G1予想[076]第144回天皇賞(春)(2012年4月29日) 印刷

オルフェーヴルは来ない

ゴールデンハインドの逃げ

 

 毎年、正月に、今年はどんな年になるのかを考える。そうして、いくつかのことを誓ってみるが、今年はいつもの年とまったく違った。それは、去年はあの東日本大震災があったからであり、私ごとでは妻がガンの手術を受けたということあったからだ。

  「今年は、去年とまったく違う年になってほしい」

  それが、私の願いであり、年が明けるとともに真っ先に思ったことだった。

 

  さて、競馬だが、去年はなんといってもオルフェーヴルに尽きた。3冠を楽勝したうえ、有馬記念も取って4冠馬になった。あの有馬記念での勝ち方は、並みいるG1馬をまとめて外から差し切ったのだから、史上最強とも言える勝ち方だった。

  となると、古馬になった今年は、さらに強くなり、まさにオルフェーヴルの時代になって当然だ。ところが、その最初のステップ、阪神大章典でオルフェーヴルは躓いた。

 

  話を戻して、今年の正月に誓ったことの一つに、「たとえなにがあろうとオルフェーヴルは1ミリも買わない」というのがある。これは、わざと競馬(馬券)で負けようという意味ではない。今年もまたオルフェーヴルの年になってしまうと、「今年は、去年とまったく違う年になってほしい」と願った意味がないからだ。

  東日本大震災の直後、ヴィクトワ―ルピサがドゥバイWCを勝ち、その後、オルフェーヴルが皐月賞、ダービーと連勝した。この記憶は、おそらく永遠に消えないだろう。それなのに、また、今年もオルフェーヴルが天皇賞、宝塚記念とG1を連勝したら、オルフェーヴルの年になってしまう。

  というわけで、今年、私はオルフェーヴルを馬券の対象から外す。なにがあっても、買わない。

 

  ふと、思う。オルフェーヴルのあのやんちゃな性格は直らないのではなかろうか? 馬はみな、気持ちのおもむくままに走りたいのだ。人間がつくったコーナーなんか曲がりたくないのだ。競走馬は訓練によってつくられ、コーナーを曲がり、鞭と手綱によって加速させられて走る。

  訓練が足りないということは、人間側の勝手な理屈で、馬にとっては訓練などしてほしくないのだ。コーナーが6つもある淀の3200メートルで、最後の坂を登って下って直線を向くまでに、オルフェーヴルが終わってしまう可能性はある。池添がどんなにうまく乗ろうと、当日のオルフェーヴルの気分次第だ。

  直線を向いたとき、「いつもと違う」「なぜなんだ?手ごたえがない」ということが起きないと、誰が言えるのだろうか?

  

  逃げ馬(逃げるという)ゴールデンハインドが本命。全馬がオルフェーヴルを意識して走る競馬で、ただ一頭、最初から最後までオルフェーヴルを視界に入れないで走る馬は、この馬だ。荻野琢真(オギタク)は、テイエムプリキュアがそうだったように、なにがなんでも逃げるしかない。

  ちなみに、荻野の同期には、浜中俊、藤岡康太、宮崎北斗、丸田恭介らがいる。私は、この世代が最強だと思っていて、地方開催で迷うと、宮崎北斗、丸田恭介の組み合わせしばしば買う。

  ゴールデンハインドの相手は、先行馬。ケイアイドウソジンナムラクレセント。そして、オルフェーヴルより前に位置するはずのトーセンジョ―ダンギュスターヴクライ。2連勝したがまったくの人気薄トウカイパラダイス

 

  オルフェーヴルの誕生日は、5月14日。競走馬としては遅生まれである。それなのに、強さは並ではない。もしかしたら、日本競馬史上、最強馬かもしれない。オルフェーヴルが遅生まれなのには理由がある。

  それは、母親オリエンタルアートが、ディープインパクトとの交配に失敗したたからだ。不受胎がわかって、空胎を避けるために、急遽ステイゴールドと交配して生まれたのがオルフェーヴル。やんちゃな性格は、こうした生い立ちから来る生まれつきのものなのだろうか?

 

■ゴールデンハインドに関して

(通販フロムハンドのサイトから)

http://item.rakuten.co.jp/fromhands/cws160114/

 帆船「ゴールデンハインド」ってどんな船? 

ゴールデンハインドは16世紀後半、イギリス女王エリザベス1世の時代のガレオン型の帆船です。海賊だったフランシス・ドレーク(Drake)は、1577年にゴールデンハインドを旗艦に5隻の帆船を率いて大西洋を南西に向かいました。マゼラン海峡を経て太平洋に進出し、チリやペールー沿岸のスペインの植民地や財宝船を襲って、財宝を奪いました。
 その後太平洋を横断、インド洋から喜望峰を回り、マゼランの世界一周から 60年後の1580年にイギリスへと帰国しました。(この周航はマゼランに次ぐ世 界で2番目の周航で、イギリス人としては最初の周航者になりました) 5隻で出発した船団ですが地球を一周してイギリスに戻ったのはドレークの乗るゴールデンハインドだけでした。
 ドレークが本国に持ち帰った財宝は莫大なもので、当時のイギリスの国庫歳入よりも多かったと言われています。尚、彼はこの就航時に「ホーン岬」と「ドレーク海峡」を発見しています。ゴールデンハインド号は、現在、サンフランシスコに復元保存されています。