ニュー・リッチの未来[004]タイの新世代ニュー・リッチ 印刷

■次世代億万長者は27歳。才色兼備の若き女性社長


140年の歴史のなかで初めて誕生した「看板娘」


 この「ニュー・リッチの未来」をタイから始め、その3回目に書く予定だったものが、今回の原稿。いま、タイでもっとも注目されている27歳の若き女性経営者について、遅ればせながら書きとめておきたい。

 その女性経営者の名前は、Nishita Shah(ニシータ・シャー)。世界の富豪を特集している『フォーブス』誌のタイの富豪ランキング(2008年)によると、第19位にランクインしている。
 もちろん、彼女は自分の力で富豪になったわけではない。タイの有力財閥企業で、創業140年を誇るGPグループの旗艦事業社プレシャス・ショッピング(タイ証券取引所上場)社長の娘である。

 こう書けば、なんだ「ただのお嬢様ではないか」と思うかもしれないが、ニシータがユニークなのは、まず、このGPグループが看板的な存在を持たず、5世代にわたってスポットライトを浴びるのを避けてきたなかで、初めて会社の看板(つまり看板娘)に据えたことだ。そして、次に、彼女がただの看板だけでなく、知性も教養も、そしてビジネスマインドも兼ね備えた存在だということだろう。

世界のメディアが取り上げた「才色兼備」のお嬢様

 GPグループは、創業以来、地味にビジネスをしてきた。もともとが貿易会社で、長くコメの取引をしてきた。それが、1970年代以降、ニシータの父親が業務を拡大し、いまでは何十社もの企業を傘下にかかえるタイでも最有力な企業の1つになった。
 そんなグループの実権をほぼすべて彼女が握ったのだから、地元タイはもとより、世界中のメディアが彼女のことを取り上げた。世界のセレブの特集で評判の『ハロー』誌のタイ版とインド版では、エルベ・レジェのブランド服に身を包んで、ニシータはファッションモデルのように見開きで特集された。
(海外情報にまったく無関心の日本のメディアだけが、彼女のことを1度も取り上げていない)

 ニシータが注目されるのは、オリジナルファッションブランド「Nsha」を起ち上げたことも大きい。これまでタイ発の世界ブランドはなかったから、それに挑戦することは、タイ女性の夢でもある。
 また、彼女は、インターナショナルスクール出身で米ボストン大学に留学。そこでMBAを取って帰国し、バンコクで何不自由のないセレブ暮らしを送っているが、「気取らない性格」の持ち主だという。日本などとは比べものにならない階級社会のタイだから、このことも、彼女が注目され、人気がある理由である。

 タイの英語誌の彼女のインタビュー記事を見ると、“usual uniform?”(普段の服は?)に、“Hip-hugging jeans and a clingy top.”(ヒップトップにぴったりのジーンズ)と答えている。

 お酒を飲みながら、最新ファッションや音楽についても語れるし、商品先物市場の動向も語れる。つまり、タイのビジネスウーマンは、いくらお嬢様とはいえ、ニシータに憧れているのだ。ニシータの趣味は、サーフィンとヨガ。インド系らしく、なにごとにも活発で、ビジネスと趣味だけではなく、慈善活動も積極的にこなしている。まさに、才色兼備を絵に描いたような存在が、ニシータと言っていいだろう。

Tシャツに5000円をかけられる女性のためのブランド
 
 そんなこともあって、『フォーブス誌』は、2008年の春に「次の世代の億万長者」として、彼女をリストアップした。「次の世代の億万長者」には彼女の一“Along with Tiger Woods.”(タイガーウッズと一緒に)にと書かれていた。そして、夏には彼女をインタビューした特集記事を掲載した。

 その記事には、ニシータがいま、新ブランド「Nsha」を置いてくれるブテックを、世界中で探していると書かれていた。すでに、ニュ—ヨークのブルー&クリーム、ロサンゼルスのH.ロエンゾからはOKを得ているという。

 「Nsha」は、都会女性向けのラグジュアリーブランドで、彼女によると「Tシャツに5000円、ピンクのレインコートに4万円以上費やせる女性がターゲット」だという。
 これを読んで、バンコクもそこまできたのかと、私は正直ビックリした。多くの日本人は、いまだに、アジアは貧しく、そのなかで日本だけが豊かだと信じ込んでいる。しかし、それは、もはや幻想にすぎない。

タイの大富豪はほとんどが華人で政府要人

 ちなみに、最新『フォーブス』誌のタイの富豪40人のリスト(2009年2月発表)を見ると、1位は、ドリンク剤「レッドブル(クラティンデーン)」創業者のチャリアウ・ユーウィタヤー氏(75)。北部ピジット県生まれの華人2世で、製薬会社勤務を経て、1976年に「クラティンデーン」を開発。1987年にオーストリア人ビジネスマンと合弁でヨーロッパでの生産・販売を始め、大ヒット商品となった。推定資産は35億ドル。

 2位はジャルーン・シリワタナパクディー(蘇旭明)氏(63)。露天商の息子から一代で、アルコール飲料最大手タイ・ビバレッジ、不動産大手 TCCランドなどを築いた。ニューヨークの超高級ホテル、ホテル・プラザアテネ・ニューヨークも同氏の所有。推定資産は33億ドル。

 3位は、タイ、中国などで食品、通信、小売り、オートバイ生産などを手がけるCPグループのタニン・ジアラワノン(謝国民)会長(68)。推定資産は28億ドル。タクシン前政権で、彼の兄の娘婿のワタナー・ムアンスク氏は商務相を務めていた。

 4位はテレビ大手BECワールド創業者のウィチャイ・マリーノン氏(86)。推定資産7.6億ドル。息子のプラチャー氏はタクシン前政権の観光スポーツ相。

 5位は自動車部品大手タイ・サミット・グループのソムポン・ジュンルンルアンキット氏(56)。推定資産6.4億ドル。義弟のスリヤ氏はタクシン前政権で副首相、工業相、前与党・タイ愛国党幹事長などを務めた。

 6位はステンレス冷延鋼板メーカーのタイノックス・ステンレス、銅精錬会社タイ・コパー・インダストリーなどを手がけるプラユット・マハーキッシリ氏(62)。推定資産5.3億ドル。元愛国党副党首で、タクシン前首相のゴルフ仲間。

 となっていて、タイの有力企業、財閥企業は、みな政府と有力なつながりを持っていることがわかる。また、タイ経済は華人が支配しており、富豪のほとんどは華人である。だから、インド系のニシータのファミリーは、これまで、マスコミや社交行事を避けて目立たないように暮らしてきた。政治参加もしてこなかった。

 だから、そんなかで、19位に最年少でランクインしたニシータ・シャーは、あまりにも異色の存在なのである。また、2008年では19位だったが、この最新の2009年度のランクでは12位になっていて、昨年から順位を上げている。そして、彼女の推定資産は3.5億ドルである。

タイ経済は低迷しているが、株価は当初の7〜8倍


 世界金融危機と国内の政治的問題によって、タイ経済は低迷している。私がタイに旅行中に見た新聞では、タイの代表的な株価指数であるSET指数は、2008年の年初から40%以上下落したと書かれていた。これは、4年以上前の水準だ。
 ただし、このSET指数は1975年4月30日の株価を100として、メインボードの普通株の時価総額を基に、新規上場・廃止を調整して算出しているが、当時の水準から言えば、およそ7〜8倍になっている。

 2008年暮れから2009年の年初にかけてタイとカンボジアに旅をしたのは、今後はアジアの時代だと確かめる意味もあった。この私の考えが間違っていないか、自分の目で確かめたいと思ったからだ。
 だから、私は家族といっしょにいながら、常に、そんな目で街や人々を見ていた。
 
 バンコクからカンボジアのシームリープに行き、大晦日をプノンペンで迎えて、ふたたびバンコクに戻ったのは2009年の元旦だった。この元旦の夜、スクンビットにあるいまバンコクでもっとも人気のあるというカフェ&ダイニング「スプリング&サマー」に行った。
 もちろん、「ラックスガイド」(バンコク版)に出ている店で、娘が予約した。タクシーで行ったので、道はわかりにくいが、スクンビット通りから一本脇に入ったソイ39とソイ49の間を結ぶ小道「ソイ・プロムシー」に面している。

ガーデンに置かれたクッションの席でカクテル&料理


 この『スプリング&サマー』は、レストランの名前が象徴するように、シーズンごとになんらかの演出をしている。タイは1年中夏だが、やはり冬は夜になれば涼しい。この冬のシーズンに『スプリング&サマー』は、夜7時を過ぎると、広いガーデンにクッションとテーブルをセッティングし、そこでお客にリラックスして料理を楽しんでもらうという粋な演出をしている。
 このクッション席は人気で、予約をしないと確保できない。そこで、娘が予約を入れた。

 夜のガーデンはそれなりにライトアップされているが、それでも薄暗いなかでカクテルを飲み、タイ料理を食べるのは気持ちがいい。夜風に吹かれて、昼間の暑さを忘れられる。しかも、クッションだから、酔えば、寝転がることもできる。それほど、大きなクッションだった。
 私たちは、人気の料理を5、6品取った。そのひとつは、「グリルド・レモングラス・チキン・ウイズ・タマリンドソース」(200バーツ)。私は、「レモンチキン」が大好物で、よく食べる。

 ここのレモンチキンは、アメリカの中華料理のレモンチキンとは違い、チキンの上にチキンが見えないほどたっぷりとレモングラスがかかっている。また、チキンの芯にまで、レモングラス、ハーブの風味が滲み込んでおり、タマリンドで甘みとコクをつけたソースは、かなり甘い。この甘さが、私にはたまらない。

東京以外のアジアの都市は、どこも熱気に満ちている

 と、それはともかく、ここでも、私は周囲のほかの客たちを観察した。クッション席の多くは、若いグループが占拠していた。家族連れとカップルもいたが、多くは若いグループで、いわゆるニシータ・シャーのような女性たちが中心だった。
 もちろん、満席。どの席の若者たちも楽しそうで、不況感など微塵も感じさせない笑顔に満ちていた。

 世界的な大不況のなかで、日本の若者たちだけが元気がない。日本はバブル崩壊以来、約20年にわたって不景気が続いているから、若者は不景気に慣れっこになってしまい、いつのまにかなにもしなくなった。
 最近の調査では、車もPCも買わない。まして、海外旅行など、卒業旅行で初めて行くという。

 『スプリング&サマー』で食事をした後、私たちはバンヤンツリーのムーンバーに行った。バンヤンツリーは、「コンデナスト・トラベラー」(Conde Nast Traveler)で、The World's Best Places to Stayでゴールドリストに名を連ねたホテルであり、その最上階の61階に、先日で行ったスカイバーと同じような「天国に近いバー」ムーンバーがある。
 元旦の夜ということもあっただろうが、ものすごい混みようだった。スマートカジュアルに身をつつみ、カクテルを飲む若者たちでいっぱいだった。

 東京以外のアジアの都市は、どこも熱気に満ちていると、つくづく思った。