■『ロシアン・ゴッドファーザー』 印刷

(1991年7月10日、ヴァディム・ベリフ&ドミトリー・リハノフ、翻訳・中出政保、構成・川崎順平、リム出版)

 

    
 

 1991年、冷戦が終結し、ソ連が崩壊すると、それまで西側に知られていなかった真実が次々に明らかにされた。本書は、冷戦終結前のペレストロイカの時代に、「イズべスチア」の記者によって書かれたロシアの「組織犯罪」(ロシアン・マフィア)の記録。

 冷戦が終結しなければ、けっして出版されなかった本で、本書により、鉄の社会主義はじつはマフィアと手を結んでいたことが明らかになった。

 下訳は、中出政保さんが行ったが、最終翻訳と構成は私が担当した。すでに、ここに書かれたことは風化しているので、「目次」と「第1章」および「あとがき」を掲載する。

 

 

 

 

目次

 

第1章 “ゴッドファーザー”の葬式

モスクワの首領クチュローリアの死

ゴッドファーザーは殺されたのか!?

 

第2章 マフィアの起源

掏摸からソビエトの首領に成上る

ソビエトの闇の利益は地下金庫に集まる

首領チェルカーソフとその犯罪集団の恐怖

マフィアたちは市民をうまく手なづけて、共存する

 

第3章 金の底の“迷宮”の中で

闇市場の利権をめぐる激しい闘争

増え続ける掠奪と強盗事件

盗品仲買人を拷問して強奪するマフィア

巧みな分業組織で警察の手を逃れる

 

第4章 麻薬への渇望

わずか1キロの米と交換される麻薬

ソビエトを通過する国際麻薬ルート

国内には12万人の麻薬常用者が……

武装する麻薬の“運び屋”たち

政府の無意味な大麻撲滅作戦

 

第5章 値段つきの愛

矯正労働施設の職員までもが服役者に体を売る

莫大な収入が得られる外貨売春婦

いつまでたっても摘発されない売春窟の仕組み

売春婦を管理しながら秩序を維持するマフィア

 

第6章 クレムリンのための紙幣

驚くべきことに政府内に公然と汚職は実在する

なぜ賄賂は国中に浸透したか?

アンドロポフ政権下での汚職摘発

今だから明かすブレジネフ書記長の娘の犯罪

中央アジアのウズベク共和国で公然と行われている賄賂の実体

“賄賂共和国”ウズベクの巨悪にメスが!

元内務大臣シチェロコフ、ついに自殺!

ブレジネフ書記長の娘婿チュルバノフ逮捕のとき

2人の検事の抵抗と賭け

ゴルバチョフの恐るべき弾圧!

贈収賄事件も時効成立で暗闇の中に……

マフィアはペレストロイカの中でも存在し続ける

 

第7章 ろくでなし

売春婦のパトロンから金を恐喝するチンピラ

アパート荒しで稼がれた金が大臣へ流れるこの国のヤミ経済

仕事のない前科者達が凶悪犯罪の実行犯となっていく

監禁されて、麻薬工場で働かされた

結局、政府はマフィアを裁くことはできなかった

マフィアを裁くのはマフィア自身の掟だけ

 

第8章 赤い十字架の下で

首領の死の影にチラつく男達

マフィアはペレストロイカを後押しした

 

第9章 ニューヨークのソ連人

富める西側に進出するソビエト・マフィア

マンハッタンはソビエト・マフィアに抑えられつつある

ポーランドをめぐる国際マフィアの抗争

近隣の国で外貨を稼ぎまくる娼婦達

日本にもソビエト・マフィアの魔手が……

西側のマフィアもまたソビエトを狙っている

エピローグ

構成者あとがき

 

 

 

第1章 “ゴッドファーザー”の葬式

 

 

モスクワの首領クチュローリアの死

 モスクワの由緒ある墓地ワガンコフで、これほど立派で華やかな葬儀が行われたのを、私達は長い間見たことがない。咽頭ガンで死んだその男の亡骸は、モスクワのメインストリートを抜けて、最後の休息の地へと運ばれていった。

 度肝を抜くほど大きな葬列だった。

 3台の大型バスと、それに続くありとあらゆる種類の乗用車の列が、どこで終わるともなく続いていた。

 モスクワ、グルジア、アゼルバイジャン、ウクライナなどのナンバーが見え隠れした。ハリコフ、トビリシ、ロストフ、オデッサ……などからの車も通り過ぎていった。もっとも、この“貴い友”の野辺の送りに集まった人々のほとんどは、墓地で、この葬列の到着を待ちかまえていたが……。

 こうして、墓地に集まってきた人々の数は、何百何千人にもなった。

 亡骸は墓地内に古くからある教会に運ばれ、あたりに合唱が響き渡ると、荘厳な儀式は始まった。

――この日葬られたのは、“掟の中の首領”、ソ連組織犯罪のボスのひとり、グルジア語でキツネを意味するピッソーというあだ名で知られたワレリアン・クチュローリアだった。彼は、その生涯のうちの25年間を獄中で暮らしたが、生前の彼が裁判所に告発された罪状をあげると、次のようになる。

 個人財産の略奪、民族および人種平等への侵害、国外不法出国および不法入国、窃盗、暴行、強盗、詐欺、麻薬不法所持、脱獄……。

 性格は狡猾でかつ強い意志の持ち主。そして、野心家。

 ピッソーは長い間、2つの顔を持たなかったが、70年代の後半に、各組織のボス達の大会で“掟の中の首領”に選ばれると、それまでただの極め付きの悪党にすぎなかった彼は、これをキッカケにして、あっという間にライバルを片づけ、ソ連マフィア界の“ゴッドファーザー”となったのだった。

 ゴッドファーザーは、ソ連全土で繰り広げられる何千、何万という犯罪の中から、自分の分け前を得ていた。ところが、ピッソーは、大胆不敵にも自ら作戦を練り、分け前を直接かすめとることをした。特に、ピッソーは、“指貫賭博(ゆびぬきギャンブル)”の網で国中をがんじがらめにしてしまった。このギリシアの密輸団が持ち込んだ古い賭博は、1枚の板と指貫と小さなボールで行われ、彼の手下によって多くの町に広められた。そして、このギャンブルは、彼と彼の組織に、何百何千万ルーブルという巨額の富をもたらしたのである。

 ここ数年、つまり嵐のような人生の晩年に、彼は犯罪の裁き手の一人としても君臨した。さまざまな組織や一族間の抗争を、罪に応じた奉納金をとるというやり方で、彼は片づけてきた。抗争が起こった所――バクー、クタイシ、ロストフーナ、ドヌー、スベルドロフスク――などでは、彼の裁きは絶対であり、その権威に反駁できる者はひとりもいなかった。

 

 ゴッドファーザーは殺されたのか!?

 ピッソーの最期は、彼の全人生がそうであったように、凄絶かつ多くの謎につつまれている。

 1986年10月20日、彼はその生涯で最後から2番目にあたる麻薬不法所持で逮捕された。

 ゴッドファーザーが、昔からの麻薬常習者であったことは、いま思えば非常に不思議なことだ。

 その日、取り調べの最中に、彼は手下達の手引きによって脱走した。当局がふたたび彼を逮捕できたのは、1987年8月2日のこと。ところが、逮捕はこの1日だけだった。

 わずか1年ほどの間に、ピッソーことクチュローリアは喉をガンに冒され、なおかつ非常に高度な手術を受けていたことがわかったからだ。

 どこでどのような手術が行われたかは、いまでも謎である。ただひとつ明らかなことは、ゴッドファーザーがソ連のすぐれた病院において、最も腕のよい外科医の手術を受けていた点だった。もし、そうでなかったのなら、難しいとされる咽頭ガンの手術は、こうも成功していなかっただろう。

 しかし、彼はこの手術により、拘留をまぬがれた。弁護士は健康状態を理由に保釈を求め、さらに刑事訴追すら免除させたのである。

 ところが、その3カ月後、モスクワ刑事捜査部の刑事は、クチュローリアが同棲しているナジェジダ・マレーエワのアパートの捜索を行った。そこで発見されたのは、数万ルーブルの紙幣と、莫大な額に達する宝石や金塊がギッシリつまったトランクだった。さらに、モスクワの有名な画家から盗んだ3点の貴重な絵、そして相当量の麻薬も発見された。麻薬は、乾燥したモルヒネの入った袋と、アヘンの入った袋、そして13キログラムにおよぶ大麻だった。そのせいか、ゴッド・ファーザーは、逮捕を逃がれるため、即刻病院に入院した。

 しかし、彼はそこでも自分の仕事を中断しなかった。彼はいままでどおり、各共和国からの代表を定期的に病室に招き、指令を送り、抗争の仲裁をしたのである。

 ゴッドファーザーの健康は、ある日突然、衰えた。そして、彼は死んだ。

 彼の周りで起こった出来事は、後になってたくさんのことを私達に考えさせてくれる。

 ほんのわずかの時間で、彼の情婦は、ソビエトの首都の歴史的な墓地であるワガンコフのど真中に、彼の墓を建てる権利を得た。いま、そこで、ソ連の組織犯罪の首領のひとりは、厳粛なうちに葬られていくのである。

――教会での送りの合唱が終わった。

 最も親しい仲間達が、クチュローリアの遺体の入った棺を、通りへと運び出した。

 そこらじゅうから集まった乞食達が、棺のそばに駆け寄ってきた。

 すると、その乞食達めがけて、チェルヴォーニェツ(10ルーブル)とチェトヴェルタック(25ルーブル)紙幣が、雨あられのごとく降りかけられた。

 何千人もの行列が、新しくできた墓にゆっくりと向かっていった。墓地の上空には、教会の鐘の音がはるかに響き渡っていた。一族、各組織の首領達、彼等のボディーガードと側近達……これらすべてが、闇の世界の華として、ここには存在していた。

 ワレリー・スフームスキー、シャクローなどの大物といわれる首領達が、“貴い友”への弔意を表しにやって来ていた。実際、数分間だけではあったが、組織犯罪世界の大指導者のひとり、キビ・レーザンヌイも姿を現した。レーザンヌイ(傷のある男)とはアダ名であり、彼はここ数十年間にわたって刑事責任から逃れ続けている。

 あたりを見回して、レーザンヌイはこう呟いた。

「長居をしてはいい結果にならないな」

 実際、彼はすぐに立ち去った。

 ゴッドファーザーの棺は、詩人エセーニンの墓のそばを抜け、これに続く偉大な作家や将軍や芸術家達の眠る埋葬地のわきを運ばれていった。

 暑さにもかかわらずキチッときめた背広にネクタイを締め、礼儀正しくも横柄にふるまうマフィア達。彼等は両手でかかえきれないほどの喪の飾り紐で束ねられた花輪を持ち、参列する人々の中にあって最も堂々と歩いていた。彼等には、何も恐れるものはない。彼等は誇りすら持っていた。自分達の権力と富、そして何者をも彼等を罰せないのだから、彼等の誇りは当然であった。

 しかし、モスクワで最も由緒ある墓地のど真ん中に彼等が建てた墓は、誠実な人々のかけがえのない思い出を汚すものだった。罪なき人々にとって拭い去ることのできない屈辱となり、ひどい侮辱となったのである。

 そういえば、わが国ではこうした葬儀の行列が何度も繰り返されてきている。この世に生きる人々の命を汚すために、全力を注いだ犯罪者達。そんな彼等をあの世に送るためにできる行列。例えば、とっくみ合いのケンカの末、ある有名なカード賭博のいかさま師が非業の死を遂げた。すると、オムスクでの彼の葬儀の行列には、100台以上の車とタクシーが連なった。また、ものすごい人数の“客”達が、タシケントで殺されたある“掟の中の首領”の葬儀に参列した……。

 それにしても、こうした犯罪界の首領達の存在は、彼等の死後においてのみ、この世の中に知れ渡るのだ。

 では、いまいったい、誰がソ連の闇の世界を支配しているのであろうか。

 本書は、それを解き明かしていくものである。

 それでは、以下、ソ連のマフィア達の歴史について語っていこう。

 

 

 

 

エピローグ

 経済の不振、政治の混乱、予想さえできなかった民族紛争……、これらの大きなうねりが、今日のソ連から人口の国外流出をまねいている。

 ある者達は永遠に、またある者達は一時的な出稼ぎのため、希望を捨てずに国を出ていく。また国家の危機から逃れるため、外国に出ていく者達もいる。

 モスクワのアメリカ大使館の前には、雨が降ろうと雪が降ろうと、ソ連からの移住許可を求める長蛇の列ができている。こうした行列は、ドイツ大使館(ここでは主にソビエト国籍のドイツ人に限られる)、オーストラリア大使館、オランダ大使館でも見られる。

 数万人に達するソビエトの医者、農民、商人、運転手、学生、秘書、エンジニアが、やがて国境を越え、国外に新しい自分の人生を見つけようとしている。その行き先はさまざまだ。

 ユダヤ人はイスラエルやニューヨークに定住の地を求め、アルメニア人はロサンゼルスに定住するだろう。ロシア人はオーストラリアに、イスラム教徒とドイツ人はドイツに定住の地を見出すだろう。

 こうした“民族大移動”と比べたら、マリエリからマイアミヘのキューバ人の移民は、幼稚園の遠足のようなものだ。キューバ人の移民が、リトル・ハバナをつくり、コカイン取引の増加を引き起こしたといっても、それよりはるかに大規模で重大な犯罪を、ソビエト人が引き起こすに違いない。

 はっきりいって、国外への移民許可に、過去の犯罪歴は関係ないのだ。刑事犯罪、経済犯罪で罪に問われたことがあっても、それは移民許可に影響を与えないのである。

 当然、移民の中にこういった人間は少なくない。

 ニューヨークのブルックリン、ミュンヘン、キャンベラなどの“ソビエト・マフィア”のグループに、彼等があっという間に簡単に補充されることを、いま、容易に想像できる。

 もし、彼等の移民の本当の目的ができるだけ金を稼ぐことだとすれば、彼等はどんな手段を使ってもそうするからだ。当然、その中には犯罪的手段も含まれている。

 アメリカの法律は、ある種の違法行為に対しては長期の自由剥奪を規定していない。例えば、彼等の前にこんな問題が立ちはだかったとしよう。

 いま、法を犯せば100万ドルが手に入る。しかし、捕まれば2年の監獄行きは確実という問題である。

 果たして、彼等は何もしないだろうか?

 おそらく、それは100万ドルの方で決めてくれる。つまり、彼等は法を犯すのだ。

 ソビエト国内の収容所で5、6年過ごした者にとって、アメリカでの2年の監獄生活などハワイでのバケーションみたいなものだからである。

 

 

構成者あとがき

 いまやソ連の情勢は、私たちの意識がついていけないほどめまぐるしく変わっている。昨日のソ連は今日のソ連ではなく、明日はどうなるかわからないというのが、正直な感想である。つまり、ひとつの固定したイメージでソ連をとらえきれなくなっているのだ。

 東西に冷戦構造があり、“鉄のカーテン”が存在したころ、ソ連は社会主義帝国という確かなイメージで人々の心にあった。それが、ペレストロイカ(改革)が進み、グラスノスチ(情報公開)が促進されるにつれて、おびただしい情報が流れ出し、そのイメージは大きくぐらつき出した。

 本書はそうした中で生まれ、ソ連社会のこれまで西側に知られてこなかった暗部をレポートしている。

 論理的にいうと、共産主義社会には組織犯罪は存在しない。しかし、現実はまったく違うということが、本書を読めばおわかりいただけると思う。

 ソビエト・マフィア。

 もはや、その存在は疑いのない事実である。“鉄のカーテン”の向こう側には、長い組織犯罪の歴史があり、ペレストロイカによってその存在を知りえてみると、西側に存在する組織犯罪とそれほど違わないのである。

 本書を構成するにあたっては、さまざまな方法を用いた。ロシア語から日本語にストレートに訳しえない言葉が多く、それらについては文意が通じることを第一義として、他の言葉に置き換えた。特に法律や犯罪関係の言葉にこれは多い。また、一部においては構成至上主義をとり、原文の意味を汲んで表現を変えたり、順序を変えたりもした。ソビエトの社会機構は西側のそれとかなり異なっているため、また、日本人に理解しやすくするために、こうした手法を用いた。

 さらに、固有名詞(地名・人名)などは、できるかぎりそのまま日本語表記に置き換えた。

 現在、モスクワではペレストロイカの進行とともに地名変更運動が行われている。モスクワ市当局が、町名や通り名、広場名を革命前の呼び名に戻している。例えば、これまでゴーリキー通り(モスクワの銀座にあたる)といわれてきたのが、今ではトヴェルスカヤ通りと変更された。革命50周年広場はマネージナヤ広場に、10月25日通りはニコーリスカヤ通りと変わっている。これらはソビエト革命という歴史の部分的否定であり、まさにペレストロイカそのものなのだが、本書の表記はその変化に追いついていない。したがって、表記はそのままとした。

 こうしたソ連激変により、いま日本の出版界でもさまざまなソ連関連本が刊行されている。特に、ゴルバチョフ大統領訪日の今年は、その量はおびただしい。しかし、そうはいってもそのほとんどが、“ソ連はどうなるのか”式の経済、政治をベースにした観測本であるから、本書のようなナマのドキュメントは価値あるものと思う。

 いずれにせよ、いま、ソ連は疲弊している。

 ソ連のゴッドファーザー達は、その社会の疲弊をついて、犯罪により莫大な利益を生み出している。

 モノ不足といわれて久しいソ連だが、実際はマフィア達によってモノは巧みに隠されている。モスクワの国営商店に行けば、モノを求める人々の長蛇の列が見られるが、列の人々すべてにモノが行き渡るわけではない。しかし、これは見せかけのモノ不足で、ひとたび北東部のリージスカヤ地区のリーナック(自由市場)に足を運べば、そこではヤミ市が真っ盛りだ。木箱の上に並べられた野菜や果物などの食料品から衣類まで、モノはあふれるほどある。しかし、値段は、国営商店の約10倍。ここで、豚肉1キロを買えば、平均的ソ連人の月収の約20分の1がとんでしまうという。

 ブラックマーケットの支配者、それがソビエト・マフィアの素顔である。

 本書は、マフィアの素顔を暴き、その活動を克明に追跡している。東側西側を問わず、犯罪は人間生活と表裏一体となっているのがよくわかると思う。

 最後に、ソビエト・マフィアの存在が、西側世界への警鐘となっている点も付記しておきたい。

 

平成三年

川崎順平