G1予想[064]第144回天皇賞(2011年10月30日) 印刷
2011年 10月 26日(水曜日) 03:06

ブエナビスタからダークシャドウへの馬単1点のみ

 

  秋の天皇賞になると思い出すのは、やはり1989年のこと。

  この年ほど、いろんなことがあった年はなかった。まず、年明けに昭和天皇が崩御して、年号が平成に代わった。4月に消費税が導入されたが、この消費税導入で竹下内閣は倒れ、短命宇野宗祐内閣の後に、海部俊樹内閣が発足した。昭和の終焉を思わせたのは、6月に美空ひばりが亡くなったこと。そして、7月に宮崎勤幼女連続殺人事件が起こり、8月には礼宮さまが紀子さんとの婚約を発表。当時、私は『女性自身』の編集部でニュース記事や芸能記事を担当していたので、毎日のめまぐるしさに休む暇もなかった。

  世界情勢も大きく変化していた。5月には中国で天安門事件が起こり、ソ連ではペレストロイカが進んでいた。いま思えば日本のバブル経済はピークに達していて、その象徴的な出来事が、9月にソニーがコロムビア映画を買収したことだった。この後、11月にベルリンの壁が崩れ、年末に日本の株価は史上最高値の3万8915円を記録するが、秋の天皇賞の週を迎えた当時の私は、そんな未来を知るよしもなかった。

 

  この年の天皇賞の注目は、なんといってもオグリキャップとスーパークリークの対決。この2頭とも春シーズンを故障で休み、秋になってスーパークリークが京都大賞典を制して復活。オグリキャップはオールカマーを制して、続く毎日王冠で春の天皇賞・宝塚記念馬イナリワンと大接戦を演じて優勝した。

  こうして、第100回天皇賞がやってきたのだが、私は、当初からオグリキャップと心中と決めていたので、当日は目いっぱい応援した。このときは、南井騎手が乗っていた。

  1989年秋の天皇賞のゴール

  レースは、レジェンドテイオーが逃げ、スーパークリークは3番手、オグリキャップは7番手、イナリワンは後方に位置した。淡々とした流れで、そのまま直線に入り、残り400m地点で残りメジロアルダンがレジェンドテイオーを交わす。そうして、残り200mの地点でスーパークリークがこれを交わした。オグリはどこかと見ると、進路がとれずもがきながらも猛然と追い込んできた。

  しかし、スーパークリークには届かなかった。レース後、「あれだけは悔いが残る」と、南井騎手は悔しさいっぱいで記者の質問に答えた。オグリが2着にきたことで、いちおう馬券は当たった(当時は枠連)。

 

  驚いたのは、この後、オグリキャップがマイルチャンピオンシップに出走して優勝。その後、なんと連闘で翌週のジャパンカップに出走したことだ。こんな無謀なローテーションはありえないと、多くの専門家が批判した。

  しかし、このジャパンカップでも、私は目いっぱいオグリから馬券を勝った。しかし、驚異的なレコードで優勝したホーリックスはノーマーク。オグリが2着に追い込んできたというのに、馬券は外した。

  その後オグリキャップは、有馬記念にも出走した。しかし、秋6戦目とあって、さすがに疲労がたまっていて、イナリワンの5着に敗れた。平成に時代が代わった最初の秋を疾風のように駆け抜けたオグリキャップ。有馬記念の後、大きな脱力感に襲われたが、それでもオグリとともに1年は終わったと安堵した。そのときは、翌年から日本が「失われた20年」に突入するなんて、夢にも思わなかった。

  年号が代わろうと、そして世界が激変しようと、こうした日々は永遠に続くと思っていた。

  去年(2010年)の有馬記念のときのブエナビスタ

  今年は東日本大震災が起こり、そのうえ福島原発事故も起って、世の中はあの日本がピークだった1989年と比べると、はるかに重苦しく、暗い。世界も激変していて、アラブの春、欧州金融危機、ウォール街を占拠せよ、タイ大洪水と続いている。結局、すべてが変わっていくのであり、時代は待ってくれないのだと、つくづく思う。

  そんななかで3冠馬が誕生した後の天皇賞でなにを買ったらいいのだろう? 心情的には去年のジャパンカップ以来、追い込んでも追い込んでも届かないブエナビスタに勝ってほしい。ここでまた2着、3着以下に落ちたら、いったいなんのために走っているのかと、虚しさを感じてしまう。

  この競馬予想は、論理も感情も超越することを目的としているが、今回だけはブエナ心情馬券にすることにした。相手は、この暗い世の中を象徴するダークシャドウ。この馬単1点だけを買う。