G1予想[015] 2009年前期G1回顧と夏競馬の思い出(8月8日) 印刷

8月8日(土)記

思い出の2冊の本と函館競馬場の老カップル

「山田さんの予想はひねくれすぎていて理解できません」

 このコラムはG1のある週に書いてきたが、その理由の1つは、そうすることで「締め切り」ができるためだ。たいていの物書きは、締め切りがないと原稿を書かない。私もその例外ではないから、自ら締め切りをつくる必要があった。
 それでG1の週には、ともかく書こうとPCに向かった。しかし、「G1予想」というタイトルに反して、書くことは競馬の思い出話が多かったようだ。それが面白いと言ってくれた人もいたが、最近、ある30代の競馬好きの人間からこう言われた。

「山田さんの予想はひねくれすぎていて理解できません。それに、昔の話をされても、いまや競馬はどんどん変っているので参考になりませんよ」
 これにはまいったが、彼の指摘はたしかにその通りだ。
 なにしろ、「当てないように馬券を買う」「いかに美しくハズすか」というのが私が追求しているテーマだから、競馬を当てたい人間にとっては、読めば混乱するだけだ。

 それでも、ダービーのときにヒカルイマイとダコタのことを書いたら、先日、寺脇研氏(映画評論家、京都造形芸術大学芸術学部教授)からのメールに、「私もヒカルイマイ世代です。今度その話を……」とあって、嬉しかった。
 私よりはるかに教養人で、エリート文部官僚だった寺脇氏が競馬通とは驚いたが、私とは同年代なので、なぜか納得した。それにしても、もう30年以上も前の話。ダービー史上に残る「怒濤の追い込み」は忘れられない。

印象に残るのはブエナビスタの追い込みぐらい

 前振りが長くなったが、今回は、前期のG1の回顧。と思ったが、とくにこれといって取り上げるようなことがあるだろうか?と、疑問になった。
 というのは、それほど印象に残るレースも、馬もいないからだ。強いて言えば、牝馬クラシック2冠を制したブエナビスタ。あのオークスの追い込みは強烈だったが、今後、凱旋門賞に行っても、あの脚が通用するとは思えない。欧州の深い芝より、アメリカの軽い芝向きと思うが、どうだろうか。
 
 それにしても、なぜ、日本の競馬関係者は凱旋門賞を「世界一のレース」と信じ込み、欧州遠征を繰り返すのだろうか? もし、ディープスカイが宝塚記念を勝っていたら、これも凱旋門賞に遠征するはずだった。非常に疑問だ。
 遠征しても勝てる見込みはほとんどないと、私は以前から思っていたからだ。

 日本の競馬関係者は、いい加減、欧州を最高峰と信じ込む「洗脳」からは脱してほしい。それは、19世紀以後、欧米世界が世界を支配してきた文化的な洗脳であり、それから自由にならなければ、新しい時代はやってこない。
 3冠馬ディープインパクトも、結局は凱旋門賞を勝てなかった。

キング・ジョージも凱旋門賞も2、3流のレース

 馬は自分の育った環境のなかで走るのが、いちばん気持ちいいはずであり、最高の結果を出せる。人間もそうだが、いきなり違う環境、文化に飛び込んでも、なかなか通用しない。したがって、欧州で勝つには、ドバイ人がしたように、英国のステープルを買い、調教師から騎手まで抱きかかえ、現地生産馬の馬主になるしかない。

 欧州にわざわざ遠征するのだったら、日本の競馬とその伝統文化を欧州以上のレベルに引き上げる努力をしたほうがマシだ。彼らに日本に遠征させるように仕向けるべきである。ジャパンカップを創設し、外国馬を招待するようになったときは、競馬界にもその志があったと思う。
 しかし、最近は、ジャパンカップも数ある国際レースの1つにすぎなくなり、年々そのステイタスは低下している。

 なぜ、キング・ジョージや凱旋門賞が、世界最高峰のレースなのか? それは、彼らがそう信じ込ませているだけで、冷静にいまの世界の競馬を見れば、2流、3流のレースにすぎない。重い芝でパワー比べ、ジョッキーも力まかせに追うだけで、展開的なアヤもあまりない。そんなレースが、なぜ、現代競馬なのか。
 マスコミは、欧州となるとすぐ「本場欧州の」と「本場」を付けたがるが、いい加減にしてほしいと思う。

欧米至上主義を捨てないと面白くならない

 その点、アメリカ人はドライで、欧州に遠征などしない。私は、アメリカの競馬場に何度か足を運んだことがあるので、アメリカ競馬のおおらかさの方がはるかに好きだ。欧州競馬関係者のプライドの高さ、「競馬は貴族のスポーツ」などという雰囲気にはヘキヘキする。

 とくに、かつてジャパンカップの取材で出会った欧州競馬の関係者には、そういう人間(日本競馬を見下していた)が多かった。1986年と1987年のジャパンカップにトリプティク(Triptych)を連れて来日した、フランスの調教師ビアンコーヌ(Patrick-Louis Biancone)は、そんな人間の典型だった。

 G1回顧のつもりが、話がどんどんそれていくが、このままだと、日本の競馬はますますつまらなくなるような気がする。日本経済の衰退で、日本中央競馬会(JRA)の年間売上高も、対前年比で、10年連続前年を下回っている。
最近は、G1レースも1980年代から90年代にかけての競馬全盛期のような盛り上がりがない。
 日本のスポーツの世界(ゴルフ、サッカーなど)は、ほぼすべて欧米至上主義に汚染されている。これを捨てないと、競馬も面白くならないだろう。

夏競馬となると、グループで地方競馬に遠征


 さて、春の最後のG1「宝塚記念」が終わると、夏競馬である。夏競馬の季節になると、昔は、グループで地方の競馬場に行くのが常だった。札幌、函館、新潟、福島と、毎年のように競馬好きグループと足を運んだ。

 もちろん、いまも毎年1回は地方の競馬場に行く。今年も、女優・タレントであり、スポーツ紙で競馬予想コラムも書いていた森朝子さんのグループに誘われたが、残念ながら行けなかった。森さんのグループは、毎年、新潟競馬場と月岡温泉1泊2日の「競馬尽くしと温泉を楽しむ旅」をやっていて、今年は7月25、26日に新潟競馬場に出かけた。

 毎回参加で今年も行った川端光明氏(フリーエディター)によると、メインレースの「アイビスサマーダッシュ」の万馬券を参加者の1人がゲットして、かなり盛り上がったという。(森さんのHPに、今年のツアーの様子がアップされている)

新潟・古町で『日刊競馬』の柏木集保氏と競馬談義

 新潟には何度行っただろうか?
 夏競馬は、地方で行われるということもあって、中央で行われる競馬とは明らかに雰囲気が違う。そこには、G1が行われる週のような緊張感がなく、なにより、関係者すべてがリラックスしている。だから、競馬とそれを取り巻く風物を、思う存分楽しめる。

 私が新潟に行くときのメンバーはほぼ決まっていて、先の川端氏とフリーライーターで競馬記事もよく書いていた大泉清氏などが、たいてい一緒だった。そして、土曜競馬が終わると、古町に出かけ、そこで『日刊競馬』の柏木集保氏などと酒を酌み交わしながら、とめどなく競馬談義に花を咲かせたものだ。

 柏木氏の話は、競馬予想と同じく論理的かつソフトで、競馬がギャンブルでなく一種の教養であることを毎回痛感させられた。
 川端氏は柏木氏のファンであり、いまも柏木氏の予想を読むために『日刊競馬』を買い続けている。

競馬新聞を買わなくなった理由

 ところで、私は競馬新聞を買わなくなった。昔は欠かさず買っていたが、いまはスポーツ新聞で十分だし、ネット、ケイタイにあり余るほど情報があるので、必要性をまったく感じなくなった。日本の競馬新聞の馬柱は、ほとんど芸術的とも言え、世界でこれほど詳細にデータを簡潔かつ豊富に詰め込んだレーシングプログラムはない。
 しかし、それをいくら読んでも的中するわけでもなければ、競馬がより楽しめるわけではない。そう思ってからは、まったく買わなくなった。
 
 現在、競馬新聞は売上げをどんどん落としている。一般新聞でさえそうなのだから、マニアックな専門紙も同じ運命をたどっている。昨年2月、『ホースニュース馬』が休刊したが、今後もまた休刊紙が出るのは間違いないと言われている。時代の流れには逆らえない。

科学的、論理的予想に開眼させてくれた本


 かつて夏競馬に行くとき、私は専門紙よりも、それまで読もうとして読めなかった競馬関係の本をバッグに入れて、新幹線や飛行機のなかで読んだ。そんななかで、強く印象に残っていて、いまでも忘れ難き本が2冊ある。

 1冊目は、『Picking Winners: A Horseplayer's Guide』(by Andrew Beyer)だ。これは、1970年代に書かれたアメリカの競馬ガイド本だが、著者アンドリュー・ベイヤーが発明した「Speed Figure」によって、初めて競走馬が数値化され、それによって競馬予想が論理的に行えるということで、アメリカでもベストセラーになった画期的な本である。

 私は、この本によって、アメリカのレーシングプラグラムの読み方を知り、また、競馬への興味をよりいっそうかき立てられた。当時の私は、この本を辞書を片手に興奮しながら読んだ。
 いまでこそ、「スピード指数」(なぜか日本ではこう表現)などという概念は当たり前だが、当時はそうではなかった。まして、日本には、これほど科学的で論理的に競馬の予想を打ち立てた本はなかった。

著者ベイヤーはなんとハーバードの学生だった

 1990年になって、『Picking Winners: A Horseplayer's Guide』は山本尊氏により翻訳され、メタモル出版から出版された。ただ、タイトルは『勝ち馬を探せ!!—馬の絶対能力を数値化した、スピードインデックスによる競馬必勝法』となっていた。

 しかし、この本は“必勝法”などという俗的な次元を超えている本だ。それは、著者のベイヤーが、なんとハーバード大学の学生だったせいもある。ベイヤーは、ハーバードの学生時代に競馬に取り憑かれ、競馬をなんとか科学的に解明しようというと必死になる。そして、その明晰な頭脳で次々に競馬の俗説を排除していく。その過程が、この本にはくまなく書かれている。

 ベイヤーはのちに、『Washington Daily News』の競馬コラムニストになったが、アメリカにはこんな知的な競馬記者がいるのかと、私は正直驚いた。ベイヤーは「競馬が仕組まれている」という陰謀説を打破し、競馬場のトラックごとのバイアスを数値化し、ついに「Speed Figure」にたどり着く。
 そして、馬のグレーディング(格付け)の信頼度を語り、競馬を取り巻く経済まで教えてくれた。

競馬のノンフィクションというより「純文学」

 もう1冊は、『Laughing in the Hills』(by Bill Barich)。これは、『競馬場の錬金術』(ビル・バリック著、金坂留美子+勝股孝美訳、めるくまーる)というタイトルで邦訳され、私はこの邦訳本を読んだ。
 邦訳本のタイトルは、じつに俗的だが、原題は「丘の上で笑っている」で、原題だけ見れば、まさかこれが競馬の本とは思えない。しかし、正真正銘の競馬のノンフィクションである。

 ただし、ノンフィクションでありながら、原題どおりにじつに不思議な本だった。舞台は、カリフフォルニア州オールバニーのゴールデンゲイト競馬場。そこに生きる人々(予想屋から調教師、騎手など)が生き生きと描かれているが、実際は、作者のバリックの心の軌跡のほうが、はるかに重要なテーマになっていた。

 競馬場の光景を描いたと思えば、バリックは、突然、ルネッサンスの歴史や哲学を語り、フィレツェで過ごした思い出を語りだす。そうして、また、競馬を取り巻く人間たちに戻る。そんな繰り返しで、最後に「希望とはすなわち再生(ルネッサンス)である」というような結論に達するのだ。
 この結論に達したことで、彼は自分の魂の救済を果たす。
 競馬を描きながら、それもノンフィクションでありながら、内容は純文学。そんな不思議な本が『競馬場の錬金術』である。それにしても、なんで、こんなむごい邦題にしてしまったのだろう。

レースのラジオ実況をテラスに出ては聞く

 いまでも鮮やかに覚えているのは、この本の冒頭だ。ここで、バリックはガンに冒されながらも馬券を買う母親の姿を描く。
 じつは、バリックの一家はみな競馬好きで、レースのラジオ実況をテラスに出ては聞くという、とんでもない一家だった。「わが家の連中は全員、母も含めてともかく現実から逃げたがっていた」と、バリックは書いている。

 こんなところから始まる本が、まさか、魂の救済の物語とは思えまい。
 この本を読んで心を動かされた私は、その後「ルネッサンス」に関係する名の馬が出ると、その馬券を買い続けたものだ。

 映画化された『シービスケット(Seabiscuit)』の原作『シービスケット—あるアメリカ競走馬の伝説』 (ローラ・ヒレンブランド、ソニーマガジンズ 、2003)もよかったが、こちらは完璧なノンフィクション。
 しかし、『Laughing in the Hills』は、それをはるかに超えた奥の深い本だった。

夏競馬を満喫するなら函館競馬場がいちばん


 函館競馬場にもよく行った。
 夏の函館競馬場は、はるかに海を臨み、空気も北国らしく澄み切っていて、夏競馬を満喫するならここがいちばんだと思う。おまけに、温泉も食べ物(海の幸)も豊富で、私は日本の競馬場のなかでは函館がいちばん好きである。

 その函館に、娘がエレメンタリー(小学校)に入った年に、家族3人で行った。当時、一口馬主でもあったので、所属クラブに頼んで馬主席を取ってもらった。といっても、昔だからスタンドの特別席の一画が馬主席で、そこで一組の老夫婦と出会った。

 シンボリルドルフの初産駒が、その日(土曜)の午前中の新馬戦でデビューすることになっていた。たしか、サクラの馬で、冠名の下の名は残念ながら忘れてしまった。もちろん、大本命。単勝1.5倍で、騎手は小島太。
 私はこの馬の単勝を5万円買った。1.5倍だから2万5000円儲かる。これで、今夜、娘と家内でカニとイカそうめんを山ほど食べれると、レース前からほくそ笑んでいた。

ひと夏の間、函館で競馬をしながらのんびり過ごす

 ところが、このサクラ○○○は、ゴール前で失速して3着に敗れた。午前中から茫然自失の私に、隣の老夫婦のご主人のほうが、「幼いお子さんがいるのに、午前中から本命にそんなにつぎ込んではいけませんな。明日も来られるんでしょう」と、声をかけてきた。

 この老夫婦は、毎年、函館開催期間中、函館に宿を取り、のんびりと過ごしているという。つまり、一夏まるまる函館で過ごしているという。
「温泉もあるし、食べ物もおいしい。いろいろ回りましたが、ここがいちばん気に入って、ここ数年は、夏はずっとここにおりますね」
「競馬は昔からやられているんですか?」
 と聞くと、上品な奥さんのほうが、「この人はこれだけが趣味で、若いときからどれほどやったか。まだ、止められないんですよ」と、笑顔で答えた。

 ご主人の馬券は、毎レース1万円と決まっていて、奥さんがレースごとに1万円札を渡していた。馬主席でもあり、身なりから言っても、この老夫婦は大金持ちだったが、奢ったところは少しもなかった。その後、家内が奥さんのほうと話し込み、私はレースに夢中になった。

「競馬は当ててはいけないんです」と言ったご主人

 夜の宿で、娘が寝付いたあと、家内が言った。
「あのご主人、若いとき、競馬で相当奥さんを苦労をさせたそうよ。事業も傾かせ、それを奥さんが立て直したと言っていたわ。だから、夏に函館に来るのは奥さんへの罪滅ぼし。競馬のためじゃないんですって」

 翌日、また同じ席で、この老夫婦と隣り合わせになった。
「お見受けしたところ、全然、本名馬を買われないようですが」と、私は、ご主人に尋ねた。
「ええ。そんなことをして当たったら、かえって困るでしょう。競馬は当ててはいけないんです」

 この言葉の意味が、当時の私にはわからなかった。しかし、いま思えば、当てしまえばまた競馬に夢中になり、奥さんも事業もほったからして競馬にのめり込んだ悪夢が蘇る。この年になってそんなことをしてどうすると、この人は言いたかったのだろう。

 あれから20年。あのとき70歳代と思えたから、この老夫婦はもうこの世にいないかもしれない。私が、馬券を当てなくてもいいと思うようになったのは、ここ数年のことだ。