夜々に掟を(1) 印刷

夜々に掟を

一〜九

発行社:光文社
発 行:昭和51年7月30日 初版発行


【解説:素ッ裸になった小説】
(小島政二郎)

この小説を書くことによって、津田信君は男になった。
男になると云うことは、津田君の場合は、一人前の小説家になったと云うことだ。小説志望の人間が、一人前の小説家になれたと云うことは、世間の人が思う程楽なことではないのだ。今の小説家は小説家ではない。あれはみんな大衆小説家だ。津田君の場合は、芸術小説家になったと云うことである。
大衆小説家になることは、やさしい。芸術小説家になることは容易なことではない。
バーナード・ショーは、食うために三十九の年か四十二の年まで、新聞に音楽の批評を書き、絵の批評を書き、劇評を書き、手当り次第にどんな仕事でもした。音楽を聞き、絵を見、つまらない芝居を見に駈けずり廻るために、底に大きな鋲を打った登山靴を一ト月に一足穿(は)き破ったと云われている。この労働のために、彼の心はグショ濡れになり、骨はグニャグニャになった。
幸い一つの「偶然」が彼を救ってくれた。と云うことは、ウィリアム・アーチャーとの出会いだった。アーチャーとの出会いによって、彼は初めて食うための仕事を止めて、本当の劇作家になれた。
しかし、津田君にはショーのように食うための仕事ばかりあって、仕合せな一つの偶然もなかった。この『夜々に掟を』を書いたのも、自分自身の一念からだった。ショーの場合は、食うために書いた音楽の月評も、劇評の月評も、後に単行本になって刊行されている。しかし、津田君の「食うため」の仕事は、一冊の本にもならぬ、本当に「食うため」の仕事だった。
そんな竈(かまど)の下の紙屑のような仕事をしながら、よくも初一念を捨てなかったと私は感動しないではいられない。
思うに、彼は本当の小説家の素質を持っていたからであろう。彼はこの小説を書くのに五年の歳月を悩み抜いた。その結果、小説家は裸になることだと云う最後の真理を悟ったのだと思う。
この唯一の真理を悟ったことは、深山の宝を掘り当てた程尊い。この唯一の真理を悟ることが出来ずに、一生遂に小説家になれずに消えて行った人が幾人いたことであろう。
しかし、悟ったからと云って、すぐ裸になれるものではない。悟ると同時に、津田君は見事に素ッ裸になった。この小説は人の本能をイリテートするに違いない。或いは人の心を怒りにイリテートするかも知れない。本当の小説の少い現在、この小説は大手を振って文壇を闊歩することと私は信じて疑わない。
ただ、裸になった後に、小説家には尚厳しい最後の問題がもう一つ待っている。津田君がこの厳しい最後の宿題とどう戦うか、私はそれを楽しみにしている。


【一】

六月二十五日
ついに“理想の女”にめぐり逢うことが出来た。
若い頃から細面で痩せぎすの女が好きだったが、目鼻だちについての好みが固まってきたのは、ようやく四十歳をすぎてからである。そのイメージにぴったりだったので、一目見たとき、喉の奥から「ああ」と声が洩れそうになった。“お前が捜し求めていたのはこの女だろう”と、いきなり突きつけられた感じであった。夕方、余丁町の仕事部屋で週刊S誌の編集者須山君と特集記事の打ち合わせをしているときに、データ原稿を届けに来た女性である。
二十三、四歳で、背丈は五尺三寸ぐらい。品のいい顔立ちに、白い半袖のワンピースがよく似合い、真ッ先に胸に浮かんだのは「清楚」という言葉だった。彼女は原稿を置いてすぐ帰って行ったが、そのあと暫くぼんやりしてしまい、「どうしたんです」と須山君に訝(いぶか)しがられた。打ち合わせがすんでから須山君に尋ねた。
「さっきの女の子、君の社の娘(こ)?」
「いえ、R企画の娘ですよ」
R企画というのは、主に週刊誌の取材を請け負っている記者グループである。
「じゃ、あの娘も取材するの?」
「うちでは殆ど使っていませんが、女性誌では結構、重宝がられているようです」
須山君が帰ったあとで、肝腎の彼女の名前を聞かなかったことに気づいた。やっぱり、気持ちが上ずっていたのだ、いい齢をして。
急ぎの原稿にもかかわらず、筆が進まなかったのも、昂奮が容易に醒めなかったせいだろう。何度も口に出して呟いた。
――居たんだたあ、この世に……。
夜十時すぎ、二町ほどはなれた知子のアパートヘ行く。駿吉はもう眠っていた。夜食のあと、せがまれるままに体を重ねながら、頭の中では先刻の娘の顔を描く。午前二時、仕事部屋に戻り、原稿を書き継ぐ。
六月二十七日
高梨の勤め先――品川のホテルに電話をかけたが、生憎、不在だった。居たら、「日頃の持論を撤回する」と言うつもりであった。これまで高梨と女性談義をするたびに私は、「この世に理想の女なんて居るものか。居ないから理想の女なのさ。俺は一目惚れなんて信じないね」
と嘯(うそぶ)き、すると高梨も愍(あわれ)むような表情でこう言った。
「お前の小説が心を摶(う)たないのは、心底から女に惚れたことがないからさ」
恐らく高梨は、私が一目惚れしたと言っても、すぐには信じないだろう。私自身、まだ信じられないくらいなのだから。高梨に話をするのはもう一度、あの娘に会ってからにしよう。彼女のイメージは二日たった今も鮮烈に胸に生きている。
六月二十八日
彼女の名前がわかった。
園池文世(そのいけふみよ)、二十五歳、協立女子大仏文科卒。二年前、「R企画」を訪ねて来て、自ら取材記者を志願し、現在は主に女性週刊誌「J」のドキュメント『シリーズ人生』を担当している由(よし)。
もう一度、会いたい。R企画の事務所へ行けば簡単に会えるだろうが、生憎、用事がない。もっとも、同じ週刊誌の世界にいるのだからいずれ会う機会があるだろう。それにしても、良家の子女のように見える彼女が、なぜ、取材記者なぞやっているのか。マスコミの仕事が好きなら、ちゃんと女子大を出ているのだから、出版社に就職すればいいのに。
今日は駿吉の満二歳の誕生日。
口の周りをクリームだらけにしてケーキを食べている駿吉の顔をつくづくと見る。おでこで目が丸く、いかにも子供子供した顔だが、私に似ているところが一つもない。
長男の準も、次男の章も、幼い頃から私にそっくりで、足の爪の型までよく似ている。駿吉が生まれるまで私も知子も、女の児とばかり思っていた。妊娠中、知子の顔は一向にきつくならなかったし、胎動も弱かった。
知子が今度こそ産ませてくれと哀願したとき、「そのかわり、絶対に女の児を産むんだぞ」と、理不尽を承知で私は言った。十年前、不妊手術をした妻は、「女の児を産んでからにすればよかった」とあとで何度も悔やんでいた。だから、万一、バレた場合も、女の児だったら妻が手許に引き取ってくれるかも知れないという計算も働いていた。
二年前の今日、病院から男の児と報(しら)されたときに、がっかりしたのを覚えている。その翌日、病院へ見舞いに行き、「詐欺にあったようたものだ」と笑いながら言うと、額の生え際が薄くなった知子も、「申し訳ありません」と、おどけて謝った。
男の児の名前は考えていなかったので、高梨と阿部に頼んだ。仕事部屋に出入りする取材記者のなかで、知子は、同じ秋田県出身の阿部といちばん親しくしていた。阿部が遊びにくると秋田訛りが丸出しになる。二人が考えてくれた五つばかりの名前を知子に見せた結果、駿吉と決まった。私は、駿だけにしたかったが、準や章と同じように一字だけにするのが、何となく気がさした。やはり、外子(そとご)という意識があったせいだろう。
あと二ヵ月ほどで私は満四十五歳になる。駿吉が一人前になるまで、生きてはいまい。それほど長生きしたいとも思わない。男性機能を喪(うしな)うと同時に死ぬことが出来れば理想的だが、それまでにもう一度、熱烈な恋がしたい。心底、女に惚れてみたい。惚れれば、高梨が言うように、人の心を摶つ小説が書けるかも知れない。たった一作でいいから、これが俺の小説だと、人に言えるような小説を書き遺したい。
あの園池文世という娘が私と恋に陥ちてくれれば、それを書くことが出来るかも知れない。だが、二十歳も年上では、いくら口説いたところで、相手にはしてくれまい。よしんば私の想いを受け入れてくれたとしても、知子母子の存在を知ったら、驚いて逃げ出してしまうだろう。せっかく、気に入った娘を発見したというのに、やっぱり、諦めねばならないのだろうか。
七月二十五日
丸一カ月たったが、相変わらずあの娘と再会する機会に恵まれない。気永に待つしかないようだ。
準は今日、高校の友人と能登旅行へ出かけた。来春、大学受験なのに暢気(のんき)な奴である。自信があるのか、最初から投げているのか。このところ、週末しか家に帰らないので、子供たちと碌(ろく)に話をしない。先日、妻に口説かれて、準の私大受験を許した。あとで準は、「親爺(おやじ)は近頃、物わかりがよくなった」と言ったそうだ。物わかりがよくなったわけではない。駿吉のことが後ろめたいからにすぎないのだ。
元々、私は進学を認めなかった。大学卒の肩書が欲しいだけで大学へ行くなぞもってのほかと思い、子供たちが小学生の頃から、高校を出るまでに将来の目標を決めておけ、と口が酸っぱくなるくらい繰り返した。準を英語専門高校へ入れたのもそのためであった。大学へやるだけの経済的な自信もなかった。自由業と言えば聞こえはいいが、収入はきわめて不安定だし、註文がなければそれきりである。筆一本の生活をはじめて五年間、来月の生活費をどうしようという危機が何度もあった。
しかし、せっかく、専門校に入れたにもかかわらず、準の話ではクラスの八割以上が進学を目指しているらしく、それに昨年の春頃から仕事も順調で、生活にもいくらか余裕があるようになったため、私の大学無用論は次第に後退せざるをえなくなった。常々、「俺は妻子のためだけに生きているんじゃない」と嘯いていたが、他処(よそ)に子供をつくり、その母子をひそかに養っているのだから、あくまでも経済的な理由を楯にして、準の大学受験を認めないわけにはいかなくなった。妻も子供たちも私の豹変にかげで首をかしげているに違いない。後年、準は苦笑するだろう、「俺が大学へ行かれたのは異母弟のおかげだったのか」――と。
八月二十日
J誌の仕事で久し振りに小石川別館へ行く。
モルタル塗り三階建ての別館には畳敷きの部屋が二十近くあって、毎週締切り日が迫ると編集者もライターも、データマンと呼ばれる取材記者たちも泊まりこんで仕事をする慣わしになっている。私は二時間おきぐらいにコーヒーが飲みたくなるので、出来るだけ自分の仕事部屋で原稿を書くようにしているが、急ぎの仕事の揚合はやはり出向いて行かねばならない。編集者も手間が省けるのでそれを望んでいる。
三カ月ぶりに芸能記著の保科君に会う。同い齢なので、会うとつい兵隊時代の話になり、最後はきまって、「せっかく生きて還ったのに、こんなやくざば商売をしようとは……」と自嘲し合う。
保科君も都内に仕事部屋を持ち、真鶴(まなづる)の家に帰るのは週末だけだが、週に二回、懇(ねんご)ろにしている近所の未亡人が仕事部屋に忍んできて、食事の世話や洗濯をしてくれるそうだ。
「その代わり、寝床でたっぷり二時間はお礼をしなくちゃならないんだ」
「よく体がつづくね、まさに脱帽ものだ」
「何言ってるんだ、自分だって東京ワイフがいるくせに。阿部から聞いてネタは全部あがっているんだぞ」
ぎょっとしたが、駿吉の存在は知らぬらしい。駿吉が出来る前、知子は三日にあげず仕事部屋に泊まりにきたので、編集者や取材記者たちとは顔馴染みになっている。が、駿吉のことを知っているマスコミ関係者は、S誌の名取編集長、須山君、それに阿部だけで、この三人には厳重に口止めしてある。どうやら阿部もそれを守ってくれたようだ。もっとも、阿部には面と向かってこう言われたことがある。
「知子さんはよっぽど辛抱強いんですね。それともあなたがよくよくの悪人なのか――僕はときどき、猛烈に肚(はら)が立つんです。知子さんの話だと、津田さんは奥さんと離婚することなぞ、一度も考えたことがないんだそうですね。許せないなあ」
彼は同郷なるがゆえに、知子の立場に同情を禁じえないのかも知れないが、三十にはまだ間のある青年に、男女の機微を理解させるのは無理というものだろう。
八月二十六日
来月から月に二回『シリーズ人生』のリライトを引き受けることになった。昨夜遅く、担当キャップの玉木君から鎌倉の家に電話があって、「稿料も出来るだけはずみます」と頼まれたとき、真ッ先に浮かんだのは、あの娘に会える、という想いだった。
『シリーズ人生』は有名無名を問わず数奇な運命を辿った人物をクローズアップする頁で、取材に金と時間をかける点でも週刊誌の世界では知られている。それだけに読み応えのある内容が求められ、女性誌ながらこの頁だけは毎週欠かさず読むという男性読者も少なくない。いわばJ誌の看板である。週刊誌のリライトをはじめて丸五年、少し飽きがきていた矢先なので、刺戟になるかも知れないと思って承諾した。金も欲しい。来春は章も高校へ進む。駿吉も近頃は値の張る玩具をほしがるようになった。
九月一日
四十五回目の誕生日。二十余年前、復員してきた当座は、これからは余生のようなもの、ひっそりと生きて行こう、なぞと考えたりしたが、いつか余生のほうが長くなった。いや、余生どころか、生臭いことの連続であった。
《人間の価値はなにを成したかにあるのではない。どう生きようとしたかにある》
これは、何度かお目にかかったことがある山崎五郎さんが生前しばしば口にした教訓。山崎さんの小説はたしかに“生きる姿勢”を問うたものが多かった。戦後のわが生きざまを省みるとはずかしくなる。全く杜撰(ずさん)な歳月を送ってきた、女への姿勢だけを考えても――。
九月三日
午後の新幹線で妻の真紀子と神戸へ。六時半、長姉万起(まき)の家に着く。七十をとっくに過ぎたのに義兄は相変わらず元気で、太刀魚釣りに行こうとしきりに誘う。義兄に釣りの手ほどきを受けてから十五年、その間に各地の海や川へ数えきれぬほどお伴をしたが、一向に上達しない。釣りは短気な人ほど巧い。私も決して気の永いほうではないのだが――。
九月四日
朝九時、中央突堤から関西汽船で高松へ向かう。特二等の船室を覗いた妻に、「私と一緒のときは何でも安上がりにするのね」と言われて、一等室に切りかえる。ベッドとソファの付いた一等室が気に入ったとみえて、妻は子供のようにわざわざベッドに横になってみせる。「こんな大きな船に乗ったの、はじめてなんです」と、同室の若い夫婦へ話しかけ、提げ袋から煎餅を出して、しきりにすすめていた。
高松でタクシーを借り切り、まず粟林(りつりん)公園へ行く。私は三回目なのでつい足が早くなり、「そう急かせないでよ」と、肥満した妻からまた苦情を言われる。四年前に母が死んでから、妻は急速に肥りはじめた。十六年間にわたる姑の苦労から解放されたせいか。「そのうえ、あなたに女の苦労をさせられ通しだった」と妻は言うが、元々物事にそれほどこだわらない性質である。
次は琴平へ。金毘羅さまの石段を登ってみたが、夫婦とも息切れして途中から引き返した。運転手に随分早かったですねと言われ、実は途中で諦めたと白状したら、ここまで来てお詣りをしなかったお客ははじめてだしと呆れられた。屋島を廻って夕方、津田の松原着。宿に荷物を置いて松林の中を歩く。人影がまばらで、海風が快い。
今年は妻と一緒に随分、旅行をした。二月の観梅を皮切りに、春には西伊豆、初夏には飛騨高山、そのあと京都へも行った。また、日帰りで神奈川県内の名所旧蹟も訪ね歩いた。予供たちも春休みや夏休みには、友人たちと遠出している。他目(はため)には余裕綽々(しゃくしゃく)の優雅な暮らしに見えるかも知れないが、その実、とったかみたかの生活である。夫婦とも貯金が嫌いで、早い話が銀行とは出版社から振り込まれる稿料を引き出すところとしか心得ていない。いや、原稿を書く前からその稿料を胸算用して今月は少し残りそうだと思うと、すぐ旅のガイドブックをめくる始末である。
同年輩の友人たちは、競うように家を建て、その新築披露にも何度か招ばれた。しかし、負け惜しみでなく私は一向に羨ましくない。むしろ、毎日の食物までつめて家を建てようとするその気持ちがわからない。みんな、なぜ自分の家が欲しいのだろう。建てるにしたって大半が借金である。その借金をやっと返した時分には死が待っている。いわば子供のために建てるようなものだ。私には家や財産を遺してやろうという気持ちが全くない。子孫のために美田を買わずという高邁(こうまい)な志なんかではない。自分が稼いだ金は、出来るだけ自分で遣いたいからに他ならない。子供たちには子供たちの人生がある。私が私の人生を愉しんでどこが悪いのか。
愉しむといったところで、しがない雑文稼業の収入だ。タカは知れている。たまに旨(うま)いものを喰うか、小さな旅行をするのが関の山だ。もし私が家を建てようとすれば、そんなささやかな愉しみまで犠牲にしなければならない。
私は焼け野原の東京に復員服だけで帰ってきた。戦災者寮に住んでいた母に、何もせずに喰わして貰ったのは半月足らずだった。そんな私でも、結婚し、子供もつくり、今日まで何とか生きてこられた。私は子供たちに言い渡してある。「十八歳までは育ててやる。あとは自分で生活しろ」と。
むろん、子供の可愛くない親はいない。しかし、私は、子供より私自身のほうがはるかに可愛い。子供に何かしてやるのも、結局はその笑顔を見たいからにすぎない。
「あなたは本心が冷たい人なのね。自分を無にして人を愛することが出来ない人なのね」
と妻は言うが、無償の愛なぞ存在するだろうか。
九月五日
徳島へ出て眉山に登る。ケーブルカーで着いた山頂には見物客が一人もいなかったが、残暑の陽が容赦なく照りつけて、一向に涼しくない。ただし、茶屋で食べた眉山焼きという餅は、思いのほか旨かった。午後、鳴門公園を廻り、水中翼船で神戸に戻る。船中、園池文世に後ろ姿がよく似ている娘を見かけ、胸が軽く騒ぐ。降りしなに顔を覗いたら、似ても似つかぬ容貌であった。あの娘にはいつ会えるだろうか。
九月六日
昼前、姫路の姉栄子を見舞う。私と二つしか違わないのに、五十をいくつもすぎたようなその老けこみ方に驚く。血圧が高く夜眠れないと訴える声も嗄(しわが)れがちである。あまり長生きしないのではないか。今回の旅行は姉の病気見舞いが目的である。それなのに四国見物を先にした。ちょっと気が咎める。
午後、姪の運転する車で戸倉峠までドライブ。姉は私たち夫婦をしきりに羨ましがる。夫がこのところ商売に身を入れず、酒びたりだからだ。小さな家具店だが、いまは二十歳を超えたばかりの姪が、二人の店員と切り廻している。峠のドライブインで、そうめん流しに涼をとる。数百尾の鱒が群泳している池に簀の子を渡し、その上で食べるようになっている。久し振りに食欲が出たと姉の顔がはじめて明るく笑う。そうめんを三、四本へ抛ると、鱒の群れが水しぶきをあげて凄まじい争奪戦を演じる。その姿が姉の食欲を呼んだのかも知れない。
九月七日
払暁、大阪湾に船を出し、義兄と太刀魚を釣る。五寸釘ぐらいの太さの鉤(はり)にどじょうを巻きつけて糸を降ろすと、間もなく、ガクッという手応え。糸をたぐって水面近くまで魚がきたとき、一気に引き抜く。折りから昇ってきた朝陽に銀色の鱗が輝き、太刀魚という名をいやでも納得する。夕食に太刀魚の握り鮨を腹一杯食べた。

【二】

九月二十日
園池文世に再会した。三カ月ぶりである。
今週の『シリーズ人生』は、情夫と共謀して夫を殺し、その屍体を百数十個に切り刻んで埋めた女の半生を探ることになり、八人の取材グループが総動員された。
別館の執筆部屋で待っていると、午前零時を廻ってから記者たちが次々に戻ってきた。締切りがギリギリなので、彼らから取材内容を聞き、それをメモにとっていると、最後に戻ってきたのが文世だった。襟の大きな白いブラウスに、黒のスラックスをはいた彼女を見たとき、齢甲斐もなく胸がきゅっとなった。表面はさりげない風を装ったが、気持ちが上ずり、メモをとる手がとかくお留守になった。
彼女のほうは落ち着いた口調で要領よく説明し、しかも言葉遺いが丁寧であった。話し終えると部屋の隅でお茶を淹れ、まず私に運んで来てから一同に配った。その間、一度も畳のへりを踏まなかった。
卓に茶碗を置くとき、彼女の手を見た。白くて、細くて、見るからに器用そうな指である。爪の型も美しい。お茶よりもその指をしゃぶりたかった。すでにこの指に口づけした男がいるのだろうか。私だったら接吻なんて生易しいことはしない。五本ごと、いや、両手の十本ごと頬張ってしまう。もう一杯お茶を所望すると、新しい葉で淹れ直してくれた。
「あら、茶柱が……」
頬笑む彼女についうっとり見蕩れ、日頃ならこんなとき気の利いたセリフが出るのに、何も言えぬ体たらくだった。
十月十二日
はじめて文世のデータ原稿を読む。字はそれほど上手くはないが、誤字脱字は一つもなく、要点を的確に把えて、無駄のない文章である。内心、唸った。
私の知る限り、データマンの原稿には誤字脱字がつきもので、そのくせ、もって廻った表現をし、感傷的な思い入れたっぷりのものが少なくない。だから、リライトする必要があるわけだが、私のように最終原稿をまとめるライターがアンカーと呼ばれているのを知ったときは、つい笑ってしまった。アンカーとはよくぞ付けたものである。
殆どが二十代のデータマンたちは、編集者の命令一下、その場から九州へでも北海道へでも取材に飛び出す。腰の軽さが身上だ。私も新聞記者だったので、取材のコツは一応心得ているが、新聞と週刊誌とではねらい処が明らかに違う。ひと口で言えば、新聞が省略するような面を敢えて採り上げてクローズアップするのが週刊誌の取材である。当然、人間の醜い面に触れることが多く、いわゆるプライバシーを侵す場合も少なくない。
しかし、世間が言うように、全くのデッチ上げや臆測ではない。火のないところに煙は立たぬの譬(たと)え通り、どんな噂にも、どこかしらにそれらしい根拠があって、集められた情報を組み立てたり分析したりすると、新聞が見落とした事実が浮かび上がってくる。煙を大きく立てすぎるきらいはあるが、真実は新聞と週刊誌の接点にある、とでも言えようか。
データマンの世界も競争が激しい。出版社から拘束料を貰っている一部の専属記者を除けば、殆どがフリーの一匹狼で、むろん、原稿料で生活している。しかし、彼らの価値は誤字や脱字のない原稿にあるのではなくて、あくまでも執拗な取材能力――一旦喰いついたら、滅多なことでは引き下がらない粘り強さにある。それがない者は、いくら原稿がきちんとしていても、結局は編集者に疎んぜられ、棄て去られてしまう。つまり、この仕事を三年以上やっている者は、かなり臆面のない人間とも言える。いわば図々しさが財産である。
そのせいか、彼らの言葉遺いは乱暴で、表現は露骨だ。女性記者も平気で猥談に加わる。
そんななかで、文世だけが違っていた。
いや、そう思うのは私がすでに、あばたも笑窪になっていたからかも知れないが、猥談が始まると文世だけが目立たぬように部屋の隅に退いて、けっして座に加わろうとしないのは事実だった。先日、彼女がいないときに、
「あの人だけは絶対に処女だな」
日頃、自他ともにブレイポーイを認める男が断言した。
「なぜ?」と、別の一人が訊いた。
「この間、偶然手が触れた途端に、一メートルも飛び退(の)いたんだ。あの驚き方は間違いなく処女の潔癖さだね」
「ばかを言え。男を知らなくてこの世界がつとまるかよ。彼女は一見清純風に見えるが、自分でもそれをよく知っていて、わざとそう振舞っているのさ。二十五歳で処女だなんて、不潔そのものさ」
知子と知り合ったばかりの頃に、ほかの者もまじえて秋田の男鹿半島へ遊びに行ったことがある。帰途、狭い林道を歩いているときに、先を行く知子の肩に枯れ葉がとまった。私が何気なくそれを摘もうとすると、やはり知子は跳ねるように飛び退いた。私も、てっきり彼女を処女だと思った。私には、いまだに女がわからない。わからないから面白い。興味がつきないのだ。処女にせよ、非処女にせよ、私が何よりも気に入っているのは、文世が自分の美しさをかけらほども鼻にかけない点である。
十月十五日
前から約束していたので、知子と駿吉を連れて伊豆へ出かける。家にはS誌主催の温泉麻雀大会と嘘をつく。沼津から定期船で戸田へ行き、国民宿舎に泊まる。係の人が浴室へ案内してくれながら、お子さんはお一人ですか、と聞いた。知子が私をちらっと見てから頷いた。知子は今年三十五歳だが、駿吉を産んでから急に老け、実際の年齢より二つ三つ上に見られる。私もこのところ白髪がふえた。さぞかし遅い子持ちと思ったことだろう。寝しなにまた入浴。牀の中でいささか知子を持てあます。
十月十六日
船で堂ケ島へ行く。小雨が降り出したが、海は穏やかで、駿吉は船室と甲板をちょこまか往復。そのたびに跟(つ)いていかねばならない。その間、船に弱い知子は船室の長椅子に横たわり、十分おきぐらいに、「あと、どれくらい」と聞く始末。「ゆうべ、ハッスルするからだ」とからかう。
堂ケ島に着くと、いい塩梅に雨が上がり、薄陽がもれてきた。知子の顔にも赤味がさし、レストハウスでコーヒーを飲んだあと、土産物ケースを覗きこむ。春に妻と西伊豆巡りをしたときも、ここでひと休みした。バスで下田へ出ると、ちょうど駅前から石廊崎巡りの観光バスが出るところだった。すぐ乗りこむ。団体客が大半を占め、知子だけが後方の席になる。酔った団体客の一人が、「旦那さんよ、奥さんはわれわれが預かったぜ」と頓狂(とんきょう)な声をあげたので、バス中がドッと笑った。走り出して間もなく、その男と知子の話し声が聞こえてきた。
「やっぱり夫婦離ればなれじゃ気の毒だな。旦那さんと替わってあげようか」
「あら、よろしいんですよ。いつも一緒ですから、たまには離れていたほうが」
「うへえ、奥さんも言うねえ」
知子とは十年になるが、一緒に旅行したのは今度が二回目。日頃あまり冗談を言わない女だけに、はしゃいでいるのがよく判る。
石廊崎で知子はバスに残り、駿吉を連れて小さな遊覧船に乗る。入江を出ると思いのほか波が高く、船が揺れるたびに女性客が悲鳴をあげたが、駿吉は私の膝の上でケロッとしている。蓑(みの)掛け岩が船窓の向こうに見え隠れする頃、「大変波が高いので、ここから引き返します」というアナウンスがあった。もし、この船が沈没して私と駿吉が溺死したら、と考える。知子は嘆き悲しむ前に妻に報せねばなるまい。報された妻は二重のショックから気が狂うかも知れない。
下田に戻る途中、弓ケ浜で三十分休憩。弧を描いた美しい浜に目を細めて見蕩れていた知子が「もう一度来たい」と言い、松林の中にある国民休暇村の白い建物を指さして、「そのときはあすこに泊まりましょうね」と念を押した。「来年の春、また来よう」と私も約束する。
夕方六時、入田浜のホテル着。乗り物につぐ乗り物で疲れたのだろう、駿吉は夕食後すぐ眠ってしまい、私も一合の酒にたわいなく酔った。
十月十七日
午後、伊東郊外の大室山サボテン公園で遊ぶ。ここに初めて来たのは、準が小学一年生のときだから十年以上も前である。設備がまだ半分も出来ていなかった。伊東は父祖の地、市内仏現寺には祖先代々の墓がある。曾祖父の頃まで菓子問屋をやっていたと、はじめて父に連れられて墓参りにきたとき、聞かされた。
帰りにバスが仏現寺のわきを通ったので、知子にそれを話すと、「パパもね、小さいときにおじいちゃんとここにきたんだって」早速、駿吉に教えていた。そうか、親爺はこの子にも祖父に当たるんだたと、当然なことに今更のように気づいた。
父の死後、「どこかに隠し子はなかったのか」と母に訊ねたことがある。「父さんは玄人しか相手にしなかったからね」というのが母の答えだった。母も芸者上がりである。新橋から雛妓(おしゃく)で出て、一本になって間もなく父に落籍(ひか)されたと、後年、母自身の口から聞かされた。その母が「玄人しか……」と言ったので、父の女遊びは一貫していたんだなと妙に感心したのを覚えている。もっとも父の時代は素人女には容易に近づけなかったのだろう。
父とは逆に、私は玄人の女と遊んだことがない。独身時代も遊廓へ行ったのはたった二回だけ、相手はいつも堅気の娘か人妻、あるいは人の囲い者で、「素人さんには手を出すんじゃないよ」という母の忠告をついに守らなかった。知子と駿吉を横目で見ながら、只ほど高いものはない、か――と肚の中で苦笑した。
十月二十二日
今週から『シリーズ人生』を毎週担当することになった。金になるし、文世と接触する機会もふえる。私にとっては願ったり叶ったりだ。
夜、別館へ行くと、文世が部屋の隅で原稿を書いていた。反対側の壁に凭(もた)れて、ときどき額にたれ下がる髪をかき上げながら万年筆を動かしている彼女の横顔を見つめ、何度も胸の中で己の年齢に歯ぎしりした。
齢を考えると人一倍自惚強い私も、口説く勇気が湧かない。「ご冗談を」と軽くいなされそうで、口説く前からそのときの自分のピエロぶりが想像される。だが、彼女を見るたびに惹かれてゆく気持ちは、もはやごまかしようがない。女については随分場数を踏み、かなりの経験も積んだつもりだが、そんなものが何ら役に立たないことを知った。四十五歳にもなって、こんなせつない想いに捉われるとは――。
私は髪を短くしたり、パーマネントウェーブをかけた女が嫌いだ。付け睫毛やアイシャドーをした女は、見ただけでもうんざりする。アクセサリーをつけた女も好きになれない。若い頃はそれほど女の化粧や服装にこだわらず、むしろ、女には目がなかった。据え膳はためらわずに喰った。
ところが四十を過ぎてからは、女の選り好みが強くなり、誘われても、あえて見過ごすようになった。数より質だとようやくそれに気づいて、息子たちにも、「顔や体を飾り立てる女は、心の貧しい証拠だ」と、よく説教した。「明らかに老化現象ね」と妻にからかわれたが、素人だか玄人だか判らないような近頃の女のどぎつい化粧がやたらに腹立たしく、青年たちが服装に憂き身をやつす姿もうとましかった。私は、妻や知子がパーマネントをかけることも、指輸をはめることも許さず、息子たちにも長髪や派手たシャツを禁じている。
文世はいつも素顔だった。
肩まで伸ばした髪は、その先が心持ち内側にカールしているだけで、唇もまったく塗らず、装身具をつけているのを見たことがなかった。服のデザインもごくあっさりしている。
しかし、外見は清楚でも、芯は強いのかも知れない。強くなければ、ケバケバしい女が氾濫しているなかで、白粉一つつけずに通すことは出来ないはずである。それにしても、彼女はなぜ取材記者になったのか。その理由を彼女自身の口から聞いてみたい。
十一月一日
今月から仕事部屋の家賃が千円上がった。早いもので、借りてから丸四年たつ。四畳半一間なので、最小必要限度の品しか置いてないが、この四年間にたまった書籍、雑誌類が両側の壁際にいくつもの山をつくり、実質的に使えるのは三畳分そこそこ。蒲団を敷くときは、机代わりにしている電気炬燵をいちいち動かさなくてはならない。
おまけに隣のアパートと一メートルと離れていないので終日、陽が射さず、高梨が訪ねてくるたびに、「よくこんな穴蔵みたいたところに居られるな」と呆れるのも無理はない。私にしても、出来たらもう少しましな処へ移りたいが、しがない雑文書きにふさわしい部屋と言えぬこともない。
四年前、仕事部屋を捜すときにこの余丁町界隈へ自然と足が向いたのは、戦前、東大久保に数年住んでいて、いわゆる土地カンがあったからである。街の様相は一変していたが、それでも少年の頃によく遊んだ西向天神社の境内はそのままだったし、昔の面影が残っている路地も幾つかあった。全く見知らぬ街に住んでみたいという気持ちもないではなかったが、結局、この仕事部屋をきめたのは懐古的な気分に支配されたからだ。これも齢だろう。取柄は自動車道に面しているので、アパートの前ですぐ車が拾えることである。
二重生活になれば当然出費が嵩(かさ)むし、私が浮気をする機会も多くなる。妻は親友に、「虎を野に放つようなもの」と忠告されたそうだが、「仕事部屋をつくったほうが註文がふえるなら、少少の浮気には目をつぶってあげるわ」と、こだわらなかった。四十を越した私の分別を信じたというより、タカをくくっていたのだろう。確かに私は、以前にくらべると女にマメではなくなった。金がなければもてない年齢でもあった。
しかし、東京で生まれ、東京で育ち、結婚前も母と一緒だったので、独り暮らしははじめてである。月曜日から土曜日まで仕事部屋ですごす生活をはじめた当座は、大いに羽をのばして妻の鼻をあかしてやるつもりだった。ところが、いざ、はじめてみると雑用に時間をとられ、あとは机にかじりついていなければ追いつかなくなった。ごくたまに新宿へ映画を観に行く暇しかない。知子と縒(よ)りを戻したのも、新しい情事の相手がみつからなかったから――われながら情けない話である。当時、知子は美容師をやめ、京橋の料理屋で帳場をやっていたが、店が終わったあと、三日に一度ぐらいの割りで仕事部屋に泊まりにきた。
十一月九日
妻と伊香保温泉へ結婚二十年目の旧婚旅行に出かける。結婚記念日はこの三日だったが、混雑を避けて今日にした。午後三時、K旅館着。部屋の窓から赤城山がくっきり見え、近くの谷には紅葉がまだ散り残っていた。ひと休みして街をぶらつく。伊香保は私も妻も子供の頃に一度きただけである。石段道が狭くなったように感じられたのは、そのせいだろう。夕食後、街をもうひと廻りしてこようと誘ったが、酒に酔って目のとろんとした妻は、「テレビでも観ているわ」と大儀そうに言う。
「じゃあ、ヌードスタジオでも覗いてくるか」
丹前の袂(たもと)に小銭入れと煙草をつっこみながら冗談を言うと、軽く睨んで「私も行く」と立ち上がってきた。外は肌寒く、忽ち酔いの醒めた妻は袖口を重ねて胸に抱いた。温泉街をぶらついているのは、私たちのような中年か老人夫婦ばかり。気のせいか、どの妻もいそいそした足どりなのに、夫たちはいずれも撫然たる表情。「お互いにご苦労さまですな」と声をかけたいような気持ちになる。そのとき、ふと気づいたのは、知子を別にすると、妻以外の女とは一度も温泉にきたことがないことであった。
結婚後、十七、八人の女と関係を持ったが、泊まるのはいつも相手の家か部屋、あるいは東京、横浜の連込み旅館で、日帰りの旅にさえ出かけたことがない。理由は簡単、それだけの経済的な余裕がなかったからだ。全くみみっちい情事ばかり重ねてきた。
それにしてもこの二十年、女癖の悪い私に妻はよく辛抱してきたものである。私に家庭を壊す気がなかったせいもあるが、妻が辛抱強い女でなかったら、とっくに離婚していただろう。
妻は無手勝流である。私が何日家を空けようと怨みがましいことはひと言も口にせず、女の処から疲れ切って家に帰った晩でも日頃と少しも態度を変えなかった。何とか嫉妬させてやろうと、わざと女の部屋に居つづけたこともあるが、いつも堪えきれなくなるのは女のほうであった。殆どの女が、「奥さん、何もおっしゃらないの?」と訝しがり、私が頷くと気味の悪そうた顔になった。
飽きっぽい私は長くて一年、短いときは二、三カ月しか保たなかったが、「もうそろそろ終わりにしたほうがいいんじゃない」と妻が言い出すのは、きまって私がその女と手を切りたいと思いはじめる頃であった。まるで何もかもお見透しのようであった。妻に跡始末をしてもらったことも二、三回ある。だから何人かの女が、「夫婦でグルになって私を騙したのね」と全く同じセリフを口にした。いま振り返ってみると、私の情事は夫婦の一種の刺戟剤になっていた。その証拠に、女が出来るといつもより妻を抱く回数が多くなっていた。
もっとも、一度だけ危機があった。
十四、五年前、同じ新聞社にいた辻岡久仁子という亭主持ちの婦人記者と三カ月ばかり同棲したことがある。頭の廻転の速い女で、体も大きく五尺四寸はあった。肉づきも豊かだった。つまり好みとは正反対だったが、当時は妻が痩せていたせいもあって、それが新鮮に感じられ、この女と一緒になれば新しい別の人生がはじまるのではないかとさえ思えた。彼女も、夫と幼稚園に上がったばかりの女の児を棄ててきた。杉並の奥にある大きな邸宅の洋間を借り、久仁子はそこにわざわざ誂(あつら)えたダブルベッドまで据えた。
同棲準備がととのったところで私は一切を妻にぶちまけ、暫く別居する、と宜言した。さすが妻もちょっと顔色をかえたが、生まれたばかりの章を膝からおろしながら、
「いいわ、気がすむまでその人と暮らしなさい。私は生活費さえくれれば何も言いません」
静かに言うと、整理箪笥から私の下着類を取り出して、ボストンバッグに詰めはじめた。
「ばか、そんな物、持っていけるか、わざとらしいことをするな」
と私は怒鳴りつけた。
ベッドで寝たことのない私は、その物珍しさも手伝って最初の一カ月ほどは毎晩のように久仁子を抱いたが、大柄で重い体は反応が鈍く、それに夫によってつけられた癖が、ようやく昂まろうとする私の官能にしばしばブレーキをかけた。徹夜取材を口実に私はときどき家に帰って妻に口直しをせがんだ。
私が取材で三日ばかり東北地方へ出かけた留守に久仁子は急性盲腸炎で入院し、その病院に夫を呼んだことが同棲解消のきっかけになった。久仁子にしてみれば心細さに堪えかねたのだろうが、帰京した私は、駆けつけた病院の廊下で危うく彼女の夫と鉢合わせしそうになった。そばのトイレに飛びこみ、相手をやりすごしてから病室の前まで行ったが、そこで身を翻して家に帰った。十日後に退院した久仁子から、一度も見舞いに行かなかったことをなじられたとき、私は自分を棚に上げて、「そのかわり、毎日亭主が来てくれたからいいじゃないか」と言い放った。それから丸一週間、相手の非を鳴らす言葉を投げ合った末に私たちは、それぞれの家に戻ることになったのだが、運送屋が例のベッドを小型トラックに積みこむとき、「傷をつけないようにしてくださいね」と注意した久仁子の声が今でも耳に残っている。大きな風呂敷包みとボストンバッグを両手に提げて家に帰ると、妻は上がり框にペタッと坐って少時、私を見上げ、「帰ってきたのね、ああ、よかった」それから急に声をあげて泣き出した。その晩、妻の寝顔を眺めながら、久仁子も今頃はあのベッドで夫と抱き合っているのだろうかと思ったのを覚えている。
温泉街の喫茶店でコーヒーを飲んでから宿に戻り、地下の大風呂につかって冷えた体を温め直す。「二十年、よく保ったものだな」湯槽(ゆぶね)のへりに頭をもたせて呟くと、「本当ね、自分でも感心しているの」妻も沁々(じみ)した口調であった。ただし牀の中では、「今夜ぐらいムードを出すものよ」と太腿をつねられた。
十一月十日
夕方、東京駅で家に帰る妻と別れて仕事部屋に行く。二十分もしないうちにS誌の須山君が仕事を持ってくる。「鎌倉の家にもここにもいないで、一体、どこヘシケこんでいたんです? え、旧婚旅行?」唖然とした顔になった。夜半、腹が減ったので知子のアパートヘ行き、お茶漬けを食べる。
「伊香保、どうでした?」
「紅葉の盛りをすぎていたから、どこも空いていた。のんびりできたよ」
「ママ、喜んだでしょ?」
知子は妻に太刀打ちできないことも、私が妻のほうを愛していることもよく知っているから、妻に対してだけは嫉妬めいた口は一切きかない。皮肉めいたことも言わない。私も家のことは隠さずに何でも言う。それがこの女と長つづきしている理由の一つになっている。
炬燵に足を突っこんで腹這いになると、「腰を揉んであげましょうか」とそばに坐った。寝間着の上に紫の羽織をひっかけた姿にふっと欲望を覚える。
「寝てやろうか」
「仕事、いいの?」
と言いながら、押入れから私の枕を出してきた。

【三】
十一月二十五日
文世とはじめて二人だけの時間を持つことが出来た。六月二十五日が初対面だから、ちょうど五カ月目。日頃、縁起やジンクスなどを全く信じていないくせに、やっぱり縁があるんだと思ったのだから、いい気なものである。
別館で『シリーズ人生』の原稿を書き上げたあと、思いきって晩飯に誘うと、素直に応じてくれた。新宿へ向かうタクシーの中で訊いた。
「何が食べたい?」
「出来ましたらお魚が……」
三越裏の小料理屋に上がって、鰤(ぶり)の刺身、魳(かます)の塩焼きなどを註文する。山葵(わさび)を融(と)きながら、
「君はいつもお化粧をしないんだね」
「面倒臭いんです」
文世は即座に答えたが、箸を止めて訊き返した。
「あのう、少しはお化粧したほうがいいでしょうか」
「これからも、ずっと面倒臭がってて欲しいな」
目を見張って暫く私を見詰めてから、「はい」と小学生のような返辞をした。意外だったのは酒に強いことであった。小料理屋ではお銚子を三本あけ、さらに小さなバーやスナックで水割りを三杯飲んだ。その間に私が口にしたのは日本酒をお猪口(ちょこ)に五、六杯、ハイボールをコップに半分。「本当にお飲みにならないんですね」と頬笑む文世の顔はいよいよ白く、言葉遣いも一向に崩れなかったが、自分から身の上話を打ち明けたのだから、やはり幾らかは酔っていたのかも知れない。歌舞伎町のスナックで、なぜ取材記者になったのか訊くと、口ヘ持っていきかけた水割りのコップを静かに卓に戻し、少し間を置いてから呟くように言った。
「私、父に棄てられた娘なんです」
咄嗟に意味を測りかねた。また、ふた呼吸ほど置いて言った。
「父は三年ほど前に蒸発したんです」
――鉄鋼会社に勤めていた父親が福岡、大阪の支社を経て東京本社に栄転したのは、文世が小学五年の春で、一家は千駄木に小ぢんまりした家を買って落ち着いた。文世には三つ違いの兄が一人いるが、父親はその兄よりも文世を可愛がり、休みの日は必ず彼女を連れて外出した。文世もどちらかというと厳しい母より父のほうが好きだった。文世が大学三年のとき、父親は勤めを辞め、友人と小さな会社を興したが、一年足らずで倒産すると同時に行方不明になった。債権者が連日押しかけてきて、「いっそ死んでしまいたい」と母親は口走るようにさえなった。母親はいまだに寝たり起きたりの状態が続いている。
「蔭に女のひとが居たんだろ?」
思いきって聞くと、文世は小さく頷いた。
「結局は母がいけなかったんです。父は家に居たたまれなかったんだと思います」
事業に失敗した上、妻の嫉妬に追い詰められて家を飛び出さざるをえなかった父親に、文世は同情を寄せている口ぶりであった。
「で、それきり?」
「私の卒業式の朝、突然帰ってきました。でも、はじめて振袖を着た私の姿を見ると、また黙って出て行ってしまいました」
私は胸で自分に問うてみた。
――もしもこの娘と一緒になれるとしたら、お前は家庭を棄てるか。
答えは、否であった。一目惚れしたのは確かだが、まだ家庭と引き換えにするほど熱中しているわけではない。正直言って、いま欲しいのは文世の体であった。それだって辻岡久仁子のように寝てみたら忽ち鼻につくような体かも知れない。
「父が居なくなった当座、よく東京駅や神田駅のホームで一時間以上も柱の蔭に立っていたことがありますの。父はどういうわけか国電が好きで、私が小学生の頃、一緒に山手線をぐるぐる廻ったことが何度かあったんです」
私が蒸発したら妻や息子たちはまずどこを捜すだろう。
「戻ってきたら、お父さんを宥(ゆる)す?」
「はい。でも、兄は絶対に宥さないと言ってます。恐らく母も……」
「僕は君のお父さんが羨ましいな。妻子を棄てるほどの女性にめぐり逢えたんだから」
「私もそれが解ったので、父の行方をムキになって捜そうとはしませんでした」
私には身の上話そのものより、それを打ち明けてくれた文世の気持ちのほうが嬉しかった。一挙に親近感が深まった。
「ところで、取材記者になった理由とお父さんの蒸発と、どこで結び付くの?」
「私、片想いなんです」
文世の前置きはまたも私の意表を衡いた。
――女子大を卒業した春、十年ぶりで小学校の同窓会に出席した文世は、少女の頃からひそかに好意を寄せていた同級生が、自分の想像どおりの青年に成長しているのを知った。しかも彼は一流新聞社に入社し、近く長崎支局へ赴任すると語った。新聞記者に憧れていた文世は、出来ることなら一緒に長崎へ行きたいとさえ思った。
文世は小学校へ上がるまで、父の郷里の佐賀県小城町で育ち、その後、父の勤めの都合で福岡へ移ったが、当時、長崎へは両親に連れられて何度か遊びに行ったことがある。文世にとって長崎は、遠隔の地というよりも、懐かしい土地であった。
同窓会の翌晩から彼が長崎へ発つ前日まで、二人は数回デートした。が、酒好きの彼は喫茶店より、縄暖簾の一杯飲み屋を好み、恋を語るムードにはほど遠かった。結局、彼は文世の手一つ握らずに発った。東京駅へ見送りに行った文世は、彼の家族や友人にさえぎられて、碌に別れの言葉を交わすことさえ出来なかった。
翌年の秋、文世は勤め先の画廊を休んで長崎へ行った。しかし、彼は一カ月前に鹿児島支局へ転勤していた。長崎駅で一時間以上も迷った末、文世は東京行きの特急に乗った。転勤の通知さえくれなかった彼の気持ちを考えると、鹿児島まで追いかけて行くことが出来なかった。ところが、それから半月もしないうちに突然、鹿児島の彼から電話がかかった。今度の正月に帰る、そのとき話したいことがある、と彼は言った。文世が画廊を辞めて「R企画」の事務所を訪れたのはそれから一カ月後――地方記者の妻になる日に備えて、少しでもマスコミの世界を知っておこうと思ったからであった。
聞き終わって私は呆れた。今時、信じられないようた純情物語だったし、新聞記者の妻になるために週刊誌の取材記者になるなぞ、見当違いも甚だしかった。それほど彼との結婚を望んでいるのなら、彼の母親に会って好きな料理の一つでも聞いておいたほうが、ずっと役に立つはずである。
「で、正月に彼から話があったの?」
「それが」と文世は目を伏せ、小さく首を振った。「帰ってこなかったんです。ときどき、電話はかけてきてくださるんですが」
「しかし、約束はしたんだろ?」
「いいえ、いつも具体的なことは一つもおっしゃらないんです」
「なぜ、君のほうから切り出さないんだ。そんなに好きなら鹿児島まで押しかけて行きゃいいじゃないか」
「私まで飛び出しては母が可衷想で……それに父が蒸発したことも、まだ片づいていないい借金のことも彼には喋っていないんです」
「二人が愛し合っていれば、そんなこと問題じゃない。君は全く古風なんだね。一体、何のために週刊誌の記者をやっているんだい」
「私、コンプレックスの塊りなんです」
「君がコンプレックス? どうして?」
「自信がないんです。片想いだとますます古風になるんですね」
泣き笑いめいた文世の表情が、鹿児鳥の男への憎しみを募らせた。
「そんな唐変木、諦めちゃえよ」
暫く黙っていた文世が、ようやく顔を挙げた。
「今度は津田さんのお話をきかせてください」
「僕も片想いなんだ。惚れているひとがいるんだ。誰だか判る?」
「私の知っている方ですか」
「知っているとも。――いま、僕の目の前にいるんだから」
「冗談ではなく……」
「冗談なものか。いいかい、しっかり聞いてくれ。君を初めて見たときから僕は、生きていてよかった、戦死しないでよかった、と思っていたんだ」
ぬけぬけとこんなことを口に出来るのも齢の功である。案の定、文世は、「随分、オーバーですね」と笑った。彼女の目を見詰めて私は想いを一気に吐き出した。
「父娘ほども齢の違う男がいきなりこんなことを言っても信じないだろうが、戦死しないでよかったという感慨には少しの誇張もないんだ。男は誰でも理想の女のイメージを胸に抱いている、恐らく一生、その女にめぐり逢えないのを承知しながら。僕もそうだった。諦めていた。ところがちょうど五カ月前、六月二十五日に突然その女が目の前に現われたんだ。女にも理想の男がいるだろう。君の場合は鹿児島の彼。僕にとっては君。昔から想う人には想われずと言うから、喰い違うのは当然だし、僕がいくら熱烈に君を愛したって、妻子ある中年男の気持ちなぞ、君にとっては迷惑なだけだということも承知している。しかし、僕にとっては、君は間違いなく理想の女、せめてそのことだけは君に知っておいて貰いたかったんだ」
文世は顔を伏せ、全身を固くしていた。膝の上でハンカチをきつく握りしめている。この娘を朴念仁の若僧なんかに渡してたまるか。むろん、いますぐにも文世が欲しかった。しかし、私は自分に言いきかせた。慌てるな、せくな。熟せば必ず実は落ちる――。
少し腹が減ってきたので、区役所通りの京茶漬け屋に入ると、「おや、珍しい組み合わせですね」カウンターで酒を飲んでいた井口というデータマンが探るような目つきをし、途端に文世の顔が硬張(こわば)った。井口は盛んに隣の席をすすめたが、酒癖が悪いという噂を耳にしていたので、「邪魔をするなよ」と冗談めかして断わり、奥のテーブルについた。お茶漬けを食べ終わるまで、文世はひと言も喋らなかった。
「僕の告白が胃にもたれた?」
それでも文世の顔はなごまなかった。
「井口の口から忽ち噂になるかも知れないね、困る?」
外へ出て聞くと、「いいえ」ときっぱり答え、
「津田さんこそ、お困りになるでしょ」
「どうして僕が困るの? むしろ、勲章になるさ」
文世が心持ち眉をよせたので、自分の言葉にすぐ後悔した。私の告白について、文世はついに何も言わずタクシーに乗った。それを見送りながら、午前一時すぎまで付き合ってくれたのだから満更脈がないわけでもあるまい、と自分を慰めた。私に全く興味がなければ、晩飯を誘ったとき、言下に断わったはずである。それとも、同じ仕事に携わっているので、一度ぐらい付き合ってやらねば悪いと思ったのか。
レインコートの襟を立て、歩いて知子のアパートヘ行く。起きようとする知子を押しとどめ、その隣にもぐり込む。
「珍しいわね、あなたがお酒を飲むなんて。誰と飲んできたの?」
「絶世の美人、理想の女とさ」
いつもより乱暴に扱ったらしく、ときどき知子が、痛いッ、と眉をしかめた。
十二月三日
昨夜、文世は午前四時まで付き合ってくれた。食事のあと、新宿三丁目界隈のスナックを四軒も梯子し、その間、私は口説きつづけた。一週間前の夜よりも熱弁をふるい、『シリーズ人生』のリライトを引き受けたのも君に会えると思ったからだと、これは事実だから一段と熱がこもった。文世はもう笑わなかった。ときどき、怯えたようた目を挙げ、私の視線にぶつかると急いで睫毛を伏せた。自分の言葉が彼女の胸に沁み通ってゆくのを感じた。
私は正直に、結婚後何人もの女と情事を重ねたことを告げた。そのときは恋愛のつもりだったが、あとに何も残らず、結局は情事にすぎなかった、齢も齢だし、情事はもう沢山だ、せめて最後に心の底から燃えるような恋がしたい、しかし、多分駄目だろう、いくら真剣な恋がしたいと思っても、中年男を相手にしてくれる女性なぞ、居るわけがない、これは長年、杜撰な情事を重ねてきた罰なのだと自分に言いきかせ、半ば諦めた矢先に君とめぐり逢った、仕事部屋で君を見たとき、わが目を疑った、日頃、神の存在なぞ頭から信じていないのに、あのときばかりは、これは神さまが愍(あわれ)み給(たも)うてくれたのだと、思わず掌を合わせたくなったくらいだ……。
「もうおっしゃらないでください」と文世がやや顫えを帯びた声でさえぎった。「私、怕いんです。生まれてはじめてなんです。そんなふうに言っていただいたの」
目が潤んでいた。文世は軽い陶酔状態になっていたのではないだろうか。私も自分の言葉に酔っぱらっていたようである。女を口説く愉しさを私ははじめて知った。私は自分から好きだと言い出したことが殆どない。愛の表現は最も効果的なときをねらって、ほんのひと言かふた言、耳許で囁くだけ。今まではそれでことが足りた。もっとも肘鉄を喰いそうな女にははじめから近づかず、間違いなくこれは落ちるという女にしか手を出さなかった。
しかし、文世には最初から自惚れを棄て、一目惚れしたんだと口にした途端、自分でも驚くくらい気が楽になって、次から次へと言葉が出てきた。いくら喋っても喋り足りないほどであった。これまで外国映画を観るたびに、よくまあぬけぬけとあんな歯の浮くような口説き方が出来るものだと呆れていたが、昨夜の私はそれ以上に臆面のないセリフを繰り返した。私は口説き落とすことよりも、口説(くぜつ)そのものを楽しんでいたのかも知れない。
四軒目のスナックで、さすがに喋り疲れた私が椅子の背に凭れているとき、ぽつんと文世が言った。
「はじめてお部屋にお伺いしましたとき、細い横縞の浴衣を着ていらっしゃいましたね」
女はよくこういう覚え方をする。思い出話をするとき、「確かあの日は雨だったわ、私、臙脂(えんじ)のコートを着ていたもの」なぞと妻はいうし、知子にも、「はじめて秋田で会ったとき、あなたは紺の杉綾の背広だったわ」と言われたことがある。相手や自分の服装が記憶の中で大きな領域を持つ女の特性を知りながら、文世が浴衣の柄まで覚えていてくれたことに私はたわいなく感激した。鼻の奥がツーンとした。
終夜営業のスナックも午前四時を廻ると、さすがに客は私たちだけになった。長髪のポーイがカウンターのなかで大きな欠伸をしたのを機に外へ出ると、明け方の冷気が肌を刺し、私は立てつづけにくさめをした。文世も背をまるめ、手袋をした手で鼻と口を掩った。足踏みして空車を待ちながら囁いた。
「今度、どこかへ旅行しよう」
口を掩ったままちらっと私を見上げたが、返辞はしなかった。
「僕の部屋でひと休みしていかないか」
今度は、はっきりと首を横に振った。しかし、怒っている顔ではなかった。
十二月七日
仕事部屋に遊びにきた阿部が、「森が結婚するらしい」と言った。森も「R企画」の一員で、私の知っているデータマンのなかでは要領をえた原稿を書く青年であった。上背があり、肩幅もがっしりしている。いつも爪垢をためているのが気になるが、顔立ちも整っていた。親しく話をしたことはないが、私は何となく好感を持っていた。
「相手はどんな人?」
「あれ、知らないんですか。同じR企画の園池文世ですよ」
思わず耳を疑った。そんなバカな!
「森の奴、前から彼女に夢中だったんですが、彼女のほうが煮え切らず、半分諦めかけていたんです。ところがきのう会ったら、どうやら彼女が承知してくれそうなんだと有頂天でした。俺は園池って娘、何だか冷たそうで好きじゃありませんがね」
信じられないというより、信じたくなかった。森とのことなぞ、文世はおくびにも出さなかった。もし事実なら、先日なぜ私と明け方まで付き合ったのか。私のあの長広舌を彼女は肚で嗤(わら)いながら聞いていたのか。それとも、私に口説かれたことが、逆に森との結婚へ踏み切らせたのだろうか。だが、森との仲が本当なら、そもそも鹿児島の男とは一体、何なのか。あれは作り話だったのか。文世は両天秤にかけていたのか。
すぐ彼女に会って、じかに事実を確かめたかった。それをからくも思い止まったのは三日後に会う約束になっていたからである。それに考えてみれば、彼女が誰と結婚しようと私には咎め立てする資格も権利もない。文世が「結婚することにしました」と言ったら、私は「おめでとう」と言うしかないのだ。

【四】
十二月十日
文世と箱根湯本温泉に泊まる。
夕方、新宿東口の喫茶店で落ち合うなり、箱根へ行こうと誘った。「これからですか」と文世は驚いたが、西口へ通じる地下道を私が歩きだすと、黙って跟(つ)いてきた。やっぱり処女ではなかったんだといささか拍子抜けしたが、同時に気が楽になり、それならそれで扱い方があると、ロマンスカーのなかでひそかに舌なめずりした。白い肌がぼおっと桜色に染まってゆくさまを想像して、体中に欲望が漲(みなぎ)った。
文世は真ッ暗で何も見えるはずのない窓外へ目を向けつづけ、私は私で一筆描きのようたその横顔に見蕩れていたが、厚木を過ぎる頃、想いきって訊いてみた。
「結婚するんだって?」
文世はゆっくり振り向いて私の目を見返し、「いいえ」と落ち着いた声で否定した。
「しかし、噂を聞いたよ。前から森君に求婚されていたんだってね。この間の僕の演説はとんだお笑い草だったね」
「森さんに申し込まれていたの確かです。私も森さんが嫌いではありません。いい方ですし、今の仕事の手ほどきもしてくださいました。でも、どうしても結婚する気にはなれないんです」
「おかしいな。三、四日前に君が承諾したという話を聞いたけど」
「何度もおっしゃってくださるので、よく考えてみますとは言いました。同じ事務所にいますので、はっきりお断わりできなかったんです」
「結婚する気がないのに曖昧な返事をするほうが失礼じゃないかな。森君にすれば蛇の生殺しで、余計、苦しむ結果になる。なぜ、彼が好きになれないの?」
「女って、男の仕事を知らないほうがいいんですね」
「また君の遠廻しな表現がはじまった」
「週刊誌の取材って人のアラ捜しが多いでしょ。取材先でよく厭な思いをするんです。私も二、三度つまみ出されたことがあります。それに最近、とっても虚しい気持ちなんです、何を取材しても。……私、晩ご飯の仕度をして夫の帰りを待っている自分を想像してみましたけど、森さんの食事の用意をする気にはどうしてもなれないんです。人にいやがられる、虚しい仕事をしている夫の帰りをじっと待っていられそうもないんです。最初は憧れてこの世界に自分から飛びこみ、いまもその仕事をしているのですから、随分、身勝手な考えだとは思うのですが……」
「週刊誌の記者だって新聞記者だって、少しも変わらないと思うけどな」
「もう一つあるんです。森さん、私のことをお前呼ばわりするんです。先輩ですから二人だけのときは仕方がないと思いますけど、人前でも平気でお前と言うんです」
呼ばれるだけの理由があるんだろう――出かかった言葉を嚥みこんだ。爪垢のたまった森の指がふいに目に浮かんだからだ。あの指が文世の体を這い廻ったことがはっきりしたら、せっかくの温泉行きが台なしになってしまう。いまの私には、自分の知っている男と文世の肉体関係を確認するのが、何よりも堪えがたかった。
再び目を窓へ向けた文世が、自分に言いきかせるように言った。
「私、やっぱり鹿児島の彼のほうが好きなんですね」
八時半にY旅館着。私はすぐ丹前に着替えたが、いくらすすめても文世は「あとで」と言い張り外套を脱いだだけで座卓の向こうに膝を揃えた。濃紫のセーターのせいか、頬がひと際白く見える。お銚子を運んできた女中が、丹前姿の私とセーター姿の文世をちらっと見比べ、唇の辺りに薄笑いを浮かべた。
食後、大風呂に誘ったが、「私はお部屋のに入ります」と、どうしても応じない。手拭いを二本持ってもう一度促すと、
「どうぞ、いっていらっしゃいませ」
ドアを開け、エレベーターガールのようた手付きをした。大風呂への渡り廊下を大股に踏んで私は力んだ。
――せいぜい気取っているがいい。今に牀の中でキリキリ舞いをさせてやるから。
しかし、キリキリ舞いをさせられたのは私だった。文世の抵抗は思いのほか頑強で、終始私を寄せつけなかった。
蒲団は障子際に二つ並んで敷かれ、文世はその奥のほうへ先に横たわった。枕からこぼれた髪と、赤い花模様の掛け蒲団が欲望を煽った。私はスタンドの灯を暗くし、当然のように文世のわきに入ろうとした。その途端、彼女は蒲団から転がり出て、障子の裾に後ろ向きに貼りついた。
「往生際が悪いぞ」
「私、帰ります」
「もう上り電車はないよ」
「でも帰ります」
肩が大きく喘いでいる。むろん、これから帰れるはずはないし、力ずくで犯せば犯せないことはない。文世にしても一応は拒んでみせたが、結局は抱かれるのを覚悟しているはずだ。いやなら新宿の地下道で雑沓(ざっとう)にまぎれこんでしまうことも出来たのである。それに、よしんば拒み通してみたところで、私と温泉に泊まった事実は否定できない。もし私が第三者に喋ったら、文世がいくらムキになって、「何でもなかった」と主張しても、誰も信じはしまい。いわば甲斐なき抵抗ではないか。
――第一、土壇場で拒まれ、ヘイ、そうですかと引き下がるバカがどこにいる。さっさと埒(らち)を明けたらどうだ。今更、紳士ぶったってはじまらねえぞ。この娘だって、なんて意気地のない男かしらと肚の中じゃ嗤っているのかも知れないぞ。
自分をけしかけた。が、無理強いすれば、これきりで文世を失う懼れもある。口では理想の女性だと礼讃しながら、結局は体がほしかっただけではないか――文世にそう思われるのが辛かった。まだ夜は長い。
「何もしない。蒲団に戻りなさい。風邪を引くよ」
それを証明するように、私は自分の牀に入り、掛け蒲団を頤(あご)まで引き上げた。しかし、一メートルと離れていない処に、好きな女が横になっているのである。文世が牀に戻ってものの十分もたたぬうちに、私はいきなり掛け蒲団の上から彼女の体を押えつけた。
今度は逃げなかった。踠(もが)こうともしない。とうとう観念したな。ゆっくり唇を吸おうとした。あとほんの僅かで二つの唇が重なろうとしたとき、まるでその瞬間をねらっていたように文世はサッと顔をそむけた。私の唇は文世の頬を掠(かす)め、鼻の先が枕に埋まった。
「そんなに僕がいや?」
「違います。でも……」
「でも、何なの?」
「今夜は堪忍してください」
「堪忍しないと言ったら」
哀しそうな目で見上げ、その目をゆっくりと閉じた。
「君は愉しんでいるんだね」
「何をですか」目を開けて、言葉を測りかねている。
「僕をじらすことをさ」
「じらしてなんていません。信じていたんです」
「要するに見縊(みくび)っているわけだ」
「違います。尊敬しているんです」
「こんなとき尊敬なんて願い下げだ。いまの僕は君を自分のものにしたい煩悩の虜(とりこ)だ。うんと軽蔑してくれ」
文世はまた目をとじた。その目尻からすうっと一条、涙が糸を引いた。女の涙には敵わない。まして、こういう状態で、女に泣かれたのははじめてである。欲望が消えた。再び自分の牀に戻り、
「約束する、もう本当に何もしない。安心しておやすみ」
そして自分に言った。楽しみはとっておこう。三十分後、睡気がきた。どうやら約束が守れそうな自分を、ちょっぴり褒めてやりたい気持ちでもあった。
十二月十一日
「彫刻の森」を見たあと強羅(ごうら)まで歩き、ロープウェーで桃源台へ行くことにした。五年前、同じコースを知子と辿った。知子と旅行したのはそのときがはじめてであった。それを最後に手を切る肚づもりでもあった。が、結果は肚づもりで終わった。湯本しか知らない知子は、はじめての景観に子供のような声を挙げつづけた。最初はそれがわざとらしく聞こえ、私もわざと距離をとって歩いた。しかし、知子はそんな私にお構いなく、大きな声で呼びかけた。胸に一物あるだけに、そのはしゃぎようがかえって胸に応え、ついには予定をのばしてもう一泊した。仕立ておろしで体に馴染まぬ大島を着た野暮ったい知子の姿も、私の決心をなし崩しにさせた。
文世も宮ノ下から上ははじめてらしかったが、ロープウエーの箱の中では知子とは逆に顔を伏せつづけ、大涌谷の噴煙を教えても、目さえ挙げようとしなかった。
「気持ちが悪いの?」
黙って膝のハンドバッグのへりを握りしめ、終点に近づいた頃、ようやく小声で言った。
「私、高所恐怖症なんです」
「なぜ乗る前に言わなかったの。言ってくれれば、やめたのに」
「怕いくせに乗ってみたかったんです」
「わかった。箱根に跟(つ)いてきたのも同じ気持ちだったんだろ」
私を睨んだ。
桃源台から元箱根へ渡る遊覧船の中で、はじめて文世の手を握った。撓(しな)やかで、なめらかで、指を一本一本、愛撫せずにはいられなかった。船室内をそっと見廻し、握った手を唇に持っていこうとした。そうさせまいと文世が力をこめた。暫く宙で腕相撲し、結局、私が根負けした。
「いいよ、そのうちに手ばかりじゃなく、体全部を食べちゃうから」
いまにも血が噴き出しそうなほど文世の頬が赧(あか)くなった。
十二月十三日
夜十一時すぎ、文世から電話があり、三十分後に仕事部屋にやってきた。パーティの帰りとかで、珍しく酔っている。電話があってから急いで電気炬燵を隅に寄せ、蒲団を敷いた。三和土でその蒲団の裾を見た文世は、ちょっとためらったが、覚悟を決めたように黙って外套を脱ぐと、掛け蒲団の上に腰を落とし、炬燵に足を入れた。
「本当にお一人なんですね」
部屋の中を見廻して、感心したような口ぶりである。
「ここは仕事部屋だよ。僕のほかに誰がいるというの?」
「私、津田さんの後ろに、女のひとの影を感じてしょうがないんです」
内心ぎょっとしたが、ポットの湯を急須に注ぎながら言った。
「仕事以外の女性を部屋にあげたのは今夜がはじめてだよ」
「あら、奥さまはときどきいらっしゃるのでしょう?」
文世の口から妻のことが出たのは、はじめてであった。
「この四年間、一度も来たことがないんだ」
これは本当だったが、文世は薄笑いを浮かべた。信じていないようであった。が、私は内心うれしかった。妻の存在を気にしはじめたのは、私への関心が深まった証拠だからだ。熱いお茶を飲み、炬燵で温まったせいか、文世の頬が赤くほてっている。
「相当飲んだらしいね。酔いが醒めるまで少し休んでいきなさい」
「もうすぐお暇(いとま)します」
「怕い?」
「いいえ」
いきなり肩を押すと、あッと小さく叫んで、たわいなくひっくり返った。
「心配しないで、ちゃんと牀に入ってやすみなさい。僕はまだ仕事があるから」
「本当によろしいんですか」
「いいも悪いも、そんなに酔っていちゃあ、帰れるわけがないだろ」
文世はセーターとスラックスのまま蒲団に入り、掛け蒲団を引き上げた。私はスタンドの灯だけにし、その光の先が文世の顔に届かないように笠を傾けた。
駿吉を産まぬ前、知子もよく牀の中で本を読みながら私の仕事が終わるのを待っていた。私が傍に潜りこむと、「書き終わったの?」すぐ脚をからめてきた。痴戯をくり返したその同じ蒲団に、女の影を感じると言ったばかりの文世がいま、眠っている。この娘は今夜、体を許す覚悟で来たのだろうか。それとも、箱根で何もしなかった私をなめ切っているのか。
耳を澄ませて両隣の気配を窺った。左隣の配管工をやっている独り者の鼾が、壁越しにかすかに聞こえる。右隣の若夫婦は夕方出かけたまま、まだ帰らない。多分、実家へでも泊まりに行ったのだろう。文世がよっぽど激しく抵抗しない隈り、恥をかくことはまずなかった。文世にしても夜更けに男の部屋にやってきたのだから、騒ぎ立てるようなことはするまい。いわば願ってもない機会である。
だが、結局、私は何もしなかった。出来なかった、と言ったほうが正しい。絶好の機会に恵まれて、私はかえって臆病になった。たとえ今夜、肉体的な欲望を遂げることが出来たとしても、それがそのまま文世の心まで得ることに繋がりはしない。むしろ、文世のなかに育ちはじめたらしい私への好意の芽を、摘み取ってしまうのではなかろうか。女は体が結ばれれば心も跟(つ)いてくるとよく言うが、それがアテにならないことを私は経験で知っている。
箱根へ行くまでは確かに文世の体がほしかった。が、何事もなく過ごした、いや、過ごさざるをえなかったあの夜を境に、私ははっきり文世の心をほしがるようになった。第一、心が曖昧なままで肉体を結べば、これまでの情事と同じになってしまう。
――体裁のいいことを言うな。それならなぜ、あわてて蒲団を敷いたのだ。
もう一人の私が私を(わら)う。
――たしかにあのときは北叟笑(ほくそえ)んだ。しかし、スラックスのまま牀に入ったのを見て彼女が覚悟してきたのではないことを知ったんだ。
――お前に脱がされるプロセスを愉しむためかも知れないぞ。
――この娘はそんなすれっからしじゃない。スラックスはまだ俺に許したくない心の現われなんだ。
だが、この自問自答も所詮は庇理窟。要するに私は、「惚れた女には手が出せない」にすぎなかった。もう一つ、朝までに原稿を書き上げねばならなかった。
午前六時、アパートの人々が起き出さぬ前に、文世はそっと帰って行った。
十二月十五日
藤沢の中華料理店で準の誕生祝い。本当は明日なのだが、私の仕事の都合で一日繰り上げる。準のガールフレンド、と言うより、恋人の橋詰久子も招ぶ。同じ高校の下級生で、昨年から家にもちょくちょく連れてくるし、準も久子の家によく遊びに行くらしい。背恰好は文世と同じくらいで、やはり痩せているが、顔はぽっちゃりして、瞳も大きい。三人姉妹の長女だが、やや舌足らずな喋り方をする。妻の話だと、「温和しくて、我儘な準の言うことに全く逆らわず、準のほうもアルバイトをしては、せっせとプレゼントをしている」とか。
一カ月ほど前の日曜日、遊びに来た久子が準の部屋に入ったきり、二時間の上も出てこなかったことがある。茶の間の炬燵の上に紅茶とケーキを載せた盆を置き、妻が中腰になっていた。
「何をしているんだ、早く持っていってやれよ」
「そうしたいんだけど、部屋の中からコトリとも音がしないのよ。何だか怕くてノックも出来ないのよ」
「そのうちに終わったら出てくるよ」
「終わったらって、何が」
「きまっているじゃないか」
「まさか……」
「お前も相当な時代遅れだな。やっぱり、うちの子に限っての口らしいな」
「あなたこそ、自分がそうだったからって、考えすぎよ、準はまだ十七よ」
その晩、妻が台所で跡片づけをしているときに、準にわざと何気なさそうな口調で言った。
「おい、妊娠だけは気をつけろよ」
一瞬ハッとした顔が忽ちニヤリとして準は答えた。
「そんなヘマ、しないよ」
ペアのセーターを着、並んで料理をパクついている二人を眺めていると、私にもこの二人がすでに肉体関係を結んでいることがちょっと信じ難くなってくる。それほど二人は屈託なく、せっせと食欲を充たしている。妻がいまだに半信半疑なのも無理はない。だが、これがいわゆる現代ッ子なのだろう。章にもときどき女の子から電話がかかり、妻に小遣いをせびって飛び出して行くのを私も何度か見ている。ひょっとすると章ももう童貞ではないかも知れない。
私が女を知ったのは数え十六のときであった。それから今日までに二十人近い女とかかわりを持った。人に訊かれるたびに私は、処女なんて手間がかかるだけさ、と嘯(うそぶ)いた。だが、その実、心の底では死ぬまでにもう一度処女を抱きたいと思いつづけてきた。処女は一人しか知らなかったからだ。
駆け出し記者時代に知り合った芦沢秀子というその娘は、警視庁のタイピストで十数通の恋文をくれたが、それがすべてタイプ印刷であった。最初の手紙の冒頭に、「私は字が下手なので」と断わってあったのをいまでも覚えている。秀子とはじめて夜を過ごしたのは知り合って三カ月後、二月末の寒い夜であった。翌朝、新宿旭町のバラックまがいの旅館を出ようとすると、玄関まで追ってきた出ッ歯の女中が敷布をつきつけ、「こんなに汚して、黙って出て行くつもりか」と、いまにも噛みつかんばかりの剣幕で喚いた。私は返辞に窮して赧くなった。宿賃を払ったあと、ポケットには十円札が三枚しか残っていなかった。
だが、秀子は私以上に赧くなり、早くも泣き出しそうな顔であった。その鼻先に敷布のしみを突きつけて、「洗濯代を出しておくれッ」と女中がまた歯をむいた。
ビーズ編みの財布から四つに畳んだ百円札を摘み出して、秀子が顫え声で聞いた。「あの、これで足りるでしょうか」その百円札をひったくった女中が、憎々しげに私を睨みつけた。私は玄関を飛び出した。
ゆるい坂になった路地を抜け、表通りへ出る角で振り返ると、秀子が両膝をこすり合わせるような歩き方でノロノロと降りてきた。遠くを見るような目つきで、いやに白っぽい表情であった。五、六歩の距離まできて秀子はくるっと背を向けた。両肩が小刻みに顫えていた。格子縞のトッパーコートのその肩のところだけに、にぶい朝陽が当たっていたのが、いまでも目に残っている。
しかし、肝腎の破瓜(はか)の瞬間が、私にはどうしても思い出せない。疼痛(とうつう)を訴えられた記憶もない。若かった私は、自分の欲望を遂げるのに急で、相手の身を思う余裕がなかったからだろうか。べニヤ板で仕切られた真っ暗な部屋で、じっと動かぬ秀子の体を手さぐりで撫でたことは覚えているのだが……。
その後、何回ぐらい関係を持ったか、いまではそれすらも記憶にないし、体の特徴も忘れてしまった。はっきり覚えているのは顔立ちと指だけである。文世ほどではないが、やはり細くて、器用そうな指であった。事実、手甲のところに細かな模様の入った手袋を編んでくれた。最初の手紙はその手袋に畳んで入れてあった。
処女崇拝、処女願望は、老化現象の一つなのだろうか。若い頃の私は処女にこだわらなかった。過ちは誰にもあるし、愛情があればどんな過ちでも許すことが出来ると信じていた。それを証拠立てるように真紀子と結婚した。真紀子は妻子ある従兄と過ちを犯して、男の児を産んでいた。いまでいう未婚の母であった。戦争末期で人工中絶のままならぬせいもあった。しかし、結婚を決意したとき、私は間違いなく真紀子を愛していた。いや、いまでも愛している。結婚当時とはやや違っているかもしれないが、愛していることに変わりはないし、むしろ、夫婦愛ばかりでなく、肉親愛のようなものも加わっている。そしてこの二十年間、真紀子と結婚したことを心底から後悔したことは一度もない。私の母と折り合いが悪く、その嫁姑の桎梏(しっこく)のわずらわしさや、浮気の相手に結婚を迫られたときなど、ふと離婚を思わぬでもなかったが、結局は一時の迷いにすぎなかった。
だが、振り返ってみると、真紀子と結婚したのは純粋な愛情からだけではないようだった。過去のある真紀子ならば、結婚後私が過ちを犯しても許してくれるだろう、大目にみてくれるに違いない、という計算が心のどこかに潜んでいたのではないだろうか。それもはっきりと意識していたわけではないが、何となく心の底でタカをくくり、真紀子の負い目の上に胡坐をかいていたことは否めない。事実、真紀子は周囲の者が呆れるくらい、私の度重なる女出入りに寛大であった。むろん、過去の有無にかかわらず、真紀子が狭量の女だったら、私の放埓(ほうらつ)を咎め立て責め立てて、私たち夫婦はとっくに離婚していただろう。無断で横浜の実家へ戻り、それを迎えに行ったことは二、三回あるが、真紀子が別れ話を口に出したことはただの一度もなかった。
しかし、私は、真紀子が純潔であったらという思いが、いまなお心の底に尾を引いていることも否定できない。むろん、真紀子が処女であったら、結婚後、女遊びをしなかったなぞと言うつもりはない。それとこれとはあくまでも別である。言ってみれば男の身勝手にすぎないのだが、妻だけは処女を迎えたいという気持ちは、すべての男のひそかな願望ではないだろうか。処女にこだわらないというのは、あくまでも上べだけ、建て前であって、処女願望は年齢とも関係がない永遠の男の気持ちなのではあるまいか。それをむき出しにすると、旧いとか横暴とか非難されるので、みんな口を拭っているのではないだろうか。
十二月十七日
文世とはじめて接吻した。文世が小さなケーキの箱を抱えて仕事部屋に現われたのは午前零時すぎであった。今夜はR企画の忘年会で、私も招ばれていたのだが、正月を控え、少しでも稿料が欲しかったので急に頼まれた月刊誌の雑文を引き受け、それをようやく書き終えたところであった。
「どうして、いらっしゃいませんでしたの?」
言葉遺いこそ崩れていなかったが、酔いはこの前の晩より深いらしく、炬燵に入ると、上体をゆらゆらさせた。
「森君に会うのが気が引けてね」
「私、この前も申し上げましたように森さんとは……」
「実は大勢の前ですましていられる自信がなかったんだ」
空腹だったのでケーキを二個平らげ、昼間知子のアパートから持ち帰った洗濯したての浴衣を文世に黙って渡してから部屋を出た。
廊下の突き当たりにある共同トイレの朝顔の前で股間を覗き、おい、どうだ、と訊いてみた。残念ながら元気がない。こんなことなら――と後悔した。一昨日は妻を、昨夜は知子を抱いていた。
部屋に戻ると、文世はもう蒲団に潜っていた。壁のハンガーに外套が吊るしてあり、その下にセーターとスカートが二つに折ってかけてあった。私も寝間着に着替えて、文世の傍に身を横たえた。が、さっぱり欲望が漲ってこなかった。今夜、文世は間違いなく覚悟をしてきた。その証拠に、私の浴衣に着替え、私が同じ蒲団に入っても、じっとしている。それなのに――何という皮肉、何という滑稽。当人が真剣になればなるほど滑稽になるのは、中年男の恋の宿命なのか。
文世が寝息を立てはじめた。待ちくたびれたのか、それとも臆病な私をなめ切っているのか。肩に手をかけて暫く寝顔を見つめていたが、そのうちにふと、左頤(あご)の下に小さな墨跡のようなものを見つけた。目を凝らすと、黒子だった。体をずり下げて、掬い上げるように見ると、黒子は一つだけではなく、ほぼ等間隔に三つ並んでいた。
黒子の行列――思いがけないこの発見が、徐々に昂まりつつあった欲望に水をかける役目をし、私は自分でも不思議なほど穏やかな気持ちになった。枕からこぼれた髪をそっと撫で、ぐっすりおやすみ、と呟いた。
あとから思えば、好物を最後までとっておこうとするのと同じ気持ちが働いていたのかも知れない。ここまでくれば落ちたも同然、慌てることはない。それに理想の女を抱くにはこの仕事部屋は余りにもムードがなさすぎる。肉体条件も最悪だ。もっとコンディションのよいとき、もっとムードのある場所で……それまで、とっておこう――。
救急車のサイレンの音で目が醒めた。文世も目をあけ、何時頃でしょうか、と訊いた。本箱の上の置き時計がちょうど三時をさしていた。
「もう少し休んでいってもいい?」
いくらか甘え声で聞く。
「朝まで居なさい」
アパートの前をまたサイレンが通りすぎ、犬の遠吠えも聞こえてきた。
「私、交通事故で命拾いしたことがありますの」
「轢(ひ)かれそうになったの?」
「お友だちと琵琶湖ヘドライブに行った帰りに、ハンドルを切り損ねて車がひっくり返ってしまったんです」
「怪我は?」つい声が大きくなった。頑なに肌を許すまいとしたのは、そのときの傷跡があるからではないのか。
「それが私もお友だちもかすり傷一つ負わなかったんです。横倒しになった車から二人ともノコノコ這い出して……」
そのときの自分の恰好を思い出したのか、文世は笑い声を洩らした。
「人間っておかしなものですね。車から出て道路に立った途端、私、空を見上げて、今日はばかにいいお天気だなって思ったんです。それから慌てて体を見廻したのですが、どこからも血が出ていないので、ヘンねえってお友だちと言い合ったりして……」
「頼むから車の運転だけはやめてくれないか」
「はい。母にも叱られ、もう一生ハンドルは握りませんて誓いました」
「僕にも誓ってくれる?」
「はい」
いとしさがこみ上げ、両肩を抱き締めた。文世は拒まなかった。私は額に唇を捺(お)し、それを少しずつずらせて、ごく自然に文世の唇に捺し直した。文世も素直に受けとめた。長い睫毛が幽かに顫えていた。
「もうひと眠りしなさい」
胸のなかで文世が小さく頷いた。遠くでまたサイレンが聞こえた。

【五】

十二月十八日
高梨に電話をかけて、是非会わせたい人がいるからタクシーを飛ばして来い、と言い、電話を切ってから文世に、「親友で、ホテルの宣伝課長をやりながら詩を書いている男だ」と説明した。
「なぜ、その方に私を……」
「見せびらかしたいんだ」
文世が赧くなって、コーヒーカップを洗いに立った。一時間後に高梨が現われたとき、文世はちょっと戸惑った表情を見せた。高梨が詩人らしからぬ肥満体だったせいだろ。
彼は文世に軽く頭を下げると、来る途中で買ってきた餅菓子の包みを開き、瞬く間に大福を二個平らげた。そして、文世にお茶のお代わりを註文してから、「どうだ、年が越せそうか」と訊いた。
「今年は何とか――註文をみんな引き受けたから」
「何て言ったって金が要るからな」チラッと文世を見て、「じゃ、またくる」と立も上がった。
「何だ、もう帰るのか」
「忙しいんだ。お前のようにうじゃじゃけているわけにはいかないんだ」
下まで送って行き、「どうだ、綺麗な娘だろう」と私は言った。「日頃の持論を撤回するよ」
「お前、老眼になったな」
「美人じゃないというのか」
「まあまあだな」
「お前こそ審美眼がなくてよく詩が書けるな」
「もう、いただいちゃったのか」
「まだ……唇だけなんだ」
「ばかばかしい。お前も落ちたものだな。この暮れに無駄な時間を使わせるな」
五、六歩行ってから、戻ってきた。
「忘れ物か。お前こそ耄碌(もうろく)したな」
「坊やの母親にバレないようにしろ、いままでの女のなかじゃ、第一等だよ」
部屋に戻ると文世が待ちかねたように訊いた。
「うじゃじゃけるって、どういう意味なんですか」
説明に窮した。
取材で世田谷へ行くという文世を抜弁天まで送って戻ると、知子が駿吉の手を引いてアパートの前に立っていた。
「ここへは連れてくるなと言ったろ」
「申し込んでおいた館山の民宿から返事が来たの。大晦日から三日まで空いているって。行ってもいいわね?」
「ああ。俺は仕事があるんだから、さっさと帰れよ」
「判ってます。でも、ひと休みぐらいさせてよ」
先に階段をのぼり、部屋の中を見廻して、
「誰か来ていたの?」
探るような目つきを見せた。
「高梨がいま帰ったばかりだ」
母子を追い払ったあと、あぶねえ、あぶねえ、と声に出し、肩で息をついた。
夕方、J誌から電話。『シリーズ人生』の仕事で二、三日中に京都へ行くことになった。
十二月十九日
文世と新宿の旅館に泊まる。その前に、はじめてコンパなるところを覗く。大きな円形のカウンターが五つほどあり、その周りの止まり木にそれぞれ二十人近い若い男女が腰かけて、洋酒を飲みながら声高に談笑している。カウンターの中のボーイはいずれも美青年で、テキパキした受け答えも快く、客の半数が若い娘であることが頷けた。私のような中年男は一人もいない。
同じカウンターの向こう側に腰かけた大学生風の三人連れが、私たちに無遠慮な視線を投げかけては何か瞬き合っているのに気づいたのは、入って十分もたたぬうちであった。恐らく私と文世の取り合わせに臆測をたくましくしているのだろう。
三十分ほどして私がトイレから戻ろうとすると、その一人が文世のそばにいた。何かしきりに話しかけていたが、私に気づくと、わざとゆっくりした足どりで自分の席へ戻って行った。
「知り合い?」
「いいえ。一緒に出ようと誘いに来たのです」
「だって僕という連れがあるのを知っているはずじゃないか」
「最近の若い人は、相手に連れがあろうとなかろうと平気で誘うんです」
「出よう」
たまには若い人たちの世界を覗いてみようと好奇心を起こしたことを後悔した。文世と自分が誰の目にも不釣り合いに映ることを、わざわざ念を押したようなものであった。歌舞伎町を抜け、以前、万世橋行きの都電が走っていた軌道跡を歩きながら、
「さっき、何と言って誘いを断わったの?」
ふた呼吸ほど置いてから文世が訊き返した。
「お怒りになりませんか」
「うん」
「今夜は部長さんのお伴だと言ったんです。そうしましたら、勤務時間外なんだから部長の言うことなぞきく必要はないって」
「なるほど、一理ある」
「それで私、言うことをきかないと、あしたから会社に居辛くなりますからって……」
「よし、今夜、僕は君の部長なんだな。これから部長の行く処には黙って跟(つ)いてくるんだぞ」
「命令ですか」
「ああ、部長命令だ」
軌道跡から左に折れて、連込み旅館街に足早に入った。後ろで文世の靴音が一旦とまり、また聞こえてきた。私は角から三軒目の植込みを廻った。
文世は連込み旅館がはじめてらしく、ベッドルームは勿論、浴室、トイレまでいちいちドアを開けて廻り、「どこも、こうなっているんですか」と、まるで見学にでもきたような表情で訊いた。
「君には全く調子が狂っちゃうな」
「あら、なぜでしょうか」
「ね、一緒にお風呂に入ろう」
「厭です」案の定、言下に断わった。
「部長命令だぞ」
「命令でも駄目です」
「じゃ、先に入りなさい。大丈夫、あとから入ってゆくようなことはしない」
私が風呂から上がると、文世はダブルベッドで横になっていた。やっとその気になってくれたかと、私は煙草を半分も吸わずにもみ消し、胸を弾ませてベッドルームに入った。
「これ、何でしょうか」
ベッドの枕元に三つ並んでいるスイッチを指さして文世が訊いた。試しに左端のをひねると、スタンドの灯がピンクにかわり、真ン中のをいじると、甘いムード音楽が流れてきた。これで準備は整ったわけである。ついでに右端のスイッチを入れた途端、ベッド全体が揺れ出し、
「あッ、やめて!」
文世が悲鳴を挙げて飛び起きた。
ベッドの上にきちんと正座し、浴衣の襟をかき合わせながら、少し怒ったような表情で文世が言った。
「どうしてこんな仕掛けが必要なのですか」
「いずれ解るよ。……本当に解らない?」
「はい」
「そのうち教えてあげるよ。もっとも僕はまだこんな仕掛けを必要としないがね」
われながら何てバカなことを言ったのだろう。
「さ、寝よう」抱きよせようとした私の手を押し戻し、
「私、まだ、駄目なんです」
目を伏せて途切れがちに言った。
「駄目?」
「こんな処では、いやなんです」
十二月二十日
連込み旅館から朝陽の当たっている道路へ出るときほど、面映ゆいものはない。こればかりは、いつまでたっても慣れることが出来ず、つい、急ぎ足になる。そして、旅館街を抜け、普通の街へ出たところでやっと顔を起こし、吻(ほつ)とする。しかし、今朝ばかりは、むしろ爽やかな気持ちで街へ出ることが出来た。高い宿賃を払って何もしなかった、いや、出来なかったのだから、バカの見本みたいなものなのに、私はまるで善根を施したあとのような晴れやかな気分で、旅館を出た途端に冬空を見上げ、「暖かくて、いいお天気だね」なぞと文世に話しかけた。路地で五十前後の割烹着姿のおばさんにすれ違ったが、その無遠慮な目も平気で見返すことが出来た。文世の顔にも羞恥は見えず、「随分、多いんですね、こういう家が」と、左右を見廻して感心していた。
喫茶店でモーニングサービスのトーストをむしりながら、あす仕事で京都へ行くことを接げた。
「今時分の京都は静かでいいでしょうね」
「一緒に行こう。お寺を二つ三つ見てこようよ」
「でも、お仕事なんですから」
二時間ばかりインタビューするだけでいいんだ。ね、行こうよ」
「本当にお伴してよろしいんですか」
「京都は底冷えするから、セーターを一枚余分に持っていったほうがいいね。伊達の薄着は風邪の因(もと)だよ」
「まあ」
文世がセーターの下にブラジャーだけしか付けていないのを知って、私は昨夜、それでよく寒くないね、と感心した。妻や知子は真夏でも殆ど和服だった。
喫茶店の前で文世と別れ、知子のアパートヘ行くと、いつも膝に飛びついてくる駿吉の姿が見えなかった。
「チビは?」
「下の部屋の奥さんが貸してくれって。あの子、アパートでは人気者なのよ。それより、また浮気がはじまったのね。どこのひとなの、今度の相手は?」
「お茶を淹れろよ」
「ね、怒らないから教えて頂戴。ママも言ってたわ、相手が何者か判らないのがいちばん厭だって。ママには喋ったの?」
「言うわけがないだろ。第一、まだそんな段階じゃないんだ」
「嘘。このところ、仕事部屋にさっぱり居ないじゃない。私、ゆうべ何度も覗きに行ったのよ。どこへ泊まったの? 綱島?」
十年前、知子をはじめて抱いたのは綱島温泉の旅館でだった。その後二、三回、同じ旅館を利用した。
「お前と行ったきり、綱島へはご無沙汰だ」
「どうだか。あなたは悪い癖で、同じ処へほかのひとも連れて行くんだから」
「ばか。それより……」
私が部屋の隅に積んである座蒲団を頤でしゃくると、
「いいのよ私なら。無理しなくても」
そう言いながらも知子は、はにかんだような顔で座蒲団を三つ並べ、窓のカーテンを引くと、背を向けて帯締めをほどきはじめた。

【六】

十二月二十一日
午後四時、京都着。今にも降り出しそうな空模様だったが、思ったほど寒くない。東京を出るときは薄陽が洩れていたのだが、熱海を過ぎる頃から雲が厚くかかって、期待していた富士山はついに見ることが出来なかった。「いつまでも子供みたいね」と妻が呆れるほど私は富士山を見るのが好きである。家にいるときも、風のある日は必ず江ノ島まで出かけ、弁天橋の上から気がすむまで、富士を眺める。理由も理窟もない。端正なその山容を見るのがただ好きなのだ。そして、一種の放心状態になる。
七、八年前の冬、神戸の義兄と河口湖畔や山中湖畔のホテルを泊まり歩いて丸四日間、富士山を眺め暮らしたことがある。ハイヤーを借り切って五湖の随所に駐(と)め、さまざまな角度から仰ぎ見た。義兄は三台のカメラを気忙しく使って五百枚近い写真を撮ったが、私は買ったばかりのカメラを胸にぶら下げただけで、ついに一度もシャッターを押さなかった。裾近くまで、雪化粧した富士山に見蕩れつづけて、惚れるというのはこういうことなんだな、と思った。
いま、文世に対する気持ちもほぼ同じである。彼女の顔や姿を見ているだけで一種の放心状態になる。むろん、出来ればその肌に触れ、肉体的な歓びも得たいが、出来なければ眺めるだけでいいと思っている。高梨から幾度か富士登山をすすめられたが、まだ一度も登ってみようと思ったことがない。なまじ登れば長年抱きつづけている憧憬が損われそうな気がするからだ。文世も同じかも知れない。それとも、そう思うのは箱根の夜以来、お預けに慣れてしまったせいか。
電話で五条バイパスのそばにあるホテルを予約してから、泉涌寺(せんにゅうじ)へ行く。玉砂利を敷きつめた境内は人影が全くなく、大門から仏殿まで下がると、舎利殿、霊明殿などの閑寂なたたずまいに気持ちを引き締められて、靴の下で鳴る砂利の音さえ気がかりになるほどであった。文世が私の腕にそっと手をかけてきたのも、この寺の持つ粛然(しゅくぜん)とした空気に気圧されたせいだろう。昨夏、はじめてここを訪れたときも、蝉の声を聞きながら忽ち汗が引き心まで洗われたようになった。
夕闇が思ったより早く周囲の輪郭を溶かしはじめたので、心を残しながら門を出たが、拝観を終えるまで私も文世もひと言も口をきかなかった。
ホテルの部屋はバイパスを真下に見降ろす南側の五階であった。ボーイが去るのを待ちかねて文世を抱き締め、接吻した。文世の舌がはじめて応じた。黒子の並んでいる頤へ唇を移すと、全身を痙攣(けいれん)させた。どうやら性感帯の一つらしい。
再び外へ出て、四条河原町の小料理屋で夕食を摂ったあと、並びの喫茶店に入ると、壁に鉄道開通当時の新橋駅の錦絵や、明治初年の相撲番付などが貼ってあった。照明もすべてガス燈型のスタンドで、凝りすぎたその明治調が私にはちょっと鼻についたが、ラッパ型の蓄音機から「美しき天然」のメロディが流れてくると、文世は目を細めてうっとりとした表情を見せた。ふと、この娘の和服姿が見たい、と思った。文世の卒業式の朝突然帰ってきて、着物姿を見るとまた出て行ったという父親の気持ちが判るような気がした。あれきり文世は父親のことを口にしない。逢いたくはないのだろうか。
壁の振り子時計が六時半を告げた。文世が腕時計を覗いて、「少し遅れていますね」と言った。
「この店にふさわしいね。わざと遅らせているのかも知れない」
「まさか」と笑って、「そろそろお仕事にいらっしゃらなくては」と促した。
私は七時に取材記者が泊まっている祇園内の旅館を訪ねることになっていた。今回の取材対象はその旅館のすぐ近くに住む老妓だった。
「八時には終わるつもりだけど、その間、君はどうする?」
「街をぶらぶらして、またこのお店に来ています」
「よっぽど気に入ったらしいね、この店が」
「私も遅れているんですね」
私たちがホテルに戻ったのは十一時過ぎであった。先にバスを使った文世は、私が頭髪も洗って出てくると、もうベッドに入っていた。今夜こそ、この娘をわがものにすることが出来る。辛抱した甲斐があったと、湯上がりタオルで体を拭きながら期待と歓びが胸じゅうにひろがってゆくのを覚えた。
ベッドの脇に膝をつくと、文世が両瞼(まぶた)を閉じた。睫毛が顛えている。そこに軽く口づけしてから唇を吸った。薄荷(はっか)の匂いがした。私がバスを使っている間にガムを噛んでいたのだろう。唇を合わせたまま浴衣の襟に手をかけた。ゆっくりひろげにかかったとき、
「いやッ」
不意に鋭く叫んで顔をそむけた。両手で襟をかき合わせ、これまで見せたことのないこわい顔になった。こんなとき、女は屢々(しばしば)、心と裏腹な言葉を口にする。だが、文世の拒絶は、私が息をのむほど峻烈(しゅんれつ)であった。
「負けたよ、君には」
私は立ち上がり、自分のベッドにわざと大仰に倒れた。箱根の夜から数えるともう五晩目である。拒むなら、なぜ、京都まで跟いてきたのか。往生際が悪いにもほどがある。
「怒っていらっしゃるんですか」
嗄れた声で文世が言った。
「いいんだ、君がまだその気になれないなら……いまや家康の心境さ」
「私……」と言いかけて、言葉を切った。次を待ったが、それきり何も言わなかった。強引に埒(らち)をあけようと思えば、あけられぬことはないが、今更という気持ちのほうが強かった。
「おやすみ、僕も眠るよ」
スタンドの灯を消した。
目が醒めると、部屋の中が薄明るくなっていた。あのままよく眠れたものだなと自分に感心し、やっぱりお預けに慣らされてしまったからか、と自嘲もした。
ベッドを抜けて窓際のソファに腰かけ、カーテンの端をめくると、明けそめた街のあちこちに外燈が黄色く消え残っている。ふっと妻の顔が浮かんだ。まさか今頃私が、ホテルに若い娘と泊まり、その娘に拒まれて早朝の街を眺めているとは思うまい。息子たちは昨夜も受験勉強で徹夜したのだろうか。朝の早い駿吉は、もう起きただろうか。このところ、殆ど相手になってやらない。先日も知子から、「たまには遊んでやってよ、パパは、パパは、って、うるさく聞くの」と言われたばかりだった。朝飯を喰ったら東京に帰ろう――そう思ったとき、
「ずっと起きていらっしゃったんですか」
ベッドから文世が声をかけてきた。
「眠れるわけがないだろ」
わざとゆっくり振り向くと、体を起こした文世の目が潤んでいるように見えた。透かすように見つめると、大粒の涙が盛り上がり、溢れて頬を伝わり落ちるのが、はっきり見えた。
「どうしたの」
近寄ると文世がいきなり縋(すが)りついてきた。
「ご免なさい」
「いいんだよ」
背中を撫でた。文世が何か言った。今夜、と言ったように聞こえ、それを確かめようとして胸を引くと、文世はいやいやをするように額をすりつけ、
「私、怕いんです」
「怕い?」
微かに頷き、消え入るような声で言った。
「はじめてなんです」

【七】

十二月二十二日
文世はまさしく処女であった。その証しを目にしたとき、しばらく呆然とした。証しを見る直前まで、欺されたとばかり思っていたからである。
昼間、私たちは醍醐、宇治を廻って奈良まで足をのばした。私が挙げたいくつかのコースのなかから文世が選んだのだ。
高欄(こうらん)をめぐらした三宝院表書院の広縁には、どちらも六十すぎらしい上品な老夫婦が日溜まりに腰かけ、岩石を豊富に使った庭園を眺めていた。先客はその一組だけで、私たちも少しはなれたところに腰をおろした。
「こうしていると、何もかも忘れますね」
岩を伝わる水音を縫って、半白の妻が夫に語りかける声が聞こえてきた。鼻下に白髭をたくわえた夫が小さく頷き、服のポケットから句帖を出すと、ちびた鉛筆を動かしはじめた。その手許を微笑しながら老妻がのぞきこむ。
「いいのが出来ましたか」
夫が黙って句帖を差し出すと、妻は会釈して受け取り、何度も頷きながら黙読する。老夫婦そのものの姿が、俳句の世界のようで、私は「いいなあ」と思わず呟き、あわてて文世の横顔をうかがった。文世は庭へ目を預けていた。わざと気づかぬふりをしていたのかも知れない。
不意に荒々しい跫(あし)音がした。振り向くと、僧衣の両袖をたくし上げ、裾から脛毛(すねげ)の濃い足を突き出した青年僧が、大きな盆を捧げて本堂のほうへ歩っていった。盆には自い握り飯が五つ六つ載っていた。文世もそれを目ざとく見つけたらしく、「あれがお坊さんのお昼かしら」と、ひそめた声で聞き、
「お結びだけで、栄養失調にならないかしら」
悪戯っぽい笑顔を見せた。その声が聞こえたのか、老夫婦が微笑しながら私たちのほうを見た。私は反射的に会釈し、そんな自分に余計照れた。
三宝院は三度目であった。最初に来たのは戦争末期、兵隊にとられる一カ月ほど前であった。見納めのつもりで京都の寺院を巡り、夜行で東京に帰る前にここを訪れた。紅葉の盛りだった。その次は妻と来た。結婚二年目の初夏で、その旅行から帰ると、妻は妊娠を打ち明け、今度は絶対に産むと宣言した。それが準であった。いつだったか、子供たちとの間で京都の話が出たとき、
「お前は醍醐へ行ったことがあるんだよ」と妻は言って、準を驚かせたことがある。
三宝院を出て両側に大きた松が聳(そび)えている坂道を登ると、間もなく樹間に五重塔の相輪がのぞいた。塔の周囲も、左手にある金堂前の広場にも人影は全くなく、私たちより一足先に三宝院を出た老夫婦の姿も見当たらなかった。五重塔を背景に、文世を写真に撮った。朝、ホテルの前で私がはじめてカメラを向けたとき、あ、やめて、と文世は手をあげてさえぎった。わけを聞くと、
「私、どういうわけか小さいときから写真を撮られるのが嫌いなんです」
そう言って背を向けた。しかし私がその背中に向けてシャッターを押し、「もう駄目だよ、撮ってしまったよ」と言うと、諦めたのか、あとは正面からの撮影も拒まないようになった。
暖かい小春日和に誘われて、ゆるやかな坂道をさらに登ると、上から落ち葉を踏む音が近づき、やがて鳥打帽をかぶり、荒い格子縞の半外套を着た老人がステッキをつきながら降りてきた。
「こんにちは」と老人は私たちに気さくに声をかけ、「上醍醐までいらっしゃるんですか」と尋ねた。
「はい、出来ましたら」
「是非、いってらっしゃい。私は毎月一回、登っています。健康のために」
品のいい微笑を残してスタスタと降りて行った。そのうしろ姿を見送って、「何をなさっている方かしら」と文世が小首をかしげた。
「画家じゃないかね」
そう答えながら私は、自分が羞(はずか)しかった。いまの老人といい、先刻の老夫婦といい、いかにも冬の醍醐にふさわしい人物に思えた。それに引き換えこの俺は、今夜若い女の軀を抱く期待を胸に秘め、それまでの時間つぶしにここに来ている。しかも、妻と来たことのある場所に。
林を抜けて枯れ芝の広場に出ると、その先の小さな池が陽に反射していた。微かな風に漣(さざな)みを立てている池の向こう側に、弁天堂らしい朱塗りの建物が見えた。ここにも人影がなく、静寂そのものの風景であった。池畔のベンチでひと休みしてから、私たちは引き返した。せっかく、老人がすすめてくれたが、ベンチわきの案内図に上醍醐まで四キロと書いてあったからだ。坂道で息を切らす姿を文世に見せたくなかった。
三時聞後、私たちは奈良へ向かうタクシーの中にいた。木津川に沿うた一直線の国道を走る間、文世はシートに深く体を埋めて、目を閉じていた。醍醐からバスと電車を乗り継いで万福寺へ行き、さらに平等院も見物したので、文世も少し疲れたらしい。窓から射しこむ夕陽がその横顔を染め、鼻の線をくっきりと浮き上がらせている。文世の顔の中で強いて難を言えば、鼻の下の溝――じんちゅうが浅いのと、唇が少し薄いことである。いつか阿部も言ったように、それがときに冷たい感じを与える。何となく薄幸そうにも見える。「疲れた?」腕を廻して抱き寄せると、素直に私の肩に頭をもたせ、少し、と言った。
「ご免よ、僕は欲張りだから、すぐあっちこっち見て歩きたくなっちまうんだ」
「いいえ、色々なところを見られて、愉しかったわ」
今夜はもっと愉しいことを――と、これは胸のなかだけで言って、私は腕に力をこめた。
そろそろ暗くなってから奈良に着いた。長い間暖房のきいた車にいたので、外へ出ると身顫(みぶる)いが出るほど夕風が冷たかった。興福寺境内の柳茶屋に飛びこんだ。茶室造りの部屋は小さな電気ストーブ一つだけで、容易に体が暖まらなかったが、それだけに田楽の味が腹の底まで沁みた。文世の頬にも、ほんのりと赤味がさした。
近鉄で京都に戻り、出がけにホテルから予約しておいた木屋町の旅館に入ったのは九時近かった。奥深い、いかにも京都らしい宿だったが、案内されたのは鉄筋の新館五階だった。他の部屋は全部ふさがっているという返事であった。
六十前後のそれ者(しゃ)上がりらしい女中が、浴衣の入った乱れ箱を次の間の隅に置きながら、「奥さま、こちらにお召し替えが」
途端に文世の肩がピクッとした。
「びっくりしたろ、奥さまだなんて言われて」
女中が去ってから言うと、照れ臭そうに目をしばたたいた。
……行燈型の仄(ほの)暗いスタンドの灯の中で目を閉じている文世に、「体の力を抜きなさい」と囁いた。文世の乳房は想像以上に小さかった。お皿を伏せたようで、隆起と言うにはほど遠く、しかも乳首が埋まっていた。昨夜拒んだのは、この薄い胸を知られたくなかったからなのか。幾晩もともにしながら踏み切れなかったのは、貧弱な胸を恥じていたからか。いつだったか、「私、コンプレックスの塊りなんです」とも言った。しかし、私は、かえって、いとしさがこみ上げた。
ほんの形ばかりとも言えるその乳房に、私はそっと唇を押しあてた。文世の両手が、肩を押し戻そうとした。が、私の口の中で乳首が目醒めると、今度はその指が逆にきつく肩先を摑んだ。
文世はすでに潤んでいた。双丘からそこへ私はゆっくりと唇を移動させた。泉は吸い上げるそばから豊潤に湧き出し、そこを基点とした漣が文世の全身へひろがっていった。
小さな声で何度も痛みを訴え、その都度文世は、頭と背で漕ぐように牀からずり上がった。もう少しで床の間の縁に頭がぶつかりそうになった。それを掬い上げ、枕をあてがいながら、「こわがらなくて、大丈夫」と囁いた。
宿年の望みがいま、叶えられようとしている。が、私はそれほど昂奮していなかった。これも齢の功なのか。
再び文世が痛みを訴えた。逃げようとした。指先で位置を確かめ直し、腰枕をと思ったが、最初からそんな姿勢を執らせるわけにもいかなかった。位置を定めてから、
「力を抜いて、おとなしくしているんだよ」
そして、一気に貫いた。文世がひと際大きた悲鳴を挙げた。
少し経って、ようやく一つになったことを私は告げた。文世は喘ぎながら、露骨な言葉でそれを確かめ、
「うれしいッ」
下から獅噛(しが)みついてきた。だが、期待していた緊縛感は殆どなく、むしろ、ゆるやかな感じだった。ふっと疑惑を覚え、暫く私は動かなかった。神経を一点に集め、どんな微かな反応も捉えようとした。しかし、いつまでたっても生温いだけで、狭窄感も緊縮感も覚えなかった。
――本当にこの娘は、はじめてなのか。
私がゆっくり体を動かしはじめると、文世が足首を外側からからめてきた。もはや疑惑は決定的だった。
「嘘つき」
聞こえないはずはなかったのに、文世は黙って脚に力をこめてくる。その足首を邪慳(じゃけん)にふりほどいた。まんまと一杯喰わされた自分のバカさ加減に腹が立った。
――何が痛いだ。いきなり脚をからめてくる処女がどこにいる。
欲望が急遠に衰えた。腰を浮かしかけると、文世がさらに獅噛みついてきて、「うれしい」とまた言った。
もう容赦する必要はなかった。自らけしかけるように全身をあおり立てた。何度か文世が悲鳴に似た声をあげた。
ぐったりと死んだようになった文世から体を剥がしたのは、三十分ぐらいたった頃だろうか。敷蒲団の下にはさんでおいた宿の手拭いを引き出して、跡始末をした。しかし、私は果ててはいなかったし、文世も頂きを極めたわけではなかった。もし、文世が歓びを知っていたら、私はもっと惨めな思いを味わわねばならなかったろう。私が激しく攻めたのは、本音を吐かせてやろうと思ったからだが、いくら攻めても悲鳴をあげるだけで、文世は一向に反応らしい反応を示さなかった。
それにしても文世はなぜ、処女を装ったのか。ただ勿体ぶって幾晩も拒みつづけたのか。どうせバレるのに、どうして今朝、「はじめてなんです」と、ぬけぬけと嘘をついたのだろう。腹這いになって暫く文世の寝顔を見つめた。髪を乱したまま昏々と睡っていた。今夜まで精一杯の演技をつづけてきた文世が、ふと哀れにも思えた。
明け方、そっと牀をはなれ、廊下から外を覗くと、小雨が降っていた。藤椅子に腰かけて一服し、もうひと眠りするつもりで立ち上がりながら、牀をはなれるとき蒲団の下から抜いてきた手拭いを何気なく見た。瞬間、胸をきゅっと締めつけられた。血痕が付いていたからである。それもかなりの量であった。椅子に腰をおとし、その茶褐色のしみを凝視した。
――やっぱり、はじめてだったのか。
すぐには信じられなかった。はじめての女が脚をからめてくるだろうか。一つになったことをあからさまに念を押すだろうか。それに破瓜の証しとしては血痕が多すぎる。刺戟されて急に生理がはじまったのではないのか。
私は手拭いを畳んで鞄の底に蔵った。もし純潔の証しだったら、記念にとっておこうと思ったのだ。敷布のしみをつきつけられ、「洗濯代を出しておくれ」と旅館の女中にわめかれた二十余年前の記憶がよみがえった。あのときのしみは間違いなく純潔の証しであった。
部屋に戻って、牀のわきに膝をつき、寝顔を覗きこもうとしたとき、文世が薄目をあけ、目が会うと、「いやッ」小さく言って背を向けた。そのわきに体をすべりこませて肩に手をかけた。
「はじめてだったの?」
白い項(うなじ)が微かに頷いた。その襟元にそっと唇を寄せて後ろから抱くと、文世が胸の前で私の腕をかかえこんだ。歓びがゆっくりと私の五体にひろがっていった。歓びはなぜか欲望とは繋がらず、むしろ、逆に心のなかまで浄化してゆくようであった。
「お風呂に入る?」
項がまた頷いた。私は浴室へ行き、蛇口を全開にした。熱湯がほとばしり、狭い洗い場に湯気が立ちこめた。
再び部屋に戻って手を差しのべると、
「起きられます」
文世がのろのろと立ち上がったが、上半身がぐらりと揺れ、あわてて抱きとめた私に全身の重みをゆだねてきた。脚にまるきり力が入らぬらしかった。
私たちは重なって簾椅子に腰かけた。私の膝の上で文世は目を閉じ、頤を突き上げて頭を私の肩に預けた。はだけた浴衣の前を合わせてやりながら、
「お風呂はあとにして、もうひと眠りする?」
「ううん、入る」
子供のように答えたが、まだ動けぬらしく、私の耳許で呟いた。
「私、どうかしてしまったの」
浴漕の中でも私は文世を抱きつづけた。
胡坐(あぐら)をかいた私の右腿のところで両膝を折り、私の左腕を枕にして文世はまだ目を瞑(つぶ)っていた。白い体だった。なめらかな肌であった。透明な湯のなかで叢(くさむら)がそよぎ、それを掌で掩うことさえ忘れていた。私は右掌で湯を掬っては文世の肩にかけつづけた。幼な子を湯に入れているような気持ちだった。
「もう大丈夫です」
やっと目をあけた文世が、湯舟のへりに手をかけて半身を起こし、羞しそうに私を見た。頬に口づけするとまた目を閉じかけたが、気を執り直したように立ち上がった。肌全体がほんのりと染まっていた。
一足おくれて浴室を出ると、セーターとスカートに着替えた文世が、入れ違いに浴室の隣の洗面所へ消えた。窓の外はすっかり明けて、比叡山の頂きが雨に煙り、鴨川の向こう岸を走る京阪電車が玩具のように見えた。
随分、手間がかかったようた気がするが、二人きりで逢いはじめてからまだ一カ月もたっていなかった。処女が決心するには、むしろ、短すぎる時間だった。しかも、相手は妻子のある中年男。文世が許す気になったのは、幾晩も一緒に過ごしながら、けっして無理強いしなかった私にほだされたからか。それとも処女をもてあましていた矢先に偶々(たまたま)私が現われたにすぎないのか。いや、やっぱり私たちはこうなる運命だったのだと、柄にもない感傷を覚え、
――俺にもこれから新しい人生がはじまるかも知れない。
厳粛な気持ちにもなった。
二本目の煙草を吸い終えても、文世は洗面所から出てこなかった。まともに顔を合わせるのが羞しいのか。それとも後悔しているのだろうか。そっとドアを開けた。
文世は背をこごめて、浴衣を摘み洗いしていた。

【八】

十二月二十五日
クリスマスにふさわしく午後から小雪がちらつき出す。徹夜で書き上げた今年最後の原稿を編集者に渡し、炬燵に脚を突っこんで寝ころんでいるところに、文世がやって来た。
「今夜、いいんだね?」
前の晩に電話で、一緒にすごす約束をしてあった。
「それが、駄目なんです」
「なぜ? 仕事?」
「私……病気なんです」
羞しそうな声に、その意味が判った。
「いいよ、そんなこと。問題じゃない」
内心がっかりしたが、じゃあ泊まりに行くのはやめよう、とは言えなかった。
「君と二人きりで居られれば、それだけで僕は満足なんだ」
文世が携えてきた紙袋を、そっと差し出しながら言った。
「お気に召さないかも知れませんが……」
袋をあけると、プルシャンブルーの毛糸のマフラーが入っていた。女の子からプレレゼントをされたのは何年振りだろう。
「僕もプレゼントしたいけど、何がいいか判らない。君の好きな物を選んでくれよ」
「いいんです私は。いま、別に欲しいものがありませんから」
「そんなこと言わずに、お返しさせてくれ。もっとも今日は貧乏だから、三千円どまりぐらいの物にしてくれると助かるけど」
事実、ふところが心細かった。新宿東口の装身具店で文世が選んだのは、小さな釣鐘が五つばかり付いたブローチで、値段は千三百円。
「あとは? まだ予算が残っているよ」
「これだけで充分です」
その場でセーターの胸につけ、鏡を覗きこみながら文世が頬笑んだ。
「ブローチをつけるの、はじめてなんです。一度、つけてみたかったんです」
金色の釣鐘は、文世が歩くたびにかすかな音をたてた。可憐な音色である。
雑沓を縫いながら、
「何だか、落ち着きませんの」
「じゃ、早く落ち着く処へ行こうか」
「そうじゃないんです。これが鳴るもんですから」
首を傾げてその胸へ耳を寄せようとすると、
「人が見ます」
薄く頬を染めた。
タクシーで品川のホテルヘ行き、フロントで高梨を呼んで貰う。案内されたのは三階の洋室で、狭いうえ、テレビもない。
「もっといい部屋はないのか」
「満室なんだ。この部屋だって、やっと取ったんだぞ」
窓に倚(よ)って雪を眺める文世の後ろ姿へ目をやりながら、「正月にハワイヘ行く」と高梨が言った。
「へーえ、遊びか」
「まさか。仕事さ。何か欲しい物があったら買ってきてやるぜ」
「今、何も要らん」
「そうだろうな」
夕食をすませて部屋に戻った直後、高梨がポータブルテレビを運んできた。
「何だ、白黒か」
「贅沢言うな。どうせテレビなんか観てる暇ないくせに」
「それが大有りなんだ」
「なぜ?」
文世に聞こえないように小声でわけを言うと、呆れたように私の顔を眺め、お前は長生きするよ、と呟いた。
「ああ、三日は確実にな」
「三日?」と聞き返し、すぐ判ったらしく、
「おい、本当か」とさらに声をひそめた。頷くと、相変わらず窓から雪を見ている文世の背中へ目を投げて、
「初物か」
今度は呻(うな)るような呟きを洩らした。
ベッドの中で文世の乳首を吸いながら、下腹部へ手を這わせた。
――駄目。
――大丈夫、ちょっと触るだけだよ。
目で言葉を交わし、生理帯の網目に指先をくぐらせて、そっと茂みを愛撫する。妻はやや多く、知子は薄い。文世のはほどよい、柔らかな感触である。私の胸に頬を押しつけて、文世は息を殺している。耳許で囁く。
「僕のは?」
「………」
「何もしてくれないの?」
「……どうすれば、いいんですか」
手を導き、そのまま指を添えて愛撫の仕方を教える。ぎごちない手の動きが、新鮮な歓びを呼んだ。
近頃の娘は愛の技巧を熟知しているとよく耳にする。女性雑誌も微に入り細をうがってその方法を書いている。文世は読んだことがないのだろうか。いや、読まないはずはない。実際に知らなければ、かえって読みたくなるのが人情だ。すると、わざと知らないふりをしているのか。それとも、いくら耳学問で知っていても、いざその場になると何の役にも立たず、結局は男が実地教育をしなければ駄目なのだろうか。
「もう一つの手が遊んでいるよ」
文世は素直に左手を添え、両掌でおずおずと包んでくれた。
「あしたの晩も駄目かな」
「多分……ご免なさい」
「いいんだよ、聖(きよ)しこの夜だもの」
二時間後、文世は私の腕の中で安らかな寝息を立てはじめた。私は恋人を抱いているというよりも、娘を抱き寝している父親のような気持ちだった。文世も私に父親を感じているのかも知れなかった。
先刻、お互いの体を愛撫し合っていたときは、たしかに男と女だった。が、いまは生臭い思いから遠ざかっている。それが少しも不自然ではなかった。
もし私が彼女の実の父親だったら、こんな可愛い娘をとても棄てることはできないだろう。いくら好きな女が出来たとしても、娘のことが気になって毎日、落ち着かないだろう。まして娘が妻子ある中年男に誘惑されて純潔を喪ったと知ったら、激怒の果てに相手の男を殺してしまうかも知れない。
女を抱き寝しながら、その父親の気持ちを推し測る――人に言ったら、いい気なものだ、と嘲笑されるだろう。
――どうしてお前はこの娘に手をつけたのだ。なぜ、そっとしておかなかったのだ。
もう一人の私が、私を責める。
――処女を奪っておきながら、今更父親のような気持ちだなぞ、白々しいぞ。
もし文世の家庭が円満で、両親から慈愛を受けていたなら、いくら私が口説いたとしても、父親とさして年齢の違わない男なぞ、見向きもしなかったろう。父親が蒸発していなかったら、今頃はとっくに鹿児島の男と結婚して、幸せな若妻になっていただろう。文世の心には、娘の自分を棄てて女へ走った父親への怨みが巣喰い、私に体を許したのは、その怨みを晴らす気持ちも手伝っていたのではあるまいか。
私にはそれが勿怪(もっけ)の幸いだったが、何か弱味につけこんで手に入れたような後ろめたさがあるのも確かだ。もし文世が肉親や恋人の愛に包まれていたなら、私がどんなに愛情を披瀝しようが、清楚な美しさを讃美しようが、徒労に終わっていたに違いない。
夜更け、雪はみぞれに変わった。ホテルの内庭の底が斑(まだら)になっていた。
十二月二十六日
午後、ホテルを出て新宿に戻り、柳通りのいつもの喫茶店でコーヒーを飲む。夜八時に同じ店で会う約束をし、文世は取材へ出かけた。一足遅れて店を出ると、文世が外に立っていた。
「あのう、本当に今夜もいいんですか」
「きのうも言ったじゃないか、一緒にいられればいいんだって」
文世は小走りに人込みへ駆けこんだ。
仕事部屋に行くと、留守に知子が掃除をしたらしく、押入れの中もきちんと片づいていた。駿吉の顔が見たかったが、行けばまつわりつかれて、一時間や二時間は相手をしてやらなければならない。雑誌類を散読し、四時すぎJ誌の経理部へ出かけて原稿料を受け取ってから近くの喫茶店で取材記者たちと雑談。先週の『シリーズ人生』が好評で、読者アンケートが一位だったと聞かされる。身すぎ世すぎの雑文でも評判がよければ、やはり嬉しい。みんなのコーヒー代を払う。
夕方六時、新宿のキャバレーを借り切ったS誌の忘年会に出席。アンカー仲間と話をしているところに阿部が寄ってきて、話があると隅の席へ誘う。
「また浮気をしているそうですね。知子さんが心配していますよ」
「あれが言ったのか」
「きのう、うちに電話をかけてきて、相手の女を知っていたら教えてくれって。むろん、僕は言いませんでしたがね」
「言わないって――君は知っているのか」
「柳通りの喫茶店は僕らもよく利用しますからね。編集部の須山さんも二度ばかり二人でいるところを目撃しているんですよ」
「取材を手伝って貰ったんだ。それだけだよ。第一、彼女は森君と結婚することになっているんだろう。君がそう言ったじゃないか」
阿部は私をじっと見詰めていたが、「それならいいんです」と言って立ち上がった。その後ろ姿を見送りながら、何でこの男に――と、少し腹が立ったが、忠告してくれたのだから、むしろ、感謝すべきなのだと思い直した。
中央のステージでこの日の呼び物、全裸ゴーゴーガールの踊りがはじまり、司会役の副編集長が、「皆さんも一緒に踊ってください」とマイクで盛んに呼びかける。が、誰もステージヘ出て行かない。赤いスポットライトの中で踊り子の豊かな乳房が躍り、ヘアが揺れる。刺戟を受け、欲望が湧いたのは、昨夜、中途半端だったせいだろう。毒だな、と自分に呟く。今夜も文世は駄目なのだ。
以前の私なら、そして相手が文世でなければ、一晩でも無為な夜を倶(とも)にするなぞ、たとえ頼まれたとて願い下げにしていたろう。さっさと家に帰るなり、知子の処へ行くなりする。
一斉に拍手が湧き、小ぶとりの名取編集長がステージに上がって、ゴーゴーガールと一緒に腰をひねりはじめた。なかなかうまい。また拍手が起こって、三、四人のデータマンも踊りに加わった。
「津田さんも踊りませんか」
編集者の一人が誘いに来た。
「冗談じゃない。忽ちギックリ腰になっちゃうよ」半ば本音だった。
ひと踊りしてきた名取編集長が、額の汗を拭きながら私の隣に腰を落とし、フーッと大きく息をついた。
「ご苦労さん、大サービスだったね」
「いやあ」と照れ、「ところで今夜、予定がありますか」と聞いた。頷くと、ニヤッとしたので、思いきって訊ねてみた。
「僕の噂、聞いている?」
曖昧な顔が肯定していた。
「どの程度、拡がっている?」
「珍しいですね、津田さんが気にされるのは」
「僕は構わないんだが、相手が……」
「正直驚きましたよ、手が早いとはかねがね聞いていましたけど」
「いや、今度ばかりはかなり手古摺(てこず)ったんだ。何しろ、相手は初めてだから」
「初めて? ……本当ですか」
とても信じられないという顔付きだ。
「彼女、いくつですか?」
「二十五」
「それで初めてねえ。いまどき、まさに稀少価値だな。そう言えば古風で温和しそうなひとですが、しかし、流行には結構、敏感で……だから、僕は正直に言うと、正体不明という感じを持っていたんです」
「彼女が流行に敏感?」
私には解しかねる見方だった。
「彼女が身につけているものは、流行の尖端を行くものばかりですよ。今年は手編みのセーターが流行(はやり)なんです。色も、今までのようなケバケバしいものでなく、ひと言で言えば復古調ですね。昨年あたりから突飛な服装はすたれ出して、近頃はわざと地味なものを着るのが若い人たちの流行なんですよ」
これまで気づかなかった文世を見る新しい目を教わった思いである。やっぱり齢はとりたくないものだ。自分では若い人の世界を一応知っているつもりだったが……文世がスリップをつけないのも、多分、流行なのだろう。
「知子さんのこと、彼女、知っているんですか」名取君が一段と声を落として訊いた。
「それなんだ、目下の悩みは」
「判ったら大変だな。殺されちゃうかも知れませんよ」
「どっちに?」
「二人が共謀して」
「脅かすなよ」
だが、感情が激すると女が思いもよらない行動をとることは、何度か経験ずみである。いつかは文世に、知子母子の存在を知らさなければならないが、問題はその時期である。文世の心が完全に私のものになり、何を聞かせても動揺しなくなったとき――しかし、その見極めがつくのはいつか。はたしてそれまで隠し通すことが出来るだろうか。いわば時限爆弾をかかえているようなものである。
約束の時間より二十分遅れて喫茶店にやってきた文世は、襟と袖口にアストラカンの飾りがついている新しい焦(こげ)茶色の外套を着ていた。
子供っぽくて、ますます年齢のひらきを感じさせる。家に帰って着替えてきたと言い、
「母から今夜はどんなに遅くなっても帰ってきなさいって、叱られてしまいました」
悪戯っぽい目を見せた。この半月間に文世は七晩も私とすごしている。
「じゃ、今夜は帰る?」
「いいんです。夜明かしの忘年会だから、どうしても帰れないと言ってきました」
この娘も私と一緒に居たいのだ。人目がなければその場で抱きしめたいほどのいとしさを覚えた。
「今度からほかの喫茶店にしよう。この店で何人かに見られているんだ。ぼつぼつ噂にものぼっているらしい」
「やっぱり、そうですか」
文世はさして驚かなかった。
「君も誰かに何か言われたの?」
「森さんからちょっと……」
「何だって?」
少し口ごもっていたが、笑いながら言った。
「中年には気をつけろって」
「君は何て答えたの? もう手遅れだと言ったの?」
「まさか」と軽く睨み、やや投げ出すような口調で、
「いいんです、私。何を言われても」
歌舞伎町の端れにある旅館に入る。焦茶色の外套の下は薄いピンクのセーターで、それが私の欲望を一層煽った。
牀の中で胸を吸うと、文世の指がおずおずと私の下腹部に這ってきた。
「……こうするだけで、いいんですか」
途切れがちの声で訊く。まさか口を使ってくれと頼むわけにもいかない。
「僕のことは心配しなくてもいいんだよ。お預けには慣れているんだから」
「ご免なさい」
私は、文世の背中にも脇腹にも腰にも唇を這わせた。女の体をこれほど口でむさぼったのは、はじめてであった。いくらむさぼっても、むさぼり足りなかった。しかし、それは肝腎なことが出来ない代償行為ではけっしてなかった。
私は青年時代から、あまり接吻が好きではなかった。接吻によって甘美な想いを味わうのは、せいぜい肉体を結ぶまでで、一旦、体の関係が生じれば、接吻なぞ、ひどく間が抜けた行為になってしまう。要するに女の性感をたかめる前戯にすぎず、男にとっては児戯にも等しい。それほど接吻のうまい女にぶつからなかったせいかも知れないが、所詮、男は接吻だけで満足できるはずがないと思いこんでいた。
ところが、文世を知ってから、この考えが間違っていたことに私は気づいた。いつでも、どこでも、文世の唇を吸いたくなるからだ。この接触衝動こそが、惚れた証拠なのだろう。
文世の体はどこを吸っても、どこを舐めても、匂いらしい匂いがしなかった。全くと言っていいほど体臭のない体である。
妻にも殆ど体臭がない。反対に知子は、かなり強い体臭を持っている。はじめはそれが気になったが、いまでは逆に刺戟剤になり、知子の匂いを嗅ぐと、自分でも思いがけないほど強い欲望を覚えることがある。駿吉のことを別にすれば、それが私をつなぎとめているのかも知れない。
十二月二十八日
午前中、妻と藤沢へ行き、デパートでレインコートを買う。最新型だと言って店員がすすめたのは、襟の大きなベルトのついたやつで、ちょっと気がひけた。が、妻がおかしくないと言うので、思いきってそれに決める。文世と歩くには、少しでも若造りをしなければならない。われながらいじましいが、嗤わば、嗤えだ。ともあれ、レインコートを買い替えたのは丸十年ぶりである。
小田急の駅で妻と別れようとすると、
「彼女によろしくね」
からかうように言った。
「彼女? 誰のことだい?」
「若い娘が出来たんでしょ、あなたが珍しくお洒落をするんだから」
「ばかを言え。それならお前に内緒で買うよ、わざわざお前に見立てて貰うものか」
「そうかしら。あなたはよく逆手を使うから……」
見抜いたのは妻ばかりではなかった。
「今度のひとはよっぽど若いのね」
知子も新しいレインコートを見るなり言った。
「お前、阿部君に電話をかけたんだってな。余計なことをするな」
「だってこのところ、少しも落も着いていないんですもの」
「俺の女好きは百も承知のはずだ。今更、お前につべこべ言われることはない」
「でも、こんどばかりは、いつもと違って、あなたのほうが夢中なんですもの」
「へーえ、よくご存じで」
「そのひと、そんなに好きなの?」
「当たり前さ、やっと見つけた理想の女なんだ」
「真面目に答えて」
「真面目も真面目、大真面目だ」
知子が大きな溜息をついた。
夜、六本木のスナックで『シリーズ人生』の編集スタッフが忘年会を兼ねた私の慰労会をやってくれた。飲めない私が専らおつまみを口へ運んでいると、キャップの玉木君がデータマンについての意見を求めてきた。適当に答えていると、不意に斬り込むような口調で、「園池文世はどうですか」と訊いた。一瞬、息をのんだ、が、
「婦人記者のなかでは一番データがしっかりしていますね。僕は嘱望しているんです」
ぬけぬけと言うことが出来たのも年齢の厚かましさである。
「やっぱり誰の見る目も同じなんですね」
玉木君のすこぶる満足そうな顔を見て、ひょっとするとこの男も文世が好きなのではないか、と思った。彼はいずれ編集長になるだろうと言われている。仕事熱心で企画力も抜群だが、難点は他の者にそれを強く求め、ちょっとしたミスも咎め立てることだ。だから若い編集者やデータマンたちに煙たがられている。
「とても真面目ないい方ですが、もしあの方と二人きりになったら、息が詰まるんじゃないでしょうか」
いつだったか、文世が洩らしたことがある。文世は仮定形で言ったが、実際に息が詰まった経験があったのではあるまいか。
文世を知ってから、自分が嫉妬深くなっていることに私は気づいている。鹿児島の男は見たことがないので嫉妬しようがないし、今のところ、文世の周囲には特に私がマークしなければならないような男は見当たらない。だが、いつ、文世の心を強く強く捉える男が現れるか判らない。何よりも怕いのは、文世にふさわしい年齢の男の出現である。どんなに鯱鉾(しゃちほこ)立ちしようが齢にはかなわない。
いっそ五十代になれば、それなりに諦めもついて心も安定するかも知れないが、若くもなく、さりとて老人でもない現在の年齢が、われながらすこぶる不安なのである。
或る映画監督が四十代後半を指して「青春放課後」と言ったことがある。その言葉を耳にしたとき、授業が終わり、生徒が下校して誰もいない校庭に午後の陽だけが当たっている光景が目に浮かんだ。帰り際に校舎のかげからそっと振り返ってその校庭を眺めている自分の姿とともに、「五十代には五十代の、六十代には六十代の青春がある」と或る作家は言いきっている。青春は年齢ではなく精神にあるという意味だろう。しかし、所詮、五十代、六十代の青春は、擬似青春にすぎない。いわば見果てぬ夢である。青春にはやはり若さの裏打ちが必要なのではあるまいか。
もっとも、老いらくの恋には一種のほほえましさ、ユーモアがある。それに引きかえ、中年の恋は、誰が見ても、いやらしく、不潔感がつきまとう。しかも当人が真剣になればなるほど滑稽で、周囲の者は目をそむけたくなる。いま私は間違いなく、その滑稽でいやらしい恋の虜になっている。
十二月二十九日
文世の家に電話をすると、母親が出た。名前を告げたところ、「いつも娘がお世話様になりまして」と丁寧な挨拶をされ、冷や汗をかく。夕方、渋谷の喫茶店で文世に会うなり訊いた。
「僕のこと、お母さんに何て話してあるの?」
「仕事のことで色々教えていただいている先生だって……母は『シリーズ人生』の愛読者なんです」
「教えたのは別のことだったね」
鼻の頭に皺を寄せた。
窓から代々木公園の森が見える原宿の旅館に泊まる。各室に有名温泉の名が付いていて、私たちが案内されたのは三階隅の『雲仙の間』。十年前、本当の雲仙温泉で硫黄の匂いに辟易(へきえき)しながら地獄を見物したことを思い出す。
文世がチューインガムが欲しいと言うので、女中にチップをやって頼む。文世は子供みたいに、いつもガムやチョコレートをハンドバッグに入れている。京都へ行ったときも、新幹線の中で大きな板チョコを取り出して私を驚かせた。
浴室で頭髪を石鹸の泡だらけにしてから文世を呼ぶと、脱衣所との境のドアを開けて、顔だけのぞかせた。
「お湯をかけてくれないか」
文世は期待に反して、パンティストッキングだけを脱いで来た。
「一緒に入ってくれないの?」
「はい。駄目です」
それでも私の頭を丁寧に洗ってくれた。京都の宿で、私に抱かれて風呂に入ったくせになぜ、いまだに羞しがるのか。あのときは気が動顚していたからなのだろうか。
唇で、この前よりも丹念に、文世の体の隅々まで愛撫した。愛撫は文世を歓ばせるためでも、その反応を見て愉しむためでもなかった。あくまでも私自身のためであった。文世の体を舌で辿り、唇でむさぼり、掌で撫でさすることが、そのまま私の官能を歓ばせ、心に愉悦をもたらした。愛撫とは文字通り、愛しくて撫でさすらずにはいられないものであることを、はじめて知ったのである。
男の肉体的な歓びなぞ、女のそれにくらべたら何十分の一か、何百分の一かだろう。その証拠に、男には我を忘れるという瞬間がない、少なくとも私は経験したことがなかった。常にどこか一カ所醒めている。その最中でもふっと己の行為がばかばかしくなることさえある。所詮、男の歓びとは、女の歓びの反映――相手がいま自分の体によって陶酔境にいることを確かめるだけ、つまり間接的な歓びにすぎない。私は久しくそう思ってきた。だから何とか相手を歓ばせようと、テクニックや持続力に専ら意をもちいてきた。しかし、それが誤りであることに、今夜、はじめて気づいたのである。
私は愛撫に飽きなかった。飽きるどころか、一晩中でもつづけたかった。ほかのことは何も考えず、ひたすら愛撫に没頭した。ふくらむべきところがふくらみ、くびれるべきところがちゃんとくびれているのが理想の女体ならば、文世の体はおよそ理想に遠かった。胸も腰も薄く、二の腕や太腿も細くて骨ばっている。しかも秘部はかなり下に位置していた。
しかし、私にとっては、もはや体のよしあしなぞ問題ではなかった。乳房が貧弱なことさえ、むしろ愛しかったし、そんなはずはないのに、文世の泉には甘味さえあった。まさに甘露であった。その甘露をむさぼることが私自身の歓びであった。かつて覚えたことのない歓喜だった。
長い時間をかけたあとで、私たちはようやく一つになった。文世はもう痛がらなかった。頤をつき上げ、短い声を発して必死に獅噛みついてくる。生理が終わった直後なので大丈夫とは思ったが、万一を懼(おそ)れて私は、登りつめる寸前で踏みとどまり、また甘露をむさぼった。明け方近くまでそれを繰り返した。文世の反応の薄いことが、それを可能にしたのかも知れなかった。
十二月三十日
旅館から一町ほどはなれた総ガラス張りの喫茶店で、朝のコーヒーを飲む。暮れとは思えぬ暖かい陽射しがガラス窓を透して店内いっぱいに溢れ、クッションのやわらかいソファに深く腰かけていると、そのまま居眠りが出そうだった。一晩中、私に攻められた文世もはれぼったい目をしていた。明け方、私は、京都の宿で脚をからめてきたのを覚えているか、と訊いた。腕の中で目をあけ、夢中だったので何も覚えていない、と文世は答えた。もう一つ、疑問があった。はじめて二人の体が一つになったとき、文世が露骨な言葉でそれを確かめたことである。なぜ文世はそれを確かめずにいられなかったのか。
しかし、私はその疑問を口にすることが出来なかった。いまだに純潔を疑っているように思われたくなかったからだ。
「今年も、あと一日だけですね」
コーヒーを飲み終えてから、文世がぽつんと言った。
「お正月はどうするの?」
「湯河原で知り合いが小さな旅館をやってますの。そこへ母と行こうかと思ってます。津田さんは?」
「毎年、三ガ日はどこへも行かない習慣なんだ。四日には高梨がハワイヘ行くというから、羽田へ見送りに行くけど、――君も羽田へ行かないか」
「はい、お伴します」
暫く間を置いてから文世が呟いた。
「それまで、お逢いできないんですね」
危うく涙ぐみそうになった。私はまだひと言も文世の口から好きだという言葉を聞いていなかった。いまの呟きは、文世が口にしたはじめての感情表白であった。
喫茶店を出たあと、やわらかい陽射しに誘われて明治神宮へ足を向けた。初詣での人出にそなえて、参道の両側には太いロープが張られている。この参道に足を踏み入れたのは戦後はじめて――二十余年前、兵隊にとられ、内地を出発する前日に隊伍をととのえて参拝に来たとき以来であった。腰に銃剣を吊るし、悲愴な気持ちで玉砂利を踏んだことを思い出す。たしか麻布の部隊に入って六日目であった。支給された軍服はブカブカだったが、軍靴は反対に窮屈で、歩くたびにかかとが痛かった。班付上等兵に恐るおそるそれを訴えた途端、「足を靴に合わせろ」と怒鳴りつけられた。その思い出を文世に語ろうとして気づいた。
――あの頃、まだこの娘は生まれていなかったのだ。
改めて二人の年齢の距(へだ)たりが思い返された。
「お正月に彼が東京に来たら、会っていただけますか」
文世が不意に言い出したのは、宝物殿前の枯れ芝を歩いているときであった。思わず立ちどまった。文世の気持を測りかねた。
「本当に帰ってくるの?」
「はい、おとといの朝、また鹿児島から電話があったんです」
それなら、なぜ、昨夜私と泊まったのか。しかも、つい先刻、「お会い出来ないんですね」と思い入れたっぷりの言葉を口にしたばかりではないか。
「彼を僕に会わせて、どうしようというの?」
「見ていただきたいんです」
「見るって――僕に評価して貰いたいの?」
「はい。男性の目で採点していただきたいんです」
「じゃあ、採点の結果がよくて、是非あの男と結婚しろと僕がすすめたら、それに従うつもりかい?」
文世は顔を伏せて答えなかった。
「君が会えというのなら、僕はいつでも会うよ。僕もどんな男か興味があるからね。会って僕の感想を正直に言おう。いや、正直な感想なぞ、とても無理だな。当然、採点はからくなる。それでもいいんだね」
ちらっと私を見上げ、また顔を伏せた。
「僕とこうなったことを、やっぱり君は後悔しているんだね。なぜ彼が東京に帰ってくるまで待てなかったのかと、自分を責めているんだろう。しかし、今更自分を責めたって取りかえしがつかない。去年帰ってくると約束しながらそれを破った彼が悪いんだ、それに将来を約束したわけでもない。彼にひけ目を感じることなんてないんだ……」
「やめてください」
「多分、君はこう考えたんだろう、こうなったからには、二人を会わせて、自分がどっちを本当に愛しているのか、自分自身の気持ちを確かめてみよう、また、どっちの男が自分をより愛してくれているのか、ためしてみよう……」
「もう何もおっしゃらないでください」
「会おうじゃないか、いや、是非その男に会わせてくれ。君の初恋の男がどんな青年か、僕もわが目ではっきり確かめてみたいんだ」
「ご免なさい。私、ばかなことを言って……」
文世の目に涙が滲んでいた。

新宿駅で家に帰る文世と別れたあと、デパートに寄って毛糸の茶羽織と大きな自動車の玩具を買う。
鏡台の前でその茶羽織に袖を通しながら知子が言った。
「これでごまかす気なの」
「ああ。お前に何か物を買ってきたのは、はじめてなんだから、いかに俺が気をつかっているか判るだろ」
「全くあなたには敵わないわ。でも、これ、ちょっと派手じゃないかしら」
「いや、よく似合うよ。お前もせいぜい若返るんだな」
夜、知子は私の上で喘ぎつづけた末に、ぐったりと全身の重みをかけてきた。闇の中にいつもより強い体臭が漂った。
「もういいんだろ」
「いやよ、まだよ」
「いい加減にしろよ」
「だって、あしたからまた当分お預けなんだもの。あなただって、まだでしょ」
「俺はいいんだ。きのうの今日だし、あしたはあしたでママが待っているんだから」
「大丈夫よ、あしたになればまたちゃんと出来るわよ。ね、お願い」
私が昨夜、他の女と泊まってきたことも、あすの夜は家に帰って妻を抱くことも承知の上で、知子は烈しく私を求めた。だからこそ求めたのかも知れないが、いずれにせよ、それに何の抵抗も覚えないはずはない。しかし、知子は感情をいっさい表に現わさず、口による愛撫もむしろ日頃より念入りであった。ときどき口からはなしては愛しくてたまらないように目を細め、頬ずりさえする。あるいは、自ら肉の歓びに溺れることで感情を殺そうとしているのかも知れなかった。
そんな知子に体をゆだねながら、私は胸で自分に問うてみた。
――もし文世が前の晩に他の男と交わったことを知ったら、それでもお前は甘露だと言って彼女の泉をむさぼることが出来るか。
もう一人の私が首を振った。仮に愛撫したとしても、それは嫉妬にもとづいた被虐的な感情からに違いない。とすればここ数夜の文世への愛撫は、自分が文世にとって最初の男だという満足感に根ざしたものにすぎないのではあるまいか。
もし自分が心底から文世を愛しているなら、知子とは勿論、妻とも交わりを断つべきではないのか。いや、断つべきと言うよりも、たとえどれほど相手にせがまれようと、抱く気が起こらないはずではなかろうか。それが愛の証しではないか。
ところが私は、文世を抱いた翌晩、平気で知子と交わり、さらに次の夜は妻を抱くことも予定している。しかも、それをさして後ろめたいとも思っていない。もしこの事実を文世が知ったら、もはや私とは二度と夜をともにしなくなるだろう。
しかし、妻も知子も、私によって女の歓びを知った。長い間、私以外の男を知らない。今更、文世への心中立てで、二人からその歓びを取り上げることなぞ出来はしない。それでは片手落ちになるではないか。それとも、片手落ちにすることこそが、愛の純粋さを保ちうる唯一の方法なのだろうか。
十二月三十一日
昼前、知子と駿吉を新宿駅まで送って行く。混雑を予想して発車三十分前にホームに上がったが、一時発の館山行きの急行は意外に空いていて、窓際の席をとることができた。売店で菓子類を買って渡すと、「パパも行かなくてはいやだ」と駿吉がだだをこねた。ちょっと辛い気持ちになる。
「お正月はどこかの民宿へ行きたい」と知子が言い出したとき、私が一も二もなく賛成したのは、昨年、家族と正月をすごしながら知子母子のことが絶えず気になって落ち着かなかったからだ。狭いアパートの部屋で、訪れる年始の客もなく、ひっそりと三ガ日を送っている母子を思うと、不愍(ふびん)でならなかった。知子の選んだ館山の民宿がどんな待遇をしてくれるのか、むろん判らない。が、アバートにいるよりも気がまぎれるのは確かだろう。
三時すぎに鎌倉の家に帰ると、準と章が珍しく庭掃除をしていた。妻に金が一銭もないことを告げた。
「そんなことだろうと思っていたわ。私のへそくりを出しておくから、ちゃんと返してよ」
おせち料理を作る手を休めずに妻が答えた。正直、吻(ほっ)とする。
文世を識(し)った今年は、私の生涯で最も記念すべき年と言える。去年までは、半生を振り返るたびに、真ッ先に数え十五歳の夏のことが思い出された。その年に、私は真紀子をはじめて異性として意識し、はじめて接吻した。そして大きくなったら結婚しようと指切りした。十年後にその約束を履行し、それから丸二十年たった今年、文世を知った。恐らくこれが私の最後の恋になるだろう。初めての恋と最後の恋。その間にかかわりを持った女は二十人近いが、結局はそのとき限りの彩りにすぎなかった。知子にしたところでも、もし駿吉が出来ていなかったら、とっくに過去の女の一人になっていたろう。
文世との間が今後どんなふうになるか、私自身、予測がつかない。出来れば一緒に暮らしたいが、そうするには、さまざまた難関を越えなければならない。
まず、離婚。だが、何の落度もない妻と離婚するなぞ、殆ど至難である。よしんば妻が同意したとしても、知子のことはどうするか、駿吉の養育は――。
文世にしたところで、果たして私との結婚を望んでいるかどうか、すこぶる疑問である。それに一緒になれば、どんな女も結局は同じなのではないか、という思いもある。いまは人目を忍ぶ不倫の仲だから恋情も烈しいが、女房にしてしまえばその熱も冷え、やがては散文的な日常生活の中に埋没してしまうのではあるまいか。それに周囲のケースを見ても、離婚が結婚よりも数倍のエネルギーを必要とすることだけは確かである。文世の父親のように蒸発してしまえば簡単かも知れないが……。
紅白歌合戦を見たあと、竜口寺(りゅうこうじ)の打ち出す除夜の鐘の音を聞きながら、親子そろって年越しそばを食べる。午前二時すぎ、章は近所の友人と鶴岡八幡宮へ初詣でに出かけ、つづいて準も、車で迎えにきた友人とドライブヘ出かけた。夫婦二人きりの大晦日。
「何だか寂しくて、大晦日という感じがしないわ」
「そのかわり、今夜は思い切り声を出せるぞ」
「ばか」
妻が充ち足りた顔を私の胸に埋めたのは、そろそろ元日の朝が明ける頃であった。

【九】

一月三日
元旦から三日間、一歩も外へ出なかった。勤めを辞めて足掛け六年になるが、丸三日も家にいて、妻の話し相手をつとめたのは、はじめてであった。
正月は中年男をも感傷的にするらしい。はじめはとりとめのない思い出話をしていたのだが、夫婦で経てきた歳月をたぐっているうちに、久し振りに心がぴたりと寄り添った感じを覚え、その一体感に半ばうながされて、ついつい私は文世のことを打ち明けてしまった。
元々私には露悪趣味なところがある。本来なら隠しておくべき情事さえ自分からぶちまけてしまったことが何度かある。一つには白状することで肩の荷を軽くしたかった。どうせバレるなら、すすんで自白したほうが情状酌量して貰えるだろうという計算もあった。事実、妻はあまり咎め立てなかったし、追求もしなかった。しかし、文世のことを打ち明ける気になったのは、そうした謝罪をねらったためではない。妻なら、文世に対する私の恋情を誰よりも理解してくれるのではないか、と思ったからである。
私は、自分の好きなものは妻も必ず好きになってくれるという奇妙な確信を持っている。いつの頃からそうなったかは、はっきりしないが、妻は何事についても私の好みに異を唱えたことが殆どない。
文学・音楽・絵画などの芸術作品は勿論、映画、演劇、歌謡曲などについても私が好きなものは妻もきまって好きだと言い、食物の嗜好も、対人関係にしても、夫婦の意見が喰い違うことは滅多にない。テレビタレントや流行歌手の品定めをするときでも、「この娘、いいね」と私が言えば、「私も好きよ」と妻もすかさず相槌(あいづち)を打つ。はじめは迎合しているのかと思ったが、度重なるうちに妻の相槌が心からのものであることが判り、すると私は、自分の好きなものは妻も好きになることをさして不思議に思わなくなった。
二十年も一緒にいれば夫婦の好みは多かれ少なかれ一致するようになるのが当然かも知れない。まして私たち夫婦は同い齢だし、ほぼ同じようた環境に育っている。しかし、それにしても、女に対する好みまで一致するのはどうしてなのか。たとえば電車の中で、「ほら、あすこに立っている娘、いいわねえ」と妻が囁くのは、間違いなく私好みの容姿の持ち主であった。
私は、文世の素顔の美しさを克明に語り、その気立てのやさしさを口をきわめて褒めたたえた。語りながら、京都で撮った文世の写真を見せてやりたい誘惑に何度もかられた。写真を見せれば、言葉を費やさずに妻の同感をすぐにも得られるはずであった。
「そのうち、お前にも紹介するよ。きっとお前も気に入ると思うな」
「そんなにいい娘なら、私も会ってみたいわ、うちに呼べばよかったわね」
だが、さすがに私も、すでに肉体関係があることだけは口にできなかった。それまで白状してしまったら、いくら妻でも、「よかったわね、理想の女性にめぐり逢えて」と素直に喜んではくれなかったろう。
「それに彼女、まだ処女らしいんだ」
「まさか。二十五でしょう、その点はどうかしら」
「いや、彼女の口ぶりから、男を知らないことが感じられるんだ」
「あなた、口説いてみなかったの?」
「いくら口説いたって、二十五まで処女を守ってきた女が、妻子持ちの俺に許すわけがないじゃないか」
「案外、もろいかも知れないわよ」
「あの娘にだけは手をつけたくないんだ。眺めているだけでいいんだよ」
「およそあなたらしくないわね。そんなこと言ってると、誰かにさらわれちゃうわよ」
「もしあの娘と恋に落ちたら、俺はお前や子供たちを抛り出して、駆け落ちしてしまうかも知れないぞ。そうなってもいいのか」
「さあ、あなたに出来るかな」
妻は相変わらずおだやかに笑っていた。肝腎な点をぼかしたのだから当然かも知れないが、なめられているようで小癪にさわる。それに中途半端な告白は妻を二重に裏切っていた。もの言えば唇寒し、とはこのことか。
一月四日
午後、知子のアバートヘ行く。一昨夜千葉から戻った知子は、三日間の出来事を堰を切ったように喋り出した。館山の民宿は想像以上に食事がひどく、暖房も炬燵一つで風邪を引きそうになったという。
「私は辛抱出来ないこともなかったけど、チビが可哀想なので、二日目は鴨川へ行って旅館に泊まったの」
「よく部屋があったな」
「駅前のタクシーに頼んだら小綺麗な家に案内してくれたの。とってもサービスのいい家で、女中さんたちもチビを可愛がってくれたわ」
正月早々、幼い子供を連れた女客を、かげで宿の女中たちがあれこれ噂し合っている情景が脳裏に浮かんだ。駿吉を可愛がってくれたというのも、ひょっとしたら母子心中をおそれたからではなかったのか。
夕方、仕事部屋に現われた文世は、新しい濃紫のスーツ姿。日頃忘れていた優雅という言葉が胸に浮かぶ。力一杯抱き締めて唇をを吸う。「お会いしたかった」と、文世は目を潤ませ、私も目頭が熱くなった。
羽田へ向かうタクシーの中で聞くと、母親が風邪を引いたので湯河原行きは中止し、文世も三ガ日ずっと家にいたらしい。
「鹿児島の彼は?」
「それが全然連絡がないんです。今年も仕事が忙しくて上京できなかったんだと思います」
「がっかりした?」
「いいえ、かえってよかったと思ってます。それより私、プロポーズされました」
「プロポーズ? 誰に?」
「井口さん」
新宿ではじめて食事をともにした夜、お茶漬け屋で会ったデータマンである。大晦日の午後、井口から突然電話があり、新宿で会ったところ、いきなり結婚を申し込まれたというのである。
「前から何か意思表示があったの?」
「好きだとは言われていたのですが、まさか結婚を……。私、あの人をずっと避けていたんです」
「よく判らないな。説明してくれ」
「あとでお話しします」
運転手の耳が気になるようであった。
混雑する国際線ロビーの隅で高梨を見つけ、手をあげて近づくと、
「わざわざ来てくれなくてもよかったのに」
照れた笑いを浮かべ、文世に向かって、「どうも有難うございます」と、馬鹿丁寧なお辞儀をした。
「感謝するのはこっちさ。お前の見送りを口実に家を出てきたんだから」
「そんなことだろうと思ったよ。もういいから二人で早くどこかへ行けよ」
「言われなくても消えるさ」
文世からちょっとはなれた処に高梨を連れて行き、
「どうだ、今夜の彼女、どう見たって深窓の令嬢――そう思わないか」
「お前、見せびらかしに連れてきたのか」
「ご名答」
「ぶん殴るぞ」
暮れに泊まった原宿の旅館に行くと、この前と同じ女中が出てきて、おめでとうございます、と挨拶した。連込み旅館の女中に新年の挨拶をされたのは、はじめてである。「今年もよろしく」とつい言ってしまった。
前と同じ『雲仙の間』でお茶を飲んでいると、ノックの音が聞こえ、女中がドアの隙間からガムを二個差し出した。
「お年玉よ、私の」
心憎い女中である。
――牀の中で文世から井口とのいきさつを聞く。取材記者になって間もない頃、文世は井口と一緒に日帰りの予定で高崎郊外へ仕事に出かけたが、目的の家を捜すのに手間取って終電車に間に合わなくなり、駅前の旅館に泊まる破目になった。むろん、別々の部屋をとったのだが、明け方、井口が文世の部屋に忍びこんで来て、力ずくで犯そうとした。必死に抵抗して跣足(はだし)のまま旅館を飛び出した文世は、並びの終夜営業のスナックで夜を明かし、その店で頒けてもらった古いズック靴をはいて東京に帰った。
翌日、記者をやめるつもりで「R企画」の事務所へ出かけると、入口のところで井口が待ち構えていた。身を翻すと、跡を追ってきた井口が、「どうか昨日のことは口外しないでくれ。もし記者仲間に知れたら週刊誌の世界で働けなくなる」と、その場に土下座せんばかりに哀願した。その姿があまりにも哀れだったので、文世は黙って頷いた。むろん、それからは極力、井口を避けてきたが、出先で偶然ほかの記者たちと一緒のとき、井口に話しかけられると、やっぱり受け応えしないわけにはいかなかった。黙殺すれば、かえって第三者に不審な目を向けられるからである。そんなことが三、四回重なると、井口は哀願したことなぞ忘れたように狎(な)れ狎れしい口をききはじめ、文世は改めて下唇を噛んだ。新宿のお茶漬け屋で会ったのは、ちょうどそんな矢先だった……。
聞き終えて、文世があの晩、店を出るまで黙りこくっていたわけがはじめてわかった。しかし、附に落ちないのは、井口の厚顔ぶりを知りながら大晦日になぜ呼び出しに応じたのか、という点である。応じなければならない弱味でもあるのだろうか。
「君は勿論、彼の申し込みを断わったんだろうね」
「はい。結婚を約束した人がいますからって……」
「で、彼はあっさり引きさがったの?」
「あの晩、私たちを見たときに、もう手遅れかも知れないと思ったそうです」
「すると、約束した人というのは僕のことだと彼は解釈したわけだね」
「そうかも知れません」
「はっきり僕のことだとは言わなかったの?」
「……」
「なぜ?」
文世はじっと私を見詰めた。私も瞼の裏に力をこめて見詰め返した。
――言ってもよかったんですか。
――僕は君と一緒になりたいんだ。
――本当ですか。
――まだ僕が信じられないの?
――信じたいんです。でも……。
私は目の会話を打ち切って文世を抱き寄せた。「結婚しよう」と口に出して言うことが出来なかった。それを口にする前に、まず、知子のことを告白しなければならないからだ。
もし、鹿児島の彼が上京してプロポーズしていたら、文世は一も二もなく彼に身を投じていたろう。森とのことも、まだはっきりしていない。いま知子の存在を告白したら、文世は反動的に他の男との結婚に踏み切るのではあるまいか。文世が私との関係をはっきり井口に語らなかったのも、私が信じられないというより、私との結婚を望んでいないからだろう。私はそう解釈した。そして、知子のことを白状するのはもう少し先にしようと自分に言いきかせた。
例によって存分に甘露をむさぼってから一つになったが、私が腰に力をこめるたびに文世の体は微かに痙攣した。三回目にしてはかなりの反応であった。
一月五日
夜、別館で『シリーズ人生』の原稿を書いていると、近くの小料理屋で息抜きしてきた玉木君が、夜食のお握りの包みを卓のはじに置きながら言った。
「いま、この店で園池君がデートしているのを見てきました」
咄嗟に、鹿児島の男と判った。
「へーえ、彼女も隅におけないな。相手はどんな男です?」
「背の高い、なかなかのハンサムですよ」
そう答えてから玉木君が呟いた。
「やっぱり彼女には恋人がいたんだなあ」
その呟きで推察どおり彼が文世に少なからぬ関心を持っていたことが判った。同時に、玉木君の耳には、私との噂が入っていないことも判って、吻とした。しかし、それにしても文世はなぜ、別館の近くの小料理屋で彼と逢ったのだろう。私が今夜別館で罐詰になっているのを文世は知っている。当然、担当の編集者たちが原稿の出来上がりを待つ間、行きつけのその店へ息抜きに行くことも判っているはずだ。文世は編集者の口から私に伝わることを計算して、わざと小料理屋を選んだのだろうか。
午前一時すぎ、文世から電話があった。私はいきなり言った。
「よかったね、彼が来てくれて」
「やっぱり玉木さんからお聞きになったんですね」
「凄いハンサムなんだってね。で、話はどうなったの?」
文世の返辞のかわりに、「もう一本つけてくれ」という酔客の声が伝わってきた。まだ小料理屋にいるらしい。別館から半町とはなれていないその店に、いますぐにも駆けつけたい衝動を覚えた。いつかも文世に言ったように、わが目で相手をしかと確かめたかった。
「まだ彼と一緒なんだね」
「はい。でも、もうそろそろ家に帰るつもりです」
「プロポーズされたの?」
「そんな雰囲気ではないんです」
声が弱々しかった。
「彼が言わないなら、なぜ、君のほうから切り出さないんだ。君は彼と結婚したいんだろ?」
「……」
「しっかりしなくちゃ駄目だぞ。一生の問題なんだから」
「あした、お目にかかってお話しします」
電話を切ったあと、もう二度と文世を抱くことは出来ないぞ、と自分に言い聞かせた。このとき、われながら不思議だったのは、さして狼狽も嫉妬も覚えなかったことである。所詮、いつかは別れなければならない女、諦めねばならぬ女と心の隅で思っていたからだろうか。
昨夜、文世は微かながらも反応を示した。ところが、それから丸一昼夜もしないうちに文世は彼と会った。文世はやはり彼が忘れられなかったのだ。
私がいま彼に対抗できる武器と言えば、一足先に彼女の肉体を得たことだけである。だが、それも果たして武器たりうるかどうか、疑問である。文世はまだ女の歓びをはっきり知らない。もっと夜を重ねてそれをしっかりと教えこみ、文世の体に私の癖がついてしまえば、あるいは強力な武器になるかも知れないが、その前に文世が彼に抱かれたら、恐らく文世は一足跳びに歓びを知り、その瞬間から私との交わりなぞ忘れてしまうだろう。女の歓びの度合いは、愛の濃淡によって大きく支配されるからだ。
――もっと早く止めを刺しておけばよかった。
――いや、処女をいただいたことだけでも、もって瞑(めい)すべしじゃないか。
原稿をそっちのけに、私は一時間あまりも自問自答をくり返した。
一月六日
午後遅く仕事部屋にやってきた文世が、外套を着たまま隅にペタリと坐ると、
「私ってよくよく不幸なんですね」
同時に涙をこぼした。
その肩を抱き寄せて、「ご免、僕が悪かった」と謝った。
処女でないことを知った彼が結婚を拒絶した――とっさにそう判断した。文世は私の胸に顔を埋めてかかなり長い間むせび泣いていたが、ようやく泣きやむと、
「もう、いいんです。終わったんです」
かすれた声で言い、羞しそうに目をしばたたいた。
昨夜、文世はやや遠まわしに結婚したい気持ちを告げたが、彼ははっきりした返辞を避け、暫くたってから不意に、「これからどこかへ泊まりに行こう」と誘ったというのである。
「私、自惚れていたんですね。女の私が言い出せば真剣に考えてくれると思ったのですが、あの人はやはり私を結婚対象とは考えていなかったんです。だから、泊まりに行こうと……」
しかし私は、彼を憎む気にはなれなかった。女からそれとなく求婚されれば、私だとて同じように誘っただろう。結婚したがっている女の体を求めてどこが悪い――男ならそう思うのが当然である。それに、もしかすると、それが彼の承諾の返事だったかも知れないのだ。照れ臭くて、まともに答えられず、そんなふうに表現したのではあるまいか。
「なぜ跟いていかなかったの?」
びっくりしたように文世が目をあけた。
「既成事実をつくってしまえば、彼だって責任をとってくれるはずだ。誘ったのは、彼にそういう気持ちがあったのじゃないかな」
「違います。あの人は私の体だけが……」
「それだっていいじゃないか。彼が好きなんだろ、好きな男がせっかく誘ってくれたのに、断わることはないと思うね。君にとっては、むしろ、絶好のチャンスじゃないか」
「本気でそうおっしゃるんですか」
「僕の気持ちは棚上げにして、だ。そりゃ本心を言えば、君を誰にも渡したくない。しかし、君が僕より彼を愛していることが、僕にはよく判るんだ。彼と結婚することが、君にとってはいちばん幸せになる道――僕は君が幸せになって貰いたいんだ」
われながら歯の浮くようなセリフだった。そんなセリフを口に出来たのも、昨夜は半ば諦めかけた文世が、いま間違いなくわが手許に戻ってきたという安堵感からだった。その点では泊りにに行こうと誘った彼を憎むどころか、感謝しなければならなかった。もし彼が井口のようにプロポーズしていたら、私はこんな暢気に、こんな気障なセリフを吐いてはいられなかったはずである。
「私、よく考えてみましたら、あの人と結婚したいという気持ちは、少女時代からの夢にすぎないことが判ったんです。本心から結婚を望んでいるのでしたら、昨夜黙って跟(つ)いて行っただろうと思います。誘われたとき、その夢が醒めました」
文世の言葉も矛盾にみちていた。それならなぜ部屋に入ってくるなり、わが身の不幸を嘆いたのか。文世は跟いて行きたかったに違いない。だが、跟いて行けば純潔でないことが知られてしまう。夢が醒めたのではなく、本当はそれが怕かったのだろう。
この夜、文世はじめて歓びを言葉にした。自ら肉体に溺れることで、心の傷をまぎらわせたかったのかも知れないが、それにしても、驚くほど素直だった。私の言うままに何度も体の位置をかえ、そしてしまいには、自分から私の下腹部に顔を埋めてきた。
一月七日
朝十時前、連れ立って仕事部屋を出る。寝不足の文世はもう少し牀の中にいたいらしかったが、私は知子がいつやってくるか判らないので気が気でなく、お天気がいいのを理由に、せき立てるように外へ連れ出した。
抜弁天前の喫茶店でコーヒーを飲んでいるとき、不意に文世が言い出した。
「お友だちに会ってくださいますか」
「会ってもいいけど、僕を何と言って紹介するの?」
「もう打ち明けてあるんです。ほら、いつかお話しした交通事故で一緒に命拾いした人、中学から大学までずっと一緒で、いちばんの親友なんです」
その緒方美代子に会ったのは、上野広小路の角にあるレストランの二階でだった。美代子は、背丈も肉づきも豊かで熟し切っている感じだった。
会う前に文世から、美代子には五年越しの恋人がいて、双方の親たちも早く一緒になることを望んでいると聞かされていたが、当の美代子は、「まだ当分いまのままでいるつもりなんです」
と、他人ごとのような口調だった。理由をたずねると、
「結婚生活って、それほど楽しそうでもないんですもの」
と薄笑いを浮かべて言い、
「それとも、楽しいものですか」
と訊き返した。明らかに刺を含んでいた。
「いまの僕には大変むずかしい質問だな」
正直に答えると、美代子は、そうでしょうね、というようにもう一度シニカルな笑いを見せた。
文世が化粧室へ立ったあと、私が所在なさに壁の油絵を見上げていると、「お願いがあるんです」美代子が改まった口調で言った。
「園っぺを不幸にしないでください。あの人は学校時代から何事にも目立つまい目立つまいとしているよな人だったんです。そばで見ていて歯がゆくなるくらい……、ですから園っぺにとっては、あなたとのことはよくよくの決心だったと思います。私、正直言って、反対しました。さっき、園っぺから電話であなたを紹介すると言われたときも、私、お目にかかったら、別れていただきたいとはっきり言おうと思ったくらいなんです」
私も美代子の目を見詰めて、はっきりと言った。
「この齢になって、僕ははじめて女に惚れたんです」
美代子は目をみはり、その目をあわててそらした。
会社に戻る美代子と別れて公園下まで歩き、京成電車で柴又へ行く。最近、柴又生まれの頭の弱い男を主人公にした正月映画が評判になっている。その看板を見たた文世が、「実際の柴又にはまだ行ったことがない」と言ったからだ。
私は電車の中で、小さい頃母のお伴でよく帝釈天にお詣りに行ったこと、茶店ではじめて田螺(たにし)を食べたこと、矢切りの渡しで向こう岸へ行き、国府台まで歩きながら土堤で土筆(つくし)を摘んだことなどを話した。話をしているうちに、小肥りの母が跼(しゃが)んで摘み草をしていると、二〇三高地と呼ばれた母の頭髪の上で小さな蝶が舞っていた光景が目に浮かんできた。土堤の上には私たちと同じようた幾組もの母子連れが、春の陽を浴びていた。父が外泊した翌日、「家にいるとくさくさする」と言って、母はよく末ッ子の私を連れて外出した。私が向島の百花園や堀切の菖蒲園を知ったのもそのおかげだった。
両側に土産物屋や飲食店が軒をつらねた柴又門前町のたたずまいは、古い記憶と少しも変わらず、殆どが老人の初詣で客にまじってその参道を進みながら、もしこの雑沓の中から不意に妻が現われたら俺はどうするだろう、と思った。
たしか小学校に上がったばかりの春であった。やはり母と一緒にこの参道を歩いていると、二、三軒先の腰掛茶屋から父が若い芸者と出てきたことがあった。父はその場に棒立ちになった。
「やっぱり、ここだったんですね」
母が睨みつけると、芸者はあわてて人波に逃げこみ、父もその跡を追おうとしたが、あなたッ、という母の叫びがその足を釘づけにした。その帰途、浅草の有名な天ぶら屋に寄ったあと、父は仲見世で母には鼈甲の櫛を、私には玩具の刀を買ってくれた。
最近、どこかへ行くたびに必ずと言っていいほど昔のことを思い出す。これも老化現象なのだろう。いくらか後ろめたさも手伝っている。若い文世を連れていることが、妻に対してばかりでなく、世間全体に何となく後ろめたいのだ。すれ違いざまに、じろっとした視線を向けられると、その目が「齢を考えろ」と言っているようにさえ思える。それでいて、文世と人込みを歩いてみたい誘惑をしりぞけることが出来ない。つまり、見せびらかしたいのだ。
昔、温泉地に行くと、明らかに芸者と判る粋な女連れの田舎紳士が必ずいた。大抵が襟にラッコの毛皮のついた外套を着て、金ぶちの眼鏡をかけていた。女のほうも殆どが髪をアップに結い、珊瑚玉の簪(かんざし)をさしていた。若い頃は、そんなカップルを見るたびに、肚の中で嘲笑したものだが、いまは若い女を連れてやに下がっていた田舎紳士の気持ちがうんざりするくらいよく判る。後ろめたさと見せびらかしたいこの気持ちのからみ合いこそ、中年の恋の味なのだろう。
境内をひと巡りしたあと、川甚の横を通って堤へ出る。川風が頬に痛い。七、八人の客を乗せた渡し舟がちょうど岸を離れたところで、鉛色の川面をゆっくりと渡って行った。振り向くと、五、六メートルはなれたところで、文世が川風に髪を乱したまま、ポケットに両手を突っこんで、じっと舟を見送っている。
「風邪を引くといけないから、戻ろう」
声をかけたが、まばたきもせず川を見詰めている。一昨日から昨夜にかけての出来事を思い返しているのだろうか。私に美代子を紹介したのも、昨夜積極的な行為を見せたのも、文世がはっきりと鹿児島の彼を思い切った証拠といえる。私もそれに応えて、何か具体的た証しを示さなくてはならない。今すぐ出来ることは、結婚しよう、と口に出してはっきり告げることである。しかし、どう考えても文世との結婚は現在のところ、実現不可能に近い。空手形だけは発行したくなかった。
夜、青山通りで食事を摂ってから、いつもの原宿の旅館に行くと、迎えに出た例の女中が、
「今夜は別のお部屋にしましょうね。変化があったほうが楽しいでしょう」
心得顔で案内してくれた『鬼怒川』という部屋は、寝室の天井が鏡張りになっていた。
「どうしてこんな処に鏡があるんですか」
女中が去ったあと、文世がそれを見上げて不思議そうに訊いた。
「判らない?」
「ええ」
「そのうち、いやでも判るようになるよ」
さすがに説明のしようがなかった。
――あの女中は気をきかせすぎる。
浴槽の中で苦笑していると、手拭いを胸からのれんのように垂らして、文世がそっと入ってきた。髪をまとめてアップにしたせいか、剥き出しになった顔がひと廻り大きくなったようで、日頃の印象とひどく違う。清楚さが消え、急に女っぽく、そしてちょっぴり淫らな感じさえした。
湯舟の中で白い体を抱き寄せ、繁みをさぐる。文世は目を閉じ、そろそろと私の体へ手を這わせてきたが、ものの一分もたたぬうちにその手を私の首に捲きつけ、「やめて」と言いながら全身を痙攣させはじめた。額から汗の玉が落ちるまで、私は文世の体をはなさなかった。妻を別にすれば、湯舟の中での愛撫は何年ぶりかであった。
一時間後、牀の中で一つになりながら文世の耳に囁いた。
「目をあけてごらん」
文世は首を振った。
「見たくないの?」
かえって目尻に皺が出来るほど強くつぶった。私が体の位置をかえることを促すと、「もっと電気を暗くして」と顫え声で言う。
「暗くしたら見えないじゃないか」
「……見なければ、いけないんですか」
私は仕方なく新しい悦楽を諦めたが、あとから思えば諦めてよかったようだ。もし鏡に映る自分たちの姿を目にしたら、私は自制することが出来なくなったに違いない。私は何よりも妊娠を恐れていた。文世だけは妊娠させてはならなかった。
これまで、どの女との場合も、妊娠したら堕させればいいとタカをくくり、予防措置を全く講じなかった。女のほうも予防具をいやがった。その結果、知子を除くどの女も、中絶後、いくばくもなく私から離れていった。別れるとき、人でなし! と罵(ののし)った女も何人かいた。一生憎しみ通してやると叫んだ女もいる。叫ばないまでも、きまって私の不誠実を責め、だまされたと言って女は泣いた。
私にはだました覚えなぞない。妻子があることは最初から隠さなかったし、結婚を約束したこともない。いつかは別れねばならない仲であることは、女たちも承知していたはずである。
しかし私は女たちの罵詈雑言(ばりぞうごん)を黙って甘受した。頭を垂れて、一言もないというポーズをとりながら、その実、肚の中では、やれやれこれでこの女とも別れられるかと吻としていた。妻子持ちの情事は、女が妊娠中絶すれば終わりになるのが一つのパターンになっている。女のほうも中絶後は急速に男への執着を失うようであった。
――もし文世が妊娠したら、俺は中絶してくれと言えるだろうか。
むしろ、逆に産ませたくなるのではなかろうか。しかし、駿吉がいるうえに、どうして文世にまで子供を産ませることが出来よう。妊娠だけは避けつづけなければならなかった。
一月八日
私の顔を見るなり知子が訊いた。
「部屋に戻った?」
「いや、まだだ。何かあったのか」
「ママが出て来ているかも知れないわよ」
「真紀子が? どうして?」
「ゆうべ、チビを連れて仕事部屋に泊まったの。そうしたら一時間おきに電話が鳴って……。うちにもずっと連絡しなかったんでしよ。今朝も七時頃から何回もかかってきたわ」
急いで仕事部屋に行ったが、鍵がかかっている。知子にかつがれたかと思いながら、すぐ家に電話すると準が出た。
「ママがそっちへ行ってるだろ!」
「いや、来てないよ。もっとも俺はいま外から帰ってきたばかりだけど」
「おかしいな。けさ九時の小田急で出かけたぜ」
「何か用事か」
「パパを心配してだよ。おとといの晩から、いくら電話をしても出ないんで、ひょっとしたらガス中毒にでもなっているんじゃないかと心配になったらしい。連絡しなくちゃ駄目じゃないか」
一言もなかった。九時の特急に乗ったとすれば十時半に仕事部屋に着いたはずである。部屋の鍵を持ってない妻は、なかに入れず、どこか近くで時間を潰してしるに違いない。あわてて部屋の中を点検した。ゆうべ部屋に泊まった知子が、ヘアピンでも落としていたら、間もなく戻っでくる妻にみつかってしまう。
妻から電話がかかってきたのは、ものの十分とたたぬうちであった。
「いま、どこにいるんだ」
「たった今、家に帰ってきたところよ。あなたこそ丸二日間もどこへ行ってたのよ」
「新年の麻雀大会が尾を引いてね」
「嘘ばっかり。あんな、知ちゃんと縒(よ)りを戻したんでしょ」
一瞬、絶句したが、
「知ちゃん? 一体何を言っているんだ。あの女とはもう何年も会っていないよ。郷里へ帰ったはずだぞ」
「駄目よ、とぼけても。私が行かないのをいいことに部屋に引きずりこんだりして。ちゃんと証拠があがっているんだから」
「お前こそ、カマをかけたって無駄だぞ」
「カマじゃありません。けさ、そこへ行って奥の部屋の人に聞いたら、三十五、六の女のひとが日曜たんびに掃除しにくると言ってたわよ。知ちゃんでしょ、留守に掃除をするなんて、あの女以外にないじゃない」
「違うよ」
「じゃ、誰よ、どこの女よ」
「近所の……未亡人だ」
いつか、保科君から聞いた話を思い出した。
「未亡人?」
「半年ほど前から親しくなってね、ときどき掃除を頼んでいるんだ。俺がよくお茶漬けを食べに行く並びのスナックで働いているんだ」
たしかにそのスナックは小粋な三十四、五の女が経営していたが、ときどきカウンターの中にいる髭をはやした男が年下の亭主とわかってからは、あまり行かなくなっていた。
「いい加減なことを言ってるわ。調べればすぐわかるんだから」
「嘘じゃない。二年ほど前に亭主を交通事故でなくしてね、三つになる女の児がいるんだ。向こうも浮気と割り切っているから、後腐れは全くない。むろん、向こうも俺が妻子持ちのことを百も承知さ。心配しなさんな」
「その女、部屋に泊まりにくるの?」
「いや、泊めたことは一度もない。俺も女の部屋へは行ったことがない。日曜は店が休みだから、掃除にきてくれるんだ」
「じゃあ、どこで……」
「判っているだろ、言わなくたって」
われながらよく嘘がつけたものである。保科君に感謝しなければなるまい。
「本当に知ちゃんじゃないのね」
「あの女とは本当にもう何年も会ってないよ」
「ともかく、すぐ帰って来てちょうだい」
「夕方、帰る」
「夕方? どうしてすぐ帰れないの?」
「四時に仕事の打ち合わせがあるんだ」
実は新宿で文世と会うことになっていた。けさ、旅館を出る前に文世が、「午後三時に森さんと会う約束がしてある」と言い出した。結婚についてはっきりした返事を迫られているという。
「まだ断わってなかったの?」
「ご免なさい」
「僕に謝ることはない。で、君はきょう、何て言うつもりだい?」
「むろん、きっぱりお断わりします」
「本当だね」
「はい」大きく頷いてから、「そのあとでもう一度、会ってくださいますか」と文世が言った。
「会うのはいいけど、なぜ?」
「もし森さんが納得してくれませんでしたら……」
「判った、そのとき僕に現われてほしいんだね」
「はい。でも、多分、わかってくれると思います。私、何もかも正直に言うつもりですから」
ちょうど今時分、文世は森に会っているはずであった。
再び知子のアパートに寄って、妻が出てきたことを告げると、
「やっぱり……。私がもう少し部屋でぐずぐずしていたら、鉢合わせするところだったわね」
吻とした表情を見せた。
「お前のこと、薄々勘づいているぞ」
「えッ、本当!?」
「何とかごまかしておいたが……とにかく、すぐ家に帰る」
「ね、お願い、私のことは絶対に白状しないでね。判ったら、いくらママだって今度は許してくれないわ」
「判っている」
そうは言ったものの、自信はなかった。妻の追及が執拗だったら、嘘をつくのがつい面倒臭くなって、一切合財ぶちまけてしまいたくなるかも知れない。
どうせいつまでも隠しおおせることではない。いっそこの際白状し、駿吉を引き取って知子ときっぱり別れようか。そうすれば、文世とも、もっと自由に会える。真紀子だって文世を見れば、とても太刀打ちできないと諦めるだろう。うまくゆけば、同棲を認めてくれるかも知れない。
だが、果たして妻は許してくれるだろうか。子供まであると知ったら、知子も言ったように今度こそ堪忍袋の緒を切って、離婚を言い出すのではあるまいか。もし離婚騒ぎにでもなったら、文世どころではなくなる。下手をすれば、妻も知子も文世もいっぺんに失う結果になるかも知れないのだ。
午後四時、歌舞伎町の喫茶店に行くと、いちばん奥のボックスに文世が一人で坐っていた。
「森君は?」
「十分ほど前に出て行きました」
「じゃ納得してくれたんだね」
「やっぱりそうだったのかと、あの人、急に泣き出して……」
文世もハンカチを目にあてた。好きな男と別れた直後だけに、森の男泣きが胸にこたえたのだろう。井口、鹿児島の彼、森――この一週間に文世は三人の男と交際を断わった。三人とも深い関係ではなかったにせよ、適齢期の娘として全く未練がないとは言いきれまい。たとえ結婚する気がないにせよ、自分に好意を持っている男を身辺に少しでもとどめておきたいのが女心だ。それが青春の華やぎだろう。もし私と肉体関係を結ばなければ、急いで三人の男たちを拒絶しなくてもよかったはずである。いわば私が文世から青春の特権を取り上げてしまったようなものだ。
「ひょっとすると僕も妻と別れることになるかも知れない」
ハンカチのかげから、おびえたようた目をのぞかせた。
「留守にうちのやつが東京に出てきたんだ。これから家に帰って外泊した弁解をしなければならないんだが、いっそのこと、君のことを白状してしまおうかと思っているんだ」
「やめてください」と文世が言った。「私、いまのままでいいんです」
「しかし、いずれは……」
「まだ奥さまには何もおっしゃらないでください。私、怕いんです」
「怕い?」
「父が家を出たあと、母は一年近く半病人だったんです」
「大丈夫だよ。うちのやつは神経がタフだから。それより君自身がまだ決心がつかないんだろ?」
「私の気持ちは今更申し上げなくても、わかっていただけると思います。でも、私にはよく判るんです。奥さまが津田さんを愛していらっしゃることが。津田さんにも本気で奥さまと別れる気がないことが――」
「やっぱり僕を信じていないんだね」
「では、奥さまが別れたいとおっしゃったらどうなさるんですか。結局は私が身を引くほかはないと思います。……どうか、いまのままにしておいてください」
正直、私は吻とした。