日々に証を[六の章]〜[終章] 印刷

【六の章】
 
 

 いつもは背中に廻ってすぐ服を脱がせにかかる知子が、その日に限って私の顔を見ても手を出そうとしなかった。表情も妙に強ばっていた。
「何かあったのか」
 知子が茶箪笥の抽斗(ひきだし)から紙切れを出してきた。四ツ切りにした藁半紙に鉛筆で、
〈あなたは二号さんですか〉
 と書いてあった。
「どうしたんだ、これ」
「けさ、郵便受けに入っていたの」
「――?」
「だれの仕業か、わかっているわ。向かいのアパートに棲んでいる横山さんという奥さんよ」
 その細君には私も二、三回顔を合わせ、黙礼したことがあった。四十前後の、口の大きな女だった。
「どうしてあの奥さんだとわかるんだ」
「この間から、お宅の旦那さんは何の商売をしているのとか、おいくつですかとか、うるさく訊くのよ」
「俺がここに出入りするのはいつも昼間だから好奇心を刺戟されたんだろ。それに齢のわりには子供が小さいから――」
「私、いい加減に答えておいたんだけど、どういうわけか私のことが気になるとみえて、このアパートの人たちにも私のことを何かと聞き廻っているらしいの」
 界隈には小さなアパートが多くて種々雑多な人が住んでいるが、新宿に近いせいか、明らかに水商売とわかる女性が特に目についた。髪を赤く染め、道路を掃くような長い原色のスカートをはいて、近所のスーパーマーケットヘ買い物に行く女たちと、私はよくすれ違った。そんな女たちにくらべたら、知子は最も目立たぬ存在のはずであった。気になるような存在ではないはずだった。しかし、私の言いつけを守って、知子は真夏でも和服を着ている。美容師だったので、髪もいつもきちんとしていた。それがかえって目を惹くのかも知れなかった。
「お前、あの奥さんの感情を害するようなことを何かしたんじゃないのか」
「横山さんとは碌(ろく)に口をきいたこともないのよ。顔があえば挨拶はするけど。だって、金棒引きで有名なんですもの」
「それがお高くとまっていると思われたのかも知れないぞ」
「口をききたくない人にも愛想をよくしろと言うの?」
「そんなことは言ってやしない。しかし……」
「しかし、何よ」
「穿(せん)さく好きの人間はどこにもいるし、人の口には戸が立てられないと言うからな」
「たしかに私は二号なんだから、何を言われたって仕方がないけど、もし、チビにヘンなことでも吹きこまれたら……」
「まさか、そんな心ないことはしないだろう、あの奥さんだって子供があるんだから」
「どうして世の中には余計なお節介をする人がいるのかしら。そのうちに私のほうから言ってやるわ、たしかに私は二号ですけど、二号じゃいけないんでしょうかって」
「ばか、抛っておけ」
唇をきゅっと結んで、紙切れを千切っている知子から目をそらしながら、私はいつか妻が言った言葉を思い出した。
――私と知ちゃんと逆になればよかったのね。あのひとは計画性があるし、家事も上手だから、あのひとと一緒になっていれば、今頃、貯金もかなりできて、あなたは安心して自分の書きたいものだけを書いていられたと思うの。
 知子は私にコーヒーを出すと、割烹着をかけてすぐ台所に立った。その後ろ姿を眺めて、
――あなたは二号さんですか。
 紙片の文句を私は胸のなかで呟いてみた。
 私の子供を産み、月々私から生活費を貰って、週に一度、私の訪れを待つ。間違いなく知子の生活は妾暮らしである。二号生活以外のなにものでもない。だが、私自身は知子を、自分の二号だとか自分の妾だとか思ったことは一度もなかった。
 男が女を囲うのは、殆どの場合、その女が気に入って自分だけの手活けの花にしたいからだろう。あるいは妻や家庭に不満を覚え、その不満を埋めたいと思うときだろう。その女によって、心や軀をみたされると思えばこそ、世間に隠れ、妻の目をかすめて面倒を見る気になるのだ。家庭の外にもう一軒家を持って、そこに気に入った女を住まわせることに、ひそかに己の能力を誇り、男としての満足感を覚える場合もあるだろう。
 しかし私の場合は、そのどれにも当てはまらなかった。
 第一に私は、妻にこれという不満を持っていなかった。妻は私の絶え間ない浮気に焼き餅を焼かず、底意地の悪い私の母に長い間よく辛抱して仕え、質屋通いも苦にしなかった。子供たちもまず順調に育ててくれた。私にはすぎた女房といえた。もし、妻と知子とどちらを取るかと言われたら、私はいささかのためらいもなく妻を選ぶ。
 前にも言ったが、妻を別にすれば、これまでに私が心底好きになったのは文世だけであった。一時は何もかも棄ててこの娘と一緒になりたいとまでのぼせ上がった。しかし、よくよく自分を問いつめた末、やっぱり俺は妻と別れられない、という結論に達した。だから私は、去って行った文世の跡を追わなかった。文世に求めていたものが結婚ではないことを私は知った、それこそ手活けの花にしたかったのだ。彼女もそれに気づいたから去って行ったに違いなかった。
 妻への愛と文世への愛とは、あくまでも別であった。愛の形が違っていた。妻への愛情には、夫として、男としての愛情に、骨肉愛、肉親愛のようなものが多分に混っていた。恐らくこれは長い夫婦生活をへてきた男なら、誰しもが感じるものなのだろうが、私の場合は、妻が幼馴染みだったので尚更であった。と言って妻に女を感じないわけではなかった。男としての欲望を覚え、充分な性愛をわかち合うことができた。肉親愛と性愛が矛盾することなく、ないまざっていた。
 むろん、文世への愛情には肉親愛なぞ、ひとかけらもなかった。飽くまでも男と女だった。だがその愛は、性愛ともまたどこか違っていた。文世の顔を見ているだけで、文世がそばにいるだけで、満ち足りた気持ちになることがしばしばあった。愛というよりは恋に近かったのだろうか。いや、恋そのものだったのかも知れない。
 知子に対する私の気持ちは、妻への愛とも文世への愛とも違っていた。恋でも性愛でも骨肉の愛でもなかった。私が常に知子に感じるのは、ひとことで言えば哀れさであった。不愍(ふびん)さだった。
自己愛の強い私は、文世に逢うまで、いつも自分が愛されている存在でなければ気が済まなかった。幾人もの女が私に好意を寄せてくれたが、結局、私を愛し切れずに去って行った。そのなかで知子だけが、多少の押しつけがましさはあったにせよ、終始、私に愛を注いでくれた。私からどんなにすげない仕打ちをされても、私を待ちつづけた。
 はじめの頃、私はその愛情に胡坐(あぐら)をかいて、自分の気が向いたときだけしか相手をしてやらなかった。しかし、知子のほうは、いついかなるときでも、全身で私を迎えた。牀(とこ)の中ではずかしそうに、「あなたの顔を見ただけで……」と囁いたこともあった。羞恥から省略したそのあとの言葉は、私にも容易に想像できた。私によって間違いなく開花した知子が、私との束の間の逢瀬を唯一の生き甲斐にしていることを、私はいやでも感じないわけにはいかなかった。
 それでも私は知子に対してなかなか心を開かなかった。他の女と同じように、いつかはこの女も報われぬ愛に疲れて、自分から身を退くだろうと思っていた。
 余丁町に仕事部屋をもうけて半年ほどたった土曜日の午後、家に帰る支度をすませて靴をはき、「それじゃ」と言って振り返ったとき、框近くにきちんと坐って見上げてきた知子に、私は不意に強い欲望を覚えた。その日、私より一足おくれて戸塚のアパートに戻ることになっていた知子は、よそ行きの着物に着替えたばかりだった。
 私は右手にボストンバッグをぶら下げたまま、坐っている知子の顔を見おろした。
「どうなさったの?」
知子が心持ち眉を寄せて訊いたが、私は何も言わずにその目を見つめつづけた。
――いま俺が何を求めているか、わかるか。
 知子はハッとしたように顔を伏せたが、すぐ顔を起こすと同時に両膝をついて背を伸ばし、掬(すく)い上げるように私を見てから、両手の指をゆっくりズボンの前に這わせてきた。
 少したって私は腰を引き、知子の口から軀をはなすと、また彼女を見おろした。顔を上気させた知子が私の目を受けとめ、潤んでいる目で、今度はどうするの、と言うように問いかけてきた。
 私はまだ黙っていた。五、六秒たったろうか、知子は両手を着物の襟にかけると、帯から思いきり引き抜いて左右にひろげた。そして露わになった双の乳房を己れの両掌で持ち添えた。
 二日後の月曜日、仕事部屋のドアをあけると、
「私もいま来たばかりなの」
 そう言いながら框に出てきた知子が膝をついた。帯を解いていたらしく、背負い揚げのはじが胸に垂れていた。ボストンバッグを知子に手渡したものの、私はすぐ靴をぬがず、狭い三和土(たたき)に突っ立っていた。
「ちょっと待って、背負い揚げだけ取るから」
 部屋の隅へ引っこもうとする知子の肩を押えて、ダメだ、待たない、と私は目で言った。知子が私を取り出して、土曜日と同じように唇を寄せてきたとき、その頤(おとがい)に手をかけて私は首を小さく振った。私を両掌に包んだまま知子が見上げてきた。私は顎をしゃくった。知子がのろのろと体の向きをかえ、畳に両手をついて四つん這いになった。その腰を覆っている帯を私は思いきり刎ね上げた。帯の先が弧を描いて知子の髪にかぶさった。知子が畳についた膝頭をずらして脚を左右にひろげた。裾からこぼれた二つの白い足袋裏の皺が、足指に罩(こ)めた力を示していた。
 私のなかから欲望が消え、同時にずうンと何かが胸にこみ上げてきた。知子を後ろから抱き起こすと、幼な児がイヤイヤをするように額を私の胸に揉みこんできた。その耳許で囁いた。
「お前には、負けたよ」
 この女とは一生手がきれないなと私が思ったのは、そのときであった。知子の持つ女の哀しみが胸の奥底まで沁み渡り、病院の殺風景な予備室のベツドで、私の名をくり返し呼んだ知子の消え入りそうな声も耳底からよみがえった。それから半年後に根負けした形で私が出産を認めたのも、このときの胸に沁みわたった不愍さが因になっていたのかも知れない。
「チビ、遅いな。また天神さまで遊んでいるのかな」
 台所の知子に声をかけると、菜箸(さいばし)を持ったまま振り返って、
「この頃はもっと遠くまで遊びに行くらしいの。お昼を食べると夕方まで帰ってこないことがあるのよ。あなたからも、あんまり遠っ走りしないようによく言ってちょうだい」
「しようのない小僧だな。きょうは俺がくることを知っているんだろ」
「ええ、朝から、きょうはパパとお風呂に行く日だねと、何回も自分で言ってたのよ」
 私は台所へ立って行き、
「何を煮ているんだ?」
 知子の肩越しに鍋のなかを覗きこんだ。
「また、がんもどきか」
「だって、いちばんの好物なんでしょ」
 煮物の匂いにまじって、知子の首筋から甘酸っぱい体臭が鼻を摶(う)った。嗅ぎ馴れて、もうとっくに刺戟を失っているはずなのに、ふと私の官能を疼(うず)かせた。
「あ、やめて」
 知子が腰をひねって私の掌を払った。
「もう煮えてるんだろ、一つくれよ」
「まだよ、もう少し。やめてったら」
 肩に廻した手も払い、
「窓があいてんのよ」
 菜箸の尖を私へ向けた。
「誰も見てやしないよ」
「横山さんが見ているかも知れないわ。ね、向こうへ行ってて。こんな処をみられたら、真ッ昼間からあんなことをしているんだからやっぱり二号だって……」
不意に知子はカン高い笑い声をあげた。

 

 駿吉は息子たちから、「くっつき屋」と呼ばれていた。そばにいる者にすぐ軀をくっつけるからだ。
私が坐っていると、背中にかぶさったり、肩に寄りかかったりするばかりでなく、炬燵や蒲団のなかでは必ず足をくっつけてきて、こちらが足を引っこめると、爪先をわざわざ伸ばして追いかけてくる。
 外を歩くときも繋いだ手をなかなか放さず、荷物で私の手がふさがっているときは、服の裾をしっかり握る。「歩きにくいよ」と、いくら言っても放そうとしなかった。
 赤ん坊の頃、電車やバスで隣りの乗客があやすと、駿吉は声を立てて笑い、
「こんな愛想のいい坊や、みたことないわ。ちょっと抱かせてちょうだい」
 と、中年の女から言われたことさえあった。
 知子が銭湯に出かけたあと、私が寝間着に着替えると、
「パパ、一緒にテレビ見よう」
 早速、駿吉が軀をくっつけてきた。仕方なく同じ蒲団に入ると、私の腿(もも)に足先を載せ、私の左腕を両手で抱えこんだ。そんな駿吉がときにはたまらなく愛しく、ときにはたまらなく鬱陶しい。
 長男や次男は幼い頃から私にまつわりつかなかったし、私自身、父の軀に直接ふれた記憶がなかった。
鼻下に髭をたくわえていた父は滅多に笑顔を見せず、夕方、玄関の戸が勢いよくあいて珍しく父がしらふで帰宅したことがわかると、たちまち茶の間の空気が一変して、私は姉たちとともに大急ぎで二階の子供部屋へ避難した。私には父にも可愛がられたという記憶が殆どない。わずかに父に親しみを感じたのは、私が中学の受験に合格したことを告げたときで、すでに半身不随だった父は廊下の安楽椅子に横たわったまま、泣き笑いめいた表情で五、六回まばたきをくり返した。
 私が九歳のとき、姉たちのなかでいちばん器量よしだった三番目の姉が睡眠薬自殺を遂げた。早朝、物干台で昏睡しているところを兄がみつけ、すぐ近くの医院に担ぎこんだが、翌日の夜、絶命した。十八歳で失恋自殺したこの姉のことを母は後年、
「伸子は人なつっこくて、小さいときから誰にでも可愛がられた子だったよ。私もあの子がいちばん好きだった。親に縁が薄い子はどこか違うんだねえ」
 と述懐した。
 私の三人の子供たちのなかで、親に縁が薄い子といえば、やはり、いちばん下の駿吉だろう。齢をとってから出来た子は可愛い、と言うのも、その子の成長を見届けてやれない不愍さが先に立つからに違いない。駿吉は私が四十三歳のときの子だから、齢をとってからと言うほどではないかも知れないが、三十歳までにできた長男や次男の幼年時代に向けた私の気持ちと、駿吉へ向けるそれとが違っていることは確かだった。ひと口で言えば私は駿吉を溺愛している。むろん、それには、駿吉に背負わせてしまったハンディキャップヘの後ろめたさも含まれていたが、何よりも私が幼いものを慈しむようになったのは、齢をとったからに違いなかった。
 しかし、それでいて私は、駿吉が成人するまで何とか生きていてやろうとは思っていない。むしろ、適当な時期に死にたいと思っていた。老後の保障のない筆一本の生活を自分で選んだ私は、なまじ体ばかり丈夫で何も書けない無能な老人――子供たちのお荷物になることだけは避けねばならなかった。
 ナイター中継が終わると同時に駿吉が欠伸(あくび)をした。知子が出かけてから小一時間たっていた。
「ママ、随分おそいな」
 腿のうえの小さな駿吉の足指を軽く握って話しかけたとき、階下でドアの開く音がした。
「あ、やっと帰ってきたらしいぞ」
「違うよ」
「違う? だって今、ドアが開いたよ」
「おとなり」
 確かに階段を登ってくるはずの跫(あし)音がせず、それまで静かだった隣りから壁越しに話し声が聞こえてきた。
 隣室には新宿の小料理屋に勤めている三十七、八のちょいと小粋な女が、どう見ても三十そこそこの背の高い男と暮らしていた。男は定職がないらしく、部屋にいるときは一日中テレビをつけっ放しで、特に音量が高くなるのは競馬中継に決まっていた。壁が薄いのでテレビの音ばかりでなく、夜中にそれとわかる呻(うめ)き声が断続的に洩れてきて、私をついその気にさせたり、明け方、罵り合う声に駿吉までが目を醒ませられたりした。そんな日の午後には、「とんだお騒がせをして」という口上とともに林檎が三つばかり届けられた。 知子の話だと、女は小学生の男の子を夫の許に残して長野から駆け落ちしてきたそうで、そのせいか駿吉を可愛がってよくお菓子をくれるらしかった。
 知子が風呂から戻ってきたのは、寝入った駿吉を抱えて隣りの牀へ移したばかりのときであった。
「ばかにゆっくりだったな」
 襖越しに声をかけると、
「眠ったの?」
 知子が隙間から目だけ覗かせた。
「たった今」
「髪を洗ってきたの。コーヒー、召し上がりますか」
「ああ、飲む」
「沸いたら、そっちへ持って行くわ」
 私は蒲団に入り直してテレビドラマの続きを見ていたが、知子はなかなかコーヒーを運んでこなかった。
「おい、まだか」
 テレビの音量を下げると、トイレの水音が聞こえた。
 ようやく襖があいて、お盆を捧げて入ってきた知子が枕許に坐りながら言った。
「お風呂に行ってきて、よかった」
「どうして」
 少し間を置いて、
「いま、はじまっちゃったの」
 昼間、台所で嗅いだ体臭や、カン高い笑い声を思い出した。
「二、三日遅れていたんで、ちょっと心配だったの」
 知子は浴衣に半纏をはおり、その肩に湯上がりタオルを掛けていた。タオルの上に垂らした洗い髪が、電燈に艶やかな光を放った。私は妻にも知子にも、髪を短くしたり、縮らしたりすることを禁じていた。夏になると妻は鬱陶しがってこっそり先を切っているようだったが、知子は私の言いつけを忠実に守って背中のなかほどまで届く髪を、昼間はきちんと後ろでまるめていた。
 枕を二つ重ねて胸にかうと、目の高さに知子の伊達締めがあった。見慣れているはずのその赤い横縞に目を惹かれたのは、今の知子の言葉で欲望を封じられたせいかも知れなかった。伊達締めは三、四年前、雑誌の仕事で博多へ行ったときの土産で、妻へ渡したのは知子のものより縞目が細かった。
「お気の毒さまだな」
 コーヒーをひと口啜ってから私がそう言ったのは、むしろ、自分自身に対してだったが、
「ほんと」
 知子は素直に頷き、
「でも吻(ほつ)としたわ。もし妊娠だったらどうしようかと思っていたの」
「出来やしないよ、もう」
「まだわからないわよ」
 駿吉を産んだ後、知子はもう一回中絶していた。可能性は充分あった。そのくせ、いざとなると私の軀を最後まで放したがらなかった。
「何よ、思い出し笑いなんかして」
「三人とも駄目なときがあったからさ」
「三人とも?」
 口ヘ運びかけたカップをとめて知子が訊き返した。
「家に帰ったらママははじまったばかり、ここに来たらお前はまだ終わっていなくて、文世……あの娘も同じだったことがあるんだ」
「へーえ、そんなことがあったの。それで、どうしたの?」
「どうしもしない。いつもの倍も仕事をしただけさ」
 今度は知子が薄笑いを浮かべて訊いた。
「あなた、いまでも文世さんを抱きたいと思う?」
「ああ、抱きたい。あんないい娘は二度と現われないだろうな」
「あのとき、私が死んでいればよかったのね。そうすれば、あのひとと一緒になれたのね」
「誰だい、死なないでよかったと言ったのは」
「だって」知子が急いでコーヒーを飲み干した。
 半纏をぬいで駿吉の隣りにそっと横たわった知子を、
――こっちへおいで、
 と目で招き、
「抱くだけ、抱いてやるよ」
 私が囁くと、
「いいの。かえって、辛くなるから」
 枕の上で小さく首を振った。が、一分もしないうちに知子は自分から身をすり寄せてきた。頸の下に腕を差し入れると、濡れている髪がひやりとした。
「お風呂でね、横山さんの奥さんに会ったの。いつもはすぐ話しかけてくるのに、きょうはわざとはなれたカランの前に坐って……やっぱり、あのひとの仕業よ。間違いないわ」
「もう、いいじゃないか。気にするな」
「私、体を洗いながらだんだん腹が立ってきて……だって気がついたらあの奥さん、鏡越しに私の体をじろじろ見ているんですもの。どこかへ越したいわ。チビもこんな狭いところじゃ可哀想だもの。ねえ、椎名町の仕事部屋のそばにいいアパートないの?」
「ばか言うな。ママがそんなことを許すわけないじゃないか。それに今の俺の収入じゃとても無理だ。我慢しろよ」
 背中を撫でてやると、知子がそおっと足先を重ねてきた。
「不経済だと思わない? 毎月、三軒の家賃を払うだけでも」
「そりゃ思うさ。しかし、仕方がないだろ。ママの一種の安心料なんだから」
「仕事部屋とここの家賃を合わせれば、小さな家なら一軒借りられると思うの。そうすればあなたも毎日外食しなくてすむし、チビだってあなたと毎日いられて喜ぶわ」
「チビが一緒じゃ仕事にならない」
「一軒借りれば、準ちゃんだって遅くなったとき、泊まっていかれるでしょ」
「ママはどうするんだ、みんな東京に来てしまったら……」
「章ちゃんがいるじゃない」
「あいつだって、いずれ東京の大学に入る。いちばん経済的なのは……お前たちが鎌倉へきて一緒に住むことさ。むろん出来ない相談だが」
「それこそ、ママが許すわけがないわ」
「お前はどうなんだ?」
 知子は黙っていた。
「もう寝よう。おい、チビが蒲団をはいでいるぞ」
 駿吉に蒲団を掛け直した知子が、もう一度身をすり寄せてくると、私の軀をさぐりにきた。私は腰を引いて、さっきの知子の口真似をした。
「いいの、かえって、辛くなるから」
 知子の掌が私の腰を軽く打った。

 三

 私の髪を刈りながら知子が言った。
「お前たちが苦労をかけるからだ」
「すぐ人のせいにする。もう齢なのよ。でも禿げるよりいいわ」
 美容師だっただけに鏡に映っている知子の手さばきは、やはり素人ばなれしていた。指の間に挾んだ髪先を、鋏でさっとカットする手つきは、いつみても鮮やかだった。
「あんまり短くするなよ」
「わかってます。でも、お正月が近いんだから、いつもより短めにしたほうがいいんじゃない。大丈夫、白髪が目立たないようにするわよ」
 白髪が急にふえたのは三、四年前からだった。私は三十代の終わりまで、実際の齢より四つ五つ若く見られていた。だから、白髪がぼつぼつまじってきたときは、これで齢相応になったと思い、鏡の前で横髪を撫でながら、
「どうだ、ちょっと風格がでてきたろう」
 妻にそんな冗談を言ったが、それから一年もたたないうちに、髪の毛ばかりではなくなってしまい、妻や知子に、「お前たちのせいだぞ」と半分本音でぼやいたりした。
「早くしてくれ、寒くなった」
 急に陽が翳って、部屋のなかが薄暗くなった。私はシャツとパンツの上に、知子の古い割烹着をつけているだけであった。知子が電燈をつけ、腰をおとして裾刈りをはじめたとき、電話が鳴った。
「きっとママからよ」
 手をとめて鏡越しに私の顔を窺った。
「お前、出てくれ」
「いやよ」
「ばか、いま俺が立ち上がったら、そこらじゅう毛だらけになっちゃうじゃないか」
 櫛と鋏を投げ出すように置いて受話器をとった知子が、少しの間それを耳にあててから黙って私に差し出した。
「誰?」
「ママにきまっているじゃない」
 知子が割烹着に付いた毛を払い落とすのを待ってから受話器を耳にあてると、いきなり噛みつくような妻の声が飛んできた。
「何をしているのッ、どうしてすぐ出ないのよッ」
 思わず私は呶鳴り返した。
「髪を刈って貰ってたんだ。すぐ出られるかッ」
 妻は黙った。呼吸をととのえているようであった。「床屋代、ばかにならないんでしょ、知ちゃんにやって貰ったら」そう言って知子に散髪してもらうことをすすめたのは、妻であった。
「何か用か」くしゃみが出そうになって、私はあわてて口を押えた。知子が肩にカーディガンをかけてくれた。
「そう、散髪して貰っているの」妻は呟くように言ってから、「じゃあ、遅くなるわね、まあ、せいぜい、ごゆっくり」皮肉たっぷりな口調になった。
「それだけか、そんなことを言うために電話をかけてきたのか」
「違うわよ、晩ご飯どうするのかと思って」
「帰って食べることは、わかっているはずだ」
「だってもう四時よ。いつもはとっくに連絡してくれるじゃない。今夜は準も章もバイトで遅くなるんですって」
「だから、どうなんだ。いい齢をして独りじゃ寂しいとでも言うのか。いい加減にしろ」
「呶鳴らないでよ、知ちゃんのいる処で。あんたがそんな態度を見せるから、そのひとがいい気になるんじゃない」
 妻はもう涙声になっていた。
「用がなければ、もう切るぞ」
「待って。駿ちゃんは?」
「外で遊んでいる」
「ね、きょう帰るとき、連れてこない? ここんとこ、ずっと逢ってないわ。あしたは準も章も一日中うちにいるそうだし……知ちゃん、いやがるかしら」
天気がよければ海岸で砂遊びをさせても、それほど寒くはないだろう。私も連れて行ってやりたかった。
「帰ってきたら訊いてみる」
「もし、連れてくるんだったら、乗る前に連絡して下さいね。駿ちゃんの好きなハンバーグを大急ぎで作らなくちゃならないから」
 電話を切ると、知子が鋏や剃刀を片づけはじめていた。
「どうしたんだ」
「早く帰りなさいよ。裾刈りは来週にするわ。そのままでもおかしくないから」
「冗談じゃない。ちゃんと終わりまでやってくれ」
 知子は仕方なさそうに鋏を動かしはじめたが、
「だから、イヤなのよ」
 声をつまらせ、櫛を握った左手を私の肩に置いた。その手が顫えていた。
「何がイヤなんだ」
「電話に出るのがよ。いきなり、パパはどうしたの、まだそこにいるなら出してちょうだいって、呶鳴りつけるんだもの」
「いいから早く頭をやってくれ」
「一分でもこっちに置いておきたくないのね。一週間に一日じゃない。チビのためにもそれくらい我慢してくれたって、いいじゃない」
 鋏の音が乱れたので、ほんの一瞬だが私は恐怖を覚えた。
「いいわね、奥さんて。何でも言いたいことが言えて」
 妻の声が聞こえたのかも知れなかった。
 駿吉が大きな声で、「ただいま」と言いながら階段を登ってきたのは、散髪が終わって畳に敷いた新聞紙やビニールを知子が片づけはじめたときであった。
「ボク、これからね」
 私が駿吉に言いかけた途端、
「いやよ、連れてっちゃあ」
 知子が先廻りして拒んだ。
「なぜ? この間は何も言わず新宿駅まで送ってきたじゃないか」
「あの後、私がどんな思いだったか」
 切り落とした髪の毛を一カ所に寄せ集めて新聞紙で包むと、知子はそのはじを巾着のようにきつく絞った。いかにも力のこもった絞り方であった。
「パパ、これから、なあに?」と駿吉が訊いた。
「パパと鎌倉へ行こうよ。行くだろ?」
 駿吉が炬燵のわきに坐った知子をチラッと見た。二、三カ月前まで駿吉は、鎌倉と言うと一も二もなく行きたがった。
「大兄ちゃんがあした、海岸で遊んでくれるって。行くだろ、ボク」
 突然、知子がヒステリックに叫んだ。
「ママは欲張りよッ」
 唇のはじが顫えていた。駿吉が怯(おび)えた顔になった。
「欲張り?」
「なぜ、チビまで私から取り上げようとするのよ。自分には準ちゃんや章ちゃんがいるんじゃない。この子は絶対に渡さないわよ」
「誰が取り上げると言った。あいつはチビが可愛いだけなんだ。取り上げるならあのときに――お前が薬を嚥(の)んだときに取り上げている。お前はあのとき間違いなく母親の義務を放棄したんだからな。ママにそんな気がないから、こうやって週に一回でも俺がここに泊まるのを認めているんじゃないか」
「ママはさぞ、いい気持ちでしょうね。チビが行けば日曜日に家族が全員そろうんですものね。あなたは幸せな人ね、二号の子までわけへだてなく可愛がってくれる奥さんを持って」
「チビが鎌倉で準たちに遊んで貰うのをいちばん愉しみにしていることは、お前もよく知っているはずじゃないか」
「私はどうするのよ。あなたたちがみんなで愉しんでいる間、私は独りっきりでこの部屋にいなくちゃならないのよ」
「子供が愉しい思いをするんだ、母親ならそれくらい、我慢しろ。みんなチビによかれかしと思って心を砕いているんだ。もし、どうしても独りでいるのが辛ければ、お前も一緒にくればいいじゃないか」
「いやよ。鎌倉へ行くたびに、私がどんな思いで帰ってくるか。あなたには女の気持ちが少しもわからないのね」
 知子の両眼から涙が湧き出して、それが頬に伝わった。私は壁にもたれて煙草に火をつけた。こういうときは何も言わないに限る。何か言えば、火に油を注ぐようなものであった。
 駿吉が生まれた翌年、鎌倉の家のすぐ近くに、庭が広く間数も多い家が空いた。そこの家主から、「お宅が借りてくれれば助かるんだが」と再三頼まれた。しかし、子供部屋を建て増ししたり風呂場を改装したりしたばかりだったので、すぐ移る気になれなかった。
 空家はなかなか借り手がつかないらしく、その隣りに住んでいる家主の老婆がまたやってきて、「いつまででも、居たいだけ居ていいから」と言った。老婆と懇意にしていた妻にも言われた。
「高くなる家賃分だけ、あなたが東京で使うお金を節約してくれればいいのよ。あなたが筆一本で稼いだお金だからあまり言いたくないけど、少し使いすぎじゃないの?」
 知子母子のことを隠している後ろめたさも手伝って、ようやく私も越す気になった。どんな仕事も引き受けようと覚悟をきめた。
 越してすぐ庭の半分に芝を植え、風呂場も新しく建てた。遊びにきた友だちが、「借家に金をかけるのがお前の趣味らしいな」と笑い、「なぜ、いっそ家を建てないんだ」と訝(いぶか)しがった。
「家を建てりゃ、その家に縛られる。借家なら、いつどこへでも好きなとき越せるじゃないか。俺は一生借家住まいと決めているんだ」
 そのくせ、いつかはこの芝生のうえで駿吉を思いきり遊ばせてやりたいと思ったりした。
「ボク、行かないよ」
 駿吉が知子のそばに寄り、
「パパ、一人で鎌倉へ行きなよ」
 それならいいんだろ、というふうに母親の濡れた顔を覗きこんだ。駿吉は鎌倉の家を、「大兄ちゃんの家」と信じこんでいた。だから鎌倉に泊まって東京に戻るときは、かならず、「パパ、帰ろう」と私の手を引っぱった。
「いいのよ、駿ちゃん、パパに鎌倉へ連れて行って貰いなさい」知子が頬を拭いながら言った。
「鎌倉ママがね、駿ちゃんのほしい物は何でも買ってくれるって」
「よせ、そんな言い方は」
「だって、そうじゃない。ママは自分の気持ちで、必要がないものまでこの子に買ってやるじゃないの」
「ボク、行かない。何もほしくない」
 駿吉が知子の膝にまたがって小さく叫んだ。
「パパのばか!」
 知子が駿吉を抱き締めた。私は母子から目をそらした。ずっと昔、妻がやはり長男を膝にかかえて涙をこぼしたことがあった。
「あなたはお姑さんのほうが大切なのね」
 母とのトラブルを訴えた末に妻がそう言ったとき、
「ばか、くだらんことを言うな」
 私が呶鳴りつけると、母親がいじめられたと勘違いしたらしく、妻の膝のうえで長男が、
「パパのばか、あっちへ行け」
 と喚(わめ)いた。
「私くらい姑で苦労した者はいない」と言うのが母の口癖だったが、それにも拘らず母は死の床に就くまで、妻に辛く当たり通した。これが俺の実の母親かと、私が怒るよりも哀しくなるくらい母は妻をいじめ抜き、次男が生まれてからも私に向かって、「お前、真紀子さんと別れる気はないのかい」と幾度も念を押した。
私が勤めから戻ると、妻が押入れに首を突っこんで風呂敷包みをこしらえていたことが二、三回あった。夜遅く、次男をねんねこで背負い、長男の手を引いて、江ノ電の駅で私が電車から降りてくるのを待っていたこともあった。

「実家に帰る前にひと一言、あなたに挨拶しようと思って」
 と言う妻を、なだめすかしてやっと家に連れ戻したが、そのときも私は母に対して何も言わなかった。妻の側に立って母をたしなめれば、嫁姑の桎梏(しっこく)をますます深めさせるだけであった。
 母の死後、妻は急速に肥った。「十八年間、いつも頭の上にかぶさっていた雲が晴れて、急に日向に出たみたい」と正直な感想をもらし、「これからは女学校時代の友だちにも泊まりがけで遊びにきて貰える」と、妻は明るい声で言い足した。妻が駿吉のことを知ったのは、それから三年もたたないうちであった。
やっと感情が鎮まったらしく、知子が膝から駿吉を降ろすと、
「お茶、飲む?」
 いくらか嗄(かす)れた声で訊いた。
「要らない」
「怒ったの?」
「チビを連れて行くのは当分、やめる。それでいいんだろ」
「いいのよ、連れて行ってやって」
「いや、よす。俺は、今のうちにチビを準や章にうんと馴染ませておけば、大きくなって事情を知ったときでも、何のこだわりもなく一人で鎌倉にこられるだろうと考えていたんだが、お前が妙な警戒心を持っている限り、無駄な努力だ。だから、よす。お前が喜んでチビを寄こすようになるまで、連れて行くのはやめる」
 知子は俯向いて、返事をしなかった。


【七の章】

 

 元日の牛後遅く、知子が駿吉を連れて鎌倉の家にきた。知子は道行きの下に淡い青地の訪間着を、駿吉は暮れに妻がデパートで買ってやった外套を着てきた。
「鎌倉ママ、おめでとうございます」
 来る道で知子に教えこまれてきたらしく、駿吉が靴をぬぎながら妻にペコリと頭を下げた。
「まあ、お利巧ね」
 妻が抱き上げようとする前に、茶の間から出てきた準が、「駿ペイ、オッス」と言いながら素早く駿吉の腋の下に両手を差し入れて、高々と掲げた。天井近くで駿吉の笑い声がはじけた。
「電車、込んでいたろう?」
 私が応接間の長椅子に腰かけたままきくと、上がり框に後ろ向きに跼(しゃが)んで脱いだ草履を下駄箱に収めていた知子が、
「はい。でも途中で坐れました」
 他人行儀な口調で答え、提げてきた大きな紙袋とボストンバッグを部屋の隅に置いてから、
「何も買ってこなかったんだけど」
 今度はひそめた声になって私の表情を窺った。
「当たり前だ。どうせ出どころは同じなんだから」
 知子はちょっといやな顔を見せてから、茶の間へ消えた。
「いいわ、その着物、とってもよく似合うわ、あら、挨拶はぬきよ、立ってもう一度よく見せてちょうだい」
「少し派手でしょう?」
「そんなことないわ。あんたはまだ若いんだもの」
「この花びらがもう少しちいさいといいんだけど」
「私はちょうどいいと思うな」
 茶の間から聞こえてきた妻と知子の会話に吻(ほつ)として、私は反対側の八畳に入った。硝子戸越しに庭をのぞくと、茶の間の縁側から降りたらしく、準と駿吉が芝生の上で大きなゴム毬を蹴り合っていた。駿吉が蹴ると毬はきまってあらぬ方向へ飛び、そのたびに準に「下手くそ」と罵られていた。穏やかな陽射しが枯れ芝に梅の木の影を落とし、古瓦で囲った隅の花壇のなかで水仙が二つ咲いていた。
 仕事机の前に坐って年賀状を読み返していると、知子が荷物を持って入ってきた。
「ちょっと、あっちへ行ってて」
「なぜ?」
「着替えるんです」
 壁際で背を向け、帯締めをほどきはじめた。
「早く向こうへ行ってよ」
 妻の目を気にしているらしかった。茶の間に行くと、妻が小声で訊いた。
「あの着物、あなたが買ってやったの?」
「俺が昔から女には品物を買ってやらないのは、よく知っているじゃないか」
「あら、知ちゃんから聞いたわよ、いつだったかの暮れ、茶羽織を買って貰ったことがあるって」
「文世に夢中だった頃だろう。その罪滅ぼしさ」
「私には何も罪滅ぼしをしてくれなかったじゃない」
「元日から、よせ」
 庭から駿吉の泣き声が聞こえた。妻が腰を浮かしたとき、準に抱えられて駿吉が縁側に戻ってきた。
「ボールが顔に当たっちゃったんだ」
 準が降ろすと駿吉は、両手を差し出した妻のふところに飛びついた。
「痛くもないのに――泣き虫小僧」
 準が、妻の膝にまたがった駿吉の頭を小突いた。駿吉が一段と泣き声を張り上げた。
「あんまり泣くと誰も遊んでくれなくなるぞ」
 私がたしなめると、妻の胸に頬をすりつけて、
「大兄ちゃんなんか、大嫌いだ」
 と、喚いた。駿吉は家にくると妻に甘え放題甘える。妻は赤ン坊が好きで、次男が大きくなった後、よく近所の子を借りてきた。「だって膝が寂しいんだもの」と言っていた。
「さ、もう泣くのはやめましょうね。あらあら、顔も手も泥だらけじゃない」
 妻が駿吉を洗面所へ連れて行ったのと入れ違いに、不断着に着がえた知子が入ってきた。
「章ちゃんは?」
「朝早く、友だちと鶴岡の八幡さまへ行った、もうそろそろ帰ってくるだろう」
「私もあした、お詣りに行こうかしら。戸塚にいた頃は欠かさず行ったのよ。元日の朝、最後のお客を送り出してから」
 美容師は暮れの二十日すぎから正月五日まで立ち通しで、その間に自分の時間が持てるのは元日の午後だけだと、ずっと前知子に聞かされたことがあった。
「近頃は三ガ日、大変な人出だから、よせよ。あしたはみんなで藤沢へ何か食べに行こう」
「何を言ってるの」と、洗面所から戻ってきた妻が口をはさんだ。「あしたは準や章の彼女が遊びにくることになっているんじゃない」
「あら、章ちゃんにも彼女がいるの?」
 知子が驚くと、
「とってもいい娘よ、はきはきしていて。章と同い齢で礼子ちゃんて言うの」
「準ちゃんの彼女、久美ちゃんて言ったわね、どっちが綺麗?」
 知子が私に訊いた。
「あえて論評を避けるね、恨まれるから」
「そうね」と妻が薄笑いを浮かべて言った。
「あんたはこの世に文世さんしか美人はいないと思っているんですものね」
「そうさ。あれだけの娘はザラにいないよ」
 知子と呆れたように顔を見合わせてから、
「いまでも会いたい?」
 妻がからかうように訊いた。
「ああ、会いたい。正月に和服姿を見せてくれる約束だったが、とうとう見ずじまいだった。それがいちばん心残りだ」
 処置なし、というように妻と知子がまた顔を見あわせた。
 駿吉を寄こすのさえ厭がっていた知子が、元日そうそうから母子そろって鎌倉にやってきたのは、それなりの理由があった。
 秋の終わりに九段にいる継母の従姉の家を久しぶりに訪れた知子は、そのときはじめて異母弟が二年前の春から東京の大学にきていることを知った。
「渋谷のほうに下宿しているんですって。同じ東京にいながら電話一つかけてこないのは、きっと継母が私とつき合っちゃいけないと言っているのね。それにしても秀樹も秀樹よ。小さいとき、あんなに可愛がってやったのに、私のことが懐かしくないのかしら」
 郷里を捨てた自分を棚に上げて口惜しがる知子に、
「当たり前じゃないか。家庭持ちの男の子供を産むような不倫な姉をだれが懐かしがるものか。お前は緒野家の面汚しなんだぞ」
 私はわざと吐き捨てるように言った。私の姉たちも、駿吉のことを知ってから私によそよそしくなった。ひと頃は盛んに私の放埓(ほうらつ)を非難して、その分だけ妻に同情を寄せていたが、当の妻が一向に騒ぎ立てもしなければ愚痴もこぼさないのですっかり拍子抜けしたらしく、
「あんたよく我慢しているわね」
「私だったら、とっくの昔に離婚しているわ」
口々にそういって妻を気味悪そうに眺め、駿吉がよく家に遊びにくることを知ると、
「どうしてそんな子を出入りさせるの?」
 姉たちは顔を見あわせて、呆れかえったといわんばかりの表情をみせた。
 恐らく九段の親戚から言われたのだろう、異母弟が知子に、「元日にアパートヘ遊びに行く」という電話をかけてきたのは、暮れもかなり押しつまってからであった。いかにも嬉しそうな顔で知子はそれを私に告げ、
「だからお正月は鎌倉でゆっくりしてきて」
 と、言い添えた。私も吻(ほつ)とした。三ガ日は家から一歩も出ないのが私の長年の習慣になっていたが、駿吉ができてからは家にいても落ち着かない正月をすごしていた。
 ところが大晦日の夜、テレビの紅白歌合戦を見終えて年越しそばを食べているときに知子が電話をかけてきて、
「あした、そっちへ行ってもいい?」
 いきなり泣き声で訊いた。
「いいよ、きたければいつでもおいで。しかし、弟さんが訪ねてくることになっていたんじゃないのか」
「それがいま電話があって、ダメになったって言うの」
 知子が子供のように声を絞って泣き出した。
「ばか。いい齢をして泣くな。泣いてちゃ、わからないじゃないか」
「急に秋田へ帰ることになったと言うの。嘘よ、嘘にきまっているわ。継母にとめられたのよ。そうにきまっているわ」
 しゃくり上げたり、泣き叫んだりする知子を私は電話口で持てあました。
 二日の夕方、まず久美が来た。紺地のスーツが色白の顔を際立たせ、いつもより大人びて見えた。久美は三年くらい前から月に二、三回のわりで遊びにきていた。準も藤沢にある久美の家でちょくちょく晩飯をご馳走になってきた。駿吉も準に連れられて二回ばかり行ったことがあり、そのたびに久美の母親が買ってくれた絵本や玩具をかかえて帰ってきた。
「あら、着物を着てくるかと思ったのに」
 妻のちょっとがっかりしたような口調に、
「うちの母、買ってくれないのよ」
 久美は不服そうに唇をとがらせ、
「駿ちゃん、また大きくなったわね」
 知子のほうへ向いて言った。
 三十分ほどおくれて、礼子が小学五年生の妹を連れてきた。大晦日に信州のスキー場から帰ってきたという姉妹は、どちらも雪焼けしていた。
「こんたに真ッ黒になっちゃったで、母が和服はダメだって言うんです。私は、章君に見せてあげようと思ったのに」
 礼子が妻に告げると、
「ちょうど、よかったのよ。どうせお姉ちゃんは似合わないんだから」
 鈴子という妹がまぜっかえした。
「正解だな」かたわらから章がニヤニヤしながら相槌を打つと、
「言ったわね、自分だって何よ」
 章は、私が若い頃に着た紺絣の仕立て直しを着ていたが、裾が前さがりになっていた。気づいた知子が跼(しゃが)んでそれを直してやった。礼子は初対面の知子にすぐ親しみ、秋田生まれと知ると、
「じゃあ、スキー、お上手なんでしょ。今度一緒に行きましょうよ」
 明るい屈託のないその口調が私の気持ちまで浮き立たせた。章から、「駿ペイのことは話してある」と聞かされてはいたが、実際に知子母子に接した場合、礼子がどんな態度を見せるか、やや気がかりだった。
奥の八畳に座卓を二つ繋ぎ合わせて、賑やかな夕食がはじまった。
 駿吉がはしゃいで少女たちの間に割りこんではお菜を摘まみ喰いしたり、みんなの後ろをぐるぐる駆け廻ったりした。駿吉にとってはこんなに大勢で食事をするのは、はじめてであった。無理もないとは思ったが、少しうるさすぎるので私が叱ろうとした矢先に、
「駿ペイ、おとなしくしないともう遊んでやらないぞ」
 準がわざと怕い顔をした。そのひと言で駿吉はチョコマカするのをやめ、準と章の間に坐ると神妙に箸を使いはじめた。
 私は床の間の桂に背を預けて、息子や少女たちの健啖ぶりに目を細めた。重箱のおせち料理がみるみる減っていった。
「あなたたち、そんなものたべないだろうと思って、フライを作ったのに」
 妻が不思議がると、すかさず礼子が言った。
「だって、うちのおせち料理、中華風なんですもの。やっぱりオーソドックスのほうがおいしいわ」
「オーソドックス……ねえ」妻が微笑した。
「おかしい? じゃあ、クラシックって言うのかしら」
「ばかだなあ」章が向かい側から言った。「純和風って言うんだよ」
「あ、そうか」
 みんなの笑い声のなかで駿吉だけがキョトンとしていた。
「これ、上げるわ」久美が向かい合った準にフライの皿を差し出すと、礼子も章に言った。
「よかったら、私の、食べていいわよ」
 妻と知子が忍び笑いをし、私もつい頬がゆるんだ。
「ごちそうさま」駿吉が箸を投げ出して立ち上がろうとすると、その肩を準が押えた。
「まだ、ご飯が残っているぞ」
「もう、おなか、いっぱい」
「いっぱいでもダメ。きれいに食べろ」
 渋々と坐り直した駿吉は、一粒一粒つまんで口へ抛りこみ、茶碗の底を準に見せた。
「よし、合格。立っていいぞ」
 久美が感に堪えないように言った。
「まるでパパみたいね、準は」
 徳利に半分ほど入っている酒を手酌で少しずつ甜(な)めるように口へ運びながら、私はゆっくりとみんなの顔を眺めまわした。妻、知子、子供、その幼い恋人たち――世間の常識からみたら尋常ならざる団欒だったが、だからこそ私は深い満足感を覚えた。将来、長男が久美と、次男が礼子と結婚すると仮定したら、いまこの部屋に集まっている人間が私の家族全員ということになる。もう一組、志郎夫婦が加われば完璧だが、志郎たちにはまだ知子母子のことは伏せてある。いずれ打ち明けねばならないが、おそらく志郎夫婦もこだわりなく知子母子とつき合ってくれるだろう。
 私は十年後の正月を想像してみた。頭が真ッ白になった私の隣りに、母親によく似てきた妻が並んで坐り、妻の向こう側にはいまの妻の齢になった知子が膝をそろえている。そこへ、志郎夫婦を先頭に長男夫婦、次男夫婦がそれぞれ子供を連れてやってくる。その幼い孫たちから、「おじちゃん」と呼ばれて照れ臭そうな顔をしている中学生の駿吉――。しかし、そんな未来図を描いたのは、それが実現不可能なことを知っていたからかも知れなかった。
 夕食後、子供たちは応接間に集まってトランプ遊びをはじめ、妻と知子は割烹着をつけて跡片づけにかかった。私はわずかな酒に他愛なく酔って、床の間の前に並べた座蒲団に横たわった。
「うたた寝すると風邪を引きますよ」
 食器を下げにきた知子が、声だけかけて台所に去ったが、すぐ戻ってくると押入れから毛布を出して、私の体にかけてくれた。その手首を掴んだが、するりと抜いて、メッという顔をしてみせた。応接間から駿吉のカン高い笑い声が響いてきた。
「チビったら、すっかり昂奮しちゃって」座卓の上を拭きながら知子が呟き、「少し静かにさせましょうか」 と訊いた。
「いいよ、チビにとっちゃあ、こんな賑やかな正月は初めてなんだから」
「私、あした、帰りますね」
「あわてて帰ったって仕様がないだろ。第一、チビが承知しないよ」
「でも、ここにいると辛いし、睡眠不足になってしまうんですもの」
「勝手な奴だな。弟に袖にされて自分から来たくせに。――よく眠れるようにしてやろうか」
 知子が布巾の手をとめて、さぐるような目を向けてきた。
「冗談だよ」
 座卓を拭き終えた知子は黙って部屋を出て行った。その腰つきが酔眼にゆれた。
「ね起きてよ、蒲団を敷くから」
 妻に肩をゆすられて、うたたねから醒めると、部屋は薄暗く、家全体がひっそりしていた。暗がりのなかで妻が差し出したコップの水を一気に飲み干し、「みんなは?」と訊いた。
「ちょっと前に帰ったわ」
「チビは?」
「ボクも送って行くと」言って、駅まで準たちに跟(つ)いて行ったわ。それより、知ちゃん、あした帰ると言ってるけど、帰しちゃっていいの?」
「好きなようにさせろ」
「帰すなら、あなた東京まで送って行ってやりなさいね」
「どうして」
「あなただけここに残ったんでは、駿ちゃんがヘンに思うわよ。まだここは大兄ちゃんの家だと思っているんだから」
「いっそ今のうちに本当のことを教えてしまったほうがいいかも知れないな」
「まだ早いわよ。それにこと改めて教えるより、行ったり来たりしているうちに自然と事情を呑みこむと思うの。そのほうがいいんじゃないかしら」
「チビはお前のことをどう思っているのかな」
「さあ、知ちゃんがどう教えているか知らないけど、母親の姉妹とでも思っているんじゃないかしら。そんなことより、あなた、いまのうちにお風呂に入ったら」
 生返事をして煙草に火をつけたとき、玄関から、「ただいま」という駿吉の声が聞こえてきた。間もなく襖が少しあいて、その隙間から電燈の光と違った光が流れこみ、つづいて懐中電燈を手にした駿吉が顔をのぞかせた。頸に準のマフラーを巻いていた。
「パパとお風呂に入るか」
「ううん、大兄ちゃんと入る」
 駿吉は懐中電燈の光の輪を私と妻の顔にあててから、顔を引っこめた。妻が立ち上がりながら、囁くように言った。
「今夜も茶の間に一人で寝るのよ」
 下着だけになった私が廊下を湯殿のほうへ歩いて行くと、湯音がした。立ちどまった私に湯上がりタオルを持って跟いてきた妻が、
「知ちゃんに先に入って貰ったの。もうそろそろ出る頃よ」
 そして、タオルを押しつけるように渡すと、
「今更、私に遠慮したってはじまらないでしょ」
 座敷のほうへ引き返した。
 妻の気持ちを測りかねて私は少時廊下に佇んでいたが、たしかに遠慮したってはじまらねえや、と自分に呟き、手早く裸になって湯殿の戸を開けた。軀を拭いていた知子があわてて背を向け、頸をひねって私を睨んだ。桜色に染まった肩と背から湯気が立ちのぼっていた。その肩を引き寄せようとした私の手を、知子は軀ごと避けて、するりと湯殿の外へ出た。
「背中を流してくれないのか」
 返辞のかわりに知子が音を立てて戸をしめた。

 二

 仕事のない夜更け、私は仕事部屋を抜け出して、知子のアパートヘ泊まりに行くようになった。椎名町から富久町まで、深夜ならタクシーで二十分とかからなかった。私の真夜中の訪問を知子は軀じゅうで歓び、明け方近くまでくり返し激しい反応を見せた。私も若さがよみがえったように執拗な愛撫を加えた。
 前年の秋頃から私は、妻が認めた週に一度の知子との夜がひどく味気なくなっていた。
「どうしたの? 頤(あご)が疲れちゃった」
 蒲団のなかに潜っていた知子が、諦めて頭を枕に戻すような夜がつづいた。
「もう齢なのさ」
 しかし、不如意の原因が、妻の認めた夜そのものであることに私は気づいていた。
仕事部屋を抜け出す前に私はまず家に電話をかけて、変わったことがないかどうかを確かめた。そして身支度をととのえ、電話機の前で約三十分、時間がたつのを待った。電話を切ったあと、肝腎な用件を思い出して、あわてて電話をかけてくる妻の癖を知っていたからだ。事実、すぐ折り返して妻がかけてきたことが二、三回あった。
 腕時計を覗いて、もういいだろう、もう掛けてくるまいと一応見きわめをつけると、電話機のうえに座蒲団を二枚かぶせて部屋を出る。だが、近くの環状六号線で空車を待ちながら、自分が部屋を出た直後に電話がかかってきて、今頃、座蒲団の下でベルが鳴りつづけているのではないか、という不安を覚えた。
――やめよう、こんなばかげた綱渡りは。今夜ぜひとも知子を抱きたいわけではないんだから。
 思い直して二、三歩、アパートのほうへ引き返したものの、しかし、空車がくるとつい手を挙げてしまう自分を抑えることができなかった。
 妻にすれば、たとえ一週に一晩でも、夫が他の女と寝ることがわかっていてそれを許すことは、並々ならぬ苦しさだったろう。駿吉のためにこの苦しさに毎週堪え抜いている妻を思えば、不如意や味気なさなどに文句を言えた義理ではなかった。それどころか、寛大な妻に、知子ともども感謝しなければならなかった。
 しかし、それを百も承知しながら私は、仕事部屋で独り無為にすごす夜に次第に苛立ってきた。
――駿吉はむろんのこと、寝る寝ないは別にして知子もこの俺と一分でも一緒の時間を持ちたがっている、しかも車で行けばわずか二十分足らずのところで。それなのに鎌倉にいる妻に気がねしてなぜ別々に夜をすごさねばならないんだ。妻と知子とこの俺が、三人ばらばらの場所で寝るなんて、ばかげた時間の浪費じゃないか。どうして知子母子を喜ばせてやってはいけないんだ。
 だが、何よりも私が求め、私の気持ちを昂ぶらせたのは、妻の目をかすめるというスリル感だった。
結婚後、私は妻だけを守っていた時期が殆どなかった。いつも浮気の相手がいて、甚だしいときは三人の女とかけ持ちで情事を重ねた。元々、多情なのか、長い間の習慣からそうなったのか、私の軀は妻を含めて絶えず複数の女と関係を持たなければ充足感がえられないようになっていた。相手をしてくれる異性が一人きりだと思うと何か落莫(らくばく)とした気持ちになり、生活に張りを失って、欲望も目に見えて衰えた。そんな私にとって、妻が認めた夜――いわばお仕着せの夜が刺戟になるはずがなかった。それでなくても知子とは、あの綱島の夜から数えれば十五年を越し、大袈裟に言えば彼女の軀は、足の裏の皺の数まで知り尽くしていた。
ところが、隅々まで熟知しているその知子の軀に対して、そっと仕事部屋を抜け出した夜だけは、自分でもおかしなくらい私は貧欲になった。妻に隠れ、妻を裏切っている罪悪感が私をより好色にし、私の官能をよみがえらせた。知子のほうも官能だけの塊になった。おそらく知子は、夜更けに忍んでゆく私の行為を自分への愛情と受けとり、それが肉体の歓びを一層深めさせたのだろう。いま振り返ってみると、知子と重ねてきた長い 歳月のなかで、彼女の軀から私がもっとも充足感を得たのは、この時期だったのではないかと思う。
尤(もっと)も、私が貧欲になったのは、知子の軀に対してだけではなかった。間もなく結婚二十五年目を迎える妻の軀までが、改めて私の官能を刺戟するようになった。妻に秘密の夜を持ったことが、妻との夜にも新鮮さを加えたのだ。妻のほうも知子に勝るとも劣らぬくらい官能的になって、長い陶酔から醒めると、
「私にさえこんななんだから、向こうではもっと凄いんでしょうね」
 と呟いたりした。知子も同じような状態で、切れ切れに言った。
「ママとも、こんな、なの」
 忍んで行った明け方、牀のなかで死んだようになった知子を見おろしながら身支度をととのえると、私はまたタクシーを拾って仕事部屋に戻った。体は疲れているのに、神経だけは妙に冴えていた。車のシートに浅く腰かけて、フロントガラス越しに白々と明けてゆく街を見つめていると、社会部記者の頃、徹夜取材をすませて社へ戻る車のなかから、やはり明け方の人けのない街を神経だけが昂ぶった目で眺めたことが思い出された。
 文世と別れてから私の女に対する感情細胞は殆ど死んだも同様であった。どんなに美しい女を見ても心が動かず、官能も刺戟されなくなっていた。文世は胸も腰も薄くて、いわゆる肉体的な魅力にとぼしい娘だったが、そのかわり牀のなかでの物覚えが早くて予期以上の反応を示し、その点でも私を喜ばせてくれた。
 だから文世が去った後、習慣で妻と同衾し、知子と牀をともにしても、私の軀は芯から燃え上がらず、いつも受け身に終始した。
――このまま俺の男性機能は哀えて行く一方なのか。
 それよりも心配なのは、日常生活でも無気力になって行くことだった。これも長年の習慣から、頼まれた仕事は一応ソツなくこなしたが、少しでもいいものを書こうという気が全く起こらなかった。食べ物についても、自分から何が喰いたいという気が起こらず、本もあまり読まなくなった。何かにつけて、死んだ父のことを思い出すのも、その証拠の一つだった。孫を可愛がるように、幼い駿吉の遊び相手になって時間を潰すのも、その現われの一つだった。
 しかし、いまから老いぼれてはいられなかった。私はまだ当分、妻子を、知子母子を、養っていかねばならなかった。鎌倉の家と知子のアパートと仕事部屋と、三つの生活を維持する金を稼ぎ出さねばならなかった。
――どうやったら、気力を取り戻すことができるか。
 私が夜更けに知子のアパートヘ忍んで行ったのは、そんな焦躁の結果でもあった。長い間、妻に隠れた行動、妻に秘密な時間を持ちつづけてきた私は、もう一度、それを取り返すことに気力の恢復を求めたのだった。
 知子と関係が生じてから私は幾度も妻を裏切った。その都度妻は私を許し、子供を産ませてしまったことさえ許してくれた。だが、今度の裏切り行為を知ったら、そのときこそ妻は激怒し、堪忍袋の緒を切って、絶対に私を許しはしないだろう。ひょっとすると妻は私に絶望して自殺するかも知れない。
――お前は勝手きわまる自分の欲望のために、妻を死に追いやっても平気なのか。これ以上妻を裏切ったら、きっと罰があたるぞ。いや、もはやお前は人間じゃなくなる。
しかし、そう思いながら私は夜になると、そっと仕事部屋を抜け出したい誘惑に克つことができなかった。

 

 妻が気づかないのをいいことに、私は次第に大胆になった。
 夜更けばかりでなく、朝、書き上げた原稿を編集者に渡すと、知子に電話をかけて一時間後に新宿駅で落ち合い、日帰りで郊外へ出かけるようになった。駿吉の足を気づかいながら高尾山へ出かけ、登山道で、「パパ、がんばれ」と逆に駿吉に励まされたり、まだ武蔵野の面影をとどめている平林寺裏の雑木林の小道を、落ち葉を踏みながら親子三人が一列になって辿ったりした。
 街中(まちなか)の狭いアパートで育った駿吉は、両親と一緒に自然のなかを歩くのがよっぽど嬉しいらしく、いつも先頭に立って、テレビで覚えたコマーシャル・ソングを大声で歌った。駿吉の歌が途切れると、殿(しんが)りの知子が低い声で古い小学唱歌をうたった。知子が歌うのを私ははじめて聞いた。
「パパもなんか歌ってよ」
 駿吉がせがんだ。
「パパは音痴だからダメだよ」
「なあにオンチって?」
「下手なこと。パパが歌ったら、その辺の林の中にいる小鳥がびっくりして逃げ出しちゃうよ」
 駿吉が声に出して笑った。私も心が弾んで、できたら毎週一回は空気の澄んだところへ連れ出してやりたいと思った。
 しかし、困ったこともあった。帰りの電車のなかで駿吉が決まってこう訊いた。
「パパ、今夜、ボクんちに泊まってゆく?」
 まわりの乗客が一斉に目をそそいできた。特に女性客が、咄嗟の返辞に窮している私の顔に、好奇心をあらわにした視線を投げてきた。私のかわりに、知子がまわりにも聞こえるような声で駿吉に答えた。
「パパはね、今夜忙しくて仕事部屋に泊まるんですって」
 新宿駅で、「パパ、バイバイ」と幾度も手を振ってから知子とともに雑踏(ざっとう)に呑まれてゆく駿吉の小さな背中を見送るたびに、私は胸を締めつけられた。
 一緒にアパートに戻り、一緒に銭湯へ行って湯舟に首までつかり、その日接してきた美しい風景を思いうかべながら、父子そろって歩き疲れた体を癒す――そのとき、ようやく愉しかった一日のピクニックが終わる。
――父と子が別々の帰路につくのでは、折角郊外へ連れて行っても何もならない。竜頭蛇尾じゃないか。
 息子たちが小学生の頃、私は幾度か川釣りに連れて行った。酒匂(さかわ)川の支流の狩川や、厚木郊外の小鮎川でヤマベを釣ったり、伊豆の狩野(かの)川でハヤの大物を狙ったりした。むろん、釣りそのものも楽しかったが、それよりも私が満足感を覚えたのは、帰宅後、縁側で竿の手入れをしながら、兄弟が先を争って妻に釣果を報告するのを聞いているときであった。
 私は知子母子を連れて一泊旅行へ出かけた。箱根へ向かう小田急のロマンスカーのなかで、
「ね、大丈夫かしら、ママが電話をかけて、あなたも私も部屋にいないことを知ったら……」
 と知子は不安がっていたが、
「それじゃ、引っ返そうか」
 私がそう言うと、
「いや」
 あわてて首を振り、窓外へ顔を向けて、いいお天気でよかったわ、と呟いた。
 予約しておいた堂ケ島温泉の旅館は、早川の谷底にあって、宮の下から専用のケーブルカーで降りるようになっていた。交錯する木々の枝をくぐって、トロッコのようなケーブルカーが谷底の終点につくと、出迎えの番頭が渓流にかかった吊り橋のほうへ案内した。それを渡ると手入れのよく行き届いた庭園がひろがり、その庭の先にもう一つ吊り橋があった。対岸に旅館の建物が見えた。左手が木造の本館、右手の平べったい大きなコンクリート建ては大浴場らしく、その先に三、四軒、一戸建ちの離れが散らばっていた。私たちが案内されたのはそのうちの一軒であった。
 係の女中が去るのを待ちかねたように知子が訊いた。
「ここ、文世さんと来たことがあるんでしょう?」
「いや、はじめてだよ、ここは」
「本当? だってあのひととは、しょっちゅう箱根にきてたんでしょ。何回ぐらい連れてきたの?」
「五、六回だったかな」
「私は箱根、きょうで二度目よ」
 文世との関係は一年足らずだったが、その間に私はせっせと彼女を旅行に連れ出した。箱根ばかりでなく、北陸、京都、奈良、南伊豆、甲府……出かければ一泊の予定が二泊になり、二泊が三泊になった。しかも、東京に戻ってきてもなお別れ難く、連れこみ旅館にもう一晩泊まったことも二、三回あった。
 それに引きかえ、知子とは十余年に及ぶのに、旅行らしい旅行をしたことがなかった。勤めをやめた直後、箱根と熱海に一泊ずつしたのと、駿吉が二つのとき、伊豆半島めぐりをした程度だった。
「これからはお前もせいぜい旅行に連れて行ってやるよ」
 宿の浴衣に着替えながら言うと、知子はいかにも嬉しそうな顔を見せたが、
「でも、怕いわ」
「怕い? 何が」
「あなたがやさしいときは、きっと何かあるときなんだもの。何か下心があるときでなければ、けっしてやさしくしてくれない人なんだから」
「ばかを言え。もう、女はやめたよ。文世で打ちどめだ」
「あら、それじゃ私は女の範疇(はんちゅう)に入らないの?」
「へーえ、自分じゃ入っていると思ってるのか。こりゃ驚いた」
 窓から谷を眺めていた駿吉が振り返って訊いた。
「パパ、なにが驚いたの?」
 知子がそれこそ、びっくりするような笑い声を挙げた。
 渓流に面した大浴場には、午後の陽が窓硝子を透して一杯に射しこみ、明るすぎて裸になるのがちょっとはずかしいくらいだった。まず駿吉が、へりに岩をあしらった広い湯舟に飛びこんだ。深さは大人の腰までで、私はいちばん奥の岩かげに身を沈めた。見上げると窓硝子の向こうに対岸の緑があざやかだった。
「パパ、外にプールがあるよ」
 湯舟を出た駿吉がもう一つの出入口から外を覗きながら言った。
「露天風呂だろ」
「あれもお風呂?」
「入ってみてごらん、お湯のはずだから」
 外へ出て行った駿吉がすぐ戻ってきて呼んだ。
「パパもこっちにおいでよ」
 幼い目が輝いていた。体を起こしかけたとき、ドアの蔭から知子が顔だけのぞかせ、私のほかに誰もいないのを確かめると、前を手拭いでかくして入ってきた。正月に家の湯殿でちらっと目にしたが、明るいところで知子の裸身を見たのははじめてであった。腰が落ちて年齢を隠せない軀になっていた。
 露天風呂のぬるい湯に親子三人でつかりながら、私は目を閉じて谷川の音に耳を傾けた。心が解き放たれてゆく思いだった。
「何を考えているの?」そっと知子が訊いた。
 目を瞑ったまま首を小さく振った。
「ねえ、ママのほう、本当に大丈夫かしら」
「今更気にしたってしようがないじゃないか」
「そりゃそうだけど、恐ろしいことが待ち構えているような気がするの」
 目を開くと、湯の表面に黄ばんだ小さな葉が一枚、浮かんでいた。私が手を伸ばす前に知子が摘まみ上げ、何の葉かしら、というように二、三度、裏表をひっくり返してからそっと湯舟のへりに置いた。
「落ち葉の湯――か」
「まるで嘘みたい」
「嘘?」
「こうやって親子三人で温泉にこられる日がくるなんて、考えてもみなかったわ」
「今夜は思いきり声が出せるぞ」
「あら、何の話」
 そう言いながら知子の顔が見るみる赧くなった。
 その晩、私は駿吉と寝た。牀につく前に知子が急に、「気持ちが悪い」と言い出して、洗面所へ駆けこんだ。耳をすませたが、谷の音が邪魔をして何も聞こえなかった。戻ってきた知子の顔には、血の気が全くなかった。
「吐いたのか」
「少し」と呟くように言って牀のうえにペタリと腰を落とした。
「お前、まさか……」
 知子がだるそうに首を振った。
「どうして違うとわかるんだ」
「だって悪阻(つわり)のときとは全然違う気持ちの悪さなんですもの。――どうしたのかしら、別に当たるような物を食べたわけでもないのに」
「湯当たりしたんじゃないのか」
 久し振りに温泉にきたんだからと言って、知子は夕食後も二度、岩風呂へ入りに行った。
「今夜はゆっくり休め」
「だって折角――もう、大丈夫よ」
「気持ちが悪い女と寝たら、こっちまで気持ちが悪くなってしまうよ」
「ご免なさいね」欲も得もないように牀に横たわった。眉をよせ、吐く息が短かった。知子が風呂に行くたびに跟(つ)いて行った駿吉は、湯疲れしたのだろう、かたわらで死んだように眠っていた。
「背中をさすってやろうか」
「あんまり、優しくしないで。……暗くしてくれる?」
 スタンドの灯を消すと、川音が一段と高くなった。ややたってから闇のなかで知子が言った。
「湯当たりじゃないわ」
「じゃ、なんだ?」
「罰が当たったのよ」

 

 翌月私は母子を連れてまた箱根へ出かけた。今度は、箱根からところどころ石畳が残っている旧街道を畑宿までくだり、奥湯本の旅館に泊まった。
「今夜は、お風呂は一回だけにするわ」
「そして、この間の分を取りかえすか」
 知子が手を挙げてぶつ真似をした。そんな仕草に、長い間知子から感じたことのなかった華やぎが感じられた。気のせいか軀にもいくらか肉がついてきたようだった。恐らく知子にとっては、私との長い歳月のなかでこの時期がいちばん倖せだったのではないだろうか。もう妻のことも気にせず、旅行中、駿吉の世話は私に一切まかせた形で、周囲の風景をゆっくり愉しんでいるふうだった。宿の女中に、「箱根ははじめてでございますか」と訊かれ、「先月は堂ケ島に泊まったのよ」と答える口調もおっとりして、
「まあ、奥さまはお倖せでございますね」
 見えすいたお世辞も鷹揚な微笑で受けとめていた。
 次の月は秩父へ行った。出かけるときは日帰りのつもりだったが、長瀞の岩畳の上でのんびりしているうちに陽がかげってしまい、懐ろに余裕がなかったので古びた小さな宿に泊まったが、かたくて重い木綿蒲団を知子はむしろなつかしみ、そんなところにも旅情を見い出して愉しんでいるようでさえあった。
 しかし、この知子の倖せは、結局、束の間の倖せにすぎず、あとから思えば、なまじ倖せな時期を持ったために、それが終わったあと、余計辛い思いをしなければならない破目になった。
 秩父旅行から半月ばかりたった夜更け、例によって私が忍んで行くと、靴をぬがない前に、
「いま、ママから電話があったわ」
 怯えた表情で知子が告げた。
「何だって?」
「仕事部屋に電話したら留守なので、そっちにきていないか、と言うの」
「お前、どう答えたんだ?」
「もちろん、きていないと言ったわ。でも、私の声、顫えていたから、勘づいたんじゃないかしら」
「また掛けてくるかな」
「多分」
 私は仕事部屋にとんぼ返りした。バレたらバレたときのことだとタカをくくりはじめていたが、いざ発覚しかけるとあわてずにはいられなかった。仕事部屋で私は妻の電話を待った。かかってきて、留守を咎められたら、腹が空(へ)ったので深夜スナックヘ軽い物を食べに行ったと言うつもりだった。二時をすぎ、三時をすぎてもベルは鳴らなかった。知子に電話すると、「あれっきり、かからない」という返辞だった。
 待ち疲れてウトウトしたときにベルが鳴った。五時ちょっと前であった。
「あら、いつ帰ったの?」
「帰った? ゆうべからずっと居たよ」
「嘘言ってるわ、知ちゃんのところから帰ったばかりのくせに」
「お前こそおかしなことを言うな。一時すぎにちょっと夜食を食べに出かけて、そのあとはずっとここにいたんだ」
「ダメよ、ごまかしても。離れていたって、あなたが隠れて何をしているか、私にはちゃんとわかるんだから」
 妻の声が半分笑っているので、余計無気味だった。
「とにかく、きょう鎌倉に帰ってきてちょうだい。じっくり話したいことがあるから」
「今更、何の話があるんだ。お前の妄想にいちいち付き合っちゃいられないよ」
「妄想? そんなことを言うならちゃんとした証拠を見せてあげるわ。家に帰るのがいやなら、私がそっちへ行きましょうか」
 その日、帰宅した私に妻が黙って一枚の葉書をつきつけた。知子母子と泊まった奥湯本の旅館から届いた礼状であった。喉の奥から、アッと声が出そうになった。宿帳に住所を記入するとき、ついうっかり「鎌倉――」と書き、書き直そうかと思ったが、そばに女中が控えていたので、そのまま自宅の所番地を書き加えたことを思い出した。
「またのお越しを従業員一同、心からお待ち申し上げております」と印刷された文句を読みながら私は腹で舌打ちせずにはいられなかった。単なる案内状だという言い逃れが出来ないからだった。まさに頭かくして尻かくさずだった。
「あなたはいつもこうなのね、尻が割れるようなことを平気でするのは、バレたら居直ろうと思っているからなんでしょ。隠すなら、なぜ徹底的に隠さないの。私に対する思い遺りが全くないのね」
 一言もなかった。
「夜中に仕事部屋を抜け出していたことは、ずっと前から気づいていたわ。今まで黙っていたのは、そのうちにきっとやめてくれると信じていたからなの。ところがあなたはいい気になって旅行にまで出かけて……一体、どこまで私を踏みつけにすれば気がすむの。私の忍耐にも限度があるわよ」
 お前に隠れた夜を持ったからこそお前も悦ばすことができたんだ――私はそう言いたかったが、言えば、そんなことまでして悦ばしてくれなくても結構よ、と言い返されるに違いなかった。
「あのひとを連れて行ったのは、箱根だけではないんでしょ。どことどこへ行ったの?」
「聞けば余計腹が立つから聞かないほうがいいんじゃないか」
「そんなにほうぼうへ連れて行ったの?」
「いや、そうじゃない。ただ秩父へ……」
「まあ、秩父へも行ったの。私と行ったときは日帰りだったじゃない。……そうでしょうね、私みたいな古女房とじゃあ、どこに泊まったって面白くはないでしょうからね。椎名町へ仕事部屋を移すとき、セックスについては第三者が口を出すなと、あなたは言ったわね。私もあとであなたの言う通りだと思ったから今まで黙っていたんだけど、黙っていたらどこまでもつけ込んで……私、これ以上我慢することはやめたの」
「やめるって、どういう意味だ?」
「この際、知ちゃんに、駿ちゃんの母親だけになってくれと言うわ」
「あれに女を諦めろと言うのか」
「残酷かも知れないけど、もう、いやなのよ、あのひととあなたを共有するのが。勝手につけばお正月から家にやってくるくせに、あなたが甘い顔をするとすぐ私をないがしろにして、平気で人を裏切るんですもの。あれっきり駿ちゃんを遊びに寄越さなくなったんで、どうもおかしいと思っていたんだけど、寄越せないはずよ、寄越したら駿ちゃんの口からみんなバレてしまうものね。だからあなたも家に連れてこなかったんでしょ」
 それから半月あまり、私は無晩のように妻をなだめすかして、ようやく元通り、週に一回、知子のアパートに泊まることを認めさせた。今度こそ絶対に裏切らないと約束して――。
「やっぱり罰が当たったのね」
 妻との約束を知子に告げると、彼女は仕方なさそうに頷いて呟き、少し間を置いて、
「いいのよ、どうせ私ははじめからおこぼれを頂戴していたんだから」
 そして、ぽつんと言い足した。
「奥さんて、いいわねえ」
 あとで知ったのだが、私のいない夜、妻が少しずつ睡眠薬を常用するようになったのはこの頃からであった。

 五

「パパ、いいもの見せてあげようか」
 私の顔を見るなり駿吉が言った。
「何だい」
「見たい?」
「パパがびっくりするようなものか」
 駿吉が知子のほうを向いて、
「パパ、驚くかね」
 生意気な訊き方をした。知子は曖昧な笑いを浮かべただけであった。
「もったいをつけないで、早く見せろよ」
「パパ、わからない? この部屋のなかにあるんだよ」
 見廻したが、別にかわったものは目につかなかった。私の視線の先を一緒に追いながら、
「まだ、気がつかない?」
 駿吉がじらすように言った。
「うん、わからない。降参だ。教えてくれ」
 駿吉が本棚の隅に立てかけある小さな写真立てを取ってきた。
「ほら、パパとママが写っているよ」
 ずっと昔、秋田の同人仲間と男鹿へ遊びに行ったとき、遊覧船のなかで小国が撮ってくれた手札型の写真が入っていた。海風に髪を踊らせながら目を細めて風景に見入っている知子、そのすぐうしろで、船の手すりに片肘をついて笑っている私――小国に送って貰って私も同じ写真を持っていた。男鹿でのスナップは他にも五、六葉あったが、私は長いこと忘れていた。いきなり古証文をつきつけられたようで、懐かしさを覚えるよりも、正直言って不快感のほうが先にきた。
「何でこんなものを飾らせるんだ」
 私はつい咎めるような口調になった。写真立てにはたしか先週まで、駿吉の赤ン坊のときのスナップが入っていたはずであった。
「私じゃないわよ」と知子が言った。「あなたがきたら見せるんだと言って、チビがさっさと自分の写真と入れ替えちゃったのよ」
「なぜ、こんな古い写真を見せたんだ」
「だってチビが――」言いかけて知子は駿吉をチラッと見てから、詳しいことはあとでと目顔で語った。
 写真立てを駿吉の手に戻しながら私は言った。
「前のようにボクの写真にしておきなさい」
「どうして? ボク、このほうがいいんだ」
「だれかお客さまがきたとき、こんな写真があったら、パパがはずかしいじゃないか」
「パパもはずかしいの? ママもそう言ってたよ」
「だれでもね、昔の写真を見るとはずかしいんだよ」
「それじゃ、ボクだってはずかしいよ。赤ン坊のときの写真、飾っておくの」
 理窟だった。
「一本、やられたな」
 知子と顔を見合わせて苦笑した。
「これ、ボクの生まれない前でしょ。パパ、秋田へ行ったんだって」
「ああ、幾度も行ったよ」
「じゃ、ママのうちにも行った?」
 返辞に窮して知子を見た。知子が目をそらし、逃げるように台所へ立った。
「ママのうちと鎌倉のうちと、どっちが大きい?」
「さあ、同じくらいじゃないかな。そんなこと、ママに訊けよ」
「ママのお母さん、ママが小さいとき死んじゃったんだってね。それで、新しいお母さんがきたんだって。パパ、逢ったことある?」
「あるよ、一度だけだが。ここにきたんだよ、ボクが生まれて……そう、三カ月ぐらいたった頃かな」
「ママのお父さんは?」
「まだ、きたことない」
「ボク、秋田へ行きたいな。おじいちゃんやおばあちゃんに逢いたいな。ね、パパ、連れてってよ」
「そのうち、ママが連れてってくれるよ」
「だってママは当分、秋田へ行かないって言ってるよ」
 ちょうどいい案配に外から、「駿ちゃん」と遊び仲間の呼ぶ声が聞こえ、駿吉が勢いよく飛び出して行ったので、私は思わずフーッと息をついた。このところ駿吉は急に語彙が豊富になると同時に、わからないこと、興味を持ったことをすぐ質問するようになった。
「お前、昔のことをチビに話したのか」
 台所で晩飯の支度をはじめた知子に訊くと、
「根掘り葉掘り訊くんですもの」
 手を拭きながら部屋に入ってきた知子が卓袱台の向こう側に坐って、
「どうせ隠しておけないと思ったから、本当のことを教えたわよ」
 いくらか顔がこわばっていた。
「何だ、本当のことって」
「テレビで結婚式場のコマーシャルを見ているうちに、パパとママの結婚式の写真を見せろって言い出したの。ママもお嫁さんのとき、白い服を着て、頭から白いものをかぶったのかって」
「――」
「仕方がないから、パパとママはああいう結婚式はしなかったと言ったら、じゃあどんな結婚式をしたのかと、しつっこく訊くの」
 知子は目を伏せて、卓袱台のはじを指先でなぞった。辛そうな表情であった。
「私、思いきって話したの。パパとママは結婚していないんだって。でも、チビは信じないのよ。結婚しないのにボクが生まれるはずがないと言って」
「俺も信じないな」
「え、何を?」
「チビがそんなことを言うなんて。あの齢で結婚がどういうものか、わかるはずがない」
「じゃあ、私が作り話をしていると思うの? なんで私が作り話をしなくてはならないの。いいわ、そんなこ とを言うなら、もう話すのやめる」
「結婚式とあの男鹿の写真とどう繋がるんだ」
「だからそれを説明しているんじゃない。――あの子がどこまで理解できるかどうか、わからなかったけど、 いずれ真相を教えなければならないと思ったから、正直にありのままを話したのよ。パパは鎌倉ママと結婚していたんだけど、ママがパパを好きになって、お前が生まれたんだって。そうしたら……」
 知子は言葉を切り、私の表情をうかがうように見て、
「チビはこう言うの。パパは鎌倉ママと結婚していたけど、それをやめてママと結婚したんだねって」
「本当にチビがそう言ったのか」
「まだ疑っているの。チビにはね、まだ結婚以外の男女のことなんか考えられないんですもの、そう思うのは当然でしょ」
「それでお前はどう答えたんだ? うなずいたのか」
「違うわよ。パパは鎌倉ママといまでも結婚しているとはっきり言ったわ。だからママはパパと結婚できないんだって。でもママはパパが好きなんだからしようがないって。そのとき、チビが何て言ったと思う?」
「俺にわかるはずがないじゃないか」
「パパは悪い人だ、二人も好きになっちゃズルイって。好きな人は一人でなくちゃいけないんだって。本当よ、チビが本当にそう言ったのよ」
 知子の目尻にうっすらと涙が滲んでいた。
 母子の会話が事実そのままなのか、駿吉の言葉にかこつけて知子が自分の気持ちを述べているのか、私には即断できなかった。もし、事実通りなら、今後、駿吉が私に対してどんな態度を見せるか、それが気がかりだった。もう肩車をせがんだり、体をくっつけてくるようなことはしなくなるのではないだろうか。
 長男や次男が私に対してどんな感情を抱いているか、私はさほど気にしていなかった。特別に可愛がりもしなかったが、そのかわり、殊更に父親の威厳を保とうともしなかった。殆どありのままの私を晒(さら)け出してきた。父親が対世間的にどんなに立派な人物だろうと、どんなに夫婦仲が円満だろうと、子供たちが見る父親はおのずと別、と私は考えていた。尊敬しようと軽蔑しようとそれは子供たちの自由だと割り切っていた。世間的な常識から見れば、私は多分、いや、間違いなく、女好きで放埓(ほうらつ)で無責任な父親だったが、それを子供たちの前で取り繕ったり、口を拭ったりしなかった。
 しかし、駿吉にだけは違っていた。私は努めて優しい父親、愛情深い父親のように振舞った。事実、駿吉が可愛かったが、その自分の気持ち以上に、何とか駿吉の心に、俺は父親に可愛がられた、という記憶を残そうと努力していた。愛された記憶を植えつけておきたかった。
 腹は異(ちが)うが三人とも俺の子供だ、父親の俺が意識的に振舞ったら、かえって三人の気持ちをこじらせて逆効果になる――そう思いながら、どうしても私は駿吉に対してだけは甘い父親になってしまう自分を抑えることができなかった。正統な子と正統ならざる子に対する父親としてのこの意識の違いを、私は否定することができなかった。
「チビがね」人差し指の背で目尻を拭ってから知子が言った。「ママはパパとどこで逢ったのかと訊くんで、あの男鹿の写真を見せたの」
「思わぬところで役に立ったというわけか」
「またそんな言い方をする。ほら、八望台で並んで写っているのがあるでしょ。あれも見せたの。これはお前が生まれるずっと前、パパが秋田にきたときの写真だと説明して……。あなたと一緒に写っているのは、あのときのものしかないんですもの。チビったら、じっと眺めて、生意気を言うのよ、パパもママも随分若かったんだねって」
 ようやく知子の表情がやわらかくなった。
「俺はまったく目がないな。あの頃、お前はてっきり二十歳前だと思っていたんだから」
さすがに、「てっきり処女だ……」とは口にできなかった。
「私もあなたを三十前だとばかり思っていたわ。あの頃のあなたは颯爽としていたわね。秋田の連中、あなたの前ではすっかり萎縮しちゃって……ほら、宴会のとき、一人が急に怒り出して、いきなり永井さんを殴ったことがあったでしょ。あれも、あなたに対する一種のコンプレックスが作用していたのよ。東京からやってきて、歯切れのいい言葉でポンポン作品批評をするあなたに、みんな心の底で反撥してたのね。それがあんな形で現われたのよ」
「ところが今じゃ、しがない雑文書き。永井君こそいい迷惑だったな。あの男、どうしたかな」
「大館でやっぱり高校の先生をしているわ。逢いたいな、あの人たちに。もう何年になるかしら」
「俺たちのこと、知っているのか」
「多分ね。でもチビのことは、どうかな」
「お前がチビにさっきのことを話したのはいつなんだ」
「二、三日前よ。なぜ?」
「ショックを受けたようか」
「それが全然――だから、あなたにあの写真を見せたんじゃないかしら」
「あれはチビのそれとない俺への抗議じゃないのか」
「まさか。恐らく、理解できなかったんじゃないかと思うの。私、言ったのよ、大兄ちゃんと小兄ちゃんは鎌倉ママが産んだけど、やっぱりパパの子で、お前の本当のお兄ちゃんたちなんだから、よく言うことをきかなくちゃいけないって。そのかわり、学校へ行くようになったら勉強をみてくれるって」
「チビは何て言ってた?」
「――大兄ちゃんたちはいいな、いつもパパと一緒にいられてって」
 私には最も痛い言葉だった。

 

 知子母子が秋田へ出かけたのは、その年の夏であった。上野駅へ母子を送って行くタクシーのなかで私は駿吉に言いきかせた。
「おじいちゃんは病気なんだから、向こうにいる間、おとなしくしているんだぞ。騒いじゃダメだよ」
 駿吉は幾度もコックリし、私の腕に小さな手をからませてきた。
知子の父親が脳溢血で倒れたという報せがあったのは四月下旬――写真の話を聞いてから何日もたたないうちだったが、右半身が不随になったものの生命に別条はないから、あわてて帰郷するには及ばないという話だったし、私のふところも、次男が大学へ進学したばかりで、母子をすぐ見舞いにやるだけの余裕がなかった。知子自身もそれを察してか、
「大勢の見舞客でごった返しているところへ、私が子連れで帰れば、継母が迷惑するだけよ。あなたのお父さんだって半身不随になってから長い間、生きていたんでしょ。そのうち、行かれるようになったとき、行けばいいわ」
 そう言って、私の気持ちの負担を軽くしてくれた。
 しかし、七月に入って間もなく、「一カ月ばかり私が付き添って大滝温泉へ療養に行ったおかげで、お父さんもだいぶよくなった」という継母からの手紙が届き、それと前後して北海道にいる知子の叔母からも、「坊やを連れて遊びにこないか」という誘いの手紙がくると、
「この際、思いきって一度、秋田へ帰ってみようかしら。継母の手紙だと、父がチビに逢いたがっているようだし、北海道の叔母はいま虻田(あぶた)という洞爺湖のそばの町にいて、景色はいいし、お魚はおいしいって言うから、できたら北海道へも足をのばそうかと思うの」
 知子はようやく望郷の念に駆られたようであった。一つには、大学生の長男と次男が泊まりこみのアルバイトに出かけ、一人で心細がる妻の願いで私が鎌倉の家へ帰る回数がふえたせいでもあった。
 しかし、特急券がなかなか手に入らず、やっと買えたのは普通急行の座席指定券――それも秋田まで丸十二時間もかかる夜行の臨時列車だった。知子にとっては十数年ぶりの帰郷なので、駅に出迎える家族の手前も、せめて特急に乗せてやりたかった。
「お前もチビも向こうに着くまでにクタクタになっちゃうぞ。もう少し、日をのばしたらどうだ」
「大丈夫よ。チビはおじいちゃんとおばあちゃんに逢えるというんで、今夜にも発ちたいくらいなんだから。それに今からチビに贅沢をさせちゃいけないと思うの」
 それにしても上野駅で母子が乗りこんだ車輛は、車庫の隅から引っぱり出してきたような旧型で、私は改めて眉をひそめずにはいられなかった。床に油を引いたばかりらしく、真ッ先にその匂いが鼻についた。天井の扇風機も気のせいか、羽根の廻転がにぶいようだった。
「いいのか、こんな列車で」
 他の乗客に聞こえないように小声で言うと、
「今更、何を言っているのよ。それより、不自由させてご免なさいね」
「何を不自由させるんだ?」
「ばか」と知子は声に出さないで言ってから、
「そうね、ママがいるんですものね」
「ああ、お前たちがいなくなれば、俺も鎌倉でゆっくり休養するよ」
「夫婦水入らずで、どうぞ楽しんでちょうだい」
「言われなくてもそうするよ。だから、あわてて帰ってこなくてもいいぞ」
「北海道へ行く前に、大館の永井さんの処にも泊めて貰うつもりなの、九月に入れば汽車も空くでしょうから、五日か六日頃帰ってきます」
 窓をはさんでホームと車内で私たちが話をしている間、駿吉はデッキの手すりを両手で握って、キョトキョト落ち着かない目をホームのあちこちへ投げていた。
「ボク、気をつけないと落ちるぞ」
「大丈夫だい」
「まだ四、五分あるから、売店で何か買おうか」
 勢いよくホームに飛び降りた駿吉が、私と手を繋いで売店のほうへ歩きながら言った。
「こんど秋田へ行くときは、パパも一緒に行こうね」
「ああ」
「きっとだよ」
 駿吉が握っている手に力をこめた。あれからも相変わらず駿吉は私に肩車をせがみ、私が銭湯へ誘うと、どんなに遊びに熱中していても玩具をすてて跟いてきた。私は吻(ほつ)とする反面、この子とはやはり縁が薄いのかと思ったりした。菓子の袋をかかえて売店から車輛へ戻りながらまた駿吉が言った。
「今度、秋田へ行くとき、大兄ちゃんたちも一緒だといいね」
 九月までこの子に逢えないのかと思うと、私は柄にもなく鼻の奥がツーンとした。
 その晩、私は知子のアパートに泊まった。その部屋に一人で寝たのは、はじめてであった。知子の帰郷は、むろん、実家の継母と幾度か電話を掛け合ってのうえだったが、母子が歓迎されざる客であることに違いはなかった。知子はそれなりの覚悟をしていっただろうが、祖父母に逢うのを楽しみにしていた駿吉が、その期待を裏切られはしまいかと、それが私には気がかりであった。
 駿吉が産まれて間もなく、秋田から上京した知子の継母に、「ご心配をかけて申しわけありません」と私は頭を下げた。他に挨拶のしようがなかったからだが、すると継母は屹とした表情で言った。
「本当にえらいことをしてくれましたね」
 正直、私はむッとした。
 生(な)さぬ仲の娘が私生児を産んだことは、継母にとって最も痛いしっぺ返しだったろう。やっぱり育て方が悪かったのだと蔭口をきかれても仕方がなかったろう。私にも、継母の辛い立場がわからないではなかったが、いきなり面と向かって非難されると、
――何言ってやがんでえ。手前の娘が泣いて頼むから産ませてやったんじゃねえか。
 そう言い返したい衝動にかられた。
 私は秋田弁をうまく書くことができない。だからこのときの継母の非難を東京の言葉に直すとこんな風になる。
「分別をわきまえた齢なのに、何ということを仕出かしてくれたんですか。おかげで私たち一家は肩身の狭い思いをしなければならなくなりました。知子の妹も間もなく適齢期を迎えますが、東京と違って狭い土地ですから、当然、縁談に差しさわりがあるだろうと思います。しかし、何よりも可哀想なのは、産まれてきたこの子です。将来、どんなに辛い思いをするか」
 なおも言いつづけようとするこの継母の言葉をさえぎって、
「お継母さん、やめて!」
 知子が悲鳴のような声を挙げ、その声に目を醒ました駿吉が泣き出した。すると真ッ先に継母が抱き上げ、「坊や、ごめんよ、起こしてしまって」と謝った。それを見て私は、
「今後、できる限りのことはするつもりです」
 もう一度、継母へ頭を下げたが、しかし、それから六年もたつのに、「えらいことをしてくれましたね」という言葉は頭にこびりついて忘れることができなかった。
 翌朝、私は幾度もためらった末に、秋田へ電話をかけた。知子だけならともかく、駿吉が世話になるのだから、挨拶をしないわけにもいかなかった。電話口に出たのは、声に聞え覚えがある継母で、私が名を告げると、
「あンれ、まンず」
 と驚き、三十分ほど前に母子が着いたこと、駿吉が想像していたよりも大きくてびっくりしたことなどを秋田弁で語り、六年前の印象とは全く違っていたことが、まず何よりも私を吻とさせた。継母は、知子に持たせてやったお土産の礼をくどいほどくり返してから、ようやく知子と電話をかわった。
「いい雰囲気らしいな」
「ええ。心配しないで。列車もね、山形で前の席があいたので、チビは秋田まで一人でゆうゆうと眠ってたわ」
「お父さんは?」
「思ったより元気。チビったらね、おじいちゃん肩をもんだらいくらお小遣いをくれるかって、早速、父に交渉してるの」
「俺も肩の荷が一つ軽くなったよ」
 受話器を戻しながら、すべては歳月か――私は胸で呟いた。


【終の章】

 一

 家主が突然、立ち退きを求めてきた。
「静岡にいる娘婿が東京へ転勤することになったので、娘夫婦をこの家に住まわせたい、半年以内に明け渡してくれ」――と。
「是非家を借りてほしい。そのかわり、居たいだけ居て結構だから」と拝まんばかりに頼んだことなぞ、ケロリと忘れたこの虫のいい要求に、私も妻も怒るより先に呆れてしまった。
 むろん、私は契約書を出してきて断わった。
「ご覧のように契約期間の日付は書いてありません。これを取りかわしたとき、日付は入れないでおきましょうねと、わざわざ仰言ったことをお忘れになったのですか」
 家主の老婆は平然たるものだった。
「冗談を仰言っちゃ困りますよ。おたくがこの家をすっかり気に入って、出来るだけ長く住みたいと言うから、私は好意で日付を入れなかったんでございますよ。とにかく、娘夫婦のために空けてくださいよ。おたくは余裕がおありのようですから、もっといいおうちにすぐにでもお越しになれるでしょう」
 私が越す気がないことを告げると、老婆は翌日から厭がらせをはじめた。いきなり庭に入ってきて、ヒマラヤ杉の枝を切りはじめた。私が理由を訊くと、
「家は貸しましたが、庭を貸した覚えはありません。家主の私が庭の木を切ってどこが悪いんですか」
「庭付きの家を貸して、庭は貸した覚えがないという言い分は通らないと思います。それに、たとえ大家さんといえども、庭に入るときは一応断わるのが常識ではありませんか」
「へーえ、自分の家の庭に入るのに、いちいち許可がいるんですか」
二、三日たった朝、庭のはじに立ててあった物干しの棒が二本とも切り倒されていた。苦情を言いに行くと、「見っともないから庭に洗濯物を干さないで下さい」という返事だった。次の日からは殆ど毎日のように庭の真ン中に立って、じろじろ家のなかを覗きこむようになった。咎めると、
「これは私の家でございます。自分の家を眺めてはいけないんでございますか」
 長男が毀(こわ)れた椅子の修理をしていると、金槌の音を聞きつけたらしく、早速、飛んできて縁側から呶鳴った。
「柱に釘を打たないで下さい!」
 たまりかねて私が顔を出すと、睨みつけて言った。
「引っ越すときは芝生を全部剥がしていって下さいよ。勝手に芝を植えて、全く図々しい人ですよ」
芝を植える許可を貰いに行ったとき、「おかげでいい庭になります」と相好を崩したことなぞ忘れてしまったようであった。
「一体、どうしたっていうのかしら。一人暮らしだとご飯拵(ごしら)えをするのがときどきいやになるってよく愚痴をこぼしていたから、私、三日にあげずお菜を作っては運んで行ってあげたのに。何が気に入らないのかしら」
 老婆の豹変を不思議がる妻に、
「娘可愛さで、ちょっと狂っちまったのかも知れない。相手は常軌を逸しているんだから、腹を立てて喧嘩するんじゃないぞ。こちらには立ち退かなければならない理由は何一つないんだから、一切、馬耳東風でいろよ」
 私はそう言い残して仕事部屋へ出かけたが、翌日、妻が涙声で電話をかけてきた。
「とっても我慢できないわ。さっき、縁側でほどき物をしていたら、いきなり硝子戸をあけて、おたくの旦那が書いた小説を読みましたよ、奥さん、あんたは結婚前に子供を産んでいるんですね、人は見かけによらないもんですねと、わざと近所に聞こえるような大声で言うの。なぜ、あのおばあさんにそんなことまで言われなくちゃならないの」
 半月ばかりたって、老婆と一緒にやってきた娘婿が、改めて立ち退きを要求したとき、私は家を借りたときのいきさつを説明した。
「おばあちゃん、話がまるきり違うじゃありませんか、一体、どっちが本当なんです?」
 娘婿に問いただされた老婆は、横を向いて聞こえたい風を装い、促されて渋々立ち上がると、じろっと私を見て言った。
「私どもは堅い家で通っております。家も、真面目な身持ちのいい人に貸したかったんでございます」
 態度が豹変した理由が、ようやくわかった。
 駿吉が家に遊びにきたとき、よく庭から、「パパ、パパ」と大きな声で私を呼んだ。老婆はそれを垣根越しに聞いたに違いなかった。
 私は自嘲しながら妻に言った。
「よそに子供をつくるようなふしだらな店子(たなこ)は出て行けとさ」
 厭がらせの理由はもう一つ、あった。一週間後、また娘婿がやってきて、家賃を四割値上げし、改めて二年契約にしたいと要求した。私は、二割値上げと三年契約なら応じると答え、ただし、厭がらせをした場合は契約無効という条件をつけた。
 相手がそれを呑み、新しい契約書を取りかわしてからはさすがに厭がらせをしなくなったが、間もなく老婆が私の不行跡と妻の過去を近所に触れ歩いていることがわかった。帰宅した私に、妻が唇を顫わせながら訴えた。
「あすこの亭主は妾に子供を産ませたばかりでなく、その妾母子を平気で出入りさせている、それを女房が黙っているのは、結婚前に私生児を産んだ弱い尻があるからだ、あんな不潔な夫婦に家を貸すんじゃなかった、大事な家がけがれてしまう――おばあさんは町内じゅうに言い歩いているらしいの。本当よ、何人もの人が教えてくれたんですもの」
 恐らくそれを妻に告げた人たちも、告げながら妻の反応を知りたかったのだろう。
「人が何を言おうと抛っておけよ。取り合わなければ、噂なんて自然と消えちまうよ」
「あなたはいいわよ、週のうち、家にいるのは一日か二日なんだから。毎日ここにいる私の身にもなってよ。それに私、駿ちゃんを連れてよく買い物に行ったから、みんな、肚のなかで、ははンと思っているに違いないわ」
「身から出た錆か」
「そうよ、あなたは実際にことを起こしたんだから、何を言われたって仕方がないわ。でも、私は何もしていないのよ。あなたや知ちゃんや駿ちゃんのために歯を喰い縛って堪えてきたのに、なぜ、その私が嗤いものにされなければならないの。もう、買い物にも行けないわ」
「お前が噂におびえた態度を見せたら、自ら裏付けしたことになる。飽くまでも知らん顔をしていろ」
「いいわよね、あなたは。非難されようが蔭口をきかれようが、それなりの愉しみがあるんだから」
「愉しみ?」
「あのひとのアパートヘ行くのは愉しみの一つでしょ。私はただ我慢するだけなのよ。苦しい思いだけをさせられているのよ」
 妻は神経が過敏になるとともに食欲を失い、夜も眠りが浅くなった。私は仕事の量を減らして、できるだけ家ですごすようにした。
 ある日、奥の八畳で本を読んでいると、茶の間の縁側のほうから老婆の喚く声が聞こえてきた。私が立ち上がりかけたとき、長男のところに遊びにきていた久美の肩を抱いて妻が部屋に入ってきた。顔を強ばらせた長男も跟(つ)いてきた。
「また、何か言ったのか」
「あのばばあ――」長男が吐き出すように言って唇を噛んだ。嗚咽する久美の肩に手を置いて妻が説明した。
「いきなり縁側の戸を開けて、こんどはこの子たちに毒づいたのよ。大学生のくせに、真ッ昼間から女を引きずりこんでふざけている、親も親なら子も子だって――」
「厭がらせをしたら契約無効になることは、あのばあさんも知っているはずだ。すぐ娘婿のところに電話で言ってやろう」
「無駄よ、そんなことをしたって、常識のない人なんだから。この家にいる間は、あなたも駿ちゃんを連れてこられないわね。厭がらせに負けたようで癪だけど、早く引っ越しましょうよ」
 家主の非常識に含まれた“世間の目”を私も感じないわけではなかった。しかし、今更そんなものに負けてはいられなかった。
「俺は越さないぞ。意地でもここに居るぞ」
「私は堪えられそうもないわ」
 事実、妻が台所で茶碗やコーヒーカップを取り落とすことが多くなった。風呂桶に水を張っているのを忘れてしまい、溢れ出た水音に気づいて私が湯殿に飛んで行ったこともあった。妻は明らかに軽いノイローゼ状態になっていた。
 あれっきり久美も遊びにこなくなった。

 二


 仕事部屋で原稿を書き上げ、横になろうとしたところへ長男から電話がかかってきた。
「すぐ帰ってきてくれないか。ママがちょっとヘンなんだ」
 時計を見ると午前二時を廻っていた。
「ヘンて、どう、ヘンなんだ」
「睡眠薬を飲みすぎたらしいんだ」
 一瞬、息がつまった。
「昏睡状態か」自分でも声が顫えているのがわかった。
「いや、そうじゃないんだ。ときどきフラフラ起きてきて、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりながら家のなかを歩き廻って、また牀に戻るんだ。でも、さっきは――」
「さっきは、どうしたんだ」
「起きてきたと思ったら、急に応接間の隅に跼(しゃが)んじゃったんだ」
「跼んだ? トイレと間違えたのか」
「うん。その跡始末をすませて、いま、やっと寝かせたところなんだ」
「何という薬をどれくらい飲んだか、わからないか。枕許に瓶が転がっていないか」
「見てくるから、ちょっと待ってて」
 長男から薬の名前を聞いた私が、知子のところへ電話をかけてそれを告げると、
「ああ、私が飲んだ薬と同じね。それなら大丈夫よ、一瓶ぐらい飲んだって死ぬようなことはないわ。あれはよっぽど飲まないと効かないのよ」
 妙に冷静な口調だった。尤も、軽いノイローゼ状態だったとはいえ、妻が自殺を図るような女でないことは私がいちばんよく知っていた。
 長男に電話で言った。
「心配ないらしいぞ。医者を呼んで胃を洗浄して貰うこともないだろう。そのまま寝かせておけばいいんじゃないか」
「うん、試しにいま肩をゆすったら、薄目をあけて、大丈夫、眠いからねかせてと言ってた。でも、なるべく早く帰ってきてやれよ」
「いまからタクシーを飛ばして行っても、当人が眠っているんじゃしょうがないだろう。一番電車で帰るよ。それまでに何かあったら連絡してくれ」
 私が知子母子を連れて帰宅したのは朝の七時頃であった。知子を伴ったのは、当分、家事や妻の看病をさせようと思ったからであった。知子が自殺を図ったとき、妻は真夜中に鎌倉から駆けつけたが、
「私が看病したら知ちゃんは余計負い目を感じるでしょ。あなたが付き添ってやるのがいちばんいいのよ」
 そう言って病院には顔を出さず、駿吉をおぶって鎌倉へ連れて帰った。そして約二週間、駿吉の世話をした。駿吉が家にくると妻に甘え放題甘えるのは、多分、そのときの記憶が残っているからだろう。
「あれからずっと静かに眠っているよ。あと、頼むよ、俺、寝るから」
 長男がそれだけ言って自分の部屋に引き取った。奥の八畳で妻は軽い鼾(いびき)をかいていた。知子の淹れたお茶を飲み、駿吉の相手をしてやって一時間ほどたってからまた覗きに行くと、さっきは仰向けに寝ていた妻が、床の間のほうを向いていた。
「おい」蒲団のわきに中腰になって、呼んでみた。ほんの僅かだが妻の肩が動いた。吻としてもう一度、「おい」と声をかけた。妻の体がゆっくりと動いて仰向けになった。
薄目をあけたその顔を覗きこむと、
「いま、何時?」
 かすれた声で訊いた。
「八時頃だ。気分はどうだ」
「いま帰ってきたの?」
「一時間ほど前だ。心配させるなよ」
 妻は私の肩越しに、部屋の入口に立っている知子をみとめると、不意に体ごと顔をそむけて言った。
「帰って、すぐ帰ってちょうだい」
「どうしたんだ急に。お前を心配して一緒にきたんだぞ」
「いや、いやなのよ」妻が枕の上で頭を振り、叫ぶように言った。
「早く帰ってよ。帰って貰ってよ」
 知子が入口から身を翻した。駿吉がそのあとを追った。妻に何か言おうと思ったが、何をどのように言ったらいいのか、咄嗟に思い浮かばなかった。私は蒲団のわきに両膝をついて、暫く目を閉じている妻の横顔を見つめた。眠っているのか、醒めているのか、わからなかった。乱れた髪のなかに白毛が一本まじっていた。妻の白毛をはじめて見た。思いきり肩を抱き締めてやりたかった。妻はやがて軽い鼾をかきはじめた。
 茶の間に戻ると、知子が茶箪笥のかげに坐って項垂(うなだ)れていた。嗚咽しているらしく、後ろ肩が顫えていた。その肩も抱き締めてやりたかった。知子のわきに立っている駿吉が、小さな唇をきつく結んで、じっと私を見上げた。私はあわてて目をそらした。
 妻が起き上がれるようになったのは三日目の昼すぎで、その晩知子母子は東京へ帰って行った。母子を駅まで送って家に戻ると、妻が待ちかねていたように言った。
「あの晩、準が電話をかけたのに、あなたはすぐ帰ってきてくれなかったのね。私の体がどうなろうと心配じゃなかったのね」
「準に様子を訊いて、あわてて帰ることはないと判断したんだ。知子に訊いたら、一瓶ぐらいなら大丈夫だと言うし……あれは経験者だから」
「心配するより、人の意見をきいたわけなのね。あのひとが薬を嚥(の)んだときは、すぐ来いと私を呼びつけたくせに、私のときは一晩抛っておいたんだから、あなたにとってどっちが大切な人間か、今度でよくわかったわ」
「知子は死のうとしたんだ。お前のはちょっと薬を嚥みすぎただけじゃないか」
「どうして私のが自殺じゃないとわかるの? 私だって自殺するかも知れないわよ」
「お前は絶対に自分から死ぬような女じゃない」
「知ちゃんだって、狂言だったかも知れないわ」
「するとお前も俺の心を測ろうと思って薬を嚥んだのか」
「違うわ。家のことも、あのひとのことも、何もかも忘れて眠りたかったのよ」
「それなら俺が駆けつけようと駆けつけまいと、関係ないじゃないか」
「やっぱり、そうなのね。私がどんなに苦しんでいようと、あなたは少しも気にならないんだわ」
「もういいじゃないか。元気になったんだから」
「よくないわ。なぜ、あのひとを連れてきたの。私の不様な姿をなぜわざわざあのひとに見せなければならなかったの。あのひとのときは、私、顔を見せないようにしたのに……そりゃあこの三日間、あのひとが家事をやってくれて、助かったことはたしかだけど。あなたにもあのひとにも、私への思い遣りというものが少しもないのね。尤も、思い遣りがないからこそ、子供を産んだんでしょうけど。私はこれから、あなたに対する考え方を変えることにしたの」
「どう変えるんだ」
「もう何事も我慢しないことにしたの。厭なことは厭だとはっきり言うことにするの。隣りのおばあさんにも、これ以上理不尽なことをしたら、呶鳴りつけてやるわ。遠慮をしていたら、それこそ本当の病気になってしまうもの」
 妻の要求で私は週の半分を家で送ることになった。知子の処に泊まるのも週一回の約束を忠実に守った。
「パパ、今夜も泊まっていって」
 縋(すが)りつく駿吉を、
「パパはね、お仕事が忙しいんだよ」
 となだめながら身を切られるような辛さを覚え、ときどき知子に、
「鎌倉へ連れて行ってもいいだろ?」
 と訊いてみたが、
「やっぱり、あなたはママがいちばん大切なのね」
 皮肉たっぷりに言われると、諦めざるを得なかった。いま振り返ってみると、私に対する知子の気持ちが変化しはじめたのは、この頃からだったのではないかと思う。
 その年の暮れ、長男と久美との間がこじれたのと前後して、次男も礼子と仲たがいした。息子たちがその具体的な理由を口にしなかったので、私は余計気になった。
「俺の不行跡が影響しているんじゃないだろうか」
 妻に言うと、
「まさか、あなたの考えすぎよ。久美ちゃんの家も礼子ちゃんの家も、駿ちゃんのことは知っているはずですもの。近頃の子は、父親は父親、息子は息子と割り切っているわよ」
「しかし、両方とも堅気のサラリーマンなんだろ。娘のボーイフレンドの父親に外子がいたら、やはり交際にブレーキをかけるんじゃないかな」
「そんなことが全くないとは言いきれないけど、もしそれで交際をやめたのなら、二人とも本物の恋じゃなかったんだから、かえっていいかも知れないわ」
「そりゃあ、そうだが」
 妻がニヤニヤしながら私を見つめた。
「何がおかしいんだ」
「だって、およそあなたらしくないんだもの。それとも息子たちのために、この際、あっちと手を切ってよき父親になる気?」
「だれもそんなことを言ってやしない」
「ほれ、ご覧なさい。あなたはよくよく二者択一のできない人なのね。でも、結局は私が悪いのね、そんなあなたを仕方がないと、ずっと野放しにしてきたんだから」
 いつだったか、友人の中柄(なかつか)に、「お前は一夫多妻を男の理想と思っているんだろう、だから二者択一ができないんだ」と言われたことがあった。妻と別れず、知子とも手を切らない私の生き方は、そう思われても仕方がなかった。しかし、私には、金で――手切れ金や養育費でカタをつけるやり方のほうが、非人間的に思えてならなかった。自分に深くかかわった者をそんな風に始末するのは、傲慢ではないだろうか。それとも私は人一倍、欲が深いだけなのか。
「俺は優柔不断かも知れないが、俺っくらい自分の気持ちに正直な奴はないと自惚れているんだ」
「そのために、まわりの者がどんなに苦しむか、それにはちっとも気がつかないのね。でも、もう野放しにさせておかないわよ」
妻はそう言ってもう一度、ニヤニヤした。

 三

 翌年の春、結婚二十五年目の記念と日頃の罪滅ぼしをかねて、私は妻と九州一周旅行へ出かけた。知子には週刊誌に頼まれた取材旅行だと嘘をついた。
 神戸から関西汽船の瀬戸内海航路で別府に着き、阿蘇、高千穂峡、宮崎、霧島、鹿児島、指宿、雲仙などを廻って佐世保に着いたのは八日目であった。夫婦二人きりで一週間をこえる旅をしたのは、はじめてであった。私は前にほぼ同じコースを歩いたことがあったので、風景に対する感激は殆どなかったが、どこを観ても感嘆の声を挙げる妻を見ているうちに、長い間妻を喜ばせたことがなかったことを改めて思い返さずにはいられなかった。天気も、霧島でちょっと雨に降られただけで、あとはずっとあたたかな快晴つづきだった。
 旅のはじめの頃、「知ちゃんが知ったら、カンカンに怒るでしょうね」と妻は気にしていたが、三日四日とたつうちに、
「私たち、夫婦なんですもの、何もあのひとに気がねすることはないわよね」
と言うようになり、
「あのひとだって毎夏、秋田へ帰るんだもの、遠慮することはないんだわ」
と、呟いたりした。
 十数年ぶりで帰郷した知子は、高校時代の友だちや、かつての同人雑誌の仲間たちに逢ったあと、北海道の叔母の家に一カ月近くも滞在して道東の観光地を見物してきた。それですっかり味をしめたらしく、次の年も夏になるのを待ちかねて帰郷し、長年の継母とのわだかまりも解けたようであった。駿吉も祖父母によっぽど可愛がられたらしく、秋田から戻った当座は、ふた言目には、「おじいちゃんがね」「おばあちゃんがね」を連発し、私が煙草を買いに外へ出ようとすると、「パパ、どこさ、ゆく」などと覚えてきた秋田弁を使って笑わせた。大学を出て東京の商事会社に就職した知子の異母弟もときどき富久町のアパートに訪ねてくるようになり、異母妹も上京すれば必ず顔を出すようになった。二人ともが初対面から私に対して隔意のない口のきき方だったので、知子にはそれが何よりも嬉しいようであった。九段にいる親戚や、アメリカ留学から帰国した従妹もときどき訪ねてきた。知子が身内と往来できるようになったことは、私の気分も軽くしてくれた。駿吉も正月が近づくと、指を折ってお年玉をくれる人の数を幾度も数え直したりした。
 佐世保の弓張岳から九十九島の島かげに沈む美しい落日の光景を満喫した翌日、私と妻は唐津へ向かうバスに乗った。虹の松原を見て、その日の夕方、福岡から帰路につく予定だった。バスが伊万里に近づいたときに、
「この辺だよ」
 私は隣りの妻に言った。
「なにが」
「彼女――文世嬢の生まれたところ」
 へーえというように窓外をしばらく眺めていた妻が、
「そろそろ、おみこしをあげる頃じゃない」
 呟くように言った。
「おみこし?」
「勤めを辞めて足掛け十年よ。小説を書くために辞めたんじゃなかったの?」
「言われなくても、わかっている」
「文世さんのことを書きたいんじゃないの?」
「仕事部屋で暇なとき書きはじめているんだ。しかし……」
「しかし、どうしたの?」
「お前のまえだけど、書いているうちにあれこれ思い出して、すると胸がつまって筆がすすまなくなってしまうんだ。まだ客観的にみることができないんだな」
「知ちゃんのことは?」
「いずれ、駿吉のことをふくめて洗いざらい書くつもりだ」
「知ちゃんがね、こう言ったことがあるの。駿ちゃんはパパと私が愛し合ってつくった児なんだから、もしパパが小説に書くときはその点をちゃんと書いて貰うつもりだって。駿ちゃんが大きくなってそれを読めば、私も言い訳しないですむからって」
「おかしな奴だな。俺は本当のことを正直に書くつもりだよ。生まれてくるまでのいきさつを美化しようなんて、これっぽっちも考えていないよ。俺がチビを可愛がっているのは事実なんだから、それで充分じゃないか」
「この間、章が言ってたわ。俺は小さい頃、駿ペイみたいに親父に可愛がられた覚えがないって」
「あいつ、ひがんでいるのか」
「違うわ。親父がああ可愛がるのは、親父の心のなかに差別があるからに違いないって。私もそう思うの。みんな、あなたの子なんだから特別に駿ちゃんを可愛がることは、駿ちゃんにとって逆効果になるんじゃないかしら」
「百も承知さ。しかし、チビの顔をみると、どうしても頬がゆるんでしまうんだ」
「あなたも変わったわねえ」
 妻が深い溜息をついた。
 虹の松原のはずれにあるホテルのレストランで遅い昼飯を摂ったあと、窓硝子越しに春霞にかすんだ海を眺めながら、ぽつんと妻が訊いた。
「どうしても別れられないの?」
 私は煙草を咥(くわ)えたまま黙っていた。
「夫婦二人きりで旅に出たら、わずらわしいことは一切忘れようと思ったんだけど、あのひとのことがいつも頭の隅にこびりついていて離れないの」
「チビに免じて我慢してくれ」
「結婚するとき、できる限り焼き餅を焼くまいと、私、自分に誓ったの。どんな女が現われようと、あなたがどれだけハメをはずそうと、必ず自分のところに戻ってくる、だから、絶対に慌てたり騒いだりするまいって。あなたと知ちゃんには幾度も、裏切られて、そりゃ口惜しい思いを随分したけど、いつかはきっと私の気持ちをわかってくれて、あのひとも身を退いてくれるに違いないと信じていたの」
「もうよせよ。折角、美しい景色を目の前にしているんだから、こんなところで、おさらいをするなよ」
「雲仙で地獄めぐりをしたとき、道のすぐわきで、渦巻になった熱い泥がときどき、ボコッボコッと小さな泥を噴き上げていたでしょ、あれを見て、ああ、これだなと思ったの、ここ数年、私の胸のなかにつまっているドロドロしたもの――あの泥の渦巻が嫉妬なのね」
 硫黄の匂いに辟易して足を早めた私が、途中で振り返ると、噴煙のなかで妻が一点を見つめて立っていた。その姿が思い出された。
「私にとって知ちゃんは、いくら憎んでも憎み足りない存在なのに、どういうわけだか、あのひとを憎み切れないの。憎み切れたら、どんなにせいせいするかと思うんだけど。憎めない自分が歯痒くって――だから胸のなかのドロドロが段々厚ぼったくなって、いまにパッと噴き出すんじゃないかと思うの」
「脅かすなよ」
「普通なら齢をとるにつれて、夫への執着が徐々に薄れて行くはずなのに、私は逆にますますあなたに執着するようになってきたの。おかしいわねえ、あなたは絶対に私から逃げ出さないと信じているくせに――」
「そろそろ、出ようか」
 妻は頷いて卓の上からハンドバッグを取り上げながら、自分に言いきかせるように言った。
「あしたから、また現実に戻るのね」
 旅行から帰った翌々日、知子の処へ出かけて、土産の伊達締めを黙って差し出した。
「あら、この前のよりも、物がいいのね。高かったでしょう?」
 私は曖昧に頷いた。妻が自分のと一緒に買ったので、幾らしたのか知らなかった。
「ママは知っているの?」
「何を?」
「これを私に買ってきたこと」
「ああ」
「……そう」
 一カ月ばかりたった晩、何を感じたのか、知子が牀のなかでふと呟いた。
「あなた方夫婦は、金城鉄壁、難攻不落なのね」
「今更、何を言っているんだ」
「そうね、今更、念を押すことはなかったわね」
 胴にまわしていた私の腕を知子はゆっくりとはずした。知子の向こう側で駿吉が、小さな寝息をたてていた。