G1予想[011]第70回オークス(5月24日) 印刷
5月21日(木)記  

ブエナビスタ以外17頭の単勝をすべて購入!

これが、もっとも美しい予想(ハズし方)だと思う!


 今回のオークスは、桜花賞を完勝したブエナビスタの力が抜けている。こういう圧倒的な人気馬がいると、予想は盛り上がらない。この馬が勝つか勝たないか、それが予想の入り口となるからだ。
 考え方としては極めてシンプルなので、悩みが少ない分、レースへの期待感が薄れる。

 この点、人気馬、中心となる馬がいないレースだと、出走馬のなかから、まず勝ち馬を探さなければならない。したがって、この馬はどうだろうか? いやこちらのほうが強いのでは?などと、ああでもないこうでもないと悩むのが、予想の入り口となる。したがって、「考える(推理する)こと」がレースに対する興味をじょじょに深め、期待感が盛り上がっていく。
 要するに、犯人がわからないほど面白いのだ。予想もこれと同じだ。

 今回のオークスは、そういう意味ではつまらない。
 しかし、ブエナビスタが勝てば、予想は的中し、馬券は当たる。とすれば、本来なら「つまらない」というのもおかしい。なぜなら、予想が盛り上がろうと盛り下がろうと、馬券を当てるのが予想だからだ。そうして、当ててこそ初めて「おもしろい」「つまらない」と言えるわけなのだから……。

 さて、ブエナビスタは間違いなく勝つ。こう決めてしまえば、この馬の単勝、複勝、枠連総流し、ワイド総流し、馬単総流し、馬連総流しの6種類の馬券すべてを買い、6点の的中馬券を手に入れられる。なんと、6点も的中してしまうのだ。こんな簡単な話はない。
(もちろん、3連複、3連単も買ってもいい。が、全点買いとなると膨大な量になるのど、とりあえず省く)
 

 ところが、ここから先が難しいところで、昔の私は、いま思えば、本当にバカのようにこのことに悩んだ。
 つまり、競馬はギャンブルだから、的中しても儲からなければ仕方がない。そこで、儲けるにはどうしたらいいかと考え始め、本来、予想とは関係ない「欲望」が心を支配するようになるのだ。

 今回のオークスを、そうした欲望予想で考えると、次のようになる。

 ブエナビスタの単勝はおそらく1.3倍、複勝はもと返しだ。とすれば、10万円単勝を勝って3万円を取りにいくしかない。しかし、そんなことをして面白いのか? それより、本当に3万円でいいのか? 3万円取りにいってブエナが来なければ、10万円損をするけど、それにオマエは耐えられるのか? 
 —と、考え出し、ならば、枠連? 馬単は? となって、話はだんだん違った方に向かい出す。

 たとえば、馬単は総流しなら、17点だ。これを均等に買えば、配当は17倍を超えなければ儲からない。すると、相手は人気馬だとダメだ。ならば、しぼって買うか? あるいは、人気薄に行くか? 
—となって、今度は、ブエナ以外の馬の総点検となっていく。つまり、2着候補探しだ。こうなると、人気馬から、レッドディザイア(桜花賞2着)、ジェルミナル(桜花賞3着)、ディアジーナ(フローラS1着)、ブロードストリート(スイートピー賞1着)、デリキットピース(2連勝馬)と、いちいち見ていかなければならない。戦績、血統、騎手、調教……。これはかなり難しい。
 というより、記者や予想家がやっているのと、まったく同じことをやることになる。

 このように、悩みは深まる。そうして、うだうだ考えていくうち、そんならいっそうのこと3連単でいこう、なんて思いだす。こうなると、予想はもう苦痛に近くなってくる。その結果どうなるかといえば、結果は明白だ。結局、ブエナが勝ったとしても、馬券はハズすということになる。
 
 前回のビクトリアマイルだが、この欄の予想で私は「ウッカ鉄板。上位人気5頭に馬単流し5点」とした。これで、見事ハズした。ハズすつもりでこうしたからこれでいいのだが、ひと言つけ加えれば、これこそが「負ける予想」であり、「負ける買い方」なのだ。
 だから、私は、この欄をスタートするとき、当てないことを前提とすることに決めたのだった。

 話を戻して、鉄板馬がいるにもかかわらず、馬券をしぼってハズすことを、私は何百回、いや何千回やってきただろう。こんなことは、3連単がなかった、いや馬連がなくて枠連だけだった昔から、何度くり返したかわからない。結局、私の競馬はこうしていつも負けが込んでいった。
 儲けたい。だから馬券を絞る。そうして、ハズす。予想が当たっていても、馬券は当たらない。このくり返しだった。

 そこで、あんまり当たらないので、あるときのオークスで、全馬の単勝を100円ずつ買ったことがある。なにしろ、これなら絶対的中するので、なんの不安もない。もちろん、儲かるどうかはわからない。

 当然だが、そのときは配当などどうでもよく、当てるしかないと思っていた。なぜなら、これだけツキがなければ、とりあえず当たり馬券をつかむことが先決だろうと考えたからだ。じつは、これと同じことを私は何度もやった。たった6頭立てのレースでも、全馬の単勝を買ったことがある。1990年のオグリキャップが勝った有馬記念でも、全馬の単勝を買った。
 ただ、このときは、娘も競馬場に連れていっていたので、ともかく娘に当たり馬券をあげなければとそうした。

 こうすると、レースはぜんぜん違って見えてくる。ハラハラ、ドキドキすることは、ほぼなくなる。単なる見物人になって、「なにが来てもいいや」と、気分的に楽に見ていられる。

 シンボリルドルフが3冠馬になった翌年、1985年のオークスは、断然の本命馬がいなかった。雄馬クラシック路線はミホシンザンという中心馬がいたが、牝馬路線は混戦模様だった。たしか、ミスタテガミ、エルプス、ナカミアンゼリカ、ロイヤルコスマーなどが人気だったが、当時は28頭立てだから、私はなにを買っていいのか迷いに迷った。
 しかも、直前までのレースをすべてハズしていたので、半ばヤケクソで28頭の単勝を100円ずつ買って見ていることにしたのだった。

 勝ったのは、28頭立て21番人気のノアノハコブネである。
 最後の直線で、なんと前にいたほぼ全馬をまとめて交わすという直線一気の勝利。実際に見ていたというのに、私は、この馬が出ていることすら忘れていた。こんなふざけた名前の馬が勝つなんて、このときは、競馬って本当にバカバカしいと思った。当たったのに、嬉しくもなかった。

 ノアノハコブネの単勝は、なんと6270円もついた。2800円買って6270円だから、儲かってしまった。もちろん、それまでの損を取り返すにはわずかな儲けだったが、当たりは当たりだ。
 ちなみに、これは、いまだに破られていないオークス史上最高配当だ。

 オークス後レースに関する記録を見て驚いた。ノアノハコブネのあの直線一気の足は、上がり38秒2にすぎなかった。それでいて、直線で前の25頭全部を交わせたのは、39秒台が4頭、残り全部が40秒台だったからだ。こんな低レベルのG1レースは、前代未聞だった。

 今回のオークスの本命、ブエナビスタも後方追い込み型である。ノアノハコブネのように、直線で前の馬すべてを交わせるだろうか?
 交わせるに決まっていると思うが、私は、この馬以外の全馬の単勝を100円ずつ買うことにした。こうすれば、もっとも美しく、このレースをハズせるからだ。

 ちなみに、1985年は大変な年だった。夏には、あの日航123便の大惨事が起こる。AIDSが世界的に大問題になったのも、この年だ。私は『女性自身』の編集部にいたので、芸能では6月に神田正輝と結婚した松田聖子の記事をやり、社会事件では、日航機事故とエイズの記事を、毎週のように入稿していた。そんななかで、競馬も夢中でやっていたので、家内はあきれていた。