[097] 再び首都圏を脱出する日は来るのか? まだ残る原発が爆発する可能性 印刷
2011年 6月 29日(水曜日) 15:29

本当に暑い。すでに午前中に35度を超えた。6月なのに猛暑である。こんな6月は過去にあっただろうか?

  たったいま外に出て近所のコンビニに行き、宅配便を出して戻ってきた。中身はガイガーカウンター。これを湯之上隆氏に発送した。昨夜、私たちのネットワークメンバーの会合で久しぶりに彼に会い、「じつは使いものにならないガイガーカウンターを買ってしまい、いまほったらかしにしている」という話をしたら、「それなら、ボクは今週末に原子力研究所に行くので試してきましょうか」と言われ、急きょ送ることになった。

  なぜ、使いものにならないのか?

 それは、このガイガーカウンターにはデジタル表示の窓がないからだ。つまり、数値が表示されない。それを知らず、ネット検索で1万9800円という破格の安さに飛びついて購入したのは、3月下旬。原発3号機の爆発を見て首都圏を脱出し、宮崎で10日間ほど過ごして戻った直後のことだ。中国製とあったが、「まあいいか。測れればどこ製でも同じだろう」なんて思って、クリックしてしまったのが間違いだった。

      

   中国製ガイガーカウンター「FY-Ⅱ」

 私は、届いて製品を見るまで、測定値が表示されるものとばかり思っていた。これで安心。すぐ測れるなんて思って取り出したら、数値表示の窓がない。それで、説明書を読んで、本当にがっくりときた。妻と娘に「またやったの?本当にネットショッピングが下手ね」と、完全にバカにされた。

 

毎時10ミリシーベルトで警告音が鳴るなんて!

 

 このガイガーカウンターは「FY-Ⅱ」という製品で、昔のトランジスタラジオのようなコンパクトなつくり。手にすると、高性能な機械なんて感じは皆無で、ちゃっちいオモチャにしか思えない。で、説明書によると、放射能(radiation)は、アラーム音と、ランプ点灯で警告されるという。つまり、

  1)10ミリシーベルト以上を検知すると、1秒に1回程度のランプの光と音で警告。
  2)100ミリシーベルトになると、ランプの光と単発音が鳴る頻率が短くなる。
  3)100ミリシーベルト以上の強い放射線を検知するとランプの光と警告音が連続で鳴り続ける。

ということなのだった。

  毎時10ミリシーベルト。冗談ではない。そんな高数値でないと、警告音もランプも点灯しないとなれば、鳴ったらすぐ逃げるしかないということだ。なにしろ、信用できない日本政府が基準値として示しているのは「年間20ミリシーベルト。毎時3.8マイクロシーベルト」である。3.8はミリではないマイクロだ。ここ横浜の数値は、政府発表によれば昨日(6月28日)は0.027マイクロシーベルトである。警告音が鳴るわけがない。もし、なったらとんでもないことになる。よって、購入以来、このガイガーカウンターはうんともすんとも言わず、机の上に放置したままになっていた。

  私の友人で、伊豆大島のツバキ油製造メーカー社長の中村克朗氏は、同じ時期にガイガーカウンターを買った。私用はもちろん、工場などで常に数値を測り、安全性を確かめる必要があるからだ。彼のガイガーカウンターは当時で10万円ほど。デジタル表示でマイクロシーベルト単位の数値が表示される。私は、10万円をけちったために、今日も自分の周りの実際の数値を知ることができない。

 

首都圏を脱出した判断は正しかったのだろうか?

 

 さて、昨日の話に戻すと、私の関心は、あの原発事故が起こって以来、まだ危機は続いているのか? としたら、この先再び原発が爆発した場合、今度こそ本当に首都圏を脱出しなければならなのか?ということにある。

  さらに言えば、あの震災直後に実際に首都圏を脱出したのだから、あのときの判断は正しかったのか? 正しかったとすれば、いまこうして首都圏にいられることは、単にラッキーなことなのか?ということにある。

  いまも忘れられない「福島原発3号機」の水素爆発

  事実、第一号機の水素爆発直後から、京大の原子力関係者に人脈持つ知人から脱出を勧められた。「間違いなくメルトダウンしている。このあと、なにが起こってもおかしくない。それがなにか予測できない」と、彼らは言った。その意味が当初はわからなかったが、いまとなれば原発は3機ともメルトダウンしていたのだから、彼らの判断は正しかった。3月14日に3号機の爆発を見て、家内とともに羽田に向かった私は、そこで何人かに電話した。この電話でさらに何人かが東京を脱出した。

 

首都圏に残った人々はみな被曝者なのか?

 

  放射性物質が排出され、広範囲に放射能汚染が広がったのは、1号機から3号機までが爆発し、原子炉を冷却できなくなった1週間余りの間だ。あの間、首都圏にも放射性物質が届き、放射能数値は高まった。また、各地にホットスポットが出現し、その影響はいまでも続いている。

  とすれば、あの時期、首都圏にいなかったことは被曝を免れたということになる。もちろん、原発周辺地域の人々はみな被曝したことになる。

「確かにそうなりますね」と、湯之上氏は言った。それを聞いて昨夜集まったメンバーのうち、首都圏に残っていたフリーエディターの川端光明氏、出版営業マンの木村孝之氏は「なんだボクらは被曝者なわけだね」と、苦笑した。メンバーのうち、もっとも原発に近い宇都宮市に住んでいる、うちの事務所の新江章子さんも、残念ながらもっと多く被曝していたわけだ。

 じつは、あのとき羽田から電話した1人が、湯之上氏だった。彼は京都大学出身で、日立に入って半導体の技術者となり、退職後「日本半導体敗戦」という名著を書いた。その本を私が担当した。彼の京都大学時代の恩師は、今回の件ですっかり有名になった小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)と同じグループに属している方だ。

「東京を脱出できるなんてうらやましい」と電話の向こうで言う湯之上氏のため息を、いまでもはっきり覚えている。

 

メルトスルーの可能性は否定できない

 

 現在の原発の状態がどうなっているのか、依然として判然としない。メルトダウンは確実として、メルトスルーまで行っている可能性がある。そうなると、溶けた核燃料(ウラン)は、圧力容器から格納容器の底を抜けて、建屋の床も貫通している可能性もある。

「もしそうなら、小出先生も指摘しているように、いくら水をかけて冷やしてもダメとうことなのでは?」

「そうとも言えますが、まだそこまでの状態なのかわからない。誰も見たわけではないのですからね。ただ、溶けた燃料はお饅頭のように中にアンコがあって皮で包まれたような状態になっているようです。スリーマイルではそうだったと言います。だから、その状態に留まっていれば水で冷やしていくことは有効です」

 いずれにしても、循環冷却システムがきちんと作動することが、まずは肝心。あとは、トライアル&エラーの繰り返しで、これ以上の被害を最小限に抑えていくしかない。

   

 (左)1号機のメルトダウンの状況図(右)原子炉の全体図

「いつになったら戻れるんだ。一日にも早く戻りたい」と、避難した人々は言っているが、その日が来る可能性はない。もし戻れるとしたら、それは早くて現在の避難住民の一世代あとの世代になるだろう。人類史上例のない福島原発事故を思うと、平泉などより、こちらを「世界遺産」に指定して、今後、永久に管理・保存していくしかない。

 そして、メルトスルーまで行っているとして、万が一、コントロールに失敗した場合、私たちは再び首都圏を脱出しなければならないのだろうか? それに関しては、最近、湯之上氏が「WEBRONZA」に書いた記事が、もっとも正確だと思う。この記事を昨夜、湯之上氏が送ってくれたので、それを以下ダイジェスト掲載する。

 

   まだ福島第一原発は危険なのか? (ダイジェスト)

   湯之上隆  2011年06月22日

 

 6月のはじめ、元京都大学原子炉実験所の先生(以下、A先生と記載する)にお会いした。どうしても、聞きたいことが二つあったからだ。一つ目は、3・11の直後、福島第一原発は危機一髪だったのか? つまり、まかり間違えば、水蒸気爆発が起きて格納容器が吹っ飛んでいたのではないか? 二つ目は、今もそのような危険性があるのか?ということである。

 (中略)

 第一の筆者の疑問は以下の通りである。

  3・11直後、1~4号機において水素爆発が起き、原子炉建屋や圧力抑制室が吹き飛んだ。その際、格納容器が吹っ飛ぶ可能性はなかったのか? もし、そのようなことになれば、今は亡き瀬尾氏が著書「原発事故…その時、あなたは」(風媒社)で予測しているように、風向きによっては本州の60%に人が住めなくなっていただろう。つまり、私たちが(放射線に怯えながらも)、今こうして生きていられるのは、単なるラッキーなのか?

 

 これに対するA先生の回答は、「格納容器が吹っ飛ぶ可能性は、小さかったと思う」というものであった。「水位のデータなどからメルトダウンが起きるということはすぐに予測できた」。しかし、一方で、「1号機の非常用復水器、2号機の原子炉隔離次冷却系、3号機の原子炉隔離次冷却系と高圧注水系が作動した」。これらは電力がなくても、炉心の崩壊熱によって発生した蒸気を使ってタービンを回し、ポンプを駆動して炉心に注水することができる(ただし、1号機の非常用復水器は2系統のうち1系統しか動かなかったという話もある)。また、これら非常用の冷却機構が停止した後は、消防ポンプによる注水が行われた。したがって、「格納容器が吹っ飛ぶ可能性は小さいと思った」とのことである。

 度重なる水素爆発や格納容器破壊を防止するためのベントなどにより、大量の放射性物質が飛散したが、少なくとも、格納容器の破壊という最悪の事態は何とか避けられたわけだ。我々が生きているのは、偶然の産物ではないようだ。

 

 第二の疑問に移ろう。3月15日までに原発は合計4回、水素爆発した。3月中は、ほぼ毎日余震が起きていた。計画停電が実施され、仕事も生活も混乱していた。ガソリンスタンドは閉鎖され、スーパーに食料も水も無かった。

 そこで、筆者は家内と相談して、「次に原発が爆発したら逃げよう」と決めた。1~4号機はこれまでの水素爆発でズタズタだ。次にどれかが爆発したら、恐らく、格納容器も吹っ飛ぶのではないか。もし、そのようなことが起きれば、首都圏には人が住めなくなるだろう。それで、次に爆発が起きたら、ひたすら西へ逃げようということに決めたのだ。

 それから2か月がたった。現在のところ、福島原発は、メルトダウンを起こし、毎日汚染水を500トンも発生させながらも、悪いなりに安定しているようにも見える。我が家の非常事態宣言は解除してもいいのだろうか? 格納容器が吹っ飛ぶという最悪の事態はもう起らないと思っていいのか? というのが筆者の第二の疑問である。

 これに対するA先生の回答は、「わからない」というものであった。その理由を以下に示す。

 

(山田:注)以下の説明は、原子力安全・保安院が、ほぼ毎日、公開している「プラント関連パラメタ」をみて、1~3号機、それぞれについて、圧力容器および格納容器の圧力の推移、給水ノズル温度および格納容器下部温度の推移をプロットし、それに対してのA先生の見解。

 

 1)1号機の圧力容器の二つの圧力値が開きながら少しずつ上昇している。同じ圧力だからこの分離はおかしい。特に、Bの圧力値が高い。現在、1.6MPaを超えている。ところが、圧力容器には穴が開いているという発表がある。それが事実なら、圧力容器の圧力がこんなに高くなるはずがない。したがって、圧力計がおかしくなってしまったと思われる。

 一方、給水ノズル温度および圧力容器下部温度は、ほぼ100℃で安定している。

  これは、ウラン燃料が冷却されているとみることもできるし、圧力容器下部の破損部から燃料の一部が落下していると考えることもできる。これだけのデータでは判断できない。後者のケースでは、溶けたウラン燃料が圧力容器の外、つまり格納容器にあることになる。この燃料が、冷却されているのか、高温状態にあるのかわからない。もし、この燃料が高温状態にあるなら、水蒸気爆発を起こす可能性を否定できない。

 

2) 2号機の格納容器の圧力が単調に低下している。これについても、格納容器には穴が開いているということだから、はじめの1気圧は良いとして,その後どんどん低下するのはおかしい。この圧力計もおかしくなってしまったと思われる。

 また、給水ノズル温度および圧力容器下部温度も、1号機と同様にほぼ100℃で安定している。したがって、2号機と同様に、溶けたウラン燃料が圧力容器の外に漏れている可能性があり、水蒸気爆発の危険性が否定できない。

 

3) 3号機の圧力容器の二つの圧力値のうちAの値が、ジリジリと低下し、とうとう負圧になってしまった。これも1~2号機と同様に、圧力容器に穴が開いているわけだから、圧力計の指示は全くおかしい。

 一方、給水ノズル温度および格納容器下部温度が乱高下している。その上、1~2号機と違って、100℃より随分高い。これは圧力容器下部に溶けたウラン燃料があるが、その冷却がうまくいっていない可能性がある。そのために、3号機では、注水量を1時間当たり20トンに増やした。にも関わらず、依然、給水ノズルも圧力容器下部も温度が高い。この溶けて高温になっている燃料に、冷却水がうまくあたっていないのかもしれない。この冷却がうまくいっていない高温のウラン燃料が圧力容器から格納容器に落下すれば水蒸気爆発を起こす可能性がある。

 

 結局、水蒸気爆発の危険性が否定できない。各原子炉でウラン燃料がどのようになっているのかがよくわからないため、A先生の言うように水蒸気爆発の危険性については、「わからない」というのが正直なところだ。その結果として、我が家の非常事態宣言は、当分の間、解除できそうにないということになった。

 

湯之上隆(ゆのがみ・たかし)

日本のハイテク産業のあり方を厳しく見つめる半導体技術者。1987年京大修士卒、工学博士。大手メーカーで16年働いたのち、同志社大学で半導体産業の社会科学研究を推進。現在は技術者として仕事をしながら講演活動と各種雑誌への寄稿を続ける。著書に『日本半導体敗戦』(光文社)。趣味はSCUBA Diving(インストラクター)。