メディアの未来[006]情報ヒッグバンのなかでゴミ化する既存メディア 印刷

 メディアの未来を考えるとき、避けて通れないのが、今後、どれほど情報が増えていくのかわからないということだ。ネット時代が訪れてからというもの、私たちを取り巻く情報量は飛躍的に増えてきた。
 昔は、新聞、雑誌、本、テレビ、ラジオといブロードキャスティング・メディアを通じて流れていた情報は、ネットというネッワーキング・メディアの登場によって、加速度的に増加し、いまや、その量の多さに、ほとんどの人間は消化不良を起こしているのではないだろうか。

 それなのに、そんなことにはおかまいなしに、ネットは増殖し、ケイタイ配信も飛躍的に増え、ついにテレビとネットが融合するような状況を迎えている。
 グーグルも日々情報を蓄え、その巨大なデータベースは、1人の人間が一生かかっても知ることができないまでに膨れ上がっている。

 

情報過多のなかで、雑誌や本の価値は薄れていくばかり

 

 出版界という旧来のブロードキャスティング・メディアのなかで仕事をしながら、このことを思うと、いまつくっている雑誌や本が、巨大な情報の海の中に吸い込まれていく虚しさを感じる。
 このことは、本を出すたびに思う。まず、昔に比べて、本の寿命は圧倒的に短い。そして、昔なら、もっと反響があったと思える本が、まったく反響がないという現実に突き当たる。
 さらに、出版点数は増えたこともあるが、一部のベストセラーを除き、本の部数はつるべ落としに落ちている。


 現代が情報化時代であるのは異論を待たない。そんなことは20年以上前から言われてきた。しかし、情報化時代がなにをもたらすのかは、今日までよくわかっていない。


 ここでいう情報化時代とは、情報テクノロジーの発達のことではなく、情報過多のことである。すなわち、いまや情報が溢れすぎた「情報過多」の時代を迎え、そのなかでメディアは懸命にもがいている。
 とくに、広告業界は、この情報過多の世の中で、いかにして広告のメッセージをユーザーに届けるのか? 腐心している。それがわからなければ、効果のある広告は不可能だからだ。

 

毎年、情報量が3、4倍に増える「情報ビッグバン」

 

 そんななかで、ここ数年来言われているのが「情報ビッグバン」である。日本では、2000年代に入ったあたりから、飛躍的に情報が増えだした。
 総務省のデータ(情報流通センサス報告書2007/3)によると、ここ10年ほどで、一般の生活者が接する情報量は、なんと400倍以上にもなっている。とくに、ケータイ、ネットが飛躍的に伸びた 2003年以降は、情報量は、毎年倍々ではきかず、前年の3倍、4倍にもなっている。 

 

 ということは、そのなかで、旧来のブロードキャスティング・モデルである4大メディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)の地位はどんどん低下しているということである。つまり、生活者が4大メディアから得る情報は、大量の情報のなかのごく一部にすぎなくなってしまったのだ。
 これは、もはやどうしようもないことだが、もっと考えなければいかないのが、情報過多の一方で、大量の情報がゴミ化しているということである。

 このデータ、「消費可能情報量」という部分があり、じつはこれは15倍ほどしか増えていない。そして、今後、もう増えそうもないのだ。
 要するに、生活者は、「情報ビッグバン」と言えるような「選択可能情報量」のすさまじい急成長についていけなくなっているのだ。
 

 これは、衝撃的なことである。なぜなら、私もふくめて旧来モデルの情報発信者たちは、単にゴミを出しているに過ぎなくなるからだ。いかに丹精をこめて本や雑誌をつくろうと、それは情報ビッグバンのなかで埋もれてしまう。そうなれば、とくに本のような紙の場合、本当にゴミになってしまう。

 

広告業界にとって情報過多はターニングポイント

 

 このことは、私のような出版界の人間よりも、広告業界の人間たちのほうが先に悩んできた。情報過多のなかでは、生活者は、情報を選別しなければ生きられない。その結果として、かつて情報の受け身だった生活者は、情報に能動的にかかわるようになった。
 たとえば、レストランを選ぶ場合、ネットの口コミ情報を重視するというようなことである。

 こうなると、従来の広告発信モデルは通用しない。昔は、企業と代理店側がどのメディアを選択してどの情報を生活者に届けるかということが、広告を出す側のテーマだった。しかし、いまは、メディアや情報を選択するのは生活者の方なのである。

 宣伝会議が行った「くちこみアンケート調査 2006/5」というのがある。これによると、モノを買う際に、生活者が重視しているのは、テレビなどのマスメディアや広告よりも、インターネットの情報や知人・友人のクチコミであることがわかる。

 【商品を購入する際、いちばん頼りにしている情報源】

1、インターネットの情報 2、知人・友の口コミ 3、店頭(店員) 4、テレビ番組・新聞・雑誌記事

5、広告 6、特になし 7、その他

「情報ビッグバン」が進むなか、企業からの情報が生活者に届きにくくなっている。また、旧来メディアが出すような一方的な情報は敬遠されつつあるわけだ。


どんなメッセージを出すかより、どうやって届けるかが重要

 

 こうした流れのなかで、昨年から「コミュニケーション・デザイン」や「クロスメディア」といった言葉をよく聞くようになった。
 ようするに、広告に関しては「どんなメッセージを出すか」ということに集中して考える時代は終わってしまった。それよりも、「どうやってメッセージを生活者に届けるか」である。
 その方法は、メッセージによっても、状況によっても、いまや千差万別であり、その意味で「コミュニケーションをデザインする」ということが大切なのだという。
 
 こうしたことを考えると、私が属する旧来メディアは、ますます価値を失う。もちろん、このコミュニケーション・デザインの中の1つの選択肢として活字メディアは選択される。しかし、それは、もしかしたらただのゴミかもしれず、しかも、口コミやネットのようなネットワーク効果はもたない。

 

雑誌が街の風景を変えられる時代はとうの昔に去った


 最近、つくづく思うのは、もはや雑誌のような「紙メディア」は、情報発信源にならないということだ。

 私が務める光文社は、長らく女性誌が屋台骨を支えてきた。かつては、『女性自身』『JJ』、その後『CLASSY』『VERY』『STORY』という女性誌群が、収益の柱となってきた。
 しかし、いまやかつての勢いはない。
「雑誌は時代を変える。街の風景を変えられるような雑誌をつくれ」と言われ、多くの編集者がこのコンセプトで雑誌づくりに励んできた。


 しかし、雑誌が街の風景を変えられるなどというのは、編集者の時代錯誤の思い上がりとしか思えない。