■『ニュー・リッチの王国』 印刷

臼井 宥文&光文社ペーパーバックス編集部、2008年8月)

 

 2006年11月に、『ニュー・リッチの世界』(臼井宥文・著)を出した。著者の臼井宥文氏は、「富裕層」という言葉を定着させた日本の富裕層ビジネスの先駆者。「失われた10年」のなかで次々と誕生したニュー・リッチ(新・富裕層)を、この本で初めて紹介した。

 それから2年、臼井氏とともに、取材したことをまとめたのが、本書『ニュー・リッチの王国』である。このなかの何章かは、私自身が原稿を書いた。私のテーマは臼井氏とはやや違っていて、ニュー・リッチの実態というより、現在のグローバル資本主義が、世界の人々の生き方をどう変えたかにある。

 だから、この本の「あとがき」に次のように書いた。

 《2007年に発生したサブプライム危機が引き金になり、いま世界経済global economyは不況感recessionary moodを強めている。アメリカはすでにスタグフレーションに突入したと見られている。したがって今後、世界経済は数年間は足踏みするだろう。》

 これを書いたのが、2008年7月だったが、9月にリーマンショックが起こって、世界は「不況感」どころか、恐慌とも呼べるような状態になってしまった。

 こうなると、世間はもう「新・富裕層」「ニュー・リッチ」などに興味を失ってしまったが、私のテーマはまだ続いている。

 したがって、第1弾、第2弾に続く取材は、これは、このサイトの「Personal Blog」内の「ニュー・リッチの未来」で、随時更新していくことにしている。そこで、それにつなげるために、『ニュー・リッチの王国』から、私が書いた「第8章」と「コラム8」を、以下に掲載する。

 (なお、2009年6月10日、臼井氏は詐欺容疑で逮捕された。彼の富裕層ビジネスは、ニセモノにすぎなかったわけだが、富裕層という社会的な階層は人類史が始まって以来、存在している。)

 

 

[Chapter 8]

世界で広がる格差

The Gap-widening World

       

「持つ者」と「持たざる者」が固定化してしまうのか?

 

「ニュー・リッチ」ばかりに目を向け、いま大きな問題になっている「格差」gap between rich and poorに目を向けないのはおかしいのではという批判を受けることがある。たしかに富裕層は、「格差社会」gap-widening societyの上にいる人々であり、私たちメディアが問題にしなければいけないのは、格差社会の底辺にいる人々people at the bottomである。

 つまり、ニートやフリーターを含めた非正規雇用者irregular employeeや、年収100万円ほどでぎりぎりの生活を送るワーキングプアの人々のことを、「もっと考えろ!」と、格差是正論者は主張insistする。

 日本は長い間、「総中流社会」と信じられてきたから、彼らは格差が開く現実を許容acceptできないのだ。

 では、格差は本当に開いているのだろうか?

 日本における格差拡大が本格的に社会問題social issueとなったのは、2005年ごろからである。そして、2006年の通常国会では、格差社会が国会論戦Diet debateの1つのテーマになった。

 これは、ライブドアの堀江貴文社長の逮捕劇でヒルズ族が注目public attentionを集めたこと、改革reformを推し進めた小泉首相が退陣resignして構造改革路線が見直しpolicy reviewを迫られたことなど、さまざまな原因causeがあった。

 実際、「格差社会」は、2006年の新語・流行語大賞の上位にランクされ、同時に「ワーキングプア」と「ネットカフェ難民」という言葉もノミネートされた。

 結論から言ってしまえば、日本において格差が開いているのは、紛れもない事実naked factである。ただし、ここで問題にすべきは、世代間格差、地域間格差などではなく、あくまでも「所得格差」income gapだ。

 この所得格差は、1990年代から拡大している。各種の統計によっても、ある程度裏付けられ、研究者たちの見方も一致している。

 たとえば、所得格差の大きさを示すジニ係数Gini coefficient(1に近いほど格差は大)は、1990年が0.295、2000年が0.314、2005年が0.3225と、じわじわと上昇している。ただし、これは比較可能なOECD加盟国24カ国の平均が0.310なので、日本の格差が国際的に見てそれほど高いとは言いがたい。また、1人あたりの純資産net assetのジニ係数も、G7中もっとも低い0.547なので、日本はほかの国に比べて格差が顕著だとも言いがたい。

 そこで、格差のなにが問題なのかといえば、貧困層が再生産され、同じく富裕層も再生産されるかどうかだろう。もし、そうなれば、この世界は「持つ者」havesと「持たざる者」have-notsが固定された完全な階級社会class societyになってしまうからだ。これはある意味で時代の逆行であり、この世界は身分が固定fixされた「中世」Middle Agesに戻ってしまう。

グローバル資本主義がつくり出した自由な市場free marketにおいて、そんなことが起こりえるのだろうか?

 

世界最悪の格差はすべてアフリカにある

 

 たとえば、この地球上には、格差が絶望的までに開いている国がある。アフリカのアンゴラAngolaやジンバブエZimbabweに行けば、独裁政権dictatorshipがつくり出した特権階級と一般国民の格差は、天文学的な開きになっている。

 外国人記者クラブに顔を出し、欧米メディアの記者たちと話すと、

「そんなに格差の現実が見たいなら、アンゴラに行けばいい」と言う記者がいる。アンゴラは、経済成長率economic growth rateが驚異の20%で、失業率jobless rateが80%というのだ。この数字を聞いて、なにかの間違いだろうと思ったが、調べてみると、ほぼ事実だった。

「この国は1975年のポルトガルからの独立後、2002年まで続いた内戦で、なにもかもがダメになったんだよ。その間に、難民がなんと45万人も出てしまった。でも、内戦が終わったので、難民たちは国に帰った。ところがね、帰ってみると職がない。首都ルアンダでは、毎日、行き倒れの死者が出ているそうだ。

 でも、その一方では、金持ちたちが毎日ナイトクラブでパーティをやっているというから信じられないよ」

 と言うのは、日本で日本緊急援助隊というNGOを組織し、国際ボランティア活動を続けているケン・ジョセフken Josephだ。彼と私は、昔からの友人である。

 アンゴラは産油国oil producerで、沿岸部に埋蔵量80億バレルとされる石油が眠っている。そして、内陸部にはダイヤモンド鉱山がある。この2つの巨大な利権right and interestを握っているのが、国際資源メジャーと結びついたいまの支配階級ruling classで、彼らは、内戦が終結後、毎年30億ドル以上もある貿易黒字trade surplusをひとり占めしているのだという。

「ボクも行った人間に聞いただけだけど、ルアンダには高級ホテルや高級マンションができていて、ヨーロッパからもお金持ちがやって来ている。そういう人たちと、政府の人間が毎日、パーティをやっているというんだね。リゾートもあって、この人たちは、そこにプライベートヘリで行くというから、どうしようもないよ。街では、毎日、餓死者が出ているのにね」

 と、ケン・ジョセフは続けるが、もっとひどいのが、同じアフリカのジンバブエだ。この国では、世界史史上最悪のハイパーインフレが続いていて、政府発表official announcementの2007年のインフレ率は7000%である。しかし、IMFによれば、実際のところは2万5000%で、一部には10万%に達したという話も伝わっている。

 こうなると、たとえば、レストランで食事をするだけで、食事代が600万ドルもかかり、支払いpaymentのためには、大量の紙幣notesをカバンに詰めて持って行かねばならない。

 このハイパーインフレのために、もはや経済も国民生活も成り立たず、人々は餓死starvationを逃れるため国外逃亡flee the countryする状態になっている。

 こうなったのは、ここでもまた黒人大統領の独裁が続いたからだ。独裁者ムガベ大統領Robert Gabriel Mugabeは、かつては独立の英雄hero of the independenceだったが、法律で「植民地時代に強奪された白人の土地を黒人に強制的に返還させる」ことを決めたため、まず、白人がいなくなった。次に、外資系企業に対して「保有株式の過半数を譲渡せよ。逆らえば逮捕」という法案billをつくり、これで外資系企業が国外に逃げ出し、ほとんどの経済活動が止まってしまった。すると、今度は、持つ者に「物資の強制放出」を命じたので、インフレが起こったのである。

 いまや、失業者があらゆる物資を強奪grabし、交通機関や警察機関もまるで機能していないfalling downというから、救いがたい。

 世界銀行の「世界開発指標2007」によれば、2004年時点で、1日2ドル未満で生活する貧困層の数は26億人で、世界人口(当時62億人)のじつに約4割を占めている。そのうち、とくにサハラ以南sub-Saharan Africaは深刻で、1日1ドル未満で生活する最貧困層poorest of the poorは、2億9800万人もいる。

 しかし、アフリカは、地域全体では年率5%を超える経済成長を遂げている。現在、アフリカ全体では、歴史上もっとも経済発展が進んでいるのだ。

 アフリカ開発銀行(AFDB)が発表している2008年と2009年のアフリカの経済成長率は、なんと5.9%である。

 

シンガポールでは、中流層でも家を買えない

 

 アジアに目を転じよう。

 これまで、“ラグジュアリーの王国”kingdom of Luxuryのシンボルシティのように書いてきたシンガポールSingaporeだが、じつは、ここでも格差は開いている。[コラム④]で、シンガポールでは2つの大規模なカジノリゾートが建設中とレポートされているが、その1つはセントーサ島Sentosa Islandにできる。このカジノリゾートには世界最大の水族館aquariumやユニバーサルスタジオUniversal Studioも併設される予定で、その投資額investmentは約38億ドルと言われている。

 シンガポールに旅行に行かれた方なら、このセントーサ島がシンガポール観光の定番regular courseであり、オプショナルツアーにも必ず入っているのをご存知だろう。2007年にはモノレールも開通したのでますます行きやすくなった。

 島には名物のマーライオンタワーがあり、アンダーウォーターワールドなどのアトラクションのほか、3つのホテルに、ゴルフ場、サッカー場、キャンプ場、そして、美しい白砂のビーチwhite sand beachと熱帯雨林white sand beach and tropical rain forestがあって、まさに島全体が南国のパラダイスと言っていい。

 ここは、もともとはなにもなかったところで、1972年に政府が観光客誘致attraction of touristsの目玉として開発developをはじめてから、次々と施設ができ、いまや、シンガポールで最高とされる高級住宅エリアhigh-class residential areaがある。

 観光客でにぎわうハーバーから、車で約10分。熱帯樹林に囲まれたゴルフ場を過ぎた先のウオーターフロントにある「セントーサ・コーブ」Sentosa Coveだ。

 ここには、最高級のコンドミニアム、1000万ドル(約11億円)を超えるというバンガロースタイルの豪邸が、海に面して建ち並んでいる。そんなコンドのベランダで、南国の日差しに光り輝く海を見ながらカクテルを飲めば、まさに、ここは“この世のパラダイス”heaven on earthなのかと思えてくる。プール、ジム、スパ、テニス、ゴルフと、したいことはなんでもできる。もちろん、アジアではNo.1とされるハーバーがあるから、クルージングに出るのもいいだろう。ちなみに、このハーバーはメガヨットも停泊できるので、世界中からお金持ちがやって来る。

 管理会社の人間に聞くと、「ここの住人はすべて富裕層です。ニュー・リッチも数多くいます。外国人が多く、彼らはファンド・マネージャーや投資銀行のバンカー、会社のオーナーがほとんどです」と、こともなげに言うので驚いた。最近では、中国人のニュー・リッチがコンドを購入するケースが増えているという。

 現在、シンガポールの人口populationは約450万人だが、このような最高級レジデンスに住めるシンガポーリアンはほとんどいない。

 では、シンガポールの一般層ordinary peopleはどこに住んでいるのだろうか?

「それは、低所得層向けにつくられた公団住宅です」

 と言うのは、国家開発省の住宅担当者。シンガポール人口の約85%は、いまだに公団住宅public apartmentに住んでいるというのだ。

「公団住宅はもともと低所得層向けのものです。しかし、中流や中の上の人たちも住んでいて、なかなかそこを出られないのです」

 シンガポールの公団住宅制度は1965年にスタートし、貧しい一般国民向けに、補助金subsidyを出したり、購入資金の優先的ローンを提供したりして、政府の住宅政策housing policyの柱になってきた。ただ、政府としては、彼らは豊かになるにつれてやがて公団を出て行くだろうと考えていた。ところが、経済の驚異的な発展とともに不動産価格も急騰jump upしてしまい、居住者が民間住宅を買いたくても手が出せなくなってしまったのだ。

 シンガポールはアジア屈指の豊かな国affluent countryだ。国民1人あたりのGDPは2万6879ドル(2005年、世界180カ国中23位)と3万ドルに迫り、国際競争力international competitionでは、アメリカに次いで世界第2位(2008年、IMD調査)を堅持している。

 ちなみに、日本の国民1人あたりのGDPは約3万5000ドルだが、OECD諸国のなかでの順位は年々下がり続け、2000年度から2006年度までの6年間で、欧州諸国やカナダ、オーストラリアなどに抜かれ、いまではイタリア、スペイン、ギリシアなどに追いつかれつつある。さらに、国際競争力はシンガポールにはるかに及ばない22位だ。

 しかし、この富裕国シンガポールでも、いまや中流層でさえ住宅取得をあきらめはじめている。格差の進展とともに、社会が2極化polarizeしてしまったからだ。

 このような背景から、シンガポール政府も、リー・シェンロン首相自らが、格差に対する懸念concernを示すようになっている。そのきっかけは、2007年9月のある集会で、1人の学生が「政府が外国人と観光客と富裕層へ迎合し続けているうちに、自分たちシンガポール人は中産階級から転落してしまう」と訴えたからだった。

 

「韓流ドラマ」が描かれた韓国の格差の現実

 

 続いては、隣国の韓国South Koreaである。

 私は一時期、妻と「韓流ドラマ」にはまっていた。『冬ソナ』からはじまり、日本でヒットした韓流ドラマはほとんど見た。

 そこで思ったのが、韓流ドラマのうちの泣けるものの多くが、貧富の格差rich-poor gapを背景につくられているということだった。

 たとえば、ユン・ソクホ監督の4部作の1つ『秋の童話』は、まず、裕福な大学教授のユン一家の娘として、仲のいい兄ジュンソと幸せいっぱいに暮らすヒロインのウンソ(ソン・ヘギョ)が登場する。ところが、ウンソは、両親の本当の子ではなく、病院で取り違えられた子だったことが発覚する。苦悩の末、ウンソは自分の本当の家に行くことになるが、その家とは、なんと、クラスメートのシネ(ハン・チェヨン)の家で、大学教授の家とは雲泥の差がある貧しくて小さな町の食堂だった。しかも、実の母は、父と離婚していて、家にはチンピラとなった兄がいた。

 このように、はじまりからして、格差社会である。

 その後の展開next twistも、格差を背景backgroundにして続く。シネは、ウンソの代わりに裕福なユン家の娘となり、家族はそろってアメリカに移住immigrate to U.S.A.してしまうのだ。

 10年後、貧しくて大学に行けなかったウンソは、派遣tempのメイドとしてホテルで働いていた。そこに、ある日、離れ離れになっていた兄ジュンソが現われ、さらにシネが、ホテルの新任マネージャーとして赴任transferしてくる。シネはアメリカでMBAを取得getting an MBAしていて、まさに富裕層の子どもとしては申し分のない経歴educational recordを身につけていた。しかし、ウンソは、働けなくなった母と借金debtを抱え、ホテルの仕事を失えば路頭に迷うしかない境遇sad circumstancesから抜け出していなかった。

 同じ時代に生まれながら、育つ家庭によって、ここまで境遇が変わる……。もちろん、『秋の童話』は悲恋の物語tragic love storyであって、格差のドラマではない。しかし、その悲恋の向こう側behind the scenesに、韓国の現代社会が持つ問題が垣間見えるのである。

 韓国では、1997年の通貨危機the currency crisisでデフォールトした後、社会構造social structureが一気に変わった。それまでの儒教をベースにした社会秩序orderが崩れ、アメリカ型の競争社会rat raceになった。この競争社会のなかに、若者たちはどんどん放り込まれていった。

 いま、韓国の大学進学率は80%を超えている。ところが、大学を出ても、一流大学卒以外は就職jobにあぶれてしまう状況が続いている。つまり、大学に行けなければ、ほとんど一生、非正規雇用者として社会の底辺at the bottomで暮らすことになってしまう。

 以前、『内側から見た富士通 成果主義の崩壊』(当編集部刊)の著者・城繁行氏と編集部のメンバーといっしょに韓国旅行をしたことがあった。このとき、中年女性のガイドさんが、ナイトツアーの夕食の席で、急にそわそわしはじめた。それで不思議に思って聞いてみると、「帰って子どものご飯をつくらなければ……」と言う。彼女には高校生の息子さんがいて、「そろそろ塾から帰ってくる時間だから」と言うのだ。時計を見ると、すでに夜の10時半をまわっていた。

「塾が終わるのが11時。ウチは、それから食事なんです。韓国の高校生はみんな塾に行っていますよ。行かないと、いい大学に行けない。私が働いているのは、子どもの学費を稼ぐためです」

 彼女が言うには、韓国の高校生の合言葉は「3当4落」で、3時間以上眠らない子だけがいい大学top universitiesに入れるという。これは、日本の受験競争examination hellの比ではない。

 韓国では、エリート高校の数は厳しく制限されている。したがって、優秀な生徒でも通学範囲にそうした高校がないと、近所の普通の高校に入るしかない。そうすると、平均レベルの授業では一流大学に受からないので、徹底して塾に通うことになる。

 こうして目指すのが、「SKY大学」と呼ばれる3つの名門一流大学である。これは、ソウル大学(S)高麗大学(K)、延世大学(Y)3校の頭文字からネーミングされたもので、ガイドさんの息子もそこを目指していた。

 

『ニッケル・アンド・ダイムド』が描くアメリカの貧困層

 

 このように、どこの国にも格差は存在するが、格差問題の深刻さを痛感させられるのは、やはりアメリカだ。この国は世界一富裕層が多い国であり、ニュー・リッチを続々と誕生させているにもかかわらず、貧困問題poverty issueはまったく解決されていない。

 アメリカでは昔から、「貧困の文化」Culture of Povertyという概念があり、1度この文化に染まると、貧困は世代を超えて継承されるinherited by the next generationとされてきた。しかし、1990年代のグローバル化とITイノベーションによる好景気boomで、このことはすっかり忘れ去られてきた。

 それを私たちに、はっきりと思い起こさせたのが、“Nickel and Dimed”(Babara Ehrenreich, Owl Books; Reprintedition, 2002、邦訳『ニッケル・アンド・ダイムド――アメリカ下流社会の現実』(B・エーレンライク・著、曽田和子・訳 東洋経済新報社2006)だ。

 その後、この種の本は、これまでアメリカでは数多く出版publishされてきており、2008年に日本でベストセラーになった『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書、堤 未果・著)も、これらの類似本である。貧困問題に“反戦テイスト”を加えてはいるが、『ニッケル・アンド・ダイムド』は超えていない。

 『ニッケル・アンド・ダイムド』がすごいのは、現在60歳を超えている著者のエーレンライク女史が、自ら貧困層の生活を直接体験experienceして、それを丹念にルポしたことだろう。

 その1つに、彼女が、メイン州で清掃員に応募applyした話がある。彼女が、応募先の会社に面接(会社の命令に従順かどうかのチェック)に行くと、信じられないことに尿検査urine testを受けるように言われる。これは、健康診断health checkupではなく、ドラッグを使用していないかどうかの検査だった。そこまで屈辱的な目humbling experienceにあって、なんとか採用は決まったが、時給hourly payはたった7ドル……。

 それで、エーレンライク女史は、「こうして、自尊心を失い、本当に自分は低級な人間だと思いこむような状況に、精神的にも追い込まれていく」と書く。こうしたことが、格差を固定化し、ワーキングプアを貧困から抜け出せなくさせるという。つまり、アメリカでは、「貧困の文化」がいまも存在している。

 自分と縁もゆかりもない町で、なんのキャリアもない人間が働いて暮らすとしたら、まず、住むところから探す。しかし、アパートの前家賃depositは払えないので、週貸しweekly rentalのモーテルやトレーラーハウスを借りる。エーレンライク女史は、こうして仕事にありついた。

 じつは私は、エーレンライク女史が泊まったような、メイン州の安モーテルに、家族と1週間ほど泊まったことがある。1泊40ドルのところを、1週間は泊まるのでと30ドルにまけてもらった。

 2001年の8月末、そのモーテルの部屋に入ったとき、妻も娘も、本当に情けない顔になった。古びたベッドが2つあるだけで、シャワーは工事現場にあるユニット式のものが部屋の隅にはめ込んであったからだ。

 このとき、娘はメイン州のベイツカレッジというリベラルアーツの大学に入学し、「New Student Orientation」(新入生オリエンテーション)と「Convocation」(コンヴァケーション:入学のセレモニー)を控えていた。

 

森と湖の美しい州にも格差は忍び寄る

 

 娘を東部のリベラルアーツカレッジに行かせるのは、私の昔から夢だった。しかし、いざ合格passしてみると、授業料tuitionを払うだけで精いっぱいで、家族でメインまで行く旅費と滞在費を工面come up with the money forするのは大変だった。それで、安いモーテルを探したのである。

「親が子どもの大学の入学式に着いて行くなんてどうかしている」とも言われたが、それは日本だけで通用する常識common thoughtだ。いまだに、大学の入学式に親が出席するのは過保護pamperingだという人がいるが、私には信じがたい。入学のときに親が来ないとなると、なによりも子どもの肩身が狭くなる。親が来ないというのは、全額スカラーシップでまかなうような貧困層の子だけだからだ。

 アメリカの場合、とくにリベラルアーツのような小規模の大学small collegeでは、コンヴァケーションのある入学ウィークには、必ず親がやって来る。そうして、ほかの親や子どもたち、大学職員facultiesや教授たちprofessorsとパーティなどで親交exchangeを深め、子どもの入る寮(ハウス)の部屋を整えて帰っていく。富裕層の親なら使用人を連れてきて、子どもの部屋を整えるかもしれない。実際、ベイツカレッジには、東部の豊かな家庭の子どもが多かった。

 親が来るのは、留学生international studentとて例外ではない。ヨーロッパ、中東、アジア、アフリカからも親たちは来ていた。しかし、私たちが泊まったようなモーテルに泊まっている親は一組もいなかったと思う。

 メイン州は、ヘンリー・ソローHenry David Thoreau(1817~1862)が、名作『森の生活』(The Life in the Wood)で描いたように、ニューイングランド最北の森と湖の美しい州だ。ベイツカレッジは、そうしたメイン州の内陸の小さな町、ルイストンLewistonにあり、キャンパスの周囲には深い森や山があって、キャンパス内には小さな湖Lake Andrewがあった。

 ただ、人口3万人ほどの町はさびれていて、歩いていても人通りは少なかった。メインストリートといってもほんの数百メートルで、夜開いているレストランも2、3軒しかなかった。アメリカは車社会motorized societyだから、日本のように一極集中的な街並みはできようがない。とはいえ、ほとんどの商店がさびれているのは、周囲outskirts of the cityに大型のショッピングモールやウォルマートができたせいである。

 これもまた、アメリカの格差社会の現実realityだ。

 日本で地方都市の“シャッター通り”が問題になる以前から、アメリカでは地方都市suburban citiesで同じような問題が起きていた。ルイストンも例外ではなく、この町では大学以外はまったく活気がなかったstagnant。

 私たち夫婦は、そんな町から2マイル、キャンパスから1マイル以上離れた安モーテルに泊まり、毎日、歩いてキャンパスに通った。寮に入った娘と別れて、夜、森の中の道を歩いてモーテルに帰るとき、見上げると一面の星空star-filled night sky。東京では見られない無数の星myriads of starsが空高くまたたいていた。天の川Milky Wayがあれほどはっきりと空を流れるのを見たのは、このときが初めてだった。そして、森の上には、大きな月がぽっかりと浮かんでいたのを、いまも鮮やかに思い出す。

 このあと、子どもたちのスケジュールは、秋の「ペアレントウィーク」と続き、その後「感謝祭のホリディ」「クリスマス」「ウインターブレーク」と進んでいく。メイン州の秋は短く、10月後半には雪が降り、真冬はその雪に閉ざされるsnowed up。そのとき、富裕層の子どもたちは、フロリダやバハマ、あるいはメキシコのリゾートに出かけていく。しかし私は、正月に娘を日本に帰国させられるだろうかと悩んでいた。

 

「9.11テロ」以後、格差の拡大が進んでいる

 

 娘を置いて妻と帰国return to Japanしたのは、2001年9月12日だった。

 テレビを着けると、ニューヨークの街並みが映り、WTCが炎上しているシーンがくり返し流されていた。驚いて、CNNに切り替えると、しばらくして、メイン州のポートランド空港が映り、そこからテロリストが飛行機に乗ったとアナウンスされていた。私たちは、つい20時間ほど前に、そのポートランド空港からシカゴ経由で帰ってきたばかりだった。

 その後のニュースで、「9.11テロ」の主犯major culpritとされるモハマッド・アタと仲間の1人が、ポートランド空港のチェックをすり抜け、ボストンのレーガン空港に飛んだことを知った。彼らは、そこでアメリカン航空11便(AA11)に乗り替え、ニューヨークへと飛び立った。このAA11が、WTCに突っ込んだのである。

 「9.11テロ」は、その後のアメリカを劇的に変えてしまった。いや、世界中を劇的に変えてしまったchange the world dramaticallyと言っていいだろう。

 アメリカにかぎらず世界中で、持たざる者と持つ者の格差が拡大していったのは、「9.11テロ」以後since September 11のことだ。もちろん、それ以前にも格差は開いていたが、「9.11テロ」以後は、格差の拡大gap wideningは、いちだんと加速した。なぜなら、「9.11テロ」以後、各国政府はより右傾化drift to the rightし、より市場原理主義的market fundamentalismな政策を取るようになったからだ。

 いま、世界の富豪ランキングを見ると、政府の政策と歩調を合わせた産業界の大物たちbusiness mogulsがひしめいている。とくに新興国や途上国においては、これが顕著だ。中国やロシアでは、政府と結びついた企業が、アンフェアな税制度tax systemや、結局は富の私物化につながる民営化政策privatization policyによって、富を独占dominateするようになった。中国やロシアで誕生したニュー・リッチたちは、ほとんどがこうした政府の政策の恩恵benefitsを受けている。

 そしてアメリカでは、市場原理主義が行き着くところまで行き着いた。いまや資本主義は「ハイパー資本主義」hyper capitalismと呼ばれ、その結果起こったのが、サブプライム危機である。

 「9.11テロ」以後、アメリカはアフガニスタン、イラクとの戦争に突入したが、その一方で、ブッシュ政権Bush administrationと共和党主導の議会Republican-led Congressは、所得税の限界税率を大幅に引き下げ、キャピタルゲインと配当、固定資産への課税を減らしてきた。

 どれも、富裕層への大幅な優遇措置preferential treatmentだった。

 アメリカで戦争に狩り出されるのは、ワーキングプアの若者たちである。マイケル・ムーア監督Michael Mooreの『華氏911』(Fahrenheit 9/11)を見ればわかるように、アメリカでは、定職regular jobがなくショッピングモールなどでぶらぶらしているような若者たちが、軍によってリクルートされていく。

 格差の底辺にいると、「軍に入ればメシにもありつけるし、大学の奨学金も出る」と言われただけで、入隊してしまう。

 もちろん、ルイストンの町にも、郊外には大きなショッピングモールやウォルマートがあり、そこで私は、こうした若者たちをよく見かけた。もちろんメイン州にかぎらず、アメリカのどこでも、軍からやって来たリクルート担当者が、そうした若者たちに声をかけている光景を、その後私は何度も見た。

 

子どもたち全員が「お金持ちになりたい」と願う国

 

 格差の底辺で暮らすと、人間はいつのまにか「貧困の文化」に染まっていく。ワーキングプアの若者たちは、なんとかそこから抜け出そうと軍隊に行く。しかし、もっと怖いのは、若者たちばかりか、子どもたちまで「貧困の文化」に染まってしまうことだ。

 入学してから半年たち、「Spring Semester」(春学期)終わって「Sort Term」(短期学習期間)がはじまったころ、娘が電話をかけてきた。「Sort Term」で教職実習を取ったら、近所の小学校に行くことになったと言う。そして、「小学校2年生の子どもたちに、日本の文化を教えてほしいと頼まれたんだ。なにをやったらいいと思う?」と聞くので、「七夕はどうだろう」と答えた。

 メインには竹やぶがあるし、七夕は季節的にも近い。それに、小さな子どもたちにとって、短冊に夢を書くのは楽しいだろうと思ったからだ。

 しかし、その短冊が私に、夢より現実を教えてくれた。

 娘が短冊を集めてみると、なんと、そこには同じことばかりが書かれていた。どの子もみな「I wanna be rich.」(お金持ちになりたい)と書いたのだという。

「でも、例外の子が2人いたよ。1人は『パパに会いたい』と書いた。この子はソマリアから連れてこられた難民の子。もう1人は『ウォルマートの店員になりたい』だって」

 アメリカでは日本のように、お金持ちに対する偏見prejudiceはない。それでも、まだ10歳に満たない子どもたちの夢がみなお金持ちとは、ただ驚くしかなかった。これが、ハイパー資本主義の社会なのだろうか?

 このとき以来、私はアメリカには2つの国two different countriesが存在すると思うようになった。それは、「金持ちの国」と「貧乏人の国」である。

 コーネル大学の経済学者ロバート・フランク教授Robert Frankは、かねてから「いまの世界は“勝者総取り市場”winner-takes-all market“である。クローバル化によって、勝者総取り市場を生み出す力が、この30年間で急速に強まった」と言っている。

 こういう現実を、子どもたちは実際には知らなくとも、肌で感じているに違いない。というのは、大人たちが四六時中、給料や転職、あるいは投資の話をしているからだ。

 アメリカの主要企業500社のCEOの報酬compensationをみると、1990年には労働者の平均年収average annual incomeの107倍だったが、2005年には、なんとその4倍(411倍)になっている。当然だが、アメリカのジニ係数は0.46と、日本よりはるかに高い。

 

中国の大富豪たちはみなニュー・リッチ

 

 さて、ここからは、中国の話である。

 ジニ係数でいうと、アメリカよりさらに高いのが中国だ。アジア開発銀行ADBによれば、いまや中国の格差は、中南米諸国に近いという。中国のジニ係数は、1993年に0.41だったが、2004年には0.47に上昇。現在は、間違いなく0.5を上回ると考えられる。

 したがって、この国を「共産党独裁の社会主義市場経済」などと言っているのは日本の保守勢力conservativesだけで、中国の本質は「歪んだハイパー資本主義」である。

 「中国富豪ランキング500」を発表している『羊(ヤン)城(チャン)晩報(ワンバオ)』(2007年12月30日)によると、香港、台湾を合わせたチャイナリージョンの富豪500人の資産の合計は、なんと4兆3426億元(約69兆円)に達している。しかも、資産が1億元(約16億円)を超える人々の数は、アメリカに次いで世界2位だ。

 このランキングの1位は、香港の大手デベロッパー「新鴻(サンフン)基(カイ)地産」Sun Hung Kai Properties Limitedの郭(グオ)兄弟。『フォーブス』誌(アジア版)で中国の富豪No.1となって、いちやく世界のセレブとなった不動産業「碧(ビー)桂(グイ)園(ユエン)」Country Garden Holdingsの26歳の女性役員、楊恵妍(ヤンフイイェン)さんも4位に顔を出している。ちなみにその資産額は162億ドル。なんと、日本円にして約2兆円だ。

 中国の富豪ランキングを見ていくと、ほとんどの富豪がここ十数年で巨大な資産huge assetを築いた人々だとわかる。大手電器チェーン店「蘇(スー)寧(ニン)電器」の張(ジャン)近東(ジンドン)氏(40億5000万ドル)にしても、ライバルの「国(グオ)美(メイ)電器」黄(ホア)光(グァン)裕(ユー)氏(30億6000万ドル)にしても、みなニュー・リッチである。IT業界はとくにそうで、検索の「百度(バイドゥ)」の李彦(リーイェン)宏(ホン)氏Robin Li、オンラインゲームの「巨人(ジュイレン)集団」の史(ユー)玉柱(ジュウシー)氏、ポータルサイトの「騰訊(テンセン)」の馬化騰(マーフアテン)氏など、みなニュー・リッチだ。

 また、楊恵妍(ヤンフイイェン)さんが登場するまで、“中国でもっともリッチな女性”と言われた張茵(ジャンイン)さんは、1995年に小さな古紙回収会杜「玖(ジュ)龍(ロン)紙業」を創設、わずか10年足らずで中国最大手のダンボールメーカーに育て、大富豪の仲間入りをしている。

 しかし、こうした富豪たちと、一般庶民の格差は拡大する一方である。中国では都市部の一般富裕層urban richと農村の貧困層 poor farmersの格差は、アメリカの400倍どころではきかない。それこそ、1000倍以上の格差があるだろう。

 いまの中国では、あらゆるレベルの所得格差income gapが拡大基調にある。よく言われるのが、沿海部と内陸部の地域間所得格差で、これは、1人あたりのGDPがもっとも多い上海市ともっとも少ない貴州省(コイジョウシュヨン)の差を見ると、なんと12倍を超えている。また、都市と農村の所得格差も拡大中だ。

 中国の公式統計official statisticsでは、2006年の平均的な労働者の収入は、ドル換算で月額240ドルとされている。しかし、これは水増し統計で実態を反映していない。というのは、公式調査は、都市部の労働人口labor population約3億3000万人の3分の1にすぎない国有企業の社員や公務員、専門職など、恵まれた少数派minorityを中心に行われているからだ。

 しかし、都市労働者の多くは農村出身者で、各種手当treatmentsも雇用保証guarantee of employmentもほとんどない。スタンダードチャーター銀行の試算estimationでは、こうした低賃金労働者を含めた都市部の平均賃金は、月額160ドルにとどまっている。

 ただし、この都市部の3億人あまりの人々は、購買力平価PPP(purchasing power parity)からみて、いまや日本人の平均レベルと同じ生活レベルに達していると考えていい。

 したがって、中国の格差問題の焦点は、残りの10億人にある。この人々は、大半は農村で貧しい暮らしを続け、その一部は電気や水道すらない非文化的生活を送っている。それで、貧困から逃れるために都市に出稼ぎに出るが、ありつける仕事は、工事現場や工場労働などの低賃金労働low-wage laborだけなのである。

 

暗闇のなかで営業する餃子の屋台

 

 また、私の娘の話になって恐縮だが、娘はベイツカレッジを卒業後、ジョンズホプキンズ大学のSAIS大学院に進み、SAIS(国際戦略研究所)が中国の南京(ナンジン)大学(ダースエ)と提携しているため、2005年9月から、江蘚省(ジァンスーシュヨン)南京市で暮らしはじめた。

 そのため、私もたびたび南京に行った。

 日本人にとって南京というと「南京大虐殺」Nanjing Massacreしか思い浮かばないかもしれないが、南京は人口600万人を超える近代都市である。ラグジュアリークラスのホテル、ヒルトンもシェラトンもあり、地下鉄も走り、最近では上海の「新天地(シンティエンジー)」と同じようなお洒落なスポット「1912」もできた。

 もちろん、ニュー・リッチも多く、「1912」の高級レストランや繁華街の「新街(シンジエ)口(コウ)」に行けば、彼らに出会うことができる。

 しかし、アメリカからの留学生たちは、そんなところより、大学の近所の大衆食堂や屋台(摊点(タンディアン))にくり出している。とくに、夜中にお腹がすくと、彼らは屋台に食料を買出しに行く。私も誘われて、娘とクラスメートたちがよく行くという餃子(ジァオズー)の屋台に行った。

 その餃子の屋台stallは、大学近くの公園の脇道sidewalkにあり、なんと、暗闇のなかin the darkで営業していた。公園の灯りが届かないところを、わざわざ選んで屋台を置いているのだ。だから、遠目にはそこに屋台があるのがわからない。

「なぜこんなところに?」と聞くと、「公安に見つかると大変だから」と学生たちが言う。見つかると、最悪の場合、屋台を取り上げられて営業停止suspensionにされてしまうかもしれないというのだ。

 屋台をやっているのは母娘の2人で、注文すると中学生ぐらいの女の子が手際よく焼いてくれた。2元(30円)で10個入りワンパック。学生たちは、餃子のなかに入れる具(野菜や肉)を指定take a choiceして、十パック以上買った。

「あの女の子、学校に行っていないんだよ。お金がなくて行けないんだ。農民戸籍だから、公立の学校には行けない。農民の子が行く民間の学校は学費が高いからね」

 と、娘が教えてくれた。この母娘は四(スー)川省(チュワンシュヨン)の貧しい農村から出て来て、2人で生活していた。学生たちがここで餃子を買うのは、この母子の生活を助ける意味合いもあった。

 中国には、現代では考えられない「戸籍制度」(户(フー)口(コウ)制度(ジードゥ))family register systemが、いまだに存在している。これは、国民を都市に住む者と農村に住む者とに分類し、都市戸籍を持つ者を優遇treat warmlyするという明らかな階級システムhierarchy systemだ。

 その結果、経済成長を続ける都市に、都市戸籍を持たない農民が雪崩のように流入flow inし、低賃金労働者になって働くことを可能にさせている。しかし、農村戸籍を持つ人々は、一時的に都市で働くことを許されても、いずれ農村に追い返される。

 これもまた、一種の「貧困の再生産」であり、そのなかに組み込まれれば、人は一生貧困から抜け出せない。

 2007年、中国の主要都市では、最低賃金minimum payを引き上げる動きが続いた。7月には、広東省が最低賃金基準の引き上げを発表し、最低賃金は平均で約18%上昇した。また8月には、上海市も最低賃金基準を12%引き上げた。

さらに、2008年1月1日、労働者の解雇dismissal of workersを制限する「新労働契約法」が施行enforceされ、中国の一般労働者の待遇treatmentは改善されつつある。

 しかし、その結果、なにが起こっただろうか?

 低賃金労働者を確保できなくなった外国企業foreign corporationが、中国を離れようとしはじめたのだ。中国よりさらに賃金が安い、ベトナムやカンボジア、インドネシア、インドなどにシフトしようとしている。これは、これまで中国でさんざん稼いできた日本企業も同様だ。

 

「フラット化する世界」では賃金も標準化する

 

 ピュリツァー賞受賞ジャーナリスト、トーマス・フリードマン氏Thomas Freedmanは、著書『フラット化する世界』(“The World Is Flat: A Brief History of the Twenty-first Century”)のなかで、「今後、世界はやがて1つの平準化した世界(フラットな世界)にならざるをえない」と言っている。

 これは、インターネットが地球をネットワーク化してしまい、世界のどんな地域と地域をも、簡単に結びつけることができるようになった結果だ。しかし、フラット化はなにもITだけの話ではなく、労働にも言えることだ。つまり、途上国や新興国developing and emerging countriesの労働者の賃金は上がり、同じ労働をする先進国advanced countriesの労働者の賃金は下がっていく。グローバル化によって、賃金までフラット化していく。

 たとえば、現在、ソフトウエア開発development of softwareや会計処理account processingなど、先進国の仕事がインドや中国などにオフショアリングされている。つまり、よほどのハイレベル労働者以外は、先進国においては賃金が下がる。逆に、途上国や新興国においては、成長によって賃金がある程度上がる。しかし、やがてどこかで頭打ちpeaking outとなり、両者の賃金はいずれ同じ水準になっていくのである。

 ヒト、モノ、カネ、情報が国境borderを越えて速いスピードで行きかうグローバル経済global economy。そのなかでは、知的労働者や先に資本を手にしたニュー・リッチなどの一部の者しか富を築けないのである。

 現在、日本では格差是正論が盛んだ。自民党から民主党まで、それこそ右から左まで、「下流層を救うために富裕層や企業からもっと税金を取って再分配すべき」と主張し、「政府はセーフティネットを充実させるべきだ」と叫んでいる。

 また、ワーキングプアやフリーターなど、社会の底辺に取り残された若者たちに、ナショナリズムnationalismに走る傾向が強くなっている。以前より、若者たちは右傾化し、「反中」anti-China「反韓」anti-Koreaあるいは「反米」anti-Americaの言論が力を増しつつある。そんななか、安倍前内閣は、しきりに「美しい国」を唱え、「愛国心」教育まで復活させた。

 これは、グローバル化のなかで、中流層から下流層まで、自分たちは取り残されていくgetting left behindのではないかという不安anxietyが増大しているからだろう。その不安の裏返しとして、格差是正論とナショナリズムが台頭する。取り残される人々にとっては、“日本人である”being Japaneseということだけがアイデンティティだからだ。

 しかし、ナショナリズムを高め、富裕層から政治の力political powerで富を奪えば、格差が是正rectifyされたフェアな社会ができるのだろうか?

 そんなことはありえない。なぜなら、もしそのような政策が実施されれば、富裕層も企業も、日本を出ていってしまうからだ。

 

ニュー・リッチの見識と行動に未来を託す

 

 中国を見ればいい。この国では、ついこの間まで、広州(グワンジョウ)や上海など、先に発展した地域でリッチになった者が、資産を持って、カナダ、オーストラリア、アメリカなどに移住immigrantしてしまう例が後を絶たなかった。

 都市部のニュー・リッチたちは、成功のシンボルとして、まず、豪邸を建てる。中国では豪邸を建てるのが最高のステイタスだからだ。そして、贅沢三昧の生活を送りliving in luxury、次にお金の力で「一人っ子政策」One Child Policyの例外措置の恩恵を受け、子どもを2人以上つくる。そして、その子どもたちに自分の事業を継がせようと、どんどん海外留学study abroadさせる。

 しかし、こうしたことを派手にやると、経済格差の底辺にいる人々は嫉妬心jealousyを激しくかき立てる。中国のネットでは、そうした裏書き込みがどんどん増えている。それで彼らは「こんな国では暮らしていられない」と、出て行ってしまうのだ。

 これと同じことが、政策policyを誤れば日本で起こるのは間違いないと思われる。そうなれば、日本経済は低迷going downし、ますます一般層の暮らしは落ち込んでいく

 すでに、十分に住民税、所得税、相続税、法人税が高いこの国から、富裕層も企業もじょじょに逃げ出している。世界には、富裕層と企業にとって活動しやすい国はいくらでもある。タックヘイブンはその典型だ。

 とすれば、格差是正論者が言うように、政治の力によって富の再配分redistributing health(つまり増税tax hike)をするのは、利口な選択smart choiceではない。ここは、このグローバル経済の恩恵によって新しく富を得た人々、つまり、ニュー・リッチの人々の見識と行動wisdom and behaviorに、再配分を期待するしかないだろう。

 もし、彼らがそうした見識を持たず、このまま富を増やし続けるだけなら、格差はますます開いていくだろう。世界は「グローバルな階級社会」に向かい、8、9割の人々が下流化したワーキングクラスを形成し、それを新富裕層が支配ruleするということになる。

 つまり、それは、支配階級dominant classが王侯貴族aristocracyからニュー・リッチに代わっただけの「新しい中世」the new Middle Agesの誕生ではないだろうか。

 内田樹氏は、著書『下流志向』(講談社 2007)のなかで、次のように書いている。

 

 《上流階層は努力が報われると信じており、下流階層は努力をしても意味はないと信じている(「勉強をしても良い企業に入れるとは限らない。だから勉強をする必要はない」と、「そもそも勉強をしなければ良い企業には入れない。だから勉強をする」の違い)。

 子供は自分が所属する階層の価値観に従うため、上流階層の子供は勉強をする一方で、下流階層の子供はむしろ勉強を否定することに価値を見いだす。こうして階層化は加速度的に進行した》

 

 まさに、そのとおりのことが進行している日本で、格差是正論者が言うような政策を取れば、日本は衰退に向かうだけだろう。

 

人はみな裸で同じようにこの世に生まれてくる

 

 上海の浦(プ)東(ドン)地区は、いまやニューヨークのマンハッタンと見まがうほど、高層ビルskyscrapersが立ち並ぶ「超・近代都市」である。しかも、そこには、浦東国際空港から市内に乗り入れる高速リニア鉄道linear-motor trainが走り、その最高時速は430キロと、日本の新幹線を凌駕overdriveするハイテク技術が結集されている。

 それなのに、ここには、いまだに貧しい人々が暮らしている。

 ついこの間まで、浦東の一画を歩くと、どこからかボロを着た少年が現われて、おカネをせびった。

 かなり前だが、家族で歩いていたときも、そんな少年が私たちの目の前に現われて、「块钱、块钱!」(おカネをおくれよ!)と叫んだ。見ると、顔に垂れたボサボサの長髪の隙間から、中国の子どもにしては珍しい丸い目が光っていた。それで私は、思わずその子の頭を手でなでると、ポケットから取り出した1元硬貨を渡した。

 すると、まだ小さかった私の娘が「なぜそんなことをするの?」と怒った。娘は私の手を指して、「あんな子を撫でた手で私をさわったらイヤだからね」と言った。

 それで、今度は私が娘を怒った。

「あんな汚いかっこうをしているけど、あの子も生まれたときは、汚くなかったんだよ。赤ちゃんはみんな裸で、同じようにこの世界に生まれてくるんだ。そのことを考えなさい」

 これは、この章の冒頭に紹介したケン・ジョセフから、私が教えれたことである。

 ケン・ジョセフの父親は、日本の敗戦後、マッカーサーDouglas A. MacArthur(1880~1964)が、「この国の復興には1万人のボランティアが必要だ」とアメリカ国民に訴えるのを聞いて、日本にやってきた牧師priestである。敗戦後の困窮postwar hardshipにあえぐ日本人を励まし、教会で祈り、ボランティアとして多くの日本人を助けた。

 しかし、幼かったケンは、なぜ両親が日本人のために尽くしているdoing a favor for Japaneseのか納得がいかなかった。というのは、日本人の子どもといっしょに遊ぶと、アメリカ人の子どもの母親から、「シラミがうつる。だから、日本人の子どもと遊んだら、うちの子と遊ばないで」と言われたからだ。

当時の東京には浮浪児street childrenもいたし、浮浪者homelessもいっぱいいた。ケンは池袋の駅で生まれてはじめて浮浪者を見たというが、そのとき、「あのおじさんたち、すごく臭さそう」と言ったら、母親からこっぴどく叱られたという。そのとき、ケンの母親はこう言った。
「ケン、なんてことを言うの。あのおじさんたちは、昔はどこかのお母さんのかわいい赤ちゃんだったのよ。お前と同じように、この世に赤ちゃんとして裸で生まれてきたんですよ。そのことを考えないさい」
 それ以来、どんな人間を見ても、ケンの頭にはこのときの母親の言葉が浮かんで、その人間が赤ん坊だったころを想像してしまうようになったという。

「これがボクのボランティア活動の原点だね。母の言葉を思い出すと、キリストの教えがわかる。キリスト教は、どんな人間でも愛さなければいけないんだ」

 と、ケンは言う。

 この本の前作『ニュー・リッチ』の世界で、臼井氏は欧米の富裕層が必ずボランティア活動volunteer activitiesや献金contributionをすることを書き、その原点originは、キリスト教の「十一献金」Tithesの精神にあると述べている。

 「十一献金」とは、「人は得たものの10分の10の献金しなければならない。すると、そのなかから神が10分の9を与えて下さる」という教えで、富を得たら必ず「10分の1」を神に捧げるという行為behaviorだ。つまり、この世の富はみな神のものであり、お金持ちというのはそれを一時的temporaryに預かっているにすぎない。だから、平たく言えば、10分の1を献金して、貧しい者を救えというのである。

 カーネーギーは、「金持ちは貧乏人の管財人にほかならない」と言って、築いた巨万の富で、次々に社会貢献をした。現代では、ビル・ゲイツ氏やウォーレン・バフェット氏が同じようなことをしている。

 つまり、格差を本当に是正するのは、政治や政策ではなく、人間の心のあり方なのではないだろうか。

[Column 8]

おカネと愛国心

I Love Japan

外から日本を見ないと健全な愛国心は育たない

「イングランドしか知らない人に、イングランドのなにがわかるか」(And. what should they know of England/ who only. England know?)」と言ったのは、名作『ジャングル・ブック』(The Jungle Book)で有名なイギリスの作家ラドヤード・キップリングJoseph Rudyard Kipling(1865~1936)だ。

 彼は、インド生まれだが、母国イギリスを心から愛した愛国的な作家だった。

 キップリングがこう言ったのは20世紀初頭、まだ世界は帝国主義の時代age of imperialismだったが、21世紀の今日、この言葉はますます重要な意味real importantを持つようになっている。それは、グローバル化globalizationが進み、世界が1つになるにつれて、人々が自分のアイデンティティを強く求めるようになったからだ。

 グローバル化は、経済や社会から国境borderを取り払った。しかし、心の中からは取り払えない。いくら国境がなくなろうと、人間は生まれ育った環境と社会environment and communityに強い愛着affectionを持つ。しかし、その愛着は外の世界outside worldを知ってはじめて強く意識become consciousされるもので、キップリングのように自国を外側から見た経験experienceがないと健全には育まれない。

 したがって、いまの日本に強い愛着を持ち、「なんとかもっといい国にしたい」と思っているのは、国内しか知らないような一般層の人々ordinary peopleではない。最近の日本人は、昔より右寄りになり、より愛国的patrioticになったと言われるが、それは一般層が外の世界を知らずに自己愛narcissismを強めているだけで、愛国心としてはまったく不健全unhealthyである。こうした盲目的な愛国心thoughtless patriotismは、かえって国を悪いほうに導く。

 その点、多くのニュー・リッチはビジネスの成功者だから、国外とかかわりを持ち、日本を外側から見ることlooking at Japan from the outsideに慣れている。

 私は、これまでそうしたニュー・リッチ、つまり、日本を本当に健全に愛している人間に何人か会ってきた。

 ここでは、そのなかから、2人の方を紹介したい。

 

武富士裁判の判決に怒りを隠せないニュー・リッチ

 

 香港の上環Sheung Wanにある「ランカイフォン・ホテル」(蘭桂坊酒店)のバーで会った斉藤健二氏(仮名、48)は、はじめから怒っていた。

「こんなバカな話がありますか? これじゃあボクも、日本人として悪いことをしていることになってしまう」

 斉藤氏が怒っていたのは、2008年1月23日、東京高裁でとんでもない“耳を疑う”判決decisionが下ったからである。この日、東京高裁で結審closeしたのは、いわゆる「武富士裁判」と呼ばれるもの。

 これは、簡単に説明provide a simplified explanation aboutすると、「武富士」の創業者である武井保雄元会長(故人)夫妻から株を贈与donate stocksされた長男の俊樹・元専務が、国から約1330億円を追徴課税force d to pay 1330 million yen in back taxされたので、その処分の取り消しcancellationを求めて争っていた裁判である。なんで追徴課税されたかというと、武井俊樹氏が香港に住んでいたからだ。

 つまり、日本の課税権taxation rightsの及ばないところで暮らしているのに、「なぜ税金を払うのか」と俊樹氏は訴えたわけである。この訴えは、一審では認められ、国の敗訴となった。しかし、この日に行われた控訴審appeal courtでは逆転して、俊樹氏の請求は棄却dismiss the appealされてしまったのである。

 東京高裁の柳田幸三裁判長は、武井俊樹・元専務が課税回避目的tax-avoidance tacticで海外に居住していたと認定recognizeしたうえで、「贈与時に生活の本拠は国内にあったとして行った課税処分は適法」と述べ、処分の取り消しを命じた1審の東京地裁判決を取り消してしまった。

 つまり、俊樹氏は香港に住んでいたにもかかわらず、「そうではない」と無理やり決めつけたのだ。もっとくだけて言うと、「税金逃れのために香港に住んでいたので、たとえ事実として国外で暮らしていようとも、それは国外に住んでいたことにならない」とし、「税金を納めなさい」と言ったのである。

「この裁判長はなにかを勘違いしている。きっと正義は自分にあると思っているんでしょう。でも、裁判というのは法が裁くので、人が裁くのではない。だってそうでしょう。この判決は行為自体を裁いているのではなく、その目的を裁いているからです。

 たしかに武井さんが香港に住んだのは、税金逃れのためでしょう。しかし、それは、当時の法律に違反していないんです。つまり、法律は破っていない。なのに違反だというんですからね。

こんなことをやっていたら、日本のお金持ちはみんな国を見捨てますよ。怖くて国内で経済活動ができない。ボクはもう永遠に日本に帰らないかもしれない」
 と、斉藤氏の怒りはさらにヒートアップした。斎藤氏も武富士の武井俊樹氏と同じように、日本の過酷な課税を逃れようと、日本の居住者Japan residentであることを止めて家族で香港に来た。

 それは、2000年前後のことで、日本でストックオプションで得た十数億円の資産をタックヘイブンで運用move and invest money in tax havenしようと考えたからだ。それから8年、資産運用も順調に行き、そろそろ日本に帰ろうかと思っている矢先の判決だった。

「香港は本当に便利だけど、ボクもそろそろ50歳。人生の後半のことを考えると、やはり日本に戻って暮らしたい。それに、そろそろ母親のそばにいて面倒をみてあげたいし……」
 このランカイフォン・ホテルは2006年にオープンしたばかりのモダンチャイニーズスタイルのブティックホテルで、5つ★ホテルを泊まりあきた富裕層や若いシティトラベラーに、とくに人気がある。バーはホテルの最上階にあり、テラスに出られるので、私は斎藤氏とテラスに出た。

 テラスからの眺めviewは素晴らしく、目の前に香港島の高層ビル群cluster of high-rise buildingsがあり、その合間から香港湾をはさんで九竜側のきらめく夜city lights at nightが見えた。湾には船が行き来し、空には飛行機が放つ尾灯の赤い光が移動している。

 テラスのヘリから下を眺めれば、週末の夜とあって、坂道の両サイドのバーやレストランからあふれ出した人々が、グラスを片手に路上でお酒を飲んでいる。ソーホーと蘭桂坊の中間にあるこのエリアは、いま香港でもっとも刺激的なエリアだ。

 

日本はルールを守っていても罰せられる国

 

 もう少し、武富士裁判について説明したい。この判決に、ニュー・リッチたちや経済人たちが怒るのは、争点central issueが日本か香港かがすべてだからだ。それ以外の争点はない。

 武井俊樹氏が親から株式の贈与を受けたのは、1999年のこと。当時の日本の租税法tax lawでは、日本人が贈与で財産を取得した場合、課税の対象は国内財産domestic assetsだけだった。

 日本の租税法は「属地主義」といって、基本的に日本国の主権sovereign powerが及ぶ範囲にいる居住者から税金を取るシステムになっている。したがって、日本人であろうと、日本に居住していなければ日本国に税金を払う義務dutyは生じない。

 ということは、このシステムがあるかぎり、富裕層は日本国内で暮らしたり経済活動をしたりするliving and doing business in Japanより、海外に出て同じことをするほうを自然に選択するようになる。しかし、今回の判決は、それを違法行為illegal actだと決めつけたのである。

 裁判でも、武井俊樹氏が当時、年間日数の65%は香港にいたことは認めている。しかし、①家財道具は都内の自宅に置いたままだった ②武富士の役員の地位にあり、日本が職業活動上、もっとも重要な拠点だった ③元会長の後継者として日本での生活が予定されており、香港を生活の本拠とする意思は強くなかった――などの理由から、「日本居住者」としてしまったのである。

これだけでも強引だが、さらにおかしのは、これが日本国憲法で定められた「租税法律主義」principle of no taxation without law「居住移転の自由」freedom of residence and movementにも、「世界人権宣言」Universal Declaration of Human Rightsにもそむいている点だ。

 日本国憲法には、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする(第84条:Article 84:No new taxes shall be imposed or existing ones modified except by law or under such conditions as law may prescribe.)「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」(第30条:Article 30:The people shall be liable to taxation as provided by law.)」と書かれている。これが、租税法律主義だが、これを適用applyすれば、目的がどうであろうと、今回の件は違法ではなくなる。もし違法とするなら、過去に合法だった件をいまのルールで裁いたことになる。

 斎藤氏が怒ったのはこの点で、「日本はきちんとルールを守っていても、風向きが変わるとなにが起こるかわからない国」ということになってしまう。これは、過去に遡ってgoing back to the past法律を変えられる、いわゆる「遡及立法」retrospective lawであり、明らかに憲法違反だ。

 また、「居住移転の自由」とは、基本的人権basic human rightsの一種であり、日本国憲法第22条第1項で定められている自由権の1つ。これがないと、資本主義capitalismは成りたたない。というのは、資本主義は、人々の自由な移動が保障secureされたうえで、労働や営業活動labor and businessがなされるからで、もしこれがなければ、人は自由に職業選択career choiceもできなくなってしまうからだ。ちなみに、居住移転の自由がない社会というのは、封建主義社会feudal societyである。

 だから、「世界人権宣言」の第13条にも、「1、すべて人は、各国の境界内において自由に移転および居住する権利を有する。 2、すべての人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、および自国に帰る権利を有する」とある。

 このように見れば、今回の判決は、これらをいっさい無視ignoreして、裁判官の主観subjective aspectで下されたとしか思えない。

 では、その主観とはなんだろうか?

「大金持ちが税金逃れのために日本を出ていく。それは正義に反する行為だ。とくに武富士のような消費者金融で資産を築いた金持ちには、見せしめとしてお灸を据えておかねばならい」ということなのだろう。

 村上ファンドの裁判で、東京地裁の裁判官が「徹底した利益至上主義には慄然とする」と書いた判決文decisionも、同じような主観がにじみ出ていた。

 

ロサンゼルスでいまいちばんトレンドなホテル

 

 場所は変わって、ここはロサンゼルスのサンセット通りにある「サンセット・タワー・ホテル」Sunset Tower Hotel。1929年に建てられたこの16階建てのホテルは、2006年8月、ニューヨークからやって来た37歳の青年実業家ジェフ・クラインJeff Kleinの手でブティックホテルに生まれ変わってオープンするや、ロサンゼルスのセレブ文化の中心地center of celebrity cultureとなった。

 トム・クルーズ夫妻、ジェニファー・アニストン、オスカー・デ・ラ・レンタ、ブルース・ウェーバー、ビル・マーレイなどが次々にやって来て、タワーバー(ホテルのダイニングルーム)、プールサイドバーなどで優雅なときgracious timeを過ごすようになった。

 テラスからはロサンゼルス市街downtown Los Angelesが一望でき、背後にはハリウッドの森Hollywood woodsが広がるという絶好のロケーションと、エミー賞などのパーティが開かれるという話題性が、彼らを惹きつけたのである。

 この噂を聞いて、最近では、世界中のニュー・リッチがここに宿を取るようになった。もちろん、日本人の宿泊客もいる。

 そんな日本人宿泊客の1人が、山岸洋司氏(仮名、50歳)である。

「前はベルエアに泊まっていたけど、最近はここ。ここはなんといっても、サービスが最高で、いくらセレブがいても彼らだけを特別扱いせず、泊まり客全員に同じサービスをしてくれるんですよ。聞くところによると、ニコール・キッドマンはここが定宿になっているとか」

 ホテル内のタワーバーで会った山岸氏は、ジャッケットは着ているが、その下はポロにチノパンというカジュアルな格好だった。

「ドレスコードを気にしなくていいのが西海岸のいいところ。格好より品格ということですかね」

 アメックスの会員誌『Departures』にサンセットタワーの記事が載っていたので読んでみると、ブリットニー・スピアーズが3室予約しようとしたが断られたという。その理由は、「セレブの客も受けつけるが、良質のセレブに限る。鼻につくタイプはお断り」と、ジェフ・クラインが判断したからだという。

 また、カトリーヌ・ドヌーブがタワーバーにいるのを見つけたほかの客が、ピアノ奏者に「彼女がいるんだから『シェルブールの雨傘』でも弾いたらどうかね」と言うと、ピアノ奏者はこのリクエストを断ったという。その断りの言葉は、「昨晩はディオナルド・ディカプリオが来ていましたが『タイタニックのテーマ』など弾きませんでしたよ」だったという。

 しかし、こんなクールな場所で、私が山岸氏から聞いた話は、まったくクールでない、日本の情けない現状だった。

 

グリーンカードが取得できる投資プログラム

 

 山岸氏は、現在、アメリカの永住権permanent residence(グリーンカード)を持ち、日本とアメリカを行き来しながら過ごしている。それは、「American Life EB-5 特別投資プログラム」によって、シアトルの不動産に投資investしたからである。

 このプログラムの最大のメリットは、投資によるリターンが得られることより、グリーンカードが得られることにある。しかも、投資家は、アメリカの事業に積極的に参加する必要はない。

たとえば、「100万ドルを投資して2年以内に10名のアメリカ人を雇用する」「失業率jobless rateがアメリカ平均失業率の150%を超える地域に50万ドルを投資して、2年以内に10名の米国人を雇用する」「移民局が指定する地域センター(Regional Center)内の事業に100万ドルまたは50万ドルを投資して間接的な雇用を生み出す」などの規定stipulationをクリアするなら、現地法人local corporationにまかせきりでいいのである。
「私はね、もちろん投資目的もありますが、本当の目的は息子の教育のためです。息子がこちらの大学に入るので、それならとシアトルに家を買ったわけです。だから、いま、息子と妻はシアトルに住んでいます」

 このプログラムでは年齢、英語力、学齢、経歴などはいっさい問われないので、ただアメリカで暮らしたい、あるいはリタイア後にアメリカで暮らしたいという日本人富裕層も多くいるという。

 シアトルは、サブプライム問題が起こるまで右肩上がりで高騰してきたアメリカの不動産市場real estate marketのなかで、とくに割安物件undervalued propertiesが多かったため、2000年前後から移住者がどっと増えた。同じミリオンの住宅を買うなら、シアトルだとロサンゼルスの2倍の広さの物件が買えた。だから、国内の移住者も多い。

「それよりも、やはり環境のよさでしょう。気候もいい。シアトルは、海、湖、山に囲まれた静かな街で、緑が1年中絶えない。1年のほとんどをエアコンなしで過ごせますからね」

 と、山岸氏は続けたが、このときの話の本題は、日本の将来についてだった。

「シアトルで私と同じように日本から来ている人たちと話すと、“このまま日本はどうなってしまうのか”という話ばかりになるんですね。いまの日本は世界と逆行することばかりやっている。

 とくに、所得税や相続税、それに法人税、消費税まで財政難から引き上げようとしています。こんなことをしたら、日本は本当に潰れてしまいますよ。税収が上がれば、国家破産から逃れられると考えているんでしょうけど、それは間違いだ。増税したら、税収は下がり、経済はダメになる。

 政治家は、大衆に迎合するから、“金持ちからもっととれ!”という声に弱い。しかし、所得税や法人税を上げたら、私のような人間は、ますます日本がイヤになってしまうし、国民だって景気が悪くなって、逆に苦しむだけです」

 

世界は減税競争に入っているのに日本は増税

 

 山岸氏が言うには、日本の所得税income taxは地方税10%を含めると50%にもなり、主要国のなかでは世界1高い水準levelにある。また、金利interest rateも世界一低いので、このままでは国からおカネが出て行くばかりだということ。さらに法人税も世界的に高く、こうした税制を続けていくと、「日本はどんどん貧しくなるばかりで、国も落ちぶれる。それが耐えられない」と、言うのである。

 現在、世界の主要国は、所得税、法人税corporate taxとも引き下げる方向にある。それは、たとえば所得税の場合、モナコとリヒテンシュタインがゼロ、スイスが11.5%、ロシアが13%、香港が15%などとなっているため、どの国でも富裕層が国を出て行ってしまう傾向が強くなったからだ。 

 現在、主要国の所得税は、イギリス、フランスが40%、アメリカが35%だが、これでも地方税と合わせた日本の50%は高い。

 また、法人税は世界中で引き下げる競争competitionが進行している。これは、海外からの投資を呼び込むlure foreign investmentためで、1997年から2007年の10年間で世界平均は33.2%から26.8%に、OECD平均は36.0%から27.7%に、EU平均は35.5%から24.2%に下がっている。

 しかし日本は、これまでの51.6%から下がったとはいえ、まだ40.7%で、OECD諸国のなかではもっとも高いのである。

「私は世界でビジネスをしていますからこういうことには敏感です。ここのところ、東欧が成長しているのは、法人税を下げたから。ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド、バルト3国など、大半が25%未満ですよ。それで、オーストリア、オランダ、ポルトガル、北欧諸国など25%まで下げてきている。さらに、今年(2008年)はドイツもイギリスも20%台に下げますよ」

 もちろん、法人税に関してはタックヘイブンにはかなわない。たとえば、イーベイやポロ・ラルフローレンは欧州本部をスイスに移し、グーグルもまた持ち株会社holding companyをスイスに移したが、これは法人税の軽減reduceを狙ったものだ。日本企業でも、サンスターは本社機能をスイスに移している。

 法人税の引き下げ競争は、アジア各国でも行われている。香港は2008年度に17.5%から16.5%に引き下げ、シンガポールは20%から18%に引き下げている。

「それなのに、日本の税務当局は法人税率25%以下の国をタックスヘイブンと認定しているんです。これだと、いまや世界中がタックスヘイブンですから、私のような人間はみな日本を出てしまうでしょう。でもね、出たとしてもそれで幸せかと言われればそうではないですよ。日本が世界に取り残されて落ちぶれていくのを見るのは気分がいいわけがないでしょう。

 日本はやろうと思えば、まだ、いくらでもできるんです。世界と同じ水準にしてしまえば、日本を出る必要もないし、環境もよく四季もある美しい国だから、逆に世界からヒトもカネも来る」

 バー内にピアノ演奏が流れるなかで、私たちのクールでない話は尽きなかった。

 

イデオロギーや思想は中流階級の錯覚

 

 2008年6月17日、福田康夫首相はG8諸国の通信社wire serviceとの会見press conferenceで、「(消費税の増税を)決断しなければならないとても大事な時期だ」と語り、日本が今後増税する意向であることを内外に示した。

 すでに、日本の政策は、サラリーマンの所得控除の縮小など、「増税路線」tax-and-spend policyに入っているが、今後、さらに増税路線は強化されようとしている。

 はたして、これで本当にいいのか? 秋葉原通り魔殺人事件が起き、ますます格差social gapが問題視されているが、これは増税tax hikeで是正できるものなのか、私たちは真剣に考えなければならないだろう。

 ニュー・リッチは格差社会の敵のように、愛国言論からは見られている。拝金主義mammonismによって“美しい日本”が壊され、人心も荒廃していくように言われている。では、日本はグローバル化が起こる以前の昔に回帰going backすれば、問題は解決solve the problemするのか? おカネはなくとも品格ある国家であれば、私たちは本当に幸せなのか?

 私たちは、本来、雇用の創出、高額な税負担、旺盛な消費などをとおして、日本の経済・文化に多いに貢献contributeしている富裕層のあり方については、これまでほとんど考えてこなかった。

 こコラムの最後に記したいのは、社会の上層にいる人々も底辺にいる人々も、じつはマインドは同じだということだ。

 格差の底辺にいる人々people at the bottomの特徴は、まずは正直honestだということである。彼らはけっして高尚なことは言わないし、知らないことを知っているように「知ったかぶり」もしない。第一、本もほとんど読まないから、宗教religion、イデオロギーideology、思想thought、文学literature、占いfortune telling、文化cultureなども信じない。ただし、純粋に日本を愛している。

 同じく、じつは富裕層にもこうしたマインドはない。上流の人々upper peopleはほとんどイデオロギーと思想を持っていないし、文学などにもあまり興味がない。それでも、自分が育った日本を素直に愛している。

 たとえば、お酒を飲むときのことを考えてみればいい。底辺の人なら、銘柄など指定できる余裕がないから、「お酒をくれ」とだけ注文するだろう。では、上流の人はどうやってお酒を注文するだろうか? これもまた、ただ「お酒をくれ」だけである。なぜなら、そう言うだけで、いつでも最高級のお酒が出てくるからだ。

 つまり、銘柄やブランドにこだわるのは、その中間にいる層middle classだけだということだ。彼らは、イデオロギーや思想がないと人間は生きていけないと信じて、本や新聞を読む。その結果、取るに足らない言論人の意見に耳を傾け、信じなくてもいいことを信じてしまう。

 とくに、日本国内だけで生き、外の世界と比較compareできない空間の中で暮らすと、この傾向は強くなる。

 ポール・ファッセルPaul Fussellの“CLASS : A Guide Through the American Status System”(邦題『階級』、訳・板坂元、光文社、1987)によれば、アメリカの上流が信じているのは、「資本はけっして犯されてはならい」ことだけだという。

ここには、イデオロギーもなければ、歪んだナショナリズムもない。