G1予想[113]第33回ジャパンカップ(2013年11月24日) 印刷
2013年 11月 19日(火曜日) 16:09
何事もなく静かに終わってほしい

 

「ジャパンカップ史上最低のメンツ」「これはメトロポリタンSか!」「これ、なんていうオープン特別?」などと、まったく盛り上がっていない国際G1がやってきた。女王ジェンティルドンナが勝ち、ゴールドシップ、エイシンフラッシュのG12頭が続けば、秋の終わりの1日は静かに、「寂寥」(せきりょう)のなかに終わるだろう。

 今年はぜひ、そう願いたい。で、買うのはジェンティルドンナの単勝のみ

 毎年、ジャパンカップの季節になると、24歳で夭折した詩人・立原道造を思い出す。立原道造の「のちのおもいに」によって、私は「寂寥」という言葉を初めて知った。高校生のころだ。

 寂寥とは、辞書では「気配がなく、寂しい感じがするさま。また、心が満たされず、寂しいさま」となっている。英語だと「loneliness」。秋から冬へ移る季節のなかで、ふと感じる寂しさは、まさにこれだ。

 競馬に負けて、ひとりでとぼとぼ帰る道。実際は人ごみのなかを歩いているというのに、まるでひとりぼっちのような寂寥感が襲ってくる。人生を虚しく感じる一瞬だ。

 競馬新聞ばかり読んでいないで、たまには、詩集を読んでみましょう。予想が確実に違ってきますよ。

 

 のちのおもひに (詩集『萱草に寄す』より)

 

 夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に

 水引草に風が立ち

 草ひばりのうたひやまない

 しづまりかへった午さがりの林道を

 

 うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた

 そして私は

 見て来たものを 島々を 波を 日光月光を

 だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた

 

 夢はそのさきには もうゆかない

 なにもかも 忘れ果てようとおもひ

 忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには

 

 夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう

 そして それは戸をあけて 寂寥のなかに

 星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう