の経済の最後の底力

 

  1997年、サニーブライアンがダービーを逃げ切り、シルクジャスティスが有馬記念を差し切り勝ちしたとき、日本経済は戦後最大の金融危機に見舞われていた。この年、山一証券、拓銀が倒産し、消費税が5%に増税されて、日本経済の衰退は加速した。以後、改革が叫ばれ続けたが、ほぼなにも改革されないまま、今日まで来てしまった。

  小泉改革と不良債権処理の5年間の最後に登場した2005年の3冠馬ディープインパクトは、おそらく日本の経済の最後の底力だったかもしれない。ただ、凱旋門賞に見るように、海外では通用しなかった。そうしたなか、2007年から、世界経済は不況期に入り、2008年のリーマンショックで大不況に突入し、日本も大きなダメージを受けた。

   もはやたくましいのは女だけになり、ウオッカが2007年のダービーを勝ち、ダイワスカ―レットが2008年の有馬記念を逃げ切った。日本男子が「草食系」などと言われ出したのはこの後だ。

 

サンデーサイレンスの遺産を食いつぶす

 

   この失われた20年の間、日本は鎖国経済を続けてきた。1980年代の国際化とは正反対の、グローバル化に背を向けた政策、守りの政策ばかりを続けてきた。しかし、競馬の国際化は進展し、日本の競走馬の質は向上した。それに貢献したのは、サインデーサイレンスである。今年のダービーは、出走馬18頭全部がサンデーサイレンスの孫だった。母の父か父の父に必ずサンデーサイレンスの名前がある。

  サンデーサイレンスは1989年の米二冠馬(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス)。1990年に右前脚の靭帯を痛めて競走馬を引退すると、社台が種牡馬として購入し、日本に連れてきた。日本のバブルが弾ける直前だから、資金は潤沢にあった。

  サンデーサイレンスは、1991年から社台スタリオンステーションで種牡馬生活を開始し、総額25億円(4150万円×60株)のシンジケートが組まれた。そして、初年度産駒がデビューした翌年の1995年から13年連続で日本のリーディングサイアーに輝いた。もし、日本にバブル経済がなかったら、今年のダービーはまったく違っていただろう。

  サンデーサイレンスは2002年8月に死亡したが、日本の競馬はその遺産で成り立っているようなものだ。

 

ハイセイコーが登場した1970年代まで逆戻りか?

 

   バブルマネーで導入できたサンデーの遺産で、今年の3月、日本競馬はついに世界を制覇した。ドバイワールドカップで、ヴィクトワールピサが正真正銘の国際G1の最高峰を手に入れた。

 ヴィクトワールピサは、父ネオユニヴァース、その父サンデーサイレンスである。

 このように回顧してみると、今後、日本競馬、いや日本経済がどうなっていくのか?なんとなく見えてくる。現在、株価は10000円にも満たず、消費も低迷、日本の貿易収支も悪化している。なのに、菅内閣は緊縮・増税路線を取ろうとしている。財政の赤字はかさむ一方で1000兆円を突破し、あと3年でバブル期までにため込んだ日本人の個人資産約1500兆円を使い果たす。

  今年のダービーはオルフェーブルが引き継いだが、やがてサンデーサイレンスの遺産もなくなるだろう。このまま「さらに失われる10年」が続けば、私たちの暮らしは、1970年代まで逆戻りする。ハイセイコーが登場したころを思い出し、あのころの日本人、私たちはどのように暮らしていたかをイメージすれば、次の時代が見えてくるのではないだろうか?

 本当はそんなふうになってほしくはないが、雨のダービーが終わったいまは、そのようにしか思えない。