メディアの未来[005]グーグル「ブック検索」問題のすべて |
日本文芸家協会が抗議声明を!グーグル「ブック検索」問題をここに総括する
1、グーグルの「書籍データベース化訴訟」和解で広がる波紋2009年3月15日
グーグルはすでに700万冊以上をデジタル化
そこで、今回は、この問題を整理してみることにした。
なぜ、アメリカ国内の和解が全世界に及ぶのか?
また、この訴訟はクラスアクションよいうアメリカ独特の方式で、「私は関係ない」と思っていても、判決は全体に及ぶのだ。
本当に間抜けとしか言いようがないが、それまで、こんなことが起きていることすら知らなかった作家や出版関係者も多い。
社団法人・日本文芸家協会(東京都千代田区、坂上弘理事長)は、3月2日の常務理事会でグーグル問題について緊急協議。協会として、「会員とグーグルとの和解」を前提に対応していくことを決めた。ようするに、グーグルにやられたのだから仕方がないと諦めたのである。
2、グーグルの「ブック検索」和解訴訟後の出版界を考える
2009年4月8日
5月5日という期限が迫って、みな右往左往
このブログの[0012]で取り上げた、グーグル「ブック検索」訴訟和解の波紋は、その後、各方面に広がり、各出版社は対応にどうするかで右往左往してい る。なにしろ、和解に参加しない、あいは異議申し立てを行うなら、5月5日までにしなければならないので、著作権者である作家からの問い合わせにどう応じ るか、会社として対応をどうするかを決めなければならないからだ。 私が勤める光文社でも、「作家にこの問 題を知らせ、対応の相談に応じるべきだ」「いや、出版社は著作権者ではないので、そこまでする必要はない」「でも、作家は自分ではなにもできないし、そも そもこの問題がよくわからないから、今後のことを考えると、そうすべきだ」などと、意見が錯綜していた。 もっとも、こ の問題に対しては、それぞれのリテラシーがバラバラで、どんなに話し合っても、まとまりようがないのも事実。出版社によっては、まず、 勉強会からはじめたところもある。つまり、そもそもクラスアクションとはなにか?書籍のデジタル化がなにをもたらすか? など、基本的なことを理解するの に多大な時間がかかっている。 また、小さな版元となると、勉強会などやっている暇はないから、大手はどう対処する のかと、ツテを頼って聞きまわったりしてい る。もちろん、私の周囲でも、このことは最近の大きな話題で、「どうしらいいの?」と、マスコミ関係者や著者に聞かれることも多くなった。ただ、こうした 騒動ぶりを見ていると、まるで黒船来航時の日本のようだと思った。ようするに、誰1 人として明確な答えを持っていないのだ。
出版社は、著作権者である作家がどうしようとほうっておけ
前回も書いたように、この問題がもたらす未来は、いまのところよくわからない。ただ、言えるのは、グーグルがこの分野で1人勝ちすることだけは明確だ。書籍のデジタルコンテンツを一手に握ることだけは間違いない。 それに対してどうするかは、消費者(ユーザー、読者)、出版社、著作権者で、みな違う。だから、まとめようがないし、消費者をのぞいては利害が対立するので、不安になるのももっともだと思う。 そこで、ここでは私見だけを述べるが、まず、出版社はなにもしなくてもいい。著作権者である作家がどうしようと、ほうっておけばいい。なぜなら、出版社は 著作権を使う側であって、基本的にこの権利を行使しておカネに換える側(一部の出版物ではそういうこともあるが)ではないからだ。 講談社の見解も、おそらくそうで、「この和解に参加するか否かは著作者自身が決めること」とし、基本的に個別対応としたからだ。しかし、それでは、作家との長年の付き合いから冷たすぎると危惧し、印税支払い歴のある著者のうち約8000人に、このほど通知を出した。 また、「Googleブック検索和解」のサイトの使い方などを作家に知らせ、web講談社では講談社の出版物でグーグルが「デジタル化する可能性がある」 と答えているもの約4000件をアップロードした。大手の小学館も角川も、ほぼ同じ対応を取った。つまり、これが日本の出版社の対応の限界だ。
グーグルの日本語サイトの翻訳はひどすぎる
ここではっきり言っておきたいが、日本の作家でいまだに手書き原稿(つまりアナログ)の人がいる。こういう方は、ウェブがなにかもわからなければ、PCそ のものも使えない。「原稿用紙でないと書けない」と平気で言う。しかも、「キーボードで書くのと、手で書くのとは本質的に違う」とまで言う。 これは、なんの根拠もない思い違いだが、ご本人が信じているだから仕方がない。ただ、こういう方に、今回のグーグル問題を説明する必要もないし、したとしても意味がない。 なのに、それを丁寧にしようとする大手出版社は、本当に気の毒だ。
グーグル問題を手短に理解したい方には、成蹊大学法学部教授の城所岩生氏による「日経デジタルコア」での解説 (「ネットも本も」覇権握るグーグル(上)と(下))が参考になる。 http://www.nikkeidigitalcore.jp/archives/2008/12/post_180.html http://www.nikkeidigitalcore.jp/archives/2008/12/post_180.html また、福井健策弁護士による一連のコラム「全世界を巻き込む、Googleクラスアクション和解案の衝撃」「(続)全世界を巻き込む、Googleクラスアクション和解案の衝撃 Q&A編」を読むことをおすすめしたい。 http://www.kottolaw.com/column_090210.html http://www.kottolaw.com/column_090323_2.html 本来なら、「Google」そのものにアクセスして、彼らの見解を読むべきだが、英語がわからなければどうしようもない。もちろん、日本語版の翻訳を読ん でももいいが、この翻訳がひどい。だいたい、問題の本質である「フェアユース」にすら、日本語のいい訳語がないし、「著者下位集団」とか「パブリッシャー 下位集団」と言われても、なんのことかわからず、腹が立つだけだろう。
ユーザーばかりか、著者側にもメリットは大きい
ただし、グーグルの立場・主張は、極めてシンプルだ、彼らは、どこまでも「ユーザー」の利便性を強調している。ユーザーには、書店で手に入らない本にアク セスする手段を提供する(もちろんオンラインで販売するが)のだから、こんな便利なことはない。図書館や古書店で探す手間は省ける。また、グーグルのデー タベースには広告も集まる。そうした販売と広告からの収益の63%は、著作者に還元するというのだ。 したがって、ユーザーばかりか、著者側にもメリットは大きい。なにしろ、アナログの出版物なら、絶版されてしまえばもうおカネは入ってこないし、市場にあって売れたとしても印税の一般的取り分は、出版物の定価の約10%にすぎないからだ。 ただし、ここで日本の著作権者に悩ましいのは、いくら63%とはいえ、日本語の本がアメリカでそんなに売れるわけがないことと、売れたとしても、その支払いが、まったく知らない団体からなされることだ。
グーグルの収益配分を管理する「版権レジストリ」とは?
グーグルは、この和解にあたって、米作家協会(Authors Guild)および米出版者協会(AAP)が運営する「版権レジストリ」に資金を提供し、そこを通して収益配分をするという。この「版権レジストリ」は、 「ブック検索」に限らず、ほかの事業者とのビジネスでも権利者を代理することになっている。 いったいそれはなにか?という人もいるだろうが、「版権レジストリ」とは、音楽でいえば「JASLAC」である。ジャスラックの書籍版と思えばわかりやすいと思う。 とはいえ、なぜ、そんな団体に登録もしてもいないのに自分の著作権を管理されなければならいのか? そう考える著作権者も多いだろう。じつは、私も著書が あるから著作権者であり、父親が作家(すでに死亡)だったから、その著作権継承者でもある。その立場から言うと、やはりどこか納得がいかない。 しかも、その組織はアメリカにあって、日本には代理機関すらないのだ。 これでは、日本の著作権者は手も足も出ないし、日本の出版社もまた、なにもできない。
書籍のデジタル化は「情報へのアクセス権の独占」につながる
グーグルは、今回のクラスアクションの決着を、ことのほか急いだ。その要諦は、すべてここにあるといっても過言ではない。つまり、彼らはユーザーや著作権者には有利だと言いながら、書籍デジタル化の独占を狙ったのである。 以前にこのブログで、「デジタル化独占禁止法をつくれ」と私が書いたのは、この「版権レジストリ」のことがあったからだ。 書籍のデジタル化というのは、アナログの本を単にデジタルコンテンツに置き換えるという話ではない。それにアクセスするためには、グーグルを通すしかない となると、「情報へのアクセス権の独占」ということになる。グーグルは「排他的な独占権」を主張していないが、結果的には、必ずそうなる。 書籍、とくに古典は、人類の英知が結集されたものである。それを、グーグルが一手に握るのだ。
グーグルは、今後、史上最大の図書館、史上最大規模の書店となる
ここで、グーグルの「ブック検索」の経緯をふり返れば、それは、2004年にアメリカで始まった。本のデータは、パートナープログラムと図書館プロジェクトから提供されるという仕組みになっていた。 パートナープログラムとは、出版社および著作者が提供するもので、これは了承のもとに行われた。しかし、図書館プロジェクトでは、そうした源著作者の了承 なしに、図書館側の了承だけで、当初カリフォルニア大学、ハーバード大学などが協力した。彼らは、古典作品のPDFファイルを公開し、その後、世界各国の 大学や図書館がこの流れにのった。 日本では、2007年から日本語版のサービスが始まったが、慶應義塾大学がアジアで初めて協力したため、福澤諭吉の『学問のすすめ』などが、グーグルで読めるようになった。 現在、グーグル「ブック検索」は、さらに進化を続けていて、2008年12月9日には、過去に発行された英語の雑誌記事の検索も可能になり、この2月5日にはiPhoneからの利用が可能になった。
グーグルが握る書籍デジタル化に、いまやライバルは存在しない。今回の和解案が決まれば、まさに独壇場になるはずだ。 日本の出版社は、デジタル化の本質に気がつかず、自社発行本のデジタルデータベースを構築することすらしてこなかった。 もちろん、こんな日本は論外としても、ライバルと考えられたマイクロソフトは、すでに書籍のデジタル化プロジェクトを放棄している。また、オープン・ナ レッジ・コモンズ(旧オープン・コンテント・アライアンス)やインターネット・アーカイヴのような同業他社も、グーグルに比べれば、ゾウとネズミだ。 つまり、グーグル「ブック検索」は、今後、史上最大の図書館となり、史上最大規模の書店となるのは間違いない。 アメリカでは、このように、全世界に影響が及ぶことが、アメリカ人だけの判断で決まる。今回は、ベルヌ条約を逆手に取ったかたちだが、これに気がつかな かった日本や他国は、単にお人好しというだけの話だ。彼らは、ルールは先につくったものが勝ちであり、ルールメーカーこそが市場を独占できることをよく 知っている。
グーグルははたして節度を持って行動するだろうか?
それはともかく、グーグルが史上最大の図書館となり、史上最大規模の書店となったら、どんなことが起こるのだろうか? グーグルのこれまでの行動から考えれば、彼らは節度を持って行動するだろう。つまり、ただ儲けるためにだけにアクセス料を勝手に引き上げたりするマネはしないだろう。 しかし、現在のグーグルが「フェアユース」を尊重し、どんなに節度を持とうと、私企業であることに変わりはない。株主も経営陣も代わる可能性はあるし、M&Aされることだってないとは言えない。 となれば、書籍と「公共財」(コッモングッズ、common goodsあるいは、パブリックドメイン public domain)は、利益を生むための道具になることすら考えられる。 今回の合意文書をよく読めば、グーグルは以下の2点を遵守すべきとされている。
1、個別の著作物およびライセンスごとの権利者の取り分は、市場価格に見合ったかたちで調整すること 2、 高等教育機関を筆頭に、公衆に広範なアクセスを保証すること これは、公共財を提供するうえでの大原則だが、それでもグーグルには顧客それぞれと自由にライセンス価格の交渉ができる権利が与えられている。
「機関ライセンス」「パブリックアクセス・ライセンス」「コンシュマー・ライセンス」
グーグルは、今回の和解により、書籍データベースへのアクセスを有料化する。高校や大学をはじめ、さまざまな機関は「機関ライセンス」を購入することに よってデータベースにアクセスできる。また、公共図書館には館ごとに「パブリックアクセス・ライセンス」が発行され、データベースに無料でアクセスできる が、その接続端末とするPCは1台だけに限られる。 アクセスできるPCが1台だけというのは、どう考えてもおかしいが、これがイヤな利用者には、有料サービスである「コンシュマー・ライセンス」が発行される。 現在、グーグルは、約700万冊のデジタル化を終わらせているとしている(2008年11月現在)。その内訳は、100万点が「パブリックドメイン」で、 これは、これまでどおり無料でダウンロードできる。そして、著作権が存続中で書店で購入可能な書籍が100万点。残りの500万点は著作権によって「保 護」されているものの絶版となったか、探索不可能な書籍だ。グーグルの発行する「ライセンス」により商業利用の対象とされる大部分の書籍は、この最後のカ テゴリーに属している。
図書館も書店も出版社も、今後は衰退の一途
はたして、図書館利用者で、「コンシュマー・ライセンス」を通じてダウンロードをする人間がどれほどいるだろうか? その人間が多ければ、図書館は彼らのライセンスフィーを持つことも考えられる。 これまで図書館や機関は、予算により書籍を購入してきたが、このグーグルのサービスにより、その一部をこちらに振り向けるだろう。とすれば、図書館は、書籍の買い入れ数を減らす可能性がある。 次に、書店と出版社だが、グーグルの「ブック検索」サービスの影響は、じわじわと両者のクビを締めていくに違いない。書籍が紙である限り、このデジタル時 代にふさわしい形態とはいい難い。紙を、知識や情報、教養を伝える単なる「デバイス」と考えれば、それを紙にプリントする必要性はますます薄れる。 なにしろ、グーグルにアクセスすれば、それを一瞬のうちに引き出すことができるからだ。現在のところまだ、プリントパブリッシングとE-パブリッシングは共存しているが、その比率はじょじょに「E」のほうに移っていくだろう。
「収益の63%著作者に還元」は著作権者には魅力
ここで断わっておくが、今回の和解で、グーグルが許可なく(異議申し立て、削除要求があれば別)デジタル化できるのは、2009年1月5日以前の米国内で「絶版」と認定されるものだけだ。 そして、グーグルのサービスにアクセスできるのは、アメリカ国内に限られる。 しかし、私も日本の著作権者の1人だから、あえて誰も書かないことを書くが、まず、出版社の対応などどうでもよい。日本の作家で、出版社に相談を持ちかけている人間は、自分がなにをしているのかわかっていない。 前述した「収益の63%著作者に還元」に魅力を感じるなら、この「アメリカ国内」の条項を、まず外してもらいたいと願い出るだろう。そのほうが、自分の著作がデジタル化された場合、収入を得られる可能性が高いからだ。 グーグルが、あえて「収益の63%還元」を打ち出したのは、この条件なら、今後、黙っていても著作権者が、データベースに登録してくれると考えたからだろう。それは、1月5日以前のものに限らず、今後紙で出版されてデジタル化されるものすべてだ。
日本で販売されている「電子ブック」と比較してみると
現在、日本の書籍もデジタル販売が行われている。 いわゆる「電子ブック」だが、この市場が活性化しなかったのは、さまざまな障害があったからだ。まず、電子ブックは、大きく分けてダウンロード型とオンラ インで閲覧するストリーミング型の2つのスタイルがあり、ファイル形式やデータ形式もさまざまで、日本国内だけでも20種類以上のファイルフォーマットが 存在してきた。これは、まったく、ユーザーフレンドリーではない。 そして、もう1つの大きな問題は、電子ブックがこれまで紙媒体で流通していた作品を電子化したものが大多数だったため、その複雑な権利関係をどのように処理するか、非常に面倒だったことだ。 この権利関係に著作権が含まれるが、日本での電子ブックの一般的な印税率(この場合、二次使用とされるので「支払い率」といったほうがよい)は、定価のだ いたい10~20%に設定されている。もちろん、権利関係、作家の力などによって違うが、これは書籍の印税の取り分とそう変わらないようになっている。ま た、アナログの書籍と決定的に違うのは、書籍が刷り部数印税なのに対して、電子ブックが実売印税である点だ。 では、この日本の電子ブックの実売印税を、グーグルのいう「収益の63%還元」と比較するとどうなるだろうか? 残念ながら、私にはグーグルがどのようにこの還元率を算出したのか、その情報はない。そして、この還元率がなにに基づいているのか、正確にはわからない。 ただし、和解契約を読む限り、「収益」は 英語では「revenue」になっているから、これは「得られるおカネの総額」ということになる。和解契約では、計算方法も明記されていて(4.5 (a)項、1.86項、1.87項ほか)、これを読むと、原則として総収入の63%を著作権権利者に渡す(ただし版権レジストリの手数料込み)ことになっ ている。
著作権者(作家)との契約を見直すときに来ている
とすれば、この金額は、日本の電子ブックに比べれば、著作権者ははるかに高い「収益配分」を受け取れることになる。 となれば、もし、グーグル「ブック検索」にリージョナル規定がなければ、日本の作家は、日本の出版社には紙出版の権利を渡し、グーグルにデジタル化権と販売権を渡すほうが絶対に有利だ。 (た だし、グーグルがいう「収益」が広告収入だけを指すことも考えられる。とすれば「ad by google」で明らかなように、その額は微々たるものである。おそらく、数ドルにもならないだろう。そうすると、以上の記述は、まったく成立しないの で、注意してほしい) 出版社にいる私が、あえて出版社に不利なことを書くのは気が引けるが、これは事実だ けに仕方ない。そこで、日本の出版社側の対応策を考えてみれば、作家と契約する場合に、一般化している電子出版は「二次使用」であるという条項をはずし、 紙でも電子でも同じ出版だから、著作権使用の包括的契約を結ぶしかない。そして、初めからデジタルコンテンツになるのを前提として、電子ブックと紙を同時 パブリッシングするしかない。 そうしなければ、日本の出版社は、紙出版だけを続ける限り、この出版不況のなかで、いずれ立ちいかなくなるだろう。 ここまで書けば、今回のグーグル「ブック検索」訴訟和解の先になにがあるのか、だいたいの輪郭が見えてきたと思う。 ただ、この問題は、こんなことだけに留まらない。もっと大きな問題をはらんでいる。それを、この次のブログに書くので、この回はこれで終わりにする。
3、グーグルが独占する書籍デジタル化とコンテンツの未来2009年4月8日
ソニー(SNE)がグーグルと提携し無料書籍50万冊配信
引き続き、グーグル「ブック検索」訴訟和解後の未来について考える。 まず、この問題が日本で波紋を広げているとき、 アメリカでは、ソニー(SNE)が、3月19日、同社の電子書籍端末「ソニー・リーダー」で利用可能な書籍を、現在の10万冊から大幅に増やすと発表した。 これは、グーグルと提携して行うもので、今後、50万冊もの無料書籍を投入していくという。 前回のブログでも触れたように、グーグルは、「ブック検索」向けのプロジェクトとして、すでに700万冊もの書籍をスキャン してデータベース化している。今回のソニーとグーグルの提携の詳細は不明だが、グーグルの発表によれば、ソニー・リーダー向けの書籍は今後さらに増やす予 定で、スキャン済みの作品のなかから、著作権が消滅しているもの(古典を中心に100万冊)を提供するという。 となれば、これに、今回の和解の結果により、アメリカ国内で絶版と認定された書籍も、いずれ加わるだろう。もちろん、著作権があるものは有料ダウンロードとなる。
アマゾン「キンドル」は「キンドル2」でさらに進化
それはともかく、このソニーとグーグルの提携でいちばん衝撃を受けるのは、アマゾンである。すでにアマゾン・ドット・コム(AMZN)は、「ソニー・リー ダー」をしのぐ電子書籍端末「キンドル」(Amazon Kindle)を2007年末に発売しており、2009年2月14日には、鳴り物入りで「キンドル2」を発売したからだ。 私は、最初の「キンドル」が発売されたとき衝撃を受け、日本のアマゾンに頼んで実物を見せてもらったことがある。その後、アメリカで実際に使っている現場を見たが、これは使いようによっては画期的なメディアだと思った。 アメリカでは、新刊書籍のハードカバーは日本よりはるかに高く、27、8ドルはする。そして、デジタル版の定価は20ドルに設定されている。それをソニー・リーダーのオンラインストアは、ベストセラーに限って16ドルで売っていた。 そこに、キンドルが登場し、ソニーのオンラインストアが売っていたものを9.99ドルにしたうえ、ニューヨークタイムズなどが無料で読めるようにしてしまったのだから、ソニーの劣勢は明らかになった。 その「キンドル」が「キンドル2」で、さらに進化した。最初のバージョンから比べると、デザインもよくなり、軽量でコンパクトになった。また、厚さも薄くなり、スクリーンも明瞭になった。ダウンロードできる書籍数も当初の10万冊からずっと増えて、23万冊になった。 また、今後のサービスとして「キンドル2」で買った本は、いずれほかの携帯デバイス(たとえばiPhoneなど)で読めるようにするというのだから、ジェフ・ベソフとしてはしてやったりと思っていたはずだ。 しかし、そこにグーグルの巻き返しである。すでにグーグルは、「ブック検索」にあるデジタル書籍で著作権侵害問題のないものを、iPhoneやグーグルが 開発したアンドロイド・プラットフォームのスマートフォン用に公開すると発表していたが、さらに、ソニーとも提携したのである。 そして、今回の「ブック検索」訴訟の和解が成立すれば、そのストックの多さからいって、アマゾンはまったく歯が立たなくなると思われる。もはや、書籍のデジタルデータベースをグーグルが独占するのは、間違いない。
著作権ができた当初からパブリックドメインはあった
そこで、ここで、グーグルのような一私企業が、書籍のような人類の公共財を独占していいのか、文化史的に考えてみたい。どんな考え方に照らしても、近代の 民主主義社会では、公共財の独占は許されない。公共財というより、英語でパブリックドメイン(public domain)としたほうがいいが、それは、“Free to All”(万人に開放)されていなければならない。 だから、著作権というのは、著作者(クリエーター)のクリエイティブな活動を保護しながら、なおかつ、それを実現させなければ意味がない。つまり、著作者の権利ばかり守るのが、著作権の本当の主旨ではないのだ。 著作権の誕生は、1709年にイギリスで誕生した「アン法」(アン王女の法律)とされるが、この法では、著作権の有効期間(著者の死後14年、1回のみ更新)が初めて設定された。 その後、これは28年になったが、現在から考えると、短いと思われるだろう。 「アン法」の目的は、それまでの出版社がもっていた絶大な力に制限を加えることにあったが、一方で「教育を鼓舞する」こともあった。つまり、教材としてのパブリックドメイン的な考え方が、すでにこの時代からあったのだ。 しかし、商業主義全盛のいま、アメリカでは、著作権は著作者が存命中存続し、さらに没後も70年間続く。これは、1998年のソニー・ボノ著作権延長法 (別名「ミッキーマウス法」)が成立したからだ。これで、パブリックドメインになるところだったミッキーは、さらに20年間ディズニーが独占することに なった。
優先されるべきは個的利益よりも公共の利益
アメリカ合衆国憲法、権利章典(Bill of Rights)修正第1条(Amendment I) は、「信教、言論、出版、集会の自由、請願権」を述べているが、そのくだりは、次のようである。 《合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。》 ここにある「言論または出版の自由を制限する法律」に、ミッキーマウス法が抵触するかどうかは、解釈の分かれるところだが、その期間の長さからいって、明らかにパブリックドメインを無視していないだろうか? いずれにせよ、著作権というのは「一定期間」のみしか認められず、「学術および技芸の進歩」「文化の発展」などという上位概念の下に位置しなければならない。 つまり、著作権者は、その創造的活動の結果産み出したコンテンツに関して、正当な報酬を獲得する権利はあるが、優先されるべきは個的利益よりも公共の利益である。
ブロードキャスティング・モデルの衰退が招くこと
さて、ここで話は飛躍するが、現代は、著作権者が受難の時代である。それは、インターネットの登場により、それまでのブロードキャスティング・モデルが通 用しなくなったからだ。 ブロードキャスティング・モデルというのは、誰かがコンテンツ(出版の場合は本)をつくり、それをマーケットに流すことで広まっ ていくというかたちだ。つまり、発信源は1点であり、到達点が多数であるという構造になっている。既存メディア、出版も新聞もテレビも、すべてこのかたち である。 しかし、インターネット(ウェブ)のなかでは、複数の送り手から複数の受取り手に情報が行き交い、ウェブの進展により、このかたちがさらに複雑化してきている。これがネットワーキング・モデルであり、デジタルコンテンツは、このネットワークのなかに存在する。 では、このようなネットワーキング・モデルが主流になると、なにが起こるだろうか? それは、前述した著作権の崩壊であり、さらに出版や新聞などの紙媒体の崩壊、ひいては、そうしたものを伝達するための流通制度までが、崩壊する。
著作権者(クリエーター)の生活は苦しくなるばかり
簡単に言うと、ネットの世界は、たいてのコンテンツがタダである。グーグルは、現在のところ、100万冊のパブリックドメイン書籍をフリーにしている。これは当然だが、今後、その数はどんどん増えるだろう。これも当然だ。 となると、ますます、ネット上のコンテンツはフリーということになり、これに、ファイル交換ソフトやYouTubeなどの進展が加われば、たいてのものは無料で手に入れることができるようになる。 実際、いまや違法コピーはし放題で、ブロードキャスティング・モデルが提供する、本、CD、DVD、ゲーム、ソフトウエアなどに、おカネを払う人間は少なくなった。 中国に行けばわかるが、日本でン十万円するAdobeのソフトなど、たったの100円か200円である。 これでは著作権者(クリエーター)はたまらない。しかし、一般大衆はそんなことには無頓着で、キチンと買えば高価なコンテンツを、いかにタダで手に入れる かに熱中し、それが、なにを招くかにには関心がない。つまり、それは、著作権者にはおカネが入らないということであり、その結果、「学術および技芸の進 歩」「文化の発展」もなくなってしまうということだ。 すでに、レコード会社にも映画会社にもアニメ・プロダクションにもゲームメーカーにも、以前ほどのおカネが入らなくなり、著作権者(クリエーター)の生活は苦しくなっている。
これまで著作権者は20世紀型大衆文化でオイシイ思いをしすぎた
しかし、私は、これは仕方がないと、最近思いはじめた。というのは、デジタル化というのは誰でもコピーができるということであり、いまのデジタル技術で は、コピーとオリジナルの差などないからだ。そして、これまで著作権者は、ブロードキャスティング・モデルが発展した20世紀型大衆文化にあぐらをかい て、オイシイ思いをしすぎてきたからだ。 はたして、20世紀に大量生産されたコンテンツが、どれほど、「学術および技芸の進歩」「文化の発展」に役立ったかは、誰も検証できないだろう。
カメラマン、デザイナーはもう必要ない
著作権ができる以前、著作権者たち、つまり、作家や画家や音楽家は、どのように生活をしていたか考えてみればいい。本を書き、絵を描き、曲をつくり、歌を歌うだけで暮らせただろうか? まして、自分のことで恐縮だが、職業ジャーナリスト、職業エディターなどいなかった。 20世紀の大衆文化は、ブロードキャスティング・モデルによって大発展し、それを支える多くの職業を生みだした。しかし、いまやネットワーキングの時代であり、そういう人々の多くは必要なくなった。 カメラのシャッターを押す技術(言い過ぎか)だけで、有名カメラマンとなると高額のギャラをもらった。しかし、いまやデジカメ写真とPhotoshopが とって代わった。商業デザイナーは、字体や色を決めレイアウトするだけで、多額のギャラを手にした。出版でいえば、たかがカバーデザインをするだけで、1 冊100万円ものギャラを取るデザイナーもいた。しかし、illustratorやIndesignがあれば、そんな人間は必要ないのだ。
職業的クリエイターを続けたいななら今後は、スポンサーを探せ
もう、いい加減、旧来の商業メデイアのなかでの、プロごっこは止めるときにきている。ニセモノのプロに高いおカネを払う必要はない。すべてのクリエイターが一律同じ著作権を持ち、それを主張する時代は終わったと思うべきだ。 ネットは、その点、公平だ。99%がクズコンテンツ、コピーであろうと、みな、おカネにならないのにやっている以上、本当の才能ある者が生き残るはずだからだ。 あるいは、資金が続く者、時間がある者だけが、生き残る。 もう一度、自分の職業でいえば、この先、ブロードキャスティング・モデル内において、旧来の職業エディターが生き残るとは思えない。同じく、職業記者や職 業ライターも生き残らないだろう。作家も同じだ。結局、職業的クリエイターを続けたいななら、今後は、スポンサーを自分で探し、その援助のもとに、音楽、 文学などの芸術活動からジャーナリズムまでをやるしかないだろう。 著作権のない昔は、そうだったのだから、これは荒唐無稽な話ではない。その結果、「学術および技芸の進歩」「文化の発展」が衰退するとは思えない。 以上が、グーグル「ブック検索」訴訟に端を発した問題に対する、私の「とりあえずの見解」だ。いつも思うが、時代はどんどん先に進んで行く。しかも、そのスピードが増している。そして、1度進んだら、もうあとに戻ることはない。
4、 バカと暇人しかいない「低度情報化社会」の生き方2009年4月12日
誰もが思う「とかく著作権は面倒臭い」
たとえば、マンガをドラマ化するとき、そのマンガの著作権がどのようになっているかをまず確認しなければならない。ふつうに考えると、原作者と漫画家が著作権を持っているから、この2人に許諾してもらえればいいとなる。
これも、また、著作権絡みの権利関係が複雑だからだ。
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