『結婚の構図』後の章・あとがき 印刷

後の章

 

● 一

 

知子の左脇腹には、ニューギニア島の形によく似た痣(あざ)がある。いつだったか、そっと指先で計ってみたら、横の長さが人差指とほぼ同じであった。本人にたしかめたことはないが、茶褐色に近いその色から推して、恐らく母斑(ぼはん)――生まれつきのものだろう。

私がその痣に気づいたのは、知子と他人でなくなってから七年もたった後であった。その間、私は、気が向いたときだけしか知子を抱いてやらなかったし、一年近く抛(ほう)っておいた時期もあったが、妻を別にすると、やはり彼女とは最も多く肌をあわせていた。平均すれば月に二回ぐらいのわりで夜をともにしていたのではないだろうか。

だから痣を発見したとき、痣そのものにも驚いたが、七年間もそれに全く気づかなかった自分の迂闊さにも呆れ、俺はこの女のことを知りつくしているつもりで、実は何も知らなかったのではないか――と、いささか撫然たる思いでもあった。

しかし、それだからといって私は、改めて知子へ目を注ごうという気持にはならなかった。むしろ逆に、それまでよりも知子を軽く視るようにさえなった。当時すでに、この女とは一生手が切れそうもないと、半ば覚悟をしていたせいだろうか。

「あの娘にだけは手を出さないでよ」

知子とまだ何でもなかった頃、妻は珍しく私に念を押した。すれていない娘だけに、一旦そうなったら持てあますに違いない――というのが、その理由だった。だれがあんな小娘――と、私は嗤(わら)ったが、妻はいつにない真剣な表惰でこう言った。

「そのうちに、あの娘はきっと私たち夫婦の間に割り込んでくるわ。そんな気がしてならないの。ね、本当にやめてよ。うっかり手を出したら、一生背負い込むことになってよ」

妻の予言が私を唆(そそのか)したと言ったら、言い訳になるだろうか。しかし、私の情事をいつも寛大に見逃してくれる妻が、妙に神経を尖らせたので、

――嘘か本当か、一丁、試してみるか。

私の浮気心をかえって刺戟したのはたしかだった。

知子は、妻が不妊手術を受けた横浜の病院の看護婦であった。手術から半年ばかりたった四月の末、私は偶然、出勤の電車内で彼女に逢った。会釈されたのだが最初は誰か判らず、「その後、奥さま、いかがですか」と訊ねられて、やっと思い出した。白い制服姿の知子しか知らなかったからだ。

「きょうは休みで、これから東京へ映画を観に行く」という知子と、川崎でちょうど空いた席に並んで腰かけると、薄桃色のセーターに包まれた胸のふくらみがいやでも目についた。特に入れ替え線の交錯した品川駅の構内に電車が入ると、そこだけが別の生きもののように躍った。

その日は東京駅の名店街でコーヒーを飲んだだけで別れたが、半月ほどたった日曜の朝早く、知子は私の家に訪ねてきた。東京駅で別れしなに、遊びにいらっしゃいと略図を書いて渡したものの、まさか本当にやってくるとは思わなかったので、訪(おとな)う声に寝間着姿のまま玄関に出た私は、明るい初夏の朝陽の中に羞恥(はずか)しそうな微笑を浮かべて立っている知子を見い出すと、あわてて奥へ引っ返し、まだ眠っている妻を乱暴に揺すった。

妻は入院中のお礼もかねて、知子を歓待した。知子は子供好きらしく、縁側で次男の章にせがまれるままに次から次へと漫画の本を読んで聞かせ、ときどき自分でも大きな笑い声を挙げた。その膝にもたれた章の頭が、知子のふくらんだ胸に触れそうになるたびに、私は落ち着かない気持になった。いくらか東北訛(なまり)があるので郷里(くに)を訊くと、

「秋田には私みたいな不美人もいるんです」

恐らく病院で患者から幾度も同じことを訊かれるのだろう、いかにも答え馴れた口調だった。たしかに美人とは言えなかったし、私の好みの顔立ちでもなかったが、それだけに気が置けず、笑うと並びのよい白い歯がそっくり現われて、見るからに健康そうだった。頬(ほほ)が赤いのも雪国育ちらしく、私はてっきり二十歳前と思ったが、「もう二十三なんです。やっぱりバカなんですね、病院でも婦長さんに叱られてばかり……」と、照れ臭そうな笑顔を見せた。

夕方、私はセルの着流しで子供たちと一緒に藤沢駅まで知子を送って行った。

「私、とても暑がりなんです」

混雑する江ノ電の中で、知子は薄いカーディガンを脱ぎ、ブラウスのいちばん上のボタンもはずした。その隙間から甘酸っぱい体臭が微かに漂い、それに刺戟されて奥を覗きこみたい誘惑にかられた。知子の仕草にわざとらしさを感じないでもなかった。

「またお邪魔してもいいでしょうか」

藤沢駅で知子が遠慮がちに訊いたとき、むろん私はうなずいたが、欣んだのはむしろ子供たちで、彼女の手を左右から引っぱり合い、「今度はいつきてくれる?」と、その場で約束を迫るほどであった。

改札口を入った知子が、棚の向こうからふと上半身を傾けてきたので、

「何? 忘れ物?」

「和服がよく似合いますのね」

囁(ささや)いたかと思うとサッと身を翻して、逃げるように跨線橋(こせんきょう)の階段を駆け昇って行った。

その後、休みのたびに知子は遊びにきた。終日、子供たちと海岸で砂遊びをしたり、妻と連れ立って鎌倉の町へ買い物に出かけたりした。妻のエプロンを借りて夕食の支度を手伝い、子供たちに倣(なら)って妻を「ママ」と呼ぶようにもなった。私が縁側で足の爪を切っていると、章の悪戯(いたずら)に手を焼いているらしく、台所のほうから、「こらッ、ママに言いつけるぞ」そんな声が聞こえてきたこともあった。まるで親戚の娘のような素直な融けこみ方で、それが私には物足らないでもなかったが、

「あの娘がきてくれると助かるわ。家の中がすっかり片づいて」

妻は重宝がって、知子の休みの日を心待ちにするようにさえなった。母も、身を入れて昔話を聞いてくれる知子がすっかり気に入ったとみえて、

「本当に気立てのいい娘さんだね。私はああいう娘をお嫁さんに貰いたかったよ」

台所にいる妻にわざと聞こえよがしに言ったりした。知子の話だと、もう三年以上も帰郷せず、渋谷と九段にある親戚の家にも殆ど顔を出していないようであった。

「寮生活で家庭的な雰囲気に飢えているのかも知れないが、まるで子供のお守をしにくるようなもの……何が面白くて、うちにくるのかね。あの若さで恋人もいないのかね」

或る日、私が日頃の疑問を口にすると、洗濯物を畳みながら妻がフフッと笑いを洩らした。

「何がおかしいんだ」

「だって、あなたの顔にその答えが書いてあるんだもの」

「顔に?」

「そうよ。この俺に惚れて、俺に逢いたいから、ちょくちょくやってくるんだそう思っているんでしょ、あなたは」

「冗談言うな。俺に逢いたいだけなら、社のほうに訪ねてくるさ」

「そうかしら。あの娘、一日でも半日でも、あなたと一つ屋根の下で過ごしたいんじゃないのかな」

「まさか。もしそんな気持なら余計、辛くなるはずじゃないか、ここにくることは」

「女の気持って不思議なのよ。辛くなるのが判っていながら、自分で自分をそんなところへ追いつめてみたいのね」

妻は妻なりに知子の心を忖度(そんたく)して、自分の座から隠微(いんび)にそれを愉しんでいるのかも知れなかった。

「兎に角、看護婦にしては、すれていないな」

「あなたの社に誰かいいひと、居ない?」

毎夏、私の家には独身の後輩たちが交替で海水浴にやってきた。妻がそのなかから何人かの名前を挙げたが、私は片ッ端から首を振った。大酒飲み、競馬狂、麻雀気違い――私が欠点ばかり数え立てるので、しまいに妻はニヤッとした。

「やっぱり厭なのね、知ちゃんを世話するのが」

「社でも俺は女蕩(た)らしで有名なんだぞ。手前のお古を押しつける気かって、怒鳴られるのがオチさ」

その年の夏も何人かの後輩が遊びにきたが、私はひそかに知子とかち合わないように気を配った。

日が短くなると、知子は時折り泊まって行くようにもなった。湯上りの知子が鏡台の前で頬にクリームをすりこんでいる姿を、私は部屋の隅からそっと愉しんだ。妻の浴衣を着た知子の腰は、ふっくらと丸みを帯びていた。相変わらず痩(や)せている妻が余計、貧相にみえた。

私は知子が泊まって行くたびに寝不足になった。妻と一つ蒲団に寝る知子がどうしても気になった。他に部屋がないので知子が泊まれば、いやでも一つ部屋に寝かさなければならない。といって、まさか若い娘の隣で妻と同衾(どうきん)するわけにもいかず、それを承知しながら泊まって行く知子の気持が、理解できなかった。

「やっぱり若いっていいわねえ。知ちゃんの軀(からだ)、ぽかぽかしているの」

秋が深まった或る朝、妻が沁々(しみじみ)とした口調で言った。貧血気味の妻は、牀(とこ)に入ってからも足先がなかなかあたたまらないとよく嘆いていた。

「たまには俺も、若くてあったかい軀を抱いてみたいな」

「とうとう本音を吐いたな。でも、知ちゃんちょっと体臭があるわよ」

それがいいんだ――と危うく出かかった言葉を嚥(の)みこみ、

「あの娘はまだ男を知らないらしいな」

「たぶん」妻が少し間を置いてから、「だからダメよ、手を出しちゃあ。承知しないから」と釘を差した。

しかし、その釘は全く役に立たなかった。

 

● 二

 

小雨が降ったりやんだりする夜勤明けの午後遅く、珍しく知子が社に電話をかけてきて、いま有楽町にいる、と告げた。レインコートの襟を立てて知子の待っている喫茶店に行くと、

「きょうは私にご馳走させて。いつもご厄介になっているお礼に……きのう、特別手当を貰ったんです」

私も前日、内職原稿の稿料が入ったばかりだったが、

「じゃあ、鰻(うなぎ)でもご馳走になるかな」

ひょっとするとひょっとするかも知れない、という下心もあった。大串を食べ、封切映画を観て外へ出ると、まだ舗道が濡れていた。駅へ向かう途中で私は何度も振り返った。知子はのろのろした足どりで、明らかにまだ帰りたくない様子だった。横須賀線に乗ってからも浮かない表情であった。

「横浜で降りて、もう一度、お茶でも飲む?」

知子の顔が現金に明るくなったので、これはひょっとするぞと私は腹の中で北笑(ほくそえ)んだ。

西口の薄暗い喫茶店の隅に並んで坐ると、呟くように知子が言った。

「寮で同じ部屋の先輩と喧嘩してしまったんです」

帰りたがらなかった理由がはじめて判り、少しばかり拍子抜けしたが、

「私、あしたも休暇をとってあるんです」

それを聞いて期待をつないだ。卓(テーブル)のはじに灯(とも)っているキャンドルランブが、レインコートを脱いだ知子の白いブラウスの胸を薄紅く染めて、いやでもその隆起が私の目を刺戟した。だが、はやまるな、と自分に言いきかせ、知子にも、したり顔で言った。

「喧嘩なんか忘れて今夜はぐっすり寝なさい。そして、あした、さっぱりした気持で勤めに出るんだね」

「いいんです。どうせ、今の病院、やめようと思っているんですから」

「やめてどうするの」

「私、今夜これから一人でどこかへ旅行に出かけてしまおうかしら」

「そんなことを言うと、これから悪いところへ連れて行ってしまうぞ」

久子とよく利用した大船の旅館をふと思い浮かべ、いや、真紀子と行った綱島温泉の全室離れ式のほうがいいな、と腹の中で呟いた。

「悪いところって、どこですか」

「さあ、どこだろう」

知子が私をじっと見詰め、私がその目を覗き返すと、

「どこへでも行きます」

睫毛(まつげ)を伏せて、しかし、きっぱりした口調だった。

「本当? 後悔するぞ」

「しません」目を伏せたまま首を振った。むっちりしたその手を握った途端、自分でも呆れるくらいの強い欲望が衝きあげてきた。

三時間後、旅館の牀の中で私は幾度も自分に舌打ちした。

知子は処女ではなかった。

それどころか、知子の軀から溢れ出たものは、私がそれまでに知ったどの女のよりも豊富だった。そのくせ知子は闇の中でひと言も洩らさず、殆ど反応を示さなかった。そんなばかなことがあるもんかと、いくら攻めても効果がなく、僅かに変化したのは乳首だけであった。攻め疲れて軀を剥がそうとすると、そのときになって知子がはじめて下から獅噛(しが)みついてきた。その両腕を邪慳(じゃけん)に肩からもぎとって、

「いいんだよ、もう」

つい吐き出すような口調になった。しかし、私が腹を立てたのは、知子へというよりも、その軀に手を這わせるまで勝手に処女だと思い込んでいた愚かな自分自身に対してだった。

綱島駅からその宿に入るまで、私はわざとゆっくりした足どりで旅館街を一巡りした。若い無垢(むく)の軀を一刻も早く賞味したかったが、何しろ相手はつい先週も妻と一つ蒲団に寝た女――まして、あの娘にだけは、と幾度も念を押されていた。私が裏切ったことを知ったら、いくら寛大な妻でも許しはしまい。愛想を尽かすに違いなかった。歩きながら私は、「やっぱり、やめます」と知子が言い出すのを、半ば期待し、半ば怖れた。言い出されたら、がっかりするに違いないが、妻を裏切らずにすむ。私には自分から妻を裏切るまいという意志がなかった。殊更にゆっくり歩いたのは、翻意するなら今のうちだよと、いわば知子に下駄を預けて、万一、あとでトラブルが生じたときはそれを切り札にする肚(はら)でもあった。歩いているうちにまた雨が降り出して、気がつくと旅館街の入り口に戻っていた。立ちどまって腕をとると、知子は素直に寄り添ってきた。よし、望み通り女にしてやろう――私は今きた道を今度は足早に戻ってひそかに目星をつけておいた宿に連れこんだのだった。

牀の中で私と肩をくっつけたまま、知子は死んだように息をひそめていた。

「明るくしてもいいだろ」

軀をピクッとさせただけで知子は黙っていた。手を伸ばして枕許のスタンドを探りかけると、

「このままにしておいて」

「今更、羞恥しがることはないだろ」

「お願い」知子が腕にすがりついた。

「僕はもう一度、風呂に入りたいんだ。君も入ったほうがいいんじゃないか」

濡れた下腹部が気色悪かった。知子は私の比ではないはずだった。恐らく浴衣ばかりか、その下の敷布にまで泌み透っているだろう。蒲団の中に籠った知子の体臭も、甘酸っぱさを通り越し、生易しい匂いではなかった。

私は枕の下からハンカチを抜き出した。初めてなら跡始末のことにまで気が廻るまいと、牀に入るときそっと用意しておいたのだが、そのハンカチで腿(もも)の付け根を拭いながら、とんだお笑い草だと自嘲せずにはいられなかった。手入らずの軀を味わいたいばっかりに妻を裏切ったら、肝腎のご本尊は処女どころか大洪水――ざまあみろと誰かにわれているようで、時間をかけて歩き廻った自分の間抜けぶりを思い返すと、ますます遣り切れなくなってきた。

「こう暗くちゃ煙草ものめない。つけるよ、いいね」

スタンドの紐を引っぱると、同時に知子が掛け蒲団を引き上げた。

「顔を見せろよ」

白い額がイヤイヤをした。

 

● 三

 

交替で風呂を使い、改めて牀に入るまで、知子は私と目が合うのを避けつづけた。牀の中でも軀を堅くし、壁のほうを向いて目を瞑(つぶ)っていた。私は枕に顎(あご)を預けて、立てつづけに煙草を吸った。髪の間から覗いた知子の小さな耳殻が、中途半端に終わって妙に燻(くすぶ)っている欲望をそそったが、自分のほうから手を出すのが、何となく癪(しゃく)であった。

「寝るなら、消すよ」

心にもないことを言うと、

「怒っていらっしゃるのね」声が震えていた。

「なぜ僕が怒らなければ、ならないんだ」

「私が……私の軀が……」

伏(うつぶ)せのまま腕を伸ばして、浴衣の上から知子の乳房に掌をかぶせた。掌に余る量感だった。知子はじっとしていた。指先を衿(えり)にもぐらせ、今度は左の乳房にじかに触れた。指の股に乳首を挾むと、案の定、右のより大きかった。どんな男がこの乳首を揉んだのか。軽い嫉妬を覚えながら脚で脚を掻い込むと、それを待っていたように知子が軀ごとこちらへ向いた。

「今度の休みに」向き合って乳首をいじりながら言った。「必ず、うちにくるんだよ」

私の胴に廻しかけた知子の手が止まった。

「もう、伺いません。行かれるわけがないでしょ。ア、やめて」

私の手を上から押さえた。

「こないとバレちゃうぞ。君がぱったりこなくなったら、当然、うちの奴は疑う。それでなくても、君には手を出すなと再三、言われているんだ」

「私、もう二度とママに顔を合わせられません」

「そうか、君はバレてもいいんだな。いや、バラしたいんだな。今夜が初めの終わりと言うわけか」

「なぜ? どうしてですか。――ね、やめて下さい」

私の指先を強く握って動きを封じた。

「バレりゃそれで一巻の終わりさ。ママは君を妹のように思っていた。その君に裏切られたことを知ったら、絶対に許すわけがない。恐らく僕とも別れるだろうね」

「私、ママから聞いています。今までに何人もの女の人と浮気をしたって」

「なんだ、君は浮気のつもりだったのか」

「違います。私、ずっと前から……本当にもう逢って下さらないんですか。ママに内緒で逢うことはできないんですか」

「だから、そうしたければ今まで通り、何喰わぬ顔でうちに遊びにくるんだね」

「そんなこと、怕くて、とても……」

「だったら今夜限りだ、お互いにそのほうがいいだろ」

取り柄は大きな乳房だけ、手放しても惜しくない軀だった。恐らくこの娘は二度とうちにこないだろう。一回こっきりだったら、妻もきっと許してくれるだろう。非処女だったと知れば、「ばかねえ、あんたも」と嘲(わら)いながら、背負(しょい)こまないで済んだことに、むしろ、吻(ほつ)とするのではなかろうか。

知子が両掌で顔を掩い、その掌から嗚咽(おえつ)を洩らした。しかし、脚はまだ搦(から)めたままであった。ずるいぞ此奴(こいつ)、おぼこぶりやがって……もっと虐めてみたい残忍な思いに駆られた。脚をはずし、肩を強く押した。知子が驚いて顔から掌をはなし、仰向けになった。その腹の上に、いきなり私は馬乗りになった。知子の顔が脅えに歪(ゆが)んだ。かまわず浴衣の衿を大きくはだけた。ますます顔が引き吊った。

「心配するな、怕いことなんかしないよ」

両手首を軽く握り、真上から顔を覗きこんで静かに訊いた。

「今夜限りにしたくないんだろ」

知子がコックリした。

「俺が好きなんだろ。惚れているんだな」

また、小さくコックリした。

「じゃ、俺を悦ばせてくれ、悦ばせたいだろ」

三たび頷(うなず)いて、濡れた頬に、はにかみ笑いを浮かべた。私は腰を少し浮かせて私自身を乳房の谷間に埋めると、知子の両手をゆっくり乳房の裾野に添えさせた。知子が目を瞑った。羞恥に堪えかねたのだろう。が、私の手が離れたあとも知子の両掌は裾野にとどまっていた。私が何を求めているか、知っている証拠だった。

「目を開けてごらん」

「いや」甘い声だった。

膝頭で合図すると、目をとじたまま知子の両手が、双の乳房が、私を揉みはじめた。想像以上に刺戟的な眺めだった。

嗚咽の名残か、新しく生まれたものなのか、知子の目尻からひとすじ、涙が糸を引いた。

 

● 四

 

一週間後の夜、玄関に迎えに出た妻が告げた。

「知ちゃんね、郷里へ帰るんだって」

靴をぬぎながらドキッとした。

「あの娘、きたのか」

「いえ、電話があったの、お父さんから一度帰ってこいという手紙がきたんですって」

「じゃあ、また戻ってくるんだろ」

暫く郷里に帰ると言えば、顔を出さなくてもすむ。そしてその間、外で私に逢うつもりに違いなかった。

「もう、こっちには戻らず、田舎に落ち着くんじゃないかしら」

「腹が減っているんだ」私はわざと不機嫌そうな声で言い、丹前に着替えた。妻の推測の理由を早く聞きたかったが、あわてて訊き返せば、あの娘のことそんなに気になる? と今度はこちらが訊き返されないとも限らなかった。妻にお給仕をして貰いながら、

「田舎で縁談でもあるのかな」

私はさり気なく呟いてみた。

「私もそう思って訊いたら、ええ、まあ、なんて曖昧な返事だったわ。やっと諦めたのね」

「諦めた? 何を?」

「あなたのことをよ」

これで万事巧くゆくと私は吻として、焼魚の腹をつついた。あすあたり、社に電話がかかってくるに違いない。私を挾みこんだ白い乳房が目に浮かんだ。

「惜しいことをしたな、どうせ田舎に帰るなら、その前に戴(いただい)いちまえばよかった」

「全く悪い人ね、あなたは」

へヘッと笑いかけようとしたとき、

「とっくに戴いちまったくせに。悪党」

妻がズバリと言って見詰めてきた。思わず口のなかの飯を嚥(の)みこみ、あわててお茶をひと口飲んだ。

「わかってるのよ。この間の晩、あの娘と一緒だったの。知ってたけど、きょうまで黙っていたのは、もしあの娘がとぼけてまたうちにくるようだったら、私からきっぱり引導を渡そうと思っていたのよ」

「違う。あの晩はあの娘とじゃない」

「じゃ誰と泊まったのよ」

「いずれ言う。あの娘じゃないことだけは確かだ。いくら俺が破廉恥(はれんち)な男でも、お前と一つ蒲団に寝たこともある娘と……第一、おかしいじゃないか。手を出したら、のっぴきならなくなると言ったのはお前なんだぞ。もし俺が手をつけていれば、郷里に帰るはずがないじゃないか」

「ダメよ、共謀(ぐる)になって私を騙そうとしているくらい、お見透しなんだから」

「そんなに疑うなら、病院へ行ってじかにあの娘に訊いてみろ」

これまでの妻の態度や性格から、そこまでするはずがないと私はタカをくくっていた。妻の表情がゆるんだので、やっぱりカマだったのか、危ないところだった、と私はひそかに胸を撫でおろした。案の定、妻がお茶を注ぎ足しながら言った。

「いいわ、暫く様子を見ることにするわ。でも、あの娘、本当に秋田へ帰るのかしら。帰るなら、一応挨拶にくるぐらいの常識があってもいいのに」

「どうせまた戻ってくるんだろ」

「だって病院もやめたと言ってたわ」

すると本当に田舎に引っこむつもりなのか。あの一夜は、はじめから青春の記念にするつもりだったのだろうか。それならそれでいいと私は自分に言いきかせた。豊満な胸に未練がないこともなかったが、珍重するほどのものでもなかった。

それきり知子は一か月以上も連絡してこなかった。帰郷が嘘か本当か、病院に問い合わせればすぐ判るが、藪蛇(やぶへび)になるおそれがあるので、私はっておいた。新しい情事の相手ができたせいでもあった。

知子から突然、社宛に手紙がきたのは、年を越して正月気分も薄らいだ頃であった。

病院をやめて一週間前から西銀座の小料理屋で帳場を預かっていること、同時に横須賀線の戸塚駅から五分ほどのアバートに移ったことなどが書いてあり、駅からアバートまでの道順を記した略図が添えてあった。

その略図を内ポケットに入れて翌々日の晩、戸塚駅に途中下車したのが、知子との腐れ縁のはじまりだった。

 

● 五

 

紺絣(こんがすり)、長襦袢(じゅばん)、兵児(へこ)帯、足袋、寝間着用の浴衣、安全剃刀(かみそり)、歯ブラシ、ヘアクリーム、罐入りピース……知子の部屋には、その日から私が居ついても何一つ不自由しないくらい、色々な物が揃えられてあった。

もちろん、紺絣は、丈(たけ)も裄(ゆき)も私の軀にぴったりだったし、ヘアクリームは、私が日頃家で使っているのと同じものであった。

晩飯のお菜(かず)も、知子は私の好物ばかりをととのえ、食後に淹(い)れるコーヒーの味も申し分のない濃さだった。

ケチのつけようがないその心遣いや手廻しのよさに、私は感心したりヤニ下がったりしたが、何よりも驚いたのは、がんもどきの味つけであった。間違いなくそれは、母の、そして母から妻に伝えられた、わが家の味であった。私の家に出入りしながら知子は、ひそかに想いをこめて、少しずつ周到に準備をすすめていたに違いない。

しかし、絶対に知子が揃えられないもの、揃えたくても揃えてはならないものが一つだけあった。私の下着である。事後、牀の中で半身を起こした私が、横になる前に乱れ籠に脱ぎすてたシャツやパンツヘ手を伸ばすたびに、知子はいかにも哀しそうな、ちょっとベソを掻いたような表情をみせた。

知子の住む木造二階建てのアバートは、駅前商店街のはずれに在って、夜が更けると、駅のホームから電車の発着を告げる拡声器の声や、柏尾川(かしおがわ)の鉄橋を渡るときのひと際大きな車輪の響きが、風に乗って聞こえてきた。それらに促されて私がスタンドの灯をつけると、

――ね、泊まってって。

知子はすがりつくような目を三度に一度は向けてきた。だが、そのつど私が、

――バレてもいいのか。

やはり目顔で問い返すと、瞼(まぶた)を伏せて小さく二、三度うなずき、脚もそっと引っこめた。

そんな知子を哀れに思わないでもなかったが、朝まで一緒に過ごしたいという気にもならなかった。妻より十歳若い知子の肌には、妻がとっくに喪った張りがたしかにあったが、雪国生まれにしては肌理(きめ)はさほど細かくなかったし、人一倍、溢れさせるくせに相変わらず反応も薄かった。ひとことで言えば、味わいに乏しい軀だった。それに知子は、なぜか真っ暗にしなければ腰紐をほどかず、いくら私が、「東北じゃ何も着ないで寝るそうじゃないか」と囁いても、寝間着の衿から肩を抜こうとしなかった。

あとから思うと、脇腹の痣(あざ)を見つけられまいとしたのかも知れないが、そのため私は、綱島での夜と同じような愛撫をうけながら、いつも中途半端な物足りなさを覚え、闇の中でいきなり知子の喉や頬に、自分を乱暴にこすりつけたことさえあった。

知子の部屋は玄関の真上にあったが、そこへ行くには、入り口で脱いだ靴を手にぶら下げ、廊下の突き当たりにある共同炊事場の脇から「く」の字型の階段を登って、今度は二階の廊下を逆に辿(たど)らねばならなかった。つまり、上下十室あるアパートの中では入り口からいちばん遠い部屋で、当然、他の住人と廊下で顔を合わせる機会が多く、はじめの頃、それが少なからず私の気を重くさせた。だから、二か月ほどたって、裏口の外側に非常用階段が付いているのを知ると、それからは、人一人がやっと通れる狭い裏手の路地伝いに専らその階段を利用した。

「管理人にはちゃんと言ってありますから、玄関からきて下さい。そうしないとかえって怪しまれます」

と知子は言ったが、その管理人室のドアがいつも細目にあいていることを私が口にすると、それからは私が帰るとき、知子も寝間着の上に羽織をひっかけて非常用階段の出口までしか送ってこないようになった。知子の話だと、どの部屋も四畳半一間きりで、独身者しか住んでいないらしかったが、私はトイレヘ行くときもまずドアから首だけ出して廊下の様子をうかがい、跫音(あしおと)も極力、盗んだ。

勤めの帰途、私がこのアバートに寄ったのは足掛け七年にも及んだ。ごくたまに二晩つづけて寄ったこともあったが、大抵は週に一度か十日に一度で、泊まるのは月に一回ぐらいだった。それもはじめから泊まるつもりではなくて、房事の疲れからついまどろんで終電に間に合わなくなり、無理して帰ったところで褒められるわけじゃないんだからと、タクシー代を惜しんだ結果だった。尤も、泊まれば、あとねだりする知子に負けて疲れが増し、翌朝牀を離れるのが億劫になって、「お前もサボれよ」と、鏡台に向かってお化粧をしている知子の邪魔をしたこともあった。

その七年間、私は知子に一銭も与えず、何か物を買ってやったこともなかった。それだけの余裕がなかったのもたしかだが、最初が最初なので、こうやって寄ってやるだけでも有難く思え、という恩着せがましい気持がずっと尾を曳(ひ)いていたことも否定できない。知子が料理屋で給料をいくら貰っているのか、看護婦時代、どれくらい貯金をしていたのかも、私はあえて訊かなかった。知子のほうも私の家の経済状態をよく知っているせいだろう、金銭的な要求は一度も口にしたことがなかった。その点、私にとっては願ったり叶ったりの女と言えたが、だからといってそれをさほど有難がる気にはならず、むしろ逆に、

――そのうち、何とか金を出すまいとしている俺のさもしさに厭気(いやき)がさすに違いない。

と、半ばそれをアテにしていた。

もう一人、金を使わず、知子とは比較にならぬほど閨(ねや)の愉しい情事の相手がいたからでもあった。

 

● 六

 

「そろそろ白状してもいい頃よ」

蚊帳の中に入ってきた妻が、腹這いになって本を読んでいる私の脇に坐ると、団扇(うちわ)を使いながら軽い口調で言った。

「何の話だ」私はわざと活字から目をはなさなかった。

「今度は珍しく長つづきするわね。よっぽど気に入っているのね、もう一年近くになるんだから」

「そんなになるもんか」

「ほら、語るに落ちた。ね、誰なの? 怒らないから教えてよ。いずれ話すと、いつか自分でも言ったでしょ」

仰向けになって妻の腿(もも)に手を這わすと、妻が団扇でその甲を軽く打った。

妻に言われるまでもなく、打ち明ける時期がきていることを私自身、感じでいた。夏の終わり頃、ちょっと間を置いてアパートに寄ると、真新しい白絣が乱れ籠に畳まれてあった。春の終わり頃にも知子は、「安物で悪いんだけど」と言いながらウール地の着物を箪笥から遠慮がちに出してきた。このまま丹次郎気取りでいたら、それこそ一生背負いこむことになりかねないし、さりとてようやく反応の出てきた知子の軀を今すぐ手放すのも惜しい気がして、迷っていた矢先であった。

私は再び手を這わせた。私が情事を白状するのはいつも牀の中――そこが最も安全で、うやむやにさせ易い場所であった。

「誰だか判らないのが、いちばん厭なの。私の知らないひと?」

黙っていると、案の定、妻の目は険しくなり、膝頭(ひざがしら)を撫でている私の掌を邪慳に払った。

「やっぱり、そうなのね」

「そうなのねって、どういう意味だ」

「あの娘でしょ、知ちゃんなんでしょ」

「違う、あんな田舎娘じゃない。……お前が知っている女であることは確かだが」

「本当に知ちゃんじゃないのね。それじゃはっきり言って頂戴。絶対に怒らないから」

私はわざと間を置いて呟くように言った。

「――春ちゃんだよ」

「春ちゃん? 春ちゃんて『レオ』の……」

うなずいて三たび手を伸ばした。今度は膝をまかせたまま疑い深そうな目で暫く私を見おろしていたが、「嘘」と、きめつけるように妻は言った。

「嘘?」

「だって『レオ』はもうとっくに無くなったはずよ。母娘とも郷里へ帰ったとあなたが教えてくれたのよ」

「それが昨年の秋、偶然に会ったんだ。春ちゃんと。本当に怒らなければ何もかも白状するよ」

芳子と春枝の母娘が『レオ』の店を売って郷里の甲府へ引っこんだのは三年前――私が久子と別れてからいくらもたたない頃であった。或る証券会杜との間に売買の話が進んでいることは、その一か月ほど前、芳子から聞かされていた。口ぶりから察すると芳子は、『レオ』を売った金で昇仙峡か湯村温泉に土産物の店を出す計画のようであった。

今夜限りで店を閉じるという晩、私がカウンターの隅に腰かけて、宮部と一緒に紅白の幕を張った披露宴の思い出にふけっていると、

「奥さんを大切にしなくちゃダメよ」

春枝がカップにコーヒーを注ぎながら、諭すような口調で言った。

「何だい、藪から棒に。言われなくても大切にしているさ」

「嘘。私、知っているのよ」

春枝はガス台のほうに戻ると、私に横顔を見せて自分もコーヒーを啜りはじめた。

知っているというのは、久子とのことに違いなかった。私は池野にしか言わなかったが、久子が退社して間もなく、「お久さんが辞めたのはお前のせいなんだってな」と先輩の一人に言われて、咄嗟に否定し損なったことがあった。カウンターの両端で私と春枝は、黙ってコーヒーを飲んだ。春枝は私といくつも違わないから、そろそろ三十になるはずであった。結婚式の日、教会の二階から手摺り越しに見た春枝の胸のブローチが思い出された。あの頃の春枝には、大きなブローチが少しもおかしくない若さがあった。結婚後も私は殆ど毎日、この店に通い、日に二回顔を出すこともまれではなかった。

――いい加減でお嫁に行けよ。目障りだぞ。

――目障りなら、来ないでよ。ここで油を売ってばかりいると出世しないわよ。

春枝とずけずけ言いあえるのも、この店にくる愉しみの一つであった。常連の中には、社の後輩も含めて、春枝に小当たりに当たった者が何人かいたが、「あの娘は意外にガードが堅い」というのが編集局内の評判で、もし真紀子と再会しなかったら、俺が口説き落として一緒になっていたかも知れないと、私はときどき昔を思い返した。しかし、春枝の身持ちが堅かったのは、彼女自身の意志というより、芳子が一人娘を手放すまいとした結果らしく、「母さんがやかましくて、一人で映画を観に行くこともできない」と、春枝に溜息まじりの愚痴を聞かされたこともあった。

「郷里でお土産物屋をやるんだって?」

コーヒーを飲み終えた私が立ち上がりながら訊くと、春枝は曖昧にうなずき「私のほうを見ないで言った。

「あのとき、遠慮するんじゃなかった」

意味を測りかねて私はその横顔を見詰めた。

「宮部さんに色々、聞いたの。だから諦めたのよ」

聞いたというのは、恐らく妻の過去のことだろう。結婚前、仕事がすむまで真紀子を幾度かこの店で待たせてたことがあったが、春枝の態度が一変して急に愛想がよくなったのを思い出した。だが、そんな昔のことを春枝が言い出したのは、きょう限りで店仕舞いするという感傷のせいに違いなかった。

「私、尊敬していたのよ、奥さんの過去にこだわらないで結婚したあなたを。それなのに人妻と……男のひとって結婚するとコロッとかわっちゃうものなのね」

「世の中には一生、奥さん一人を守り通して、他の女には見向きもしない男もいる。春ちゃんもそういう男と一緒になるんだね」

「宮部さんも感心していたわ。あんな辛抱強い奥さんはいないって」

「それをいいことに女漁りばかりしやがって許せん、と言ってたろう」

「自分で承知しているんだからいまに奥さんの罰があたるわよ。私、やっぱり諦めてよかったのかも知れないわね」

そう言って笑ったくせに、三年ぶりに再会したその晩のうちに春枝は私と関係を持った。逢ったのは夕方の湘南電車内で、湯河原に住む親戚の法事に母親の名代で出席するという春枝に、

「俺もたまには温泉にゆっくり浸りたいな」

わざと羨ましがってみせると、

「どう、よかったら、一緒にこない?」

媚(こび)を含んだ目で、試すように見詰めてきた。三年の間に春枝は、仕草も物言いも別人のように色っぽくなり、はじめてみる和服姿も手伝って、この思いがけない据え膳が私の浮気心をいやが上にも刺戟した。ハンドバッグから煙草を出して私にも一本すすめ、「私、変わったでしょ」と春枝自身、変身ぶりを愉しんでいるようでもあった。

万葉(まんにょう)公園の近くにある旅館に入って、藤木川に面した部屋に通されると、春枝はちょっと顔を直し、お茶をひと口飲んだだけで、

「じゃ、一時間ほどで戻りますから」

温泉街の端れにあるという親戚の家へ出かけて行った。誰もいない大風呂の中で、次第に募ってくる欲望を持てあました私は、子供のように広い浴槽を泳ぎ廻った。

「本当に相手は春枝さんだったのね?」

私の告白を聞き終えた妻が、思い出したように団扇を動かしながら念を押した。

「春ちゃんじゃなければ誰だというんだ」

「いつのこと?」

「だから去年の秋だと言ったろ」

実際は十二月に入ってから知子が綱島の夜以来、連絡を断っていた間であった。

「そのときから今まで、あなたが終電で帰ってきたり家をあけた晩は、みんな春枝さんと一緒だったの?」

「遅くなったのは麻雀さ」

春枝と夜をともにしたのは湯河原を含めてわずか三回、あとはすべて知子とだったが、それを隠し通すには春枝を隠れ蓑にするのがいちばんだと、私は改めて自分に言いきかせた。

「何だよ、その目つき。絶対に怒らないと言うから白状したんじゃないか」

「怒ってないわよ。どうせ春枝さんとは私と一緒になる前からヘンだったんだから。今更怒ってもはじまらないわ。それにしてもあなたは焼け棒杭(ぽっくい)が好きね」

「人のことを言えた義理か」

「私は別格、年季が違うもの。ね、この手、引っこめて。いいのよ、あわててご機嫌をとってくれなくても」

「それなら早く横になれよ」

巧くいったと思うと同時に、下腹部のほうから強い欲望が衝き上げてきた。

 

● 七

 

牀(とこ)の中での春枝は、知子と違って、はじめから積極的であった。口に出してはっきり註文し、私の知らない女体のツボや技巧も教えてくれた。乱れ方も傍若無人で、そのあからさまな声が、久しく忘れずにしてきた島子との遠い夜々を思い出させた。そういえば、肌ざわりや軀つきも、記憶の中にある島子と似かよっていた。

逢うたびに私は、春枝の指や唇によって、自分の軀の思いもよらない箇所に眠っていた感覚も目醒めさせられた。

「一体、誰に仕込まれたんだ」

「さあ、誰かしら」

春枝は含み笑いをするだけで、私もそれ以上、問いつめることができなかった。湯河原に泊まった晩、「この三年間のことは一切訊かないで」と先手を打たれていたからであった。

春枝とは約三年つづいたが、彼女が甲府からやってくるのは年に数えるほどで、それも、いつも突然現われては一晩存分に愉しみ、朝になると引きとめる私の言葉に耳も籍(か)さず、手早く身仕度をととのえて私より一足先にホテルを出て行った。そのまま真っすぐ甲府に戻るのか、それともどこかへ寄り道するのか、私にはわからなかった。

わからないといえば、春枝が郷里でどんな生活をしているのか、どのような境遇にいるのかも、私には謎であった。わずかに知り得たのは、結婚はしていないこと、帰郷してすぐ芳子が肝臓を患ったため、土産物の店は結局出さず仕舞いだったことぐらいであった。

「気になる? でも言わない。言ったら逢ってくれなくなるもの」

気をもたせるようなセリフをくり返していた春枝が、明け方、ようやく堪能した表情で、

「こうやって、ときどき、あなたに生の注射を打って貰うのが、いまの私にはたった一つの愉しみなの」

と言ったのは、逢曳(あいびき)が二年目に入った頃であった。そんな言葉から、かなり年輩の男の世話になっているのではないかと思い、遠廻しにさぐりを入れてみて、

「へーえ、私は二号さんなの? いやになっちゃうな、そんな風にみえる?」

口とは裏腹に目だけは笑っていない春枝の表情から、私は自分の推測に確信を持ったが、同時にちょっと名状しがたい気持にもなった。久子と同棲中、私はときどき家に帰って妻に口直しをせがんだが、春枝が年寄りの囲われ者ならば、今度は私が彼女の口直しの役目を果たしていることになるからだった。

「君とこんな風になるとは、夢にも考えなかった」

なめらかで、ほどよく肉のついた腰を撫でながら私が言うと、

「私は違うわ。いつかきっと結ばれるときがくると、ずっと前から信じていたの」

奥さんを大切にしなくちゃダメよと諭すように言ったことなぞケロッと忘れた深沈たる目で見上げてきて、ますます私を戸惑わせた。

気味が悪いほど寛容な妻、至れり尽くせりの献身的な知子、謎を秘めたまま、そのたびに愉悦をもたらしてくれる春枝――男冥利につきるとも言える月日がいよいよ私を好色にさせた、と言ったら、これまた言い訳になるだろうか。しかし、かなり以前から心の底に潜んでいた、同時に二人の女を御してみたいという欲望が、三人の女の軀を巡り歩くうちに、徐々にふくらんで行ったのはたしかだった。

妻には、節子との夜を隠すために春枝のことを白状したが、知子には春枝の存在を、春枝には知子のことを、おくびにも出さなかった。だが、妻と同衾しながら、とめどなく溢れ出る知子の秘液を、知子と肌を合わせながら、春枝の絶妙な唇の動きを、そして、春枝と両肢(りょうあし)を交叉させながら、声を洩らすまいと歯を喰い縛っている妻の顔を思い出すと、私は全身が官能の塊になって、なぜ別々でなければいけないのか、どうして二人一緒ではいけないのだろうと、幾度も胸で呟いた。まして、ようやく開花した知子が長い陶酔から醒めるたびに、

「ママも、こうなの?」

きまってそう訊くようになると、その知子のすぐ傍らに何とか春枝の軀を横たわらせてみたいと本気で考えるようにさえなった。春枝なら――悦楽を求めてわざわざ甲府からやってくる彼女なら、きっと私の願いを叶えてくれるに違いない、いや、知子だって、それが私に無上の悦びをもたらすと知れば、けっして拒みはしないだろう。そう思うと、ますます淫らな妄想がふくらんで、

「どうしたの、この頃すっかり怺(こら)え性がなくなっちゃって。春枝さんのときはもっと頑張るんでしょ。差をつけたら承知しないから」

妻に脇腹をつねられるような夜が重なった。

 

● 八

 

少しまとまった原稿料が入ったのをしおに庭を潰して母の部屋と子供部屋を建て増すことにした。引っ越すときは、そっくりそのまま置いて行く条件であった。ついでに出窓のところを一畳分床張りに直し、台所も少しひろげることになった。原稿料だけでは足りなくなって、不足分を神戸の姉のところへ借りに行くと、

「借家にお金をかけるなんて、どうかしているよ。いっそ家を建てるか、もっと部屋数の多い貸家を捜すのが常識だよ」

姉に言われるまでもなかったが、自分の家を持つ気なぞ毛頭ない私は、「今の家が気に入っているんだ」の一点張りで、何とか金を引き出すことに成功した。

「部屋ができたら私も毎晩ぐっすり眠れるね」

大工が下見をすませて帰った後、母が私と妻をチラッと見くらべて言った。妻が急いで台所へ立った。私が建て増しをする気になったそもそもの因(もと)は、或る晩、小学四年生の長男が不意に体を起こして、

「ママ、どうしたの、ヘンな声出して。どこか痛いの?」

暗がりの中から声をかけてきたからであった。妻が全身を強張らせ、私は慌ててその上から降りた。

母の部屋との境には防音壁を張り、子供部屋のいちばん奥には二段ベッドを据えて、母と子供たちが出来上がったばかりのそれぞれの部屋に引っこんだ夜、これも新調したばかりの四幅(よの)蒲団を妻が敷いた。夫婦が夫婦だけで寝るのは、子供ができてからその晩がはじめてであった。

「奥さま、今夜から歯を喰い縛らなくてもよろしいですよ」

「ばか」妻が珍しく頬を染めた。寝間着に着替えてから牀に入るまで、妻は二度も子供部屋を覗きに行った。ドアの隙間から妻と子供たちの笑い声が聞こえてきた。「あいつたち、まだ寝ないのか」

ようやく戻ってきた妻に訊くと、

「二人ともベッドの上の段にのぼって、部屋の中をキョロキョロ見廻しているの。私もちょっと上がってみたけど、面白いわよ、部屋を見おろすのって。あんたも行ってみたら」

「バカバカしい。いい加減にしろ」

「何だか落ち着かないのよ、私も。あなたとこうやって二人きりだとよその家にいるみたいで。あんたは彼女と馴れているでしょうけど。ね、春枝さんとはいつもどこに泊まるの?」

「あとで教えてやるよ」

妻には黙っていたが、春枝とはすでに切れていた。「きょう限りにしたい」と春枝が言い出したのは、新宿のホテルで朝を迎え、いつもは手早く身仕度をすますのに、今朝は何だか愚図愚図しているなと私が訝(いぶか)しく思った矢先であった。むろん私はすぐその理由を訊いた。

「言わなくちゃダメ?」

羽織の紐を結びながら春枝が訊き返した。

「俺に飽きたのか」

「そうじゃないの」

「俺よりも生きのいい注射を打ってくれる男ができたのか」

首を小さく振って、

「ね、大人の別れ方をしましょうよ」

そう言われると、はじめがはじめだけにそれ以上、野暮な質問を重ねることができなかった。

「君に頼みたいことがあったんだけど」

「なあに? 私にできること?」

「君ならきっと叶えてくれると思ったんだが……まあ、いいや」

決心が固いらしく、春枝もそれ以上訊き返さず、黙って右手を差し出した。乱れに乱れた前の晩が嘘のような淡々たる別れ方だった。

半月後、会社宛に届いた差出人の名前がない手紙の封を切ると、便箋にたった一行、こう書いてあった。

〈本妻さんが亡くなったんです〉

その跡に直ることになったのか、それとも、それをしおに旦那と手を切ったのかは不明だったが、私との関係を断つ気になった春枝の気持がはじめて判り、柄にもなく私はしゅんとなった。もちろん、未練がなかったわけではないが、元々、棚からぼた餅のような関係だったので、いい夢を見させて貰ったと諦めるよりほかはなかった。

灯りをスタンドに切りかえてやっと牀に入った妻の腰に手をかけようとすると、「ちょっと待って」と、また起き上がった。

「玄関の鍵はさっき俺がかけた」

「違うの」

妻が蒲団のまわりを一歩一歩、たしかめるようにひと巡りした。

「何のおまじないだ」

「いつも蒲団を敷くと一杯一杯でしょ。これからは、こうやって蒲団を踏まずに部屋の中が歩けるのね」

妻はゆっくりとまたひと巡りした。

 

● 九

私は毎晩まっすぐ帰宅するようになった。

姉へ借金を返すために、前にもまして内職原稿に精を出さねばならなかったし、春枝が去って、刺戟を失ったせいもあった。しかし、何といっても、知子がしきりに子供を欲しがるようになったのが最大の理由だった。

知子が看護婦学校時代、同郷の大学生と恋に陥(お)ちて身籠り、人工中絶した過去を打ち明けたのは、私が戸塚に寄りはじめて一年ほどたった頃であった。

中絶経験までしていたとは予想外だったし、たまたま予防具の買い置きが切れていた晩だったので、私は慌てて軀を剥がそうとしたが、

「大丈夫、今は安全な時期なの」

知子に獅噛(しが)みつかれて、ままよと放恣に身をゆだね、翌月、ちゃんと生理があったことを確かめると、それからはちょくちょく不精をきめこんだ。むろん、「いいな、妊娠したら、すぐ堕ろすんだぞ」と言い含めてあった。

私はそれまでの経験で、女が妊娠し、中絶したあと、心が急速に男から離れて行くことを知っていた。男が将来を約束しない限り、わが身を痛めたあとも実りのない関係をくり返す女はまずいない。私が不精したのは、たとえ知子がどれほど私を愛していようと、この女も妊娠し中絶すれば、いやでも俺から離れて行くだろうと、半ばそれを期待したからであった。

ところが知子は、二年たち三年たっても妊娠せず、「私は赤ちゃんができない軀になってしまったのかしら」と知子自身が嘆くようになると、私は次第に欝陶しくなってきた。

知子は、妻が寛大な性格であることも、私の家庭のことも承知の上で、私に近づいてきた。妹のように可愛がってくれた妻を知子が自分から裏切ったのは、私への純粋な愛情だけではなく、いつかは妻にとって替わろうとひそかに心に期していたからだろう。

しかし、寛容な妻と張り合うには、妻を上廻る寛容さを私に示さなければならない。知子が私の気紛れな訪れをいつも変わらぬ態度で迎え、貯金や給料の残りをためて、せっせと私の着物までこしらえたのは、そうしなければ妻と張り合い、妻に打ち克つことができないと思っている表われに違いなかった。その一途さに私がホロリとさせられたのはたしかだったが、同時にそれが心理的な負担になってきたことも否めなかった。まして春枝が去り、同時に二人の女を御するという望みも断たれてしまったのだから、いわば、今が別れる潮どきかも知れなかった。

私は思いきって知子に宣言した。

「いつまでも俺にくっついていたって、どうにもならないぞ。俺はどんなことがあっても、ママとは別れないからな」

「わかってます。私だってママの替わりが務まるなんて自惚れていません。でも……」

「でも、なんだ?」

「私、子供がほしいんです。お願いだから、子供だけ産ませて下さい。絶対にご迷惑はかけませんから」

「いくらほしがったって、出来やしないじゃないか」

「きっとそのうち出来ます。だから出来るまで……」

「冗談じゃない。子供はもう沢山だから、ママに不妊手術をさせたんだ。それほど子供がほしいなら、だれかとちゃんと結婚するんだな」

これ以上残酷な言葉はないと知りながら、そこまで言って私はふと気づいた。

「まさか、お前――」

知子が首を振った。

「もしそうだったら、とっくにあなたの前から姿を隠しています」

「姿を隠す? するとお前は子供ができたら一人で育てるつもりなのか。育てられると思っているのか」

「料理屋の仲居さんのなかにも、そうしている人がいます。看護婦仲間にもいました」

知子は一途で辛抱強いうえ、元の看護婦に戻ればどこへ行っても喰うには困らないから、その気になれば女手一つで子供を育てることも不可能ではない。口先だけでなく、身籠ったら本当に姿を隠しかねなかった。自分の知らないところで自分の子が育てられ、何年かたってからその子が突然名乗り出る――いや、邦男のように、自分も歳をとったら、まだ見ぬわが子に一目逢いたくなって知子に頭を下げるようになるかも知れない。考えただけでもゾッとした。

「ばかはお前ばかりじゃないらしいな」

言い捨てて知子の部屋を出た私は、非常用階段を降りながら、二度とこの階段を登るんじゃないぞと幾度も自分に言いきかせた。

 

● 十

 

支局に転勤する同僚の送別会に出て久し振りに夜遅く帰宅すると、パジャマ姿の次男が玄関に飛び出してきた。

「まだ起きていたのか。きょうはお土産なしだぞ」

「おねえちゃんが、きているよ」

「おねえちゃん? どこの?」

「パパ、本当に何も買ってこなかったの?」

「ああ。お兄ちゃんは?」

「もう寝た」

次男はつまらなそうな顔をして、奥へ駆け戻った。そのあとから部屋に入ると、妻が炬燵板に片肘をついて煙草を吸っていた。

「誰かきているんだって?」

外套を脱ぎながら訊くと、妻が黙って湯殿のほうを顎(あご)でしゃくった。かすかに湯の音が聞こえた。

「敏江か」

姪の名前を言ったが、妻は返事をしなかった。いつになく強ばった顔つきであった。部屋の中を見廻して、壁に女物の着物がさがっているのに気づいた。見覚えのない柄であった。

「一体、誰なんだ」

苛立って声を荒げたとき、湯殿の戸が開く音がきこえ、「お先に」という声がした。思わず私は息をのんだ。凝然とした。明らかに知子の声であった。妻が灰皿の底で煙草をひねり、じろッと私を見上げてから、抑揚を殺した低い声で言った。

「何もかも聞いたわよ。人でなし」

私は押入れの唐紙に背を貼りつけて、息をつめた。何秒かがたった。

「そんなところに突ッ立っていないで、炬燵に入ったら。大丈夫、ぶたないわよ」

妻がかすかに笑った。私はのろのろと上衣を脱ぎ、ズボンから足を抜いて丹前に着替えた。事態がまだのみこめなかった。むろん、今夜これからどんなことになるのか、予想もつかなかった。

「おなかは? それともお風呂?」

妻が不断の口調で訊いた。

「お茶漬けが一膳、食べたいな」

立ち上がりかけた妻が、すぐまた腰を落として、「知ちゃん」と呼んだ。少したってから「はい」とかすかな返事がした。

「こっちにくるとき、台所からお新香とさっき焼いた鮭を持ってきて頂戴」

私は脱いだ靴下をまるめて手に持ったまま、そっと炬燵に膝を入れた。妻の手がいきなり伸びたので、思わず肩を引いた。妻は靴下を引ったくって、部屋の隅へり投げた。

「私、凄く怒ってるのよ。判っているわね」

「済まん」

「よくも長い間――」妻が言いかけたとき、妻の浴衣を着た知子がお運びを捧げるように持って入ってきた。湯上がりなのに、顔に血の気がなかった。私の目を避けて選んできた物を炬燵の上に並べ終えた知子が、後ずさって畳に両手をつき、「ご免なさい」と頭を垂れた。

「あんたが謝ること、ないわ。悪いのはパパなんだから。それより、私もおなかが空いちゃった。知ちゃんもお茶漬け食べない?」

三人揃って黙々と箸を動かしながら、以前、やはり夜更けに三人で卓袱台を囲んだことを私は思い出した。そのときは妻も知子も食べながら愉しそうにお喋りをつづけて、「どっちかにしろよ」と私がたしなめたほどであった。

「お袋は?」食べ終えて私が訊くと、

「昼間、知ちゃんがくる少し前に、東京の叔母さんの処へ出かけたわ」妻は知子にちょっと目をやってから呟くようにつけ加えた。「おばあちゃんがいなくてよかった」

私は風呂場で、殊更にゆっくり軀を洗った。風呂から出たらお白洲が待っている。妻に何を言われようと、どう裁かれようと、ひと言も抗弁できない。項垂(うなだ)れてただひたすら恭順の意を表するよりほかに道はなかった。もし、「あなたには愛想が尽きた、別れる」と言い出したら、知子の前でも平謝りに謝って、たとえ土下座してもそれだけは思いとどまって貰うつもりだった。だが、それにしても知子は何で家にやってきたのか。どうして自分から私との関係をバラす気になったのか。寄りつかなくなった私を怨んで、いっそのこと私たち夫婦の仲まで割く気になったのだろうか。へちまで脛(すね)をこすりながら、バカが、バカが、と私は口に出してくり返した。

「まだ出ないの」

戸が開いて妻が顔だけのぞかせた。私はあわてて湯船に身を沈めた。

「もうすぐ出るよ」

湯気を透して私を見詰めながら妻が声を落として言った。

「あの娘、先月、流産したそうよ」

「流産? 堕ろしたのか」

「自然流産だったそうよ。そのうえ、あなたがぱったり来なくなったんで、堪え切れなくなったらしいの。あなた、あした、会社を休んでね」

「なぜ?」

「今夜は遅いから、あした、三人でじっくり話し合うことにしたの。いいわね、覚悟しておきなさい」

戸を閉めかけた妻が、また顔を突き出して言い足した。

「今夜、私は知ちゃんと一緒に寝るから、あなたは別に寝るのよ」

「俺はお袋の部屋で寝るよ」

「いいわよ、もう、蒲団を敷いちゃったから」

妻と知子が四幅(よの)蒲団に一緒に入り、私は隣の三幅(みの)蒲団に横になったが、むろん、寝つかれるはずがなかった。以前も妻と知子は、まるで実の姉妹のように一つ蒲団に寝た。が、いまの二人は、いわば敵同士――私は妻の気持が理解できなかった。なぜ私を同じ部屋に寝かせたのか。どうして知子を空いている母の部屋に休ませなかったのか。

私は暗がりの中で目を凝らした。手を伸ばせばすぐ届くところに、どちらも肌に馴染んだ二人の女が軀をくっつけて横たわっている。全身に異常な欲望が漲(みなぎ)った。それが抑えきれなくなった。私は起き上がると、いきなり、二人の間に割りこんだ。

「何をするの」妻が小さく叫んだ。

「一緒に寝かせてくれ」両手で二人の胴を抱えこんだ。

「やめて。向こうへ行って。――けだもの」

「ああ、俺はけだものだ、悪いか」

「気が狂ったの。ね、やめて、お願い。こんなことで誤魔化そうとしたって、そうは……」

「うるさい、じっとしてろ」

妻にのしかかり、乱暴に寝間着の衿を開けて乳首を吸った。同時に左腿(もも)を知子の腹の上に載せて、逃げ出せないように力をこめた。妻の指が私の髪の毛を掴んで、顔を引き剥がそうとした。

私はさらに強く乳首を吸い立て、右手で寝間着の裾を割った。

妻が抵抗をやめた。知子の手が、腹の上に載せた私の腿を怯々(おずおず)と抱えこんだ。私は左手を伸ばして知子の胸をさぐった。すぐ、ふくらみにぶつかった。じかにその乳首を摘んだとき、腿を抱えていた知子の指先に力がこもった。妻の腕がゆっくりと私の頭をかかえ込んだ。二人の息使いが明らかに短くなった。

妻に重なった私の腰に知子が獅噛(しが)みついてきたのは、それから五分とたたないうち――けだものになったのは、もはや、私だけではなかった。

 

● 十一

 

岡山にいる嫂(あによめ)の光江から突然、手紙がきた。

〈長男の勇がどうしても東京の大学へ進みたいというので、まことに勝手なお願いだが、受験前後の一か月ばかり、面倒をみてはもらえないだろうか〉という依頼であった。

その手紙を妻に見せ、読み終わるのを待って、「断わるよ」と私は言った。

「どうして?」

妻がびっくりしたように訊いた。

「受験生を一か月も預かるなんて大ごとだ。考えただけでも気が重い。第一、部屋がない」

「ずいぶん薄情ね。あなたと血の繋がった甥よ。叔父さんとして、それくらいのことをするのは当然でしょ。子供部屋をあければいいじゃない」

「子供たちはどうするんだ」

「またこの部屋に一緒に寝かせればいいわ」

「俺は勇がまだ小学生の頃に神戸で一度逢ったきりで、どんな青年になっているのか、全然知らないんだ」

「逢えばいやでも判るわよ。一期校の試験まであんまり日にちがないんだから、すぐ返事を出してあげなさいね」

「厭だな。いくら甥でも、気心の知れない若者を家に寝泊まりさせるのは」

「神戸の義姉(ねえ)さんに聞いたんだけど、勇ちゃんも弟の等ちゃんも頭がよくて、二人とも学校の成績はいつも一番か二番だそうよ。私は勇ちゃんが東京の大学に入ったら、うちに下宿させて、ここから通わせてもいいと思っているの。そうすれば準たちの勉強も見てもらえるから。いずれ等ちゃんもこっちの大学にくるんじゃないかしら」

「冗談じゃない。準たちもすぐ大きくなる。この狭い家に男の子ばかり四人もゴロゴロされて、たまるか」

「あなた、忘れたの? 私たちの結婚式におばあちゃんや義姉さんたちが出席するようになったのは、光江嫂さんがすすめてくれたからだと、いつか、あなたが教えてくれたのよ」

「それとこれとは別だ」

「本来なら、お義兄さんが亡くなった後、あなたが勇ちゃんたちを引き取って面倒を見なければならなかったのよ。こんなときぐらい役に立たなきゃあ……おばあちゃんだって喜ぶわ、同じ孫なんだもの」

「たとえ預かっても、俺は何もしないぞ。一切、お前が面倒を見るんだぞ」

「はじめからアテにしていません。しょっちゅう家をあける人なんか」

「本当にいいんだな」

「いやに念を押すわね、なぜ?」

「……」

あの夜以来、私は公然と知子のアパートに寄り、三度に一度は泊まるようにもなっていた。そればかりでなく、知子を家に連れこんだことも幾度かあった。妻は何も言わずに以前と変わらぬ態度で知子を迎え、翌朝、連れ立って出勤する私と知子を淡々と送り出した。いきなり地獄の快楽をわかち合ってしまったので、今更、拒めなくなってしまったのだろう。知子のほうも、東京駅で落ち合って、「今夜、うちにくるか」と誘えば、あわてて目を逸らしながらも小さくうなずき、闇の中では私のどんな要求も拒まないようになっていた。

はじめは私も、己れの無慚な欲望に捲きこんだことに後ろめたさを覚えたが、二度、三度と重ねるうちに、

――何だ、悦んでいるのは、むしろ、女たちのほうじゃないか。

と思うようになり、私の軀を共有して、先を争うように幾度も歓びを極めている二人を持てあます夜もあった。生理的に限界のある男と違って、一旦狂いだすととめどがない女の欲望の深さに、自分が火をつけておきながら、ふと戦慄を覚えたことさえあった。

性には、やさしく劬(いたわ)り合う、おだやかな歓びもあるが、快楽だけを測るならば、人倫を踏みはずした、やましさ、後ろめたさを伴うほうが、間違いなく深いところへ誘ってくれる。私は経験でそれを知ることができた。

――せっかく人間に生まれたのだ、しかも人生は一回こっきり。生きているうちに、欲望が旺盛なうちに、とことん、性の快楽を求めようとするのは当然じゃないか。人倫? モラル? よせやい、みんな、あとからつくった枠にすぎないじゃないか。男だけの身勝手な欲望? 嘘をつけ。現に真紀子も知子も、俺の数倍、いや、数十倍も快楽をむさぼっているじゃないか。

勇を預かれば、その間、いくら私でも、知子を連れこむことはできない。それどころか、一つ屋根の下に受験生がいれば夫婦生活も抑制しなければならなくなる。私が断わろうと思ったのも、本当にいいのか、と念を押したのも、そのせいであった。妻もそれに気づかぬはずがなかった。

にも拘らず、妻が、積極的に勇の世話をしようとするのはなぜなのか。妻はそれを機会に、三人の夜に終止符を打つつもりなのだろうか。もしそうなら、その場になればけだものになっても、やはり妻には屈辱の夜なのかも知れなかった。

――知子がいる限り、いつでもできるんだ、慌ててむさぼることはない。お楽しみは暫くお預けとするか。

光江へ承諾の返事を書きながら、私は自分に呟いた。

 

● 十二

 

十日後の朝、妻と一緒に東京駅へ勇を迎えに行った私は列車から降りてきた彼を一目見て思わず息を呑んだ。

亡兄とそっくりであった。

父子なのだから似るのは当然だったが、それにしても、顔立ちはもちろん、背恰好(かっこう)も、ちょっとはにかんだような笑い顔も、記憶の中にある若い頃の健雄に生きうつしであった。わずかに違うのは、田舎育ちのせいか、勇のほうが色が黒いのと、口のきき方が間のびしている点ぐらいだった。

しかし、それよりも私を驚かせたのは、初対面の挨拶をする妻が妙にどぎまぎして、珍しく頬を上気させたことであった。

地下街の喫茶店でひと休みしたときも、妻はいつになくそわそわして、「この店、暖房がききすぎね」と言いながら、半帛(ハンカチ)で額や頬をしきりに押さえ、ストローでソーダ水を啜り上げている勇を、その半のかげから眩しそうに眺めた。五分刈り頭のせいもあってか、勇にはまだあどけなさが残っていた。そのかわり、青年に成りきらない、その年頃特有の生臭さは少しもなく、どこかひ弱そうな感じだった。

勇が手洗いに立った後、妻が顔を寄せて嘆息するように呟いた。

「綺麗な子ねえ」

私はずっと昔耳にした母の嘆きを思い出した。

――男はなまじっか綺麗に生まれると碌(ろく)なものにならない。

兄が二度目の心中未遂騒ぎを起こしたのは、私が小学校へ上がった年の冬――年の瀬も押しつまった寒い晩で、警察から連絡があったのは、父が忘年会から酔って帰宅した直後だった。私はすぐ上の姉と、父の土産の折詰めを取り合いしていたが、電話に出た母の、「父さん、大変ッ」という声に、やっと姉から奪ったその折詰めを炬燵の上にとり落した。母に替わって電話に出た父は、茶の間に戻るといっぺんに酔いの醒めた顔で、脱いだばかりの外套に袖を通した。父が飛び出して行ったあと、私は折詰めから炬燵蒲団の裾に転がり出た慈姑(くわい)の煮しめを、母のほうを窺いながらそっと摘み上げた。母は両手でこめかみを押え、長火鉢の前に蹲(うずくま)った。私が慈姑を口へりこんだとき、「いっそ、死んじまえばいいんだッ」と喚(わめ)くように母は言った。その声も私の記憶の底に残っていた。

恐らく勇は、父親のそうした若き日の過去を夢にも知るまい。だが、彼がもし東京の大学生になったら、周囲の女にチヤホヤされて、父親の二の舞を演じないとも限らなかった。

勇が席に戻ってくると、カウンターの前に立ったウェイトレスの少女が銀盆を胸にかかえたまま、潤んだような目を彼にそそいできた。斜め横のテーブルにいる三十前後の小粋な和服姿の女客も、コーヒーを口へ運びながら、視線をチラチラ勇へ投げていた。

「お前、高校でさぞかしモテるんだろうな」

「俺、男子校だから」

「そいつは残念だったな」

傍らから妻が、ばかなことを、と言わんばかりの目で私をたしなめた。

「夜汽車で疲れているか」

「別に」

「きょうのうちに二、三か所、東京見物をしてもいいぞ。どこか、観たいところがあるか」

「別に」勇はもう一度首を振りかけてから、慌てて言い直した。

「親父の墓参りがしたいんです」

意表を衝かれた思いだった。

兄の遺骨は、青山墓地の父と同じ墓に葬ってあった。納骨したのは三周忌のときで、神戸の万起が光江から預かってきた。たまたま光江は病臥中で上京できず、勇や等もこられなかった。そのとき以来、私も青山墓地へ足を運んでいなかった。墓参りが大きらいな私は、お彼岸のたびに母に促されたが、言を左右にして一度も同行しなかった。

「若いのにえらいわね」妻がいかにも感心した風に言い、私に向かって言い足した。

「これからすぐ青山へ行きましょうよ。私もずっと前、おばあちゃんのお供で行ったきりなの」

渋々、立ち上がりながら私は、兄の最後の言葉を思い出した。

――お前と一度ゆっくり語りたかったな。

いつだったか、光江に聞いた話だと、兄は結婚後、酒こそ飲んだが女遊びは一度もせず、よき夫、よき父親だったらしい。その点は私と違っていた。光江は兄の死後、郷里の町で料理屋の仲居をしながら二人の子供を育ててきた。その間、神戸の万起は幾度となく金品を送り、毎年夏休みには勇と等を神戸に招いていたようだが、私は自分のことにばかりかまけて、遂に何もしてやらなかった。ここ数年、兄を思い出すこともまれであった。

墓地の入り口にあるお茶屋で、花を束ねてもらっているとき、勇がぽつりと告げた。

「再来年の十三回忌には母も上京すると言ってました」

そう言われて私は、自分があと一年で兄の死んだ齢になることに、はじめて気づいた。

墓地には殆ど人影がなかった。曲がり角を間違えたため、墓に辿りつくまでにたっぷり倍の道のりを歩く羽目になった。

「自分のうちのお墓も忘れてしまうんだから、本当にしようがない人ね」

妻が笑いながら勇の足許に跼(かが)んで、ズボンの膝あたりを半で拭いてやった。勇の提げてきた伽桶(あかおけ)の水がこぼれたのだろう。黙って拭いて貰っている甥に、私は少しばかり不快感を覚えた。

「死んだら俺もお前もここに入るんだぞ」

お詣りをすませて、濡れた墓石に改めて目をやりながら勇に言うと、薄笑いを浮かべているだけの彼にかわって妻が答えた。

「私もいずれここに入れて貰うのね」

「それまでに夫婦別れしていなければな」

「別れないわよ、絶対」

勇が驚いたように妻を見た。

 

● 十三

 

同僚が差し出した受話器を耳にあてると、

「何としたな」

知子の声がいきなり飛んできた。いつもは標準語の知子が秋田弁を使ったので、怒っているのがすぐ判った。勇がきてから私はずっと戸塚に寄っていなかった。

「今夜、行くよ」

「本当? 何時頃? 私、きょうは休みなの」

「なるべく早く行く」

電話を切って椅子に坐り直すと、

「色男はつらいな」同僚がからかった。

「心は二つ、身は一つさ」私は軽く受け流して朱筆を握った。下版時間が迫っていた。

妻から電話がかかってきたのはそれから三十分後――大組みを終えてちょうど編集局に戻ってきたときであった。弾んだ声で、勇が一期校の一次試験にパスしたことを告げ、お祝いをするから今夜はできるだけ早く帰ってきてくれ、と妻は言った。

「あわてるな。二次で落ちるかも知れないんだから」

「そりゃあそうだけど……戸塚へ寄るの?」

黙っていると、

「いいわ、行っても。そのかわり、今夜だけは泊まらないでね」

「ああ」私はわざと気のない返事をした。

前の晩、妻は牀(とこ)の中で私の手を払いのけた。

「ダメ、まだ勇ちゃんが勉強しているんだから。我慢できないなら知ちゃんの処へ行ったらいいでしょ」

わざわざ電話をかけてきたのはそのせいに違いなかった。

勇を預かってから毎晩きちんと帰宅するようになった私を、「どうしたの?」と妻は不思議がり、「勇ちゃんに真面目な叔父さんと思われたいの?」と、からかった。「よし、そんなことを言うなら、当分、向こうで暮らすか」と私はうそぶいたが、実を言うと、妻と勇のことが気になってならなかった。

妻は遠慮する勇の体から引き剥すように下着やパンツをぬがせるとすぐ洗濯にかかり、勇が風呂に入ると必ず湯加減をききに行く。そして毎晩、工夫をこらした夜食をつくっては、十二時になるのを待ちかねたように勇の机へ運んで行った。私の着替えには手をさない妻のそうした世話ぶりを見ると、私はいやでも鎌倉山の頃を思い出さないわけにはいかなかった。

あの頃、私は叔父よりも血の繋がっていない島子に親しみを覚え、島子のほうも実の姪である真紀子よりも私を可愛がってくれた。島子が私と過ちを犯したのは三十五歳――妻はあの頃の島子とほぼ同じ齢だったし、勇も当時の私と殆どかわらぬ年齢であった。まして勇は美少年、妻の心にふと誘惑したい気持が生まれないとも限らなかった。日頃の妻から推して、まさかとは思いながら、男と女の間では、そのまさかが決してアテにならないことも私は知っていた。

結婚後、私は妻の愛情の上に胡坐(あぐら)をかいて、放埓(ほうらつ)な歳月を過ごしてきた。次々に情事を重ね、嘘をついたり誤魔化したりすることにもいつか馴れっこになって、その間、妻の哀しみや苦しみを一度も察してやらず、バレれば傲然(ごうぜん)と居直った。

――俺がどんな我儘をしようが、真紀子は必ず許してくれる。

私はそう思いこんでいた。

――途中、紆余曲折はあったが、とにかく俺たちは初恋を貫いて一緒になった夫婦だ。めったなことでは壊れやしない。その証拠に、真紀子は一度だって別れ話を持ち出したことがないじゃないか。

だが、そう思いこんでいるのは私だけで、妻のほうは年々私への不信感を募らせ、ひそかにしっぺ返しをする機会をうかがっていたのかも知れなかった。

――十七、八の甥に焼き餅を焼くなんて、どうかしているぞ。

幾度か自分で自分をってみたが、やはり私は疑心暗鬼を払いのけることができたかった。そんな目で見ると、妻のちょっとした動作――たとえば食事中、用を思い出したらしく急に座を立った妻が勇の後ろを通る際、「ちょっとご免」と言いながらその肩に手を置く仕草までが気になった。

島子と過ちを犯す前、私は幾度も彼女から頼まれた。

「信ちゃん、冬休みにも泊まりがけで遊びにきてよ。私はいつも独りぽっちなんだから」

叔父もこう言った。

「健雄がグレなければ、お前をうちに貰うんだがな」

当時、勤め先の国策会社で課長に昇進したばかりだった叔父は、毎晩帰りが遅く、殆ど終電車だった。そして朝は、私が起きる前に出勤していた。

――叔父はあの頃、島子と俺とに少しの危も感じなかったのだろうか。叔父の目に、俺はまだ子供としか映らなかったのか。

気のせいか、妻の顔つきや物腰が、記憶の中の島子に、だんだん似てくるようであった。

しかし、私がせっせと帰宅するようになったのは、疑心暗鬼のためだけではなかった。知子のアパートに公然と寄るようになってから私は、同じ晩に妻も抱いた。知子だけを愉しませて自分は寸前で踏みとどまり、妻の軀で仕上げをした。そうすると自分でも呆れるくらい異常な昂奮を覚えた。同じ夜に、というよりも、わずか二時間ぐらいしか間を置かずに二人の女を抱く――だが、私が昂奮したのは、その感覚の違いからではなかった。「向こうで済ませてきたんでしょ、無理しなくてもいいのよ」と言いながら、私以上に昂奮して、貧欲に歓びを汲み上げている妻に、ついさっきまでの知子の姿態がダブって、より深い悦楽を味わうことができるからであった。私の軀はもはや一対一では物足りなくなっていたのだろうか。

勇の同居は当然、私からこの悦楽を取り上げた。妻と同衾できず、仕上げの場所を失った私は、同時に知子と寝る興味も失ってしまったのだ。知子に限らず、元々、私の情事は夫婦生活への刺戟剤であった。妻の代用ではなかった。その証拠に、私はよそに女ができると、妻と同衾する回数がふえた。妻が私の外泊をさほど咎めなかったのも、一つにはそのせいだったのではないだろうか。

しかし、知子はいまや妻公認の存在、一、二時間後に妻との同衾が控えているからこそ知子と寝る気も起こるので、知子とだけなら、いわば骨折り損のくたびれ儲け――まして子供を欲しがっている知子の軀で埒(らち)をあけるわけにはいかなかった。

「どうしても帰るの?」

久し振りに知子の部屋で晩飯をともにした私が、食後の煙草もそこそこに腰を上げると、案の定、知子の表情がこわばった。私は無言でハンガーから上着をとった。卓袱台の前に坐ったまま知子が怨めしそうな目で見上げてきた。その視線をそらしてレインコートを肩にかつぎ、「そのうち、ゆっくりくるよ」呟きながらドアをあけようとすると、

「私も一緒に行く」

不意に知子が立ち上がった。

「ダメだ」私はつい声をあらげた。

「なぜ?」

勇を同居させていることを私はまだ知子に知らせていなかった。知らせれば藪蛇になると思ったからだ。

「当分、うちにはこないでくれ」

「随分、勝手なのね。自分がきて貰いたいときは、こっちの気持なんか無視して連れて行くくせに」

「ああ、俺は勝手な男だ。それが厭なら別れてもいいんだぜ」

私の八つ当たりを受けとめかねて、知子は少時、立ちすくんでいたが、くるっと背を向けると両掌で顔を掩い、間もなく嗚咽を洩らしはじめた。顫(ふる)えているその後ろ肩を眺めながら、私はわざと大きく舌を鳴らした。

 

● 十四

 

地階の大浴場から三階の部屋に戻ると座卓の上に料理がならんでいた。廊下の手摺(てすり)に濡れた手拭(てぬぐい)をかけて、私はほてった軀を藤椅子にゆだねた。

眼下の温泉町にはすっかり灯が入って、さっき宿に着いたときは町の向こうに見えた海が、いまはもう定かには見きわめ難く、左手に突き出た岬の稜線もぼやけていた。

夕闇のなかへゆっくり広がってゆく煙草のけむりをぼんやり眺めていると、お銚子を運んできた女中のすぐ後ろから、顔をてらてらさせた妻が戻ってきた。隅の鏡台の前に腰を落として、フーッと息を吐き、

「お風呂からここまで、ひと仕事ね」

鏡越しに私に笑いかけた。

「遠くて申しわけありません」

私がおどけて謝ると、五十年輩の女中がちょっと笑い声を洩らしてから、「ご用意ができました」そう言って心持ち頭を下げた。

藤椅子から立ち上がったとき、新館の宴会場のほうから拍手の音が聞こえてきた。

「ずいぶん大勢の団体らしいね」

「はあ、百人さまほど」

「そりゃ大変だ。ここはいいですよ」

「さようでございますか。では、おひとつだけ」女中がお銚子を取り上げた。

「志郎はそろそろ京都に着く頃かしら」

衿(えり)をかき合わせて鏡台の前から卓の向こう側に坐り直しながら妻が言った。

「もうとっくに着いて、新京極あたりを荒らし回っているよ。けさ、子供が修学旅行へ出かけたんだ」

後のほうは女中への説明であった。

「奥さまはお倖せでございますね」

「あら、なぜ?」

「お子さまがお留守でお寂しいと、こうして旦那さまがちゃんと……」

「この人と温泉にきたの、今度が初めてなのよ」

確かにその通りだと、お猪口(ちょこ)を口へ運びながら苦笑した。女中が去ると、それを待っていたように妻が言った。

「知ちゃんも連れてきたかったんじゃないの」

「ばかを言うな」

「知ったらあの娘、怒るわね、きっと」

「夫婦が旅行するのに、何であの女に遠慮しなければならないんだ。それより、ばあばを連れてきてやればよかったな」

子供たちに傲(なら)って義母の照江を私もそう呼んでいた。

半月ほど前、照江から妻に電話があった。志郎が修学旅行へ出かけると寂しくなるので、子供たちを連れて一日二日、遊びにきてはくれまいか――妻からそれを聞いて私はすぐ提案した。

「この際、みんなで温泉へでも行こうか」

義父の死後、志郎の養育は照江にまかせっぱなしだった。仕立て物の内職で照江は志郎を育ててきた。

「おばあちゃんも連れて行くの?」

「お袋が一緒じゃ、ばあばの骨休みにならないじゃないか」

それが、結局、夫婦二人だけの旅行になったのは、逆に照江に、「お前たちは新婚旅行もしなかったんだから、二人だけで行っておいで。子供たちは私が預かるよ」と強くすすめられたからであった。

「もう、ご飯にしない?」

目のふちをほんのり染めた妻がお銚子をわきに片づけながら言った。

「まだ残っているだろ」

「ダメ、酔われたらあとで損しちゃうもの」

「損?」

「だって今夜は新婚旅行なのよ」

「お前、酔ったな」

「酔ってなんかいないわよ。でも、こうやって夫婦二人きりで温泉にくる日がくるなんて、考えてもみなかったわ」

いっとき静かだった宴会場からまた拍手が聞こえてきた。今度はレコードの音楽や酔っただみ声も混じっていた。

「奥伊豆の、もっと静かなところにすればよかったな。それこそ新婚さん向きの」

「私はあんまり鄙(ひな)びたところよりこの辺がちょうどいいわ。それより、どうするの?」

「何が」

「知ちゃんよ。これからもずっとつづけるつもり?」

「近く手を切るよ」

「本当? あなたにできるかな」

「俺がアパートに寄らなければ、それで終わりさ」

「またうちのほうに押しかけてくるわよ」

「お前が入れなければいいじゃないか」

「やっぱり私に尻ぬぐいをさせる気なのね。いいわ、あなたが本当に別れる気なら、私がきっぱり引導を渡すわ。いいのね、それで」

私はつい曖昧な表情になった。このまま、ずるずるべったりにしていたら、間違いなく一生背負こむ羽目になる。といって、あの快楽を失うのも惜しかった。勇が一期校に合格して県人会の経営する束京の学生寮に移ってからちょうど一か月、私は旅行から戻ったらもう一度、三人の夜を愉しむつもりだった。

「ま、今夜はあの女の話はよそう。折角、二人きりで温泉にきたんだから」

「ずるい人」

夫婦がそろって箸を置いたとき、床の間の隅で電話が鳴った。

「何かしら」

「飯が済んだかどうか、聞いてきたんだろ」

私は爪楊枝をくわえて立ち上がり、また藤椅子に軀を埋めた。遠く、漁火(いさりび)がちらつき、五月の夜風が快かった。

「ねえ、横浜からだって」妻が受話器を耳にあてがって、心配そうに眉を寄せた。

「子供たちに何かあったのかな」

「さあ……ア、母さん、どうしたの。え、電報?」

妻のただならぬ顔色に私は思わず立ち上がった。妻は受語器を膝に置くと、ベソをかいたような表情で私を振り仰いだ。

「どうしたんだ、何があったんだ」

「邦男が危篤だという電報がきたんだって。志郎を連れて至急おいでを乞うって」

私は咄嗟(とっさ)に声が出なかった。あまりにも意外な報せだった。

「どうしよう、あなた。よりによって、こんなときに」

「これから志郎君を迎えに行って……間に合うだろうか」

間に合わねば志郎はついに父親と――やっぱり、あのとき逢わせるべきだったのかも知れない。紅葉坂の旅館で真紀子に手を払われ、がっくりと項垂れた邦男の姿が脳裡に浮かび上がった。

「とにかく、できるだけ早く連れて行くと、返電を打つように言いなさい」

「連れて行くの? 行かなければいけないの」

「当り前じゃないか」

「私、行きたくないわ。志郎だって行かないと思うわ。あの子はまだ何も知らないのよ」

「いいから今言ったように打ってもらえ」

叱りつけるように言って、浴衣の細帯の下に両手を差し入れた。酔いがすっかり醒めて、肩のあたりが妙にぞくぞくした。

熱海までタクシーを飛ばして急行をつかまえれば、あすの朝早く京都に着く。引率の教師に事情を話して志郎を連れ出し、豊橋まで引き返して飯田線に乗りかえる。接続がうまくいけば、邦男の住む北設楽郡の町におそくも午後二時頃までに着くことができるだろう。

「京都の宿屋は知っているね?」

「たしか三条の、かめ屋とか、かど屋とか……私、やっぱり行かないわ。今更、志郎に打ち明けるなんて、とってもできないわ。あの子は修学旅行を愉しみにしていたのよ。小さいときから、どこへも連れて行ってやらなかったから。あなただって覚えがあるでしょ。修学旅行は一生の思い出に……」

「ばか。どっちが大事だ。早く仕度しろ」

「嘘かも知れないわ。志郎に逢う狂言じゃないかしら」

「あれから十年以上もたつんだぞ。その間、何も言ってこないで、今頃そんな手を使うものか、使うなら、とっくに使っている」

「一体、どこまで崇(たた)るのかしら」

床柱を背中で擦るようにのろのろと立ち上がった妻が、大きく溜息をついた。にわかに老けた顔になった。

 

● 十五

早朝の京都駅前はタクシーがずらりと並んでいるだけで、人影はまばらだった。昇りはじめた陽が、朝霧を薄赤く染めていた。腫れぼったい目をした妻をせかせてタクシー乗場に急ぎ、ドアを開けた先頭の車の運転手に旅館の名を告げると、知っているとみえてすぐ車をスタートさせた。

真っすぐにのびた市電の白い軌条が、寝不足の目に眩しかった。妻は不機嫌そうに唇をきつく結び、膝の上でハンドバッグを握り締めていた。黄色い信号灯が明滅する幾つかの交叉点を、車は速度を落とさずに渡って行った。

「最初はお前が一人で行ったほうがいいだろう。先生には祖母が危篤だとでも言えば――」

妻が小さくうなずいた。

「どうしてもお前が言いにくければ俺が話すけど、問題は志郎君が納得してくれるかどうかだ」

納得するどころか、志郎には生涯癒しがたい傷を与えることになる。あれから十年以上もたち、しかも死にかかっている邦男は、恐らく痩せ細って見る影もないだろう。それを承知しながら真相を打ち明け、最初で最後の父子の対面をさせようとするのは、やっぱり俺が第三者だからなのか。

しかし、電報がこなくても、志郎に真実を語る時期がきているのかも知れなかった。いつまでも隠し通せる事柄ではないし、もし邦男が丈夫で、真紀子に隠れて志郎に逢い、父だと名乗られても文句は言えなかった。むしろ今まで邦男がそうしなかったほうが不思議であった。

昔ながらの大きな三階建ての旅館の前で車から降りると、玄関の金文字入りの硝子戸はまだきっちり閉じられていたが、見上げると通りに面した三階の窓に若々しい顔が五つ六つ並んで、物珍しげに朝の街並みを眺めおろしていた。

「いいね」

念を押すと妻はまた黙ってうなずき、ハンドバッグを抱え直して意を決したように私から離れた。その背が玄関に消えるのを見届けてから私は、ポストンバッグをぶら提げて車できた道をゆっくり引き返した。少なくとも二、三十分はかかるだろう。その間、旅館の前に突ッ立ってもいられなかった。

両側の店はまだ殆どが鎧戸(よろいど)をおろし、人けのない商店街をときおり風が吹き抜けて行った。半町ほど戻ったところで振りかえり、旅館の玄関が見えるのを確かめてから、鞄を足許に置いて煙草に火をつけた。あの旅館のなかで妻と志郎はいま、のっぴきならぬ場に直面している。打ち明ける妻もつらいだろうが、告げられた志郎は驚愕とショックに打ちのめされて、暫くは声も出ないことだろう。そして彼は、自分を実家に置いて結婚してしまった真紀子を怨み、自分から母親を取り上げたこの私を憎むに違いない。

志郎は長い間、私に馴染まなかった。元々、口数の少ない子だったが、私がいくら話しかけても碌に返事さえしないので、ひょっとするとこの子は、と思い、幾度か妻に確かめてみた。その都度妻は、「まさか」と否定し、「自然にわかるときがくるまでっておきましょうよ」と、自分に言いきかすような口調だった。その志郎が私をはじめて、「義兄さん」と呼んだのは、彼が中学に上がった年の秋であった。

横浜の支局に用があって、久し振りに妻の実家へ顔を出す気になった私は、市電を降りて電車通りから横町へ曲がりかけたとき、たしかに「にいさん」という声を背中に聞いた。が、自分のこととは思えず、横町へ二、三歩足を踏み入れてから何となく振り向くと、肩かけ鞄姿の志郎が横町の角に立っていた。

こそばゆさに私は照れた。末ッ子に生まれた私はその齢まで「にいさん」と呼ばれたことがなかった。だが、呼んだ志郎のほうも照れ臭いのか、すぐ私のそばに寄ってこようとはせず、目を伏せたまま人差し指で鼻の下をこすっていた。

「いま学校の帰り?」

志郎はうなずいて、小石を軽く蹴った。石は私の足許近くで止まり、それをもうひと蹴りするような恰好で志郎は寄ってきた。

「じゃあ、一緒の電車だったのかな」

志郎は石に目を向けたままもう一度、コックリした。その晩、家に帰るなり私は妻に告げた。

「志郎君が俺を義兄さんて呼んだぜ」

私が居間で着替えをしていると、台所から珍しく妻の鼻歌が聞こえてきた。

舗道のヘリに立って三本目の煙草を吸い終えたとき、私の目の前を空の大型バスが二台、通り過ぎた。目で追うと、二台とも旅館の前で停車した。玄関を塞がれたので鞄を持ち上げ、急ぎ足で戻りかけたとき、そのバスの間から妻の姿が現われた。つづいて志郎も出てくるものと思ったが、こちら側の舗道に上がった妻は後ろを振り向きもせずに俯向いて歩き出した。

「どうした?」五、六歩手前で声をかけると、妻はハッとしたように顔を挙げ、その顔をかすかに振った。ひどく疲れたような表惰であった。

「志郎君は?」

「厭だって」

「そんな――」

「あの子、知っていたの。前から気づいていたんだって」

妻は目を逸らし、ちょっと口籠ってから低い声で言った。

「私、先生に頼んであの子を小部屋に呼んで貰い、事情をかいつまんで話して、これから一緒に邦男のところへ行ってくれと言ったの。そうしたら、いきなり、俺は逢わないよって、平気な顔で言うの」

「もう少し詳しく話してくれ」

「それだけよ。俺の親父はとっくに死んだ、死んだ親父がまた死ぬわけがないだろと、澄ました顔で言うのよ。気を呑まれて私のほうがぽかんとしてしまったわ。それより姉ちゃんよく一人でこられたなと言うから、あなたも一緒だと言ったら、姉ちゃんたちもついでに京都見物していけよって――」

私も気を呑まれて暫く声が出なかった。

「あの子、もう、大人なのね。私たちが考えていたよりずっと大人なんだわ」

「危篤だということも話したんだね」

「言ったわよ。それでも平気なの。今更死に目に逢ったってはじまらないよって」

提げている鞄が急に重くなった。恐らく志郎は懸命になって平静を装っていたのだろう。

「やっぱりこなければよかったのよ。っておけばよかったのよ。来て損しちゃった」

「それで志郎君はこのまま旅行をつづけるつもりなのか」

「当り前じゃない。まだ振り出しですもの。ほら、バスがきているでしょ。もうすぐ出発するんだって。きょうは京都市内をぐるっと回って、それから奈良と飛鳥へ行くそうよ」

「志郎君はいつ知ったんだろ。誰から聞いたんだろ」

「人の口には戸が立てられないというから……いままで知らないと思っていた私たちが頓馬(とんま)だったのよ。でも、これで私も肩の荷がおりたわ。さあ、帰りましょうよ」

すたすたと歩き出した妻の後ろから私も仕方なく跟(つ)いて行ったが、このまま志郎をっておいていいのか、まだ気がかりであった。前から真実を知っていたにせよ、まだ見ぬその実の父が死にかけていると聞けば、修学旅行をつづけても楽しいはずがない。私は志郎の本当の気持が知りたかった。私を「義兄さん」と呼んだのは、出生の秘密を知っての上だったのだろうか。もしそうなら、すでにあのとき志郎は割り切っていたことになる。だが、そう簡単に割り切れる問題だろうか。肩の荷がおりたという妻の気持も私にはわからなかった。それとも俺のほうがこだわりすぎているのか。お節介なのだろうか。

「連れて行けないなら、それを向こうに知らせなくちゃいけないな」

妻が立ちどまって答えた。

「なまじ知らせないほうがいいと思うわ」

「どうして?」

「がっくりして、そのまま死んでしまうかも知れないもの。っておけば、志郎に逢える期待で持ち直すかも知れないでしょ。――それより、私、なんだか急におなかが空いちゃった。どこか、やっているお店、ないかしら」

「駅へ戻ろう、駅の食堂ならやっているかも知れない」

私も濃いコーヒーが飲みたかった。ちょうど向こう側を走ってきた空車に手を挙げ、その車がUターンしてくる間に目を細くして旅館のほうを眺めると、バスに乗りこむ学生服の群がみえた。

シートに並んで坐った妻は、目を瞑(つぶ)って頭をうしろにもたせた。私も疲労がどっと溢れ、妻に倣(なら)って目を閉じた。

「ご免なさい。あなたにまでいやな思いをさせて」

「お前の過去は、俺の過去さ。折角、きたんだから二つ三つ、お寺でも見ていこうか」

妻が手を求めてきた。

軽く握ってやりながら薄目でうかがうと、妻の頬が濡れていた。

紅葉坂の旅館で階段をすぐには降りられず、踊り場に立ち竦(すく)んでいた姿が思い出された。

車が駅につくまで私は妻の手を握りつづけた。

 

● 十六

 

背中を壁に貼りつけ、膝をそろえた知子が、顫(ふる)え声で言った。

「後生だから、産ませて」

いまにも泣き出しそうな顔であった。

私は黙って首を振り、新しい煙草を咥(くわ)えた。卓袱台(ちゃぶだい)の上の灰皿には、長い吸い殻が十本近くたまっていた。煙草の不自由な頃に煙草を覚えた私は、いつも指先が熱くなるまで吸っていた。知子がまたか細い声で言った。

「お願い、絶対に迷惑をかけないから」

「何遍、同じことを言わせるんだ。だめなものは、だめだ」

言葉を叩きつけた。はじめは卓袱台をはさんで、隣室に聞こえないように二人とも押し殺した声で言い合っていたのだが、私が首を振るたびに知子は後ずさり、それにつれて私の声も大きくならざるを得なかった。

「いいか、あしたにでも病院へ行って堕ろすんだぞ」

「いや。私、産むわ」

「ばか、絶対に許さんッ」

怒鳴りつけ、睨み据えながら私は、胸の中で自分に舌打ちした。搦(から)めた脚に力をこめて、「ね、一緒に」と知子がせがむたびに、「だめだよ、ママが待っているんだから」と、焦らせながら自制してきたのだが、そんな夜をくり返すうちに知子の反応が弱まり、すると今度は私のほうが物足りなくなって、つい前後を忘れてしまったことが三回ばかりあった。

――ばかはお前だ。みすみすこうなることがわかっていながら、ブレーキを忘れやがって。

しかし、今更後悔してもはじまらなかった。

「どうしても俺の言うことがきけないなら、今夜限り、ここにはこないぞ。家にやってきたって絶対に会わん。真紀子にも家に入れるなと言っておく」

唇を喰い縛って嗚咽を怺(こら)えようとしている知子の頬に、涙が伝わりはじめた。

「それでも産みたければ勝手に産め。俺は一切、責任を持たん」

煙をわざと大きく吐き出してから言葉を継いだ。

「準や章にも、これまで父親らしいことは何一つ、してやらなかった。ましてお前の産んだ子なんて知っちゃいねえ。母子ともども喰うに困って、どこで野垂れ死にしようと俺の知ったこっちゃねえ」

知子は、医者から三か月目に入ったと言われている腹の前で、両拳を握っていた。よほど強く握りしめているのだろう、手甲が白っぽくなっていた。ほつれ毛が垂れている頬にも血の気がなかった。見るからに哀れっぽいその姿が余計、私を苛立たせた。

「産んでその子が大きくなったとき、なぜ結婚できない男の子供を産んだのかと責められたら、お前はどう答えるんだ」

洟(はな)をすすり上げてから知子が涙声で呟くように言った。

「よく事情を説明してやります」

「ほほう。事情を説明したら理解してくれると思うのか」

「女のいちばんの倖せは、好きな人の子供を産むことです。その気持を説明すれば、きっとわかってくれます。わかってくれるような子に育てます」

「たいそうな自信だな。わかるどころか、九分九厘、グレるだろうな。グレなくても怨むだろう。お前ばかりじゃない。いや、お前より俺を怨むに違いない。真ッ平だ。お断わりだよ」

「ママなら私の気持、わかってくれると思います」

「ばかも休み休み言え。どうして真紀子がわかるんだ。いくらあいつが寛大な女でも、よそにつくった子供まで認めるはずがない。それどころか、子供だけはつくってくれるなと幾度も念を押されているんだ」

「だってママも結婚できないのに……」

「あいつが志郎を産んだのは二十歳前だ。戦争中で、堕ろしたくても堕ろせなかった時代だ。そのために、あいつはどれだけ辛い思いをしたか……。お前、ママから何も聞いていないのか」

「聞きました。――志郎は私やパパの気持を察して父親に逢わなかったに違いないって、泣きながら話してくれました」

「それでもお前は産もうというのか。ママの二の舞を演じるつもりなのか。産んだ子に志郎と同じような思いをさせる気か」

「でも、志郎さんは素直ないい子に育ったんでしょ」

「真紀子の母親が真紀子の分まで愛情をそそいでくれたお蔭だ」

「あなたがときどき顔をみせてくれれば、怨んだり、グレたりしないと思います」

――家庭は一つでたくさんだ。

出かかった言葉を嚥(の)みこみ、膝に落ちた煙草の灰を払って私は立ち上がった。これ以上言葉を重ねれば、それはすべて、欲望を野放しにしてきた自分自身にはね返ってくる。己れの放埓(ほうらつ)さ、愚かさを確認するようなものであった。腕時計を見ると、終電までいくらも時間がなかった。すがりつくような知子の目を黙殺してドアに近づくと、

「もう、きてくれないんですか」

嗄(かす)れた声が背中を追ってきた。ノブに手をかけたまま黙っていた。背後で知子がのろのろと立ち上がる気配がした。ノブを廻しかけたとき、知子がいきなり私の腰に獅噛(しが)みついてきた。

「よせ」

軀ごと振り払ったが、知子は声にならない悲鳴を挙げて私の腿に取りすがり、顔を揉(も)みこむように押しつけてきた。よろけて壁に肩がぶつかり、鈍痛が腕へ走った。腿に力をこめて知子の顔を起こすように押し返しながら、

「あしたの晩、またくる」と私は言った。

「そのかわり、あしたまでに決心しておけ。俺か、子供か」

ズボンに涙の痕(あと)が残っていた。駅に着くまでに乾くだろう。そう思ってノブに手をかけ直したとき、知子が両腕で私の右脚を抱えこみ、額を腿の付け根に押しあてて、今度は声を挙げて泣き出した。

「電車がなくなっちゃうよ」

それでも知子は脚をはなさなかった。泣きやむまで待つしかなかった。

 

● 十七

 

秋の休刊日に知子を連れて箱根へ出かけた。

むろん、妻には内緒――ずっと以前、大磯の久子の家を訪れたときと同じように、社の慰安旅行に参加すると嘘をついた。慰安旅行の行先が偶然、妻と行った中伊豆の温泉だったので、はじめから私は加わる気がなかった。行けば厭でもあのときのにがい記憶が呼び醒まされるに違いなかった。知子が妊娠中絶をしてから、ちょうど三か月たっていた。一種の罪滅ぼしのつもりだった。夏の間、私の家には家族連れで遊びにくる客が多く、一度も知子のアパートに寄らなかった。

小田原で落ち合い、湯本の温泉街をぶらついてから、予約しておいた塔之沢の旅館に入ったのは午後三時すぎであった。その日の朝まで丸二日間雨が降り通しだったせいか、行楽客の姿は少なく、旅館の中もひっそりしていた。通された部屋は、小ぢんまりした宿に似合わず十二畳もあって、しかも奥に一段高くなった六畳が付いていた。女中が去ると、その上段の間を見まわしながら知子がはしゃいだ声で言った。

「ここに寝るのかしら。なんだかお殿さまの部屋みたいね」

逆に私は不安になった。予約したとき、サービス料や税金を含んだ、いわゆる込み込みの料金であることを確かめておいたのだが、その金額ではとても泊まれそうもない部屋であった。あまり余裕がなかった。

窓をあけると、眼下を流れる早川の瀬音が一段と高くなった。私と並んで雨に洗われた対岸の緑に見蕩れていた知子が、「どうしたの」と小声で訊いた。私の浮かない表情に気づいたのだろう。黙っていると、「何か気になることがあるの」と重ねて訊き、掬(すく)いあげるような目を向けてきた。

「いい部屋だな。眺めもいいし……」

「ママを連れてきたかったんでしょ」

伊豆の温泉で妻が同じようなことを言ったのを思い出した。

「念を押しておいたほうがいいかな」

「何を?」と訊き返したが、すぐ察したらしく、

「私、幾らか持っています」

帯の間から布製の紙入れを抜き出しかけた。知子は中絶費用も私に出させなかった。

「お前、随分、金持ちなんだな」

「きのう、チップが入ったんです」

「チップ? お前、お座敷も手伝っているのか」

「うちのお店はチップを貰ったら一旦、全部お店へ出して、月に一回、それをみんなで公平に頒(わ)けることになっているの。だからお帳場の私も貰えるのよ」

知子はその日、仕立ておろしの紬(つむぎ)を着てきたが、その衿(えり)のところをちょっと摘んで、これもチップをためて作った、と言い添えた。恐らく私の着物類もそのようにしてこしらえたのだろう。

肩に手を廻して私は訊いた。

「お前はもう看護婦に戻らないつもりか」

「なぜ急にそんなことを訊くの」

「せっかく資格があるのに勿体(もったい)ないからさ。それに病院に勤めていれば、博士夫人になれるかも知れないぞ」

「知らないのね、たいていの先生は看護婦を手近な浮気相手ぐらいにしか見ていないのよ。もてあそばれて、棄てられた例を私はたくさん見ているわ。うちのお店でも医者のお客は評判が悪いの。仲居さんたちの話だと、酔ったふりをしてすぐへんなところを触るんですって」

ひょっとすると知子も看護婦時代にいやな思いをしたことがあるのかも知れない。同郷の大学生に裏切られた話以外、知子は過去を語らなかった。私もほじくらなかった。折に触れて知子が語る郷里の思い出話も、私はあまり身を入れて聞かなかった。十二歳のときに実母を喪った知子は、その翌年父親が迎えた継母にどうしても馴染むことができず、異母弟ができてからは父親にも疎んじられていたらしいが、どこにでも転がっている話なので、私はさして同情心も覚えなかった。

「将来、どうするんだ。このままの状態をずっとつづけるつもりか」

「いけない? 私、そんなにお荷物?」

「俺にくっついていたら一生、倖せになれないぞ」

「倖せよ、私。あなたと温泉にこられるなんて、考えもしなかったんですもの」

なぜ妻と同じようなことばかり言うのだろう。

知子と外に泊まるのは、最初の、綱島の夜以来であった。知子に限らず、女と夜をすごすのはいつも相手の部屋か家、あるいは安っぽい連れこみ旅館で、日帰りの旅に出かけたことさえなかった。唯一の例外は、春枝に誘われて湯河原へ行ったときだけ――われながら情けなくなるくらい、私はみみっちい情事ばかりを重ねてきた。

「風呂へ行こうか」

「ね、来年も連れてきて」

「すぐ図に乗る。悪い癖だぞ」

知子が泣き笑いめいた顔になった。

細長い簀(す)の子敷きの廊下を渡って川べりの大風呂へ行くと、誰もいない洗い場に天窓から西陽が射しこんでいた。光線の縞(しま)の中で湯気がたゆたっていた。ところどころに岩をあしらった湯舟の中で、私は思いきり両脚を伸ばした。湯河原の宿で、子供のように泳ぎ廻ったことをふと思い出した。春枝は愉しい思い出だけを残して自分のほうから去って行ったが、知子とは生涯手を切ることができないかも知れない。

――あの娘はきっと私たち夫婦の間に割り込んでくるわ。

妻ははじめから予言していたが、今更振り返ってみるまでもなく、私が割り込ませたようなものであった。

手拭(てぬぐい)で前を隠した知子が、一足おくれて入ってきた。明るいところでその裸身を見たのも、一緒に湯舟につかるのも、はじめてであった。中絶後、気のせいか少し痩せたようで、やや衰えのみえてきた乳房に、乳首だけがいやに大きく目についた。引き寄せると、後ろ向きのまま素直に軀をゆだねてきた。透明な湯の中で、叢(くさむら)がそよいでいた。そこへ伸ばしかけた私の手首を押さえ、軀をよじって、「あとで」と知子は囁(ささや)いた。脇腹の痣(あざ)を私がはじめて目にしたのは、このときであった。

二人は寝しなにまた大風呂へ行き、赤い非常灯だけがともっている夜更けの洗い場で痴戯に耽(ふけ)った。

私の膝にまたがった知子は、二度も三度も背を反して顎(あご)を突き上げ、ほどけた髪先をゆらせながら笛のような声を洩らしつづけた。湯舟の中でも軀を繋ぎ、私が思わず、「苦しいよ」と言うほど、自分のほうから乳房を押しつけてきた。日頃の知子とは別人のようであった。まわりの湯もときに波立ち、ときに漣(さざなみ)となった。それまでの知子は、教えたことは次の晩忘れずにおさらいをするものの、いつもそれだけで、「お前は全く創意工夫に乏しい女だな」と私はときどき冗談半分の厭味を言った。が、その晩は再び洗い場に戻ると、自分からタイルに両膝をついて背をまるめ、私のリズムに合わせながら片手を腹の下にもぐらせて、わが身に納まり切れぬ部分を掌に包んでは、けものじみた声を挙げた。その声に幾度も引きずりこまれそうになりながら、私は危うくその寸前で踏みとどまった。中絶後は妊娠し易いと聞いていた。

「もうダメ」とタイルの上に長々と 伏せになった知子の腰に、桶で掬ったお湯を少しずつかけてやると、そのたびに全身を痙攣(けいれん)させた。脱衣場へ戻って浴衣の袂から煙草を取ってきた私が、湯舟のへりに腰かけ直すと、その両脚の間に身を沈めた知子がゆっくりと唇を寄せてきた。

「もういいよ」顔に煙をはきかけても、目を瞑(つむ)ったまま口をはなさず、いっぱいに頬張ったり、強く吸い立てたりした。そしてやっと唇がはなれたと思ったら、今度はいかにもいとしげに頬ずりをはじめた。煙草を捨て、手拭を絞って知子の額に浮かんだ汗粒を拭ってやると、薄目をあけて何か呟いた。「何だい?」耳を寄せると、幽(かす)かな声で言った。

「いつまでも、こうしていたい」

底が抜けてしまったような知子の軀を抱き支えて部屋に戻り、上段の間にふさわしい、ふっくらした蒲団の上に横たえてから、冷蔵庫のジュースを口移しに飲ませてやった。ああ、おいしいと、見るからに充ち足りた表情であった。

「ぐっすり、おやすみ」

「いや」頸(くび)にゆっくり腕をまきつけてきた。

「ばか、いい加減にしろ」

「だって、まだなんでしょ」

「いいんだよ、俺は」

「いや、いや」

川音が私の耳に戻ったのは小一時間もたってからで、知子は跡始末も忘れてすでに昏々(こんこん)と眠っていた。

 

● 十八

 

「相変わらず女を泣かせているのね」

新宿のレストランで私の顔を見るなり綿貫佐江子が言った。昼間、何年ぶりかで社に電話をかけてきた佐江子は、「お元気? よかったら夕方、ちょっと出てこない?」と、以前と少しも変わらぬ明るい声で誘った。懐かしさに私は一も二もなく承諾した。

「何のことです?」

声ばかりか、むしろ若返ったような佐江子の顔を眺めて問い返すと、

「とぼけたってダメ。ちゃんと現場を見ちゃったんだから。おとといの晩、上野駅の列車ホームを女のひとと歩いていたでしょ」

「あれは、姪ですよ。北海道へ行く姪を――」

「へーえ、叔父さんと泣きながら別れを惜しむ姪なんて、いまどき珍しい存在ね」

そこまで見られていたのでは白状するより仕方がなかった。

知子の郷里から父親が脳溢血(のういっけつ)で倒れたという電報がきたのは、箱根の小旅行から十日とたたないうちで、「いいあとは悪いものなのね」知子はそう言い残してあわただしく帰郷したが、半月後に戻ってくると、

「私が当分、看病をすることになったの。継母は働きに出なければならないし、いちばん下の妹はまだ小学生だから……また、看護婦に舞い戻りだわ。でも、年内は無理かも知れないけど、来年の春までには必ず戻ってきます。ね、いいでしょう、戻ってきても」

まさか、この際別れようとも言えず、冬に向かう季節で荷物の多い知子を上野駅まで送って行かないわけにもいかなかった。

「部屋はどうするんだ」

「とりあえず三か月分の家賃を払っておきました。ついでに、お金を少し包んで、必要な荷物はその都度送って貰うように管理人に頼んできたわ」

トランクを一時預けにして、せがまれるままに駅のそばの旅館で気ぜわしい軀の別れをすませると、知子が鏡台の前で髪をとかしながら鏡越しに私を見つめて言った。

「私がいない間、新しいひとをつくっちゃ、いやよ」

「さあ、わからんな」

「ママに頼んでも無駄ね。あなたのことは何でも許してしまう人だから」

小さな溜息をつくその背中を眺めながら私は、知子が暫く秋田に帰ると知って、

「悪いけど、吻(ほっ)としたわ」

正直に洩らした妻の言葉を反芻(はんすう)していた。

「全く倖せな人ね、あなたは。相手がいつも気のいいひとばかりで」

知子とのいきさつを私がかいつまんで語ると、佐江子は感に堪えないように小さく首を振ってそう呟き、

「だから懲りないのね。でも、そのうちきっと罰があたるわ。女の怨みってこわいんだから」

「別に怨まれるようなことはしていませんよ」

「何言ってるの。あなたのせいで久子さんはいまだに半病人よ」

「半病人?」

「あれっきり、あなたは一度も逢っていないそうね。私もときどき電話で短い話をするぐらいで長いこと逢う機会がなかったんだけど、きのう、渋谷でお嬢さんと一緒に歩いているあのひとにばったり逢ったの。すっかり痩せちゃって、そばにお嬢さんがいなかったら気づかなかったわね、きっと」

垣根の間からベーッと舌を出した、母親にそっくりだった利恵の顔や、池のほとりでその利恵に突き倒されていた準の姿が思い出された。

「おとといはあなた、きのうは久子さん、あんまり偶然が重なるんで、電話をかける気になったの」

「彼女、何の病気なんです?」

「乗物恐怖症――ノイローゼの一種で、あれ以来、ずっと家に閉じこもりっきり、今年の春頃からようやく月に一回、お嬢さんに付き添われて街へ出てこられるようになったそうよ」

「いまでも大磯にいるんですか」

「あら、東京に越してきたことも知らないの。世田谷の赤堤に家を建てたのよ。もう五、六年になるかしら。大磯のお家はお兄さんが売ってしまったそうよ、お母さんが亡くなってすぐに」

その母親の目を盗んで夜更けに離れから忍んできた久子の姿が、記憶の底からよみがえった。

「僕のことをまだ怨んでましたか」

「あなたより、あなたの奥さんを。はっきり言ってしまうけど、怨むというより気味が悪いひとだって。久子さんにすれば無理もないわね、夫が家を飛び出して他の女と暮らしていても一向に騒ぎ立てないし、その夫がときどき帰ってくれば黙って迎えるんだから。結局、久子さんは、奥さんの音無しの構えに負けてしまったのね」

「うちの奴は僕に惚れ切っていますからね」

「逆よ、さかさま」

「さかさま?」

「惚れているのはあなたのほうよ。奥さんをいちばん愛しているくせに、すぐ他の女にちょっかいを出すのは、そうやって絶えず奥さんの愛情を確かめずにはいられないからなんでしょ。どう? 図星でしょ」

「なるほど、そんな見方も成り立つわけか」

「まだ負け惜しみを言ってる。尤も、奥さんのほうも、そんなあなたの気持を知っているから、黙って見逃しているのね。あなたは孫悟空にすぎないのよ。自分じゃいい気になって暴れ廼っているつもりでも、結局はお釈迦さまの掌の上でじたばたしているだけなのよ」

「僕は人一倍、浮気なだけ、単なる好色漢にすぎませんよ」

「本人がそう言うなら、そうしておくわ。まあ、いまのうち、せいぜい暴れるのね。そのうち、いやでも年貢を納めるときがくるから。現にうちの亭主も、若い頃はさんざん女遊びをしたけど、いまじゃ孫と遊ぶのがたった一つの愉しみ――見ていて、可哀想になっちゃうくらいよ。私は自分でもおかしいと思うくらい、孫なんか少しも可愛くないの」

私より先にスープの皿をカラにした佐江子が、ナプキンのはじで唇を押えてからふと表情を改めた。

「私も久子さんには申し訳ないことをしたと思っているの。あのとき、私がお部屋の世話なんかしなければ……私があなた方に肩入れしたのは、うちの亭主なんかと違って、二人とも家庭を棄てるくらいだからこれこそ正真正銘の恋だと思ったからなの。自分が果たせなかった夢を、あなた方に実現して貰いたかったのかも知れないわね」

料理が運ばれてきたので、ナイフとフォークを手にとったが、私はすぐ食べる気になれなかった。

「どうしたの、食欲がないの? それとも私の話が胸につっかえちゃったの?」

佐江子がククッと笑い声を洩らした。

その晩、家に帰ると卓袱台のはじに白い角封筒が載っていた。池野からきた結婚披露宴の案内状であった。封があいていたので、お前見たのか、と妻にたずねた。

「ええ。池野さん、立派だわ」

「立派? 皮肉か、俺への」

「前の奥さんには気の毒だけど、池野さんとしては、やっばり、きちんとしたかったのでしょうね」

「十年近くも同棲していたんだぞ。それなのに今更、結婚式だの、披露宴だの、よくはずかしくないな。第一、金をかけて、ばかばかしいじゃないか。それにお前はいつだったか、池野を非難していたじゃないか。大磯のひとを諦めきれないで離婚したくせに、それから一年もたたないうちに他の女と同棲するなんて、それじゃ前の奥さんを踏みつけにしすぎるって」

「そりゃあ、あのときは――兎に角、池野さんはあれからずっと露子さんと同棲をつづけてきたんだから偉いわ。奥さんだって諦めざるを得ないでしょうね」

「じゃ俺がもし辻村久子といままでつづいていたら、お前も諦めてくれたか」

「何さ、三か月しか保(も)たなかったくせに」

池野が社を辞めて、別の新聞社へ移ったのは、久子の退社から半年もたたぬうちであった。さすがに気が咎めて私は送別会に出なかったが、間もなく、池野が妻と別居したという噂が聞こえてきた。新宿の盛り場を二人でもつれながら歩き廻ったあの夜以来、私は殆ど池野と口をきいていなかった。

翌年の秋、池野が再婚したらしいという噂が耳に入ってからちょうど一週間後、当の池野が若い女を伴ってひょっこり私の家に訪ねてきた。それが露子という彼の新しい同棲者だった。夕方、二人が帰ったあとで、

「私は写真しか見ていないからよくわからないけど、あの露子さんというひと、大磯のひとに似ているんじゃない」

妻に言われて私はどきっとした。私自身がそれに気づいて、池野がなぜ露子を連れて訪ねてきたのか、その真意を測りかねていたところだった。

その後、別居してから妊娠を知った池野の妻が彼の哀願をしりぞけて子供を産んでしまい、露子に愛情を疑われた池野が、酔って妻の実家に押しかけ、気絶するほど妻を殴ったという噂も伝わってきた。真偽のほどはわからなかったが、それを妻に話すと、

「池野さんはよくよく久子さんが好きだったのね、可哀想に。みんな、あなたのせいよ」

また私をどきりとさせた。

――久子の消息を聞いた同じ日に池野から披露宴の通知を受け取ったのは、やはり、何かの因縁なのか。それとも、単なる偶然にすぎないのだろうか。

湯舟に身を沈めて昔を思い返していると、裸になった妻が湯殿に入ってきた。

「たまには背中を流してあげるわね」

妻に湯舟を譲って腕を洗いながら、

「お前は気味が悪い女だってさ」

「誰がそんなことを言ったの?」

綿貫佐江子から聞いた話を手短に伝えると、「ノイローゼ」と妻は呟き、「それで、ご主人とは巧くいっているのかしら」と訊いた。

「家を建てたくらいだから……それより、綿貫さんによると、俺はお前に惚れ切っているんだってさ」

「そうよ、私でなければあなたは満足できないの」

「長生きするよ、お前は」

「ダメね、あなたに虐められてばかりいるから。でも、私が先に死んでもあなたは一つも困らないわね。知ちゃんがすぐきてくれるから」

「おい、背中を流してくれないのか」

「あの娘のことだから、きっと帰ってくるんでしょうねえ」

湯舟を出て私の後ろに跼(しゃが)みながら妻が溜息まじりに呟いた。

「やだなあ――」

 

● 十九

 

駅の拡声器が、雪のため列車の到着が遅れていることをくり返して告げた。改札口のわきには、各列車の遅延状況を記した黒板が立てかけてあった。知子の乗っている羽越線廻りの急行は「一時間四十分」と書かれていた。

知子が着いたらどこかへ泊まりに行くつもりだったので、黒板にむらがった人垣からはなれて夜の構外へ出ると、駅前の小路をゆっくり歩いて居心地のよさそうな喫茶店を捜した。東北地方は二日前から大雪に見舞われているようだったが、東京は春めいた日がつづいて、その日の夕刊にも観梅客で賑わう熱海梅園の写真が載っていた。

広小路の交叉点近くまで歩いてやっと気に入った店を見つけ、隅のボックスに腰をおろした。静かな音楽が流れていた。

秋田に帰った知子からは、十日目ごとに近況を伝える手紙が会社宛に届き、暮れには家に林檎箱が送られてきた。それと前後して配達された妻宛の葉書には、暖かくなったら大館の近くにある大滝温泉に父を連れて行くつもりだと書いてあった。

妻の顔がその翌日から目に見えて明るくなった。「あんた、お金でも拾ったのかい」と母にからかわれるほど、私のちょっとした冗談にも大きな笑い声を挙げた。

――ひょっとすると知子は俺のことを諦めて、このまま郷里に腰を据える気になったのかも知れない。

もしそうなら労せずして厄介払いができるのだから、私も吻としていいはずであった。ところが、妻とは逆に何かにつけて苛々するようになったばかりでなく、もう一度あの体臭を嗅いでみたいという思いも日ごとに募ってきた。自分でも思いがけないその未練をさらに煽(あお)るように、年がかわると私宛の近況報告も葉書になった。こちらからは返事が出せないだけに、そうなると、はじめは哀れを誘った機嫌のいい妻の様子までが何となく小癪(こしゃく)に触り、妻のほうもそんな私の気持にすぐ気づいたらしく、

「そろそろあの娘が懐かしくなったんでしょ。知ちゃんて、よっぽどいいのね」

そして、いくら私が「お前の敵じゃないよ」と否定しても、

「ね、どこが、どういう風にいいの?」

からかうように言いながら、明らかに嫉妬のこもった目をそそいでくるのだった。

喫茶店を早目に出て上野駅に戻ると、間もなく屋根に雪を載せた列車が到着ホームに入ってきた。車内を覗くと、殆どの乗客が立ち上がって通路に並んでいるのに、知子はまだきちんと座席に腰かけていた。窓ガラスを敲(たた)こうとして、やめた。私が迎えにきているのを知っているはずなのに、知子は真ッすぐ前に目を据えていた。一刻も早く私に逢いたくて真ッ先に降りてくると思っていただけに、拍子抜けというよりも間尺にあわない気持で、私はホームの中央へ後ずさった。

濃紺の厚ぼったい防寒コートを着た知子の姿が、ようやくデッキに現れた。目があうとかすかに笑みを浮かべたが、すぐ視線をそらし、降りたところにトランクと紙袋を置いて、あらぬほうへ顔を向けた。誰か知り合いが他の車輌に乗っているのかも知れない――そう思って私もすぐには近づかなかった。だが、煙草を一本吸い終えるまで、知子に声をかけてくる者はいなかった。

そばに寄ると、「一人?」知子のほうが先に小声で訊いた。

「当り前じゃないか」

「ママは?」

「くるわけないよ。お前が帰ってくることを言ってないんだから」

私がトランクを持ち上げると、吻とした表情になったが、長旅のせいなのか冴えない顔色であった。ホームを歩きながらたずねた。

「列車の中、寒かったのか」

「いいえ、暖房がききすぎて暑いくらい……林檎、届いた?」

「子供たちが競争で食べて、もう一つもないよ。お前、今度は何日ぐらい居られるんだ」

知子は曖昧な表情で答えなかった。

「今夜はどこかへ泊まろう。久し振りに綱島へ行ってみようか」

喜ぶ顔を期待して振り返ったが、知子は足許へ目を落してそれにも返事をしなかった。

「部屋が気になるなら、まっすぐ帰ろう」

「そうじゃないんだけど……おうちのほう、いいの?」

「よくはないが、今更お前が気にするなんて、おかしいぞ」

言ってから、生理中なのかも知れないとようやく気づいて、

――お前、あれか。

と目で訊いた。知子が小さく首を振り、ちょっと間を置いてから投げ出すように言った。

「連れてって。どこでもいいわ」

 

● 二十

 

千駄ヶ谷の旅館に着くと私はすぐ風呂に入った。一緒に入ろうと誘ったが、知子は生返事をして、コートのボタンをはずしただけの恰好で座卓の前から腰をあげなかった。

はじめは綱島へ行くつもりで、国電のホームヘ繋がる通路を歩きかけたのだが、時間もおそいし、乗り換えを考えると億劫になって駅前からタクシーを拾った。その車の中でも知子はシートに浅く腰かけて、まだ何となく浮かぬ表情であった。

「どうしたんだ。少し変だぞ、お前」

「ちょっと疲れているだけよ」

それなら深く腰かければいいのに、車がとまるまで知子は前の背もたせに両手をかけた姿勢を崩さなかった。

私は風呂の中からも二度、促した。二度とも返事がなかった。欲望を持てあまして次第に腹が立ってきた。湯殿の戸をわざと音を立てて閉め、腰にタオルを捲きつけただけの恰好で部屋に戻ると、暑がりのくせに知子はまだコートも脱がず、座卓に目を落としていた。明らかに何か思いつめている顔であった。

――郷里で何があったんだ。

私がそう言おうとする前に知子が顔を起こした。

「お話があるんです」

改まった口調にいやな予感を覚えた。急いで打ち消し、目顔で先を促した。知子が坐ったまま、のろのろとコートを脱ぎ、帯の前にそっと手をあてた。

「本当か」

知子がかすかにうなずき、ご免なさいと、やっと聞きとれる声で詫(わ)びた。

「何か月だ」

「……」

「いつから無いんだ。今年になってからか」

俯向いたまま何か言ったが、今度は聞きとれなかった。

「はっきり言え」

「……もう、帯なの」

急いで逆算し、「嘘をつけ」と私はつい声が荒くなった。

「箱根から帰ったあとで俺が訊いたら、有ったと言ったじゃないか」

「あのときは心配かけちゃ悪いと思って」

たったいま風呂から上がったばかりなのに背中が急にぞくぞくして、思わず一つ、(くさめ)が出た。知子が立ち上がって部屋の隅から畳んだ浴衣を運んできた。それを引ったくって着たが、脛(すね)までしかなかった。知子が足許に跼(かが)んで裾を引っぱった。蹴っとばしたい衝動をこらえていると、その場に腰を落とした知子がもう一度、「ご免なさい」と謝った。

知子の言うのが事実ならば、やっぱり、箱根で身籠ったことになる。あの翌日、ロープウェイと遊覧船を乗り継いでお定まりのコースを辿った後、元箱根から熱海へ降りてもう一泊した。その宿でも知子は私が降参するまで軀をはなさなかった。

「秋田で医者に診て貰ったのか」

「……順調なんですって」

「いつだ」

「去年の、暮れです」

「なぜそのとき堕ろさなかったんだ」

半身不随の父親を看病するために帰った知子は、周囲の目を盗んで産婦人科医へ行くのさえ身の縮む思いだったに違いない。それを承知しながら、いままで何も報らせてこなかった知子に、やはり怒りを覚えずにはいられなかった。前日受け取った速達にも、列車名と到着時間しか書かれていなかった。

「あした、病院へ行こう。たしか七か月まで堕ろせるはずだ」

「私を殺したいのね」

「殺す?」

「死ねばいいと思っているんでしょ。私、北海道へ行きます。小樽に叔母が、死んだ母の妹が、います。叔母も若い頃、奥さんのある人を愛して悩んだことがあるんです。その叔母のところへ行って産みます。秋田からじかに行くつもりでした。でも、もしかしたら、あなたが……」

「お父さんを温泉へ連れて行くんじゃなかったのか」

「もういいんです、私が付いていなくても」

本当に俺の子か。

危うく出かかった言葉を喉(のど)で殺し、私は二、三歩はなれて知子の軀を眺めおろした。外からでは軀つきに変化が見られなかった。

「帯をほどけ」

「帯? 何をする気です」知子の顔が引きつった。

「着物を脱げよ。俺がじかに腹を見てやる」

「まだ疑っているんですか」

「俺はもう一度、風呂に入る。あとから入ってこい。いいな、きっとだぞ」

知子の愛情をいいことに、一銭も金を使わず、七年にもわたって気儘にその軀を利用してきた。はじめてのささやかな旅でさえ、結局は知子の金をアテにする始末だった。そのツケをやはり払わなければならないときがきたのかもしれない。できたら引き摺ってでも病院へ連れて行きたいが、恐らく今度は、いかに脅しても知子は承知しないだろう。たとえ承知しても、もし万一、手術に失敗したら……。

――お前は久子を半病人にしたうえ、知子の軀までダメにしてしまうつもりか。自分で種を蒔いておきながら、今になって、そんなに自分が可愛いのか。

しかし、知子に子供を産ませて、それを生涯妻に隠し通すことなぞ不可能に近い。もしバレたら、仏の顔も三度、こんどこそ妻は私に見切りをつけるだろう。お前の愛情を確かめてみたかったんだなぞという弁解が通じるはずもなかった。妻ばかりではない、子供たちは志郎が異父兄であることをまだ知らない。そのうえ、腹違いの弟か妹が産まれたら――

知子が、ひろげた手拭を胸から暖簾(のれん)のように垂らして、怯々(おずおず)と湯殿に入ってきた。

「もっとこっちにこい」

目を伏せて恐るおそる近づいてきた。湯舟から手を伸ばしてサッと手拭を引っぱった。知子がアッと短く叫び、両掌で顔を掩った。僅かだが、たしかに腹がふくらんでいた。肘(ひじ)のかげからのぞいた乳首は、明らかに(くろず)んでいた。羞恥に堪えかねてか、全身が顫(ふる)えていた。

「横を向いてみろ」

顔を掩ったまま、軀の向きをかえた。間違いなく腹部がせり出していた。気のせいか、脇腹の痣(あざ)がこの前見たときよりも、いくらかひろがっているようであった。

「もういい、早く入れ。風邪を引くぞ」

両掌から顔を出した知子に手拭を返してやると、軀を湿してから、そっと湯舟のへりを(また)いだ。

しゃがんで目を瞑(つむ)っている知子の横顔を暫く眺めた末に私は訊いた。

「そんなに産みたいか」

コクンと幼児のようにうなずいた。妻以外に私の子を三たびも宿したのは、知子だけであった。この女は私の子供を産むように運命づけられているのかも知れない。だが、どうやって事を運んだらいいのか。

「やっぱり、いよいよとなったら、お釈迦さまのお慈悲におすがりするしかないか」

「お釈迦さま? なんのこと?」

目をあけて訝(いぶか)しげな顔を向けてきた知子の肩を引きよせ、膝の上に抱き上げた。腕の中で知子は息を詰め、全身を堅くしていた。その耳に囁いた。

「いいか、女の子を産むんだぞ」

知子が私の頸(くび)にかじりつき、堰を切ったように泣き出した。不妊手術をしたあと、「女の子を産んでからにすればよかった」と妻は幾度か嘆いていた。万一、バレた場合でも、女の子だったら、妻が引き取って育ててくれるかも知れない。

「絶対に女の子だぞ」

理不尽を承知で念を押し、妻の顔を思いうかべながら私は、幼な子をあやすように知子の背中を撫でつづけた。

六月末、知子が産んだのは男の子であった。

 

 

●あとがき

 

私は少年時代から徳田秋や近松秋江の小説に親しんできたので、いつの間にか自分の体験ばかりを書くようになってしまいました。が、三十代の頃の作品は、秋江が言うような、「書きたることは悉(ことごと)く自己を(あざむ)欺かざるを信ず」というわけにはなかなかいきませんでした。やはり、若さの衒(てら)いがあったのでしょう。

五年前、私は長年住みなれた鎌倉から二宮町の海辺に居を移しましたが、それと殆ど同時に、作者が素ッ裸にならなければ小説は書けない、とようやく悟って、放埓(ほうらつ)だったかつての自分の姿を正直に二つの長篇に書くことができました。

しかし、その直後に心筋梗塞で倒れ、退院後も一年あまり、砂浜の散歩が唯一の日課のような日々を送らねばなりませんでした。

この小説は病後の初仕事で、「主婦と生活」に昭和五十五年二月号から同十二月号まで連載(「哀しからずや」)されたものです。一冊にまとめるにあたって若干加筆するとともに、題を改めました。婦人雑誌の連載は初めてだったので、ちょっとためらいましたが、「書きたいものを」と言うことなので毎月、我儘な筆をすすめることができました。

戦争が終わって帰国したとき、これからは余生のようなものだ、と私は思ったのですが、いざ戦後の生活がはじまると、この小説にも書いたように、余生どころか、生臭いことばかりして、気がついたら、そうした歳月のほうがはるかに長くなってしまいました。二度目の命拾いをしたあとも、その生臭さを持てあましている始末です。尤も、だからこそ小説を書くのかも知れませんが……。

この小説よりも、もっともっと生臭い私の他の小説も併せてお読みいただければ、作者にとってこれ以上の喜びはありません。

昭和五十六年立春

津田 信