『結婚の構図』中の章 印刷

中の章

 

● 一

 

結婚後、十年ほどの間に六人の女と関係を持った。そのうち三人は、同じ新聞社に勤めている記者だったので、

「あなたは手近なひとにしか手を出さないのね」

妻の真紀子によくからかわれた。

しかし、婦人部の辻村久子とは、ほんの三か月ばかりだったが、同棲までした。ファッションを専門に担当していた久子は、将来、フリーの服飾ライターになる夢を抱いていた。もし私と過ちを犯さなければ、二、三年のうちにその望みを達することができたに違いない。すでにその頃、彼女の書く記事は殆どが署名入りだったし、社外原稿も売れはじめていた。

別れるとき私は、「このまま社にいるなら、俺とのことをみんなにバラすぞ」と久子を脅して社を辞めさせた。同じ職場で別れた後も顔を合わせているのが、私には堪えがたかった。原稿註文のふえはじめた久子に、嫉妬を感じてもいた。だから、別れて暫くたった或る夜、

「彼女、その後どうしているかな」

私がふと洩らすと、

「あなたが心配しなくても、元の鞘(さや)に納まって結構たのしく暮らしているわよ」

妻は皮肉っぽい笑いを浮かべてから、

「でも、私にはちょっと理解できないな」

と、呟くようにつけ加えた。

「何が理解できないんだ」

「私だったら、一旦捨てた家庭にとても戻れそうもないもの。結局、久子さんはあなたとご亭主を両天秤にかけていたわけね」

「俺が煮え切らなかったんだから、仕方がないさ」

「じゃあ、あなたが煮え切っていたら、ご亭主ときっぱり別れて、あなたと再婚していたかしら」

「お前にも話したように、あのひとは俺のために一時、子供まで諦めたんだぜ」

「あら、まだ未練があるの?」

「あるさ、大ありだ」

「それはご愁傷さま」

夫婦の会話が冗談めいたやり取りで終わりになったのは、たとえ久子と再会しても、縒(よ)りを戻す気づかいが全くないことを妻もよく知っていたからだろう。

妻は久子を写真で知っているだけで、じかには一度も会っていなかった。だが、久子とのいきさつは洗いざらい妻にぶち撒(ま)けてあったので、私がとっくに忘れてしまったような細かなことまで覚えていて、後年、夫婦の間で久子の話が出るたびに私は、その記憶のよさに驚かされた。

「別れたと言ってから、また泊まってきたことがあったけど、覚えている?」

「へえ、そうだったかね」

とぼけているのではなく、私は実際に忘れてしまったのだが、

「あれは準(じゅん)のお誕生日の前の日だったわ。夕方から急に雨が降り出して、私、あわてて洗濯物を取りこみながら、今夜も帰らないんじゃないかなと思ったら、案の定だった」

「ああ、残してきた荷物を取りに行った日だろ」

「どういうわけか、あの頃、私が精出して洗濯した日は、きまって家をあけたわね」

「たしかあれが、あの部屋に泊まった最後だったな」

「次の日の夕方、風呂敷に本や下着を包んでしょんぼり帰ってきたと思ったら、何も言わずにすぐその本を本箱に押しこんで……。その後ろ姿を見ているうちに、何だか急にあなたが可哀想になっちゃって、何だったらもう暫く向こうへ行っててもいいのよって私が言ったら、ばかって、そりゃおっかない顔をして私を睨(にら)みつけたわ」

苦笑いしながら私は、当時少しも取り乱さなかった妻に改めて感心したが、といって、妻があのとき冷静だったから、こうやって無事に家庭を保ちつづけていられるのだという風に思うのは、何となく業腹(ごうはら)でもあった。

久子と別れたあと、たしかに私たち夫婦はより一層心を寄せ合うことができたし、久子夫婦もお互いの心を取り戻したに違いなかった。しかし、するとあの同棲生活は結局、二組の夫婦の仲を逆に固めさせただけなのか――やっぱり私は間尺に合わないような気持だった。

もちろん、いまの私にとって久子との同棲生活は、懐かしさばかりが残る思い出になっているが、別れた直後は怒りにまかせてむごい仕打ちをしただけに、思い出すたびに胸が痛んだ。釣り落とした魚が日ましに大きくなるのと同じで、あのときああすればよかった、こうすればよかった、というような後悔にも幾度か胸を噛(か)まれた。だから私は当座、その痛みをごまかすためにも、久子の不貞は生涯許すまいと殊更(ことさら)に力んだ。

久子は同棲中、私と仲のよかった後輩の池野と過ちを犯した。それを知ったとき私は、自分の所業を棚に上げて、いきなり殴られたような衝撃をうけた。

 

● 二

 

元々、久子との仲は、瓢箪(ひょうたん)から駒が出た形ではじまった。池野によって結ばれた、と言えるかもしれない。

池野が久子になみなみならぬ好意を寄せていたのを、私はずっと以前から知っていた。実習期間を終えて婦人部に配属された池野と幾度か帰途をともにするうちに、彼は手放しで久子を褒め出し、

「女性であんなに頭のいいひとは滅多にいません」

と、溜息まじりで同じ言葉をくり返すようになった。しかし、当時の私は他の女との情事に忙しく、久子とは目礼を交わす程度だったので、いくら讃辞を聞かされても相槌の打ちようがなかった。

「俺は大体、ああいう大柄な女は好かねえな」

水をかけるように私が言うと、池野はムキになって久子の美点を数えあげ、

「僕は社会部志望だったんですが、婦人部へ廻されたことに今では感謝しているくらいです」

しまいには、照れもせずにそんなことさえ口にした。

「それでお前、あたってみたのか」

今度は水を向けてみると、

「僕なんか、てんで子供扱いなんです」

途端に池野の声は小さくなった。

「何なら俺がとりもってやろうか」

「いえ、結構です。そのうち機会をみて、自分で言います」

私が直接、久子と口をきくことさえ辛そうであった。

服飾担当だけに久子は、いつもぴったり身に合った品のいいスーツを着ていた。さして美人ではなかったが、大柄な軀(からだ)にふさわしい大まかな目鼻立ちが見るからに愛情深そうで、すれ違うと暫く香水の匂いが鼻からはなれず、常に殺気立っている編集局内の空気も、久子のまわりだけは遠慮しているようでさえあった。社会部にもひそかに久子に目をつけている者が三、四人いた。

「早いとこ、ツバをつけちゃわないと、誰かにさらわれてしまうぞ」

私はときどき、無責任なけしかけ方をした。純情というよりも、どこか育ち切らないような池野の態度が、歯がゆさを通りこしてじれったかった。

「正直言うと自信がないんです。兎に角、いまの僕には、一日も早く彼女に嗤(わら)われないような記事を書くことが先決なんです」

それほど思い詰めていた久子が一年後、突然、写真部員の辻村と結婚して社を退くと、それから一年もたたぬうちに池野も経理部の事務員と社内結婚した。私にはひと言の相談もなかった。

散々、久子への想いを打ち明けていたので、今更私に相談するのがはずかしかったのだろう。尤も私のほうも、真紀子と結婚したばかりで他人どころではなかった。

さらに三年後、婦人欄の拡充にともなって久子が復社し、かわって夫の辻村が競争紙に引き抜かれて社を去ると、池野は再び悩みはじめた。その間に私は社会部から整理部に移り、たまたま婦人欄を担当することになった。仕事上、今度はいやでも毎日、久子と言葉を交わすようになった。

話してみると、たしかに久子は頭の廻転が早かった。話題は豊富だし、打てば響くような軽妙な受け応え――私は女とお喋りする愉しさをはじめて知った。久子は原稿もうまく、人妻としての、しっとりした色気も加わって、

「たまんねえなあ、あの腰つき」

そう呟きながら露骨に好色な目を向ける者が、整理部にも何人かいた。

原稿を書きあぐねているのか、細い指に煙草をはさんだまま椅子の背に凭(もた)れて、一点を見詰めているような久子の横顔を、私もうまい見出しが浮かばぬまま、整理部の自分の席からやや暫く見蕩(みと)れていることがよくあった。そして、隣に席のある池野はさぞ辛いだろうとひそかに同情する反面、俺に相談もなくあわてて結婚しやがるからだと、その軽率さを蔑(さげす)んだりした。記事の打ち合わせで、久子が編集局内を横切って私の席にやってくるたびに、池野は遠くから目をそそいできたが、私がわざとニヤニヤした顔を見せると、あわてて視線をそらすのだった。

久子が復社して半年ほどたった或る夜、案の定池野は、飲めない私を無理矢理に新宿のバーへ誘い、隅の席で立てつづけに水割りを呷(あお)りながら、久子への断ち切れぬ想いを告白した。「女房とはこのところ喧嘩ばかりしている」と池野は言った。

その夜、池野は泥酔し、帰りそびれた私は連れこみ旅館で明け方まで彼の介抱をさせられた。表通りに面した二階の角部屋で、窓のわきに出ている温泉マークのネオンが明滅するたびに、服のままベッドに倒れこんだ池野の濡れた目尻が赤く染まったのを、私はいまでも覚えている。島子との少年時代を別にすれば、女のことで男泣きしたことなぞ一度もない私は、一種の感動を覚えながら池野の寝顔を眺め、これほどまで悩むからには久子の態度にも曖昧なところがあるに違いない、よし、今度こそ俺が一役買ってやろうと胸のなかで呟いた。

翌々日、帰り支度をはじめた久子のそばに寄って囁(ささや)いた。

「個人的にちょっと話したいことがあるんだけど」

途端に久子は、私のほうがドキッとするような脅えた目の色をみせ、「きょうですか」と殺した声で訊き返した。

「うん、できたら」

「はい」と久子は素直にうなずき、八重洲口にある喫茶店の名を告げて「お先に行ってます」と言い添えた。

その喫茶店で日頃に似合わず妙に堅くなっている久子に、

「実は池野のことなんだが」

私がそこまで言いかけると、

「頼まれたんですか」

問い返すと同時に久子は心持ち頬(ほほ)をゆがめ、ゆっくりとコーヒーに砂糖を入れた。明らかに久子はがっかりした様子で、その変化を私が見逃すはずもなかった。いわば私は、ミイラ取りがミイラになったのだった。

 

● 三

 

私は当然、池野を避けはじめた。が、ときには呵責(かしゃく)に堪えられず、思いきって白状しようと自分に言いきかせたが、いざとなると、

「あんな女、きっぱり諦めちゃえよ。向こうも家庭持ち、所詮、無理な相談さ」

口を衝(つ)いて出るのは全く逆な言葉だった。しかし、友情を裏切ったことが、久子との情事をよりスリリングにさせたのは事実で、久子もよく、

「私、辻村よりも池野さんに気が咎(とが)めてしようがないの」

と、洩らしていた。

「でも、誤解しないで。池野さんとは本当に何でもなかったんですから。それだけは信じて」

不思議なことに私も久子の夫――かつては幾度も一緒に取材へ出かけたことのある辻村に対して、少しも罪の意識を覚えなかった。小柄な妻と違って、百六十五センチ、五十キロを超す久子の軀は、抱くとずしりとした量感があった。その重さに私はなかなか慣れることができなかった。慣れないのは、重さばかりではなかった。

妻なら、私の僅かな身動きも敏感に捉えてすぐ応じてくれるのだが、久子の場合は、いちいち手を添えるか、耳許で囁かねばならず、新しい仕草を教えこむ歓びよりも、そのわずらわしさのそほうが先に立って、はじめの頃、私は、ともすれば感興を殺(そ)がれがちだった。

久子の軀は殆ど無反応に近かった。何年も結婚生活をしてきたとは、とても信じられないほどであった。辻村に罪の意識を覚えなかったのは、そのせいだったのかもしれない。

――カメラマンとしてはいい腕かもしれないが、夫としては失格だ。

私はむしろ、辻村を軽蔑した。

大柄な女は大味だと聞いてはいたが、最初の夜は私も昂(たか)ぶっていたので、さして気にならなかった。が、二度目の夜は、反応のない軀を攻め疲れて早くもうんざりした。

「辻村君は何か言わないの?」

一時間近い独り相撲の果てに、私はつい疑問を口に出してしまった。久子は黙っていた。身じろぎもしなかった。残酷さにすぐ気づいて、「ご免」と謝りながら抱きよせようとしたが、久子は両肩に力をこめて私の手を拒んだ。

「もう二度と言わない。だから怒らないでくれ」

かなりたってから久子が、途切れ途切れに言った。

「あなたも、奥さまのこと、仰言(おっしゃ)らないで」

半ば泣き声であった。

その後も十日に一回か二週間に一回ぐらいの割で久子と情事を重ねた。

――このまま別れたら、辻村を軽蔑するなんておこがましいぞ。

私は、自分で自分をけしかけた。いわば意地になっていた。

その甲斐があって、久子がはじめて反応を見せたのは、たしか六度目の夜であった。むろん、それとても、妻とはくらべようもない微(かす)かなものだったが、久子の肌がうっすらと汗ばんできたので、私はやっと自信を取り戻すことができた。腹這いになって一服していると、傍らで暫く死んだようになっていた久子が、

「辻村と別れるわ」

顔を半分覆った毛布のかげで呟くように洩らした。あれ以来、お互いに夫や妻のことはひと言も口にしなかった。その禁を久子のほうから破ったのが、私を喜ばせ、同時に不安にさせた。

子供を産んでから幾らか歓びを知ったが、半年ばかりたつとまた元に戻り、その後は仕事だけが生き甲斐だった――ぽつりぽつり語る久子に、それでよく今日まで我慢していたものだと私は改めてあきれたが、

「だから、あなたとこうなるのが怕(こわ)かったの。でもこれで、はっきり決心がついたわ」

潤んだ目で見上げられ、私はいささかうろたえた。妻と久子を取りかえる気なぞ毛頭なかったからだ。

――意地になって仕込むんじゃなかった。

私が起き出すと、「お帰りになるんですか」久子がいくらか不服そうな声で言った。

「だって君――」

「今夜、辻村は夜勤なんです。私、ひょっとしたら社に泊まりこみになるかも知れないと、母に言ってきましたの」

「まだ終電に間に合うよ」

当時、久子夫婦は大磯に在る彼女の実家に住んでいたし、私は鎌倉の腰越海岸へ越したばかりだった。海辺へ移ったのは、前の年に生まれた次男が病弱で、ガスも水道もない神代村の都営住宅では妻に負担がかかりすぎるからだったが、のちに久子とのことがわかったとき、妻は冗談半分にこう言った。

「ここに越す気になったのは、大磯の彼女と少しでも一緒にいたかったからなんでしょ」

たしかに私と久子は、行き帰りともできる限り同じ湘南電車に乗るように心がけていた。行きは前から、帰りは後ろから、それぞれ二輛目に決めてあった。

私が身支度をととのえ終えても、久子は牀から離れようとしなかった。私は腕時計を覗いてから目顔で促した。久子は枕の上で小さく頭を振ったが、私がわざと軽い溜息をつくと、

「起きますから、向こうをむいてて下さい」

抑揚を殺した声であった。

この夜を境に久子の軀は少しずつ変化して行き、三か月ばかりたつと顔にやつれが目立ち出した。

「少し痩せたんじゃない?」

掌で裸の脇腹を撫でながら訊くと、

「この頃、寝不足なんです」

珍しく自分のほうから脚を搦(から)めてきた。

「眠れないの?」

久子は少時黙っていたが、

「毎晩、辻村が寝つくまで待っているんです」

同時に腿(もも)も強く押しつけてきた。

「そりゃまずい。そんなことをすりゃ、かえって疑われる元になる」

「いいんです、もう」

「よくはない。夫婦なんだもの、その点は僕だって諦めている」

むろん、私自身は夫婦生活をつづけていた。久子の変化が刺戟になって、むしろ以前より同衾(どうきん)する回数がふえ、「待ちなさいってば。おばあちゃん、まだ、起きているんだから」と、妻に手甲を軽く敲(たた)かれたりした。

「私、もう、厭(いや)なんです」

久子が腕も廻してきた。

「急になぜ? 僕への遠慮なら無用だぜ」

「違うんです。私、二人の男のひとと同時になんて、とても出来ないんです。それに……」

「それに?」

「いつからこうなったって、この間、しつこく責められたんです」

たった今、諦めていると言ったくせに、このとき私は自分でも思いがけないほど烈しい嫉妬を辻村に覚えた。辻村の声も顔も体つきもよく知っているだけに、夫婦の閨房(けいぼう)の姿態がはっきりと目に浮かび、それに挑むように動作を荒げて、

「あ、堪忍、堪恐して」

久子の挙げる小さな叫びが、ますます私をたけだけしくさせた。

その夜、久子は初めてあからさまな声を洩らし、嵐が去ると、

「私、どうしても辻村と別れたいんです」

見上げてきたその目が、間違いなく私の同意を求めていた。

 

● 四

 

久子が辻村と別居したのは、私とはじめて夜をともにしてからちょうど半年目――二人の男と同時に接することができないという言葉を、久子は身をもって裏付けたことになるが、いくら自惚(うぬぼれ)強い私でも、まさか彼女がそれほど早く行動に移るとは思わなかった。私はまだひと言も妻に打ち明けていなかった。

「服飾評論家として早く一本立ちになるために、暫く独りになって仕事に打ちこみたいと頼んだら、辻村は何も言わずに許してくれたわ」

久子の口調は、私も当然喜んでくれると頭から信じ込んでいる風であった。

「子供はどうするの?」

「利恵(としえ)は辻村の兄さん夫婦か引き受けてくれますの。子供がいないから、きっと可愛がってくれるわ。本当はこの際、はっきり離婚したかったんですが……いずれそのうちに機会を見て真相を話すつもりです。辻村も薄々、かげに誰かいることは気づいていると思うの。辻村は今月中に大磯の家を出て、東京のアバートに移ることになってます。だから私たちも、早く私たちだけの部屋を捜さなくては――」

煽(あお)られた形で私は杉並や世田谷の周旋屋を歩き廻る羽目になった。できるだけ静かな住宅街に、というの、が久子の希望だった。

その前に私は二度、大磯の久子の家を訪ねていた。最初は四つになる長男の準を連れて行った。約束した日、妻が生憎(あいにく)風邪を引き、母は親戚の法事に朝早くから出かけていた。さすがの私も、熱のある妻に幼い子を二人とも押しつけて、「ちょっと散歩してくる」とは言い出せなかった。

駅まで迎えにきた久子も、五歳の娘の手を引いていた。利恵は母親そっくりで軀も大きく、準と頭一つ違っていた。準は車内で私が教えた通り「はい」と言って抱えてきたケーキの箱を差し出した。利恵は準を見詰めたまま、手を出さなかった。

「あら、準ちゃんのお土産、どうもありがと」

久子がかがんで代わりに受けとろうとしたが、準は体ごと拒んで、さらに利恵の胸へ押しつけた。

「あたし要らないわ、こんなもの」

利恵はそう言って母親の腰にわざとのように隠れると、べーッと舌を出した。

「利恵ちゃんッ、何です」

久子が叱ると、

「あたし、先に帰るわね」

赤いスカートを揺らして駅の建物を抜け出し、線路沿いの小道を駆け去って行った。

「ご免なさい」久子が羞恥しそうに謝り、「反抗期なのかしら、この頃すっかりきかなくなっちゃって」そして小さな溜息をついた。

「薄々、勘づいているんじゃないかな」

「まさか」

しかし、久子は怯(おび)えた表情になった。

利恵が駆け去った小道を三百メートルほど平塚のほうへ戻って、無人踏切を渡ると、左側は竹藪(やぶ)、右には背の低い松が一列に並んでいる道になった。その籔の道をさらに三百メートルばかり行くと、突き当たりに芝を植えた土堤が現われ、その上に低い竹垣根が見えた。

「ここですの」久子が振り向いたとき、竹垣根の間からお河童頭がのぞき、

「みんな、遅いぞ」

利恵はまた小さな舌を出して、すぐ頭をひっこめた。

ふた抱えもありそうな大きな石門から格子戸が四枚はまった玄関までの飛び石を、準が両足を揃えて跳んだ。そのあとから私もゆっくり飛び石を数えながら跳んだ。ちょうど二十有った。左手の植込みのかげに柴折戸(しおりど)があって、その先に広い芝生の庭が拡がっていた。門も玄関も、屋敷とでも呼びたいような構えだった。

久子は私たち父子を客間に通したが、私がお茶を飲み終えるのを待っていたように、

「私たちの、いえ、私の部屋にいらっしゃいませんか」

と誘った。その日、辻村も久子の母親も留守であることは前もって知らされていたが、家が広いだけに、コトリともしないことがかえって私を落ち着かせなかった。

久子が案内したのは渡り廊下で繋がった別棟の十畳間で、部屋の中央に大きな座卓が置かれ、壁際には茶箪笥や本箱がならんでいた。

久子が母屋へ戻ったあと、私は準と一緒に縁側へ出た。二百坪近い庭の半分は芝生で、その先に木橋の架かった池が澄んだ水を湛えていた。池の向こうに小さな築山もあった。

「パパ、このおうち、みんな利恵ちゃんのおうち?」

「そうだよ。ずいぶん広いね」

「ぼくもこんなおうちがいいな」

腰越の借家も、風呂場こそあったが、二間しかなかった。都営住宅にいた頃、「思いきり声が出したい」と妻は言い暮らしていた。襖(ふすま)一つ向こうに寝ている母が気になって、私もそうそう妻に大胆なポーズをとらせるわけにはいかなかった。しかも母はときどき、まるで窺っているように、煙管(キセル)で吐月峰(はいふき)を叩いた。「あの音を聞いた途端に、いっぺんに冷めてしまう」と妻は嘆き、

「狭くてもいいから、せめて間に廊下のある家」に越したがった。しかし、私の給料ではまだ当分、その望みを叶えてやれそうもなかった。

池に鯉がいると聞いて準が庭へ飛び出して行ったあと、私は久子にこう訊かずにはいられなかった。

「君は本当にこの家に未練がないの?」

久子が待っていたように、「はい」とはっきり答えたので、私はすぐ訊かなければよかったと後悔した。久子がわざわざ私を招(よ)んだのは、自分の決意のほどを見せたかったからに違いない。私のその推測を裏書きするように、お茶を淹(い)れ直しながら久子が言った。

「私、新しい環境で再出発したいんです」

「しかし、折角こんな広い家が……」

私が言いかけたとき、庭のほうから準の泣き声が聞こえてきた。縁側へ飛び出すと、池のほとりに準が仰向けにひっくり返り、柴折戸(しおりど)のほうへ逃げて行く利恵の後ろ姿が見えた。

 

● 五

 

――辻村が今度の日曜に大磯の家を出て、本郷のアパートヘ移ることになった。

――きのう、利恵を辻村の兄夫婦の処へ預けに行き、幼稚園の手続きもすませてきた。

帰途の電車内で、久子から告げられるたびに私は憂欝になった。次第に追いつめられて行くような気持で、「辻村の奴、何であっさり別居に同意しやがったのか」と、身勝手な腹立ちも覚えた。そのくせ、電車が大船に近づいて、久子に目くばせされると、

――今夜は真っすぐ帰ろう。

胸の中の言葉を口にすることができなかった。

二か月ほど前から利用しはじめた大船駅の西口にある旅館で、久子は私がハラハラするほどの声を幾度となく挙げ、終電の時間が迫ると、「ちょうだい、ちょうだい」と、うわ言のような声でせがみながら、私がともに歓びをきわめるまで、搦(から)めた脚をほどこうとしなかった。大柄なだけにうねりが大きく、しばしば私のほうが翻弄された。枕許に置いた腕時計を覗こうとして私がちょっと軀をずらすと、久子の手が素早く伸びてそれを摑み、部屋の隅へ抛(ほう)り投げたこともあった。溢れ出るものも呆れるくらい多く、前はこんなではなかったと久子は自分でも羞恥しがったが、それがまた発火点になって、跡始末が無駄になったりした。もしかすると久子は、家に帰った私が妻と同衾できないようにしたかったのかも知れない。

しかし、三十をすぎたばかりの私は、つい二時間前に久子の唇で愛撫された箇所を妻の口にゆだねると、忽ち恢復(かいふく)するばかりでなく、異なったその感触により深い愉悦を覚えて放恣(ほうし)に身をまかせ、妻のほうも、

「ずるいわ、自分ばっかり」

口ではそう言いながら、それなりに堪能したらしい上気した笑顔を枕に戻すのだった。

正直なところ、私は、久子夫婦が別居することも、久子と生活をともにすることも、望んでいなかった。私が欲しいのは変化と刺戟――久子との情事が夫婦の閨房(けいぼう)にもたらしてくれる刺戟だった。違った女の軀を一人でも多く味わいたいという願望があったのはたしかだが、結婚後、私が幾人もの女と情事をくり返したのは、それが夫婦生活にこの上ない刺戟剤となることを知っていたからでもあった。

しかし、自分で火をつけておきながら、今更、久子に、「君は充分役立っているんだ」なぞと言えるはずがなかった。それに、二度目に久子の家を訪れた夜、私のほうも離婚をほのめかしていた。

私が再び大磯へ出かけたのは、辻村がそこを去ってから十日ばかりたった春の休刊日であった。休刊日は、各部、ことに近郊の温泉へ泊まりがけでくり出す習わしになっていたが、「その日は母も名古屋にいる兄のところへ出かける」と久子が言ったので、二人だけの休日をすごす約束がしてあった。

だが、玄関に迎えに出た久子は妙に浮かぬ表情で、私がその理由を尋ねる前に久子の母親が客間に姿を見せ、

「これを何卒よろしくお願い致します」

いきなり、白髪まじりの頭を下げた。

返辞に窮して私はただ黙ってお辞儀を返したが、それよりも困ったのは、小柄で顔立ちも久子とあまり似ていない母親が、娘夫婦の仲が以前からいかにしっくり行ってなかったかを、幾つもの例を挙げて小一時間も倦(う)まずに語ったことであった。

私には相槌の打ちようがなく、傍らから久子も、

「お母さん、もう、やめて頂戴」

幾度かさえぎったが、

「だってお前、こういうことはよくお話ししておかなければ……」

母親はなかなか口を閉ざそうとしなかった。そして、やっと腰を上げたと思ったら、中腰のまま、さらにつけ加えた。

「何しろ、あなた、辻村は手の早い男で、この娘をすぐぶったり叩いたりするんです。久子は何度、この母屋へ逃げてきたかしれやしません」

思わず私は久子を見た。久子が急いで目を逸らした。いかにも辛そうであった。

私は半信半疑だった。辻村は色白で、男には勿体ないほど睫毛(まつげ)が長く、言葉遣いもおだやかだった。いわば優男(やさおとこ)タイプのその辻村が、妻の実家で暮らしながら、妻にすぐ暴力を揮(ふる)うとは、にわかに信じ難い話だった。

私は妻と滅多に口喧嘩もしなかった。妻は殆どと言っていいくらい口答えをしなかったし、私が声を荒げかけると、「あ、大変、おむつを洗うの、忘れてた」肩透しも巧みだった。それに結婚直後、生涯子供をつくらない約束をたしかめてから、私はさらに二つのことを自分のほうから妻に誓った。どんなに夫婦喧嘩をしても絶対に手をあげないこと、もう一つは、性病にかからないこと。どちらも亡父の真似であった。母によると、父も若い頃ずいぶん芸者遊びをしたらしいが、「私と一緒になるとき父さんは、手をあげないことと下(しも)の病にかからないことを約束して、それだけは死ぬまで破らなかった」と、父を偲(しの)ぶたびに母はくり返した。それがいつとはなく私の頭にこびりついていたのだろう。子供についての約束は結婚二年目、義母の照江に掌を合わさんばかりに懇願されて撤回せざるを得なくなったが、父の遺訓ともいえるあとの二つは、ずっと守りつづけていた。

母親の音(あしおと)が廊下から消えるのを待って、私はそっと久子に訊いた。

「僕の所為(せい)?」

久子が目を伏せたままかぶりを振った。

「ずっと前からなの。ご免なさい、いやなことをお聞かせして」

「いや。……それより、君はお母さんに打ち明けちゃったの?」

やっと顔をあげた久子が、いけなかった? と目だけで訊き返した。今度は私があわてて目を逸らした。私は妻にまだ何も言っていなかった。

――まるで手前(てめえ)からわざわざ深みにはまりに来たようなもんだ。こんなことなら、社の連中と温泉へ行きゃあよかった。

私のそんな気持を素早く表情から読みとったらしく、久子がもう一度、ご免なさい、と謝った。

「けさになって、母は急に兄のところへ行くのをよすと言い出したんです。私、邪魔しないでって、幾度も頼んだんですけど」

恐らく母親は、娘の新しい相手をわが目で確かめたかったのだろう。無理もないと思いながら、しかし、母娘に巧く嵌(は)められたような気持も否定できなかった。

その晩、私は久子の家に泊まった。家には慰安旅行へ出かけたことになっていたので、帰りたくても帰れなかった。風呂を貰って客間に戻ると、久子が牀をとっていた。敷布のはじを敷き蒲団の間に挟みこんでいるその指に、いつもはめている結婚指輪がないことに、そのときはじめて私は気づいた。跼(しゃが)んでいる久子の肩を、後ろからかぶさるように抱くと、襟足のところに小さな黒子(ほくろ)があった。それも新しい発見だった。その黒子に私が唇を捺そうとしたとき、隣の部屋で小さな物音がした。二人は同時に飛びはなれた。

「おやすみなさい」と挨拶して離れに引き取った久子が、音を殺して忍んできたのは、雑誌を読み散らしてようやく睡気がさしてきた私がスタンドの灯を消してから、五分とたたぬうちであった。廊下に面した障子が少しずつ開く気配に、私は頭だけ(もた)げて目を凝らした。白っぽい寝間着を着た久子の輪郭が、いくらか闇に慣れた目に、ゆっくりと迫ってきた。サイレント映画を観ているような感じだった。

「お母さんにみつかったら、二度と顔を合わせられなくなる。今夜はおとなしく寝よう」

瞬きながら私の腕は言葉と裏腹に久子を抱き締め、久子のほうも全身ですがりついてきたが、少したつと、

「何だか、怖い」

今度は全身を小刻みに顫(ふる)わせはじめた。

言葉の要らない、いや、声を立ててはいけない時間がかなりたってから、私は久子の耳許で呟いた。

「できるだけ早く、うちの奴と別れるよ」

もう一度抱擁を求めた久子が、まるめたガーゼを寝間着の袂に蔵(しま)って離れへ戻って行ったのは、庭から小鳥の啼き声が聞こえはじめた頃であった。

 

● 六

 

杉並の永福町に住む綿貫佐江子が、近所に希望通りの部屋がみつかった、と電話で知らせてきた。

社会部にいた頃、佐江子が役員をしている或る婦人団体の活動ぶりを二回ばかり記事にした。佐江子はそれを恩に着て、私をときどき食事に招待したり、旅先からその土地の名産品を送ってきたりした。私に逢うたびに、「見れば見るほど、戦死した弟によく似ている」と言い、「あの子も新聞記者になりたがっていた」と、目を潤ませたこともあった。中年の有閑マダムが歳下の男を誘惑する手かも知れないと自惚れてみたりしたが、部屋捜しを頼んだとき、佐江子は二つ返事で引き受けてくれた。

佐江子の案内で私と一緒にその部屋を見に行った久子は、一目で気に入ったらしく、私たちと同年輩の家主夫婦の前で、

「ね、いつ越してきましょうか」

甘えるように私に言って、敷金や前家賃もその場で払った。かなり広い前庭に、そこだけ突き出ている十畳ほどの洋間で、がっしりした炉(だんろ)があり、書棚や洋服箪笥も備えつけてあった。家主の話では、外交官だった父親が退官してから前年の秋に死ぬまで、油絵を描いたり読書をしたり、独り気儘(きまま)に暮らしていたそうで、炉の上に、オランダの農村を描いた八号くらいの風景画がかかっていた。難は風呂がないことで、銭湯も少し遠かったが、

「いいじゃない、うちに入りにくれば」

佐江子がこともなげに言ってくれたので、帰途、久子は、「よかったわ、本当にいいお部屋がみつかって。私、早速、ベッドを誂(あつら)えるわ」と浮き浮きした口調で言い、屋敷町の暗がりで私の手を強く握った。

久子がその部屋へ引っ越した翌晩、私は妻にはじめて事情を打ち明けた。

「やっぱり大磯のひとだったの」

妻は呆れたようにやや暫く私を見詰めていたが、やがて、ぽつんと言った。

「仕方がないわ。飽きるまで、一緒にいるのね」

「じゃ、いいんだな」

「いいも悪いも、あなたはそのひとと暮らすつもりなんでしょ。暫く我慢するわよ」

「暫くと言うけど、それっきりになるかも知れないぞ。何しろ向こうは子供まで捨てたんだから」

「駄目駄目。あなたが長続きするわけがないわ。まあ、せいぜい半年でしょうね。半年保ったら褒めてあげるわ」

タカをくくっている妻に、私はだんだん腹が立ってきた。なぜこの女はこうも悠然としていられるのか。此奴(こいつ)には嫉妬の感情がないのだろうか。

「よし、半年たって、それでも保っていたら、正式に離婚するからそのつもりでいろ」

「そのときはまた改めて相談しましょうよ。あらあら、どうしてこう二人とも寝相が悪いのかしら」

妻が子供たちの脚をゆっくりと蒲団の中に押しこんだ。日頃見馴れているはずなのに、そんな妻の仕草が余計、私を苛立たせた。

「じゃあ、あしたから向こうへ行っても本当にいいんだな」

「厭(いや)だと言ったって、そうするんでしょ。でも、私たちの生活費はどうするの?」

「給料はきちんと送る」

「あら、それじゃ向こうの生活は?」

「彼女の月給と、俺も内職原稿を書くから……お前が心配することはない」

「どこなの、同棲するところは? いいお部屋?」

「教えるか、そんなこと。お前だって知らないほうがいいだろう」

「大丈夫、乗り込んでなんか行かないわよ。だけど、子供たちに何かあった場合、困るな」

「社へ連絡すればいい」

「おばあちゃんに訊かれたら、どうするの。もうそろそろ帰ってくる頃よ」

母は半月前から神戸の姉の家に滞在していた。

「当分預かってくれと、あすにでも姉さんに手紙を書く。お前、ここに居るのが厭なら、横浜の実家(さと)へ行っててもいいぞ」

「居るわよ、ここに」

立ち上がった妻が、押入れを開けながら、いくらか、からかうような口調で言った。

「準に聞いたけど、大磯の彼女の家、随分広いんですってね。鯉が何尾もいるそうじゃない。わざわざ部屋なんか借りないで、そこに住めばいいのに」

「ばか。いくら俺でも、そんなこと、できるか」

「だって彼女が出ちゃったら、お母さん一人になっちゃうんでしょ。勿体(もったい)ないなあ」

「来月、彼女の兄さん夫婦が戻ってくるんだ。ちょうど名古屋の支社から東京本社へ転勤になったんで。元々、大磯にはその兄さん夫婦が住んでいたんだ」

「巧くできてるのね。彼女、かなり計画的な人らしいわね」

「お前、さっきから何を捜しているんだ。そんなところに首を突っこんで」

妻が押入れから旅行鞄を引きずり出した。

「どうするんだ、それ」

黙って今度は整理箪笥の抽斗(ひきだし)を開け始めた。

「一体、何をする気だ」

私は少なからず不安になってきた。たった今、ここに居ると言ったが、やっぱり実家に帰る気になったのか。この際きっぱり別れましょうと言い出さぬとも限らなかった。

「あなたの下着をつめるのよ。ワイシャツや靴下も要るでしょ」

「要らないよ、そんな物。買うからいい」

「でも、何かと物入りでしょ。有る物は持って行ったほうがいいわ」

「うるさい。要らないと言ったら、要らないんだッ」

怒鳴ったのは、妻の当てつけがましさについカッとなっただけではなかった。前日、部屋に運びこまれた久子の荷物や衣服を見て、自分の粗末な寝間着や下着類がとても持ち込めそうもないことを知っていたからだった。

「ご免なさい。余計なことをして」

抽斗をしめ、鞄を押入れに蔵(しま)い直している妻の細い肩を、後ろから抱きしめたい衝動に駆られた。だが、夕方、東京駅で別れしなに、「あしたから必ず永福町へ来てよ。きっとよ」久子に念を押されたのを思い出すと、私は急いで目を逸らし、新しい煙草に火をつけた。

 

● 七

 

「あら、寝間着も持っていらっしゃらなかったの」

翌日の夜、久子は仕方なさそうに自分の浴衣を出してきた。

糊こそよく効いていたが、赤い花模様がところどころ剥(は)げかけていた。袂が長いその浴衣にこれも借りた桃色の腰紐を締めると、久子は笑いながら三面鏡を指さして、ますます私に目の遣り場を失わせた。あとで久子が、「あなたは髪を長くしているから、後ろからみると少女みたい」と弁解するように言ったが、むろん、それで私の照れ臭さが帳消しになるわけもなかった。

部屋の隅に薄縁(うすべり)を敷き、その上に蒲団がのべてあった。

「ベッドが出来上がってくるまで、それで我慢して下さいね」

久子はそう言って、洋服箪笥の扉をあけ、その蔭で胸に小さな刺繍がある淡いブルーのネグリジェに着替えた。

「僕はベッドよりこのほうがいいな」

「でも、誰かきたら、みっともないじゃありませんか」

「この部屋に誰がくるの?」

それには答えず、昼間はドーナツ型にまるめている髪をほどいて、軽くひと振りさせてから久子が訊いた。

「おうちでは何を着ていらっしゃるの?」

「辻村君は?」

「バジャマよ」

「へーえ、パジャマ、ね」

「パジャマは嫌い?」

「着たことがないんだ」

「でも、ここは洋間なんですから……あした、買ってきますね」

十日間、私は久子の浴衣で押し通した。「なぜ着ないの」と、買ってきたパジャマを久子が押しつけるたびに、

「いちいち脱ぐの、面倒臭いもの」

私はわざと薄笑いを浮かべて誤魔化したが、拒んだのはバジャマそのものではなかった。

――この女はなぜ俺に、別れた夫と同じ恰好(かっこう)をさせたがるのか。

私がこだわったのは胸の底に、元々この同棲は久子の希望ではじめたんだ、という恩着せがましい気持が潜んでいたせいだろうか。もちろん、私も、お互いに何年間も結婚生活をへてきた者同士が、急に生活様式を一致させようとすること自体が間違っているのは、よく知っていた。しかし、それを百も承知しながら、やはり私は違和感を持てあました。

私は少年の頃からの習慣で、身の廻りのことに殆ど妻の手を藉(か)りなかった。結婚後、一度もネクタイを結んで貰ったことも、上衣を着せかけて貰ったこともなかった。靴の手入れも自分でやった。妻の手を省(はば)こうというのではなく、身の廻りの世話をして貰うのが何となく煩わしかった。人の手をりれば、気に入らない点があっても、我慢しなければならない。我慢するくらいなら、さっさと自分でやったほうがましであった。妻もよくよくでなければ手をそうとしなかった。一人娘だったせいか、

「私は人に何かしてあげるより、して貰うほうが好き。こんな女と一緒になって、あなたも気の毒ね」

ひとつも気の毒がってはいない口調で妻は言い、

「こんな調子だからおばあちゃんに、亭主を粗末にしすぎるって叱られてばかりいるのね」

と、舌を出した。

久子は妻とまるきり逆であった。

朝、洗面所へ行けば、熱くもぬるくもない、ちょうどいい加減のお湯が洗面器にとってあり、顔を洗い終えると間髪を入れずタオルを差し出す。鏡台に向かえばサッと男性用クリームを私に手渡し、後ろへ廻って髪を(す)く。食卓では私の目の動きだけでパンにバターをぬり、ジャムをぬる。コーヒーがもう一杯欲しいなと思った途端に注いでくれ、飲み終えると同時にお絞りが差し出される。身仕度をはじめると、ワイシャツを着せかけ、前へ廻ってネクタイを結び、上衣の襟を直してから袖口と裾をちょっと引っぱり、ハンカチ、名刺入れ、仁丹、携帯用の小櫛(ぐし)などが毎日決まった順序で差し出された。そして、玄関の三和土(たたき)には、いつ磨いたのか、光った靴が私の足を待っていた。

物珍しさも手伝って、はじめの三、四日は非の打ちどころのないこの世話ぶりに、鼻の下を長くしたが、日がたつにつれて息苦しくなり、しかも、「っといてくれ」とはっきり言えないだけに私は余計、苛々(いらいら)した。

――辻村君にもこうしたの?

しまいには、そんな言葉が危く口を衝(つ)きそうになった。

同棲十一日目の夜遅く、私は久子に無断で腰越の家に帰った。

 

● 八

 

「いいの、帰ってきちゃって? 彼女にちゃんと断わってきたの?」

玄関の鍵をはずしながら、妻がいくらか弾んだ声で訊いた。私は曖昧にうなずき、部屋に入って子供たちの寝顔をのぞきこんでから、前の日に貰った給料袋を黙って妻に差し出した。

「ありがと。郵送してくれるのかと思ってたの。これ、全部貰っちゃっていいの?」

「俺の小遣いは適当に抜いておいた。留守中、何か変わったことはなかったか」

「別に。あなた、おなかは? がんもどきの煮たのが少し残っているけど」

私の何よりの好物だった。復員直後、「何か食べたい?」と母に訊かれ、即座に、「がんもどき」と私は答えた。母はそれを親戚の者が訪ねてくるたびにうれしそうに披露した。妻が母から真ッ先に教わったのも、がんもどきの味つけであった。

妻が蒲団をずらして、僅かなその隙間に卓袱台を据えた。寝間着の上に茶羽織をひっかけた妻が、何となく眩しく、艶っぽくも見えた。私は怯々(おずおず)と訊いた。

「今夜、ここに泊まってもいいか。お前がいやなら、まだ上りの終電車があるから向こうへ戻るけど」

「ばかねえ、自分のうちじゃない。でも……」

「いや、寝るだけだよ。ただ寝るだけ」

「そうじゃないの。もうお風呂がないのよ。さっき、お湯を落としちゃったの」

「いいよ。――お前さえよければ」

妻が台所へ行きかけてちょっと振り向き、言葉を区切って言った。

「い、や、な、人」

翌朝、私は妻よりも先に起きて風呂を焚いた。狭い間(ひあわい)に跼(しゃが)んで薪(まき)をくべながら、

――真紀子には全く歯が立たねえな。

声に出して呟き、まだやっと十日なのに今からこの体たらくでは、妻が言うように長続きしないかも知れない、と思った。

妻が起きてきたのは、目を閉じて湯舟に首までつかり、前の晩の疲れがほぐれてゆくのを体じゅうで味わっているときであった。

「寝坊しちゃった」妻が硝子戸の隙間から顔だけのぞかせた。照れ臭そうな笑いを浮かべていた。

「ゆうべ、凄かったからな」

「ばか。自分のほうじゃない、凄かったのは。あんた、まったくタフね。骨皮筋右衛門のくせに」

「それがいいんだろ」

「ああ、彼女がそう言うの」

「お前も一緒に入らないか」

「何言ってるの、朝っぱらから」

「子供たち、まだ起きないのか」

「私に似て二人とも朝寝坊で困っちゃうわ」

台所で朝飯の仕度をはじめた妻に、腰に湯上がりタオルを捲きながら言った。

「この間の鞄を出してくれ」

妻が包丁の手をとめて、不思議そうな顔を向けてきた。

「寝間着を持って行く。下着も――」

「買わなかったの?」

「内職の稿料がまだ入らないんだ」

「持って行かないほうがいいわよ」

「おかしいじゃないか。この前はあれほど持って行かせたがったくせに」

「私が間違っていたの」包丁を俎板(まないた)の上に置き、前掛けで手を拭きながら妻が言い継いだ。

「あなたが持って行かなかったんで、私、あとで吻(ほっ)としたの。妻の存在を押しつけていたことに、あなたが出て行ってからやっと気づいたの。新しいのを買いなさいよ。何ならあとで私が藤沢まで一緒に行って買うわ」

その日、久子は一日中、編集局に姿を見せなかった。まさか池野に訊くわけにもいかず、恐らく私に腹を立てて、わざと社に顔を出さないのだろうとは思ったが、夕方、念のため、綿貫佐江子の家に電話をかけてみた。

「久子さん、カンカンよ。あなたの奥さんに逢って、きっぱり話をつけてくるって息まいていたわよ」

電話に出た佐江子は、私をドキッとさせてから、

「今のは冗談。でも、凄く怒っていたのは事実よ。けさ早くうちにやってきて、散々、あなたの不実を怨んでいたわ。社を休んで気晴らしにどこかへ行ってくるって、午後遅く、ドレッシイな恰好をして出かけたわよ。今夜、早くこっちに帰って埋め合わせをするのね」

下版間際に記事の差し替えがあって、私が永福町に着いたのは十時を廻っていた。伸び上がって塀越しに覗くと、久子はまだ戻っていないらしく、部屋には灯りがついていなかった。拍子抜けした気持で耳門(くぐり)から入り、ためしにドアのノブを廻すと鍵はかかっていなかった。手さぐりで壁のスイッチを押しかけたとき、

「すぐ、行ってきて下さい」

いきなり、闇の中から久子の声が飛んできた。ギョッとして、手に提げていた下着の包みを落としそうになった。

「何だ、帰っていたのか。どうしたの、電球が切れちゃったの?」

改めてスイッチを捜しかけると、また久子が叫んだ。

「早く行ってきて頂戴」

意味がわからなかった。恐るおそる訊いた。

「どこへ行けって、言うの」

「ドアの外に、用意してあります」

見廻すと、棕櫚(しゅろ)の植木鉢のかげに、タオルと石鹸箱の入った洗面器が置いてあった。

 

● 九

 

部屋にベッドが届いたのは、同棲が二か月目に入った頃であった。

木製のがっしりした造りで、枕許には二段切り替えになった電気スタンドや小物入れの抽斗が付いていた。マットレスの柔らかさも申し分なかった。

「幾らした? 高かったろう?」

腰かけて軀を弾ませながら訊いたが、久子は軽く頷(うなず)いただけで、金額を口にしなかった。私もそれ以上、訊かなかった。

給料から妻子の生活費を引くと、私の懐ろに残るのは、煙草銭とコーヒー代がやっとで、アテにしていた内職原稿の註文も殆どなく、結局、永福町での暮らしは部屋代も光熱費も食費も、すべて久子におんぶする羽目になった。久子はそれについて何も言わなかったが、言われないことが余計、私には負い目になった。私の言葉を聞き流してベッドの値段を久子が告げなかったのも、言ったところではじまらないと思ったからに違いなかった。

彼女の情熱に捲きこまれた形ではじめた同棲とはいえ、一銭も出さないのはやはり男として心苦しく、せめて部屋代ぐらいは負担したかった。久子もひそかにそれをアテにしていたのではないだろうか。

だが、腰越の家の家賃とほぼ同じ額の部屋代を私が払ったら、妻や子供たちは忽ち暮らして行けなくなる。それまでも毎月ギリギリの生活費しか渡していなかったので、妻がヘソクリをつくっているはずもなかった。ヘソクリどころか、妻は結婚するとき持ってきた娘時代のよそゆきを、すでに一枚残らず手放していた。遣り繰りが下手なのはたしかだったが、そのかわり妻は物欲が薄くて、

「箪笥の肥(こや)しにしておくより、生きている人間の栄養にしなくちゃあ」

月末になると、明るい口調でそう言いながら、ろくに袖を通していない訪問着や総絞りの羽織などを手早く風呂敷に包んでは、質屋へ運んだ。「ボーナスが出たら」とそのたびに約束しながら、私はついに一度も請(う)け出してやらなかった。

妻は長男を産むまでに三回、妊娠中絶をしていたが、その費用もすべて着物や指輪を売った金でまかなった。妊娠し易い軀のくせに、妻は私以上に予防具がきらいだった。私も自制心が乏しくて、その結果、堕ろす費用が都合つかず、神戸の姉に借金を申しこんだが、

「性懲りもなく子供ばかりつくって、夫婦とも少しは慎んだらどうだい」

肝腎の金のかわりに、石女(うまずめ)の姉から電話で長々と説教されたりした。

実家に残してきた志郎が中学へ進むときも、たまたま原稿料が入ったので、

「これまで何もしてやらなかったんだから、要るものはひと揃い、俺が祝ってやるよ」

と景気のいい約束をしたものの、結局は久子との情事に便い果たしてしまい、「これだけは」と妻が最後に残しておいた大島を手放して、やっと学生服を新調する始末だった。

社から部屋に戻ると、私はベッドに腹這いになって、久子が書く社外原稿にそのはじから手を入れた。服飾についての知識はゼロに等しかったが、むやみと片仮名の多い気取った文章を、ごく普通の、読み易い表現に直すくらいのことなら私にも出来た。久子は私が添削した原稿を読み直して、

「ファッションの記事は、英語やフランス語がたくさん混じっていたほうが専門的にみえるし、読者もありがたがるのよ」

不満そうな表情をみせた。

「そうかも知れないが、他のライターと同じようなものを書いていたら、いつまでたっても一人前になれないぜ。第一、読者は日本の女だろ。それなら出来る限り日本語で書くべきだと僕は思うね」

翌日、しぶしぶ清書した原稿を雑誌社へ届けに行った久子は、その日の夕方、約束の時間より少し遅れて私が日本橋の喫茶店へ行くと、目を輝かせて告げた。

「とっても評判がいいの。かえってユニークだって。おかげで来月から、写真と文による街頭風俗ルポを連載することになったわ」

「写真はどうするんだい?」

「辻村に仕込んで貰ったから、これでも自信があるのよ。今夜はどこかで、おいしい物を食べましょうね」

銀座のレストランで食事をしながら、「あなたと一緒になって本当によかったわ」と、久子は囁くように言った。ワインのせいか、婉然(えんぜん)とした目の色であった。しかし、私のほうは、その店でいちばん値の張ったステーキとともに、今の俺にできるのは原稿の添削ぐらいなものかという自嘲(じちょう)を噛みしめていた。

同棲中、久子と外で食事をしたのは、このときだけであった。身の廻りについてはうるさいほど世話を焼くくせに、料理はあまり得意ではないとみえて、久子は何かにつけて外食をほのめかした。私はその都度、曖昧な返事をした。外で食べればいやでも久子に金を出して貰わねばならない。久子がレジで勘定を払っている間に、一足先に外へ出て靴の先に目を落としているような自分の姿を想像すると、それだけで私は卑屈な思いに胸を塞(ふさ)がれた。

食物の好みも違っていた。

脂っこい物が好きな久子とは反対に、私は肉より魚で、酒が飲めないくせに酢の物や胡麻あえなど、ちょっとした箸休めや酒の肴のようなものが、賑やかに食卓に並んでいるのが好きだった。

――今更、嗜好の違いをあげつらうなんて、男らしくないぞ。

幾度か自分で自分を軽蔑したが、金銭面での負い目と重なって私は日ましに永福町へ帰るのが億劫(おっくう)になり、同僚に金を借りると帰途、一人で食事をすませることが多くなった。

もう一つ、私の気を重くさせるものがあった。ベッドである。

はじめのうちこそ、ベッドならではの体位を久子にとらせて、そのあられもない姿に昂奮(こうふん)したが、慣れればそれだけのものだったし、慎みを忘れたような久子の声にも、何かわざとらしさが感じられ、必要以上に弾むマットレスもかえって私の気持を萎えさせた。すると、床に落ちた毛布が気になり、つと胸を剥がしてそれを拾い上げてから、再び軀を貼り合わせようとしたのだが、今度は久子が、

「もう、結構よ」

どうせ私なんかつまらないんでしょうよと言わんばかりに、背を向けてしまうのだった。

しかし、何よりも私をうんざりさせたのは、そうした不如意な夜はもちろん、歓びを極めさせた夜でさえも、そのあとで必ず久子が口にする言葉だった。

「ね、奥さまと本当に別れてくれるんでしょうね」

 

● 十

 

神戸から母が戻ってきたのを口実に、私はときどき腰越のわが家へ帰るようになった。

「離婚するとなれば、お袋ともよく相談しなくちゃならない。お袋は元々、うちの奴を気に入っていないから、別れることに反対はしないだろうけど、自分も僕とは一緒に住めないとなったら、さて、何と言うか。そこのところを時間をかけて詰めるつもりなんだ」

「お母さまとお話をするだけなら、何もお家にお帰りにならなくてもいいはずよ。もし、お母さまさえよろしければ、ここにお呼びしたら……もちろん、私は席を外します」

「子供たちが寂しがっているから、ときどき顔だけでも見せに帰ってやれと言われているんだ」

「なまじ顔を見せたら、かえって別れが辛くなるわ。だから私は思いきって利恵を辻村の兄さん夫婦に渡してしまったの。それなのに、ご自分だけ帰るなんて、私に対して思いやりがなさすぎるわ」

「これでも僕は一家の主なんだぜ。このまま無責任に家庭をり出してしまうわけにはいかないんだ。それに女房には何の落度もないし、君のように外へ出て働く才能も腕もない。あとのこともよく考えてやらなければ」

「でも、お家に帰ったら、奥さまと……」

「誓う。絶対にうちの奴とは寝ない。それだけは約束する」

こんなやりとりの末に、久子は仕方なさそうに私が家に帰ることを認めたのだが、むろん、私には、久子との約束を守る気なぞ毛頭なかった。むしろ、帰宅の目的は妻を抱くことにあった。

その期待通りに、必死に声を殺しながら久し振りの私の軀から歓びを汲み上げている妻に、私はかつてないほどのいとしさを覚え、自分でもびっくりするくらいの新鮮な歓びを感じた。この前、久子に無断で帰宅した夜よりも濃厚なひと刻であった。

連れこみ旅館を泊まり歩いた頃から数えると丸七年、妻の軀はその隅々まで――大袈裟に言えば足裏の皺の数まで熟知していたし、どこをどう押せばどういう音(ね)が出るかも、知り尽くしていた。妻のほうも、こちらの微かな身動きだけで、次に私がどんな仕草を求めているかを、体じゅうで記憶している。つまり、どちらもが、とっくに飽きがきて、いいはずであった。マンネリになっているはずであった。

にも拘らず私たちは、飽きるどころか、より深い歓びを求めてお互いの軀をむさぼり合い、汗で湿った肌を貼り合わせて悦楽をわかちあった。傍らで小さな寝息を立てている子供たちや、襖一つ向こうの母を気づかうことが、かえって私たちを官能的にさせたのかも知れないが、絶え間なく動(ぜんどう)する妻の秘部が、私の背筋に続けさまに火箭(ひや)を走らせたのはたしかだった。

妻は私の体を口で浄めたあとも名残り惜しそうに両手で包み、ゆっくりと指先で愛撫をつづけた。暫くその手にまかせていたが、肩を引き寄せて、「お前、厭じゃないのか」と私は訊いてみた。

「厭って、何が?」

「俺はゆうべ、向こうの女と……不潔じゃないのか」

妻が薄笑いを浮かべ、手を休めずに言った。

「わざわざ断わらなくても判っているわよ。そりゃ私だって、厭は厭よ。でも今更、潔癖ぶったってはじまらないでしょ。第一、損だもの」

「――なるほど、損か」

「それより、向こうは何で寝ているの? やっぱり蒲団?」

「ベッドだよ」

「へーえ、ベッドなの。それじゃ、いろんなことが出来るわね。でも、気をつけてよ、重なったまま下へ落っこったら、これが折れちゃうわよ」

「ばか。そんなんじゃないんだ」

「きっと毎晩凄いんでしょうね。癪(しゃく)だなあ。私もベッドで寝てみたいな」

「そんなくらいなら、こうやってお前に口直しをして貰いに帰って来やしないよ」

「巧いこと言ってるわ」

妻はふと表情を改め、私の目の中を覗きこむと、

「お願いだから子供だけはつくらないでね」

「当たり前だ。大体、彼女は子供が好きじゃないらしいんだ」

「でも用心してよ。不精しちゃダメよ」

私が黙っていると、

「やっぱり予防していないのね。やだなあ、あなたは。出来ちゃったら、どうするのよ」

「もちろん、すぐ堕ろさせるさ」

「私は堕ろさないわよ」

「――?」

「今夜ね、出来たかも知れないの。そんな気がするの」

「おい、脅かすなよ」

「私、どうしても女の子が欲しいの」

「ダメだ、子供はもうたくさんだ」

「向こうも私も妊娠して、二人とも堕ろさないって頑張ったら、あなた、どうする?」

起こり得ないことではなかった。が、今から心配してもはじまらなかった。

「いい加減で、その手をどけろよ」

「寝るの? ずるいな、あなたは。返事が出来なくなるといつもそうなんだから」

「痛いッ」

 

● 十一

 

翌月、私は社を休んで神戸の姉の処へ金を借りに行った。妻が懸念した通り、久子に生理の変調を告げられたためであった。

「少し遅れているだけかも知れませんけど、このところ、何だか体がだるくて」

そう言えば顔色がよくなかった。堕ろすなら一日も早い方がいいと思い、その費用を含めて、少しまとまった額をせめて部屋代や食費を三、四か月まかなえるくらいの金を、借りてくる腹づもりだった。尤も、あわてて神戸へ出かける気になったのは、変調を告げられた翌晩、

「きょうね、辻村が社の受付にこれを届けてくれたの」

箱に入ったハイヒールを久子に見せられたせいでもあった。同棲する前から久子が新しい靴をほしがっていたのを思い出して、己れの不甲斐なさを持てあましていると、

「あのひと、新しいラジオを買ったから、古いのを遣るって言うの。あした、取りに行ってこようかしら」

服を着替えながら、まるで追打ちをかけるように久子が言ったので、

「君、会ったのか」

自分のことを棚に上げて思わず私は咎める口調になった。

「電話よ。靴のお礼に掛けたら、そう言ったのよ。私、寝ながら静かな音楽を聞きたいわ。大磯では、いつもそうしていたの」

「そのうちに、僕が買うよ」

「そのうちに――ね」

屈辱感に自分の顔色が変わるのが判ったが、私に出来ることと言えば、いつもより時間をかけて久子の軀を汗ばませるくらいのことであった。

私は久子とのいきさつを、ありのまま姉に打ち明けた。尤も、ときどき家に帰って妻に口直しをして貰っていることだけは、さすがの私も口にできなかった。

呆れ果てたのか、万起は話を聞き終えたあともやや暫く黙っていたが、

「お前、この際思いきって真あちゃんと別れちまいなよ」

今度は姉が私を驚かせた。茶箪笥のいちばん下の抽斗を、姉が抽斗ごと抜いて私の前に置いた。姉宛の、母の手紙がぎっしり詰まっていた。

「読んでご覧。どれもこれも、みんな真あちゃんについての愚痴だよ。お引きずりで、物が悪くて、浪費家で、やっぱりあんな女を嫁にするんじゃなかったと、こっちにいる間も毎日、言い暮らしていたよ。母さんはよくよく嫌いらしいね。お前だって、いやになったから、久子さんとかいうひとと同棲したんだろ。子供を一人ずつ引きとって、きっぱり離婚しちまいなよ。子供は私が育ててやってもいいよ」

「待ってくれ。俺はうちの奴にこれと言った不満があるわけじゃないんだ」

「それじゃ、どうしてよそに女をっくったんだい? 真あちゃんだって、お前を真から愛していないんじゃないのかい?」

「なぜ?」

「亭主がずっと帰らないのに、平気でいるのは、その何よりの証拠じゃないか」

「あいつは底抜けに寛容なんだ」

「鼻の下が長いんだね、お前は。真あちゃんがじっとしているのは、今更、子供を置いてきた実家に帰れないからだよ。黙って腰越にいれば、喰うだけは喰えるから――それに違いないよ」

そんな風に思われている妻が少なからず可哀想になったが、誤解をとこうという気はなかった。素寒貧(すかんぴん)のくせに大して好きでもない女と同棲をはじめた無思慮な夫と、その夫を許容して前よりも深い肉の歓びを得た妻――私たち夫婦の在り方を理解させようとするほうが土台、無理であった。

離婚の慰謝料なら立て替えてやらないこともないという姉を説き伏せて、給料の三か月分にあたる金を引き出した私が、永福町の部屋に戻ったのは五日後の夜であった。金が出来てひと安心した私は、釣り好きの義兄に誘われるまま休暇をのばして淡路島へ出かけ、.二日間、ヘラ釣りを堪能した。

久子は勤めからまだ部屋に戻っていなかった。ポストンバッグから土産の瓦煎餅(かわらせんべい)と山葵(わさび)漬けを出して、私は綿貫佐江子の家へ行った。呼鈴を押すと、出てきた佐江子がいきなり言った。

「すぐ病院へ行きなさいよ、久子さん、待ちわびているわ」

「病院? 流産したんですか」

「何言ってるの。盲腸よ。あなたが出かけた日の夜、久子さんがお腹を押さえて転がりこんできたの。その晩のうちに手術をしたのよ。幸い、経過は順調で、二、三日うちに退院できるそうだけど」

佐江子に、一駅先にある病院への道順を教わってから、そっと訊いた。

「彼女、妊娠していたはずなんだけど」

「あら、お医者さん、そんなこと何も言わなかったわよ。久子さんからも聞いていないわ。何かの間違いじゃない?」

あなたも色々、大変ね、という佐江子の皮肉っぽい言葉を聞き流して、私は夜道を病院へ急いだ。面会時間がすぎていた。

受付の前を足早に通り抜け、外科病棟への角を曲がりかけようとして私は思わず立ち止まった。廊下の向こうから俯(うつ)向き加減に歩いてくる男が、辻村によく似ていた。咄嗟(とっさ)に近くのトイレへ飛びこみ、扉をほんの僅か開けて、その隙間から目を凝らした。靴音が近づき、やがて男が前を通り過ぎた。間違いなく辻村の横顔であった。

トイレを出て私はまた病棟の角を曲がったが、三、四歩行って立ち止まり、そして再び身を翻した。

 

● 十二

 

帰り支度をしていると、珍しくそばに寄ってきた池野が、話がある、と言った。一緒に編集局を出て、廊下の片側に三つ並んだ応接室を覗いたが、生憎(あいにく)、どこも塞がっていた。

「レオヘでも行くか」

「屋上にしませんか」と池野が答えた。

屋上には滅多に人がいかない。よくよく他の者には聞かれたくない話のようであった。

久子と同棲してから、ずっと避けつづけてきた池野と人けのない屋上で二人きりでむかい合うのは、いささか薄気味が悪かったが、仕方なく彼のうしろから階段を登りながら、「何だい、話って?」わざと軽い調子で訊いた。

「女房と別れることになったんです」

前を向いたまま池野が低い声で言った。

「どうして? 何かあったのか」

池野は小さく頷き、登り切ると外へ出る重い扉を、よいしょ、と声を掛けて押し開けた。

夕方の屋上は思いのほか風が強く、忽ち髪が乱れた。少し肌寒かった。風に背を向けて幾度もライターをこすったが、なかなか火がつかなかった。半ば諦めて顔を起こすと、

「とうとう落城したんですよ」

池野が待ちかねていたように、弾んだ声で告げた。

「落城?」

「長い間の念願が、やっと叶ったんです」

火の付いていない煙草を咥(くわ)えたまま、私は彼を見詰めた。池野の念願とは、久子のことに違いなかった。そんなばかな! すぐには信じられなかった。信じたくなかった。

「お久さんが三か月前から亭主と別居しているのを知ってますか」

嬉しそうな池野の顔から、私はあわてて目をそらした。うかつに返事ができなかった。

「待っていた甲斐があったんです。お久さんが、やっと許してくれたんですよ」

私の唇から煙草が落ちた。跼(しゃが)んでそれを拾おうとしたとき、ひと際強い風がきて、コンクリートの上を三、四メートル先まで転がした。拾うのを諦めて煙草を見詰めながら私は衝撃に堪えていた。ややたってから訊いた。

「いつ、彼女と、そうなったんだ」

「おとといの、月給日の夜です。一緒に飲みに行って、渋谷のホテルで……」

家に帰った日であった。久子が退院してから私たちはよく諍(いさか)いをするようになった。病院へ一度も見舞いに行かなかったことを責められた私が、「そのかわり、ご亭主がせっせと来てくれたから、いいじゃないか」と言い返したのが諍いのはじまりだった。背中を向け合って寝る夜も多くなった。「もう、いいんですって」という久子の呟きに、わざと聞こえなかったふりをして、重ねてきた足首もさり気なくはずした。逆に私が肩を引きよせようとする前に、「何だか眠くてしようがないの」と久子が呟く夜もあった。当然、しこりが次の日まで持ち越された。久子の生理の変調は、やはり単なる遅れだったが、何かだまされたような気がしたし、妻の言葉を思い出して、用心しようという気にもなった。月給日の朝も、「今夜はどうせお家へ帰るんでしょ」ときめつけるように久子は言い、「私も久し振りに利恵に逢ってくるわ」と切り口上でつけ加えた。

私は新しい煙草を取り出し、もう一度風に背を向けて火をつけると、金網越しに昏(く)れなずむ空へ目をやって、ぽつんと言った。

「お前と俺は兄弟になったな」

池野は咄嗟にそれが理解できなかったらしく、訝(いぶか)しげに眉を寄せて暫く私を見つめていたが、

「本当ですか」

いきなり私の二の腕を強く摑んだ。

「彼女が辻村と別居したのは、俺のせいさ」

摑まれたまま私は言った。殴られてもいいつもりだった。しかし、私の言葉は、私以上に池野をぶちのめしたようであった。手を放すと彼は呆然とした顔で、不思議な物を見るような目つきになった。

「すると、あんたは、俺が贈ったあのベッドで……」

呻(うめ)くような声であった。「ベッド」と私は口のなかで呟き、久子が値段を言わなかったわけがはじめてわかった。「かなり計画的な人らしいわね」という妻の言葉が胸に浮かんだ。

「奥さんと別れるのは、よせよ。あの女は、そんな女なんだ。この俺も……」

私は目で、殴れ、思いきりこの俺を殴れ、と促した。池野が、「もう、ダメなんです」と呟くように言った。

「なぜ」

「ゆうべ、女房に、お久さんとのことを話してしまったんです」

池野は私に背を向けると、金網のほうへのろのろと歩いて行った。少したってから私がその背に近づくと、金網に両手をかけて、

「今夜、飲みに行きませんか」

嗄(かす)れた声で池野は言った。

その夜は私のほうが先に酔った。私たちは肩を組んで新宿の飲み屋街をよろめき歩き、池野が、「おい、兄貴」と呼べば、「なんだ、弟」と私は答え、食べもしない南京豆や甘栗を露店で買いこんでは、行きずりの若い女の胸に押しつけたりした。本当は早く独りになりたかったが、まさか池野を振り切って、久子との同棲先に帰るわけにも行かず、それに私の懐ろには、万起から借りた金がまだ半分以上も残っていた。やがて私たちは、この前と同じ旅館に雪崩れこみ、同じ部屋で始発電車までの時間をどちらも殆ど無言で過ごした。池野はベッドに仰向けに倒れ、私は壁にもたれて両足を投げ出した。酔いで後頭部が割れそうに痛かった。

窓の外が白みはじめると、池野が起き上がって、「お久さんによろしく」それだけ言って部屋を出て行った。私もすぐ跡を追った。玄関脇の部屋から、はれぼったい目をした三十前後の女中が現われ、ふくれっ面で靴ベラを差し出したが、池野は見向きもせず靴をつっかけると、逃げるように去って行った。こめかみを揉(も)みながら私は大きな溜息をついた。数か月前、池野の濡れた目尻を眺めて感動を覚えたことが、まるで嘘のようであった。

「あんた方、喧嘩でもしたの」

女中に訊かれて私はつい苦笑した。

「たしかずっと前にも二人で泊まったことがあったね」

「よく覚えているね」

「男同士で泊まるお客なんて、滅多にいないもの」

その目つきから、女中が何を想像しているか、容易に察しがついた。

「俺たちは兄弟なんだよ。兄弟喧嘩をしたのさ」

「嘘」

まだ夜が澱(よど)んでいる旅館の玄関に高笑いを残し、駅へ向かって歩き出しながら、真紀子が言ったように半年と保たなかったな、と胸の中で呟いた。急に空腹を覚え、無性に、がんもどきが食べたかった。