2011年5月17日■朝日新聞「オピニオン」面インタビュー全文掲載 印刷

 

朝日新聞オピニオン面【異議あり】2011年5月17日掲載

 電子書籍が出版文化を滅ぼす

 ―値引きで質の高い作品や情報の流通機能が失われ、大量発信のみ残る

                                           業界低迷を憂える出版プロデューサー 山田 順さん(58)

 

【前文】

 米国で急速に普及する電子書籍。日本でも、出版業界などが「新たなビジネスチャンス」と力を入れる。だが、大手出版社で雑誌記者や編集者として鳴らし、退社後は自ら電子書籍出版を手がける山田順さんは「書籍や新聞の電子化で既成の出版文化やマスメディアは崩壊し、社会に流通する情報の質が大きく低下する」と警告する。

 

【本文】

 ――2010年は「電子書籍元年」とされ、各メーカーから専用端末も発売されました。ですが、日本では本格的な「電子書籍時代」はまだ訪れていないように見えます。

 「昨年の電子書籍ブームは、完全な空騒ぎでした。新しい端末が発売されても、肝心の電子書籍の品ぞろえが少なかったからです。シャープの『GALAPAGOS(ガラパゴス)』で買える本は3万冊、ソニーの『ソニーリーダー』では2万冊。この程度では本を選ぶ楽しさを味わえない。米国のアマゾンが発売する『キンドル』の品ぞろえは80万冊。グーグルの『グーグル・イーブックス』は300万冊以上です」

 ――電子書籍の数が増えれば、日本でも市場が拡大するのでしょうか。

 「日本では、電子書籍の配信サービスを行う会社が乱立しており、本を電子化する際の規格(フォーマット)もバラバラ。規格を統一しようとしても利害関係者が多く、調整に時間がかかる。一方、米国のフォーマットはすでに『EPUB(イーパブ)』で統一されており、5月中に日本語対応も可能になる見通しです。日本陣営のもたつきを尻目に米国の3強、アマゾン、アップル、グーグルが遠からず日本市場に進出し、主導権を握るでしょう」

 

 ――たとえ米国企業主導でも、ユーザーが手軽に電子書籍を利用できる環境が整えば問題ないのでは。

 「あまりにも寡占市場になると、配信を行う側による検閲の危険もあります。ただ、音楽の世界がそうだったように、出版も電子化の流れ自体は止めようがありません。問題はその結果、出版文化がどうなるか、です。音楽はすでにインターネットでの直接ダウンロード購入が主流で、CDがどんどん売れなくなっています。1曲の価格は150~200円とCDに比べあまりにも安く、小売店だけではなく、アーティストから作曲家、作詞家まで、レコード業界からの収入では食べていけなくなりました」

 ――同じことが本の世界でも起きる、と。

 「私自身、電子書籍を自分の会社で数十タイトル出しました。紙の本の半額、500円程度にしましたが月に5~10冊しか売れなかった。タレント・高田純次さんの『適当日記』が電子書籍で紙の本の倍、7万部売ったことで話題になりましたが、紙の本の千円に対して115円~350円にしたことが大きい」

「電子書籍も音楽ダウンロードと同程度の価格にしないと売れないでしょう。本だけでなく、新聞も電子化は避けられません。紙の新聞より大幅な値引きを迫られることになると思います」

 ――価格が下がるのは業界にとっては問題でも、ユーザーにとっては安く大量の本や情報が入手できる。望ましいことではありませんか。

 「私の予想では逆に、多くの人々が遠からず『タダより高いものはない』と思い知らされるでしょう。ネットの世界では調べ抜き、考え抜いたプロの発信する情報も、素人の情報もまったく同列です。ツイッターでは、有名人であるだけで、その人の発言を何百万もの人が追いかけ、ほとんど検証もされていない情報がマスメディア並みの影響力を持ってしまいます」

 「出版を含むマスメディアは、信頼性が高く価値ある情報を選別し、世の中に流通させる役割を担っていました。電子書籍では、出版社を通さず素人が直接自分で本を出せる。一方、電子書籍や電子新聞の価格が下がることで、出版社や新聞社のビジネスモデルは成立しなくなり、作家や編集者、記者の大半が失業するでしょう。質の高い作品や情報をつくり、流通させるという社会の重要な機能は失われ、残るのは不特定多数の人々による、信頼性も質も保証されない大量発信だけです」

 

 ――人々が情報の質にそれほど鈍感とは思えません。きちんとした本や報道には相応の対価を支払うのでは。

 「ゲーム産業も衰退が続いていますが、大きな原因はインターネットから無料でダウンロードできるゲームが普及したからです。内容は大手メーカーの最新作よりはるかに単純ですが、一般の人は『暇つぶしにはこれで十分』と考えているのでしょう。『ゲームと本は違う』という意見もあるかもしれませんが、大衆にとってはやはり価格が第一で、質はあまり重要ではないと思います。それに、インターネットの世界では『情報はタダ』という価値観が浸透しています。価格を上げようとすれば、今度は違法コピーや海賊版が横行してしまう。映像をふくめ、あらゆる情報コンテンツ産業がこの『課金の壁』で苦しんでいますが、打開策は見いだせていません」

 ――震災ではツイッターやフェイスブックなど、インターネット上のソーシャルメディアが情報伝達に役割を果たす一方で、大量のデマも流されました。マスメディアの信頼性が見直されたのでは。

 「確かにその通りです。出版や新聞などマスメディアはやはり社会全体にとって必要であり、ネット上でも生き残らなければならない。『価値ある情報にはコストがかかる』ということを、どうネット上の人々に訴え、納得してもらうか。これからが正念場です」

 

【電子書籍】

 インターネットにつながったパソコンや専用の小型端末を通じてデータをダウンロードし、購入する本。ネットに接続できる環境があれば、いつでもどこでも買える。大量の電子書籍を端末で簡単に持ち運ぶことができ、置き場所も取らない、などのメリットがある。

 米国では通販大手アマゾンの「キンドル」、アップルの「ipad」などの端末が発売され、アマゾンではすでに電子書籍の販売冊数がハードカバーの販売数を上回るなど、急速な普及が進んでいる。

 日本でもNTTドコモ、KDDIなど大手5陣営の電子書店が発足しており、野村総合研究所の予測によれば、2015年度の市場規模は10年度の2・8倍の2400億円に拡大するという。

 

【取材を終えて】

 山田さんが予測するのは、インターネット上の情報の低価格化、無料化が最終的にもたらす「文化の崩壊」であり、絵空事と思えない。一方で「音楽や映像より書籍の電子化の方が技術的に簡単なのに、なぜ電子化が一番遅れているのか」という疑問も残る。無料だが玉石混交のネットの世界に浸る一方で、「きちんとお金を払って質の高い本を楽しみたい」という人々が確実に存在していることの証拠、と信じたい。 (太田啓之)

 

【略歴】山田

 1952年、神奈川県生まれ。76年光文社に入社し、「女性自身」編集部などを経て2002年、光文社ペーパーバックスを創刊、編集長に。10年に退社し、ジャーナリスト、出版プロデューサーとして活動。著書に「出版大崩壊 電子書籍の罠」など。