ニュー・リッチの未来[001]バンコクの夜 印刷
2009年 2月 02日(月曜日) 00:05

■クリスマスの夜、バンコクにて

地上64階のスカイバーから見下ろす「光の帯」

 眼下に広がるメガシティ・バンコクの夜景を見ながら、グラスを傾ける人々は、ほとんどが欧米人。タイ人の姿は見えず、日本人客、中国人客、インド人客がちらほら。
 ここは、バンコクでもっともトレンドなスポット、スカイバー。なんと、高層ビルの64階に位置する屋上のオープンスペースの突端に、円形上のブースを配置し、そこが、バーになっている。

 ブースは透明の強化プラスティク。だから、本当に空の中にいる気分になり、心地よい南国の夜風に思い切り吹かれながら、私は、デイナー前の一杯を注文した。私の横には同行した妻と、そして、ここに私たちを連れて来てくれた投資家の上条詩郎氏がいた。

 

 

「ほら、光のベルトができていますよ」と、T氏が私の妻に言った。

 見下ろすと、確かに、いくつもの「光のベルト」が都市のあちこちにできていた。それは、高速道路を走る車のライトの帯なのだが、この夜は、クリスマスとあって、どの道路も渋滞していた。それで、ライトの光が数珠つながりなり、まさしく「光のベルト」になっていたのだ。

 こうした光景のなかにいると、いま 世界中で「100年に1度」の危機が進行しているなど、ウソのようだ。つい先日まで、タイでは反政府グループによる空港占拠事件が起きていたが、それさえも、まるで別世界の出来事に思えた。

世界のどこにも成長地域はない

 リーマンショック以来、世界の経済活動は縮小に縮小を重ねてきた。当初、サブプライム関連の負債が少なかった日本経済は傷が浅いと見られていたが、信用不安が実体経済に波及すると、むしろ、その落ち込みは欧米よりひどくなった。
 私が日本を発つ前、日経平均株価は8000円台を回復していた。しかし、さらに暴落するという「1月暴落説」が囁かれていた。
 一時は7000割れまで追い込まれた株価だが、なんとか8000円台を回復し、「これでなんとか年を越せる」という一般投資家は別として、業界では「また下がる」「底値は5000円」などという話が飛び交っていた。

 そして、ここタイでも、株価は暴落したまま底を打っていない。もちろん、タイばかりか、成長目覚ましかったインド、中国などの新興国も、経済の激しいダウンターンに入っていた。

「もはや、世界のどこにも成長地域はなくなりましたね。だから、ボクはいまじっとしています。本当は、どこが底か見極めて、投資を開始したいんですが、まだ動けない」
 そう、T氏は言った。こんな話は、64階の「空からの眺め」にふさわしくないので、そこで打ち切ったのは言うまでもない。

社長になったら、もっと自由がなかった


 ここで、T氏について簡単に紹介しておくと、ひと言で言えば、彼は「個人投資家」だ。そして、さらに言えば、日本で資産を築いて、海外に投資し、その後、「PT」(パーマネント・トラベラー)になった人物である。
 つまり、日本に彼の住居はない。もちろん、彼は世界のどこにも定住地を持っていない。
 世界のニュー・リッチは、「PT」であるケースが多い。それが、グローバル化のこの時代、もつとも合理的な生き方だからだ。しかし、日本人は、いくら資産ができても、なかなかそこまでは踏み切れない。


「あなたは、なんのためにお金持ちになったんですか?」
 こう聞いて、即答できる人は少ない。しかし、T氏は違った。「自由のため」と、即座に答えた。
 T氏は、サラリーマンから出発し、起業して成功した。つまり、会社の社長になったが、なってみると、スケジュールに追われ、まったく自由がなかった。しかも、社長だから、社員に対して責任があり、社員が休んでいても休めなかった。
「これではサラリーマンよりひどい」と、ある日、彼は会社をたたみ、投資家に転向した。

 いま、彼は、東南アジアを中心に投資をし、タイやベトナムに不動産や資産を持っている。

なぜ、年末にタイにやって来たのか?

 私が妻とタイに来たのは、T氏と会うためではない。年末年始の休みを利用した家族旅行だ。だから、その後バンコクにやって来る娘と合流し、カンボジアに行くことになっていた。
 じつは、カンボジアより、ラオスに行きたかった。金融危機が起ってから、その影響がもっとも少なく、世界一のんびりできるところはどこかと話し合ったとき、真っ先に上がったのはラオスだった。
 ラオスの古都ルアンプルバンに行ったことがある娘は、「東南アジアでいちばんいいところはラオス」と譲らなかった。

「メーガンもエリザベスもラオスがいちばん気に入ったんだよ。私もそう」
と、娘は言った。
 メーガンとエリザベスというのは、娘のジョンズホプキンズ大学SAIS大学院時代の同級生。なぜか、ラオスは、欧米人には圧倒的に人気がある。私の知り合いの外資系銀行マン(日本人)もラオスにはまっており、もう十回近く訪れている。
 しかし、日本人でラオスに旅行する人間は少ない。
 ところが、スケジュールの関係で、ラオス行きは無理となった。そこで、次善の策として、カンボジアを選んだ。アンコールワットを見たかったし、カンボジアもラオスと変らず、素朴で不況など関係ないだろうと思ったからだ。
 そして、カンボジアのゲートウエイとしてバンコクに来た。

 T氏と会った翌日、私と妻はスワンナブーム空港で娘と合流し、アンコールワットのあるシエムリープに行き、その後、首都プノンペンに行った。
 このカンボジアでの話はいずれ書くが、私の期待は見事に裏切られることになる。
 

 

最終更新 2019年 3月 15日(金曜日) 13:19