『結婚の構図』前の章 印刷

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● 一

 

お金を出し合っては、連れこみ旅館を泊まり歩いた。

東京では新宿の旭町か渋谷の道玄坂、横浜なら野毛の、なるべく安そうな家を選んだ。脱いだ靴をぶらさげて部屋に持ちこむような宿も、いとわなかった。むしろ、そんな宿のほうが、ベニヤ板で仕切った隣の部屋から呻(うめ)き声が聞こえてきて、刺激になった。

ふところに余裕があるときは、離れ形式になった綱島温泉や、すぐ真下に海がひろがる金沢八景の旅館へ出かけた。尤(もっと)も、海は殆ど見なかった。

「あしたは、社へ出なくちゃあ」

「私も――」

しかし、朝になると牀(とこ)をはなれるのが億劫になって、愚図愚図しているうちに昼近くなった。仕方なく宿の電話をかりて、私が勤めている新聞社には真紀子が、真紀子が働いているスーベニアの店には私が、それぞれ年寄りの声色で病気欠勤を告げると、あとは丼物なぞ取りよせて終日、薄暗い部屋に閉じこもった。

どちらも痩せていたので、ときどき腰の骨がぶつかった。痛さに思わず軀を剥がして、照れくさい顔を見あわせた。

「毒ね」

「これじゃ、ますます痩せちまう」

そのくせ、日が暮れるとかえって別れがたくなり、お互いの所持金を数え直してもう一晩、同じ旅館ですごしたことも幾度かあった。

小柄な真紀子は四十キロそこそこで、薄い胸に乳首ばかりが大きかった。不釣り合いなその乳首を見るたびに、いじくり廻したに違いない男の指を想像して、胸の奥が煮え立った。だが、口には出せなかった。言えば、「何さ、信ちゃんだって」と、言い返されるに違いなかった。つい二カ月前まで私も、二人の女と関係を続けていた。

一人は警視庁文書課のタイピスト、もう一人は同じ新聞社の文化部にいる娘で、いずれそのどちらかと結婚しなければなるまいと思っていたが、六年ぶりに真紀子に再会すると、その夜から私は彼女の虜になった。復員後、意地になって逢わなかった歳月が悔やまれるほど、よく撓(しな)う軀だった。タイピストや婦人記者とは、まるきり比べものにならなかった。

最初の夜、私は六年間の怨みをこめて、思いきりさいなむつもりだった。ところが、逆にすっかり翻弄(ほんろう)されて、

「俺は何人目だい?」

われながら情けない声で訊いた。

「あら、昼間、ちゃんと話したじゃない、二人しか知らないって」

「嘘だ、少なくともこの軀は――」

「残念だけど本当に二人しか知らないのよ」

するとその二人は、よくよくの巧者だったに違いない。畜生、一日も早く前の男の癖を叩き出さなくちゃあ――が、結果はいつも、自分の未熟さを思い知らされるばかりだった。

「断わっておくが、お前とは絶対に結婚しないぞ」

口惜(くや)しまぎれに私が言うと、

「そのセリフ、もう三度目よ。そう何度も言うと、折角の決心が安っぽくなってよ」

「いいんだな、本当に結婚しなくても」

「念を押さなくたって、私が結婚できない軀なのを知っているくせに」

下腹部から太腿(ふともも)にかけて、真紀子の軀には無数の肉割れができていた。スタンドの灯のなかで私がそれを見つけたとき、

「産道が狭くて、そりゃあ難産だったのよ。もう少しで死ぬところだったんですって」

真紀子は他人事のような口調で説明した。羊水が先にすっかり出てしまい、鉗子分娩(かんしぶんべん)でやっと産んだというその志郎が、この春には小学校へ上がると聞かされて、私は逢わなかった歳月を改めてかぞえた。よく逢わずにいられたものだと、自分の片意地に呆れもした。

「志郎君の父親とは、その後どうなんだい?」

ノミで彫ったような肉割れを指先で撫でながら訊くと、

「どうって、どういう意味よ」

「今でも続いているんだろ?」

「何を言っているの。邦男とはあれっきりよ」

「戦後、一度も逢っていないのかい?」

「厚木の、奥さんの実家に引っこんだきりだもの」

「じゃあ、志郎君はこれからもお前が育てるのか」

「私が、というより母が育ててくれているの。あの子も私を姉だと思いこんでいるわ」

「志郎君を一生、父親に逢わせないつもりか。いや、お前、逢いたくないのか、その邦男さんに――」

「ばかばかしいことを言わないでよ」

「信じられないな」

「案外、嫉妬深いのね、信ちゃんて」

言いあてられて指を引っこめ、肝腎の質問も嚥(の)みこんだ。志郎を身籠るまで邦男と何回ぐらい交渉があったのか、私が知りたかったのはそれであった。六年前の、いまにもこぼれそうな大きな腹をした真紀子の姿が、私の脳裡にはまだこびりついていた。

 

● 二

 

お互いに洟水(はなみず)をたらしていた頃からの幼馴染みだった。

私の父の末弟と真紀子の母親の妹が夫婦だったので、親戚の婚礼や法事にはかならず顔を合わせた。そのあとの会席では双方の親たちの手招きを無視して、さっさとお膳の前に並んで坐り、

「まあ、いつも仲がいいこと」

従姉(いとこ)たちによく冷やかされた。

真紀子は両親に連れられて、その頃、芝の愛宕(あたご)下にあった私の家に幾度か遊びにきた。私もたった一度だが、母にせがんで横浜の弘明寺(ぐみょうじ)にある真紀子の家へ連れて行って貰ったことがある。たしか小学校へ上がったばかりの頃であった。

市電の通りからちょっと入ったところにある板塀をめぐらした家で、細長い庭の隅に無花果(いちじく)の樹が青々とした葉をひろげていた。

一人娘の真紀子は、手を伸ばせば届く小箪笥の上の人形箱をおろすのにも、いちいち母親を呼び立てた。外へ出ればすぐ駆け出すくせに、母親が三和土(たたき)にしゃがんで靴をはかせてくれるまで、玄関の上がり框(かまち)で両脚をぶらんぶらんさせたりした。母親の照江のほうも、まるで下女のように真紀子の言いなりになっていた。

私も八人兄弟の末っ子で、かなり甘やかされていたが、玩具も絵本の数も真紀子には敵わなかった。廊下の突きあたりに積み上げられた絵本の山を見上げていると、

「あげるわ、どれがいい?」

真紀子が無造作に何冊も引っぱり出した。

「本当にくれるの?」

「信ちゃんになら、何でもあげる」

お河童の髪の下から、まばたきもせず見詰め返してきて、ますます私をどぎまぎさせた。

ともに数え年十五の夏、二人は、当時鎌倉山に在った叔父の家で二週間ほど一緒にすごした。早生まれの真紀子は女学校三年、遅生まれの上、肋膜炎(ろくまくえん)で一年休学した私は中学一年生だった。背丈も当時は真紀子のほうがほんの少しだが高かった。

子供のない叔父夫婦は、二人をわけへだてなく可愛がってくれたが、私はどちらかと言えば血の繋がっていない叔母の島子になつき、反対に真紀子は叔父に甘えた。そのくせ私は、夕食の膳で真紀子に注いで貰ったビールをさも旨そうに飲む叔父に、軽い憎しみを覚えたりした。

或る日、島子が包丁で栂指(おやゆび)を切り、私が薬箱を運んで行くと、それまで黙って見ていた真紀子が、箱からさっと繃帯(ほうたい)を取り上げた。私がそれを取りかえそうとすると、

「駄目、信ちゃんは不器用なんだから」

真紀子は繃帯を持った手を高くかかげて、きめつけるように言った。

「叔母さん、僕のほうがいいね?」

「どっちでもいいから、早くしてよ」

指の付け根を押えて島子が苦笑いした。

「そんな巻き方だと、すぐすっぽ抜けちゃうぞ」

「うるさいわね、信ちゃんは。あっちへ行っててよ」

真紀子が怕(こわ)い目で睨んだ。そんな目を見せたのは、はじめてだったが、私はかえって心が浮きうきした。

十日ほどたった夜、近所に不幸があって島子がお通夜へ出かけて行くことになった。叔父は前日から大阪に出張中だった。

「鍵を持って行くから、戸締まりして二人とも先に寝ちゃっていいわ」

出がけに島子が玄関で言った。

「宿題があるから、起きているわ」

夏休みももう残り少なくなっていた。卓袱台(ちゃぶだい)に向かい合ってノートをひろげると、いつもより虫の音がはっきりと聞こえた。ときどき、松ぼっくりが庇(ひさし)に落ちる音もした。

「この代数、教えてくれないか」

解き方を知っていたが、わざと訊くと、

「どれ」軀を乗り出してきた真紀子の頬から徴かにクリームの匂いがした。

「なんだ、こんなのが判らないの」私のノートを取ってすぐ鉛筆を走らせた。

「ほら、こうすればいいのよ、簡単でしょ。あら、何よ、信ちゃん、人に教わりながらどこを見ているのよ」

「真あちゃんにも出来るんだね、ちょっと験(ため)してみたのさ」

「まア」鉛筆を握ったまま振り上げた真紀子の手首を掴んで、目の中を覗きこんだ。鉛筆が落ちて、真紀子の眸(め)が怒りから羞恥にかわるまで、ほんの僅かな間だった。いつか二人は手を握り合っていた。

「大きくなったら――」

私にみんなまで言わせず、真紀子がコックリした。その目がもう潤んでいた。私も鼻の奥が痺れた。小指をからめたまま、卓袱台のへりを廻って居ざり寄ると、

「私ね、小さいときから信ちゃんの――」

今度は私が終わりまで言わせず、乾いた唇を思いきって捺(お)しつけた。真紀子の唇も乾いていた。すぐはなし、再び強く捺した。腕の中で真紀子は小刻みに顫(ふる)え、それを止めようとして力をこめながら私は、自分の軀もえているのを知った。

「まだ起きていたの」

玄関の叔母の声に、二人はあわてて飛びはなれた。閾(しきい)際に立って探るようにそそいできた島子の視線が首筋に痛く、鉛筆を握り直しながらそっと上目遣いにうかがうと、セルロイドの下敷きを団扇がわりにして、真紀子がそのかげでチョロッと舌を出した。

一旦そうなると、幼い頃から見馴れてきた真紀子の軀が俄(にわか)に眩(まぶ)しくなった。真紀子が傍にいるだけで、全身が発熱したように火照り、叔母の姿がちょっとでも見えないと、素早く真紀子の口や二の腕に唇を捺しあてずにはいられなくなった。真紀子もそれを待っている風だったが、どうしたわけか三日後、引きとめる私を振りきって、逃げるように横浜の自家へ帰ってしまった。

「あの娘、急に、はじまってしまったのよ」

島子があとで教えてくれた。女姉妹のなかで育った私には、それだけでわかった。恐らく真紀子は、生理が予定よりも早くはじまったのが羞恥しかったのだろう。

むろん、帰る前に、来年の夏休みも一緒にすごす約束はできていたが、もし真紀子が生理にならなかったら、私たちは接吻だけではすまなかったに違いない。島子が鎌倉の町へ買い物に出かけた留守、衝動を抑えかねた私が真紀子の胸や下腹部へ手を這わせると、唇をあわせたまま真紀子も、私のズポンの前に怯々(おずおず)と指をのばしてきたことが二、三度あったからだ。私はすでに自涜(じとく)を知っていた。

 

● 三

 

翌年、夏休みになるのを待ちかねて鎌倉山へ飛んで行った。だが、一週間たち、十日たっても真紀子は現われなかった。期待と絶望のくり返しで一か月がすぎた。

叔父から、泊まりがけで伊豆へ磯釣りに行こうと誘われたが、私は黙って首を振った。叔父が釣り道具を肩に出かけて行ったあと、あしたは俺も東京に帰ろうとようやく諦めがつき、夕方、離れの出窓に腰かけて蜩(ひぐらし)の声を聞いていると、自然に涙が滲んできた。胸のなかで幾度も、真紀ッペのばか、と悪態をついた。

人の気配に振りむくと、藍染めの浴衣を着た島子が近々と立っていた。髪を洗ったらしく、その先が肩にあふれていた。洗い粉の匂いがした。

「そんなにあの娘が好き? あした、横浜へ行って、連れてきてあげようか」

島子の掌が私の両肩に載った。

昏(くら)くなった庭の隅で、ひょろ高いコスモスの茎が夕風に静かに揺れていた。それを見詰めて、

「いいよ、もう」自分にいいきかすように言うと、

「ばかねえ、痩せ我慢して」

肩の手に力がこもり、

「ね、昨年、私が近所のお通夜へ出かけた留守に、あの娘と何をしていたの?」

耳許で囁(ささや)くように島子が訊いた。背中にぴったりくっついた島子の胸から、体温とかすかな鼓動が伝わってきた。せつなさと甘酸っぱいような思いが、全身にひろがった。

「何もしてないよ」

「嘘、ちゃんと知っているんだから」

島子が後ろから抱き締め、私の項(うなじ)に頬ずりすると、

「さあ、晩ご飯の支度をしなくちゃあ」

人が違ったように足早に渡り廊下を去って行った。はぐらかされたような気持で、蜩の声がひとしお胸に沁(し)みた。

その晩、早目に牀(とこ)に就いたがなかなか寝つかれず、厠(かわや)の戻りしなにそっと島子の寝室をのぞいた。

床に腹這いになって、浴衣の裾から白い脛(すね)をあらわにしながら雑誌を読んでいる島子に、蚊帳(かや)の外から声をかけると、

「あら、まだ起きていたの。心細くなったんでしょう。さあ、そんなところに立っていないで、なかに入りなさい。蚊に喰われるわよ」

肘(ひじ)をついて横向きになった島子の襟許から白い肌がこぼれた。目を伏せて蚊帳をくぐると、化粧の匂いが鼻を摶(う)った。真紀子とはじめて接吻したときの、あのクリームの匂いと同じだった。

「何を読んでいるの?」

カバーをかけた枕許の小冊子に私は手を伸ばした。島子がそれを素早く取り上げた。

「だめ、これは大人の読む本」

高く掲げたその本をなおもとろうとした私は、浴衣の袖がまくれてあらわになった島子の二の腕に、一瞬、眩(めまい)がするような刺戟をうけた。白い腕は、島子がスタンドの灯を消したあとも、私の網膜にはっきりと残った。

「東京の義姉さんに申しわけない。私は本当に悪い女」

島子はくり返し囁きつづけ、そのたびに力をこめて私を抱き締めた。囁きは歌のような調子だった。

私は島子の腕の中で、●(ひし)と全身でそのふくよかな軀にすがりつき、この胸は、この腿は、真紀子と血の繋がった叔母のものではないか、俺は何という恥知らずだろうと思いながら、それでいて真紀子に済まないという気持は少しも起こらなかった。それどころか、島子に再びお通夜の晩のことを訊かれると、むきになって二人が純潔だったことを訴えた。

「本当に何でもなかったの? こうやって、キスぐらいしたんでしょ」

島子の舌が私の顔中を甜(な)め廻した。ついさっきまで、叔母さんと呼んでいた島子が、一挙に一人の女に変身してしまったのが、十六歳の私にはまだよく呑みこめなかった島子は私より十九歳も年上だった。

ようやく闇に慣れた目に、半身を起こした島子の白い裸形が浮かび上がった。いつの間にか私の寝間着の紐も、ほどかれていた。

「じっとしているのよ」

言われるまでもなかった。島子の軀の下で突っ張った手足が自分のもののようではなかった。湿った島子の髪先が、私の胸を刷(は)いた。唇が胸から下腹のほうへゆっくりと這い廻り、それにつれて私の軀は、内側から次第に熱くなった。やがて音を立てるばかりに燃え出した。島子の口のなかに納まったものから、いまにも炎が噴き出しそうであった。

何をどうしていいかわからず、髪ごと島子の両肩を力まかせに掴んで、堪えた。顔をはなして島子が軀を起こし、私の腰を両腿で挾み直した。最も敏感なところに、少しばかり痛みを覚え、間もなく、はじめての感覚に包みこまれた。思わず全身を浮かせて島子にしがみついた。

「どうしたの?」

目をつぶったまま小さく首を振った。徐々に軀をゆすりながら、

「私にあわせるのよ。……そう、信ちゃんは素直だから、好き」

不意に島子が重くなった。同時に私の全身を一瞬、焼け火箸(ひばし)が貫いた。ややたって、庭の虫の音がいちどきに耳に戻ってきた。

島子は私を湯殿へ連れて行き、全身を丁寧に洗ってくれた。それまでにもよく背中を流してくれたが、その夜は手も足指も下腹も腰も、まるで赤ん坊を扱うように丹念に洗い終えると、ぼんやり腑抜けのようになっている私をかかえて湯舟に入れた。ついさっき、疼痛(とうつう)を覚えたところがヒリヒリして、私がそれを訴えると、ご免ね、ご免ね、と謝りながら、そっと手拭(てぬぐい)でくるんでくれた。湯舟の中で、膝の上に私を抱き上げ、

「秘密よ、一生、誰にも話さない二人だけの秘密よ」

そしてまた力一杯、抱き締めた。

翌日、引きとめる島子を突きとばすように振り切って東京の家に帰った。

「大丈夫よ、信ちゃん。いつも通りにしていれば、叔父さんにはわかりはしないよ。ね、二、三日、延ばしなさいよ。あした、真紀子を連れてくるから」

ぬけぬけと言う島子が恐ろしくさえなった。たとえバレなくても、もはや叔父とはまともに顔をあわすことはできない。横須賀線の車内で罪の意識にさいなまれ、自分の膝から目をそらすことができなかった。電車が保土ヶ谷駅に近づくと、

――もう大人になっても真紀子とは結婚できない。結婚どころか、二度と逢えなくなってしまった。

今度は、全身をかきむしりたいような後悔に襲われた。

その一年間に私は五通、真紀子へ手紙を出した。返事は一通もこなかった。どうして返事をくれないのか、この手紙を見たら、葉書でもいいから返事をくれと書き送り、きょうあたり返事が届くはずだと思うと学校にいても落ち着かず、頭痛を訴えて早退けすると家に飛んで帰った。しかし、郵便受けに入っている手紙は、父か姉宛のものばかりだった。たまりかねて母に幾度も訊いた。

「僕に手紙、きていなかった?」

「さあ、気がつかなかったね」

母の答えもきまっていた。

――みんな真紀子が悪いんだ。返事もくれず、約束を破って遂に鎌倉山にもこなかったから、こんなことになったんだ。

後悔の果てに、私はそんな言い訳で何とか自分をごまかそうとさえした。

ずっと後でわかったのだが、真紀子からの返事はすべて母が隠してしまったのだった。

 

● 四

 

三年後、徴兵年齢が繰り上がって私も検査を受け、東部六部隊――元の麻布一聯隊に入営することがきまった。通知を受けとってから入隊日まで丸三か月あった。

その三年間、私は島子にも真紀子にも逢わなかった。過ちを犯した年の暮れ、島子は、北京支社へ転勤になった叔父と一緒に大陸へ渡ってしまったし、叔父夫婦がいなくなると、真紀子の消息は全く耳に入ってこなくなった。北京へ発つ叔父夫婦を、両親も姉たちも東京駅まで見送りに行ったが、私は鼻風邪を理由にその日はからも出ようとしなかった。

「熱はないんだろ? 夏休みのたびにお世話になりながら、なんて恩知らずなんだ」

出かけるまで母が二度も三度も同じことを言った。頭からすっぽりかぶった夜具のなかで、私はその言葉に堪えた。恐らく真紀子も見送りにくるだろう。叔父もだが、島子と真紀子に、同時に顔を合わせられるはずがなかった。

――信ちゃんになら、何でもあげる。

幼い頃、どぎまぎさせた真紀子の言葉を思い出し、ひっそりした家のなかで私は独り嗚咽(おえつ)した。

夕方、帰宅した母たちに、真紀子が見送りにきていたかどうか確かめたかったが、どうしても切り出せなかった。母や姉は、見送りにきた他の親戚の噂話にひとしきり花を咲かせたが、なぜか真紀子については誰も口にしなかった。みんなが気を揃えて私に意地悪をしているようにさえ思えた。

翌夏、父が脳溢血(のういっけつ)で急死し、真紀子の両親は通夜にも告別式にも焼香にきたが、真紀子だけはついに姿を見せなかった。

島子が言ったように、あの夜のことは生涯二人きりの秘密だから、何喰わぬ顔で訪ねて行けば、真紀子は蓬ってくれるだろう。しかし、当時の私には、電車に乗れば僅か一時間足らずの東京と横浜との距離が、絶対に行きつくことのできない無限の距離のように思え、だからかえって、一目だけでも逢いたいという想いに幾度も胸を衝き上げられながら、やはりそれを行動に移すことができなかった。

島子が叔父を北京に残して単身帰国したのは、入隊日が一か月後に迫った頃であった。

真紀子の家から二町ほどはなれたところに手頃な二階家が借りられたので、是非一度遊びにきてほしいという略図入りの島子の手紙を受けとったとき、

――蓬いたい。

かつてない烈しい想いが胸に溢れた。しかし、逢いたいのは、島子なのか真紀子なのか、私自身よくわからなかった。入隊すれば、まず間違いなく生きて還れない。死ぬまえに、島子にも真紀子にも、せめて一目だけでも逢っておきたかった。

翌日の午後、市電を降りてから略図を頼りに、横町を二つほどまがると、すぐ目印の煙草屋が見つかった。島子の家はその煙草屋のわきの袋小路の突きあたりであった。小路の入り口でゲートルを巻き直し、学生服の釦(ぼたん)をたしかめた。灯火管制にそなえて、かたわらの電柱にも、反対側の黒い板塀にも、目の高さに一条、白いペンキが塗られていた。

突きあたりの細い格子戸の上に、真紀子の父親の名をしたためた標札と並んで、島子の名を書き添えた叔父の名刺が貼ってあった。

私の訪(おとな)う声に玄関に出てきたのは、意外にも真紀子の母親であった。照江は、格子戸のかげから顔を半分のぞかせた私が誰かわからぬらしく、不審気な表情で上がり框に中腰になったが、改めて私が名乗ると、まあ、と言ったきり、しばらく絶句した。その顔にさっと困惑の翳(かげ)が走った。

私が口ごもりながら近く入隊することを告げると、

「さあ、どうぞなかへ。そんなところでは何ですから」

ようやく照江が請(しょう)じた。肩から救急袋をはずしたとき、とっつきの階段に跫音(あしおと)がした。のれんの蔭からまず足袋が見え、ついで着物の裾が見えた。島子だろうと思って、私はいくらか軀を固くした。

次の瞬間、私は自分の目を疑った。手摺(てす)りにつかまって、ゆっくり階段を降りてきたのは、大きな腹をした真紀子だった。

私と目が合った途端、真紀子はその場に棒立ちになった。真紀子は階段の途中で、私は玄関の三和土(たたき)で、しばらくお互いを見詰め合った。

「しばらく、信ちゃん」

呟(つぶや)くように言うと、真紀子はまたゆっくり階段を降りはじめた。その左手が羽織の裾を固く握っていた。気がつくと私も救急袋の紐を握りしめていた。

「とにかく上がって……。ゆっくりしていって下さい」

照江が私と真紀子の顔を、はらはらした表情でうかがいながら、とりなすように言った。真紀子が黙って右手を出した。その手に救急袋を渡し、沓脱石(くつぬぎいし)に片脚をかけてゲートルをほどきはじめたとき、

「あら、信ちゃん、よく来てくれたわね」

格子戸があいて、声と一緒に買物籠をかかえた島子が飛びこんできた。

 

● 五

 

俺が女にだらしなくなったのは、真紀子のあんな姿を見たせいだ。

復員後、夜の女を買うたびに私は、自分に言い訳をした。新橋駅のガード下に孕(はら)み腹の街娼(がいしょう)が出没すると聞いて、わざわざ探しに出かけたこともあった。何人かのポン引きに当たってみたが、どうしても見つからず、むしろ私は救われたのだが、

――信ちゃんになら何でもあげると言ったくせに、いちばん肝腎なものをくれなかったから、こんなデカダンになったんだ。

やはり、真紀子のせいにしたかった。

しかし、もし誰かに、

――お前に真紀子を責める資格があるか。この恥知らず奴(め)。

と、きめつけられたら、私はグウの音も出なかったに違いない。

大きな腹をかかえた真紀子の姿を見たあの日から入隊するまで約一か月間、私は島子の家に三日にあげず入り浸った。

「どこもかしこも、もう、立派な大人ね」

島子は私の下で、あるいは上で、幾度も同じことを囁きながら、夜がすっかり明けきるまで私の軀を放そうとはしなかった。私も離れたくなかった。

十六歳のあの一夜は、たしかに過ちであった。が、汗まみれ、秘液まみれになって軀を重ねあわせたその一月あまりの夜々は、もはや過ちどころか、快楽以外の何物でもなかった。間もなく四十だというのに島子の軀は、まるで海鼠(なまこ)みたいに柔らかく、ついに一度も骨の存在を感じさせなかった。私のどんな無理難題にも島子は笑って応え、ダダをこねているような私の注文を、かえって欣(よろこ)んでいる風でさえあった。

「ばかよ、真紀子は。信ちゃんと約束しながら、邦男さんみたいな十六も歳上の妻子持ちにコロッと騙されて。でも、そのおかげで、あたしはまた信ちゃんとこう成れたんだもの、あの娘にお礼を言わなくちゃいけないのかも知れないね」

雨戸の隙間から朝陽が射しこんできても島子は私を握りしめ、

「ね、どんなことがあっても生きて還るのよ。たとえ卑怯者、臆病者と罵(ののし)られようと、けっして危ない処へ飛び出しちゃダメよ。人間、生きていればこそ、こんないいことが出来るんだから。ね、戦地へ行っても、あたしとのことを忘れちゃダメよ。……もう、忘れないよね。忘れたくても、ここが忘れやしないものね」

自分で自分の言葉に唆(そそのか)されたらしく、もう無理だと言う私に逆さにかぶさると、唇でまた私を育ててしまうのだった。

そんな痴戯(ちぎ)の合間に、邦男が真紀子の父方の従兄であること、三か月ほど前に出征したこと、島子の住んでいる家が、実は真紀子が近所をはばかって出産するために借りた家であることなどを、私は島子から聞き出した。真紀子の父親が、娘を妊娠させた相手が甥と判ったとき、邦男の家に暴れこんで、襖(ふすま)や障子(しょうじ)を叩き壊したばかりでなく、家財道具も手あたり次第に路地へ抛(ほう)り出したうえ、土下座して謝る邦男をステッキで散々に打ち据(す)えたという話も知ることができた。

「義兄(にい)さんもばかよ。そんなことをすりゃあ、娘の不検束(ふしだら)を自分で世間へ吹聴(ふいちょう)するようなものなのに……。尤(もっと)も義兄さんにすれば、大事な一人娘を台無しにされて、前後の見境がなくなるほど腹が立ったんだろうけど」

真紀子の父親は、郷里の愛知から自分を頼って出てきた邦男に職をみつけてやり、家作の一軒に住まわせたというから、いわば恩を仇(あだ)で返されたことになる。

「あたしもね、帰ってきて、はじめて知ったの。北京を発つ少し前に真紀子が突然、手紙を寄こして、私もそっちへ行って暮らしたいと書いてきたから、ヘンだなとは思っていたけど、まさか邦男さんとできて、その子を宿していたなんて――。でも、これで、さっぱりしたでしょ。もう悩まなくていいわね。真紀子に遠慮することは、これっぽっちもないのよ」

それらの言葉を、はじめて知った気の遠くなるような快楽の底で私は聞いた。

「この蒲団はね、信ちゃんが泊まりにこない夜は、真紀子が寝ているのよ」

もはやそんな囁きにも私は心を動かされなくなった。旬日のうちに確実に戦場へ狩り出される私にとっては、島子との狂ったような爛(ただ)れた夜が、いま、生きている証だった。泊まった翌日、島子はきまって幾許(いくばく)かの金を私に握らせた。

「電車賃よ。あした、また、来てね。きっとよ」

入隊日が迫るにつれて悦楽は深まり、その前では、反省も羞恥も罪の意識も、すべては無力に等しかった。

島子は若い頃、横浜の関内で左棲(ひだりづま)をとっていたことがある。そのせいか、いつ素肌に派手な長襦袢(じゅばん)だけをまとって床に入ったが、入隊日がいよいよ二日後に迫って、あすはいやでも東京の家に戻らなければならないという夜になると、スタンドの灯をつけたままそれも脱ぎ捨て、私からも寝間着を剥ぎとった。

「信ちゃん、今夜で見納めだよ。さあ、私の軀をよく見ておくれ。信ちゃんのものよく見せておくれ」

今夜限りだという思いが私からも一切の羞恥を奪い、二人は部屋のなかを転がりながらお互いの裸身をむさぼった。このまま死んでしまいたいと私が言えば、あたしだってと島子も咽(むせ)び、あしたからあたしはどうすればいいの、と身を揉(も)んだ。

精も根も尽き果てた明け方、肌寒さに目醒めると、傍らに背中を見せて横坐りになった島子が、剥き出しになった私の下腹部を見詰めていた。手に何か持ってはいまいかと、そのとき、はじめて私は軽い戦慄(せんりつ)を覚えたが、切るなら切れ、殺すならこのまま殺されてもいいと自分に言いきかせた。軍隊に入れば、どうせ生きては還れないのだ。いっそ島子の手にかかって……。だが、その島子の背が前に倒れると、私の軀はもうすっかりお馴染みになった生あたたかい感触に包まれ、すると不思議なことに、身も心も死んだはずなのにそこだけがちゃんと息を吹き返すのだった。

――お前とは絶対に結婚しないぞ。

再会後、私は幾度も真紀子に念を押したが、本当は、「結婚できない」と言わなければならなかった。日本中が狂っていたような戦争中だったとはいえ、もし真紀子が、自分と血の繋がっている叔母と愛欲にふけった私の過去を知ったなら、たとえ私のほうが結婚を望んだところで、それを受け入れるはずがなかった。

――父(てて)なし児を産んだ女と、叔母と通じた男、ちょうどいい取組じゃねえか。

ときどき私は胸のなかで自嘲(じちょう)したが、それでいて、素晴らしい美人と結婚し、連れ立って真紀子の家へ挨拶に行く夢も捨てきれなかった。タイピストと婦人記者の両方から結婚を迫られながら、安月給を楯(たて)に態度を曖昧にしてきたのも、そのせいであった。二人とも平凡な顔立ちで胸も薄く、取り柄といえば、私がはじめての男だったことだが、私はそれに責任を感じるどころか、いつまでたっても丸太ン棒のような反応の鈍い軀に飽きがきて、どうしてこう呑みこみが悪いんだろうと自分の稚拙さを棚にあげ、途中で腹を立てたりした。

そんな矢先の再会だったので、私の意地は他愛なく崩れた。一度崩れてみれば、ばかげた意地だったのかも知れなかった。

 

● 六

 

私の勤めていた新聞社は、戦後に創刊された三流紙だったが、警視庁詰めの頃には一流紙に跡を追わせるような特種もいくつか抜いて他社の記者にもマークされ、自分でもいっぱしのつもりだった。

しかし、真紀子の前では、まるきり赤子も同然であった。島子からは、「信ちゃんにはもう教えるものが何もなくなった」と言われ、女体の構造についても、指を添えていちいち詳しく教わったはずなのに、それらも殆ど役に立たず、脚の位置、肘のつき方まで真紀子に改めて教えられた。

「そっちの脚をもっとこっちへ、ほら、こうしたほうがずっと楽でしょ。それに――ね」

優しい導き方が、かえって私の自惚れを叩きのめした。途中で煙草を吸うことも教わった。

――これじゃ、まるきり返り討ちだ。

あとで口惜(くや)しがったが、三、四日逢わないと折角取材した記事を書く気にもならず、経理部を拝み倒して給料を前借りすると、すぐ真紀子の働いている店へ電話した。

「弱ったな。きょうは忙しくて、ちょっと抜けられそうもないのよ」

電話口では渋りながら、真紀子のほうも指定した喫茶店に十分と遅れずに姿を見せ、逢えば二人とも何も言わずに近くの旅館へ連れ立った。ときには真紀子から電話があって、先に旅館で待っていることもあった。

「ここの宿賃を払ったら、煙草銭もなくなっちまうわ。ねえ、お互いにもう少し我慢しましょうよ。信ちゃんだって、あんまりサボってばかりいると、いまにクビになっちまうわよ」

「こうみえても俺は社会部じゃいちばん嘱望されているんだぜ」

満更、自惚れでもなかった。同期のなかでは真ッ先に警視庁詰めから遊軍に上がり、週に一回、社会面の半分を埋める探訪記事を担当して、そろそろ半年になっていた。

「この間も、滅多に人を褒めたことのない編集局長がわざわざ声をかけてくれたんだ」

「でも、お母さんのほうは、そうはいかないでしょ」

母を持ち出されると私はつい怯(ひる)んだ表情になった。もし真紀子と泊まり歩いていることを知ったら、母は蒼くなって怒るに違いなかった。復員して間もない頃、「どんなことがあっても、真あちゃんだけは近づけないでおくれ」と言われて、「だれが父なし児を産んだ女なんか」と私が断言すると、

「お前のお嫁さんだけは、私にまかせておくれよ」

母はくどいほど念を押した。

私よりひと廻り上の兄は、戦争中、中国へ渡って、現地で水商売上がりの子持ち女と勝手に結婚した。六人の姉たちもすべて恋愛結婚だった。

私は軀の関係があることを隠して、タイピストと婦人記者をそれとなく別々に、母に引き合わせた。母がどちらかを気に入ったら、その女と結婚してもいいと思って答えを待ったのだが、「ほかに付き合っている娘さんはいないのかい?」

それならそれで仕方がないと、半分は口実が出来たつもりになってもいた。

そのくせ私は、真紀子に逢うと二人の女のことを誇張して語り、

「どっちの女にしようかな」

わざと嘯(うそぶ)いてみた。しかし、真紀子は薄笑いを浮かべて一向に動じなかった。

「ばかねえ、信ちゃんは。いまから結婚してどうするのよ。もっと独身を愉しまなくちゃあ」

「お前は何人と愉しんだんだい」

「まだ言ってる。二人だけだとあれほど言ったのに」

「逢わせろよ、その二人に」

「逢ってどうするの?」

訊き返されて私は詰まった。再会して四か月、もう二十回近く夜を重ねながら、まだ前の男の癖を消すことができなかった。

「どんな男か、ちょっと見たいだけさ」

「残念ね。邦男とはあれっきりだし、もう一人のほうともすっかり手を切っちゃったし」

「棄てたのか。それとも……」

「さあ、どっちでしょう」

「その男とは、どれくらい続いたんだ」

「そうね、二年ぐらいだったかしら」

近所に住んでいる特攻隊崩れの歳下の青年で、「闇ブローカーをやっているが、気性のさっぱりした人だった」と真紀子は語った。

「二年も続いて、よく妊娠しなかったな」

「志郎のときで懲りているもの、その点はちゃんと……」

そう言われて、自分たちの間では一度もちゃんとしていなかったことにはじめて気づいたが、そんな私の表情を素早く読み取ったらしく、

「心配しなくてもいいわよ。もし出来たら私が一人で始末するから」

真紀子があっさり言ってのけたので、私は余計、気がかりになった。

「お前、まさか――」

「やだな、信ちゃんは。大丈夫だってば」

「そのときは、はっきり言ってくれ。俺だって堕ろす費用ぐらいは工面するから」

「私、黙ってて、産んじゃおうかな」

「ばか、これ以上、父なし児をつくって、どうするんだ」

「いいのよ、どうぜ貰い手のない軀だもの。何よ、その怕(こわ)い顔、冗談よ、冗談だってば」

私の膝に手をかけて笑った。声に出して、さもおかしそうに笑いながら、しかし、目だけがかすかに濡れていた。

 

● 七

 

社の近くにある喫茶店『レオ』の入り口で、私は思わず息をのんだ。

隅の席に腰かけた真紀子が、和服姿だったからだ。白地に、錆朱(さびしゅ)色をしたよろけ縞のお召で、それが真紀子を上品な若奥様風に見せていた。髪をアップにした襟許に新鮮な色気があった。

ひと頃の復員服やモンペ姿こそ影をひそめたものの、ギャバジンの背広を着た男は闇屋かやくざ、裾の長い派手な色のスカートをはいた女は進駐軍相手とまず相場はきまっていて、きちんとした和服姿の女なぞ、滅多に見かけることがなかった。まして真紀子に逢うのは三か月ぶりであった。

「どうしたんだ、自分から当分逢わないと言ったくせに、急に電話をかけてきて」

ちょっと照れ臭そうな表情を見せてから、

「お願いがあるの」

真紀子が呟くように言ったので、私はとっさに身構えた。金か。まさか結婚してくれと言うのではあるまい。ともあれ、女がこんな口調で頼むのは、ろくなことではなかった。

コーヒーを運んできた看板娘の春枝が、戻りしなに鋭い一瞥(いちべつ)を真紀子へ投げた。敵意に近いその目の色に、私は軽い狼狽を覚えた。たった一度だが、他の客がいなかったときに、手相を見てやると言って春枝の手を握ったことがあった。それ以来、春枝は母親の目をかすめて、ときどきコーヒーを只(ただ)で飲ませてくれた。

「頼みって、何だい?」

コーヒーをひと口啜(すす)ってから促すと、

「実は志郎のことなの」

待ちかねていたように真紀子が真剣な表情になった。

「志郎君がどうかしたのか」

「あの子の父親が――邦男が突然やってきたの」

私には全く予想外のことだった。

「そりゃあ、いつか志郎にも本当のことを打ち明けなければならないと思っていたけど、まだ小学校へ上がったばかりでしょう。あの子は私を姉だと信じきっているのよ」

邦男が大きな果物籠を提げて不意に訪ねてきたのは一昨日の朝、志郎の登校直後だった――と真紀子は話しはじめた。

「最初は、横浜の知人に用があって、と言ってたけど、結局は志郎に逢うのが目的でやってきたと判って、母も私も呆れてしまったの。あの人が出征するとき、産まれる児はうちで引き取ることに話はついていたけど、無事に南方から還ってきたくせにこの五年間、葉書一本寄越さなかったのよ。あんまり虫がいいんで、すぐ帰って頂戴って、私、思わず怒鳴っちまったの」

しかし、邦男は真紀子の前に両手をつい.て、一目でいいから、と白髪の目立つ頭を垂れた。今更、こんなことを言えた義理でないことはよく判っているが、去年、腎臓を患ってから仕事ばかりか、何をするのも物憂くなった、まだ老いこむ齢ではないと自分を叱り、周囲にもすすめられて、あちこちへ旅行もしてみたが、美しい風景を見れば見るほど虚しさが募り、とうとう思いきってやってきた、むろん、父子の名乗りをあげるつもりはない、いや、許して貰えないことは覚悟している、ただ一目だけでいい、どうか助けると思って逢わせてはくれまいか――邦男はそう言って、畳に額をすりつけたというのである。

「泣き言を聞いているうちに、私、ますます腹が立って――そりゃ確かに志郎はあの人の子よ。だけど、自分の気持の衰えを救うために逢いたいなんて、私、絶対に許せないわ」

「なかなか正直な人なんだね」

「正直? 冗談じゃないわ。あんまり図々しいんで、果物の籠ごと追い帰したんだけど、志郎に逢えるまで横浜に滞在するというの」

「滞在? 厚木に住んでいるんだろ?」

「それが二年ほど前に、厚木から郷里へ戻ったんですって。信ちゃん、一体、どうしたらいい?」

「逢わせてやりなよ。志郎君に逢ったからといって、まさか、つまらんことを言い出しはしないだろう」

「母もね、遅かれ早かれ判ることだし、あんなに頼んでいるんだから、それとなく姿だけでも見せてやったらと言うんだけど」

「その通りだよ」

口ではそう言いながら、独身の私にはやはり邦男の気持が理解できなかった。己れの腹を痛めた女なら兎も角、男は、たとえそれが間違いなくわが児とわかっていても、一度も逢ったことのない子供に果たして愛情が湧くものなのだろうか。

「邦男さんには、他に子供はいないの?」

「いるわよ。千代子という、志郎より四つほど上の娘が。私、女学校時代にはよく千(ち)いちゃんをおぶって、子守をしてやったわ」

ますます邦男の気持がわからなくなった。いくら病気になったからといって、娘がいれば沢山じゃないか。なぜ邦男は、忌わしい過去に自ら首を突っこむような真似をするのだろう。それとも娘だけでは将来が心細くなったのだろうか。

ハンドバッグから煙草を取り出しながら、「本当に、ばかにしているわ」と真紀子が呟いた。ライターの火をつけてやると、一服吸ってから左手に持ち替え、右手のお指(おやゆび)と薬指で、唇についた葉屑をつまんだ。その指先が心なしか、顫(ふる)えているように見えた。私も新しい煙草に火をつけた。うかつに何も言えなかった。

真紀子は窓のほうへ目を向けて、せわしなく煙草をふかしていたが、「やっぱり、いや」そして、吃(き)ッとした顔を私に向け直すと、

「逢わせない、絶対に逢わせるもんですか」

煙草の火を灰皿のへりで摺り潰すように消した。

「それほどいやなら仕方がない。だが」

「だが――何よ」

「邦男さんがそんなに憎いか。やっぱり怨んでいるんだな」

「違うわ。志郎を妊娠したことは私にも半分責任があったんだから、その点はけっして怨んでなんか、いないわ」

「じゃ、どうしてこだわるんだ」

「信ちゃんこそ、なぜ、邦男の肩を持つのよ」

「肩を?」つい苦笑した私を、真紀子は睨むように見据えてきたが、その目から不意に涙がこぼれ落ちた。私はあわてて周囲を見廻した。幸い、いつも屯(たむろ)している社の連中はいなかった。春枝もカウンターの中で、こちらに背を向けていた。

真紀子が再び窓のほうへ目をそらして言った。

「私ってよくよくばかなのね。産みたくない子を産んで今頃悩むなんて。こんなことなら、産みたかった子を産んでしまえばよかったわ」

「産みたかった子?」

鸚鵡(おうむ)返しに呟いてから、冗談よと笑いながら目だけが濡れていたことを思い出した。暫く逢うのをよしましょうと真紀子が突然言い出し、いくら訊いてもその理由を言わなかったのは、それから間もなくであった。そのわけが、はじめて判った。

「――そうだったのか」

私は柄にもなく粛然(しゅくぜん)とした気持になった。

「ご免なさい。こんな処で泣いたりして」

「いや、謝るのは俺のほうだ」

コンパクトを取り出しながら真紀子が訊いた。

「信ちゃん、きょう一日だけ、私と夫婦になってくれる?」

「――?」

「これから一緒に邦男の泊まっている宿屋へ行って欲しいの。何も言わないで、そばに居てくれるだけでいいの」

「判った。上衣をとってくるかち、ここで待っていてくれ」

それくらいの役目は当然かも知れなかった。それに邦男という男をわが目で確かめてもおきたかった。

 

● 八

 

邦男の泊まっている旅館は、掃部(かもん)山へ登る紅葉坂のなかほどにあった。家並みの切れ目から覗くと、野毛の繁華街が一斉に灯をともしはじめていた。

女中に教わった二階の隅の部屋に、真紀子が先に立って入って行くと、置床の前で、瀬戸の火鉢のへりに肘をついていた男が、皺の目立つ顔を挙げ、その面にさっと喜色を走らせた。

――こんな男か。

私はいささか拍子抜けした。小づくりで、貧相な中年男だった。横浜にくる電車のなかで、「およそ見だてのない男よ」と、真紀子も弁解するように言ったが、想像以上に見栄えのしない邦男を目の前にして、何かはぐらかされたような気持だった。

若い男が次々に出征して、不具者か老人しか残っていなかった時代とはいえ、二十歳前の真紀子がなぜこんな男に軀を許してしまったのか、改めて腹も立ってきた。

真紀子は会釈もせず、裾を蹴るように畳を踏んで、火鉢に膝をぶつけんばかりに坐ると、

「志郎のことは、やっぱり諦めて貰うわ」

その高飛車な口調に、私のほうがはっとした。

「いいわね。私が生きている間は、絶対に逢わせないわよ」

邦男が少時、ぽかんとしたように真紀子を眺めた。白髪のまじった頭に、黒ずんだ両耳だけがばかに大きかった。それが、色の褪せた背広や結び目の大きなネクタイとともに、ちんまりした顔をよけい、貧相に見せていた。部屋の隅には、角の擦(す)れたトランクと果物籠が置いてあった。籠の編み目からのぞいた赤や黄の色が、部屋の空気にそぐわなかった。

私は閾際(しきいぎわ)に胡坐(あぐら)をかいて、煙草をふかしつづけた。口の挾みようがなかった。

「一目でいいんだけど」

やっと嗄(かす)れた声で邦男が言いかけたが、

「いいえ、ダメ」裁ち切るようにさえぎり、「いつまで此処にいても無駄よ。さっさと郷里へ帰って頂戴」

そして私のほうに振り向くと、

「あなた、私にも一本、くださいな」

わざと媚びるように真紀子は言った。煙草の箱を畳に滑らせながら、少し非道くはないか、と私は目でたしなめたが、真紀子は鼻の先に小さな皺を寄せ、二、三服吸って大きく煙を吐き出すと、

「じゃ、私たち、これで帰るわ」

吸いかけを火鉢に差して立ち上がった。その膝に、怺(こら)え切れなくなったように邦男が手を伸ばした。

「待ってくれ、真あちゃん」

「よしてよ」真紀子は、さもきたならしそうにその手を払った。「真あちゃんなんて、気易く呼ばないで頂戴」

がっくりと邦男が項垂(うなだ)れた。私はついにひと言も口をきかなかった。男と女とは、子供まで成した仲でも、別れて歳月がたつとこんな風になってしまうものなのか。

廊下へ出てから、いいのかい? 確かめるようにまた目で訊いたが、

「まだ、言い足りないくらいよ」

そのくせ真紀子は、階段の降り口までくると、

「信ちゃん、先に降りて」

怖気づいたように後ずさった。やっぱり辛かったのだな。私は、はじめて真紀子の本心に触れたような気がした。三段ほど降りて振り仰ぐと、真紀子はまだ踊り場に立ち竦(すく)んでいた。薄暗いので、顔が一層、白っぽく見えた。

「さあ」

手を伸ばすと、やっとその手にすがって降りはじめたが、必要以上に私の指をきつく握り、探るようにそっとおろす白足袋の先が、あきらかに顫(ふる)えていた。

 

● 九

 

結婚式が一週間後に迫った夜であった。

勤めの帰りに横浜の真紀子の家へ廻って当日の打ち合わせをすませ、その頃住んでいた都下神代(じんだい)村の都営住宅に戻ったのは、もう午前零時近かった。夕方から出てきたかなり強い風が、そばにある雑木林の梢を鳴らしていた。

建てつけの悪い玄関の戸を開けると、待ちかねていたように出てきた母が、いきなり細長い紙片をつきつけた。電報であった。

三和土でそれを受けとり、部屋から洩れてくる電燈の光にかざした。

『ケサ六ジ タケオシス ミツエ』

黙って電報を返すと、

「式は延ばすんだろうね」

決めつけるように母が言った。

「いや、予定通りやるよ」

靴を脱ぎながら私は低い声で答えた。

「冗談じゃない。死んだんだよ、お前のたった一人の兄さんが」

框(かまち)に上がり、母を見おろして、「予定はかえない」と私は言いきった。

「そんな――」

絶句する母のわきをすり抜けて六畳に入ると、手早く寝間着に着替え、上から亡父の形見の半纏(はんてん)を羽織った。風が渡ってゆくのか、窓際の松の枝先が雨戸に触れる音が聞こえた。母の視線を背中に感じながら机の前に胡坐(あぐら)をかき、わざと意地の悪い口調で私は言った。

「どうせ俺の式には出ないんだから、あしたの朝、岡山へ発てよ」

「いかないよ。健雄(たけお)は父さんの葬式にさえ来なかったんだから」

「しかし、何と言ったって、あんたの長男じゃないか」

私は本立てからノートを抜いた。ノートには披露宴での挨拶の下書が記してあった。

〈……本来なら母か姉がご挨拶するところですが、事情がありまして本日は私の肉親は誰も出席しておりません。そこで私からひと言、ご挨拶させていただきます〉

私は口の中で、しかし、充分に抑揚をつけて練習した。当日、淀みなく口にして、少しもアガっていない自分を出席者に示したかった。

「お前、ご飯は?」母が襖越しに訊いた。

「弘明寺で済ませてきた」素ッ気なく答えた。

少したつと、母が仏壇の鉦(かね)を鳴らす音が聞こえ、つづいてお経を読みはじめた。私はノートを閉じて、わざと眉をしかめた。

母の読経は、戦前からの日課だった。少年の頃から耳にしていたので、「無上甚深微妙ノ法ハ」で始まる開経(かいきょうげ)や、「唱ヘ奉ル妙法ハ是三世諸仏所証ノ境界……」の運想(うんそう)などは、私もいつかその大半をそらんじていた。しかし、その夜の母の読経は、明らかに私への聞こえよがしであった。いつもより声が大きかったし、その日の勤行(ごんぎょう)はとっくに終わっているはずであった。

――この夜更けに、そらぞらしいからよせよ。

もう少しで出かかった言葉を私は喉で殺した。

長男を喪った夜、熱心な日蓮宗の信者である母親が、いつもより大きな声でお経をあげるのは、むしろ、当然であった。世間の常識から言ったら、兄の死を知りながら、結婚式を延ばすどころか、披露宴での挨拶の練習をしている私のほうが余程どうかしていることになるだろう。しかし、母には黙っていたが、式を予定通りに挙げることは、兄の希望でもあった。

その三か月前、私は神戸に住んでいる長姉の万起(まき)と、岡山県の早島町にある国立結核療養所に兄を見舞った。兄は中国から引き揚げて来て以来、脊髄カリエスで殆ど寝たきりであつた。痩せ細って、顔も手足も骨の形がはっきり判る兄をひと目見たとき、もう長くはないな、と私は思った。兄自身も、「時間の問題らしいよ」と他人事のような口調で淡々と病状を説明した。

帰り際に私は、秋に真紀子と結婚することを手短に告げ、傍らから姉が、

「ばかだよ、この子は。お前と同じように瘤(こぶ)つきの女と一緒になるんだってさ」

と、つけ加えた。兄は落ち窪んだ目でしばらく私を見上げていたが、

「俺が死んでも、式を延ばすんじゃないぞ」

れた声で言い、

「お前と一度ゆっくり語りたかったな」

そう言い足すと、もう目を開けているのさえ大儀なのか、静かに瞼(まぶた)をとじた。気のせいか、その瞼がかすかに痙攣しているようであった。

兄は中学を卒(お)える頃からグレて、徴兵検査を受ける前に二度も心中未遂騒ぎを起こした。最初は伊豆・伊東の温泉旅館、二度目は向島の待合でだった。相手はどちらもカフェーの女給で、生命に別状はなかったものの、赤新聞に大きく書き立てられたため、父は区会議員を辞めざるを得なくなったし、兄のすぐ上の姉の縁談も破談になった。

「健雄がグレたのは、父さんが甘やかしすぎたからだ」と言うのが母の口癖で、そのせいか、私は小さい頃からきびしく躾けられた。母の膝のわきには、いつも二尺差しが置いてあって、私がちょっとでも口答えをしたり、食物の好き嫌いを言ったりすると、それが容赦なく腿(もも)に飛んできた。

お灸もよく据えられた。「子供を産むたびに肥った」と母はしばしば嘆いていたが、私が小学生の頃、すでに七十キロを超え、そのうえ髪を俗に二〇三高地と呼ぶ形に結っていたので、いかにも大々(だいだい)としていた。その軀で母は私の背中に馬乗りになると、右手の拇指の爪にもぐさを載せて、線香の火をつけた。

「ご免なさい、もう絶対に我儘を言いません」と私に幾度も誓わせた末に、母はようやく釈放してくれたが、そのとき必ず、「お前だけは健雄のようにならないでおくれ」とつけ加えた。

齢がはなれていたし、私が物心ついた頃は殆ど家に寄りつかなかったので、兄とは言葉をかわす機会が滅多になかった。尤も兄は、ごくたまに顔をあわせても、「元気か」「勉強しているか」などとお座なりの言葉をかけてくるくらいだった。私のほうも黙ってうなずくだけで、自分から親しもうとはしなかった。

「男はなまじっか綺麗に生まれると碌(ろく)なものにならない」と母が嘆いていたのを私は覚えている。弟の私の目からみても兄はなかなかの好男子で、ひと頃、家にかかってくる電話の半分は、女からの呼び出しであった。

「女からの電話は絶対に健雄に取り次ぐんじゃないよ。すぐ切っておしまい」

母が姉たちに言いきかせていたことも私は記憶している。一度だけ、電話に出た私は、日頃の言いつけをつい忘れて、「兄さーん」と二階にいる健雄を呼び、あとで母からこっぴどく叱られたことがある。そのときも母は、「お前だけは女で身を持ち崩さないでおくれ」と意見するのを忘れなかった。

兄のようになるなと耳にタコができるほど言いきかされて育ったその私が、まるで兄の真似をするように子持ちの女と結婚することになったのだから、母にとってはこれほど無念なことはないだろう。式には出ないと言い張る母の気持が、私にもわからぬではなかった。が・私の心のなかには、母への反抗など微塵もなかった。結婚が兄のそれと同じバターンになったのは、あくまでも偶然であった。

しかし、真紀子との結婚を心に決めたとき、兄はどんな気持で嫂(あによめ)の光江と一緒になったのだろうと、急にそれが知りたくなり、すると、日頃は自分のことにばかりかまけて忘れ捨てにしていた兄の病状が、にわかに気になり出したのだった。

――やっぱり生きているうちに語り合えばよかった。

ようやく兄を悼(いた)む気持が胸にひろがりはじめたが、とにかく式がすむまで真紀子の家には兄の死を隠しておこう、と私は自分に言いきかせた。

隣の部屋では母の読経がまだつづいていた。

 

● 十

 

私が真紀子との結婚を本気で考えるようになったのは、二人で紅葉坂の旅館に邦男を訪ねた夜からであった。

あの日、旅館を出てから私たちは、肩をくっつけて野毛の人ごみを暫く歩いたが、殆ど口をきかなかった。真紀子はまだ顔をこわばらせ、私も何かに追われているような気持だった。

「あんな男で軽蔑した?」

真紀子が呟くように訊いたのは、歩き疲れて、横丁の小さな喫茶店の隅に腰をおろしたときであった。

「少しな」私は正直に答えた。

志郎に逢わせなかったことがいいか悪いか、むろん、私には判らなかった。しかし、邦男がもし堂々たる恰幅(かっぷく)の中年男で押しも強く、「何と言っても俺は志郎の父親なんだ」と言い張ったら、真紀子も私も拒み切れなかったに違いない。いや、私が邦男だったら、真紀子の許しなぞ求めずに近所の小学校へ出向いて、じかに志郎を捜し出しているだろう。

「若いって、しようがないわね。どうして、あんな男に惹かれたのかしら」

「今更、お前らしくもないぞ」

「あの人、諦めて田舎へ帰ってくれるかしら」

「多分……。それより、俺にも志郎君を逢わせないつもりか」

あら、というように私を見詰め、ひと呼吸してから、薄笑いを浮かべた。

「無理しなくてもいいのよ」

「どんな坊やか、俺も逢ってみたいんだ。これから一緒に弘明寺へ行こうか。久し振りに照江おばさんにも逢いたいし……」

真紀子の目が私の気持を測りかねていた。

「俺と付きあっていること、話してないのか」

「この間、バレちゃった。――ううん、バレたんじゃないの。自分から白状しちゃったの。だって、堕ろすお金、足りなくて母から借りなければならなかったもんだから」

「幾ら、かかったんだ。俺も半分ぐらい、負担するよ」

「いいのよ、もう。それより……」

ちょっと言い淀んでいたが、

「私たち、今夜は夫婦なんでしょ。あと二、三時間、夫の役を続けてくれる?」

急に挑むような目を向けてきた。

一時間後、旅館の牀の中で私は訊いた。

「一体、どうしたんだ」

「何が」下で真紀子が薄目をあけた。

「何がって――」三か月前まで、そのたびに私を口惜しがらせ悩ませて、ついに消すことのできなかった癖が、まるで嘘のようになくなっていた。信じられない変化だった。今度は私が言う番だった。

「無理しなくたっていいんだぜ」

「無理?」真紀子が目をはっきりとあけ、私の腰へ両腕をまわし直した。

「ね、私、ダメになっちゃった?」

「全然、別のひとみたいなんだ」

「……手術したせいかしら」

もしそうなら、私にとっては禍い転じて福となったことになる。が、そんなことが有り得るだろうか。たしかめるつもりで再び胸を貼りあわせ、こちらのリードによって乱れはじめた真紀子の息づかいに、私は初めて自信らしいものを持つことができた。ほどなく真紀子の軀が、絶え間なく顫え出した。

「おい、待てよ」

「いや、待てない。ね、ね、お願い」

背中に喰いこむ爪の痛さが自信を裏づけ、歪んだり開いたりする真紀子の眉を、目のはじで愉しんだ。三か月前には一度も持てなかった余裕であった。不意に痙攣が熄(や)んだ。同時に弓なりになった。私は慌ててその口に掌で蓋をしたが、真紀子は顔を振ってそれを払い、笛のような声を挙げた。

私に頬を敲(たた)かれてやっと醒めると、「きらいッ」真紀子は額をこちらの胸に揉(も)みこんできた。

「はじめてよ、こんなの……」

「俺とは、だろ」

それには答えず、お水がほしいと呟いた。枕許の水差しからひと口含んで口移しに飲ませてやると、閉じた目尻に涙が滲んでいた。

「ところで俺のほうはどうしてくれるんだ」

「あら」

「こっちこそ、あら、さ」

暫くたってから私は、真紀子の耳許で、もういいよ、と囁いた。

「信ちゃんこそ、いつもと違うじゃない。どうしたの?」

「判らない」

半分は判っていた。目と鼻の先の旅館にいる邦男のことが、やはり頭の隅から去らなかった。もし私が付いていかなければ、邦男はあの程度で引き下がりはしなかったろう。真紀子も自信がなかったから、私に介添えを頼んだに違いない。きょうは何とか切り抜けることができたが、志郎がいる限り、いつまた蒸し返されるかわからないし、生涯、邦男とは縁が切れないかもしれない。

片脚を真紀子の腿の上に残したまま、腹這いになって枕許の煙草に手を伸ばすと、

「私にも一服吸わせてね」

私の脛(すね)をゆっくり撫でながら貞紀子が甘え声で言った。二人の吐く煙が、スタンドの笠のまわりにたゆたった。それを見ているうちに、房中の煙草を教わってから、真紀子にそれを教えた男によけい嫉妬を覚え、何とか太刀打ちしようと躍起になって、「まるで蒸気機関車ね」とからかわれたことを思い出した。

「もう一人の、特攻隊崩れとかいう男にも逢ってみたいな」

「当分、無理ね」

「なぜ?」

脛を撫でていた手をとめて、真紀子が蓮ッ葉な口調で言った。

「趣味が悪いぞ」

「悪くてもいい。お前の過去を洗いざらい、知っておきたいんだ」

「なぜ」今度は真紀子が訊き返した。私は軀の向きをかえて、真紀子の目のなかを覗きこんだ。真紀子も少時、見詰め返してきたが、顔ごとそらすと、

「信ちゃんって、案外、センチなのね」

「センチで悪いか」

「夫婦ごっこは、きょうだけでいいの」

自分に言いきかせるような口調だった。

「俺じゃ喰い足りねえっていうわけか」

「違うわ、でも――」

「でも、なんだ」

「私ね」一旦、言葉を切って、あとは投げ出すように言った。「強盗の情婦だったのよ」

咄嗟(とっさ)に意味が嚥(の)みこめず、次の言葉を待っていると、天井を見上げたまま真紀子が言った。

「仲間とね、私の知っている家に押しこんだの。そんな男よ。それでも逢いたい?」

嘘や作り話ではなさそうだった。

「……で、つかまっちゃったのか」

「新聞で見て、びっくりしているところに刑事がきて、根掘り葉掘り訊かれたわ。まるで共犯扱いだったわ」

「手引きしたと思われたんだろ」

「その家に二度ばかり、連れて行ったことがあったの。刑事が帰ったあとで、母に箒(ほうき)でイヤッというほど背中をどやされちゃった。母にぶたれたの、あとにも先にも、あのときだけだった」

「二年も付き合ってて、気がつかなかったのか、そんな男と――」

「博打好きで、花札を引いている間、そばで二時間も三時間も待たされたことはあったけど、まさか泥棒とは……。知っていりゃ、とっくに別れていたわよ。警察で聞いたんだけど、闇屋をやりながら、ちょくちょく窃盗も働いていたらしいの。だから刑が重くなって、あと三、四年は出られないんじゃないかしら」

当分逢うのは無理だと言った理由が、ようやく嚥みこめた。

「呆れたでしょ」真紀子は軀ごとこちらへ向き直ると、

「父なし児を産んだうえ、強盗の情婦――どう、イヤになった?」

「よせ、そんな言い方」

「私って、よくよく男を見る目がないのね。もう生涯、男は断とうと思ったわ。きっと、信ちゃんを裏切った罰ね」

引き寄せると、全身で私にすがりつき、声をあげて泣きはじめた。泣きむまで私はその背を撫でつづけた。

 

● 十一

 

長姉の万起(まき)が神戸から夜汽車で上京してきたのは、結婚式の前日であった。

戦後はじめて東京へ出てきた姉は、東京駅から新宿へ向かう国電のなかで、「まだ焼け跡だらけなんだねえ」と幾度も呟き、そのたびに溜息をついたが、神代村の家に着くと、早速、家のなかを見てまわり、

「案外、いい家じゃないか、庭もあるし」

そう言ってから帯締めをほどきはじめた。

一棟二戸建ちの都営住宅は、六畳、四畳半に狭い台所が付いているだけで、ガスも水道もきていなかったが、調布町の戦災者寮で四畳半一間きりの暮らしを四年近くつづけてきた私には、姉のこの感想が素直に胸に沁みた。運よく抽選にあたったことも、結婚への気持を固めさせた一因になっていた。

台所で顔を洗った姉が、伊達締め姿で長火鉢の前に坐り直すと、

「光江さん、何か言ってたかい?」

母が猫板の上の急須に銅壼(どうこ)の湯を注ぎながら訊いた。姉は生返事をしてトランクを引き寄せ、「これ、うちのひとから」と言って瓦煎餅(かわらせんべい)の箱を取り出した。母はすぐ仏壇に供えて鉦(かね)を鳴らしたが、

「お前、健雄の写真を持っていないかね。うちには、こんなのしか無いんだよ」

そう言って仏壇からかわりに出してきたのは、国民服姿の兄のわきに、和服を着た光江が腰かけている写真だった。

「ああ、これ、支那から送ってきたんでしょ。うちにもあったけど、空襲でみんな灰になっちゃったわ」

その写真は、兄が光江の入籍を求めてきた手紙に同封されていたもので、私にも見覚えがあった。

「こんな写真一つで、だれが籍なんか入れるもんか、支那くんだりで女給をやっているような女を」と、母が口ぎたなく罵ったことも覚えていた。

「これ、健雄のところだけ引き伸ばせばいいじゃない」

「そうしようかね」

母はやや暫く膝の上で写真を眺めていたが、急にそれをかたわらに置くと、

「断わっておくけど、私は絶対にあした、出ないからね」

まるで突っかかるような口ぶりであった。

「母さんの気持としちゃあ、無理もないけど」姉がちらっと私を見てから言葉を継いだ。

「でもね、母さん、もう意地を張ってみてもしようがないんじゃないかしら。そりゃ私だって、この子が真あちゃんと一緒になること、まだ反対は反対よ。でも、光江さんが、今度の信の結婚をいちばん喜んでいるのを知って、急に出席する気になったの」

「光江さんが?」

背をこごめて、煙管(キセル)の雁首(がんくび)を炭火に近づけていた母が、その手を途中でとめた。

「本来なら、夫を喪ったあのひとは、それから十日もたたないうちに結婚式をあげようなんていう信を怨んでもいいはずでしょ。そりゃあ健雄が助からないことは、ずっと前から判っていたわ。健雄自身、諦めていたわ。でも、これだけ大勢姉妹がいるのに、あとの者は遠くにいるのをいいことに誰ひとり見舞いに行かず、死んでも駆けつけようともしないなんて――。たしかに健雄はうちの厄介者だったわ。私たちは多かれ少なかれ、健雄に被害を蒙っているわ。だから当然の報いかも知れないけど、私はやっぱり気が咎めて仕方がないの。ところが光江さんは、私たち姉妹の冷たさを怨むどころか、義姉さん、信ちゃんの式にはどうか出てあげてと私に頼んだのよ」

「そりゃお前、義理が言わせた言葉だよ。義理でなけりゃ面(つら)当てだよ」

「母さんには光江さんの気持が……」

「ああ、わからないね。大体、私はあの女が嫌いだよ。健雄があんな風に死んだのも、あの女のせいだよ。子持ちのくせに健雄を言いくるめて籍まで入れちまい、戦争が終わりゃあ、自分と子供たちだけ、さっさと先に引き揚げてきちまって」

「仕方がないでしょ。健雄が同姓同名の戦犯と間違えられて抑留されてしまったんだから。そんなことを言うなら、健雄がうちにいられず、支那へ渡ったのは誰のせいなのよ」

「おや、私が追い出したとでも言うのかい」

母が気色ばんだ。煙管に刻み煙草をつめる指先が顫えていた。

「母さんがもう少し愛情をかけてやれば――」

「冗談じゃないよ。お前はあの頃、もう嫁に行ってて何も知らないから、そんなことを言うんだよ。健雄はね、父さんが倒れてよいよいになったら、もう利用価値がないもんだから、見捨てて支那へ行っちまったのさ」

「健雄が飛び出したのは、母さんが働きのない父さんを邪慳(じゃけん)にするのを見ていられなくなったからよ。健雄はうちに寄って、目に涙を溜めながらそう言ってたわ」

「フン、見ていられないからと言って逃げ出すなんて、それだけ薄情な証拠じゃないか。そんな長男がどこにいるもんか」

思わぬ方向へそれて行く母と姉のいさかいに居たたまれず、私はそっと立って台所へ行った。水を飲もうとして隅の水甕(みずがめ)の蓋をとり、汲み置きの水が少なくなっているのに気づくと、空バケツを両手にさげて外へ出た。

都営住宅に移ってきてから、毎朝、二十メートルほどはなれたところにある共同井戸でバケツに三杯水を汲んで家に運びこむのが、出勤前の日課になっていた。休みの日は、近くの雑木林へ枯枝を拾いに行ったり、薪を割ったりした。

母は結婚式に出るのは拒みながら、真紀子との同居には、はっきりと反対はしなかった。もし全面的に反対して私に家を飛び出されたら、水汲みも薪割りもすべて自分でしなければならなくなるからだった。まだ六十前だったが、八人も子供を産んだせいか、母はちょっとした力仕事にもすぐ息を切らし、節々の痛みや体の不調を三日にあげず私に訴えた。周囲の反対を覚悟で私が結婚を急いだのは、一つにはそんな母を見かねたからでもあった。

「よしておくれ。真あちゃんを嫁に貰うくらいなら、私は台所を這いずったって、お前に不自由な思いはさせないよ」

結婚話を切り出したとき、母は血相をかえて、きっぱりと言いきった。だが、大がかりな汚職事件が起こって泊まりこみの取材がつづき、私が四日ぶりに帰宅すると、台所の流しには汚れた皿小鉢がそのまま重ねられ、甕のなかはカラになっていた。薪も乏しくなっていた。

「八人も子を育てながら、この齢になって井戸通いをしなくちゃならないなんて、あんまり情けなくて私は涙も出ないよ」

そんな母の嘆きから思いついて、その後、仕事がさして忙しくもないのに、私はときどき社に泊まった。案の定、母は、私が折りに触れて持ち出す真紀子との結婚に、徐々に態度をやわらげ出した。

「あの娘は一人で我儘(わがまま)一杯に育てられたんだよ。それに町場育ちだもの、こんな不自由な生活、三日と辛抱できやしないよ」

母がそう言ったとき、私は腹のなかでニンマリしながら答えた。

「大丈夫、あいつは引け目があるから、どんな辛抱もするよ。結婚してやれば一生感謝して、母さんにも俺にも、身を粉にして尽くしてくれるに違いないよ」

すでに真紀子からも、「信ちゃんが本当に結婚してくれるなら、どんなに辛くても、必ず堪えてみせる」という言質(げんち)をとってあった。

私は改めて真紀子の家へ結婚を申し込みに行き、「志郎君も引き取らせてくれ」と申し入れたが、

「この子まで連れて行かないでください。これからは、この子の成長が私どもの生き甲斐なんですから」

真紀子の両親から逆にこもごも頼まれて、内心、吻(ほつ)とした。

母にも真紀子にも、真紀子の両親にも恩に着せて結婚しようとする俺は、兄貴よりよっぽどずるいのかも知れない。

共同井戸のポンブを漕ぎながら胸のなかで呟き、出来るだけ早い機会に真紀子を嫂の光江に引き逢わせてやろうと思った。光江が万起に出席をすすめたのは、私のためというよりも、同じ過去を持つ真紀子への思いやりに違いなかった。

 

● 十二

 

明け方から降り出した雨の中を、先輩に借りたモーニングコートの箱を抱えて出社した。夕刊一版の締切り直前で、編集局内はざわついていた。

「お、出てきたな、花聟(はなむこ)。お前さんにちょうど打ってつけの仕事があるんだ」

次長(デスク)が冗談とも本気ともつかぬ口調で言った。

「何です?」

「きょうは大安で、どこの結婚式場も大繁昌だそうだ。三つ四つ、有名な式場に電話をかけて、その様子を訊いてみてくれ。二版に入れるから」

原稿を書いていた同僚たちが鉛筆の手をとめて、私の反応を愉しむように一斉にニヤニヤした顔を向けてきた。

覚悟をしてきたので、私は軽く手を挙げてそれに応え、箱を机の隅に載せると交換台に、都内の有名式場に片っぱしから電話をかけてくれと頼んだ。

「誰か、カメラを連れて飯田橋の大神宮へ行ってくれ。写真だけでいいぞ。記事のほうはこの花が実感をこめて書くから」

デスクが言うと、同僚の一人が立ち上がりながら答えた。

「何もこの雨の中をわざわざ出かけて行くことはないと思いますがね。ここにちゃんとモデルがいるんですから」

「駄目だよ。こいつのは午後なんだから」

デスクが私のほうに向き直って、「おい、それとも繰り上げて午前中にやるか」と、からかった。

「お前、そのほうがいいぞ。新聞に大きく写真が出りゃ、あっちこっちに言い訳が立つんじゃないか」

「いや、逆効果かも知れんぞ。よくも騙したわねと社に押しかけてくる女が現われるんじゃないかな」

同僚たちの軽口を聞き流して窓越しに雨脚を眺め、恐らく母は出てこないだろう、と私は胸で呟いた。前の晩、おそくまで万起が口説いたが、母はどうしてもウンと言わず、朝も私と目があうのを避けつづけた。

「あとは私にまかせておき。何とか説得してみるから」

姉に言われで早目に家を出た私は、式場の教会に寄ってモーニングの箱を預けるつもりだったが、午前中はミサをやっているという牧師の言葉を思い出して、真っすぐ出社したのだった。

教会を選んだのは、先輩の一人に、経費がいちばん安上がりだと教えられたからに他ならなかった。

一か月前、真紀子と一緒に、社から二町ほど離れたところにある小さな町教会へ頼みに行くと、応対に出た白髪の牧師は気さくに引き受けてくれ、謝礼の額をたずねると、「おぼしめしで結構です」と微笑した。真紀子と顔を見合わせ、ちょっとためらってから、「でも、相場が」私が言いかけると、老牧師はもう一度頬(ほほ)笑んだ。

「聖歌隊のみなさんにお茶代でも出してくだされば、それでいいんですよ。それよりも当日ご出席のみなさんに斉唱していただくので、これを覚えておいてください」

賛美歌集を開いて、『いもせをちぎる いえのうち』という歌を示した。抜き書きしてきたそれを三日ほど後、社の謄写版で刷って同僚たちに配ると、

「お前が教会で? おい、気はたしかか」

「まさに神をおそれざる所業だな」

口々にそう言って、誰もが呆れはてたといわんばかりの顔をした。

元々、私には式を挙げる気なぞ破片(かけら)ほどもなかったのだが、

「お前みたいな女蕩(た)らしに、結婚しますと話だけ聞かされたって、誰が信用するものか。社から結婚資金や扶養家族手当を貰いたかったら、ちゃんと式を挙げるんだな」

部長から冗談まじりに釘をさされたばかりでなく、照江からも、

「真紀子を貰ってくれるだけで有難いとは思っているけど、もし信ちゃんがいやでなかったら、あれの花嫁姿をせめて写真にだけでも……」

と頼まれれば、それでもなお、「形式なんか」と言い張るわけにはいかなかった。

「お前、花嫁衣裳を着てみたいか」

数日後、旅館の牀の中で事後の甘い疲労に浸りながら、真紀子に訊いた。

「そりゃ私だって女だもの……」

スタンドの淡い光の中で真紀子は、チラッと私の表情をうかがった。

「じゃ、思いきって式をやるか」

「本当!?」

途端に真紀子は目を輝かせたが、

「いいのよ、式なんて。第一、そんな余裕、ないんでしょ。私だって一銭も貯金がないのよ」

「社から支度金が出るんだ。それで賄える範囲内で、簡単にやろう。俺は手品師みたいな恰好(かっこう)するの、考えただけでもうんざりだが、お前のために……いや、照江おばさんを安心させてやりたいんだ」

真紀子が珍しいものを見るような目をした。

「そのかわり、約束して貰いたいことがあるんだ」

「多分、そんなことだろうと思ったわ。言わなくてもわかっているわよ」

「へーえ、こりゃ驚いた。じゃあ、お前、言ってみろよ」

「結婚しても女遊びはやめない、大目にみろ――そう言いたいんでしょ」

「違う、全然、違うな」

「じや、何よ」

「生涯、子供をつくらないこと。それを約束して欲しいんだ」

真紀子が不思議そうな顔をした。私はわざと抑揚を殺した声で言った。

「お前と結婚すれば、血は繋がっていなくても、志郎君は俺の子も同様だ。子供はあの子だけで充分じゃないか。それにもし、おばさんが死んだら、いやでも志郎君を引きとらねばならない。そのとき、俺たちの間に子供がいたら、その子と志郎君を分けへだてなく可愛がることができるだろうか」

真紀子は目を伏せて、唇のはじをピクピクさせた。私は、真紀子へというよりも、私自身に言いきかせるように言葉を継いだ。

「同じ腹を痛めた子を分けへだてするわけがない、とお前は言いたいんだろう。だが、うちのお袋をみていると、ちょっと信じられないんだ。同じ父親の子供でも、可愛い子とあまり可愛くない子がいるらしい。まして父親が違えば……。いや、お前は兎も角、俺は駄目だ。自分の子を可愛がるように志郎君を可愛がることなんか、とても出来ない。可愛がるとすれば、意識して、努力して、そうするしかないだろう。そんな俺を見ているうちに、お前も志郎君も負担を感じて、それがしまいには俺たちの仲までこじらせてしまうに違いない。だから志郎君のためというより、俺たちのために生涯、子供は諦めてくれ」

喋りながら私は、一種の悲壮感を味わっていた。正直なところ、まだ子供なぞ欲しくなかったにすぎないのだが、あからさまにそれを言うことが出来ず、屁理屈を言っているうちに自分で自分の言葉に酔いはじめていたのだった。

真紀子は暫く黙っていたが、私を掬(すく)うように見て、

「ね、どうしても、駄目?」

怯々(おずおず)と訊いた。私がうなずくと、また目を伏せて前よりも長い間、沈黙していたが、

「女の子が欲しいんだけどなあ」

語尾を引っぱって歌うように言ってから、「仕方がない、諦めるわ。そのかわり――」

「何だ、そっちにも註文があるのか」

「よそに子供をつくったら承知しないから」

言うなり全身で武者ぶりついてきた。

 

● 十三

 

『花嫁ラッシュ』という大きな見出しで、私がまとめた記事の載った夕刊二版の大刷りが上がってきた頃、ちょうど雨もやんだ。

「ご苦労さん、もういいよ。仕度があるんだろ」

デスクの言葉に席をはなれて、モーニングの箱を抱えた。

「覚悟していろよ。スピーチでこれまでの悪事をみんなバラしてやるからな」

「今のうちに買収しておいたほうが、いいんじゃないか。相談に乗るぜ」

同僚たちの揶揄(やゆ)を背に社の建物を出て、『レオ』の扉を押すと、同期の中でいちばん親しくしでいる宮部が、春枝と一緒にテーブルを据え直しているところだった。私も箱を置いてすぐその一端を持ち添えた。

「何人だったっけね」据え終えると宮部が、ワイシャツの袖を捲(まく)り直しながら訊いた。

「二十五、六人だと思う」そう答えて私はまた母の頑なな顔を思いうかべた。

「おめでとう。いよいよね」

春枝が綺麗にカールした髪にそっと手をあてて言った。

ありがとう――口の中で言って、心持ち頭を下げた。いくらか後ろめたい気持だった。

結婚を心に決めてから私は、真紀子が東京に出てくると仕事が一段落するまで、わざとこの店で待たせた。案の定、春枝は突貧(つっけんどん)な態度を見せ、私が一人でコーヒーを飲みにくるときは、しきりに問いたげな目の色をみせたが、一か月ほどたつと今度は一転して、気味が悪いほど愛想がよくなった。その変化にすぐ気づいた真紀子は、「ね、待ちあわせはよその店にしましょうよ」

と言い出して、いくら私が、「あの娘とは何でもないんだ」と否定しても信じなかったが、

「信ちゃんも色々、大変なのねえ」

ぽつんと呟いた口調には少しの皮肉っぽさもなく、むしろ私を劬(いたわ)っているようでさえあった。

店の客が私と真紀子だけになったとき、春枝とその母親の芳子に、「こんど、このひとと結婚することになった」と、改めて紹介した。春枝は一瞬、顔をこわばらせたが、母親とともに、「おめでとうございます」と思いのほか明るい声で祝福してくれたばかりでなく、それから一週間後に私が思いきって、披露宴にこの店を使わせてくれないかと頼んだときも、「こんな店でよかったら」と母親より先に承諾してくれた。

「あとは幕を張るだけだな。ひと休みしよう」

コの字型に並べかえたテーブルに椅子を配し終えると、宮部はそう言って隅の椅子に腰をおろした。額にうっすらと汗が滲んでいた。私もその隣に腰かけて、春枝が運んできたコーヒーに砂糖を入れた。

「このコーヒー、まさかきょうの披露宴の勘定には入っていないんだろうな」

会計も担当している宮部がおどけた声で訊くと、

「まあ、もちろんよ。ねえ、母さん」

春枝は、ちょうど奥からカーテンをあけて出てきた芳子に言い、かん高い笑い声を挙げた。やはり髪をセットしたばかりらしい芳子が、曖昧な笑いを浮かべた。

「少し、腹が減ったな。春ちゃん、何か喰うもの、ないの?」

「そうねえ。餡(あん)パンなら残っているけど」

「餡パンねえ。おい、花聟、お前食べるか」

訊かれて、朝から何も食べていないのに気づいた。

「いま、何か作りますよ。いくらなんでも結婚式の前に――」

急いでカウンターの中に入ろうとする芳子を、宮部が片手をあげて押しとどめ、

「こんなとき、餡パンを喰うのもあとでいい思い出になるよ」

な、そうだろ、と言うように私を見た。私も苦笑してうなずいた。

「さて、もうひと働きするか」

パンを食べ終えると宮部は勢いよく立ち上がり、テーブルの上から畳んである紅白の幕を取りあげた。幕は前々日、宮部が秦野で料理屋をやっている実家から、わざわざ運んできてくれたものであった。私も芳子から金槌(かなづち)を借りると、靴を脱いでテーブルにのぼった。不意に回転窓のガラスを透して、雨上がりの陽が射しこんできた。眩(まぶ)しさに目をそらすと、幕のはじを持ってこちらを見上げていた春枝の目とぶつかった。私は二度も三度も釘を打ち損じた。

「不器用ねえ。私が替わってあげましょうか」

春枝がまたかん高い笑い声を挙げたので、

――ダメ、信ちゃんは不器用なんだから。

少年の頃、真紀子からきめつけるように言われたことを思い出した。

扉のところだけを除いて、すべての壁に紅白の幕を張りめぐらすと、店内はお祭りの神酒処(みきしょ)みたいになった。宮部も同じように感じたらしく、

「笛や太鼓の音が聞こえてきそうな雰囲気だな」

と笑った。二時間ほど後ここで行われる自分の披露宴を思うと、何ともこそばゆい感じだった。尤(もっと)もそのときテーブルに並べるのは、これも宮部が実家から持ってきてくれた乾杯用のシャンペンと、あとは紅茶とケーキだけの予定だった。

 

● 十四

 

奥の部屋でモーニングに着替え、その上からレインコートを羽織ると、宮部と一緒に『レオ』を出た。電車通りの水溜りが、ひろがり出した青空を映していた。

「お袋さんはやっぱり来ないのか」

水溜りを身軽に飛び越した宮部が、私のほうを見ないで訊いた。

「多分」私も前を向いたまま答えた。

「ま、仕方がないな。そのうち、きっとわかってくれるよ」

真紀子の過去を思いきって打ち明けたとき、「いいとこあるな、お前も」と、宮部は私の腕を軽く敲(たた)いた。

「俺の結婚だって誰も賛成してくれなかった。しかし、周囲が反対すればするほど、こっちの勢いは募る。障碍(しょうがい)が多ければ多いほど、ますます闘志が湧くもんだ。何しろ、田舎で、うちの商売が商売だろ、しきたりや格式がうるさいんだ。それに俺は長男だから、家業を継がずに新聞記者になっただけで、お袋が半病人になってしまったほどだったよ」

しかも宮部が選んだ相手は、歳上の戦争未亡人だった。親戚中を向こうにまわして闘ったという彼の話は、私にも容易にうなずけた。

「むろん、意気込みばかりじゃ駄目だ。何よりも大切なのは、それを貫き通す意志だよ。お前だって彼女への愛情を基にして、二十五歳の智慧(ちえ)と判断で結婚を決意したんだから、たとえ形式にせよ、予定した日に強引に式を挙げるんだな。及ばずながら俺も協力するよ。なあに式さえ挙げちまえば、周囲も否応なく承知するよ」

私が母や姉たちの反対を押しきることができたのも、この宮部の言葉が大きな支えになっていたからだが、もう一つ、結婚する前に越えなければならない障碍があった。島子とのいきさつを、いつ、どんな風に真紀子に打ち明けるか、であった。

私が復員したとき、すでに島子は叔父と別れて、五つほど歳下の繊維ブローカーと同棲していた。島子は終戦直後にその男と懇(ねんご)ろになって、やがて帰国した叔父との間でひと悶着(もんちゃく)あったらしいが、結局、勤めていた会社が潰れて無収入になった叔父のほうが身を退かざるを得なくなったようだ。母や姉たちの口から、そうしたいきさつを聞いて、

――もう俺が今更、叔父にひけ目を感じることはないんだ。

私は吻(ほっ)とする反面、「あしたからあたしはどうすればいいの」と身を揉(も)んだ島子を思い出すと、何が、あたしのことを忘れちゃダメよ、だ。手前のほうがさっさと忘れやがって。俺なんか所詮、一時のなぐさみものに過ぎなかったんだ。

巧く騙されたような口惜しさを否定できなかった。

島子と別れた後、暫く消息を絶っていた叔父が、姉たちの婚家先に現われて金をせびり歩き出したとき、

「何て恥晒(はじさら)しだろ。そんなことだからお島さんに逃げられてしまったんだよ」

母は口ぎたなく罵ったが、どうしたわけか私の処には姿を見せなかったので、自分だけ得をしたように思いながら、やはり私は薄気味悪かった。

気味が悪いといえば、再会して半年以上もたつのに、真紀子が島子についてひと言も口にしないのも、気がかりだった。

僅か一か月ほどだったにせよ、私が島子と爛(ただ)れた夜々を重ねたことは消しようのない事実だったし、真紀子にとって島子は、まぎれもない叔母であった。ひょっとすると真紀子は、私と島子とのことを知っているのではあるまいか。もし知っていて私と結婚するなら、真紀子はよくよく潔癖感のない女、あるいはケタ外れに寛容な性格ということになる。それとも己れの過去と相殺にするつもりなのか。いずれにせよ私が島子との関係を白状することは、真紀子の愛を計る物差しになるに違いなかった。

「お島さん、その後、どうしている?」

例によって私が族館の牀の中でそんな風に切り出すと、

「あのひと、化けものね」

即座に真紀子が答えた。

「化けもの?」

「だって、ひとつも齢をとらないんだもの。逆に若くなるみたい……。信ちゃん、ずっと逢ってないの?」

「ああ、戦後、一度も」

「逢ってみたいでしょ?」私の脇腹に手を載せたまま、真紀子が悪戯っぽい目を向けてきた。私は答えなかった。答えられなかった。

「いま、大森のほうの割烹旅館に住みこんで仲居をやっているわ。ときどき、思い出したようにうちに来るけど」

「歳下の男と同棲しているんじゃないのか」

「去年、別れたのよ。相手の奥さんに踏みこまれて。でも、あのひとのことだから、もう次の相手が出来たんじゃないかしら」

「俺と結婚すること、お島さんに話したのか」

真紀子がうなずいたので、何か言ってなかったか、と私はおっかなびっくり訊いた。

「言ってたわ」

真紀子は私をじらすように、ひと呼吸置いてから付け加えた。

「思いが叶ってよかったねって」

私が思わず溜息をつくと、

「何よ、がっかりしたような顔をして。私、何でも知っているわよ」

「何でも?」

「だってあの頃、信ちゃんたら、三日にあげずあの家に泊まりに来ていたんだもの。誰だってヘンだと思うわよ」

「すると……」

「ええ、母だって、島子に何の用事があるのかねえって不思議がっていたわ。それに」

言いかけて真紀子が照れたような顔になった。目で先を促すと、

「やっぱり、羞恥しいから言わない」

「今更、おかしいぞ」

脇腹の手が急に動いて、私の前にサッと触れ、

「知っているのよ、あのひと。ここに黒子があること」

言い終わらぬうちに真紀子はクルッと背を向け、引き寄せようとした私の手を肩をゆすってはずすと、子供がイヤイヤをするように首を振りつづけた。

 

● 十五

 

教会の入口に、ハイヒールや爪革(つめかわ)のかかった足駄(あしだ)が何足も脱いであった。

「花嫁さん側はもう来ているらしいね。受付はここでいいな」

「うん、頼む」

宮部に言い置いて私は礼拝堂の脇の狭い階段を登った。二階の三部屋を控え室に借りてあった。

いちばん手前のドアを開けて、私はその場に棒立ちになった。窓際の木椅子に母と万起が並んで腰かけていた。私を見上げて姉は笑いかけてきたが、母は逆に窓のほうへ顔をそむけた。私は黙ってレインコートを脱いだ。

「よく似合うよ」

姉がモーニング姿の私を眺めて同意を求めるように母を見たが、母は視線を戻そうともしなかった。少し派手な訪問着を着て、白い髪をきちんと撫で上げたその横顔を見おろしているうちに、私はふっと哀しくなった。姉に説得されたとはいえ、ついに我を折って出てきた母が可哀想にさえなった。意地を張り通してくれたほうが母らしかった。

レインコートを畳み直していると、そばに寄ってきた姉が隣室を頤(あご)でしゃくり、

「いまね、真あちゃんやおばさんに挨拶してきたけど、おじさんは出席しないそうだよ。坊やと留守番だって」

そう言ってから肘(ひじ)で私を軽く突いた。先に廊下へ出ると、姉は後ろ手でドアを閉め、階段上の踊り場で私と向き合った。

「お前、結納をやってないんだってね。それじゃ、おじさんが出席しないのは当然だよ」

「結納なんて形式だよ。それに金もないし……」

「それじゃなぜ、式を挙げるんだい? 世間のしきたりを無視するなら、なんで一切、無視しないんだい? いっそ駆け落ちしたほうが立派だよ」

姉はもう一度、隣室のほうを頤でしゃくってから、

「お友だちのみなさんにちょっと席をはずして貰って、いま、私の一存で照江おばさんに結納のお金を渡してきたよ。式の直前に結納を出すなんて、私も羞恥しかったけど、出さなければ家中が嗤(わらい)ものになるからね。それとも余計なお節介だったかね」

私はあわてて首を振った。

「健雄があんなだったから、母さんがお前の結婚に人一倍、夢をかけていたのはお前もよく知っていたはずだよ。それなのに結納も出さないで、式にだけ親がノコノコ出てこられやしないじゃないか」

一言もなかった。目配りの足りない自分の未熟さが今更のようにはずかしかった。

「まさかお前、わざと結納を出さなかったんじゃないだろうね」

「わざと?」

「真あちゃんは一緒に住むんだろ。結納をやらなければ、それが引け目になって母さんは、どうしたってお嫁さんに遠慮がちになるじゃないか。お前がそこまで計算していたとは私も思いたくないけど」

「そうか、母さんはそんな邪推をしていたのか」

「母さんにすれば無理もないよ。兎に角、仲よくやっておくれ。母さんのお小遣いは、他の姉妹にも呼びかけて毎月かならず私たちが送るようにするから」

「俺が結婚を急いだ理由の一つは、母さんの体が……」

弁解する私の言葉を、わかっているよ、と姉は途中でさえぎった。

「私はね、真あちゃんを小さいときに見ただけで、どんな性格の娘かよくは知らないけど、名前が同じせいか、何となく親近感があるんだよ。あとで私からも母さんのことをよく頼んでみるつもりだよ」

万起は私より十五も歳上なので、これまで姉というよりは叔母のような感じだったが、薄い紫地の裾に菊の花をあしらった訪問着のせいか、齢よりもずっと若やいで見えた。

「ついでに頼みがあるんだけど」

「何だい?」

「披露宴で挨拶してくれないか」

「ああ、私でよかったら」

気軽に引き受けてくれたので、私はやっと息をつくことが出来た。

せっかく暗誦したけど、やっぱり花聟はおとなしく坐っているべきなのかも知れない。

姉が部屋に戻った後、私はネクタイの結び目に手をやってから、真紀子の控え室の前に立った。急に階下が賑(にぎ)やかになった。手摺(てすり)越しに覗くと、ひと塊りになって入ってきた社の先輩や同僚たちのなかに、薄桃色のスーツを着た春枝の笑顔が見えた。大きな金色のブローチがその胸で光っていた。

ズボンのポケットに手を突っこみ、一週間ほど前に銀座の夜店で買った安物の指輪をたしかめてから、そっとドアを押した。

白いレースをかぶったウエディングドレス姿の真紀子が、椅子に浅く腰かけたまま、そのレースのかげで羞恥しそうに目をしばたたいた。